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2025年10月10日金曜日

『THE Wakey Show』の地方ソングを考える

 Eテレで朝7時から放送している子ども向け番組『THE Wakey Show』で『地方ソング』という歌が流れている。

 都道府県の位置関係を語呂合わせでおぼえるための歌だ(位置をおぼえるのが目的だからだろう、北海道と沖縄だけない)。



 とりあえず一個だけ貼っておく。他の動画も公式チャンネルに上がっているので興味ある人は自分で調べて。

(数十年前の動画っぽい画質と横幅だが、この番組のために作られたものだそうだ。なんで古く見せかけているのかは知らない)


 どれもなかなかよくできている。歌詞だけここに書く。

(東北)

青岩でメヤギが吹くよ 山の秋

※ 青(青森)岩(岩手)でメヤギ(宮城)が吹く(福島)よ 山(山形)の秋(秋田)

(関東)

 土地いばら 一番かなとサイの群れ

※ 土地(栃木)いばら(茨城) 一番(千葉)かな(神奈川)と(東京)サイ(埼玉)の群れ(群馬)

(中部1)

福、医師と山に

※ 福(福井)、医師(石川)と山(富山)に

(中部2)

長梨静かに 愛ギフト

※ 長(長野)梨(山梨)静か(静岡)に 愛(愛知)ギフト(岐阜)

(近畿)

教師が見えたなら 和歌を評価

※ 教(京都)師が(滋賀)見え(三重県)たなら(奈良) 和歌(和歌山)を(大阪)評価(兵庫)

(中国)

山はねっとり 広い丘

※ 山(山口)はねっ(島根)とり(鳥取) 広い(広島)丘(岡山)

(四国)

姫香る こっちが徳

※ 姫(愛媛)香る(香川) こっち(高知)が徳(徳島)

(九州)

長さで服分ける お宮さんの鹿と熊

※ 長さ(長崎)で服(福岡)分ける(大分) お宮(宮崎)さんの鹿(鹿児島)と熊(熊本)

 よくできている。東京、大阪がどちらも助詞の「と」「を」の1文字で処理されているのは気になるけど、まあ東京や大阪の場所をまちがえる人はそんなに多くないだろうから目をつぶろう。

 だが改善すべき点はある。


 まずは順番。ほとんどのエリアで、時計回りに都道府県名を歌っている。おかげで位置をおぼえやすい。

 が、中国と四国だけは時計回りじゃない。

「山はねっとり 広い丘」を「山はねっとり 丘広い」に、
「姫香る こっちが徳」を「姫香る 徳はこっち」に変えれば、時計回りで歌える。メロディーもくずさなくて済む。

 なんでここだけ時計回りにしなかったんだろう。


 そしてもうひとつ。省略するのはそっちじゃない、というところがある。

 たとえば中国地方の「山はねっとり 広い丘」の「山」は山口県のことだが、「山」がつく都道府県は、他にも山形県、山梨県、富山県、和歌山県がある。同じ中国地方の岡山県にも「山」は入っている。

 だったら「山はねっとり」じゃなくて「口はねっとり」にしたほうがいい。「口」がつく都道府県は山口県だけなのだから。

「口はねっとり」だと気持ち悪いから、歌詞の美しさを優先させたのかなあ。でも「口はねっとり」のほうがインパクトあって忘れないけどなあ。

口はねっとり 丘広い



2025年10月3日金曜日

令和に読むアラレちゃん

 小学6年生の長女が1年生の次女に「誕生日何がほしい?」と訊いた。次女は少し考えてから「『アラレちゃん』のマンガ」と答えた。

 なんでアラレちゃん知ってるの? と訊くと、学童保育に1冊だけ単行本があるのだという。

 なるほど。『アラレちゃん』はぼくも子どもの頃にテレビアニメの再放送を観ていた。低学年でも楽しめそうなギャグマンガだ。


 数日後、長女が本屋に『アラレちゃん』を買いに行った。

「買えた?」

「ううん、なかった」

「えっ、○○書店でしょ? あそこは漫画がかなり充実してるけどなあ。店員さんに訊いてみた?」

「店員さんには訊いてないけど、検索機があったから調べてみた。でもヒットしなかった」

「そうかー。前に行ったときにあったような気がしたけどな」


 その翌週。ぼくと長女がその書店に行ったときに探してみると、『ドラゴンボール』の隣にちゃんと『アラレちゃん』が全巻置いてある。

 なんだ置いてあるじゃないか、検索にヒットしなかったとか言ってたのに。

 だがすぐに長女が『アラレちゃん』を見つけられなかった理由がわかった。


 そうだった。『アラレちゃん』のタイトルは『アラレちゃん』じゃなかった! 『Dr.スランプ』だった。テレビアニメ版では『Dr.スランプ アラレちゃん』だが、漫画版のタイトルは『Dr.スランプ』だけだ。

 そりゃあ検索で引っかからないわけだ。これはむずかしい。入手難度G(グリードアイランドと同等)レベルだ。


 というわけで、長女は無事に『Dr.スランプ』を買うことができ、次女にプレゼントした。1巻から5巻まで。

 次女はむさぼるように読んで、2日で5巻を読んでしまった。おもしろかったらしく、さっそく「んちゃ!」などと言っている。


 ぼくも読んでみた。

 なるほど、これは子どもにとってはおもしろいだろうな。

 奥付を見ると1巻が刊行されたのは1980年だった。今から45年前。でもぜんぜん古くない(今では通用しなくなったネタも多いが)。絵が古びていないし、デフォルメがうまいので読みやすい。テンポもいい。今のギャグマンガよりもテンポがいいぐらいだ。

 残念なのはフォント。すべてのセリフが細めのフォントで書かれている。ボケセリフとか強めのツッコミとかも全部細めのフォント。なんかすごく白々しい。今のマンガだったら太字にしたり手書きにしたりするところだ。フォントって大事なんだなあ。

