2023年10月31日火曜日

小ネタ3

嘘略語

 バーの店員、略してバーテン


放送禁止用語

 エッチな言葉とかより「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「お客様は神様です」みたいな間違った考えを植えつけようとする言葉の方を放送禁止用語にしたほうがいい。


インドの国旗

 


 インドの国旗の上部の黄色っぽい部分の色の名前は「サフラン」だそうだ。サフランといえばカレーに使う香辛料。どんだけカレーが好きなんだ、インド人。いっそ片方をカレー色にして、もう片方をナンの色にしたらいいのに。

 しかしインド人はインド人で、
「えっ、ごはんと梅干しを日の丸弁当っていうの。弁当にちなんで国旗をつくるなんてどんだけ梅干しとご飯が好きなんだ、日本人」
とおもっているかもしれない。


スーパーマンのマント

 スーパーマンはマントをつけているが、飛ぶためにマントはまったく必要ない。むしろじゃまだ。枝とかにひっかかりそうだし。

 あれは飛ぶためではなく飛んでいることを視覚化するためだろう。空に浮いている人の絵を見ても、飛んでいるのか空中で静止しているのかわかりにくい。でもマントが一方向にたなびいていたら飛んでいることがわかる(もしくは強風の中で静止しているか)。



2023年10月30日月曜日

一斉掃除

 世の中には「みんなで一斉に掃除をしないと意味がない」とおもっている人がいるらしい。


 朝、オフィス街を歩いていると、たまに「社員が外に出てきてごみ拾いをしているをしている会社」を見かける。一社ではないので、「社員にごみ拾いをさせることでいいことがある!」みたいな思想が世の中にはびこっているらしい。

 といって毎朝やっているわけではない。たとえば、ぼくがよく見るO社の場合、毎月一日だけ(一日が休日のときは翌日)社員が外に出てゴミ拾いをやっている。

 その思想自体にはもちろん反対しない。が、ふしぎなのは社員が一斉にやっていることだ。


 みんなでほうきやちりとりを持ってごみを拾っている。だがオフィス街にはそんなにごみが落ちていない。オフィス街にいるのはたいてい常識人なので喫煙者以外はゴミのポイ捨てをしないし(タバコが人を狂わせることがよくわかる)、行政もちゃんと仕事をしているので、さほどごみは落ちていない。

 そこにO社の社員数十人が出てきても、たいして拾うものがない。見るからに手持ちぶさたで、みんな目を皿のようにして必死にわずかなごみを探している。

「もし今ぼくがごみをばらまいたら、この人たちは非難するどころか『ごみを捨ててくれてありがとう!』と感謝してポップコーンを撒かれた鳩のように群がってくるんだろうな」なんてことを考えてしまう。


 ふつうに考えたら、六十人がみんなで一斉に一日だけ掃除をするよりも、社員を三人ずつの二十のグループに分け(月の営業日を二十日とする)、今日はこのグループ、明日はこのグループ、と交代でやるほうが効率がいいに決まっている。

 ごみが出るペースは毎日ほとんど変わらないのだから。月初だけきれいにするより毎日きれいにしたほうがいい。

 グループ分けをしても、社員にとって「月に一回だけごみ拾いをする」ことは変わらない。

 しかも六十人が一斉に掃除をすると掃除道具も人数分いるが、三人ずつでやれば掃除道具も三つで済む。

 どう考えても、「六十人が一斉に同じ日にごみ拾いをする」より「日替わりで三人ずつが掃除をする」のほうがいい。

 O社は一流企業である。そこで働いている人たちは頭のいい人なんだから、ほとんどの人はそれに気づいているだろう。

 でもそれをやらない。効率よりも、一斉に掃除をすることのほうがが大事と考えている人がいるのだ。



 ぼくが以前働いていた会社にもいた。

 その会社では「始業十分前になったらそれぞれ自分のデスクの周りを雑巾で拭く」というルールがあった(始業時間前に命じている時点で法令違反なのだがこの際それは置いておく)。

 十分前になるとみんなが雑巾を持って洗面所に行くのですごく込みあう。雑巾洗い待ちの長い行列ができることになる。

 ある日、ぼくは始業二十分前に掃除を終わらせ、みんなが雑巾洗い待ちの長い行列をつくっている間、PCに向かって仕事をしていた。

 すると上司が言う。

「おい、掃除の時間だぞ」

「はい、さっき終わらせました」

「そういうことじゃないだろ」


 えっ、そういうことじゃないの!?

 やらずに注意されるとか、みんなより遅くて怒られるとかなら理解できる。だが、みんなより先に掃除に取り掛かって誰よりも早く終わらせて、それが原因で怒られるとはおもわなかった。なんなら「おお、もう終わらせたのか。早いな」と褒められるんじゃないかとすらおもっていた。


 ということで、効率化とか成果とかより「みんなが一斉に掃除をすること」を重視する人はけっこういる。

 いいですか、みなさん、先に金持ちになってはいけませんよ。みんなで一斉に貧しくなることに意味があるんですよ。


2023年10月27日金曜日

小ネタ2

コナンの映画のみたいなジブリアニメのタイトル

『崖の上の半魚人(ポニョ)』

『風の谷の青衣女(ナウシカ)』


『崖の上のポニョ』『風の谷のナウシカ』に続くジブリアニメのタイトル

『山の上のオクラ』


臨時定休日

 とある店のシャッターに「本日は臨時定休日とさせていただきます」と貼ってあった。

 臨時なのに定休とはこれいかに。

 ありがちな間違いだ。じっさい、"臨時定休日"で検索するとたくさんの店舗のお知らせがひっかかった。

 しかし「ふだんは月曜日が定休日だが、店主が通院することになったため急遽、当分の間は火曜日も休むことにした」だったら、火曜日のほうは臨時定休日と呼んでいいかもしれない。


世界一長い川

 Bing AIに「世界一長い川は?」と尋ねたら、「1位がアマゾン川(6,992km)で、2位がナイル川(6,853km)です」との答えが返ってきた。

 あれ? たしか中学校時代に「世界一長い川はナイル川」と習ったはずだぞ?(流域面積1位がアマゾン川と習った)

 で、いろいろ調べてみると、サイトによって情報がちがう(2023年9月25日時点)。

 Wikipediaではナイル川(6,650km)、アマゾン川(6,516km)でナイル川の勝ち。

 他のサイトもいくつか見たが、まちまちだった。特にアマゾン川の長さはサイトによってちがう。

 どうも、アマゾン川は熱帯雨林の中を通っているので河口から最も遠い源流がどこかはっきりしないらしく、調査が進むにつれて新しい源流が見つかることがあり、ちょっとずつ長さが伸びているのだという。7,000kmを超えているという説もあるという。

