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2025年12月11日木曜日

知識がなくても正解にたどりつけるクイズ

「知識がなくても正解にたどりつけるクイズ」が好きだ。


「アメリカ合衆国の首都は?」という問題は、知っているか知らないかだ。知っていれば答えられるし知らなければ答えられない。それだけ。頭をひねる必要がないからおもしろくない。

 ぼくが好きなのは、答えを知らなくても、周辺知識から推理して答えにたどりつけるクイズだ。

 お気に入りの「知識がなくても正解にたどりつけるクイズ」を2つ出題しよう。



1. 日本の市町村(東京23区除く)のうち、JRの駅がなく、かつその中でもっとも人口が多い市町村はどこ?


2. ニュージーランドには人間がやってくるまで哺乳類が1種類しかいなかった。その哺乳類とは何か?(ヒント:ネズミではない)


以下、考え方と答え。

2025年11月11日火曜日

孫引きの功罪

 引用の引用をすることを「孫引き」といい、原則としてしないほうがよいとされる。

 内容が誤って伝わったり、著作権の侵害とみなされたりするからだ。

 孫引きとはつまり「知り合いの知り合いから聞いたんだけど……」みたいな話だ。そりゃ信憑性は低い。



 が、現実的に孫引きは多くおこなわれている。

 たとえばスタンフォード監獄実験と呼ばれる有名な実験がある。被験者を看守役と囚人役に分けて行動させていると、次第に看守役は看守らしく、囚人役は囚人らしくふるまうようになり、さらには看守役は囚人役に対して暴力をふるうようになった……みたいな実験だ(ただし実験の信憑性にはいろいろ疑いが持たれている)。

 

 有名な実験なので、いろんな本でお目にかかることができる。お手軽心理学とか安っぽいビジネス書にもよく出てくる。

 だがそれらの本の著者のうち、いったいどれだけの人がオリジナルの文献を読んでいるだろう。きっと1%もいないだろう。

「こんな実験があるらしいよ」と書いてある本を読み、「へーそうなんだ」と引用して、それをまた別の人が引用して……と、孫引きどころか曾孫引き、玄孫(孫の孫)引き、来孫(孫の孫の子)引き、昆孫(孫の孫の孫)引き……という感じだろう。

 もちろんぼくだって原典にあたったことはないので、上で紹介したスタンフォード監獄実験の説明も孫引きだ(めんどくさいので孫引き以下の引用はすべて孫引きと呼ぶことにする)。えらそうに語ってごめんなさい。


 ただ、ちゃんとした論文や著作ならともかく、日常会話なら「テレビで言ってたんだけど……」「友だちから聞いたんだけど……」「新聞に書いてあったんだけど……」で十分だ。

 孫引きは決して悪いものではない。むしろ「知り合いの知り合いの話」を信じる能力があるからこそ人類は進歩してきたといえるだろう。

 三平方の定理の証明方法を知らなくたって「教科書にそう書いてあるから正しいものとして扱う」として定理を使ってもかまわない。ありがとうピタゴラス。

 あらゆるものの原典にあたるなんて不可能だし、そんなことをしてたら原典を読むだけで一生が過ぎてしまい新しいものを生み出すことはできない。



 なので個人的には孫引きには寛容な立場だ。

 ただ「孫引きをするときはちゃんと孫引きであることを記せ」とはおもう。孫のくせに子のふりをするな、ってこと。


 具体的にどういうことかというと、White Berryがジッタリンジンの『夏祭り』をカバーして、それを聴いたまたべつのアーティストが歌うときに「White Berryの『夏祭り』をあのアーティストがカバー!」っていう歌番組は許せない、って話。



2025年11月7日金曜日

エジソンが一度も泳がなかったプール

 フロリダ州フォートマイヤーズには「Edison and Ford Winter Estates(エジソン&フォード冬の別荘)」という観光地がある。

 ここはエジソンと自動車王ヘンリー・フォードが冬を過ごした邸宅と庭園が保存されている。

 ここには「エジソンが一度も泳がなかったプール」として有名なプールがある。


 エジソンはこのプールを設計して作らせたものの、自分は水に入ることを好まず、一度も泳がなかったのだそうだ。 

 このエピソードのおかげで「エジソンが泳がなかったプール」として観光案内やガイドツアーで紹介されているらしい。


 すごい話だ。

「○○が××した」で有名な場所は世界中に山ほどある。○○が生まれた家、○○が撃たれた場所、○○が俳句を詠んだ土地……。

 だが「しなかった」ことで有名なのはここぐらいじゃないだろうか。


 「しなかった」ならなんとでも言える。

 日本中にあるすべてのプールは「エジソンが泳がなかったプール」だ。同時に「ジョン・レノンがこの場所で作曲しなかったプール」でもあるし「ジョン・F・ケネディが暗殺されなかったプール」でもある。

 「エジソンが一度も泳がなかったプール」はなんてことのないことをすごいことと思わせるのがすごい。


 ぼくも「あの織田信長に一度も叱られなかった男」を名乗って生きていくことにしよう。


2025年11月6日木曜日

新語・流行語大賞の選考委員の先生方のご年齢

 今年も、場つなぎのためにあたりさわりのない話題を探している日本中の人たちが待ちに待った新語・流行語大賞のノミネート作品が発表された。


 ノミネートされた言葉のことは書かない。自分で調べてくれ。

 ぼくが調べたのは、選考委員の年齢(2025年11月6日現在)だ。


  • 神田伯山(講談師)42
  • 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)51
  • パトリック・ハーラン(パックンマックン、お笑い芸人)54
  • 室井滋(女優・エッセイスト・富山県立高志の国文学館館長)67
  • やくみつる(漫画家)66
  • 大塚陽子(『現代用語の基礎知識』編集長)

 うーん、すばらしい。シルバー民主主義国家・日本の流行語を決めるのにふさわしい年齢構成だ。大塚陽子さんがおいくつか知らないが、歴史ある本の編集長をやっているので20代30代ではないんじゃなかろうか。

 大塚さんを除いた5名の平均年齢は56.0歳。昭和なら停年退職(昭和時代は定年のことを停年と書いていた)している年齢だ。ちなみに伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任したのは44歳だ。

