2016年5月26日木曜日

【エッセイ】なぜその本屋に行かなくなったのか


中学生のとき。
近所に小さな本屋があった。
おじさんひとりだけで経営している、いわゆる「町の本屋さん」だ。

あるとき文庫本を1冊買った。
阿刀田高の短篇集だ。
さっそく帰って読んだ。おもしろかったので1日で読みおえた。

翌日、阿刀田高のべつの小説を手に取り、レジへ持っていった。
おじさんはぼくの顔を見て、それからレジに置かれた本を見て、言った。
「昨日買った本はもう読んだの? すごいなあ」

それまで何度もその本屋でマンガや本を買ったことはあったが、話しかけられたのははじめてだった。
きっと、読書好きの中学生が来てくれることがうれしくて、思わず話しかけてしまったのだと思う。


いやだった。
すっごくいやな気持ちになった。

いや、もちろんおじさんが好意で声をかけてくれたことはわかっている。
本好きな人間としては、ひとりでも多くの若人が読書の悦びにめざめてほしいと思う。

しかしそれはそれとして。

本を選ぶということは、ぼくにとってほんとにプライベートなことなのだ。
それを監視(ぼくはそう感じた)されているなんて、とても耐えられない。
「昨日も同じ作家の本を買ってたよね。1日で読んだんだ」と言われることは、
「昨日もあの女の子のこと見てたね。あの子のこと好きなんだ」と指摘されるのと同じくらい恥ずかしいことだったのだ。

それ以来、自然とぼくの足はその店から遠のいた。
今にして思えば、店のおやじさんに申し訳なかったなと思う。
でもいちばん自意識過剰だった中学生当時は、どうしても許せなかったのだ。

今ならぜんぜん許せる。

っていうか、Amazonさんから
「あんたこの作家好きだったよね! 前も買ってたしどうせ今回も買うんでしょ!」
と言われてもぜんぜん平気だからなあ。

2016年5月25日水曜日

【読書感想文】スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』

スティーヴン・D・レヴィット
スティーヴン・J・ダブナー
望月衛(訳)
ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカに経済学ブームを巻き起こし、170万部のベストセラーとなった話題の書。若手経済学者のホープが、日常生活から裏社会まで、ユニークな分析で通念をひっくり返します。犯罪と中絶合法化論争のその後や、犬のウンコ、臓器売買、脱税など、もっとヤバい話題を追加した増補改訂版。

橘玲『言ってはいけない』の参考文献の一冊。
というか『言ってはいけない』の大部分はこの本がつくりだしたといってもいいのでは。そういえば橘玲氏の文体まで、『ヤバい経済学』に似ている気がするぞ。

「一般には○○と思われているけど、じつは××なんだよ」という手の話が好きな人には(みんな好きだよね)、読んだら影響を受けずにはいられないぐらい刺激的な本。
翻訳もいいしね。

『経済学』と書名に入っているけど、株価もマルクスも税制も景気も利益もほとんど出てこない。
この本を読んでも経済学の勉強にはならない。
おまけに日常生活にも役には立たない。
役に立つとしたら、酒の席での話のネタか、「おもしろい問いを立てるにはどうしたらいいか」という物の見方が身に付く(かもしれない)ことぐらい。
たとえば「不動産広告によく使われる言葉と価格の関係を調べれば、言葉を見ただけで家の価格の傾向がわかるのでは?」という仮説に基づいて検証した結果。

 不動産広告で使われる言語を調べると、ある種の言葉が家の最終売却価格と強く相関していることがわかる。
(中略)
 一方「最高」というのはあいまいで危ない形容詞で、「素敵」もそうだ。この2個の言葉は不動産屋さんの営業担当者が使う暗号で、その家は具体的に言えるようないいところはあんまりないよということのようだ。「広々」した家はだいたい古くて使い物にならない。「環境良好」は買い手に、あのね、この家はあんまりよくないかもしれないけど周りの家はいいかもしれませんよ、と語っている。不動産広告で感嘆符(!)を見たら間違いなく悪いニュースで、本当に足りないところを中身のない勢いでごまかそうとしているのだ。

あー。
言われると、なるほどな、という感じだ。
求人広告も一緒だよね。
「アットホームな職場です!」
「やる気のある方なら誰でも大歓迎!」
「たいへんやりがいのあるお仕事です」
みたいな求人広告は危ないね。
具体的にアピールできるところ(「年収600万円」「週休完全2日」とか)がないから、抽象的な文句でお茶を濁しているんでしょう。


けっこうどぎつい表現も出てくる。
というか「見も蓋もない」というか......。
黒人は白人よりも貧乏になる可能性が高いことが生まれたときから決まってるよ、とか、名前を見ただけで子どもの将来がある程度予測できるよ(要するにキラキラネームをつけられた子どもは非行に走りやすい)、とか、中絶禁止制度をなくして望まれずに生まれてくる子どもを減らしたら犯罪率が大きく低下したよ(つまり生まれたときから犯罪をおかしやすい子どもは決まっている)、とか。

