2018年2月27日火曜日

【DVD感想】『スーパー・ササダンゴ・マシンによるコミュ障サラリーマンのためのプレゼン講座』



『スーパー・ササダンゴ・マシンによるコミュ障サラリーマンのためのプレゼン講座』

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
プレゼンしか能のない覆面プロレスラー、スーパー・ササダンゴ・マシンのプレゼンテクニックを収めたDVD。会社で自分は何ができるのか、サラリーマンが「自分をプレゼンする」時や「企画を通したい」時のテクニックを収録。

「趣味・特技はプレゼン。苦手なものはプロレス活動全般」だという覆面レスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンによるプレゼンを収めたDVD。

スーパー・ササダンゴ・マシン氏はプロレスラーでありながら新潟で金型工場を運営する会社の専務取締役も務めているという異色の経歴で、パワーポイントを駆使した巧みなマイクパフォーマンスで有名な覆面レスラーだ。
ぼくはプロレスにまったく興味がないが、YouTubeでササダンゴ氏のプレゼン(「煽りパワポ」というらしい)を観て、たちまちその完成度の高いパワーポイントと上質なユーモアの虜になった。

ふつうスポーツ選手は巧みなトークは求められないけど、プロレスはショーなのでマイクパフォーマンスで観客を惹きつける話術が必要になる。
身体と頭を使わないといけないからたいへんな商売だなあ。



このDVDに収録されている内容は以下の通り。

1.VS プロレス専門誌「発行部数を飛躍的に伸ばす方法」

2.VS 世界的飲食企業「より幸せな企業にするための新メニュー」

3.VS コミュ障な自分「一人で焼き肉をおいしく食べる方法」

内容をよく見ずにDVDを購入したので「スーパー・ササダンゴ・マシンの得意技である『煽りパワポ』が収録されてないのか……これはハズレかもな」と思いながら観たのだが、いやいや、これはこれで十分におもしろい内容だった。
いたってまともなプレゼンなのに、覆面レスラーが言っているという絵だけでもう笑える。

パワーポイントって「笑い」との相性がすごくいいよね。『バカリズム案』などのライブでも多用されてるけど、パワポはビジネスや学会などで使われる「お堅いもの」というイメージがあるからか、ごくごく標準的なMS Pゴシックでボケるだけで、おかしさが五割ぐらい増す気がする。



特に日本KFCホールディングス(ケンタッキーフライドチキンの会社)を訪問して広報部や商品開発部などの偉いさん相手に新商品の提案をおこなうパートは見応えがあった。

毎日新しいメニューを考えている人たちに向かって「まずはケンタッキーフライドチキンの概要について……」なんて釈迦に説法もいいところだが、KFCの社員たちがすごく真剣にプレゼンを聴き、ときにはスーパー・ササダンゴ・マシンの言葉をメモする姿で笑いをこらえられなかった。
「チキンとチキンでチキンを挟んだ新製品」なんてバカみたいな提案に対して、真正面から「実現可能か」「マーケット規模はどの程度か」「味や安全性は担保できるか」といった議論をしているのがめちゃくちゃおもしろかった。いい会社だなあ。

聴衆の反応も良かったし、ほどよく緊張感もあって、これぞ理想的なニッポンのプレゼン、って空気だった。



他の二編にもふれておくと、『週刊プロレス』編集部へのプレゼンは、相手が少人数、しかも顔なじみということでやや緊張感に欠けるものだった。
パワーポイントの中身は良かったので、もう少し大きい会場でやってたらさらにおもしろかったんだろうな。

「一人焼肉のプレゼン」は『孤独のグルメ』みたいにしたかったんだろうけど、焼肉に視点がいってしまう分、プレゼンの印象が弱かった。
そもそもプロレスラーが焼肉を食っている映像自体が退屈だった。プロレスラーと焼肉、という取り合わせにまったく違和感がないからねー。女性ばっかりのスイーツバイキングとかだったらもうちょっと面白味があったかも。