 せめて一人か二人は若い人を入れたほうがいいんじゃないかとも思うが、今の50代は昔の50代よりもぜんぜん元気だ。なにより気持ちが若い。なんたって自分たちが世の中の流行について選考できる立場にあると思っているのだ。すばらしい。なんて若いんだ。気持ちは。


 ぼくはこの5名の中の最年少である神田伯山さんと同い年だが、とてもとても世間の流行語について物申せる立場にあるとはおもえない。娘たちが学校で仕入れてきた「エッホ、エッホ」とか「チョコミントよりもあ・な・た」とか言っているのを聞いて「なんじゃそりゃ。それのどこがおもしろいんだ」と思っている人間なので、とっくに流行にはついていけていない。それでも小学生の娘がいるだけかろうじて世間一般のおじさんよりはマシなほうかもしれない。

「新語」のほうはニュースを見ていたらなんとなく耳に入ってくるけど、「流行語」のほうはむずかしい。テレビなどで取り上げられるのはとっくに流行のピークを過ぎて収束に向かってからの場合がほとんどだからだ。新奇な言葉は若い人、特に学生のような狭いコミュニティに属している人たちが仲間意識を高めるために使いたがることが多いので(ぼくも学生時分は仲間内だけで通じる符丁のような言葉をよく使っていた)、若い人同士の言葉をよく耳にする人じゃないとなかなか耳に入ってこない。

 教師や塾講師のように日常的に学生と接する職業の人であれば何が流行しているか知りやすいだろうが、それでも学生が仲間内で使う言葉と大人に対して使う言葉はちがう。若者向けのSNSやYouTube動画にどっぷり浸かっているような“大人としてはちょっとアレな人”でないと流行りにはついていけなさそうだ。


 そんな中、50代60代になってもまだ自分が流行語をジャッジする資格があると思える人は、くりかえしになるがほんとにすごい。多くの人が20代半ばぐらいで「ちょっと学生のノリがわからないことが増えてきたな。自分ももう時代の最先端にはいないな」と気づくものだけど、そんなことは感じずに「大人だけど若い人の感性にもついていけるぜ」と思えるなんて、なんという自信だろう。自分の感覚がずれているのではとか、いい歳して若者の流行についていこうとするのは恥ずかしいとか、そんなことは考えないのだろう。そのみなぎる自信、見習いたいものだ。


 新語流行語選考委員の先生方の姿勢を見習いたいがとうてい真似できないので、ぼくは「年寄りの冷や水」という旧語を噛みしめて生きていくことにする。




2025年10月31日金曜日

小ネタ41(しばしば / ハードルが高い / 110m障害)


しばしば

「しばしば」という日本語は、oftenを和訳するときにしか使わない。


ハードルが高い

「ハードルが高い」という言葉がある。完全に想像だが、元々「~するにはハードルがある(障害がある)」という用法だったのだが「敷居が高い」という言葉と混ざって「ハードルが高い」になったのではないだろうか。

 だって「ハードルが高い」は変だから。陸上競技で用いるハードルは、高さが決まっている。男子と女子、110m障害と400m障害で高さは違うが、競技場によって高さがちがうなんてことはない(その点敷居は高さが異なる場合がある)。

 陸上の障害走は「一定の高さのハードルを跳び越えながら速く走る」のが目的であって、「より高いハードルを乗り越える」ことが目的ではない。

 障害が大きいことを表すなら「ハードルが高い」よりも「高跳びのバーが高い」とか「バーベルが重い」とかのほうが適切だ。


110m障害

 110m障害が110mと半端なのは「ハードルを跳び越える距離の分、100m走よりも10m長くした」かとおもっていたが、どうやらそうではないらしい。

 イギリスで「120ヤード・ハードル走」という競技をやっていて、120ヤードが約110mなので110m走になったんだそうだ。ハードルの高さもフィート・インチ基準なのでセンチに直すと半端な数字になるんだそうだ。

 へーそうなんだーとおもったが、それはそれで「そもそもなんで100ヤードじゃなくて120ヤードだったんだ」とか「じゃあなんで400m障害のほうは440mじゃないんだ」とか「なんで女子はキリよく100mにしてるんだ」とか「短距離走は男子も女子も同じ距離なのになんで障害だけ男女で距離がちがうんだ」とかいろいろ疑問が出てくる。



2025年10月30日木曜日

韓国旅行記(写真ゼロ)