 ふうん。もう決着がついているのかとおもったら、現在もなお競っているのだ。

 ちなみに、長江が6,380km、ミシシッピ・ミズーリ・レッドロック川は5,969km。アフリカ、南米、ユーラシア、北米と四つの大陸にある川がどれも6,000km~6,500kmぐらいの長さにあるのがおもしろい。もっと大きく差がついてもよさそうなのに。川の限界がそれぐらいなんだろうか。

 ちなみに南極大陸で最長の川はオニックス川といい、その長さは約40kmだそうだ。一級河川になれるかどうか、というレベルだ(一級河川かどうかを決めるのは住民にとっての重要性などで長さで決まるわけではない)。


2023年10月26日木曜日

【読書感想文】浅暮 三文『七転びなのに八起きできるわけ』 / 雑学集

七転びなのに八起きできるわけ

浅暮 三文

内容(柏書房HPより)
すべてのことわざには謎(ミステリー)がある!――
「《七転び八起き》だと数が合わないんじゃない?」「《棚からぼた餅》が発生する傾きは?」「《へそが茶を沸かす》ための条件とは?」「《二階から目薬》で殺人は可能?」「《捕らぬ狸の皮算用》の見積もり額は?」「《穴があったら入りたい》ときの穴の深さって?」――普段、何げなく口にしていることわざや故事成語・慣用句だが、いざその言葉の表す意味を〈検証〉してみると、謎や矛盾に満ちたものだったり、現実にはありえないシチュエーションだったりするものがいかに多いことか。さらに、誤解に基づく事象を語源としている場合もあり、かならずしも〈真実〉をついているとは言い切れないものばかりなのである。
こうした「ことばの謎」の数々を前に、ミステリ作家・浅暮三文が立ち上がる! 時に論理的、時に妄想を爆発させて展開、単なる語源的解説にとどまらない自由な発想を駆使した、言葉にまつわる「イグノーベル」的考察を存分に楽しめる超絶エッセイ!!


 ことわざの「謎」についてあれこれ考察をめぐらせたエッセイ。科学、歴史、社会学などの知識を駆使してあえてことわざにつっこむ、という空想科学読本的な本だ。

 すべてのエッセイが「私はミステリー小説家である」の一文で始まり、けれど話はあっちに行き、こっちに飛び、右往左往したままどこかへ行ってしまう。早い段階でことわざとは関係のない話になることもしばしば。

 自由なおしゃべり、という感じだった。




 エッセイとしてはとりとめがないが、随所にちりばめられている豆知識はおもしろかった。


『「二階から目薬」による殺人は可能だが、コントロールがいる。』の章より。

 さらに空調を設置した居室内の風速は○・五メートル/秒以下にするようにも決められている。理想は○・一五〜〇・二五メートル/秒。○・一メートル/秒以下になると人間には風と感じられないそうなんだ。
 ここで気象庁からお知らせが届く。気象学では落下する水滴、直径〇・五ミリ以上の物を雨と呼ぶ。そして落下速度は直径○・一ミリで毎秒二十七センチです。通常観測される雨の滴は直径二~三ミリ以下なのですよ。
 あなたの手元に目薬があれば調べて欲しい。したたる一滴はノズルの半分ほど、三ミリぐらいのはずだ。まさに雨と同程度である。となると無風と思われる室内、風速◯・一メートル/秒の状況でも、高さ二・一メートルの天井から目薬を落とすと、どんなに目の真上からさしても、およそ半秒かかる着地までに十センチずれることになる。
 成人の眼球は四センチほどだから、これは相当に難しい点眼作業だ。よほどのコントロールを必要とする。

 二階から目薬をさすと、無風とおもえる室内でも風に流されてずれる。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』は、屋根裏から下で寝ている人に向かって毒薬を垂らして殺害するという話だが、現実には相当むずかしいみたいだね。昔の家だから今よりずっとすきま風も入っていただろうし。




『「火のない所に煙は立たぬ」どころか人間まで燃える。』の章より。

 科学の世界の発火だけでなく、火の元の原因となる身近な品々もある。まず台所の電子レンジだ。さつま芋や肉まんを長く加熱すると爆発的に燃焼するらしい。東京消防庁の実験映像では五分半で肉まんから煙が出て、六分でどかんと爆発している。うまいものは早く喰うにこしたことはない。
 続いて風呂場の乾燥機。油や塗料が付着したタオルや衣類を放り込んで使うと油が熱風で乾燥して酸化、発熱するのだ。アロマオイルを拭いた雑巾や調理師のエプロンは要注意。おまけにリビングの花だって勝手に燃えてしまう。
 欧米で観賞用として人気のあるゴジアオイなる植物は茎から揮発性の油を発し、三十五~五十℃の気温で発火し、自身も周りの草花も燃やしてしまうそうだ。この花の種子は高温に耐えるため周りを焼き畑にして繁殖するらしい。米テキサスではトルティーヤチップスを入れていた箱が気温の上昇によって自然発火した。やはりうまいものは早く食わねばならない。米国の製粉所では小麦粉が爆発した。微細な粉塵はちょっとした火の気でどかんといくのだ。砂糖やコーンスターチも同様で流しの下は爆弾の貯蔵庫といっていい。

 己も含めて、周囲一帯を燃やしてしまう植物があるそうな。なんちゅう怖い能力。蔵馬が使う魔界の植物じゃん。




『「蛇に睨まれた蛙」は剣豪並みに強い。』の章より。

 蛇に睨まれた蛙は動かなくなるが、それは蛇をビビっているわけではないそうだ。

 だが「蛇に睨まれた蛙」はヘビが恐いのではなかった。最近の京都大学の研究から剣豪の戦法である「後の先=後手に回ることで効果的な反撃」を取っていたと判明したのだ。ヘビとカエルが睨みあって静止している現象は既存の動物行動学の考えでは説明がつかなかったという。両者が出会うとヘビは体格的に優れているが接近するものの、すぐに襲わずにいる。なぜか。
 一方、カエルもすぐ逃げず、ヘビが襲いかかるか、一定の距離に近づいてから逃げる。つまりヘビに先手を許す不利な行動を取る。なぜか。どちらも変だということで、食うか食われるかの関係にあるシマヘビとトノサマガエルで調べてみたそうだ。
 するとカエルの行動が起死回生の策であると判明した。カエルは逃げるために跳躍するのだが、跳んでから着地までは進路を変更できない。そのために先に跳ぶとヘビに動きを読まれる恐れがある。
 ヘビも噛みつこうとすると体が伸びるが、再び体を縮めないと移動できない(蛇腹のように)。つまりどちらも食うか食われるかの際、一方通行なのだ。
 ヘビが伸びた蛇腹を元に戻して体を再び動かせるまで〇四秒が必要という。だからへビが動いてから攻撃を避ければ、カエルはさっと安全圏に逃れられることになるそうな。ヘビとカエルの睨みあいは五~十センチの距離まで詰められ、それを越えると、どちらかが先に動くが、対峙した両者が、その刹那となるまで長い場合は一時間も構えあっているという。もはや無想の境地である。