 あと驚いたのは、ほとんどルビがないこと。ふりがながふってあるのは、中学以上で習うであろう漢字ぐらい。

 ということは小学高学年ぐらいが想定読者だったのだろうか。でも内容的にはウンコとかパンツとかそんなレベルだしなあ。

 でも1年生の次女もふつうに読んでいる。たぶん読めない漢字もいっぱいあるだろうけど、だいたいで読んでいる。そういえばぼくも子どもの頃、習っていない漢字を読めることで大人から驚かれた。あれもマンガから得られたものだった。

 漢字は表意文字だが表音文字の要素も持つ(たとえば「鉱」という字を知らなくても「広」を「コウ」と読むことを知っていれば「コウ」と読める)ので、初歩的な知識があればそこそこ読めてしまうのだ。読めなくても文脈から推測してだいたいの意味を察することはできる。小説だと文章しか手掛かりがないがマンガだと前後の文章+絵がヒントになっているのでより読解しやすい。ダイナマイトを手にしている絵の横で「やめろー爆発するぞー」と書いてあれば、「爆発」の漢字を知らなくても「ばくはつ」にたどりつくのは難しくない。

 最近の子ども向けマンガはほぼすべての漢字にルビが振ってあるが、もうちょっとルビが少ないほうが勉強になっていいのかもしれないな。


『Dr.スランプ』を読んでいちばんおもしろかったのが、本編ではなく、間に挟まれていたおまけマンガ。

 鳥山明氏がどんな感じで仕事をしていたのかが描かれているのだが、愛知県の実家に住んでいたため

「まずラフ原稿を描き、コピーを取って空港に行く。航空便でコピーを編集部に郵送。するとその夜編集者(あの有名なマシリト氏)から電話がかかってきて、修正の指示がある。それを踏まえて修正し、アシスタントに手伝ってもらってペン入れをし、再び空港に行って航空便で送る」

というやり方をとっていたそうだ。

 そうかー。メールはおろかFAXもなかった時代、遠方の人に急いで絵を見てもらおうとおもったら空港に行かないといけなかったのか……。これを毎週やっていたなんてたいへんだ。


 しかしこのやり方だと、修正は一回しかできないだろう。それ以上だと週刊誌連載には間に合わない。たった一回の修正(それも電話での指示)だけであの完成度の高い漫画を毎週仕上げていたのがすごい。

 とはいえ漫画家の立場だったら何度も修正を命じられるよりも、一回だけの修正と決まってるほうがやりやすいかもしれない。あらゆることに言えるけど、チェックが増えるとミスは増える。

 修正が少ないと自由に描けるし。極端なことをいえば、編集部からの修正の指示をまったく無視して原稿を完成させたとしても、よほどのことがない限り編集部としてはその原稿を掲載するしかなかっただろう。

『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のあのいきあたりばったりなおもしろさ(読者には先の展開が読めない。なぜなら作者にもわかっていないから)は、鳥山明氏が愛知県に住んでいたからこそ生まれたものなのかもしれない。



2025年9月29日月曜日

フルグラを愛する者として実質値上げにおもうこと

 カルビーが商品の実質値上げをするらしい。

 実質値上げとは、お値段そのままで内容量を減らす「一見値上げに見せずに値を上げる」手口のことだ。


 ま、値上げはいい。原料とか輸送量とかも高騰しているからね。値を上げないとメーカーもやってられないだろう。

 お値段そのままで内容量を減らすのも、理解はできる。なんだかんだいってもやっぱり値が上がれば売上は落ちるのだろう。

 ポテトチップスなんか「もうあんまりおいしいと思わないけど半端に残すのもアレだし、後半はいやいや食べてしまう」こともあるので、内容量そのままで値段を上げるより、値段そのままで内容量を減らすほうがいい面もある(ただあんなに袋に空気をいっぱいに詰めるのはずるいけどな)。


 問題はフルグラだ。

 カルビーが出しているグラノーラ。我が家ではこれを毎朝ヨーグルトに入れて家族全員で食べている。

 あのさあ。フルグラは一回で食べ切るものじゃないわけよ。700gとか入ってるからね。大袋で買って毎日ちょっとずつ使うものなわけよ。

 そういうものを「お値段そのままで内容量を減らす実質値上げ」してごらんなさいよ。どうなるとおもう?

 そう、ただ単に「なくなるのが早くなって、買う頻度が増える」だけなんだよ。


 これまで4週に1回買ってたのが、3週に1回買わなくちゃいけなくなる。

「もうフルグラなくなったのか。この前買ったばかりなのに」とおもいながら。フルグラはけっこう高い。「また買わなきゃいけないのか……」とストレスになる。

 正直、ぼくは日用品や食料を買うときときにいちいち値段を見ていない。「だいたい前といっしょやろ」とおもって買っている。だからちょっとぐらい値上げされても気づかない。でも買う頻度が増えるのははっきりわかる。フルグラがそろそろ切れそうだとおもったら携帯のメモに「フルグラ」と打ちこむから。


 カルビーさんよぉ!

 ポテトチップスはともかくフルグラに関しては素直に値上げしてくれた方が気づかれにくいぞ! 100%の人が「値上げしてもいいから内容量減らすな!」とおもっていることが報告されているぞ(私調べ)。


昔の曲を主題歌に使うドラマ

  とあるテレビドラマの主題歌にポルノグラフィティの『アゲハ蝶』が起用され、新しいドラマの主題歌に昔の曲が使われるなんてめずらしい! と話題になっている。

……という記事を読んだ。


 え、べつにめずらしくないよね?