 韓国に旅行に行った。仁川国際空港付近を少しとソウルをぶらぶら。

 以下かんたんな感想。めんどうなので写真は載せない。見たかったら自分で韓国まで見に行ってくれ。

  • 明洞はなんばのような街だった。要するに外国人観光客向けのぼったくり店ばかりということ。好きな街じゃない。
  • 細い路地のはやってなさそうな店でも日本語が通じた。便利だがおもしろくない。だったら国内旅行でええやん、となってしまう。
  • 焼肉屋で生レバーがあった。韓国では合法なのだろう。でもこわかったので食べなかった。というよりべつに生レバー好きじゃないし。なんか禁止されてからみんな生レバーを必要以上にありがたがりすぎじゃない?
  • 戦争記念館へ行く。ほとんどが朝鮮戦争に関する展示(あとは高句麗時代の戦が少し)で、日本に関する展示は皆無。まあ戦争じゃないしな。軍がやっているプロパガンダ施設っぽいので、勝利したわけではない日本統治下の話はあまり触れられたくない話なのかもしれない。こういうのは「何を展示しているか」よりも「何を展示していないか」に注目してみると面白い。
  • 戦争記念館の前に大きな施設があったので地図アプリで調べたところ、地図上では公園になっていた。後で調べると、軍関連の施設で、軍事上の理由で地図には載せていないんだとか。
  • 大統領府の近くには政権批判の垂れ幕があった。このへんはどの国もいっしょだよね。
  • 屋台でおでんを食う。はんぺんを串にさしたやつ。うまい。
  • 屋台でトッポッキを食べていると、隣にいたおじいさんに話しかけられた(話したところドイツ人だった)。それは何かと訊かれたのでトッポッキだと答える。多かったのでひとつどうだと勧める。おじいさんは喰って顔をしかめて「辛いのはダメだ」と(英語で)言った。
  • 住宅街の中をうろうろ。首輪をしていない野良犬がいてうれしくなる。
  • 室外機を屋根(ななめ)に乗せている犬があった。いいねえ。
  • 住宅街の電柱には非常ボタンがついていた。
  • チャンジャうまかった。
  • デパ地下が楽しかった。つくりは日本とほぼ同じ。その土地の食べ物を見ているのは楽しい。
  • ロッテ百貨店の生鮮食品売場はやたら豪華だった。肉とか魚とかキノコとか貝とかのセット(日本円で3万円ぐらいする)がたくさん売られていた。アワビをよく見た。韓国ではよくとれるのだろう。でもべつに安いわけではない(日本よりは安いが)。
  • 野菜売場で霧が吹きでていたり、鮮魚コーナーに小さい滝があったり、食材を新鮮に見せようとする工夫がすごい。
  • 路上でマツタケを売っていた。
  • 繁華街で、日本語で「この腐敗した世界を救うため神はイエスをつかわしたのです」みたいな演説をしている人がいた。あいつら、韓国まで出張してきてんのか!
  • コンビニで「ジュースの原液」「濃いコーヒー」を売っている。これと氷の入ったカップ(日本でもあるコンビニコーヒーを注ぐやつ)をセットで買って、入れて飲むらしい。
  • 甘い牛乳が人気。買って飲んでみる。うまい。
  • スーパーのお菓子売場を見たが、半分以上は日本でもよく見かけるお菓子だった。日本のお菓子がパッケージそのままで売ってる。当然ロッテのお菓子も多い。なんじゃこりゃ、みたいなお菓子はぜんぜんない。
  • 暑い日もあったが、大通りに日傘をさしている人がひとりもいない。韓国人は日傘をささないらしい。
  • 地下鉄の中のモニターで「非常時には車内のガスマスクをつけて避難せよ。姿勢を低くして煙を吸わないように……」みたいな映像が流れている。これはやはり北朝鮮からの攻撃を想定してのことだろうか。ソウルは北朝鮮から近いしな。
  • 駅にもガラスケースに入った水が置いてある。緊急時には地下鉄の駅に立てこもることも想定しているのだろう。
  • 急に携帯電話に非常アラート通知が来たので、すわ北からの攻撃かとびっくりする。韓国語でアラート。おびえながら翻訳したところ「男の子が○○付近で行方不明。身長120cmぐらい、体重20kgぐらい……」みたいな通知だった。そんなの非常アラートで通知するの? いやまあ重要事項だけど。
  • 大型ショッピングモールのフードコートに行く。注文すると、「料理ができたらカカオトークで知らせるから友だち追加してくれ」と書いてある。脇に小さく「今どきカカオトークがつかえない時代遅れちゃんはこちら」みたいなことが書いてあるので、そちらから注文。おじいちゃんになったらたびたびこういう気持ちを味わうんだろうなあ。でもアワピ釜飯がめっぽううまかったので許す。フードコート最高。
  • 九月半ばだったが韓国は涼しくて日本より過ごしやすかった。半袖で歩き回っていたらちょっと汗ばむ、ぐらい。
  • 仁川にて。気候が良くて気持ちいいので外でぼんやり過ごす。影を見ていて気付いたのだが、12時30分ぐらいに影の長さが最小になる。仁川は東経126度ぐらい。日本と韓国の間に時差はないので、設定上の経度(東経135度)と実際の経度の間に9度のズレがあるわけだ。15度で1時間の時差なので、9度は36分。なるほど、だから南中時間が12時30分ぐらいなのか! 思わぬところで地球の丸さを感じる。とはいえ、たとえば釧路市は東経144度でやはり明石市(東経135度)との間に9度のちがいがあるので、日本国内でも感じられるものなんだけど。


2025年10月10日金曜日

『THE Wakey Show』の地方ソングを考える

 Eテレで朝7時から放送している子ども向け番組『THE Wakey Show』で『地方ソング』という歌が流れている。

 都道府県の位置関係を語呂合わせでおぼえるための歌だ(位置をおぼえるのが目的だからだろう、北海道と沖縄だけない)。



 とりあえず一個だけ貼っておく。他の動画も公式チャンネルに上がっているので興味ある人は自分で調べて。

(数十年前の動画っぽい画質と横幅だが、この番組のために作られたものだそうだ。なんで古く見せかけているのかは知らない)


 どれもなかなかよくできている。歌詞だけここに書く。

(東北)

青岩でメヤギが吹くよ 山の秋

※ 青(青森)岩(岩手)でメヤギ(宮城)が吹く(福島)よ 山(山形)の秋(秋田)

(関東)

 土地いばら 一番かなとサイの群れ

※ 土地(栃木)いばら(茨城) 一番(千葉)かな(神奈川)と(東京)サイ(埼玉)の群れ(群馬)

(中部1)

福、医師と山に

※ 福(福井)、医師(石川)と山(富山)に

(中部2)

長梨静かに 愛ギフト

※ 長(長野)梨(山梨)静か(静岡)に 愛(愛知)ギフト(岐阜)

(近畿)

教師が見えたなら 和歌を評価

※ 教(京都)師が(滋賀)見え(三重県)たなら(奈良) 和歌(和歌山)を(大阪)評価(兵庫)

(中国)

山はねっとり 広い丘

※ 山(山口)はねっ(島根)とり(鳥取) 広い(広島)丘(岡山)

(四国)

姫香る こっちが徳

※ 姫(愛媛)香る(香川) こっち(高知)が徳(徳島)

(九州)

長さで服分ける お宮さんの鹿と熊

※ 長さ(長崎)で服(福岡)分ける(大分) お宮(宮崎)さんの鹿(鹿児島)と熊(熊本)

 よくできている。東京、大阪がどちらも助詞の「と」「を」の1文字で処理されているのは気になるけど、まあ東京や大阪の場所をまちがえる人はそんなに多くないだろうから目をつぶろう。

