2015年8月15日土曜日

妻の熱と夫の行動 その1

妻が39℃の熱を出している。
正直、まあ寝とけば治るだろう、今日は仕事からちょっと早めに帰ってやるかと軽く考えていた。
そのとき。
ふと、母から聞いた話を思い出した。



ぼくがまだ0歳、姉が2歳のときのこと。
母は風邪をひき、高熱でぐったりしていた。
彼女の夫、つまりぼくの父は病気の妻を気づかってこんな言葉をかけた。

「大丈夫か? 今日は何もせんでいいからゆっくり寝ときや」

そう言い残して、父は会社に出かけた。
そして母は2人の幼子とともに家に残された。

「『ゆっくり寝ときや』なんて優しい言葉をかけたつもりか知らんけど、赤ちゃんは泣くし子どもにはご飯作らなあかんしわたしもおなかへるし、何もせんとゆっくり寝とけるわけないやないの!」

と、母は憤慨していた。
そして彼女はこの一件をそうとう根に持っており、30年経った今でも折にふれては
「あのときお父さんは病気のわたしを置いて……」
と立腹するのである。



やべえ。
これはあれだ。
そのとき父に訪れたのと同じ試練が、30年のときを超えて再び息子であるぼくのもとに襲いかかってくるというインディー・ジョーンズ的展開だ。

人生のターニングポイントはいつだって突然訪れる。
ここでぼくが「ゆっくり休めよ」と言い残して会社に行ったならば、今後30年は(もっとかもしれない)妻から手ひどくなじられつづけることになるのだ。

あぶないあぶない。
教えてくれてありがとうおかあさん。
そして身を以て失敗例を示してくれてありがとうおとうさん。
げにありがたきは父母の教えよ。

こうしてぼくは会社に電話して「良好な夫婦関係のために休ませてください」と告げ、見事に通算47度目の夫婦の危機を乗り越えたわけである。


妻の熱と夫の行動 その2


2015年8月13日木曜日

帽子防止法

スーパーで見知らぬおばちゃんから店員とまちがえられた。
それ自体はべつにめずらしい経験でもないんだろうけど、問題はそのときぼくが帽子をかぶっていたということ。

そのおばちゃんは、帽子をかぶったスーパーの店員を見たことがあるのだろうか。
帽子をかぶっていいのは八百屋のおやじと服屋の店員だけだと法律で決まっていることを知らないのだろうか。

歩きスマホの夏

これだけ注意されても、歩きスマホや、傘の先端を後ろに向けて歩く人はいっこうになくならない。

あれは体臭がきつい人と同じで
「本人に自覚はないままに人から嫌われてしまうかわいそうな人」
なんだと思うようにしたら、少しだけ心穏やかに過ごせるようになった。

2015年8月11日火曜日

結婚のノルマ


結婚3周年を迎えた友人に「3周年おめでとう!」と言ったら
「ありがとう!結婚生活3年経過、みごとノルマ達成です!」と返ってきた。
 「ノルマ……?」
「そうそう。3年以内に離婚したときは、結婚式に呼んだ人から請求されたらご祝儀を返却せなあかんやん。その期間クリアしたからもう大丈夫」
 「へー。ああ、そういう裁判例があったの?」
「知らない」
  「知らない?」
「判例があるかどうかは知らん。おれが作ったルールやから」
 「へー……。じゃあ……たぶん……ないね……」


ご祝儀が返ってくるかどうかはさておき、なるほど3年というのはひとつの目安ではある。
3年連れあった夫婦が離婚したと聞いたら
「どっちに問題があったのかはわかんないけど、まあ人間同士だからね。いろいろあるだろうね」
と思う。
だが芸能人なんかが結婚2ヶ月スピード離婚!なんてのを聞くと、
「だったら結婚しなきゃいいのに。両方ともばかなんだなあ」
と思う。
新卒採用だって3年以内離職率を算出するし、石の上にも三年なんてことわざもあるから、3年続ければ一人前という考えが日本にはあるようだ。
結婚生活も3年続ければ、とりあえずノルマ達成。今度は心機一転、リクナビNEXTで新しいステージに挑戦、てなことも許されるのかもしれない。



「とにかくノルマ達成おめでとう。達成したことで特別報奨金みたいなのはもらえた?」

「いや、逆に3年記念のプレゼントを買わされた。
どっちかっていったら、おれが労働者で嫁さんが雇用主なのにさ……」

そう言って友人は寂しげにため息をついた。
社長が社員からボーナスせびるなんて、なんというブラック企業だろう。
安倍政権が推し進めている雇用政策の弊害が、こんなところにまであらわれているのである。
これでは若年者の早期離職率が高くなるのもむべなるかな。
一刻も早い労働環境の改善を求む。ついでに我が社(我が家)も。

2015年8月10日月曜日

とーちゃん、おきてー!

うちの2歳の娘は最近やっと2語の言葉をしゃべるようになって、ぼくが朝寝をしていると
「とーちゃん、おきてー!」
と起こしにきて、いとをかし。

しかししょせんは2歳児。
世の中のことわりというものをまったく理解していない。

もし今、ぼくが死んだとする。
娘は人が死ぬということを理解できないから、ちっとも悲しまないにちがいない。
葬式の間も、ずっと走り回ったり、あちこち触りまわったりしていることだろう。

そしていよいよ出棺のとき。
未亡人となった母親から「お父さんに最期の挨拶をしなさい」と促された娘は、遺体となったぼくの顔をたたきながら

「とーちゃん、おきてー」

と叫ぶだろうと想像したら、うわっこれたまらんな。想像で泣ける。
ぼくが死んでも誰も泣かないだろうけど、この瞬間だけは葬儀場の全員号泣するだろうな。

2歳児、最強。