2016年9月13日火曜日

【読書感想文】曽根 圭介 『鼻』

曽根 圭介『鼻』

内容(「BOOK」データベースより)
人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。


『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。

感想はこちら


【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


2016年9月9日金曜日

【エッセイ】年齢をnとすると、10の(n/10-1)乗× 1万円

「20歳のときに10万円使わないとできない経験は、30歳になると100万円使わないと体験できなくなる」

という意見を聞いた。

なるほど、たしかにそういう面もあるだろうな。
30代になったぼくも、そう思う。

学生時代なら10万円出せば1週間海外旅行ができるが、社会人になると仕事を休んだり(場合によっては辞めたり)、休んだ分の埋め合わせをしたりしないといけないので、金額に換算すると10万円ではきかなくなる。

20歳のときに1日寝たらとれた疲れは、30歳になると1週間とれなくなったりするしね。


でも、だから20代のうちに貯金をせずにどんどんお金を使おうという考えには賛同できない。
なぜなら、
「20歳で10万円の浪費をする人間は、30歳になると100万円浪費するようになる」
からだ。

あと
「20歳にとっての10万円の借金は、30歳の100万円の借金と同じくらい、持っている資源を失わせる」
ともいえる。


ってことで何が言いたいのかというと、使うことも大事だけど貯金も大事ですよってこと。
つまんない結論ですけど。

2016年9月7日水曜日

【エッセイ】狂牛病から15年

若い人は知らないだろうが、2001年に、狂牛病(BSE)騒動というのがあった。
狂牛病という脳がスポンジ状になる病気が見つかり、牛肉を食べると人間も狂牛病に感染するおそれがあるという噂が流れ、牛肉がぜんぜん売れなくなったのだ。
そのあおりで潰れた焼肉屋も多かったと聞いた。

参考→Wikipedia


その頃、ニュースなんかで
「狂牛病は食中毒とはちがうので、食べてすぐに発症したりしない。10年後、15年後に脳がスポンジ状になってしまうのだ」
といった解説がなされていた。

感染してもすぐには気づかないこと、

脳がスポンジ状になってしまうという症状、

そして「狂牛病」というおどろおどろしい名前、

すべてが恐ろしかった(「狂牛病」というネーミングでなければ、あそこまでおおごとにならなかったと思う)。


で、あれから15年後。
狂牛病にかかったという人の話は聞いたことがない。


そして今、ぼくは思う。

 あの騒ぎはなんだったのか、と。


そして、こうも思う。

 脳がスポンジ状になったら知識の吸収力がものすごく向上しそうだな、とも。

2016年9月6日火曜日

【エッセイ】足りない分を君に贈る

妻と娘(3歳)と、3人で夕食。

食卓にはトウモロコシが2切れあった。

すると3歳児が言った。
「あれー。3にんいるのに、トウモロコシ2こしかないねー。1こ、どっかにいったのかなー」


おお。
もう引き算の概念を理解しているのか! うちの子は天才だ!


と思っていたら、続けていわく、
「おとうちゃんのトウモロコシはどこいったんかなー」


足りない分=おとうちゃんの分 って決めるなよ!!