 だが改善すべき点はある。


 まずは順番。ほとんどのエリアで、時計回りに都道府県名を歌っている。おかげで位置をおぼえやすい。

 が、中国と四国だけは時計回りじゃない。

「山はねっとり 広い丘」を「山はねっとり 丘広い」に、
「姫香る こっちが徳」を「姫香る 徳はこっち」に変えれば、時計回りで歌える。メロディーもくずさなくて済む。

 なんでここだけ時計回りにしなかったんだろう。


 そしてもうひとつ。省略するのはそっちじゃない、というところがある。

 たとえば中国地方の「山はねっとり 広い丘」の「山」は山口県のことだが、「山」がつく都道府県は、他にも山形県、山梨県、富山県、和歌山県がある。同じ中国地方の岡山県にも「山」は入っている。

 だったら「山はねっとり」じゃなくて「口はねっとり」にしたほうがいい。「口」がつく都道府県は山口県だけなのだから。

「口はねっとり」だと気持ち悪いから、歌詞の美しさを優先させたのかなあ。でも「口はねっとり」のほうがインパクトあって忘れないけどなあ。

口はねっとり 丘広い



2025年10月3日金曜日

令和に読むアラレちゃん

 小学6年生の長女が1年生の次女に「誕生日何がほしい?」と訊いた。次女は少し考えてから「『アラレちゃん』のマンガ」と答えた。

 なんでアラレちゃん知ってるの? と訊くと、学童保育に1冊だけ単行本があるのだという。

 なるほど。『アラレちゃん』はぼくも子どもの頃にテレビアニメの再放送を観ていた。低学年でも楽しめそうなギャグマンガだ。


 数日後、長女が本屋に『アラレちゃん』を買いに行った。

「買えた?」

「ううん、なかった」

「えっ、○○書店でしょ? あそこは漫画がかなり充実してるけどなあ。店員さんに訊いてみた?」

「店員さんには訊いてないけど、検索機があったから調べてみた。でもヒットしなかった」

「そうかー。前に行ったときにあったような気がしたけどな」


 その翌週。ぼくと長女がその書店に行ったときに探してみると、『ドラゴンボール』の隣にちゃんと『アラレちゃん』が全巻置いてある。

 なんだ置いてあるじゃないか、検索にヒットしなかったとか言ってたのに。

 だがすぐに長女が『アラレちゃん』を見つけられなかった理由がわかった。


 そうだった。『アラレちゃん』のタイトルは『アラレちゃん』じゃなかった! 『Dr.スランプ』だった。テレビアニメ版では『Dr.スランプ アラレちゃん』だが、漫画版のタイトルは『Dr.スランプ』だけだ。

 そりゃあ検索で引っかからないわけだ。これはむずかしい。入手難度G(グリードアイランドと同等)レベルだ。


 というわけで、長女は無事に『Dr.スランプ』を買うことができ、次女にプレゼントした。1巻から5巻まで。

 次女はむさぼるように読んで、2日で5巻を読んでしまった。おもしろかったらしく、さっそく「んちゃ!」などと言っている。


 ぼくも読んでみた。

 なるほど、これは子どもにとってはおもしろいだろうな。

 奥付を見ると1巻が刊行されたのは1980年だった。今から45年前。でもぜんぜん古くない(今では通用しなくなったネタも多いが)。絵が古びていないし、デフォルメがうまいので読みやすい。テンポもいい。今のギャグマンガよりもテンポがいいぐらいだ。

 残念なのはフォント。すべてのセリフが細めのフォントで書かれている。ボケセリフとか強めのツッコミとかも全部細めのフォント。なんかすごく白々しい。今のマンガだったら太字にしたり手書きにしたりするところだ。フォントって大事なんだなあ。

 あと驚いたのは、ほとんどルビがないこと。ふりがながふってあるのは、中学以上で習うであろう漢字ぐらい。

 ということは小学高学年ぐらいが想定読者だったのだろうか。でも内容的にはウンコとかパンツとかそんなレベルだしなあ。

 でも1年生の次女もふつうに読んでいる。たぶん読めない漢字もいっぱいあるだろうけど、だいたいで読んでいる。そういえばぼくも子どもの頃、習っていない漢字を読めることで大人から驚かれた。あれもマンガから得られたものだった。

 漢字は表意文字だが表音文字の要素も持つ(たとえば「鉱」という字を知らなくても「広」を「コウ」と読むことを知っていれば「コウ」と読める)ので、初歩的な知識があればそこそこ読めてしまうのだ。読めなくても文脈から推測してだいたいの意味を察することはできる。小説だと文章しか手掛かりがないがマンガだと前後の文章+絵がヒントになっているのでより読解しやすい。ダイナマイトを手にしている絵の横で「やめろー爆発するぞー」と書いてあれば、「爆発」の漢字を知らなくても「ばくはつ」にたどりつくのは難しくない。

 最近の子ども向けマンガはほぼすべての漢字にルビが振ってあるが、もうちょっとルビが少ないほうが勉強になっていいのかもしれないな。


『Dr.スランプ』を読んでいちばんおもしろかったのが、本編ではなく、間に挟まれていたおまけマンガ。

 鳥山明氏がどんな感じで仕事をしていたのかが描かれているのだが、愛知県の実家に住んでいたため

「まずラフ原稿を描き、コピーを取って空港に行く。航空便でコピーを編集部に郵送。するとその夜編集者(あの有名なマシリト氏)から電話がかかってきて、修正の指示がある。それを踏まえて修正し、アシスタントに手伝ってもらってペン入れをし、再び空港に行って航空便で送る」

というやり方をとっていたそうだ。

 そうかー。メールはおろかFAXもなかった時代、遠方の人に急いで絵を見てもらおうとおもったら空港に行かないといけなかったのか……。これを毎週やっていたなんてたいへんだ。


 しかしこのやり方だと、修正は一回しかできないだろう。それ以上だと週刊誌連載には間に合わない。たった一回の修正(それも電話での指示)だけであの完成度の高い漫画を毎週仕上げていたのがすごい。

 とはいえ漫画家の立場だったら何度も修正を命じられるよりも、一回だけの修正と決まってるほうがやりやすいかもしれない。あらゆることに言えるけど、チェックが増えるとミスは増える。