こういうのって書き方によっては読み手に大きな不快感を与えるんだろうね。
でも『ヤバい経済学』では、淡々と「だからどうしろと言ってるわけじゃなくて現実はこうなんですよね」といった調子で書いているので、ぼくはあまりイヤな気はしなかった。
(そうはいっても発表後はだいぶ非難もあったみたいだけど)

ものごとをドライに考えられる人にとってはすごくおもしろい本だとおもうよ。
刊行は十年以上前ですけどぜんぜん古びてない。
正確さには欠けるところもあるけど、それを補ってあまりあるほど読み物としておもしろい。

最後に、ぼくが特におもしろいと思ったくだりをご紹介。
(なぜ麻薬の売人は儲からないのかということについて。育ちの悪い子にとってギャングのボスは映画スターと同じくらいみんなの憧れの職業だとした上で)

 そういう売り出し中の麻薬貴族は労働市場不変の法則にぶち当たった——たくさんの人がやりたいと思い、たくさんの人がやれる仕事は、普通、給料が悪い。これは給料を決める四つの重要な要因の一つだ。他の三つは、その仕事に必要な特殊技能、その仕事のつらさ、そしてその仕事が提供するサービスに対する需要である。
 こうした要因の微妙なバランスを考えると、たとえば、典型的な売春婦が典型的な建築家よりも稼いでいるのがどうしてかわかる。一見、そんなの間違っていると思うかもしれない。建築家のほうが高度な技術(「技術」を普通に言うときの意味だとして)を要求されるようだし、(やっぱりふつうの意味で)勉強もしているはずだ。でも、ちっちゃい子が売春婦になりたいと夢見て大きくなることはないので、売春婦の潜在的供給は相対的に限られている。彼女たちの技術は、まあ「専門的」というわけではないかもしれないけれど、とても特殊な状況で用いられる。仕事はきついし、少なくとも二つの重要な点で近寄りがたい──凶悪犯罪に巻き込まれる可能性があることと、安定した家庭生活を得る機会が失われることだ。では需要は? ま、建築家が売春婦を呼ぶことの方がその逆よりも多いとだけ言っておこう。


 ね、正確さには欠けるでしょ?



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2016年5月24日火曜日

【写真】本供養、CD供養

本やCDは捨てづらい。

昔はまったく捨てられなかった。
最近は、少しは捨てられるようになった。

しかし捨てるときに心が痛むのは変わらない。
自分の記憶の一部がなくなるような気がする。
だからせめて、捨てるときは写真を撮って「この本をたしかに読んだ」という記録を残すようにしている。


今回は10年くらい前に買ったものが多いです。










吉田戦車や西原理恵子は好きだったからどんな作品でも買い集めていたけど、好きになれないものもある。
特に吉田戦車は、もう『伝染るんです』『スカートさん』のような不条理漫画はもう読めないのだろうと思いつつも、その事実が受け入れられずにずっと新作を買ってはがっかりされつづけた。
『学活! つやつや担任』は好きでしたが。


石原まこちんや中崎タツヤのような脱力系漫画(中崎タツヤは脱力とはちがうかもしれないが他にジャンル分けのしようがない)は、まず読み返すことがないので捨てることにした。
とはいえ、それぞれの代表作『THE3名様』『じみへん』は捨てられない。読み返さないだろうけど。


CDを捨てるのは、生まれてはじめてのことだ。
デジタルデータで持っているので全部捨てたっていいのだが、やっぱり捨てられない。
ディスクをセットすることなどないのだが。
合理的に生きているつもりだが、こういうところは割りきれない。

槇原敬之は好きで全部のCDを集めていたが、逮捕~出所後は説教くさくなったので聴くのをやめた。
あんなにストーリーテリングの才能を持ったシンガーソングライターは他にいないと思っていたのに、上質なエッセイのような私的な歌詞は書かなくなり、「生きるってすばらしい☆」みたいなつまんない歌詞ばかり書くようになってしまった。

よっぽどムショでつらい思いをしたんだろうなあ。


サザンオールスターズは好きすぎて、桑田佳祐のソロアルバムも買い(これはふつうのサザンファンの行動)、原由子のソロアルバムも買い(これもまだふつう)、ファンですらあまり名前を知らないメンバー・関口和之や松田弘のソロアルバムまで買い(もうだいぶおかしい)、さらにはインストゥルメンタルCDや、オルゴールバージョンのCDまで買い集めるという奇行に走っていた。
もはやファンというよりただのコレクターだ。
買うだけでほとんど聴いてないし。

