2018年5月19日土曜日

バブルでゆとり


昭和から平成に変わったとき、ぼくは幼稚園児だった。

だから、昭和生まれだけど昭和の記憶なんてない。あるのは半径五メートル以内の記憶だけだ。
昭和を象徴する戦争も高度経済成長もバブルも美空ひばりも平成になってから知った(万博記念公園の近くに住んでいたので太陽の塔だけは知っていた)。

そんな世代だから「昭和生まれ」でくくられると、うーんたしかにそうなんだけど……と腑に落ちない。戦前生まれと一緒かよ。
たぶん「明治生まれ」とか「大正生まれ」の人たちも同じように感じていたんだろう。大正なんか十五年しかないから、大正元年に生まれた人ですら大正が終わるときには十四歳だ。大正生まれはみんな大正の世の中を生きた実感がなかったんじゃないだろうか。

平成に関しては社会情勢を知る年齢になっていたし、平成後半は選挙権もあったので、「平成の世」に対して多少の責任感はある。
でも昭和については完全無責任だ。知ったこっちゃない。戦争も復興も成長も五輪も七輪も万博もわんぱくもあずかり知らぬ。

だけどもっと後の世代から見たらそうは見えないんだろう。
「あいつは昭和生まれだから」という理由で「いいよな、バブル時代の恩恵を受けてたやつは」なんて言われるんだろう。
恩恵受けてないのに。バブルが崩壊したときまだ十歳にもなってなかったのに。
うちの父親なんて1988年にローン組んで家買ってるのに。いちばん高いときに。バブルの恩恵は受けずにバブル崩壊の巻き添えだけ食らってたのに。


きっとあと十年ぐらいしたら、下の世代からはバブル世代扱いされ、上の世代からはゆとり世代扱いされるんだろう。どっちも違うけど、他の世代から見たら同じようなものだ。
ぼくにとって年寄りはみんな団塊の世代に見えるように。


2018年5月18日金曜日

【読書感想】伊坂 幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』


『陽気なギャングは三つ数えろ』

伊坂 幸太郎

内容(e-honより)
陽気なギャング一味の天才スリ久遠は、消えたアイドル宝島沙耶を追う火尻を、暴漢から救う。だが彼は、事件被害者のプライバシーをもネタにするハイエナ記者だった。正体に気づかれたギャングたちの身辺で、当たり屋、痴漢冤罪などのトラブルが頻発。蛇蝎のごとき強敵の不気味な連続攻撃で、人間嘘発見器成瀬ら面々は断崖に追いつめられた!必死に火尻の急所を探る四人組に、やがて絶対絶命のカウントダウンが!人気シリーズ、9年ぶりの最新作!

陽気なギャングが地球を回す』は、伊坂幸太郎作品の中でぼくがいちばん好きな小説だ。
その続編である『陽気なギャングの日常と襲撃』は『地球を回す』ほどの疾走感はなかったものの、四人の魅力的なキャラクターが存分に発揮されていた。

で、三作目である『陽気なギャングは三つ数えろ』。
前作までに引き続き、嘘を必ず見破る公務員、シングルマザーの天才ドライバー、動物好きのスリ名人、そして何の役に立つのかわからない演説の達人(?)の銀行強盗四人組が活躍する。

なんといっても演説好きの響野という男が魅力的。
「いろんな特技を持った人たちが集まって大きなプロジェクトを成し遂げる話」は、『七人の侍』や『オーシャンズ11』など数あるが、『陽気なギャング』シリーズが一線を画すのは特に活躍しない響野という人物がいる点だ。
銀行強盗をするときにはおしゃべりで多少注意を惹きつける役をするが、他の三人の「嘘を見抜く」「スリ名人」「天才的なドライビングテクニック」という能力に比べれば圧倒的に見劣りがする。彼の役目だけは「他の人でも務まるのでは」と思えて仕方がない。
しかし小説として見たときにこの物語を支えているのはまちがいなく響野であり、彼が根拠のない自信と珍妙なへりくつをふりまわしているからこそ彼らは「陽気なギャング」となる。