 修正が少ないと自由に描けるし。極端なことをいえば、編集部からの修正の指示をまったく無視して原稿を完成させたとしても、よほどのことがない限り編集部としてはその原稿を掲載するしかなかっただろう。

『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のあのいきあたりばったりなおもしろさ(読者には先の展開が読めない。なぜなら作者にもわかっていないから)は、鳥山明氏が愛知県に住んでいたからこそ生まれたものなのかもしれない。



2025年9月29日月曜日

フルグラを愛する者として実質値上げにおもうこと

 カルビーが商品の実質値上げをするらしい。

 実質値上げとは、お値段そのままで内容量を減らす「一見値上げに見せずに値を上げる」手口のことだ。


 ま、値上げはいい。原料とか輸送量とかも高騰しているからね。値を上げないとメーカーもやってられないだろう。

 お値段そのままで内容量を減らすのも、理解はできる。なんだかんだいってもやっぱり値が上がれば売上は落ちるのだろう。

 ポテトチップスなんか「もうあんまりおいしいと思わないけど半端に残すのもアレだし、後半はいやいや食べてしまう」こともあるので、内容量そのままで値段を上げるより、値段そのままで内容量を減らすほうがいい面もある(ただあんなに袋に空気をいっぱいに詰めるのはずるいけどな)。


 問題はフルグラだ。

 カルビーが出しているグラノーラ。我が家ではこれを毎朝ヨーグルトに入れて家族全員で食べている。

 あのさあ。フルグラは一回で食べ切るものじゃないわけよ。700gとか入ってるからね。大袋で買って毎日ちょっとずつ使うものなわけよ。

 そういうものを「お値段そのままで内容量を減らす実質値上げ」してごらんなさいよ。どうなるとおもう?

 そう、ただ単に「なくなるのが早くなって、買う頻度が増える」だけなんだよ。


 これまで4週に1回買ってたのが、3週に1回買わなくちゃいけなくなる。

「もうフルグラなくなったのか。この前買ったばかりなのに」とおもいながら。フルグラはけっこう高い。「また買わなきゃいけないのか……」とストレスになる。

 正直、ぼくは日用品や食料を買うときときにいちいち値段を見ていない。「だいたい前といっしょやろ」とおもって買っている。だからちょっとぐらい値上げされても気づかない。でも買う頻度が増えるのははっきりわかる。フルグラがそろそろ切れそうだとおもったら携帯のメモに「フルグラ」と打ちこむから。


 カルビーさんよぉ!

 ポテトチップスはともかくフルグラに関しては素直に値上げしてくれた方が気づかれにくいぞ! 100%の人が「値上げしてもいいから内容量減らすな!」とおもっていることが報告されているぞ(私調べ)。


昔の曲を主題歌に使うドラマ

  とあるテレビドラマの主題歌にポルノグラフィティの『アゲハ蝶』が起用され、新しいドラマの主題歌に昔の曲が使われるなんてめずらしい! と話題になっている。

……という記事を読んだ。


 え、べつにめずらしくないよね?

 ぼくはテレビドラマをまったく見ない。最初から最後までリアルタイムで見たドラマはひとつもない。放送終了後にDVDや配信で観たものも片手で数えられるほどしかない。

 そんなぼくでも、いくつか挙げられる。

 古くは、1993年の『高校教師』に使われた森田童子『ぼくたちの失敗』(1976年発表)。

 1993年・1997年の『ひとつ屋根の下』に使われたチューリップ『サボテンの花』(1975年発表)。

 1996年の『白線流し』に使われたスピッツ『空も飛べるはず』(1994年発表)。あんまり古くないけど。

 調べたところ、他にもいろんな例があった。書き出すときりがないのでもう書かないけど、『ふぞろいの林檎たち』(1983~1997年)に使われたサザンオールスターズ『いとしのエリー』(1979年)とか。

 いずれも大ヒットした有名ドラマだ。上記4ドラマはどれも観たことがないけど、それでも誰が出ていたかとか、どんなストーリーだったかとかはなんとなく聞いたことがある。それぐらい有名な作品だ。

 マイナー作品も挙げていったら山ほどあるはず。


 ここからは完全に憶測の話になるけど、もしかすると「古い曲を主題歌にするドラマはヒットしやすい」のかもしれない。

・古い曲/すでにヒットしている曲を起用することで幅広い年齢層を取り込める

・曲をよく知った上で起用しているのでドラマの雰囲気と曲がマッチしやすい

・レコード会社が売りだしたい新曲を使わなくていい=しがらみにとらわれずにドラマを作れるぐらい制作側(監督、脚本家など)が力を持っている、すなわち実力のある人が余計な配慮をせずに作っているからおもしろい


 ということで、『アゲハ蝶』が主題歌のドラマもおもしろいはず! タイトルも出演者もストーリーもまったく知らないけど!



2025年9月25日木曜日

おじさんが助けてもらうには


 駅の構内でひとりのおじさんが座りこんでいた。五十歳ぐらいだろうか。赤いシャツを着て、地べたに座りこんでいる。靴が片方脱げている。

 眠りこんでいる、という感じではない。まだ17時過ぎだし、飲み屋の多いエリアでもない。


 これは……どっちだろう。

 迷うところだ。もしこれが若い女性だったら、ほとんどの人が「なんとかしてやらなくちゃ」とおもうところだろう。なぜなら、若い女性が自分の意志で駅構内の地べたに座りこむことはまずないだろうから。「のっぴきならない状況が発生して座りこまざるをえないのだな」とおもう。

 だがおじさんの場合は「自分の意志で地べたに座りこんでいる」パターンもけっこうある。「おれは好きでここに座ってんだよーほっとけー」パターンだ。特にここ、大阪市にはこういうおじさんがめずらしくない。

 だが、ほんとに具合が悪くなってしまったということも考えられる。立っていられないほどしんどくなり、座りこんでしまった。脱げた靴を履きなおす余裕もない。その場合ならすぐに救急車を呼んだほうがいい。



 ちょっと迷ったが、おじさんに「すみません、大丈夫ですかー」と声をかけてみた。救える命を救わなくておじさんが死んだら寝覚めが悪いし。

 まったく反応がない。ぴくりともしない。うつむいたままだ。ぐったりしている、ととれないこともない。

 医療の知識があれば何かわかるかもしれないが、あいにく子どものときに読んだ『ブラック・ジャック』の知識しかない。これでは無免許オペぐらいしかできない。


 うーん、どっちだろう。救急車を呼んだほうがいいのか。放っておいても大丈夫なのか。

 よしっ! こういうときは誰かに委ねよう!