ぼくは人見知りなので親しい人以外と一対一で話すのは苦手なんだけど、大勢の前で話すのは平気だ。学生時代は生徒会長をやっていたし、友人の結婚式二次会の司会を務めたこともある。数十人、数百人の前で話すとひとりひとりの反応が気にならなくなるのでかえって気楽にできる。

今も仕事でたまに客先でプレゼンをすることもあるけれど、即興で話せるような才覚はないから、スピーチをするときは一字一句詳細な原稿をつくって、「ここで軽く笑いをとる」「ここは簡潔に説明してさらっと流す」と入念に構成を考える。

そういう人間にとってササダンゴ氏のプレゼンは大いに参考になった。

まずはじめにこれから話す内容の道筋をきっちり説明する。
本題はまじめに進めながらも細部ではユーモアを交える。
さまざまなマーケティング手法を使いながらも極力専門用語は使わずに平易な言葉を使って説明。
「WEB戦略の強化」みたいな安易な提案に逃げずに常に独自の切り口で提案。
……と、つくづく勉強になる。

これは企業の新人研修の教材にも使えるんじゃないでしょうか。


2018年2月26日月曜日

記録を残していたことの記録


十五歳から二十歳くらいまでの時期、「記録を残す」ことに憑りつかれていた。


毎日日記をつけていた。

買い物をしたら必ずレシートを持ち帰り、ノートに記録していた(集計はしない。ただ記録するだけ)。

常にインスタントカメラを持ち歩いて、何かあるたびに写真を撮った。

読んだ本のタイトルと感想をすべてノートに記録した。

高校で席替えをするたびに、座席表を記録して自宅の机に置いていた。

ノート、手紙、メモなどの類はすべて捨てずに保管していた。

大学生になって初めてアルバイトをして(高校はアルバイト禁止だった)、最初に給料を貯めて買ったものはビデオカメラだった。
型落ちのモデルで十七万円した。もちろんデジタルじゃない。清水の舞台から飛び降りるような買い物だった。今調べてみたら、一万円以下で買えるデジタルビデオカメラがたくさんあって驚いた。



高校生のときの日記を読むと
「9時に起床。10時半に家を出て、××駅で××と待ち合わせ。JR××線に乗って11時40分に××に到着。××で昼食をとり……」
と、気持ち悪いぐらい克明に記録している。刑事が尾行記録を警察手帳に書くときぐらいの細かさだ。

こういう日記を毎日つけていると、常に日記を書くことを想定して行動するようになる。行動の節目節目に時計を見て時刻を確認し、集団で行動するときは人数を数えて日記を書くときに漏れがないように気を付ける。
一日家にいたときなどは「このままだと日記に書くことがないな。ちょっと散歩でもするか」と行動を起こすこともあった。
日記のために行動するのだ。
インスタグラムに写真を載せるために出かける人たちのことを笑えない。というか誰にも見せない日記のために行動するほうがヤバい気がする。

日記は今もつけているが、次第に短くなっていき、今では「仕事の後、子どもとカルタをして遊ぶ」ぐらいの短いものだ。



なぜあんなに記録を残すことに執着していたのだろう。

きっと「何者でもない自分が、何者でもないまま死んでいく」ことに耐えられなかったのだと思う。

功成り名遂げることができなかったらどうしよう。そういう不安を紛らわすために、必死になって生きた痕跡を残そうとしていた。それが日記であり、写真であり、読書の記録だった。

最近はそこまでじゃない。
日記は短いものだし、買い物記録はやめてしまったし、写真を撮ることは減った。
読書感想はブログに書いているが、これは他人に読まれることを想定してのものだ。自分のためだけには書いていない。