 ふつうに考えれば、捕食者と敵対したとき、一瞬でも早く行動を起こしたほうがいい。だが跳躍中に方向転換のできないカエルは、やみくもに跳ぶと格好の餌食になってしまう。だから蛇の動きを見てから動こうとする。一方の蛇も、蛙の動きを見てから攻撃を開始したいのでじっと機を待つ。

 一時間以上も互いを牽制しあう。まさしく宮本武蔵と佐々木小次郎の対決のようだ。




 ということで、エッセイとしては読みづらかったけど、雑学集としては十分おもしろい内容でした。


【関連記事】

【読書感想文】ライアン・ノース『ゼロからつくる科学文明 ~タイムトラベラーのためのサバイバルガイド~』

【読書感想文】ランドール・マンロー『ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか』



 その他の読書感想文はこちら


2023年10月24日火曜日

キングオブコント2023の感想

 キングオブコント2023



カゲヤマ(謝罪)

 手を変え品を変えお尻を出すコント。まずお尻を見せてインパクトを与え、その後は「どう見せるか」大喜利状態。両側で見せる、上半身はスーツ、立ち上がって見えそう、クロス引き、と様々なパターンで尻を見せて飽きさせない展開。

 非常にばかばかしくて、うちの五歳児は大笑いしていた。五歳児が審査員だったらまちがいなく優勝。

 気になったのは、ツッコミ役である部下がどう見ても若手には見えないところ。顔も体型も重役だもの。

 尻を出して笑いを取るのはずるいよなあとおもいつつ、でもトップバッターでドカンとウケるにはこれぐらいしなきゃだめだよなあ。トップでファイヤーサンダーみたいなスマートなコントをやっても通過できないもの。

 これ、今の時代だから「そんなわけねえだろ」と笑えるけど、三十年前だったら「これをやらされてる会社もあるんだよなあ」で笑えなかったかも。


ニッポンの社長(喧嘩)

 海外に旅立ってしまう女性をめぐって、友人でもある男同士が殴り合う、という手垢ベタベタなシチュエーションでスタート。後半のシュールさを際立たせるためにあえてベタな設定にしたのだろうが、それにしてももうちょっと真面目にドラマを作ってほしいとはおもう。

 片方があくまで拳で語り合おうとしているのに、もう一方がナイフを持ち出したところで空気が一変。ここでしっかりウケたのはカゲヤマが場をめちゃくちゃに壊してくれたおかげだろうね。そうじゃなかったらいきなり刺すところでヒかれてたんじゃないかな。

「友だち同士の喧嘩なのに凶器を持ち出す」「どれだけ攻撃されてもまったく致命傷を負わない」というだけのコントなのに、「もっと本気で来いよ!」などの挑発的なセリフで飽きさせない。ただし凶器を持ち出すことへの笑いはピストルぐらいまでで、それで死ななければあとは手榴弾だろうと地雷だろうと同じだよなあ。武器をエスカレートさせていくのではなく、セリフやストーリーでさらに盛り上げてほしかった。あるいは手榴弾よりもさすまたみたいなシンプルな道具のほうがおもしろい。


や団(灰皿)

 灰皿を投げつけて厳しく指導する舞台演出家(蜷川幸雄が灰皿を投げて指導していた、というエピソードはどこまで知られているのだろう?)。だがサスペンスドラマの凶器に使われるガラス製の重たい灰皿を置かれたことで役者側にも演出家側にも緊張感が増し……。

 なんだか前半がごちゃごちゃしていたな。後半で「ああこれは灰皿を投げるかどうかの葛藤を描いたコントなんだな」とわかるが、前半に「演出家が難解で不条理な言葉を並び立てる」という小さなボケを入れたことで、本筋がぼやけてしまった。演出家のキャラで押していくコントかとおもって見てしまったんだよね。

 灰皿がカタカタ音を立てながら回る瞬間の緊張感はすばらしかった。机の端っこで落ちそうで落ちなかったのもまた。


蛙亭(お寿司)

 急に彼氏にフラれて泣いている女性の前で、キックボードに乗った男が転倒し、大好きなお寿司がつぶれたと泣きはじめる……。

 中野くん(こんなにもくん付けで呼びたくなる人はそういない)の魅力と「慣れない交通手段」「ぼくのために」「でもつぶれたわけじゃないですよね」などの切れ味鋭いセリフで、前半は大好きな展開だった。

 ただ中盤で、中野くんが「そういうところなんじゃないですかぁ!?」と女性を責めはじめるところで急に心が離れてしまった。

 中野くんの魅力ってにじみ出る圧倒的な善性、無邪気さだとおもうんだよね。敵意、悪意、嫉妬などをまったく感じさせないぐらいの善性。善すぎて気持ち悪いという稀有なキャラクター。だからおもしろい。純粋に善なるものって気持ちわるいもんね。

 なのに「ただただ純粋にお寿司が大好きな人」が「他人に説教をしはじめる人」になっちゃって、その魅力が急速に損なわれてしまったなー。


ジグザグジギー(市長記者会見)

 芸人だったという経歴の新市長。その記者会見での市長のプレゼンが妙に大喜利っぽくて……。

 今回いちばん笑ったコント。特にあのフリップの出し方、間、姿勢、表情、完璧に大喜利得意な芸人のそれだった。

 ただ、飯塚さんの審査員コメントがすべて物語っていたように、当初は「大喜利得意な芸人っぽいふるまい」だったのに、途中からは完全に松本人志さんのものまね&IPPONグランプリのパロディになってしまったことと、IPPONグランプリのナレーション、笑点お題と現実離れした安いコントになってしまったのが残念。序盤は丁寧に市長を演じていたのに。