 ということで駅長室へ行き、駅員さんに「すみません、あそこに座りこんでいる男性がいるんですが、声をかけても反応がなくてぐったりしていて……」と深刻そうに伝えた。

 実直そうな駅員さんは「わかりました。見に行きます」と言ってくれた。よっしゃ、これでぼくの手を離れた。あとは頼んだぞ、駅員さん!



 というわけでぼくのほんのちょっぴりの勇気のおかげで、ひとりの未来あるおじさんの命を救った(もしくは酔っ払いのために駅員さんの余計な仕事を増やしてしまった)わけだが、ぼくが気になったのは「みんなおじさんに冷たい」ということだ。

 靴が片方脱げて座りこんでいるおじさん。その前を何十人もの人が通っていたが、みんなちらりと見るだけだった。17時過ぎ。時間に余裕のある人だって多かっただろう。

 現代人は薄情だ、などと嘆く気はない。ぼくだって声をかけようか迷ったし。声をかけて酔っ払いのおじさんにからまれても面倒だな、とおもったし。



 だからぼくが言いたいのは、「おじさんに優しくしよう!」ではなく「我々おじさんが助けを必要としているときはどうするのが正解か?」ということである。


 さっきも言ったように、これが若い女性ならもっと多くの人が声をかけるだろう。

 若くなくたっていい。おばさんがたったひとりで駅構内の通路に座りこんでいる。これでも「大丈夫ですか?」と声をかける人はけっこういるだろう。おばあさんならもっと心配されるかもしれない。

 また、男でも高校生ぐらいだったら心配されそうだ。男子高校生がひとりで道端で座りこんでいたら「大丈夫?」と声をかけたくなる。

 声をかけづらいのは、おじさん、もしくはおじいさんだ。

 

 厄介なことに、おじさんやおじいさんは「自分の意志で座りこんでいる人」が多い。「単独行動をとっている人」も多い。

「自分の意志で座りこんでいるおばさん」はめずらしいが、
「自分の意志で座りこんでいるおじさん」はそんなにめずらしくない。公園とか繁華街にけっこういる。

 だから声をかけてもらいにくい。

 さらにその手のおじさんは危険物扱いされやすい。急に攻撃的になるんじゃないか、とおもわれる(ぼくもおもっている)。攻撃的なイメージがあるし、おまけにおばさんよりも攻撃力がある。だから近寄りがたい。


 だから道端で座りこんでいるおじさんに声をかけづらいのはしかたない。

 だが。おじさんにだって、ほんとに助けを必要とするときがある。熱中症だとか心臓発作だとか。すぐに救護を必要とするときもある。自分で救急車を呼べないことだってあるだろう。

 そんなときに見知らぬ人に助けてもらうにはどうしたらいいだろう。


 ひとつは「身なりを良くする」だ。

 なんだかんだいっても人は見た目で判断する。ぼろぼろの服を着ているひげもじゃのおじさんよりも、きれいなスーツを着ているこざっぱりしたおじさんのほうが、声をかけてもらいやすいだろう。

 きれいな身なりをすることで「突然攻撃してくるタイプのおじさんではなさそうだ」とおもってもらいやすくなる。


 だが残念なことに世の中には“酔っ払い”という人種がいる。ふだんはちゃんとしているのに、酔っぱらうと「自分の意志で座りこむ人」になるおじさんがいる。おまけに酔っぱらうと「攻撃的になる」おじさんもいる。

 スーツを着ていても、座りこんでいたら酔っ払いと判断されるかもしれない。特に夜は危険だ。そうなると助けてもらえる率が下がる。


 だからぼくは考えた。道端で急に具合が悪くなったときに、助けてもらえる確率を上げる方法を。

 それは「うつぶせに倒れる」だ。

 道端にうつぶせに倒れていたら、いくらおじさんといえども、“ただことじゃない”感がぐっと増す。なぜなら「路上で自分の意志でうつぶせに寝るおじさん」や「路上でうつぶせに寝るおじさん」はめったにいないからだ。

 急に気分が悪くなったときはうつぶせで。



2025年9月16日火曜日

小ネタ40(お願いという言葉の意味を知らない人のお願い / 不倫デート / 例外の例外の例外)

 お願いという言葉の意味を知らない人のお願い


 不倫デート

 小学生の娘が友だちと遊園地に行ったところ、学校の先生(男性・既婚)と別の先生(女性・既婚)が歩いているところを目撃したらしい。

 不倫デート⁉ 見ちゃいけないものを見てしまった! とあわてた娘たちだが、その後、他の先生たちにも遭遇。話を聞くと、六年生の卒業遠足(毎年遊園地に行く)の下見に来ていたらしい。業務でした。


例外の例外の例外

 トゲアリトゲナシトゲトゲは例外の例外だ。トゲトゲの中の例外がトゲナシトゲトゲで、そのさらに例外がトゲアリトゲナシトゲトゲ。

 西暦2000年に2月29日があるのは例外の例外の例外だ。通常、2月は28日まで。その例外が4の倍数年で、2月29日まで。例外の例外が100の倍数年で、2月28日まで。例外の例外の例外が400の倍数年で、2月29日まで。

 例外の例外の例外というすごいことなのに、当時ほとんどの人はただの例外(つまり単なるうるう年)だと認識していた。2000年問題のせいでそれどころじゃなかったのだろう。


2025年9月8日月曜日

小ネタ39(君が代はギャルが作った説 / シュレディンガーのボウリング / 少子化の原因)


君が代はギャルが作った説

ヤバww 古すぎてマジ巌www 苔むすwww


シュレディンガーのボウリング

得点を競うスポーツで、ボウリングの他に「現在の得点がわからない(過去にさかのぼって得点が決まる)」競技ってあるんだろうか?