 ぼくはテレビドラマをまったく見ない。最初から最後までリアルタイムで見たドラマはひとつもない。放送終了後にDVDや配信で観たものも片手で数えられるほどしかない。

 そんなぼくでも、いくつか挙げられる。

 古くは、1993年の『高校教師』に使われた森田童子『ぼくたちの失敗』(1976年発表)。

 1993年・1997年の『ひとつ屋根の下』に使われたチューリップ『サボテンの花』(1975年発表)。

 1996年の『白線流し』に使われたスピッツ『空も飛べるはず』(1994年発表)。あんまり古くないけど。

 調べたところ、他にもいろんな例があった。書き出すときりがないのでもう書かないけど、『ふぞろいの林檎たち』(1983~1997年)に使われたサザンオールスターズ『いとしのエリー』(1979年)とか。

 いずれも大ヒットした有名ドラマだ。上記4ドラマはどれも観たことがないけど、それでも誰が出ていたかとか、どんなストーリーだったかとかはなんとなく聞いたことがある。それぐらい有名な作品だ。

 マイナー作品も挙げていったら山ほどあるはず。


 ここからは完全に憶測の話になるけど、もしかすると「古い曲を主題歌にするドラマはヒットしやすい」のかもしれない。

・古い曲/すでにヒットしている曲を起用することで幅広い年齢層を取り込める

・曲をよく知った上で起用しているのでドラマの雰囲気と曲がマッチしやすい

・レコード会社が売りだしたい新曲を使わなくていい=しがらみにとらわれずにドラマを作れるぐらい制作側(監督、脚本家など)が力を持っている、すなわち実力のある人が余計な配慮をせずに作っているからおもしろい


 ということで、『アゲハ蝶』が主題歌のドラマもおもしろいはず! タイトルも出演者もストーリーもまったく知らないけど!



2025年9月25日木曜日

おじさんが助けてもらうには


 駅の構内でひとりのおじさんが座りこんでいた。五十歳ぐらいだろうか。赤いシャツを着て、地べたに座りこんでいる。靴が片方脱げている。

 眠りこんでいる、という感じではない。まだ17時過ぎだし、飲み屋の多いエリアでもない。


 これは……どっちだろう。

 迷うところだ。もしこれが若い女性だったら、ほとんどの人が「なんとかしてやらなくちゃ」とおもうところだろう。なぜなら、若い女性が自分の意志で駅構内の地べたに座りこむことはまずないだろうから。「のっぴきならない状況が発生して座りこまざるをえないのだな」とおもう。

 だがおじさんの場合は「自分の意志で地べたに座りこんでいる」パターンもけっこうある。「おれは好きでここに座ってんだよーほっとけー」パターンだ。特にここ、大阪市にはこういうおじさんがめずらしくない。

 だが、ほんとに具合が悪くなってしまったということも考えられる。立っていられないほどしんどくなり、座りこんでしまった。脱げた靴を履きなおす余裕もない。その場合ならすぐに救急車を呼んだほうがいい。



 ちょっと迷ったが、おじさんに「すみません、大丈夫ですかー」と声をかけてみた。救える命を救わなくておじさんが死んだら寝覚めが悪いし。

 まったく反応がない。ぴくりともしない。うつむいたままだ。ぐったりしている、ととれないこともない。

 医療の知識があれば何かわかるかもしれないが、あいにく子どものときに読んだ『ブラック・ジャック』の知識しかない。これでは無免許オペぐらいしかできない。


 うーん、どっちだろう。救急車を呼んだほうがいいのか。放っておいても大丈夫なのか。

 よしっ! こういうときは誰かに委ねよう!

 ということで駅長室へ行き、駅員さんに「すみません、あそこに座りこんでいる男性がいるんですが、声をかけても反応がなくてぐったりしていて……」と深刻そうに伝えた。

 実直そうな駅員さんは「わかりました。見に行きます」と言ってくれた。よっしゃ、これでぼくの手を離れた。あとは頼んだぞ、駅員さん!



 というわけでぼくのほんのちょっぴりの勇気のおかげで、ひとりの未来あるおじさんの命を救った(もしくは酔っ払いのために駅員さんの余計な仕事を増やしてしまった)わけだが、ぼくが気になったのは「みんなおじさんに冷たい」ということだ。

 靴が片方脱げて座りこんでいるおじさん。その前を何十人もの人が通っていたが、みんなちらりと見るだけだった。17時過ぎ。時間に余裕のある人だって多かっただろう。

 現代人は薄情だ、などと嘆く気はない。ぼくだって声をかけようか迷ったし。声をかけて酔っ払いのおじさんにからまれても面倒だな、とおもったし。



 だからぼくが言いたいのは、「おじさんに優しくしよう!」ではなく「我々おじさんが助けを必要としているときはどうするのが正解か?」ということである。


 さっきも言ったように、これが若い女性ならもっと多くの人が声をかけるだろう。

 若くなくたっていい。おばさんがたったひとりで駅構内の通路に座りこんでいる。これでも「大丈夫ですか?」と声をかける人はけっこういるだろう。おばあさんならもっと心配されるかもしれない。

 また、男でも高校生ぐらいだったら心配されそうだ。男子高校生がひとりで道端で座りこんでいたら「大丈夫?」と声をかけたくなる。

 声をかけづらいのは、おじさん、もしくはおじいさんだ。

 

 厄介なことに、おじさんやおじいさんは「自分の意志で座りこんでいる人」が多い。「単独行動をとっている人」も多い。

「自分の意志で座りこんでいるおばさん」はめずらしいが、
「自分の意志で座りこんでいるおじさん」はそんなにめずらしくない。公園とか繁華街にけっこういる。

 だから声をかけてもらいにくい。

 さらにその手のおじさんは危険物扱いされやすい。急に攻撃的になるんじゃないか、とおもわれる(ぼくもおもっている)。攻撃的なイメージがあるし、おまけにおばさんよりも攻撃力がある。だから近寄りがたい。


 だから道端で座りこんでいるおじさんに声をかけづらいのはしかたない。

 だが。おじさんにだって、ほんとに助けを必要とするときがある。熱中症だとか心臓発作だとか。すぐに救護を必要とするときもある。自分で救急車を呼べないことだってあるだろう。

 そんなときに見知らぬ人に助けてもらうにはどうしたらいいだろう。


 ひとつは「身なりを良くする」だ。

 なんだかんだいっても人は見た目で判断する。ぼろぼろの服を着ているひげもじゃのおじさんよりも、きれいなスーツを着ているこざっぱりしたおじさんのほうが、声をかけてもらいやすいだろう。

 きれいな身なりをすることで「突然攻撃してくるタイプのおじさんではなさそうだ」とおもってもらいやすくなる。


 だが残念なことに世の中には“酔っ払い”という人種がいる。ふだんはちゃんとしているのに、酔っぱらうと「自分の意志で座りこむ人」になるおじさんがいる。おまけに酔っぱらうと「攻撃的になる」おじさんもいる。

