佐渡島でトキが飼育されているというニュースが、「子どもたちに命の大切さを知ってもらいたい」というメッセージとともに流れていた。
命の大切さを知ってもらいたいなら、
もう保護なんてやめて、「かつて日本にはトキという鳥がいましたが、完全に絶滅してしまいました。決してトキの存在が戻ることはないのです……」
とやったほうが効果的だと思いますよ。
2016年5月11日水曜日
【エッセイ】妖怪キャベツ持たせ
大学生のときのこと。
当時住んでいたアパートの近くには中高一貫の女子校があった。ぼくはその女子校の横を通って大学に通っていた(誤解しないでいただきたいが、女子校のそばを通っていたのは決して不純な動機ではなく、うら若い乙女の甘い香りを嗅ぎたいというきわめて純粋な気持ちによるものだ)。
少し肌寒い昼下がり。
ぼくが歩いていると、三十半ばの女とすれちがった。
“ふらふら”と“よたよた”の中間のような、おぼつかない足どりだった。
赤塚不二夫が生前100パーセントのアル中状態でテレビに出演していて、ガゼルがこの震え方してたらヤバい病気もってると思われて逆にライオンに狙われないぐらいだわってぐらいに震えていたが、ちょうどそのときの赤塚不二夫みたいな歩き方だった。
ゆっくりと歩いていた女はやがて歩みを止め、くずれるように道端に倒れこんだ。
あっ倒れた、と思った。
ほんとうに親切な人ならここで何も考えずにすぐさま駆けよるのだろうが、なにぶんぼくは性根が腐っているので、あら倒れちゃったよ、一応様子見に行った方がいいかしら、でも早めに大学行って空き教室で昼寝したいしな(かなりどうでもいい用事)と逡巡していた。
きっかけをくれたのは、ちょうど真ん前の学校から出てきた二人の女子高校生だった。
彼女らも女の人が倒れたことに気づいて「うわっ。人が倒れたよ」「やばいんじゃない?」と言い合っている。
女子高校生の存在に気づいてからのぼくの行動は素早かった。
すぐさま女の人に駆け寄り「どうしました? 救急車呼びましょうか?」と、どちらかといえば女子高校生たちに聞いてもらうためにつとめて優しい声をかけた。
倒れた女の人をあらためて見ると、顔に血の気がなくて、ものすごく痩せていて、ぼくが保健所の職員だったらとりあえずトラックの荷台に詰めこんでしまいそうなぐらい不健康なオーラを醸し出していた。
彼女は消え入りそうな声で「救急車は……呼ばなくても……いいです……。よくあることなんで……」と言い、しかし立ち上がるわけでもなく路上に座り込んでいる。
いやいやあんた立てなさそうじゃん、だいたいよく道に倒れますって第二次世界大戦のバターン死の行進かよ。
と、この時点で早くもめんどくさくなってきて(なにしろ性根が腐っているから)、さっさと救急車呼んで隊員に引き渡してしまおうかと思ったのだが、本人が呼ぶなって言ってるのに勝手に呼んで恨まれても嫌だしなあ、だってシッダルタが断食修行しすぎて死にそうになったときにスジャータが無理やり乳がゆを飲ませて助けたら感謝されるどころか修行の邪魔したみたいに言われてたしなあとか手塚治虫の『ブッダ』のストーリー思い出してたら、さっきまで心配そうに見つめていた女子高校生たちが、女の人の生命に別状はなさそうなこととぼくが声をかけたことで安心したみたいで、あっさり立ち去ってしまった。
こうなるともういい人のふりをする理由もないのだが、かといって「じゃっ、お元気で!」とさわやかに言ってこの場を離れるのも、高校生の前でいいかっこしたいという魂胆が見え見えなので、女の人の心配をするふりしながら突っ立っていた。
「ほんとに救急車呼ばなくて大丈夫ですか」
「ええ……。ちょっと……休めば治るんで……。ありがとうございます……」
べつにあなたのことを気遣ってるわけじゃなくて、救急車呼ぶなり立ち上がるなりしてもらわないと、一度声をかけた手前、この場を離れづらいじゃん。
それにほっといてもし今晩のニュースで「女性がのたれ死にました。都会の冷たさが生んだ悲劇とでもいいましょうか」とか古舘伊知郎がしゃべってんのを聞いちゃったら寝覚めが悪いしさ。
とはさすがに口に出して言うわけにもいかず「立てないようなら肩貸しましょうか」と云ってしまった。
そしたら女はまってましたと言わんばかりに「ほんとですか。ありがとうございます!」と若干元気よく食いついてきて、さっきまでの「ええ……ちょっと……」みたいな息も絶え絶えなかんじのしゃべり方はどこいったんだよ、と少し
イラっとしたものの、一度言いだした以上は今さら「やっぱ疲れるの嫌だからさっきのなしで」とも言えず、肩を貸すことになった。
そんで隣にしゃがんだら、信じられないぐらい強い力が肩にのしかかってきた。
うそでしょ?