ボードゲームだとけっこうある(麻雀の裏ドラとか)。


少子化の原因

あんまり言われてないけど、チャイルドシートの義務化は少子化の原因になっているとおもう。

ふつうの車の後部座席に置けるチャイルドシートは2つまで。3人目を生むのを躊躇しちゃうよね。



2025年9月3日水曜日

小ネタ38(魔改造の夜 / 後ろこうなってます / 犬の形)


魔改造の夜

夜会主催者「今回の生贄はこちら……」

メーカー社員たち「Word……!?」

夜会主催者「君たちにはこの文書作成ソフトを使って、原価管理表を作ってもらう……」

メーカー社員たち「めちゃくちゃだっ……!」


後ろこうなってます

 美容院で散髪後に「後ろこうなってます」と手鏡を見せられるが、自分の後頭部を見るのは「散髪直後」だけなので比べるものがない。いいのか悪いのかわからないから、「こうなってます」と言われても「はあ」としか言いようがない。

 散髪前にもちゃんと「切る前は後ろこうなってます」と見せてほしい。


犬の形

 娘と茨城県の話になったとき、「茨城県って犬の形やろ?」と言われた。

「ちがうよ、犬の形の県は千葉県やで。チーバくんの形やろ?」

「茨城も犬って習ったで」

 調べてみたところ、千葉県も茨城県も犬の形に似ていると言われているらしい。さらに、神奈川県や岐阜県も犬の形をしていると言われているらしい。

 しかしいずれも「そこに犬を見いだそうとすれば見えないこともない」レベルだ。人はどんなものにも犬の形を見出してしまう生き物なのだ。


 だが、「犬の形に似ている」と挙げられている自治体の中で、東京都日野市だけはどこからどう見ても犬だった。

日野市


 もはや「犬市」にしてもいい。


2025年9月2日火曜日

ちびまる子ちゃんとH₂O

 少女漫画雑誌『りぼん』に連載されていた漫画で、最も売れているのは『ちびまる子ちゃん』で3200万部だそうだ。2位の『ときめきトゥナイト』は2800万部 であるが、現在もテレビアニメを放送されている『ちびまる子ちゃん』のほうが今後も売れる可能性が高いだろうから、この差は開いていくとおもわれる。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』で最も売れた漫画であり最も有名な漫画だが、『りぼん』を代表する漫画かと言われるとそれはちょっと違う気がする。

 『ちびまる子ちゃん』は『りぼん』の中ではかなり異色な作品である。恋愛要素がまるでないし、絵も下手だし、美少女も美男子も出てこない。はっきり言えば『りぼん』っぽくない。邪道が王道を抑えて一位になってしまったのだ。

 蕎麦屋がカレーを出していたら一番の人気メニューになってしまったようなものだ。


 邪道がいちばん有名になってしまった例としては、他に水がある。

 そう、あの水だ。H₂O。

 水はダントツで有名な液体だ。「液体を思いうかべてください」と言われれば、99%ぐらいの人が水または水溶液を思いうかべるだろう。雨も海も川もお湯も泥水もお茶もコーラもビールもワインもほとんど水だ。エタノールとかベンゼンを最初に思いえがく人はほとんどいない。

 でも水は液体としては異端だ。固体になると体積が増えるとか、0℃から4℃までの間は温度を下げると体積が縮むとか、いろいろと変な性質を持っている。

 水は決して“代表的な液体”ではない。王道じゃない。たまたま時代にあったから売れただけ!



2025年8月28日木曜日

モアイゆるキャラ説

 プラスチックはなかなか自然には分解されないそうだ。数百年たてば紫外線によって分解されるらしいが、土の中など紫外線があたりにくい場所であれば何千年も残ってもおかしくない。

 千年後の考古学者が千年前(つまり現代)の人々の暮らしぶりを想像するときに、プラスチックは大きな手掛かりになるはずだ。自然界にはないものだから、プラスチックが多く出土する場所は確実に人々が暮らしていたはず。貝殻が残りやすいので貝塚が昔の集落を知る手掛かりになるのと同じように。


 プラスチックについた色や絵も残るのだろうか。

 残ってほしいな。そしたらそれも、人々の暮らしを未来に伝えるための重要な情報源になる。

 プラスチックって子ども向けの製品が多いから、特に子ども向け文化が未来に伝わりやすい。

 未来の考古学者は、出土したプラスチック製品に描かれたミッキーマウスやハローキティやリラックマを見てどんなことをおもうんだろう。

「これは当時の人々が信じていた神様の姿ですね。当時はアニミズム信仰がさかんで、ネズミやネコやクマの姿に神聖なものを感じていたのでしょう。これらの食器は神にさ捧げる供物を載せるのに使われていたのでしょう」なんてことを言うかもしれない。

 そんなことを想像すると楽しい。


 はっ、待てよ。

 ってことは、今我々が数千年前の出土品や壁画を見て「これは神々への祈りのためにつくられたものです」なんて言ってるのもまるで見当違いで、あれは当時の人気キャラだったんじゃないだろうか。

 モアイなんて、今のくまモンみたいなものでイースター島のご当地ゆるキャラだったのかもね。



2025年8月25日月曜日

ダンスの著作権

 ふとおもったんだけど、ダンスに著作権ってあるんだろうか。聞いたことがない。

 たとえば、他人の曲を歌って金儲けをしようとおもったら、ちゃんと楽曲使用料を得ないといけないじゃない。同様に、他人の描いた絵や、他人の書いた文章や、他人の撮った写真を商用目的で勝手に使うことはできない。


 でも、ダンスってみんな勝手に使ってない? よくヒット曲のダンスが流行って、SNSとかYouTubeとかでみんな真似するじゃない。中にはそれで収益を得ている人もいる。あの人たち、ダンスの振付師に金を払っているんだろうか。そんな話、聞いたことがない。