 前半の風力がすごかっただけに後半の失速が残念。IPPONグランプリのあたりをラストに持ってきていたら……とおもってしまうなあ。


ゼンモンキー(縁結び神社)

 縁結び神社の前で、ひとりの女性をめぐって喧嘩をはじめる二人の男。そこへ学生が願掛けにやってくるが、どうやら彼もその女性のことを好きらしく……。

 いやあ、若いなあという印象。筋書きはきっちりしているが、精緻すぎるというか。つまり遊びがない。誰がやってもそんなに変わらないようなコント。がんばっていいお芝居をしましたね、という感じがしてしまう。学生役の荻野くん(これまたくん付けで呼びたくなる)のキャラクターはあんまり替えが効かないだろうけど。

 これで三人のキャラクターが世間に浸透して、人間自体のおもしろさが出てきたらすごいトリオになるんだろうな。


隣人(チンパンジーに落語)

 チンパンジーに落語を教えることになった落語家。毎日動物園に通ううちに徐々にコミュニケーションがとれるようになっていき……。

 ううむ。話はおもしろいんだけど(特に落語家がチンパンジー語を話し出すところは秀逸)、微妙な間やトーンのせいだろうか、「もっとウケてもいいのにな」とおもうところがいくつかあった。最初の「チンパンジーに落語を教える仕事」とか、BGMがチンパンジー語だったとことか、場によってはもっとウケるんだろうなあ。

 隣人というコンビを知っていて、さらに隣人のチンパンジーネタをいくつか観たことがあったら(隣人はチンパンジーのネタを何本も持っている)、より笑えるとおもう。


ファイヤーサンダー(日本代表)

 サッカー日本代表のメンバー発表を観ているふたり。代表選出されずに落胆するが、選手本人ではなく選手のモノマネ一本でやっているモノマネ芸人であることが明らかになる……。

 以前にも観たことがあったネタだけど、やっぱりおもしろい。脚本の美しさは随一。無駄がない。前半でモノマネ芸人であることが明らかになり、中盤で隣の男が監督のモノマネをする芸人であることが明らかになるところが実にうまい。「なんで自宅のテレビで観ているんだろう」「この隣の男はどういう関係なんだろう」という観客の違和感を、ちょうどいいタイミングで笑いで吹き飛ばしてくれる。

「なんで日本代表より層熱いねん」「決定力不足」みたいな強いツッコミワードもあって、コントとしての完成度はいちばんだとおもう。


サルゴリラ(マジック)

 テレビ番組出演前にマジックを披露するマジシャン。だが披露するマジックがわかりづらいものばかりで……。

 んー。個人的にはまったくといっていいほど刺さらなかった。「マジックで入れ替えるものがわかりにくい」ってわりとベタなボケだとおもうんだけど(マギー司郎さんがやってなかったっけ?)。

 あのマジシャンがマジック特番に抜擢された理由もわからないし、あの音楽が効いてくるのかとおもったらそうでもないし、脚本が甘く感じた。ゼンモンキーとは逆に、人間味でもっていった感じかな。


ラブレターズ(彼女の実家)

 彼女の実家に結婚のあいさつに行った男。彼女のお母さんが「マンションでシベリアンハスキー放し飼いにしてるのどうかしてるとおもった?」と言い出し、隣人トラブルを抱えていることが明らかになり……。

 やろうとしてることはわかるけどどうも弱さを感じるというか。これはあれだな、少し前に『水曜日のダウンタウン』でやっていた「プロポーズした彼女の実家がどんなにヤバくてももう引き返せない説」がすごすぎたせいだな。あの「説」では静かな狂気をすごく丁寧に描いていたので、それに比べるとラブレターズのコントは雑で、つくりものっぽさが目立ってしまった。

 ほんとに隣人トラブルを表現しようとしたらあんなわかりやすく大きい音を出しちゃだめだし、かといってぶっとんだ世界を表現するにしては弱すぎるし。




 最終決戦。


ニッポンの社長(手術)

 外科手術をおこなっている医師と患者。臓器が次々に摘出され……。

 ごっつええ感じっぽいな、とおもった。ああいう視覚的にグロテスクなコント、よくやってたよね。ただ強くツッコまないのがニッポンの社長らしい。ちゃんと手術室でツッコむときの音量なんだよね(手術室でのツッコミを聞いたことないけど)。おしゃれ。

 黄色いコードはニッポンの社長にしてはベタだと感じた。大喜利とかでよく使われる題材なので。

 想像を超えてくる展開はなかったけど、ラストの「あるやつですわ」「ないやつやろ」は好き。


カゲヤマ(デスクにウンチ)

 オフィスで上司のデスクにウンチが置いてあった事件の犯人が信頼できる部下だったことがわかる、というコント。

 冒頭を観たときは安易な下ネタコントかとおもったが、いやはやとんでもない、人間の心理の複雑さを鋭く描いたヒューマンドラマだった。

 部下が犯人であることが明らかになったときのセリフが、言い逃れでもなく、開き直りでもなく、動機の独白でもなく、「私はこれからどうしたらいいでしょう」。この妙なリアリティ!

 さらに部下が話せば話すほど、彼の常識人ぶりが明らかになり、だからこそ「上司のデスクにウンチをする」という異常さが際立つ。謎は解明されるどころか深まるばかり。

 こういう脚本を書くのって勇気がいるとおもうんだよね。人間には謎を解明したいという欲求があるから。でも謎を謎として残しておくことで観ている側の想像は膨らんでゆく。今、この瞬間だけでなく、これまでのことやこれからのことにまで想像が膨らむ。

 ただ「娘さんをぼくにください!」は早急すぎた(「娘さんとお付き合いさせていただいています!」まではいい)。あそこだけが少し雑だったな。


サルゴリラ(魚)

 引退することになった野球部の三年生主将に向かって監督がいい話をはじめるのだが、なんでもかんでも魚にたとえるのでまったく伝わらない……。

 やっぱりぴんと来なかった。設定が雑すぎないか。

 とても学生には見えない見た目なのは百歩譲るとして、あの監督は今日突然魚の話をはじめたの? それとも普段からなんでもかんでも魚に例える人なの?