「四分は短い、ですからこの四分を我慢すれば、あなたたちは無事に自分たちのスマートフォンを手にし、その後で友人たちにメッセージを送ることができるはずです。『銀行に行ったら銀行強盗が来たの!』と話せます。もしくはSNSを使って、銀行強盗を見た、と言うことができます。尾ひれや背びれをつけて、話を拡げてもらえると我々としては助かります。『銀行強盗は十人だった』『それぞれが派手な衣装を着ていた』『未来から来た』『明日の天気を予想した』『猛獣を連れていた』『それを猟師が鉄砲で撃った』『煮て焼いて食った』。警察には事実を、ネットには面白い脚色を」

銀行強盗中にくりひろげられるこのどうでもよいおしゃべりにこそ、『陽気なギャング』の愉しさが詰まっている。



小説には、リアリティが求められる小説と、嘘っぽさが求められる小説があるとぼくは思っている。
「さも本当にあったかのような話」であれば徹頭徹尾矛盾を感じさせない説得力が必要だし、「荒唐無稽なほら話」であればくだくだしい説明は省いて話のおもしろさを追求しなくてはならない。
これは小説のジャンルとはあまり関係がない。SFやファンタジーでもつじつまを合わせる必要はあるし、ミステリや私小説に大胆な虚構が混ざっていてもいい。

伊坂幸太郎の小説は、「荒唐無稽なほら話」のほうに属している。
カカシがしゃべったり死神が現れたり。そんなわかりやすい「嘘っぽさ」がある小説はもちろん、『フィッシュストーリー』や『アヒルと鴨のコインロッカー』あたりも「そんなにうまくいくわけあるかい」というばかばかしさを楽しむ小説だ。
落語と同じで「リアリティとかしゃらくさいこと言わずに楽しめばいいんだよ」というケレン味たっぷりなところが伊坂作品の魅力だとぼくは思っている(だから変にリアリティを求めて説明が冗長な『ゴールデンスランバー』は好きじゃない)。


『陽気なギャングは三つ数えろ』のストーリー展開も「んなあほな」要素が満載だ。荒唐無稽なばかばかしさがあふれ、その「ありえない設定」と「その割に妙に丁寧に作りこまれたストーリー」のギャップが楽しい。
しかし、散りばめられた洒脱な会話やドライブ感のあるストーリー、そして容赦なく襲いかかる「非現実的な展開」で、つっこませる隙を与えない。十個中一個が嘘くさかったら興醒めするけど、一から十まで嘘っぽかったらかえって説得力がある。そういうものだ。

シリーズ一作目、二作目も「おもしろかった」という記憶はあるけれどストーリーはまったく覚えていない。たぶんこの本も一ヶ月もすればどんな内容だったか思いだせないような気がする。
そういう軽さも含めて、『陽気なギャング』は読んでいて楽しい小説だ。


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2018年5月17日木曜日

【読書感想】高橋 和夫『中東から世界が崩れる』


『中東から世界が崩れる
イランの復活、サウジアラビアの変貌』

高橋 和夫

内容(e-honより)
かつて「悪の枢軸」と名指しされるも、急速にアメリカとの距離を縮めるイラン。それに強い焦りを覚え、新しいリーダーの下で強権的にふるまうサウジアラビア。両国はなぜ国交を断絶したのか?新たな戦争は起きるのか?ISやシリア内戦への影響は?情勢に通じる第一人者が、国際政治を揺るがす震源地の深層を鮮やかに読みとく!

中東。
多くの日本人と同じようにぼくも中東のことをよく知らない。砂漠があって石油が出てイスラム教徒がいてイスラエルとパレスチナがもめていてしょっちゅう内戦やクーデターが起こっていて……というイメージ。

ニュースではアラブの春だとかIS(イスラム国)だとかシリア内戦だとか耳にするから、「革命が起きたのか」とか「難民が増えてるんだな」とかぐらいはわかるけど、そもそもシリアがどこにあるのかすらわかっていない。

……という程度の人間が『中東から世界が崩れる』を読んでみたのだが、これはすごくわかりやすい。良書だ。
ここ二十年ぐらいの中東社会の動きがよくわかる。教科書にも載っていない、新聞でもいちから説明してくれない、そういうところが明快にまとめられていて痒い所に手が届くような一冊。