何かを成し遂げたわけではない。今でもあっと驚かせるようなことをして世間に名前を轟かせたいという気持ちがないわけではないが、そうでない生きかたもまた良し、と思えるようになった。
娘が生まれたからでもあるし、人間は遺伝子の乗り物にすぎないと知ったためでもある。歳をとるとみんなそうなっていくのかもしれない。


今はあまり記録を残していないけど、昔の記録を見るのはすごく楽しい。

高校生のときの日記とか写真とか最高におもしろい。つくづく残しておいてよかったと思う。

特に座席表はおすすめ。同窓会とかで見せたらめちゃくちゃ盛り上がる。


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距離のとりかた

自分の人生の主役じゃなくなるということ



2018年2月25日日曜日

西方浄土


関西に住んでいる人はどうも「西に行きたい」願望があるようだ。

周囲の人の話を聞いても、国内旅行というと四国とか九州とか広島とかが多い。
東にはあまり行かない。東京、横浜、ディズニーランド、北海道といったメジャーな場所には行くが、それ以外の東北・関東・東海・北陸にはあまり行かないようだ。

書店で働いていたときも、『るるぶ東北』『るぶ金沢』よりも『鳥取』『松山』などのほうがよく売れていた。
距離だけの問題でもないと思う。大阪ー静岡間と大阪ー広島間の距離はほとんど同じだと思うが、「広島に旅行に行く大阪人」は「静岡に旅行に行く大阪人」の倍くらいいると思う。知らんけど。



ぼくは両親が旅行好きだったこともあって子どもの頃はよく旅行に連れていかれたけど、兵庫県東部に住んでいたぼくの家族が行った場所はといえば、倉敷、岡山、瀬戸内海の島、鳥取、香川、徳島、福岡、熊本、佐賀、別府、長崎、など見事に西方面ばかりだった。
父親が単身赴任をしていたときに横浜に行ったけど、それ以外には東方面へ旅行したことがない。
修学旅行の行き先も、小学校は広島、中学校は長崎だった。


就職活動をしていたとき、ほとんどゆかりがないにも関わらず「四国で一生過ごすのもいいな」という気持ちが突如として湧いてきて、愛媛や高松の企業を受けてまわったことがある(結局四国には就職しなかったが)。

自分自身のことを思い返しても、やはり西方面に引き寄せられる傾向があるようだ。

仕事で東京に行くことが多いからこそ、旅行のときは逆方面に行きたくなるのかもしれない。



菅原道真が大宰府(福岡県)に流されたり、平家が壇ノ浦(山口県)で敗れたり、光源氏が須磨(兵庫県)に流されたり、京都に都があった時代から、みんな西に行ってばかりいる。行かされてるんだけど。
東に行った話といえば、晩年の源義経が追われて平泉(岩手県)に逃げたぐらいしか思いつかない。

上方落語には「東の旅」と呼ばれるいくつかの噺があるが、ここでいう「東」とは伊勢神宮、つまり今の三重県のことだ。

今でも関西の人は三重にはわりと行く(三重県は近畿地方には含まれるが関西には含まれない、というなんとも微妙なポジションだ)。ぼくも二度旅行に行ったことがある。

上方の人にとっての「東」は三重までで、そこから先はごうごうと滝が流れ落ちている暗黒の地なのだ。それは今でも同じかもしれない。


2018年2月24日土曜日

工事現場で遊んでいる男子小学生



小学五年生のとき、毎日のように工事現場で遊んでいた。
近くにあった小さな山が造成され、百軒分ぐらいの住宅地になった。

空き地がずらっと並び、常に建設工事がおこなわれていた。

ぼくと友人たちはそのあたりに捨てられている板や釘を拾ってきて、石で釘を打って遊んでいた。

はじめは小さな木片や曲がった釘を拾っていたのだが、だんだんエスカレートしていった。
拾うものは少し大きめの板になり、錆びたのこぎりになり、やがて金づちや新品同様の釘になった。たぶん捨てられていないものも混ざっていたと思う。盗みだ。