 スーツを着ていても、座りこんでいたら酔っ払いと判断されるかもしれない。特に夜は危険だ。そうなると助けてもらえる率が下がる。


 だからぼくは考えた。道端で急に具合が悪くなったときに、助けてもらえる確率を上げる方法を。

 それは「うつぶせに倒れる」だ。

 道端にうつぶせに倒れていたら、いくらおじさんといえども、“ただことじゃない”感がぐっと増す。なぜなら「路上で自分の意志でうつぶせに寝るおじさん」や「路上でうつぶせに寝るおじさん」はめったにいないからだ。

 急に気分が悪くなったときはうつぶせで。



2025年9月16日火曜日

小ネタ40(お願いという言葉の意味を知らない人のお願い / 不倫デート / 例外の例外の例外)

 お願いという言葉の意味を知らない人のお願い


 不倫デート

 小学生の娘が友だちと遊園地に行ったところ、学校の先生(男性・既婚)と別の先生(女性・既婚)が歩いているところを目撃したらしい。

 不倫デート⁉ 見ちゃいけないものを見てしまった! とあわてた娘たちだが、その後、他の先生たちにも遭遇。話を聞くと、六年生の卒業遠足(毎年遊園地に行く)の下見に来ていたらしい。業務でした。


例外の例外の例外

 トゲアリトゲナシトゲトゲは例外の例外だ。トゲトゲの中の例外がトゲナシトゲトゲで、そのさらに例外がトゲアリトゲナシトゲトゲ。

 西暦2000年に2月29日があるのは例外の例外の例外だ。通常、2月は28日まで。その例外が4の倍数年で、2月29日まで。例外の例外が100の倍数年で、2月28日まで。例外の例外の例外が400の倍数年で、2月29日まで。

 例外の例外の例外というすごいことなのに、当時ほとんどの人はただの例外(つまり単なるうるう年)だと認識していた。2000年問題のせいでそれどころじゃなかったのだろう。


2025年9月8日月曜日

小ネタ39(君が代はギャルが作った説 / シュレディンガーのボウリング / 少子化の原因)


君が代はギャルが作った説

ヤバww 古すぎてマジ巌www 苔むすwww


シュレディンガーのボウリング

得点を競うスポーツで、ボウリングの他に「現在の得点がわからない(過去にさかのぼって得点が決まる)」競技ってあるんだろうか?

ボードゲームだとけっこうある(麻雀の裏ドラとか)。


少子化の原因

あんまり言われてないけど、チャイルドシートの義務化は少子化の原因になっているとおもう。

ふつうの車の後部座席に置けるチャイルドシートは2つまで。3人目を生むのを躊躇しちゃうよね。



2025年9月3日水曜日

小ネタ38(魔改造の夜 / 後ろこうなってます / 犬の形)


魔改造の夜

夜会主催者「今回の生贄はこちら……」

メーカー社員たち「Word……!?」

夜会主催者「君たちにはこの文書作成ソフトを使って、原価管理表を作ってもらう……」

メーカー社員たち「めちゃくちゃだっ……!」


後ろこうなってます

 美容院で散髪後に「後ろこうなってます」と手鏡を見せられるが、自分の後頭部を見るのは「散髪直後」だけなので比べるものがない。いいのか悪いのかわからないから、「こうなってます」と言われても「はあ」としか言いようがない。

 散髪前にもちゃんと「切る前は後ろこうなってます」と見せてほしい。


犬の形

 娘と茨城県の話になったとき、「茨城県って犬の形やろ?」と言われた。

「ちがうよ、犬の形の県は千葉県やで。チーバくんの形やろ?」

「茨城も犬って習ったで」

 調べてみたところ、千葉県も茨城県も犬の形に似ていると言われているらしい。さらに、神奈川県や岐阜県も犬の形をしていると言われているらしい。

 しかしいずれも「そこに犬を見いだそうとすれば見えないこともない」レベルだ。人はどんなものにも犬の形を見出してしまう生き物なのだ。


 だが、「犬の形に似ている」と挙げられている自治体の中で、東京都日野市だけはどこからどう見ても犬だった。

日野市


 もはや「犬市」にしてもいい。


2025年9月2日火曜日

ちびまる子ちゃんとH₂O

 少女漫画雑誌『りぼん』に連載されていた漫画で、最も売れているのは『ちびまる子ちゃん』で3200万部だそうだ。2位の『ときめきトゥナイト』は2800万部 であるが、現在もテレビアニメを放送されている『ちびまる子ちゃん』のほうが今後も売れる可能性が高いだろうから、この差は開いていくとおもわれる。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』で最も売れた漫画であり最も有名な漫画だが、『りぼん』を代表する漫画かと言われるとそれはちょっと違う気がする。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』の中ではかなり異色な作品である。恋愛要素がまるでないし、絵も下手だし、美少女も美男子も出てこない。はっきり言えば『りぼん』っぽくない。邪道が王道を抑えて一位になってしまったのだ。

 蕎麦屋がカレーを出していたら一番の人気メニューになってしまったようなものだ。


 邪道がいちばん有名になってしまった例としては、他に水がある。

 そう、あの水だ。H₂O。

 水はダントツで有名な液体だ。「液体を思いうかべてください」と言われれば、99%ぐらいの人が水または水溶液を思いうかべるだろう。雨も海も川もお湯も泥水もお茶もコーラもビールもワインもほとんど水だ。エタノールとかベンゼンを最初に思いえがく人はほとんどいない。

 でも水は液体としては異端だ。固体になると体積が増えるとか、0℃から4℃までの間は温度を下げると体積が縮むとか、いろいろと変な性質を持っている。

 水は決して“代表的な液体”ではない。王道じゃない。たまたま時代にあったから売れただけ!