前提としてあるのが「宗教対立の話にしない」というスタンス。

 この複雑な問題を、時間の限られたテレビ解説などでは、どうしても説明し切れない。そこで日本のテレビでは、「二〇〇〇年続くユダヤとイスラムの対立」といった解説がまかり通る。しかし、宗教対立・宗派対立という図式は一見わかりやすいが、実は何も言っていないに等しい。
 現実の中東では、イスラム教徒同士でもケンカをするし、ユダヤ教徒同士でも争っている。ユダヤとイスラム、シーア派とスンニー派などと言うから本質が見えなくなるのであって、「平家と源氏の争い」と言えば、日本人でも腑に落ちるだろうか。土地をめぐる人間同士の紛争は、その人々の信じている宗教がイスラム教だろうがユダヤ教だろうが、仏教だろうが神道だろうが、どこででも起こっている普遍的な現象と言える。宗教にこだわるから、かえって難しくなってわからなくなる。
 そもそもイスラム教は、歴史的に見ても異教徒には寛容だ。統治者や支配層がイスラム教徒になった国では、国民が強制的にイスラム教に改宗を迫られたケースはほとんど見られない。

この姿勢がいい。じっさい、「宗教・宗派の対立」という概念から離れてみると中東で起こっていることはさほど難しくない。
「スンニー派とシーア派が……」とかいうからイスラムからほど遠い日本人には「ようわからんわ」となるんだけど、
「政府の要職についていた人たちがクーデターによって職を失ったから反政府勢力になった」
「異なる民族をむりやりひとつの国にまとめてしまったから対立が起こっている」
なんて説明されると、世界中どこにでもあるような話としてすんなり飲みこめる。

イスラエル・パレスチナ問題なんかは宗教の話を抜きには語れないかもしれないけど、その他ほとんどの問題は宗教はさほど関係ないんだよね。
中国だって東南アジアだってイスラム教徒は多いのにイスラム教とセットでは語られない。なのに中東だけはすべてがイスラム教と結びつけられた説明をされてしまう。だから余計にわかりづらくなるんだろうね。



イラク、イラン、サウジアラビア、アフガニスタン、シリア、イエメンなどのお国事情がそれぞれ語られているんだけど、「中東の諸問題って99%欧米が原因じゃねーか」と読んでいて思う。

アメリカ、ロシア、ヨーロッパ諸国、トルコなど周辺国が
  • 民族や歴史を無視して勝手に国境を定めたり
  • 民主主義的に選ばれたイスラム系のリーダーを倒してしまったり
  • 石油ほしさからいろんなグループに武器を提供したり
こんな「いらんこと」ばかりやっているせいで戦争や内紛になっている。
欧米各国の思惑が交錯して中東問題をややこしくしているだけで、元々いた人たちだけならそこまで大きな争いにはなってなかっただろう。

 アメリカがイラクを抑えるためにイランを育てたが、イランに革命が起こり反米政権が樹立
  ↓
 こんどはイランを抑えるためにイラクのフセイン政権を支援
  ↓
 フセイン政権が暴走してクウェートに侵攻したため湾岸戦争
  ↓
 イランともイラクとも関係が悪化したのでサウジアラビアに力を入れるようになった

ほんと、アメリカが引っかきまわしてるだけじゃねーか。

中東にかぎらず、外国が支援しなければ争いなんてそんなに大規模化・長期化しないんじゃないかな。
力の差があれば早めに決着がつくし、差がない場合でも戦いが長引いていいことなんてないからどこかで手打ちになる。
ところがよその国が援助をしだすと、朝鮮戦争やベトナム戦争のように際限なく続いてしまう。
アメリカやヨーロッパは過激派組織撲滅だとかいってるけど、長い目で見たら中東和平のためにいちばんいいのは「何もせずに放っておく」なんじゃないかな。

でもそれができないのは、中東には「聖地メッカ」「石油」というみんなが欲しがるものがあるから。
石油は「何もしなくても金が入ってくる宝の山」であると同時に「争いの火種」でもあるわけで、持っている人には持っている人の苦労があるんだなあ。
「庭から石油が出たらいいな」なんて思うけど、じっさいに出たら平和に暮らせなくなっちゃうね。だからぼくは石油王にならなくていい。富だけほしい。

最近はアメリカが自国内でシェールガスを取りだせるようになったことで中東から手を引きはじめてる、ってのも皮肉な話だね。アメリカが手を出さなくなるのはいいけど石油のパワーが衰えるわけだから、産油国からしたら一長一短だ。