それらを空き地の隅っこに隠しておいて、拾い集めた材料で椅子や箱を作っていた。
大工のおじさんたちもぼくらの存在には気づいていたはずだが、ごみで遊んでいるだけだと思っていたのだろう、何か言われたことは一度もなかった。

車輪も手に入った。
工事の際、道具を運ぶのに使っていたのだろうか。
拾った車輪に板をくっつけて、車をつくった。子どもがひとりだけ入れるぐらいの、半畳ほどの大きさの車。
車が完成したときはうれしかった。さっそく乗りこみ、坂道を滑走した。木片と車輪をくっつけただけの手作りの車で、車道をがんがん走る。もちろんブレーキもハンドルもない。無謀すぎる。

スピードが乗ってきたところで、向こうから自動車がやってくるのが見えた。
やばい。どうしよう。
そのときになってはじめて「車道を走っていたら車に出くわす可能性がある」ということに気がついた。小学五年生の男子ってそれぐらいばかなんです。
急いで車から飛び降り、手作り車をつかむ。間一髪、自動車にぶつかる前に止まった。

工事現場には危険がいっぱいだ。
釘を踏んで足の裏に大けがをしたやつもいたし、石で釘を打ちつけるときに誤って自分の指を叩いてしまうことなんて日常茶飯事だった。ぼくは爪が割れて、しかも消毒もせずに遊びつづけていたから化膿した。

何を考えていたのだろうか。もちろん先のことなんて何も考えていない。
男子小学生だったことのある人ならご存じだと思うが、彼らは十秒先ぐらいのことまでしか考えられないのだ。

発煙筒が落ちていたので焚いてみたら警察官が来てこっぴどく怒られたが、工事現場で怒られたのはそれ一回だけだった(もっとあったけどばかだから忘れているのかもしれない)。


みなさん、工事現場で遊んでいる男子小学生を見かけたら、きちんと叱ってやってほしい。彼らのために。やつら、ばかだから怒られないとわからないんです。怒られてもわかんないけど。


2018年2月23日金曜日

さよならミステリ黄金時代


20世紀という時代はミステリ小説に適している時代だった。

電話はあったけど、携帯電話はなかった時代。
写真はあったけど、いたるところに防犯カメラはなかった時代。
指紋鑑定はあったけど、GPSはなかった時代。

ほどよく科学的証拠があり、ほどよくそれらに一定の制約があった時代。
犯罪者と捜査をする側のパワーバランスがほどよくとれていた時代。

もっと昔、19世紀以前となると捜査側が弱すぎた。
古典的推理小説では「こうすれば犯行に及ぶことができた」という状況証拠の提示をもって解決としていることが多い。
決定的な証拠まではなかなか挙げられない。この前、江戸時代を舞台にしたミステリ『粗忽長屋の殺人』を読んだが(→ 感想)、やはり探偵役が推理を滔々と語って、犯人が「そのとおりでございます」で終わりだった。

『遠山の金さん』では、お奉行様の「この目で見た」「忘れたとは言わせねえぞ」が決め手となって一件落着する。
江戸時代だからしょうがないんだけど、今の時代から見ると乱暴だ。目撃者と刑事と被害者側弁護士と裁判官が同じ人なんだから客観的公正性なんてあったもんじゃない。ひでえじゃないですかお奉行様。


近未来、今でもそうかもしれないけど、科学技術が発達すると犯人側にとって圧倒的に不利だ。
わずかな痕跡も残さない科学捜査、はりめぐらされた監視カメラやドライブレコーダー、いつでも誰とでも連絡がとれる通信機器の発達。

善良な市民からすると安全で安心な世の中になったけど、ミステリ小説にとっては窮屈すぎる世界になったねえ。
犯人捜しばかりがミステリじゃないからジャンル自体はなくならないだろうけど、フーダニット(犯人あて)作品は絶滅寸前かもしれない。