だってこんなに細い人なのに。
体重以上の圧かかってない?物理法則ちゃんと機能してる?
立つために必要な分の倍ぐらい力かけてない?
あーこれ読んだことあるやつだ。
子どもの頃持ってた『ようかいだいずかん 日本のようかい編』で。
そう、こなきじじい。
おんぶしたら石に変わるっていう、人の善意につけこむ鬼畜妖怪。
いたんだ。現代にも。
で、左肩むしりとられんじゃねえかってぐらいの力でしがみつかれながらもなんとか立ち上がった。
そのときはじめて気づいたんだけど、この現代版こなきじじい、いっちょまえに荷物持ってんの。
ハンドバッグと、キャベツ。
キャベツ……?
なぜだかわからないけど、キャベツ1個だけ持ってる。
袋とかなくて、丸のままのキャベツ。
買い物帰りなんだろうけど、ふつうキャベツ裸で持ち歩くかね。
しかもおかず買いに行ったら、肉とか魚とかも買うと思うんだけど。
キャベツだけをバリバリかじっているなんて、ますます妖怪じみている。
そんでさ、立ち上がった拍子にハンドバッグ落としちゃったわけ(キャベツは無事)。
そりゃそうだよね。
だって全身全霊の力をこめて、ぼくの肩肉に指をくいこませてるんだもの(たぶんもう肩が紫色になってる)。
そんなに肩に力かけてたら、ハンドバッグ持ってる方の手に力なんか入るわけない。
だからね。見かねて云ってやったわけ。
「荷物持ちましょうか」って。
もう女子高校生もいないのによ。
純粋な親切心で。
そしたらその女、ちょっとためらって断るんだよ。
あ……いや……いいです……。
なんつって。
まあわからんでもないよ。
貴重品とか入ってるだろうし、初対面の男に荷物預けるのは不安って気持ちは。
でもさ。
こっちは倒れてるところを助けてやった(っていっても肩の肉を紫色になるまでつかませてやっただけだけど)恩人なわけよ。
そんな人間が盗みをはたらく悪人だと思うのか! 失礼な!
もし盗むんなら倒れた直後にハンドバッグひったくって、すぐに走って逃げて、角を曲がったところの自販機の下あたりにハンドバッグ押し込んで万が一捕まっても証拠が残らないようにしてその場を離れてから、ほとぼりが冷めた頃を見計らって金品だけ回収に来るわい!(まあなんて計画的な悪人)
と思ってたら、それが顔に出ていたのか、女の人もせっかくの申し出を無駄にしちゃ悪いと思ったらしく、
「じゃあ……これ、持ってもらってもいいですか……」
とキャベツを差し出してきた。
というわけで、ふらふらの女に左肩をわしづかみされながら、右手でキャベツを裸のまま抱えて、近所に住んでいるという女の家まで歩くことになった。
道中はほとんど会話なし。
訊きたいことはキャベツの繊維の数ほどあった。
なんでキャベツ1個だけ買ってんの?とか
なんでそんなに痩せてんの?とか
なんでよく倒れんの?とか
なんで救急車呼ばないの?とか。
でもどの質問しても返ってくる答えは「お金がないから」だろうなってことがその頃にはもう薄々わかってきてたから、結局何も云わなかった。明らかにお金なさそうな風貌だったし。
うかつにお金の話題になって、見ず知らずの女から「お金貸してもらえませんか」って云われたら困る。
そりゃあ、こっちも貧乏学生だとはいえ、そして性根が腐っているとはいえ、人の命に替えられるならいくらかはカンパしてあげたいとは思う。
だけどこの女、さっき立ち上がるために必要な分以上の力をぼくの肩にかけたことから察するに、生きていくために必要な分以上を要求してくる可能性がある。ガーデニングしたいんで肥料買うお金貸してもらえませんか的な。
そんなわけでお金の話にならないように警戒しながら送ってやったのだが、その人の家に着く前に「あ……ここらへんでいいです……。あと少しで家なんで……。ありがとうございました……」って云われて、ああ見ず知らずの男に自宅を知られないように警戒されてるんだなあと思ってちょっと悲しくなった。
一応人助けしたのに、よほど心の汚さがにじみ出ていたみたいで、ハンドバッグは預けないわ、自宅は知られないようにするわで、とうとう最後まで警戒されたままだった。
ぼくはただ純粋に、女子高校生の前でいいかっこしたかっただけなのに。
でもぼくも借金を申し込まれないかとずっと警戒していたわけで、そのへんはお互い様だ。
というわけで人助けなんていうと聞こえはいいけど、実際は助けたり助けられたりしながらもけっこう腹のさぐりあいをしているものよね。
2016年5月10日火曜日
【エッセイ】あいさつがとくい
その中の『ともだち8人』には、ヤアヤというキャラが登場する。
「あいさつがとくい」なんだって。
あいさつに得意も苦手もあるかいっ!!