イランという国について。
イランのことなんてほとんど考えたことがなかった。ぼくがイランに関して持っている知識といえば「ダルビッシュ有は日本人とイラン人のハーフ」というものだけだった。
でもイランは日本の四倍以上の大きさの国土を持ち、人口はドイツとほぼ同じ。中東屈指の大国なのだ。

 しかし実際は、イランはもっと大きいはずだ。というのは、普通に目にするメルカトールの地図は、赤道に近ければ近いほど面積が小さく見え、赤道から離れれば離れるほど大きく描かれる。そもそも丸い地球を平面に表現するのだから無理が生じているのだ。
 つまりイランは、赤道に近いので比較的小さく描かれている。ところがヨーロッパは、赤道から遠いので大きく見える。この歪みを修正してイランのサイズを描いてヨーロッパにかぶせると、イランはもっと大きい。イギリスからギリシアまで届いてしまう。この図体の大きさだけからでも、イラン人が自分の国は大国だと思っても自然だろう。
 しかもイランはかつて、もっともっと途方もなく巨大だった。古代アケメネス朝ペルシア帝国(前五五〇~前三三〇年)の時代は、現在のパキスタンからトルコ、ギリシア、エジプト、中央アジアまで広がる途方もない帝国を建設し、維持していたのである。

著者は「イランは中国と似ている」と書いている。
かつては文明の中心であったにも関わらず、下に見ていた欧米列強に蹂躙されてしまったところも同じ。東アジアにおける中国のような「中華思想」を持っている。

イランはシーア派が主流で、民族もペルシア人が多数で、公用語もペルシア語。他のアラブ諸国(スンニー派が主流、アラブ人、アラビア語)とはまったく違う。
これがわかると周辺の理解がぐっと楽になった。「イランもイラクも同じようなもんでしょ」という感じだったけど、オーストラリアとオーストリアぐらい違うんだね。
中国抜きに東アジアを語れないように、アメリカ抜きに北中米を語れないように、イラン抜きには中東は理解できない。逆にイラン目線で周辺国を見ると中東のパワーバランスはわかりやすい。



「イラン≒中華」説もそうだし、「中東には国もどきはたくさんあるが帰属意識を持った国民を有する国家は少ない」「イスラム主義の先鋭化は尊王攘夷運動に似ている」など、中東を理解する上で大きな手助けとなる大胆な解釈が盛りこまれているので、読み物としても楽しい。

宗教を離れてみると、中東問題ってこんなにもわかりやすいのか。


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茂木 誠 『世界史で学べ! 地政学』



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2018年5月15日火曜日

【読書感想】ブレイディ みかこ『労働者階級の反乱 ~地べたから見た英国EU離脱~』



『労働者階級の反乱
地べたから見た英国EU離脱』

ブレイディ みかこ

内容(Amazonより)
2016年の英国EU離脱派の勝利。海外では「下層に広がる排外主義の現れ」とされたが、英国国内では「1945年以来のピープル(労働者階級)の革命」との声も多かった。世界で最初に産業革命、労働運動が起きたイギリスでは労働者こそが民主主義を守ってきた。ブレグジットは、グローバル主義と緊縮財政でアウトサイダーにされた彼らが投じた怒りの礫だったのだ――。英国在住の注目の著者がど真ん中から現状と歴史を伝える。

ブレグジットとは、イギリスがEUから離脱すること。2016年6月におこなわれた国民投票で離脱派が残留派を上回ったのは世界中を驚かせ、同年のアメリカ大統領選で排他的な政策を掲げるトランプ氏が勝利したこととあわせて、世界中が右傾化・排他的になっていると語られた……。
が、イギリスのブレグジットはアメリカ大統領選とはまったく違う現象だったとこの本の著者は主張する。

著者のブレイディみかこ氏はロンドンに住んで保育士として勤務する。「移民」ではあるが、戦争から逃れてやってきたわけではないし、アイルランド人の夫もいるし、資格を持って専門職についているので、ヨーロッパ中で大きな問題になっている中東系の移民とは立場が異なる部分も多い(同じところも多いだろうが)。



まず前提として、著者はイギリスの政治や労働問題の専門家でもないし、研究者でもない。この本に書かれている「市井の人々の意見」も、個人的体験だったり、身近な友人へのインタビューだったりするので、データの偏りは信憑性に欠ける部分は免れないだろう。