2025年8月28日木曜日

モアイゆるキャラ説

 プラスチックはなかなか自然には分解されないそうだ。数百年たてば紫外線によって分解されるらしいが、土の中など紫外線があたりにくい場所であれば何千年も残ってもおかしくない。

 千年後の考古学者が千年前(つまり現代)の人々の暮らしぶりを想像するときに、プラスチックは大きな手掛かりになるはずだ。自然界にはないものだから、プラスチックが多く出土する場所は確実に人々が暮らしていたはず。貝殻が残りやすいので貝塚が昔の集落を知る手掛かりになるのと同じように。


 プラスチックについた色や絵も残るのだろうか。

 残ってほしいな。そしたらそれも、人々の暮らしを未来に伝えるための重要な情報源になる。

 プラスチックって子ども向けの製品が多いから、特に子ども向け文化が未来に伝わりやすい。

 未来の考古学者は、出土したプラスチック製品に描かれたミッキーマウスやハローキティやリラックマを見てどんなことをおもうんだろう。

「これは当時の人々が信じていた神様の姿ですね。当時はアニミズム信仰がさかんで、ネズミやネコやクマの姿に神聖なものを感じていたのでしょう。これらの食器は神にさ捧げる供物を載せるのに使われていたのでしょう」なんてことを言うかもしれない。

 そんなことを想像すると楽しい。


 はっ、待てよ。

 ってことは、今我々が数千年前の出土品や壁画を見て「これは神々への祈りのためにつくられたものです」なんて言ってるのもまるで見当違いで、あれは当時の人気キャラだったんじゃないだろうか。

 モアイなんて、今のくまモンみたいなものでイースター島のご当地ゆるキャラだったのかもね。



2025年8月25日月曜日

ダンスの著作権

 ふとおもったんだけど、ダンスに著作権ってあるんだろうか。聞いたことがない。

 たとえば、他人の曲を歌って金儲けをしようとおもったら、ちゃんと楽曲使用料を得ないといけないじゃない。同様に、他人の描いた絵や、他人の書いた文章や、他人の撮った写真を商用目的で勝手に使うことはできない。


 でも、ダンスってみんな勝手に使ってない? よくヒット曲のダンスが流行って、SNSとかYouTubeとかでみんな真似するじゃない。中にはそれで収益を得ている人もいる。あの人たち、ダンスの振付師に金を払っているんだろうか。そんな話、聞いたことがない。

 まあ厳密には著作権が発生するのかもしれないが(答えを出しちゃうとつまんないので調べない)、現実的には厳密に運用されていない。


 個人的な考えを言えば、ダンスにはあんまり著作権うんぬん言ってほしくない。

 ダンスって身体表現じゃない。それを著作権で保護しちゃうと、体操とか発声方法とか筋トレとか歩き方とか、あらゆるものが著作権保護の対象になっていく可能性があるわけで、「おまえの呼吸方法はおれが考案した呼吸の権利を侵害しているから今すぐその呼吸方法をやめろ」なんて言われる未来がくるかもしれない。





2025年8月20日水曜日

私はいつも他人の幸福を考えて生きている

 善行自慢をさせてほしい。

 ここ十年の間に私は落とし物を拾って交番または警察署に届けたことが四度ある。交通系ICカード、スマートフォン×2、財布だ。スマートフォンを落とした人はすごく困っただろうし、財布にいたってはちらっと中をのぞいたら数万円と各種カードが入っていた。

 相当な善行だ。もし私が地獄に落ちてもお釈迦様は縄ばしごを垂らしてくれるにちがいない。ヘリコプターで逃走する怪盗のようにハハハハハと高笑いしながら極楽に上がってゆける。


 スマートフォンを拾ったときに何か手掛かりがないかと起動してみたら、ハングル文字が表示された。たぶん韓国人のものだったのだろう。もしかしたら落とし主がこれを機に親日家になり、さらにその人が将来韓国の大統領になるかもしれない。そうすると私の善行が日韓関係の改善に大きく貢献することになる。すばらしいことだ。


 こうして拾得物による善行を重ねる一方、私は落とし物をして警察のお世話になったことがない。落とし物をしたことがないわけではないが、せいぜいマフラーとか折り畳み傘とか、「ちょっと惜しいけど買い替え時だとおもえばあきらめもつく」ぐらいのものばかりだ。

 折り畳み傘の場合は「もしかしたら私が落とした傘を誰かが拾って使っているかもしれない。そうすると私は傘を損したが人類全体で見ると幸福の総量は変わっていない」とおもえばちっとも悔しくない。私はいつも人類全体の幸福を考えて生きているのだ。あの日私が失ったマフラーだってホームレスのおじさんの首元を温めているかもしれない。

 落とし物でいちばん悔しかったのは買ったばかりの食パンを落としたことだ。会計後に買い物袋に入れたことははっきりおぼえているのに、家に帰ったら袋になかったので道中で落としたのだろう。パン屋さんで買った、ちょっといい食パンだった。三百五十円ぐらいのものだが、値段以上に悔しかった。なぜなら食パンの場合は、拾った人もたぶん食べてくれないからだ。きっとそのまま廃棄されているにちがいない。私も悔しいが、丹精込めてパンを焼いてくれたパン屋さんもさぞ悔しかろう。私はいつも他人の幸福を考えて生きている。


 私は一度も落とし物をして警察のお世話になったことがないので、“落とし物貯金”はずいぶん貯まっているはずだ。逆に「落とし物をしたが親切な人が届けてくれたおかげで無事に返ってきたけど、自分は一度も落とし物を警察に届けたことがない人」もいるはずだ。そういう人は、私がうんこを漏らしそうになっているときにはトイレの順番を譲るぐらいのことをしてもらいたい。なぜなら私がうんこを漏らしたらそのにおいによってあなたたちも不幸になるからだ。私はいつも他人の幸福を願って生きている。



2025年8月6日水曜日

変な名前に対する処世術

 六歳の娘が「こどもが生まれたらどんな名前をつけるか考えた」と言う。


「へーどんなの」

  「女の子だったら、かりん」

「へー。かりんちゃんかー。かわいい名前だね」

  「でしょ? で、男の子だったら、さいかわ!」

「さ、さいかわ……?」

  「そう!さいかわ!」

「(苗字みたい……)へー、えーっと、とってもめずらしい名前だねー」

  「でしょ!」

 そして娘は、母親のところへ走っていき、「ねえ聞いて、こどもが生まれたらどんな名前にするか考えた! めずらしい名前!」とうれしそうに語っていた。

 どうやらぼくの言った「めずらしい名前」という感想が気に入ったらしい。


 だが娘よ。

 君はまだ人生経験が浅いから知らないだろうが、おとうさんの言った「めずらしい名前だね」は褒め言葉じゃないぞ!