ちなみに、アルバムをすべてそろえた後は、集める目標がなくなり、中古CD屋をまわって8cmCDを買いあさっていた。
もちろん、アルバムにも収録されているわけだから一度も聴かなかった。

その8cmCDはまだ捨てていない。
買ってから一度も再生されぬまま、今も押し入れに眠っている。


2016年5月23日月曜日

【考察】ぼくが老いぼれたときに

年をとったときに、

「老いぼれ」といわれようと
「くそじじい」といわれようと
「死にぞこない」といわれようと
「ボケ老人」といわれようと

「まっ、おれもトシとったしな」
と受け流せるんじゃないかと思う。


でも「老害」といわれたら、聞き流せる自信がない。

それまでの人生が全部否定されるような気がする。
はらわたが煮えくりかえるにちがいない。

またおそろしいことに、「老害」といわれたことに対して何と言い返そうと、どんな行動をしようと、「そういうところが老害なんだ」という切り返しがあるから、抵抗の余地がない。


よくできた悪口だと思う。
ほとんど最強。

「老害」って言葉を考えた人って、相手が何を言われたらいちばんイヤかをわかっているという点ですごく想像力豊かで、それを口に出してしまうという点ですごく底意地の悪い人だよねえ。

2016年5月22日日曜日

【読書感想文】ニコルソン・ベイカー 『中二階』



内容(「BOOK」データベースより)
中二階のオフィスに戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察―靴紐はなぜ左右同時期に切れるのか、牛乳容器が瓶からカートンに変わったときの感激、ミシン目の発明者への熱狂的賛辞等々。これまで誰も書かなかったとても愉快ですごーく細かい注付き小説。

 岸本佐知子(翻訳家)のエッセイがめっちゃくちゃおもしろいので買ったのですが、いやあ、やっぱり奇才・岸本佐知子が訳そうと思うだけありますね。
これも異常な小説でした。
誰にでも薦められる小説ではないけど、人によってはものすごくおもしろく感じると思います。ぼくはこういうの大好きです。

◆ 異常なとこ 1


ほんとに何も起こらない。
昔、井上ひさしの『吉里吉里人』を読んだときに、数百ページを費やして2日しか経たないので、「なんて話の進行の遅い小説だ!」と思ったものですが、『中二階』はその比じゃない。
なにしろ、主人公がエスカレーターに乗るところではじまり、エスカレーターを降りるところで終わる。その間、エスカレーターが止まったりするようなトラブルもない。ただ主人公がエスカレーターに乗っている間に考えたことをひたすら書いているだけ。

そういう実験的な小説はほかにもあると思います。「ものすごく短い時間に起こったことを長々と書く」という思いつき自体はそこまでめずらしいものではないでしょう。
でもそういう実験的小説はたいていおもしろくない(おもしろくないから手法として定着せずに実験で終わるのでしょう)。

『中二階』はちゃんとおもしろい小説としても成立しているのがすごい。これはかなりめずらしい実験成功例ですね。


◆ 異常なとこ 2


注釈の多さ。
量も多いが、ひとつあたりの長さも尋常じゃない。
5,000字以上にわたって長々と注釈が続いていたりする(しかもその注釈の中でさらに脱線して余談の余談になったり)。
もう読みづらいことはなはだしい。
でもその注釈が本編と同じくらいおもしろいので読み飛ばすわけにもいかないのが困ったものです。

しかし数ページにまたがって延々と注釈が続いていたりするので、編集者はレイアウトを組むのに苦労しただろうなあ。


◆ 異常なとこ 3


視点の細かさ。
アメリカ人っておおざっぱでがさつなやつらだとぼくは思っているのですが(そしてだいたいあっているんですが)、ニコルソン・ベイカーという人はアメリカ人作家とは思えないぐらい細かい。
両脚の靴紐が同じ日に切れたことについて、「同じ日に切れる確率はどれぐらいか」「どういった動作をしたときに靴紐にどの程度の力がかかるのか」といつまでも考えています。もうこの小説のはじめっから最後まで、ことあるごとに靴紐のことを考えていて、しまいには「1年のうちで靴紐が切れることについて考えるのは何回ぐらいだろう」と考えます。
ほとんど「靴紐が切れることについて考える小説」だといってもいいぐらいです。



ところでこの小説が発表されたのが1988年。
「たいしたトピックのない文章」「注釈の多い文章」「ものすごく視点の細かい極私的な文章」というのは、今ではWeb上にあふれています。
FacebookやTwitterのテキストはほとんどが内容の薄い私的な日記ですし、リンクは注釈に相当しますしね。

とすると、1988年発表の『中二階』がインターネット時代のテキストの氾濫を予想していたというのは考えすぎでしょうか......、
考えすぎですね、はい。