それでも日本にいる研究者が新聞やテレビを見ているだけでは手に入らない「地べたの意見」には大きな価値がある。この人の解釈が正しいかどうかはわからないが、少なくともこう解釈をする人も現場にはいる、ということは間違いない。

 2016年のEU離脱投票の頃は、左派のインテリたちは、遠巻きに彼らを見て、「排外的だ」「冷静に物を考えていない愚かな人々だ」と批判し、眉をひそめていた。
 しかし、「我ら」対「彼ら」の構図で見ている限り、「彼ら」を「我ら」に取り込むことはできない。
 左派は、いまこそ労働者階級の人々と対話し、その価値観や不満や不安を理解しなければならない。その努力を放棄したら、英国にも経済政策に長けた右派勢力(UKIPはその点がお粗末だった)が登場し、彼らがそちらに流れる可能性は十分にある。
 もはや労働者階級を悪魔化し、離れた場所から批判していればすむ時代ではない。ブレグジットという「労働者階級のちゃぶ台返し」を経験した英国の左派は、ようやくそれに気づいた。コービン労働党の躍進とその戦略の進め方は、世界の左派にヒントを与えるはずだ。

ブレイディ氏の見解によると、多く語られていた「教育程度の低い労働者階級が移民を拒むためにブレグジットに賛同した」という解釈は誤りそうだ。
労働者階級の多くがブレグジットに賛成したのは事実だが、彼らのほうが中間層よりも移民と接する機会も多く、寛容であるという。ブレグジットに票を投じたのは、ブレグジットそのものに賛成というよりも金持ち優遇政策をとる政権にノーをつきつけるための手段であったというのだ。

たしかに、選挙の結果というのは必ずしも素直に主張が反映されるわけではないだろう。
2015年に大阪都構想の賛否を問う住民投票がおこなわれた。大阪市に住民票を持つぼくも投票に行き、反対に票を投じた。だがそれは都構想そのものに反対だからというより、都構想を主導している大阪維新の会のそれまでの政策に賛成できなかったからだ。
「都構想自体はどうでもいいが気に食わないあいつらに一泡ふかせたい」という理由で反対票を投じた人はぼくだけではなかっただろうし、「都構想はよくわかんないけど維新/橋下市長を支持する」という人も多かっただろう。選挙なんてそんなものだ。

だから「イギリス国民はEUからの離脱に票を入れたから排他的だ」とするのは、あまりに単略的すぎる解釈だ。




今イギリスで移民や外国人よりも不遇の扱いを受けているのは白人労働者階級だという指摘に驚かされた。

 白人労働者階級の人々の多くが、「自分たちは差別の対象にされている」という認識を抱いており、白人のミドルクラスだけでなく、移民からも差別されているという感覚を持っている。
 第Ⅲ部で紹介する歴史学者のセリーナ・トッドも指摘しているように、たとえば母親たちが育児の悩みを語り合っているネットの掲示板を覗くと、「白人労働者階級の子どもが多い学校は成績も悪いし荒れているので、自分の子どもを通わせたくない」と大っぴらに話し合っている英国人や移民たちの書き込みを見ることができる。
 また、BBCが放送した人気コメディ番組『リトル・ブリテン』などでは、白人労働者階級の若者は子だくさんで頭が悪いというようなステレオタイプのキャラクターを登場させて嘲笑の対象にしているし、タブロイド紙や一部高級紙でさえも、社会の足を引っ張っているグループとして彼らを蔑視することが正義だと思って叩いてきた節がある。
 労働者階級の人々は、このような偏見のせいで、雇用や福祉、公共サービスの現場で、自分たちが平等な扱いを受けられなくなっていると信じている。

移民や外国人は差別されがちなので固まって暮らし、集団として行動を起こすことができる。ところが白人でイギリス人で男性となるとマジョリティ・強者として認識されてきた歴史があるがゆえに保護の対象からはずれやすく、また当人たちも団結して行動を起こさない。結果として、政治や福祉の面でも周縁に置かれてしまうという。
外国人や女性が貧困にあえいでいると「社会的な問題だから手を差しのべてやらねば」となるのに対し、「強者」とされているイギリス人の白人男性が貧困に陥っても「自分の努力が足りないからでしょ」という目で見られてしまうのだ。

日本でも同じことだよね。高齢者や母親や子どもが苦しんでいるのは「社会が助けてやらねばならない」となるのに、若い男性が貧困生活に陥っても「自己責任だ」あるいは「若いときは苦労したほうがいい」みたいな言われ方をされてしまう。