 悪いとは言えず、かといって良いとも言いたくないときに使う苦しまぎれの感想だ!

 おとうさんは、知人からこどもの名前を聞いて「変な名前」とおもったときは「へーめずらしいですねー」とか「クラスの誰ともかぶらなさそうですよね」とかで切り抜けてるぞ!

 変な名前をつけるやつは「唯一無二な名前であること」に異常に誇りを持っているから、そんな感想でもけっこう「そうなんですよー☆」と喜ばれるぞ!

 おぼえとくといいぞ!



2025年8月5日火曜日

ウナギとドジョウとヒトの呼吸

 ウナギはエラ呼吸だけでなく、皮膚呼吸もできるのだそうだ。だから泥の中でも動ける。落語で「ウナギをつかもうとしたらぬるりとすべって逃げるのでひたすら追いかけて、知り合いから『どこまで行くんだ』と言われたので『ウナギに訊いてくれ』と言った男」が出てくるが、あれもウナギが皮膚呼吸をできるから成り立つ噺なのだ。


 一方、ドジョウは腸呼吸ができるそうだ。口から息を吸い、腸から酸素を吸収。二酸化炭素は肛門から排出するのだそうだ。そのとき出た空気はドジョウのおならとも呼ばれるそうだ。

 このシステムはなかなかいいんじゃないだろうか。ヒトをはじめとする多くの陸上生物は、口にいろんな仕事を担わせすぎだ。噛みつく、咀嚼する、食べる、飲む、息を吸う、息を吐く。「息を吐く」だけでも他の器官が担当すれば、口の負担はずいぶん減るんじゃないだろうか。それに吸うのと吐くのが同じなんて効率が悪い。「吸いながら吐く」ができないじゃないか。掃除機だってエアコンだって換気扇だって吸うとこと吐きだすところは別口だ。

 ヒトも腸呼吸ならよかったのに。そしたらずっと肛門から空気が出ているわけだからおならも恥ずかしくないのに。でも痔になったりしたらずっと音が鳴っててそれはそれで恥ずかしいだろうな。



2025年8月4日月曜日

ファストパスはイヤだ

 ファストパスってあるじゃない。テーマパークで、高い金を出してファストパスを買った人は並ばずに優先的にアトラクションを体験できますよってやつ。

 あれ、いやだよねえ。

 最初に行っておくと、ぼくはディズニーランドにもUSJにも行かない。最後にディズニーランドに行ったのは2歳のときだし(もちろんまったくおぼえていない)、USJには会社のイベントで業務として行っただけだ。


 なので想像でしかないのだが、ファストパスはイヤだ。

「金の力で順番を抜かされる」のはもちろんイヤだし、逆に「金の力で順番を抜かす」のもイヤだ。ズルしてるようで後ろめたい。

 そもそもああいう場所で金のことを考えたくない。持たざる側に立つのも持ってる側に立つのもどっちもイヤだ。

 ぼくが好きなテーマパークは大阪のスパワールドなのだが(ただし夏場を除く)、あそこは水着が裸で移動するので「リストバンドでツケ払いをして帰るときに精算」というシステムをとっている。これは中でお金のことを考える必要がないのでたいへん気分がいい。


 ファストパスを売って売上を増やしたいという施設側の思惑もわかるのだが、それって短期的には収益上がっても長期的に見たらライトユーザーの印象を下げることにつながってマイナスなんじゃねえの? ともおもう。

 ぼくの意見としては、もっと収益を増やしたいんだったら入場料を上げてくれたほうがいい。そしたら入場者数は減るかもしれないけどその分待ち時間が減って居心地は良くなる。「行かない人」と「行って満足する人」に分かれるのが理想だ。前者はテーマパークを味わえないけど、時間も金も失っていないのでがっかり感は少ない。

 ファストパス制度は「行かない人」と「行って満足する人」の他に「行ったけど満足できない人」を生みだしてしまう。お金も時間も使ったのにあんまり楽しめなかったね、の人だ。これは最悪だ。行って楽しめないぐらいなら行けないほうがずっとマシだ。


 ファストパスじゃないけど、以前某テーマパークに行ったときの印象が最悪だった。とにかく従業員が足りていない。客は長蛇の列をつくっているのに従業員が少なすぎてまったくさばけていない。「乗物に誰も乗っていないのに、説明をする従業員がいなさすぎて乗れない」という状況だった。人が多くて乗れないのよりも腹が立つ。並んでいる人たちはみんなイライラしていた。ぼくも二度と行くもんか、とおもった。

 従業員がいないのはしゃあない。でも、対応できないならいっそ「今日はこのアトラクションは中止します!」とやってくれたほうがいい。遊べないとわかっていれば他のプランを考えられるのだから。


 今の時代、どれだけチケットが売れているか、どれぐらい客が来たらどれぐらい待つことになるかなんてリアルタイムですぐわかるはず。もっと賢いやり方があるはず。

 行くなら、「チケットは確実に買えるけどぜんぜん楽しくないテーマパーク」よりも「(枚数的、金額的に)なかなかチケットを買えないけど行ったら楽しいテーマパーク」だ。

 これから働き手は減っていく一方。海外からの旅行客は増えていて、あちこちで「需要はあるけど供給が追いつかず長時間待たせる」ことが増えてくるにちがいない。

 そろそろ旧来の「とにかくたくさんの人に来てもらう」やり方を捨てて、来てもらう人を絞って満足度を高めるほうに舵を切ってもらえないだろうか。単価を上げて同程度の売上を確保するやりかたもあるんじゃないかとおもうのだが。