 前者だとしたら「どうして今日はそんなに魚に例えるんですか」みたいなセリフになるだろうし、後者だとしたら「前々から言ってますけど」とか「もう最後だから言いますけど、ずっとおもってたんです」みたいなセリフになるのが自然だろう。

 でもサルゴリラの芝居はどっちでもない。まるで、今日はじめて会った人から話を聞いたようなリアクションだ。「昨日までこのふたりがどんな会話をしていたか」がまったく見えてこない。

 また、他の部員の姿も一切感じられない。野球部の引退にあたっての監督のスピーチなんだからあの場には数十人がいるはずなのに、まるでその気配がない。

 コントのためだけの空間で、コントのためだけの存在なんだよね。ニッポンの社長みたいなコントだったらそれでもいいんだけど、「小さな違和感」系のコントで設定の薄っぺらさは致命的じゃないか?




 個人的な好みでいえば、ジグザグジギー、ファイヤーサンダー、カゲヤマ(2本目)がトップ3。

 審査結果は個人的な好みとはちがったけど、ま、そんなときもあるさ。今回はいつもにも増してシナリオよりもパワー重視の審査だったね。


 ぼくが今大会でいちばんよかったとおもったのは、出番順が早い組が上位に入ったこと。トップバッターのカゲヤマが1stラウンド2位、2番手のニッポンの社長が1stラウンド3位。

 早い出番の組がこんなに上位になったのは近年の賞レースではなかったことだ。それだけトップのカゲヤマがよかったんだろうね。


【関連記事】

キングオブコント2021の感想

キングオブコント2020の感想


2023年10月19日木曜日

毎日身長を測る娘

 四歳の次女の身長を測った。

 家の壁に背中をつけさせて、壁に鉛筆で線を引いて、身長を測ってやる。

「すごいねー。百十センチになったよ。大きくなったねー」

と言うと、うれしそうにしていた。


 翌日、次女は「せ、はかって!」とお願いしてきた。

「えっ、昨日測ったじゃない」

「はかって!」

 もう一度計ってやる。もちろん昨日と変わらない。誤差の範囲だ。

 しかし次女は目を輝かせて「おおきくなった?」と聞いてくる。


 すごい。毎日大きくなると思ってるのだ。

 いや、あながちまちがいではない。じっさいに毎日大きくなってるのだ。だって一ヶ月に一センチのペースで大きくなってるんだもの。完全に成長が止まってしまったぼくとはちがう。

 昨日できなかったことが今日にはできるようになっている。先週までできなかったことが今週はできるようになっている。一年前と比べると、できることに雲泥の差がある。

「おおきくなった?」は、毎日成長しているからこその自信に裏付けられているのだ。



2023年10月18日水曜日

子どものころ怖かったもの


しゃぼん液

 しゃぼん玉遊びをするときに母が洗剤でしゃぼん液をつくってくれたのだが、“しゃぼん液は飲み物ではない”と伝えるために母は「これ飲んだら死ぬよ!」と言っていた。

 幼いぼくはそれを真に受け、しゃぼん液が逆流して口に入ってしまったときは「さっき飲んでしまったかもしれない。このまま死ぬんだろうか」と恐怖にかられた。

 

海外の迷子

 九歳のとき、家族で香港に旅行した。ぼくにとっては生まれて初めての海外旅行だった。

“ひとりで勝手な行動をしないように”と伝えるために、母はぼくを「ここは日本じゃないからね。ここで迷子になったらもう一生日本に帰れないよ!」と脅した。

 親とはぐれてしまったらもう二度と会えない、日本にも帰れない、この言葉も通じない未知の国で生きていかないといけないのか、と恐ろしくなった。満州引き上げ時の残留孤児のように。

 旅行中ずっと怖かった。


踏切の溝

 幼いころ、踏切を渡るときに母に言われた。

「ここに電車が通るための溝があいてるでしょ。昔、ここに足が挟まった子がいて、抜けなくてもがいてるうちに電車が来て、ひかれて死んじゃったっていう事件があったの。だからここにはぜったいに足を入れちゃだめ」

 脅しのための作り話か、ほんとにあった出来事なのかわからなかったが、とにかく怖かった。ぜったいに足を入れたらだめだとおもい、溝の近くに足を置くことすら怖かった。

 そのせいで、ぜったいに溝にはまらないぐらい足が大きくなった今でも、踏切を渡るときは大股で溝をまたいでいる。

※ ちなみに今調べたら、1982年5月8日に東北本線踏切溝挟まれ事故という事故が起こっている。ぼくが母から脅されたのが1980年代後半なのでほぼまちがいなくこの事故を指していたのだろう)。その事故の後、挟まることがないよう踏切の溝にはゴムが設置されたとか。



 結局、子どものころに怖かったのは「母の脅し」に尽きる。



2023年10月13日金曜日

【読書感想文】田中 啓文『ハナシがちがう! 笑酔亭梅寿謎解噺』 / 良くも悪くも深みがない

ハナシがちがう!

笑酔亭梅寿謎解噺

田中 啓文

内容(e-honより)
上方落語の大看板・笑酔亭梅寿のもとに無理やり弟子入りさせられた、金髪トサカ頭の不良少年・竜二。大酒呑みの師匠にどつかれ、けなされて、逃げ出すことばかりを考えていたが、古典落語の魅力にとりつかれてしまったのが運のツキ。ひたすらガマンの噺家修業の日々に、なぜか続発する怪事件!個性豊かな芸人たちの楽屋裏をまじえて描く笑いと涙の本格落語ミステリ。

 元ヤンキーの少年が噺家のもとに無理やり弟子入りさせられ、厳しい修行に耐える日々。そんな中でなぜか次々に事件が発生し、主人公が快刀乱麻の名推理で次々に解き明かしてゆく。そのうち落語のおもしろさに目覚めて噺家として成長してゆく……。

 という、どこをとってもどこかで聞いたことがあるようなストーリー。「かつて新しかったもの」をつなぎあわせてつくった古臭い話、という感じだ。

 要するに、ダサいんだよね。元ヤンが何かに懸命に取り組む、という設定が今の時代ではキツい。2004年刊行の本だからしょうがないんだけど。

 『GTO』のドラマ化が1998年、『池袋ウエストゲートパーク』のドラマ化が2000年、『Rookies』のドラマ化が2008年。2000年前後はそういうのが流行ってたんだよねえ。「ヤンキーがかっこいい」時代が終わり、それでもまだギリギリ「元ヤンが一生懸命何かに取り組む姿がかっこいい」だった時代。そういや『SLAM DUNK』や『幽遊白書』にもその要素があるね。時代だなあ。