結果として貧困層はべつの貧困層への攻撃に走ることになる。

 一方、米国の政治学者のゲイリー・フリーマンは、『The  Forum』に発表した論考「Immigration, Diversity,  and  Welfare  Chauvinism(移民、多様性、そして福祉排他主義)」の中で、「政府から生活保護を受けることに対して、白人労働者階級は〝福祉排他主義〟と呼ばれる現象に陥りやすい」と指摘している。「福祉排他主義」とは、一定のグループだけが国から福祉を受ける資格を与えられるべきだ、という考え方だ。顕著に見られるのは、「移民や外国人は排除されるべき」というスタンスだが、同様に、ある一定の社会的グループ(無職者や生活保護受給者)にターゲットが向けられる場合もある。
 こうした排他主義は、本来であれば福祉によって最も恩恵を受けるはずの層の人々が、なぜか再分配の政策を支持しないという皮肉な傾向に繋がってしまうという。「恩恵を受ける資格のない人々まで受けるから、再分配はよくない」という考え方である。
 本来は彼らの不満は再分配を求める声になって然るべきなのに、それが排外主義や生活保護バッシングなどに逸脱してしまい、自分たちを最も助けるはずの政策を支持しなくなる。白人の割合が高い労働者階級のコミュニティほど、この傾向が強いという。

これもわかる気がする。日本でも生活保護受給者をやたらとバッシングするのは、いわゆるワーキングプア層が多いように見受けられる(じっさいはどうだか知らんけど)。貧困を脱した経験のある人や、ちょっとしたきっかけで自分も生活保護を受給することになる危険性の高い層ほど、他人の需給に対して厳しい。「おれはこんなに苦労して生活しているのにあいつばっかり楽してずるい」と。
金持ち喧嘩せずというけど、金で苦労したことのないような人が他人の生活保護受給に対してごちゃごちゃ言ってるのを、少なくともぼくは聞いたことがない。


だが「低所得者層間の争い」は為政者にとっては思うつぼなのだろう。政治への不満から目を背けることができるから。
サッチャー政権下では失業率が高くなった際に「各種手当の不貞受給を知らせるホットライン」を設けて低所得者層の分断を促したそうだ。
「おれの生活がこんなにひどいのはズルをしているやつがいるせいだ」と思ってくれれば、政権にとってはこんなにありがたいことはない。サッチャーも「あいつらチョロいぜ」と舌を出していたにちがいない。鉄の女の鉄の舌を。




イギリスの状況はまったく知らず、ぼくも「イギリス人はプライドが高くて偏狭だったかったからEUでまとまるのが嫌だったのかな」ぐらいにしか思っていなかった。
しかし『労働者階級の反乱』を読むにつれ、ブレグジットは単なる移民受け入れ拒否ではなく、労働者たちの怒りの噴出だったのだ、と思うようになった。
イギリス労働者の置かれている状況は、日本とも重なる部分が多いことに気づく。

度重なる規制緩和や労働組合の弱体化などで労働者をとりまく状況は悪くなるばかり。しかし当人たちは団結して経営者、権力者と対抗するばかりか、生活保護受給者叩きや外国人バッシングに明け暮れ、社会は断絶。
弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く。その音が響きわたれば「働き方改革」は加速してゆく……。

はたして反乱は起きるのだろうか。



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2018年5月14日月曜日

【読書感想】垣根 涼介『君たちに明日はない』


『君たちに明日はない』

垣根 涼介

内容(e-honより)
「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが…。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。

リストラ(本来の意味である「再構築」ではなく、いわゆる「首切り」)を代行する会社に勤める男が主人公。
この本が刊行されたのが2005年。デフレまっただなかで、もう「リストラ」という言葉にも目新しさはなくなっていた時代だが、それでも今読むと隔世の感がある。

なにしろリストラ時に会社側が提示するのが「二倍の退職金、最大半年間の完全有給休暇、再就職先の斡旋」なんて好条件なのだ。それを提示された社員が「ふざけんな」と怒っていたりする。
ぼくからすると「めちゃくちゃいい条件じゃん。乗らなきゃ損でしょ」と思うのだが、それでも社員たちは辞めるかしがみつくか悩んでいる。
2005年というのはまだまだ終身雇用意識の強かった時代なんだなあ。