 ま、ディズニーランドにもUSJにも行かないぼくにはほとんど関係のない話なのだが。

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おためごかしの嘘



2025年7月22日火曜日

そんじょそこらの人として生きる

 最近ふとおもう。

 昔の自分はおもしろいことを言おうとしてたなあ、と。


 逆に言えば、最近の自分はおもしろいことを言おうとしていない。

 たとえば、同僚から「脚痛いわ~」と言われたとき。


ぼく「どうしたんですか?」

同僚「昨日マラソン大会に出たんですよ」

ぼく「へえ。何km走ったんですか?」

同僚「フルマラソンです」

ぼく「フルマラソン? すごいですねー。普段から練習してるんですか?」


みたいな会話をする。ごくふつうのやりとりだ。順調に会話が進んでいく。


 でも若い頃はこうはいかなかった。

「昨日マラソン大会出たんですよ」と言われたら「1時間何分?」とか「なんで走らされたん?」とか「五輪選考会?」とか、“おもしろいこと”を言おうとしていた。いや、実際におもしろいかどうかはわかんないけど、とにかく“ふつうの人が言わなさそうなこと”を言っていた。いわゆる“ボケる”という行為だ。

 もちろん誰かれ構わずボケていたわけではなく気心の知れた相手に対してだけだが、とにかく「隙あらば笑いをとってやろう」と身構えていた。

 いや身構えていたというのは正確ではないな。なぜならべつに「笑いをとってやろう」と意気込んでいたわけではなく、デフォルトが「ふざける」で、これといったボケが思いつかないときだけ「ふつうに返答する」を選択していたから。それぐらいおもしろいことを言おうとするのがふつうだった。

 とにかく、おもしろい人間だとおもわれたかったのだ。そんじょそこらの人とはちがうとおもわれたかったのだ。



 そんなぼくも四十代になった。

 昨今では「ごくふつうの受け答え」が標準になった。聞かれたことに正面から答える。いちいちボケない。相手が望んでいるであろうリアクションをとる。

 よほど絶妙なタイミングでおもしろいことをおもいついたら口にすることはあるけど、基本は「どうってことのない返答」だ。とにかく、波風を立てないことが最優先。

 べつにおもしろい人とおもわれなくていい。そんじょそこらの人でいい。オレはチームの主役でなくていい。

 我執がなくなっているのを自分でも感じる。

 四十歳を過ぎて、この先自分が「特別な人」になる可能性がほぼなくなったから。

 結婚して、中年になって、もうモテる必要がなくなったから。

 子どもが生まれて、自分の人生が自分のためのものでなくなったから。


「そんじょそこらの人」として生きることにしてしまえば、人生はずいぶん生きやすい。

 なんせおもしろいことを言おうとしないのだからウケるタイミングを見計らう必要もない。スベることもない。「あいつおもしろいことを言おうとしてウケなかったな」とおもわれることもない。


 でも自分の変化に気づいてふっと寂しくなることもある。

 ふだんからおもしろいことを言おうとしなければ、反応速度も落ちる。だいぶん後になってから「さっきああ言えばウケただろうな」と気づくこともある。

 若い頃のぼくが今の自分を見たら、きっと「つまんないおっさん」とおもうだろうな。今のぼくには返す言葉もない。「そう、つまんないおっさんなんだよ」とつまんない返答をするだけだ。



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2025年6月27日金曜日

テレビが強かった理由

 ちょっと前まで、テレビは強いメディアだった。誰もが認めるところだ。

 テレビの影響力はすごかった。視聴率10%だったら、単純計算で1000万人近くが観ていたわけだ。世帯視聴率なので実際はもっと少ないけど、それでも数百万、多ければ数千万人に同時にリーチできていたわけだから、とんでもないメディアだ。

 ある番組で健康にいいと言われた食材が翌日のスーパーから消えた、なんて話も聞く。1000万人が視聴して、そのうち5%が買いに行ったとしても50万人が買うことになるわけだ。それも同じ日に。すごい。


 今それに匹敵するメディアってないだろう(テレビ自身も含めて)。

 YouTubeを月に一度以上利用する人が、日本で7000万人ぐらいだそうだ。

 少し前ならテレビを月に一度以上視聴する日本人なんて100%に近かっただろう。月に一度どころかほとんどの人は日に一度以上は視聴していたはずだ。しかもYoutubeは観られている動画が無数にあるけど、地上波放送は数チャンネルしかない。ほとんどの人が同じものを観ていた。


 じゃあ昔のテレビがそれだけおもしろかったのかっていうと、必ずしもそうとは言いきれない。テレビが強かったのは「テレビがおもしろかったから」ではない。


 テレビの最大の強みは、「手軽に見られる」ことと「みんなが見てる」ことだ。

 まず手軽さだけど、リモコンのボタンを押すだけですぐに再生が始まる。テレビ放送の再生に特化したデバイスが居間にどんと置いてあって、ボタンを1個か2個押すだけで再生が始まる。

 パソコンの起動ボタンを押して、起動するのを待って、ブラウザを立ち上げて、検索するなりURLを入力するなりブックマークを探したりして目的のサイトを開き、そこで動画を検索し、再生ボタンを押すのに比べてずっと手軽だ。


 そしてみんなが観ていること。

 テレビの話題は、かなりの確率で共通の話題になりうる。いきなり映画や小説の話題を振ってくる人はあまりいないが、いきなりテレビの話題を振る人はけっこういる。

 以前、同じ職場のおばちゃんから朝いきなり「X(女優)とY(芸人)が結婚したのびっくりしたねー」と話しかけられて驚いたことがある。みんながワイドショーネタに興味を持っているとおもっているのだ。それぐらい芸能ネタというのは一般的な話題だ。

 人は「昨日のあのドラマ観た?」「こないだの〇〇おもしろかったなー」という会話をしたいものだ。だからネット動画になってもコメント欄がにぎわっている。


 テレビは娯楽の王様とか言われていたけど、決してテレビのコンテンツが優れていたからではないだろう。もちろんおもしろい番組もいっぱいあったが、それと同じぐらい、おもしろい映画、おもしろい小説、おもしろい舞台演劇もいっぱいあった。コンテンツ自体の強さでテレビに劣っていたわけではない。