 しかしちょっと無理のある設定でも、ミステリとからめてしまえばあら不思議、それなりに読める小説になるのである。

 正直、ミステリはチープだ。かなり無理のある謎解き、手掛かりが少ないのになぜか主人公にだけは真実が見える、周囲の人間は警察もふくめてボンクラぞろいでちっとも真相にたどりつかない。それでもミステリと落語の筋とをうまくからめていて「よくがんばったな」という気になる。そもそもからめる必要があるのかといわれればそれまでなんだけど……。


 悪い意味でも、いい意味でも、深みのない小説だったな。子ども向け漫画っぽいというか。

 主人公には天性の落語の才能があり、どんなピンチもあっという間に解決して、毎回最後は「やっぱり古典落語ってすばらしい」に着地する……というご都合主義ストーリー。

 とにかくわかりやすい(というかひねりがない)ので、「ほとんど小説を読んだことがないけどとにかくストレスなく読みればそれでいい人」におすすめする本としてはアリかもしれない。ヤングアダルト向けレーベルで出していればぜんぜんいいんだけど。


【関連記事】

落語+ミステリ小説 / 河合 莞爾『粗忽長屋の殺人』

【読書感想文】小森 健太朗『大相撲殺人事件』



 その他の読書感想文はこちら


2023年10月10日火曜日

管理職の残業は無能の証

 大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』にあった話。

 岡山大学の奥平寛子准教授と私は、子どもの頃夏休みの宿題をいつやっていたかを先延ばし行動の指標にして、それと長時間労働との関係を統計的に調べてみた。そうすると、管理職については、夏休みの宿題を最後のほうにしていた人ほど、週六〇時間以上の長時間労働をしている傾向があることが確認できた。もし、仕事を引き受けすぎて長時間労働をしているのであれば、そういう人たちは所得が高かったり、昇進しているはずであるが、残念ながらそのような傾向は確認できなかった。つまり、管理職の長時間労働の一部は、仕事を先延ばしした結果、勤務時間内に仕事が終わらず、残業をしている可能性が高い。そうだとすれば、残業をしにくい環境にすることで、人々は所定の勤務時間内で仕事をせざるを得ないようになって、生産性も上昇することになる可能性が高い。

 そうかそうか。なんともうれしいデータだ。

 つまり、遅くまで残業している管理職は、人より多く仕事をこなしているわけではなく、単に定時内に仕事を終えられないから遅くまで残っているのだ。つまり管理職の残業は無能の証。

 そりゃそうだ。管理職ともなれば、ある程度自分のペースで業務を進めることができる。仕組みやスケジュールを組むことも管理職の仕事だからだ。にもかかわらずいつまでも仕事を終えられないのは、能力が低いからだろう。

 思い返せば、ぼくが接してきた残業大好き管理職のみなさんもそういうタイプだった。いわゆる「無能な働き者」タイプ。いちばん迷惑な存在だ。


 しかし、世の中には、仕事ができて、かつ仕事が大好きで、長時間労働をものともしない体力があるバケモノみたいな人もごくまれにではあるが存在する。

 ま、そういう人は自分で起業するほうがいいとわかっているので、さっさと会社を辞めたりするんだけどね。


【関連記事】

【読書感想文】大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』 / 自由競争も弱者救済も嫌いな国民


2023年10月6日金曜日

【読書感想文】山内 マリコ『ここは退屈迎えに来て』 / 「ここじゃないもっといい場所」は無限にある

ここは退屈迎えに来て

山内 マリコ

内容(e-honより)
そばにいても離れていても、私の心はいつも君を呼んでいる―。都会からUターンした30歳、結婚相談所に駆け込む親友同士、売れ残りの男子としぶしぶ寝る23歳、処女喪失に奔走する女子高生…ありふれた地方都市で、どこまでも続く日常を生きる8人の女の子。居場所を求める繊細な心模様を、クールな筆致で鮮やかに描いた心潤う連作小説。


 地方都市の15~30歳くらいの女性の、不満や焦燥感や都会へのあこがれなどを描いた連作短篇集。連作といってもそれぞれ主人公は異なっており、どの話にも「椎名」という男が出てくる点だけでつながっている。




 ぼくは十八歳まで郊外で育って、大学時代は京都市で暮らし、卒業後はまた実家に戻り、三十歳で結婚を機に大阪市に引っ越した。

 だから都市に住む人の気持ちも、郊外に住む人の気持ちも、どっちもわかる。

 両方住んだ上で語るなら、個人的には郊外のほうがずっと好きだ。あまりに不便なところは住みづらそうだが、常に山が見えてて、ちょっと足を伸ばせば自然に近い川や森がある環境のほうが落ち着く(ちなみに京都市は都市だが近くに川や山や森があるのでその点ではいい街だ。ただ気候や交通はひどい)。

 ただ、食事をしたり、遊びに行ったり、文化に触れたりする上では圧倒的に都会のほうが便利で、特にぼくは車の運転が嫌いなので今は徒歩と電車でどこでも行ける都市の生活を満喫している。ちょっと郊外に行くと、車なしで生活できないとまではいわないが、車がないとできることが極端に少なくなるもんね。


 都市も郊外もどっちもそれぞれ良さはあるよね、という考えなので「東京にあこがれる」人の気持ちはどうも理解できない。

 高校の同級生にもいた。こんな街じゃ何にもできない、何かやろうとおもったら東京に行かなくちゃいけない、と語っていた女の子が。

 彼女ははたして高校を卒業して東京に行き、なんとかという劇団に入り、女優としては芽が出ず、会社員と結婚したらしいとSNSで知った。それが東京に行かないとできなかったことなのかどうかは知らない。

 でもまあ、よほど特殊な職業の人を除き(たとえば有名な芸能人になろうとおもったらやっぱり東京に行かないと相当むずかしいだろう)、東京に向かうのは「東京に何かをしにいく人」よりも「ここじゃないどこかに行きたい人」なんじゃないかとおもう。

「ここじゃないどこかに行きたい人」、言い換えれば「どこかに私が輝く場所があるはず」という気持ちってみんな多かれ少なかれ持っているものかもしれないけど、その意識が強い人って生きるのがたいへんだろうな。

 今の私がぱっとしないのは今の状況が悪いんだ、って思考はある意味ラクかもしれないけど、それって終わりがないというか。たぶん東京に行ったってニューヨークに行ったって満たされることはないとおもうんだよね。「ここじゃないもっといい場所」は無限にあるわけだから。ずっと「ここは本来の私の居場所じゃない」と考えるのってしんどそうだ。究極的には「ここじゃない別の人生」を求めるしかなさそうだし。