と思ったあなたは、あいさつがとくいな人。
ヤアヤ系のタイプ。
あいさつに苦労をしたことのない、いわば社交界のぼっちゃん。
軽々に「あいさつができないなら世間話をすればいいじゃない」とか言って、非・社交的な民衆から反感を買ってギロチンにかけられればいいのに。
あたしはあいさつがへただ。
あたしが「あいさつがとくい」というアビリティを獲得するためには、相当なことをするしかないんじゃないだろうか。
たとえば悪魔に魂を売り渡すとか。
まずあいさつのタイミングがわからない。
いつおはようと言ったらいいのか。
「そんなのかんたんじゃないか。
朝、最初に顔をあわせたときだよ」
そんなことはあたしにもわかってる。
でもよ。
まず顔をあわせられないわけ。
人の目を見ないから。
さあどうする。
そちならどうする、一休。
あとさ。
こんなケース。
あっ、知り合いのAさんだ。
でもAさん、Bくんとしゃべってる。
あたし、Bくんと話したことないんだよね。
じゃましちゃ悪いし、素通りしよう。
こんなとき。
そのあと、Aさんに対してどうやってあいさつしたらいい?
さっきお互いに気づいてたのに、今さら「おはよう」ってのもねえ……。
こんなとき、「あいさつがとくい」なヤアヤならどうするわけ?
『おかあさんといっしょ』ではこんなときの対応も教えてくれるわけ!?
2016年5月9日月曜日
【エッセイ】寿司おしえます
ぼくの夢は「寿司をおしえる」ことだ。
それも、とびきりえらそうに。寿司屋でひとり、寿司を食うぼく。
たまたま隣に、外国人客が座る。若いカップル。大きな荷物を持っているから旅行客なのだろう。
お品書きを見ながら、ひそひそと小声で話しあうカップル。
どうやら寿司屋に入ったものの、どうやって頼んだらいいかわからなくて困っているらしい。
お品書きは日本語のみ。
おまけに「えんがわ」「ねぎとろ」「あなきゅう」など、辞書にも載っていないような名前が並んでいる。
困惑しないわけがない。
「どうしよう。ぜんぜんわかんない」
「上から順に頼んでみようか」
「でも。クレイジーなメニューだったらどうしよう。ピカチュウの頭部とか」
「おーまいがー」
みたいな会話をしているにちがいない。
絶体絶命の大ピンチ。
そこへ優しく声をかける、ジャパニーズ・クールガイ(ぼくのこと)。
「へいどうしたんだい、そこのトラベラーズ?」
「まあ。地獄でブッダとはこのことだわ。たすけて、オーダーの方法がわからなくて途方にくれてるの」
「なんだ、どんなダイハードな事態かと思ったらそんなことか。おやすいごようだ。オーケー、ぼくが寿司のオーダーという方程式を鮮やかに解いてみせよう。まずは無難にサーモン、ほんのちょっとだけソイソースをつけて食うべし。それから甘いソースのかかった蒸しアナゴ……」
とえらそうな顔で寿司の食い方とうんちくをレクチャーし、尊敬のまなざしを受けるのがぼくの夢だ。
とはいえ、たいていの夢がそうであるように、ぼくの夢もかんたんには叶えられそうにない。
まずぼくは外国語が話せない。英語ですらニューホライズンレベルだ。
それから寿司通でもないのでうんちくなんかひとつも知らない。
あと出不精だからひとりで寿司屋なんか行かないし、人見知りだから隣の客が困ってても話しかけたりもしない。
なんと道が険しいことか。
というわけで、ひとなつっこくて、ぼくの説明に対してややオーバーめに感心してくれて、日本語が堪能で、でも寿司のことだけは何も知らない外国人がいたら、ぼくのところまで!!
