2015年5月26日火曜日

謀略の救急車が走る

一度だけ、救急車に乗って夜中に病院に行ったことがある。

窓口で料金を払うとき「今、保険の点数計算ができる人がいないので、とりあえず多めに5,000円払っといてください。後日また来てもらえれば多く払いすぎた分を返金します」

で、数日後にお金を返してもらいにいったら
「診察代7,200円ですので、残り2,200円払ってください」
と云われた。


なんというテクニック。
「後日お金を払いに来てください」と言われたら踏み倒す輩がいるから、お金を返しますと云っておびきよせて、むしりとる作戦だ。

ぼくはこの巧みな謀略にまんまと騙され、お金をもらえると思ってのこのこカモがネギをしょって出向いたわけだ。


法律のこととかよく知らないんですけど、これがいわゆる還付金詐欺ってやつですよね?

2015年5月25日月曜日

げに恐ろしきは親の愛情

 ぼくがこの世でもっとも怖いものは『親の愛情』である。

「わが子のためなら死ねる」とまっすぐな眼で語る親がいる(たぶん実際にそういう局面になったら死ねるんだろう)。
 ある種の鳥は外敵に巣を襲われそうになると、自らがおとりとなって外敵をひきつけ、ひな鳥を守る。
 そういう度の過ぎた(としかぼくには思えない)愛情を目の当たりにすると背筋が凍りつく。
「まあなんて深い愛。すてき!」とはどうしても思えない。
「ひいっ」と叫んで逃げ出したくなる。
 ぼくは学研の本をベッドサイドストーリーにして育った科学の子なので、命がけで子を守る行為が『遺伝子を残すために有利な生物学的戦略』だと頭では理解している。それでもやっぱり心の底では得体の知れない恐怖しか感じない。
 ぼくにとって親という種族は、アル・タリマイン星人と同じくらい、何を考えているのかわからない生き物なのだ。


 三十年近く生きてきていちばん怖かったことは何だろうと考えると、ぼくは十年前のできごとを思い出す。
 当時無職だったぼくは、友人たちと飲みに出かけ、夜が明けるまで飲んだ。
 朝7時ごろ。いい具合に酔って実家に帰ったぼくは、そうっと玄関のドアを開け、そして息をのんだ。
 母が玄関先で正座していたのである。

 瞬間、全身の血が凍りつくほどの恐怖がぼくを襲った。
 酔いも一瞬で吹き飛んだ。
 いい歳をして無職の息子が飲みにいっている間、母親が一睡もせずに正座して帰りを待っていたのかと思ったのだ。

 彼女がただ早く目が覚めたから玄関に座って靴を磨いていただけだとわかったとき、ぼくは安堵のあまりへなへなと座り込んでしまった。


 想像してほしい。

 無職の息子が朝まで飲んで酔っぱらって帰ったら、玄関先で母親が正座をして待っている。
 そして慈愛に満ちたほほ笑みをたたえながら一言。
「おかえり」

 世の中にこんな恐ろしいことがほかにあるだろうか?

2015年5月24日日曜日

ぬるぬる短歌

小学校のプールの底はぬるぬるだった。

夜中のうちに用務員さんがたっぷりの山芋をすりおろしてプール底にトロロでも塗っているのかと思うほど、ぬるぬるだった。
ぼくの人生において、あれほどのぬめりけを味わったことは他にない。

特にプールの中央部がぬるぬるしていた。
何かの拍子に底に足をつくと、ぬるぬるに足をとられて水中なのにずっこけそうになった。
どこかにひきずりこまれそうな恐怖感もあったが、日常生活では味わえないそのぬるぬるがぼくは好きだった。


だがあるとき、級友からショッキングな話を聞かされた。
「プールの底のぬるぬる、あれ鼻水が溜まったやつやねんで」

それが事実なのか、ぼくは知らない。
だけど、やっぱりあれは鼻水なのだろうと思う。なぜなら二十年間そう信じてきたから。

風邪気味のときでも、プールで泳いだ後は鼻がすっと通るようになっているのが何よりの証拠だ。風邪気味のときはプールで泳いではいけません。

だが、ひょっとしたら鼻水だけではないのかもしれない。鼻水だけではあれほど大きなぬるぬるのコロニーを築くことはできないように思う。
あのぬるぬるは鼻水だけではなく、よだれとか胃液とか血液とか、その他諸々のあらゆる体液のかたまりなのではないだろうか。

そういえばプールで泳ぐ前、泳いだ後、先生たちは執拗に人数を数えていた。
二人一組でペアを組んで、ペアの相手がちゃんといるかを確認させられたりもした。
裏を返せば、それだけプールで泳いでいるときに行方不明になる児童が多いということではないか。

溺れて沈んだ生徒が、ふやけて薄い肉と、もっと薄い皮だけの存在になる。血や鼻水は水に混じるでも分離するでもなく、水底にべったりとはりついている。
それがプールのぬるぬるになるのだ。
 
「盛る夏 行方不明の級友が
       プールの底に沈んでぬるり」

簡潔にして明快

友人が草野球チームのキャプテンをやっている。
チーム所有の野球用品を彼が自宅に保管していたら、奥さんに怒られたそうだ。

何ヵ月も自宅の一室にバット数本、ボール、グローブとミット、キャッチャーマスクにプロテクターを置いていたら部屋も片付かないし、汗臭くなる。だから我が家を野球用品の保管場所にしないでほしい。

というのが奥さんの主張内容だったのだが、彼女はそれをたった十文字で表現したそうだ。

「うちは部室じゃない!」


 簡潔にして明快。

たったこれだけの言葉で、不満点と怒りが存分に伝わってくる。
ううむ、なんと豊かな表現力なのだろう。

2015年5月22日金曜日

キャラ弁のためのキャラ弁

これはもう完全に偏見なんだけど、
キャラ弁をつくってブログで公開してる母親って、

子どもが「そうゆうんじゃなくてふつうのお弁当がいい」って言いだしたときに

「あなたのためにやってるのに!」
って怒りだしそうだよね。