 ずっと「ここじゃないどこか」を夢見る人生を送るぐらいなら、ぼくは生まれ育った地元で近い人たちと楽しく生きていくマイルドヤンキーでありたい。




この町に暮らす人々はみな善良で、自分の生まれ育った町を心底愛していた。なぜこんなに住みやすい快適な土地を離れて、東京や大阪などのごみごみした都会に若者が流出するのか解せないでいるし、かつて出て行きたいと思ったことがあったとしても、この平和な町でのんびり暮らしているうちに、いつしかその理由をきれいさっぱり忘れてしまうのだった。

 両方に住んでわかるのは、都市にも郊外にもそれぞれ良さはあるが「都市の良さ」のほうがずっとわかりやすいということだ。

 〇〇がある、〇〇が近い、〇〇が多い……。

 他方、郊外の良さは数えあげづらい。「あることの価値」はわかりやすいが、「ないことの価値」は気づきにくい。

 また、郊外は「住み慣れた人には住みやすい」ことが多いが、都市は「住み慣れていない人にも(郊外よりは)住みやすい」ようにできている。

 わかりやすい「都市の良さ」「田舎のイヤさ」を感じている人にとっては刺さる小説かもしれない。

 ぼくはまったく共感できなかったな。ここは退屈、って感じる人はどこに行っても退屈なんじゃないのかなあ。


【関連記事】

【読書感想文】徹頭徹尾閉塞感 / 奥田 英朗『無理』

【読書感想文】速水 融『歴史人口学の世界』 / 昔も今も都市は蟻地獄



 その他の読書感想文はこちら


2023年10月5日木曜日

テストステロンと大相撲を結ぶもの

 大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』という本に、こんな話が紹介されていた。

「男性ホルモンであるテストストロンという物質が多く分泌される人ほど、手の人差し指に比べて薬指が長い傾向にある。テストストロンは筋肉量や瞬間的な判断力をもたらすので、優れたスポーツ選手は人差し指よりも薬指が長い傾向にあるはずだ」

という説があった。

 この説を証明するために、スポーツ選手たちの指の長さを測りたい。だが多くのアスリートたちに会って指の長さを測らせてくれというのはかんたんではないし、また現役選手の場合は評価がむずかしい。今は大した選手ではなくてもこれから大成するかもしれないからだ。また、何をもって優れた選手とするかもむずかしい。陸上競技などであれば記録で単純に比べられるが、球技などの場合はひとつの指標で優劣を比べにくい。


 できるだけ多くの選手の、さらにはできれば引退した選手の指の長さを測る手段はないものか……と考えた著者がたどりついた方法がこちら。

 私が思いついたのは、大相撲である。大相撲の力士なら、色紙に手形を押す慣行がある。神社に昔の力士の手形が奉納されていることも多い。そこで、大阪大学大学院の田宮梨絵さんと共同で、力士の手形を集めるプロジェクトをはじめた。東京・両国の国技館にある相撲博物館には力士の手形が収集されている。江戸時代の第四代横綱・谷風の手形からあるということだ。戦後の幕内力士については、原則的に全員の手形があって、平成以降は、十両力士の手形もある。そこで、相撲博物館にお願いして、最高位が十両、前頭下位、関脇、大関、横綱であった力士を選んで、色紙や掛け軸に押された手形の写真を撮らせていただいた。全部で二二〇人分である。そのうち指先と指の付け根が鮮明に移っている手形は約一〇〇枚だったので、そのデータを分析した。
  結果は、予想どおり十両や前頭下位で引退した力士よりも、横綱や大関といった上位に昇進した力士のほうが、平均的には薬指が人差し指より相対的に長く、その差は統計的にも有意であることが明らかになった。瞬間的な判断力を必要とする職種では、テストステロンの量が重要な資質として機能するようだ。
 すでに紹介したように、女性ホルモンが競争を好まないことと関係しているのと同様、男性ホルモンは、競争を好むということとも関係があるかもしれない。


 なるほどなあ。

 たしかに大相撲の力士はしょっちゅう手形を押すから、指の長さを調べる資料には事欠かない。手形なので引退した力士のデータもとれる。

 また、たとえば野球であれば打率、長打率、出塁率、OPS、本塁打数、盗塁数、勝率、防御率、奪三振数、セーブ数、失策率などいろんな指標があるけど、相撲の場合は基本的に勝ち負けだけなので成績もデータとして扱いやすい。

「人差し指と薬指の長さの比」と成績の相関を調べるには、大相撲ほど適した競技もないわけだ。


 おもしろいね。これまで何万枚という力士の手形がとられただろうけど、誰一人それが後世の研究資料になるなんておもってなかっただろうね。

 本の本筋とはあまり関係ないんだけど、こういう逸話を知っておもわずにやりとしてしまうのは読書の楽しみのひとつだ。


【関連記事】

【読書感想文】大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』 / 自由競争も弱者救済も嫌いな国民


2023年10月4日水曜日

【読書感想文】リチャード・プレストン『ホット・ゾーン ウイルス制圧に命を懸けた人々』 / 狂暴すぎて拡がらないウイルス

ホット・ゾーン

ウイルス制圧に命を懸けた人々

リチャード・プレストン(著) 高見 浩(訳)

内容(e-honより)
1989年、米国の首都ワシントン近郊にあるサルの検疫所をエボラ・ウイルスが襲った。致死率90%、人間の脳や内臓を溶かし「崩壊」に至らしめるエボラ出血熱のパンデミックを阻止すべく、ユーサムリッド(米陸軍伝染病医学研究所)の科学者たちが立ち上がる。感染と隣り合わせの極限状況で、彼らは何を思い、どのように戦ったのか?未曾有のウイルス禍と制圧作戦の全貌を伴いた、世界的ベストセラー。


 いっとき、アフリカで大流行したとして話題になったエボラ出血熱。最近ではあまり話題にならないが(新型コロナウイルスが流行ったからね)、2019年にも流行しているし、いまだ治療法も予防法もわかっていない。いつまた広がっても、そしてアフリカ以外の地域で感染者が出てもおかしくない病気なのだ。