 まあ厳密には著作権が発生するのかもしれないが(答えを出しちゃうとつまんないので調べない)、現実的には厳密に運用されていない。


 個人的な考えを言えば、ダンスにはあんまり著作権うんぬん言ってほしくない。

 ダンスって身体表現じゃない。それを著作権で保護しちゃうと、体操とか発声方法とか筋トレとか歩き方とか、あらゆるものが著作権保護の対象になっていく可能性があるわけで、「おまえの呼吸方法はおれが考案した呼吸の権利を侵害しているから今すぐその呼吸方法をやめろ」なんて言われる未来がくるかもしれない。





2025年8月20日水曜日

私はいつも他人の幸福を考えて生きている

 善行自慢をさせてほしい。

 ここ十年の間に私は落とし物を拾って交番または警察署に届けたことが四度ある。交通系ICカード、スマートフォン×2、財布だ。スマートフォンを落とした人はすごく困っただろうし、財布にいたってはちらっと中をのぞいたら数万円と各種カードが入っていた。

 相当な善行だ。もし私が地獄に落ちてもお釈迦様は縄ばしごを垂らしてくれるにちがいない。ヘリコプターで逃走する怪盗のようにハハハハハと高笑いしながら極楽に上がってゆける。


 スマートフォンを拾ったときに何か手掛かりがないかと起動してみたら、ハングル文字が表示された。たぶん韓国人のものだったのだろう。もしかしたら落とし主がこれを機に親日家になり、さらにその人が将来韓国の大統領になるかもしれない。そうすると私の善行が日韓関係の改善に大きく貢献することになる。すばらしいことだ。


 こうして拾得物による善行を重ねる一方、私は落とし物をして警察のお世話になったことがない。落とし物をしたことがないわけではないが、せいぜいマフラーとか折り畳み傘とか、「ちょっと惜しいけど買い替え時だとおもえばあきらめもつく」ぐらいのものばかりだ。

 折り畳み傘の場合は「もしかしたら私が落とした傘を誰かが拾って使っているかもしれない。そうすると私は傘を損したが人類全体で見ると幸福の総量は変わっていない」とおもえばちっとも悔しくない。私はいつも人類全体の幸福を考えて生きているのだ。あの日私が失ったマフラーだってホームレスのおじさんの首元を温めているかもしれない。

 落とし物でいちばん悔しかったのは買ったばかりの食パンを落としたことだ。会計後に買い物袋に入れたことははっきりおぼえているのに、家に帰ったら袋になかったので道中で落としたのだろう。パン屋さんで買った、ちょっといい食パンだった。三百五十円ぐらいのものだが、値段以上に悔しかった。なぜなら食パンの場合は、拾った人もたぶん食べてくれないからだ。きっとそのまま廃棄されているにちがいない。私も悔しいが、丹精込めてパンを焼いてくれたパン屋さんもさぞ悔しかろう。私はいつも他人の幸福を考えて生きている。


 私は一度も落とし物をして警察のお世話になったことがないので、“落とし物貯金”はずいぶん貯まっているはずだ。逆に「落とし物をしたが親切な人が届けてくれたおかげで無事に返ってきたけど、自分は一度も落とし物を警察に届けたことがない人」もいるはずだ。そういう人は、私がうんこを漏らしそうになっているときにはトイレの順番を譲るぐらいのことをしてもらいたい。なぜなら私がうんこを漏らしたらそのにおいによってあなたたちも不幸になるからだ。私はいつも他人の幸福を願って生きている。



2025年8月6日水曜日

変な名前に対する処世術

 六歳の娘が「こどもが生まれたらどんな名前をつけるか考えた」と言う。


「へーどんなの」

  「女の子だったら、かりん」

「へー。かりんちゃんかー。かわいい名前だね」

  「でしょ? で、男の子だったら、さいかわ!」

「さ、さいかわ……?」

  「そう!さいかわ!」

「(苗字みたい……)へー、えーっと、とってもめずらしい名前だねー」

  「でしょ!」

 そして娘は、母親のところへ走っていき、「ねえ聞いて、こどもが生まれたらどんな名前にするか考えた! めずらしい名前!」とうれしそうに語っていた。

 どうやらぼくの言った「めずらしい名前」という感想が気に入ったらしい。


 だが娘よ。

 君はまだ人生経験が浅いから知らないだろうが、おとうさんの言った「めずらしい名前だね」は褒め言葉じゃないぞ!

 悪いとは言えず、かといって良いとも言いたくないときに使う苦しまぎれの感想だ!

 おとうさんは、知人からこどもの名前を聞いて「変な名前」とおもったときは「へーめずらしいですねー」とか「クラスの誰ともかぶらなさそうですよね」とかで切り抜けてるぞ!

 変な名前をつけるやつは「唯一無二な名前であること」に異常に誇りを持っているから、そんな感想でもけっこう「そうなんですよー☆」と喜ばれるぞ!

 おぼえとくといいぞ!



2025年8月5日火曜日

ウナギとドジョウとヒトの呼吸

 ウナギはエラ呼吸だけでなく、皮膚呼吸もできるのだそうだ。だから泥の中でも動ける。落語で「ウナギをつかもうとしたらぬるりとすべって逃げるのでひたすら追いかけて、知り合いから『どこまで行くんだ』と言われたので『ウナギに訊いてくれ』と言った男」が出てくるが、あれもウナギが皮膚呼吸をできるから成り立つ噺なのだ。


 一方、ドジョウは腸呼吸ができるそうだ。口から息を吸い、腸から酸素を吸収。二酸化炭素は肛門から排出するのだそうだ。そのとき出た空気はドジョウのおならとも呼ばれるそうだ。

 このシステムはなかなかいいんじゃないだろうか。ヒトをはじめとする多くの陸上生物は、口にいろんな仕事を担わせすぎだ。噛みつく、咀嚼する、食べる、飲む、息を吸う、息を吐く。「息を吐く」だけでも他の器官が担当すれば、口の負担はずいぶん減るんじゃないだろうか。それに吸うのと吐くのが同じなんて効率が悪い。「吸いながら吐く」ができないじゃないか。掃除機だってエアコンだって換気扇だって吸うとこと吐きだすところは別口だ。

 ヒトも腸呼吸ならよかったのに。そしたらずっと肛門から空気が出ているわけだからおならも恥ずかしくないのに。でも痔になったりしたらずっと音が鳴っててそれはそれで恥ずかしいだろうな。