 それでもテレビが圧倒的に強かったのは、手軽に、みんなが観ることができたからだ。


 昨今、テレビ業界も斜陽産業になりつつあるらしく、有料配信などの会員制ビジネスを始めたりしている。

 たぶんうまくいかないだろうな、とおもう。そういう囲い込みって、テレビの強みであった「手軽さ」「大衆性」の対極にあるものだから。


 ついでに言えば、新聞も似たようなものだ。

 日本の新聞が強いメディアだったのは、大衆性(みんなが同じような記事を読んでいる)と手軽さ(毎朝家に配達されるのでかんたんに読める)に依るところが大きい。

 だから多くの人が購読をやめて大衆性が失われれば読まなくたって平気だし、一度購読をやめてしまえばわざわざ買ってまで読もうとはおもわない。


 我々はとにかくめんどくさがりなのだ。


 仕事以外でパソコンを使う人が減ってスマホにシフトしているのも、やはり手軽さが理由だろう。

 だから今後スマホに取って代わるものができるとしたら、スマホを手に取って画面をオンにするよりも手軽なもの、たとえばまばたきするだけで眼前に映像が浮かびあがってくるようなメディアなのだとおもう。



2025年6月5日木曜日

小ネタ37 (ブザー /カレー / 植物の部位)

ブザー

 小学校に娘を迎えに行った。校門前で待っていたら小学生が大量に出てきたんだけど、数えてみたら五分ほどの間に防犯ブザーが七回鳴った(もちろんすべて誤報)。

 小学校の近くに住んでいる人で、防犯ブザーの音が聞こえたから様子を見に行く人、日本にひとりもいないとおもう。


カレー

 小学校に娘を迎えに行ったら、娘の口元にカレーがついていた。

 他の子も見てみたら、半分以上の子の口元にカレーがついていた。


植物の部位

 我々はいろんな植物のいろんな部位を食べている。

 実だけでなく、種子(豆など)、茎(ジャガイモなど)、根(ダイコンなど)、葉(キャベツなど)、花(ブロッコリーなど)と、ありとあらゆる部分を食べる。種類によって食べる部位が異なる。

 もしも宇宙からすごく強い生物がやってきて地球上の生物を食べることになったら、「チューリップは茎がうまい、キリンは脚がうまい、ハムスターは骨がうまい、ヒトは脳がうまい」みたいにあれこれえり好みを食べるのだろうか。

 どうせ食べられるなら全部残さず食べてほしい。


2025年5月27日火曜日

半径1メートルの世代論

 ある報道番組で、氷河期世代の特集をしていたらしい。

 そこに、氷河期世代のタレント二人がゲストとして出演して、「私たち氷河期世代の生きづらさ」を語っていたそうだ。

 番組は観ていないのだが、「自分の言葉として世代の苦しみを語ってくれていてほんとによかった!」という感想が多くSNSに投稿されていた。


 うーん……。

 番組を観ていないのでどんな番組だったかわからないが、その感想を見るかぎりは建設的な意見につながるとはおもえないなあ。

 アメトーークだったら「ぼくたち氷河期世代ってこんなにつらいことだらけなんですよー」「はい次、氷河期世代あるある~!」でいいんだけどさ。

 

 ゲストが「私たち氷河期世代の生きづらさ」をどれだけ語っても、それって結局「私の生きづらさ」、せいぜい「私と仲のいい数人の友だちの生きづらさ」じゃん。

 それはそれで価値がないとはおもわないけど、世代論ではないよね? だってあなたはあなたの世代しか生きたことがないんだから。


 人が「私たちの世代は大変だった」と語るときって、たいてい「私やその周りの人たち」と「他の世代のうまくいっている人たち」を比べてるんだよね。

 だって、うまくいっている人には、他の世代の「何もかもうまくいかなかった人たち」は見えないもの。


 同世代であればいろんな人の姿を見える。百社受けて全部落ちた一つ上の先輩。就職できずにずっと非正規で働いている同級生。引きこもっているらしいと噂で聞いたかつてのクラスメイト。精神を病んで自殺してしまった友人。

 自分の体験と知人の話を総合すれば、「つらい世代」エピソードはいくつも出てくるだろう。


 十歳上、あるいは十歳下の世代はどうだろう。「何もかもうまくいかなかった人たち」をどれぐらい知っているだろう。

 たぶん、(そういう人と関わる仕事をしていなければ)ほとんど知らないはずだ。なぜなら、“自分と歳の離れた引きこもり”は姿が見えないし噂にも聞かないからだ。

 我々がふつう関わる歳の離れた人は、自分と近い仕事をしている人だったり、誰かの親だったり、同じ趣味を楽しんでいる人たちだ。

 仕事や家族や趣味を通して他者とかかわる余裕のある人たちなんだから、ほとんどは「まあそれなりにうまくやっていけている人たち」だろう。


 だから我々は「自分たちの世代はつらかった」「他の世代はもっと楽に生きられた」とおもってしまいがちだ。実際にはどの世代にもそれぞれの苦しさがあるのに。

「あの世代は良かった」というとき、その世代のずっと孤独のまま死んでいった人たちのことは想像すらしないのだ。


 氷河期世代がつらくないとは言わない。

 でもそれは数々の統計的事実から明らかにすべきことであって、個人の「つらかった話」をいくら集めても世代論にはなりえない。


 その世代のタレントを呼んでつらかった思い出を語らせるのには、気の毒コンテンツとして楽しむ以外の効果はないんじゃないかなあ。


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2025年5月21日水曜日

小ネタ36 (サクマドロップ / 超能力戦士ドリアン / 高校生になってラグビーを始めたジャイアン)

サクマドロップ

 サクマドロップには2種類の味がある。「ハッカ」と「ハッカじゃないやつ」だ。


超能力戦士ドリアン

 妻に「超能力戦士ドリアンのライブに行ってくる」と言われた。まったく知らなかったが、そういう名前のバンドがいるらしい。

「地球儀持ってライブやるんでしょ?」と訊いたら「それは宇宙海賊ゴー☆ジャス」と的確にツッコまれた。結婚して10年以上たつとここまで心が通いあうのだ。


高校生になってラグビーを始めたジャイアン

「ALL FOR ONE, ONE FOR ONE」