「すごく怖い病気」ということしか知らなかったが、この本を読むと、エボラ出血熱のおそろしさは想像をはるかに上回っていたことがわかる。

 いったい何がモネを殺したのか、彼らにはさっぱりわからなかった。死因の見当がまるでつかない──不可解な死、というほかなかった。モネは検屍のために解剖された。まずわかったのは腎臓が破壊され、肝臓も壊死していたことだった。モネの肝臓は死亡する数日前からすでに機能を停止していたのだ。それは黄色く変色しており、融解した部分もいくつかあった──全体として、死後三日を経た死体の肝臓にそっくりだった。モネは死ぬ前からすでに死体に変わっていたかのようだった。臓器の内層が剝離するのも、死後三日ほど経た死体に通常見られる特徴の一つである。いったい、正確な死因は何だったのだろう? それを断言するのは不可能だった。考えられる原因がたくさんありすぎたからである。モネの体内ではすべてが、ありとあらゆる組織が異常を呈していたのだ。そのどれ一つをとっても致命的だったろうと思われた。血栓、大量出血、プリンのように変質した肝臓、それに血が充満した臓器。

 生きながらにして、内臓を破壊し、溶かしてしまう病気。感染した人はまるでゾンビのような見た目になるという(本物のゾンビは誰も見たことがないけど)。内臓が先に死んでしまうのだから、それも当然だろう。


 ところで、タガメって昆虫知ってる? 田んぼとか小川にいるやつなんだけど。

 こいつの餌のとりかたってのがほんとにおそろしくて、オタマジャクシとかフナとかにしがみついて、口から針みたいなのを刺して消化液を注入するのね。で、獲物の肉とか内臓を溶かして(骨まで溶かすそうだ)、それをちゅうちゅう吸うのだ。ああ、おっそろしい。

 このタガメの捕食方法を知ったのは子どものころだったので身震いするほどおそろしくて、つくづくフナやドジョウに生まれなくてよかったとおもったものだ。生きたまま身体の内部を溶かされる死に方なんて最悪だもの。

 その、フナにとってのタガメに相当するのがエボラウイルスだ。ヒトの身体にとりついて内臓を溶かしてしまう。おまけにタガメとちがってエボラウイルスは目に見えず、どんどん増殖してあっという間にヒトからヒトへと渡り歩く。

 エボラウイルスの感染率は極めて高く、発病した場合の致死率は50%を超えるという(90%を超えたこともあったとか)。




 感染しやすい、感染経路もよくわからない、かかったらとんでもない苦しみとともにほぼ死なせる、とどこをとっても最悪なエボラウイルスだが、これまでのところ、世界中に広がるような流行は見せていない。

 これまで何度も流行したが、暴風雨のように人々を殺した後、しばらくすると消滅してしまう。なぜか。

 エボラ・スーダン・ウイルスがなぜ消滅したのか、考えられる理由はほかにもある。それはあまりにも獰猛すぎたのだ。最初にとりついた宿主を殺すのに急で、ほかの宿主に乗り移る暇がなかったのである。おまけに、このウイルスは空中を飛び移ることはなかった。それはあくまでも血を媒介にして伝染した。そして、出血した犠牲者たちは、多くの人間と接触する間もないうちに死亡したため、ウイルスが新しい宿主に飛び移る機会もあまりなかったのだろう。もし患者たちが咳きこんで、ウイルスを空中に吐き出していたら──その結果はまた違ったものになっていたかもしれない。いずれにせよ、エボラ・スーダンは、火が藁の束をなめ尽くすように中部アフリカの数百の命を焼き殺した。そのうち、炎は中央で燃え尽き、灰の山となって終息した。それは、いままさしくエイズの流行に見られるように、消火不可能な炭鉱の火事さながら、いつまでも地上でいぶりつづける、というようなことにはならなかった。エボラ・スーダンは密林の奥に撤退したのだ。が、そこで死滅したわけではない。未知の宿主の中で何代も循環を繰り返しながら、それは今日まで生きつづけているにちがいない。それは自らの形を変え、別の形態に変身する能力を持っている。いつの日か、それはまた新しい形態で人類の間に潜入してこないとは、だれも断言できない。

 エボラウイルスは狂暴すぎて拡がりにくい。なぜなら感染者がウイルスを別の人間に運ぶ前に死んでしまうから。皮肉なことに。

 その点、数年前に大流行した新型コロナウイルスは、拡大するのにはちょうどよかった。致死率が低く(エボラウイルスに比べるとゼロみたいなもの)、潜伏期間が長く、感染者が別の個体へと運びやすかった。おまけに空気感染する。

 ウイルスからすると「ヒトは生かさず殺さず上手に利用するのがいいぜ」ってな感じなんだろうね。


 ただ、これまでエボラウイルスが世界中に大流行しなかったのはあくまで結果の話であって、今後も流行しないという保証はない。もっと感染力が高くて、空気感染するタイプの新種が出てきて、あっという間に全世界を覆いつくす可能性はある。




 エボラウイルスは、アメリカでも感染拡大しそうになったことがあった。

 研究所で飼われていたサルからエボラウイルスが見つかり、さらにそのサルに触れたり嚙まれたりした研究者に感染したのだ。

 だが彼らは発症せず、感染もそれ以上拡がらなかった。

 レストン・モンキー・ハウスの従業員たちが感染したのは、病状の出ないエボラ・ウイルスだった。なぜこのウイルスは彼らを殺さなかったのだろう? 今日に至るまで、その疑問に明快に答え得る人間はいない。病状の出ないエボラ──彼らのかかったのは、〝エボラ風邪〟とでも言うべきものだった。おそらくは、このウイルスのごく微小な遺伝子コードの相違が、このウイルス粒子中の七つの謎の蛋白質の一つの形態を変えた。それがたぶん、人間に与える効果を劇的に変えて、サルには致命的でも人間にはほとんど無害なウイルスを誕生させたのではあるまいか? いずれにしろ、このウイルス株がサルと人間の相違を知っているのは事実である。そしてもし将来、このウイルスがまた別の方向に突然変異したとしたら……。

 感染拡大しなかったのは、防疫努力もあったが、「運が良かったから」という理由も大きい。ということは、もしも運が悪ければ感染拡大していた可能性もあったわけで……。


 人類はほとんどの病気をある程度コントロールできるようになったとおもってしまいがちだけど、ぜんぜんそんなことないんだよね。このさきどんなに医学が進んでも、永遠に病気には悩まされることだろう。新型コロナウイルス流行のときもおもったけど。

 まあ老人がいつまでも死なない世界もそれはそれで悲惨なので、悪いことばかりではないけどさ。


【関連記事】

【読書感想文】マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク ~人づきあいの経済学~』 / ネットワークが戦争をなくす

【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』



 その他の読書感想文はこちら


2023年10月3日火曜日

7200

多くても千羽までにしとこうぜ……。

千羽でもいらないのに。