ぼくなんかすでに今の会社が四社目だし(正確には関連会社出向もあるので五社目)、今のところに不満はないけどもっといい会社があれば移ってもいいと思っている人間なので、会社を辞めることにあまり抵抗がない。
まあこれは時代のせいというより業界のせいかもしれないけど。ぼくはウェブ広告の仕事をしているが、同じ会社で五年働いていたら長いほう、って業界だからね。業界自体の歴史が浅いし会社もどんどんできてはなくなってゆくし。
また人材紹介会社に身を置いていたこともあるので、転職はよくあるイベントのひとつだと感じている部分もある。


少し前に、学生時代の友人から相談をされた。彼は新卒で某メーカーに就職し、十年以上勤めている。つまり一社しか知らない。
しかし転勤で希望していない支社に行くことになってしまった。実家のある関西に戻りたいのだが、戻れるかどうかもわからない……。で悩んでいるとのことだった。

「転職活動したらいいやん。じっさいに転職するかどうかは別にして」
とぼくは云った。
転職エージェントに登録したり求人を見たりすれば、自分の市場価値がわかる。今までのスキルを活かしながらもっといい条件で働ける会社も見つかるかもしれない。「いつでも転職できる」と思えば今いる会社に対してももっと強気で給与や勤務地の交渉ができる。それでも希望が聞き入れられないなら転職すればいいじゃないか……と。

だが彼はあいまいな顔で「それもそうかな」とつぶやいただけで、どうも煮えきらない様子だった。半年ほどたってから「転職活動してる?」と訊くと案の定「いや何もしてない」とのことだったのでぼくも何も云わなかった。本人がそれでいいなら他人がそれ以上口をはさむことでもあるまい。

ぼくにとって会社は「働きに応じて金をくれるビジネスパートナー」だが、「自分が帰属するコミュニティそのもの」だと思っている人もまだまだ多いのだとそのとき知った。
後者の人にとっては転職活動をすること自体が(実際に出ていかなくても)コミュニティに対する裏切りのように感じてしまうのだろう。不倫が家族に対する裏切りであるのと同じように。
どっちが正しいというつもりはないが、後者の人にとって「会社を辞める」というのは、ぼくにとっての離婚や帰化と同じくらい「極力避けなければならない災難」なのだろう。
特に大手企業にいる人は後者の考え方が今も多いようだ。

じっさいは、会社なんて辞めたってたいていなんとかなるんだけどね。
もちろんなんとかならないこともあるけど、それは会社に残ったって同じだ。転職で成功する確率より、リストラをしなくてはならない状況に陥った会社がV字回復をする可能性のほうがずっと低いだろう。



『君たちに明日はない』の話に戻るが、転職に対して抵抗のないぼくにとっては「そこまでじたばたしなくたっていいのに」としか思えないようなエピソードが多かった。
明日から来なくていいと言われたとか、五十歳過ぎてから退職を促されたとかならまだしも、三十歳前後の人が「半年以内に退職したら規定の倍の退職金をあげます。会社に来なくても給料払います」と云われたら「ラッキー!」ぐらいのもんだと思うんだけど。

そもそもリストラという言葉をあんまり聞かなくなったよね。不況を脱したっていうのもあるけど、そもそも正社員が減って派遣社員などの非正規雇用が増えたってのもあるよね。わざわざリストラ専門会社なんかに依頼しなくても、あっさり契約期間終了にしちゃえる世の中になっちゃったからね。
考えようによっちゃあ、リストラの嵐が吹き荒れていた時代よりももっと労働者にとって不幸な世の中になったのかもしれない。




あ、いかん。また話がそれた。小説の感想だ。

すぐれたエンタテインメントでした。リストラという重くなりそうなテーマを扱っていながら、前向きな未来が提示されているので湿っぽくならないしあくまで読後はさわやか。
登場人物も会話もステレオタイプではなく「ちょっと変わっているけど現実にいてもおかしくない」ぐらいの絶妙なリアリティを保っている。スーパーマンも超ラッキーもなく、地に足のついた登場人物たちができる範囲でちょっとだけ未来を切りひらいてゆく。エンタテインメント小説のお手本みたいだった。

読んだからといって特に何か得られるというわけではないが、そういうところも含めてエンタテインメントとしてよくできていた。


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