待ってます!
こっちからは声かけないです!
2016年5月7日土曜日
【読書感想文】橘 玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』
いやあ、おもしろい本でした。
とある書評サイトで
「この本には著者独自の見解というものがほとんど含まれていない。いろんな本や論文から得た見識を紹介しているだけだ!」
と批判している人がいた。
そう、そのとおり!
いろんな見識を紹介しているだけ!
でも、それがすごいんだよなあ。かんたんな仕事に見えるかもしれないけど。
膨大な資料にあたり、それをわかりやすくまとめて、興味をひくように提示するてのは、ほんとに頭がいい人にしかできないことですよ。
「政治・経済の池上彰、(経済学も含めた)サイエンスの橘玲」
ですね。
なにより、挑発的なコピーをつけるのがうまいね。
たとえば、この本の見出しだけをいくつか取りあげてみると。
- 馬鹿は遺伝なのか
- 犯罪は遺伝するのか
- 妻殺しやレイプを誘発する残酷な真実
- 脳科学による犯罪者早期発見システム
- 「美貌格差」最大の被害者とは
- メスの狡猾な性戦略
- 避妊法の普及が望まない妊娠を激増させる
- 低学歴の独身女性があぶれる理由
- 子どもはなぜ親のいうことをきかないのか
- 英才教育のムダと「バカでかわいい女」
どうですか。
読みたくなるでしょう。
電車の吊り広告に載っている週刊誌の見出しのよう。
実際、週刊誌と同じで煽りすぎなところもあったり、結論を急いで極論に走ったり、わざと誤解を招くようなことを書いたりしてるけど、娯楽的な読み物としてはこれで十分。
あくまで入門書(または飲み会での話のネタ)と考えて、正確な知識は巻末の参考文献にあたる、というのが正しい接し方ですね。
内容も刺激的。
たとえば……。
つまり、子どもが犯罪者になるかどうかは、どんな家庭で育ったかよりも、どんな親から生まれたかに影響されやすいということ。
たしかにこれはおおっぴらには言えない話だよね……。
犯罪者の親を持つ子どもへの差別につながりかねない(親が犯罪者でも犯罪をしない子のほうが多いのに)。
「親のしつけが悪かったせいだ!」というほうがよほど受け入れやすい。事実とちがったとしても。
備えあれば憂いなし。
「親なんて無力だ」ということを知っておくためにも、子育てをする前にこの本を読んでおいてもいい。
おもしろかったのはこんな話……。
ぼくは女子校がどんなのかは知らないけど、たしかに高校時代は賢い女子も「ちょっとばかな子」を演じてたなあ、と思いあたる。
あれは生きていく上でやむなくとっていた生存戦略なんだなあ。
ちょっと悲哀を感じるね。
他にも、刺激的なトピックが多く紹介されている。
「知性は大部分が遺伝で決まる。家庭での教育はほとんど子どもの知能や性格に影響しない」
「生まれもって犯罪者になりやすい子は存在する」
「端正な顔立ちの人のほうが知能が高い」
「同じ罪を犯しても、顔立ちによって罪状は変わる」
「男女をまったく同じように育てると、かえって男は男らしく、女は女らしくふるまうようになる」
これらは『言ってはいけない』に書かれている内容だけど、学校で教わる「道徳」に反することばかり。
誰でも努力をすれば成功する、出自や見た目で人を判断してはいけません、男女に優劣の差はありません……。
特に学校教育は「人はみな平等である」という幻想にもとづいて制度設計されているので、それがウソだとわかってしまうと、成り立たなくなるんじゃないかな。
みんな薄々ウソだとは気づいているけど、あえて口にしない。
でも、はたしてそれって人を幸福にしているのだろうか。
生まれもって勉強が得意でない子に「がんばればできるよ!」と勉強をさせるのって、車椅子の子に「がんばれば速く走れるようになるよ!」というようなもんじゃないのか。
以前にも書いたけど、ぼくは障害者がそうでない子と同じ学校に通うことに反対だ。
能力の異なる子を同じように扱うことは、決して本人を幸せにしないと思う。ぼくがサルだったら人間と同じ学校に行きたくない。もちろん逆もしかり。
そろそろ「誰でも努力すれば成功する」というエセ平等主義はやめましょうよ。
優しいことを言っているようで、「成功しなかったのは努力しなかったおまえが悪い」と言ってるのと同じだから。
ねえ。
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