2019年6月24日月曜日

【読書感想文】時間感覚の不確かさと向き合う / ニコリ『平成クロスワード』

平成クロスワード

ニコリ

内容(e-honより)
平成元年から平成31年まで、それぞれの年にちなんだ言葉を満載したクロスワードパズルを1年につき1問ずつ収録しました。各年の出来事を詳しく解説したページもあります。遊んで、読んで、平成を改めて振り返りましょう。

ぼくはニコリのパズルが大好きだ。
ニコリといっても伝わらないかもしれない。パズルばかりつくっている出版社だ(他の事業もあったらごめんなさい)。

小学生のときに父親がニコリの数独の本を買ってきて、すっかりはまった。
それから「数独」や「ぬりかべ」「スリザーリンク」の本を買いこみ、いろんなパズルが載った雑誌(その名も『ニコリ』)があるのを知ると買い求めた。
『ニコリ』は近所では買えず、わざわざ電車に乗って大きなおもちゃ屋さんに買いにいっていた(当時『ニコリ』はふつうの書店に置いておらずおもちゃ屋で売っていたのだ)。

買いにいくのが面倒になると定期購読をした。
ぼくが買いはじめたころ『ニコリ』は季刊(年4回発行)だったのだが、やがて隔月刊になり、そして月刊ペースになり、そしてまた季刊に戻った。
いろいろ試行錯誤中の雑誌だということが伝わってきて、余計に愛着が湧いた。

ぼくは学生時代数学が得意だったが、それは『ニコリ』で論理的な考え方を身につけたからだと確信している。

受験を機に定期購読はやめてしまったが、その後も目についたときに買っている。
書店で働いていたときには、権力を私物化してニコリを入荷できるよう手回しした。



前置きが長くなったが、そんなパズル界の第一人者であるニコリ社から刊行された『平成クロスワード』。
クロスワードで平成の時代をふりかえるという、重厚なパズル本だ。

これはおもしろそうと早速購入して解いてみたのだが、期待通りのすばらしい本だった。

その年の出来事、流行ったこと、活躍した人などがパズルのカギになっている。


クロスワードも多く解いていると「またこれか」っておもうことが多いんだよね。
たとえば「小粒でもぴりりと辛い香辛料。この香りがする天然記念物もいる」とか。だいたい同じようなヒントになってくるんだよね。

でも平成クロスワードのカギは固有名詞が多い。
「事件の名前」とか「不祥事を起こした議員」とか「流行ったおもちゃ」とかがカギになるのはすごく新鮮。
ふだん使わない筋肉を使っているような心地よさがある。

それに、「あーあれなんだったけー。ここまで出てるのにー」という感覚+「だんだんヒントが増えてくるクロスワード」はすごく相性がいい。

「平成をふりかえる」系の本はたくさん出版されたけど、クロスワードでふりかえるってのはすごくいい試みだね。



クロスワードの後には年ごとに起こった事件や流行ったものなどが丁寧にまとめられていて、パズルとしてはもちろん読み物としてもおもしろかった。

いかに自分の中の時間感覚が不確かなだったかを実感した。
郵便番号が七桁になったのと『タイタニック』のヒットとプリウスの発売って同じ年だったんだ、とか。
ぼくの中ではプリウスっていまだに「新型ハイブリッドカー」の位置づけだったんだけど(車にぜんぜん興味ないので)、こうして見るとずいぶん古いなあ。


あと自分の老化、具体的には知的好奇心の衰えと記憶力の低下。
二十年前のノーベル賞受賞者はおぼえてるのに、ここ数年はぜんぜんわからない……。答えを見てもぜんぜんピンとこなかった……。



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2019年6月21日金曜日

次女がかわいい。


次女がかわいい。

生後八ヶ月。
よく笑う。かわいい。
ハイハイをする。かわいい。
つかまり立ちをする。かわいい。
立ち上がってしりもちをつく。かわいい。
失敗して後ろにひっくりかえる。かわいい。
手づかみで野菜を食べる。かわいい。
ぼくの髪の毛をつかむ。かわいい。
パチパチ手をたたく。かわいい。
腕も脚も太い。かわいい。
寝ている。かわいい。
起きた。かわいい。

何をしていてもかわいい。
長女のときはここまでかわいかっただろうか。いや、ここまでかわいいとはおもっていなかった。


誤解のないようにいっておくと、長女の器量が劣っているわけではない。
親としてはどちらも同じぐらいかわいい。

ただ長女が赤ちゃんのときは、こちらに「ひたすらかわいがる余裕」がなかった。

けがをしないように。
病気にならないように。
正常に発達しているか。
先天的な異常はないか。
他の子と比べてどうか。
この時期に親がやるべきことはなにか。
逆になにをしてはいけないのか。
今のうちに写真を撮っておかなければ。
どうすればかしこい子に育つのか。

いろんなことが心配で、手放しでかわいがるような心持ちではなかった。

二人目ともなるといろんなことがわかってきて、肩の力を抜いて子どもと向きあえるようになった。
ちょっとぐらいこけても平気、子どもなんて病気になるもの、たぶん正常に育ってるのだろう、まあ少々失敗してもなんとかなるさ。

そんな余裕が出てきたおかげで、かわいさをそのまま「かわいい」と受けとれる。
逆にいえば、長女のときにはいろんなかわいさを見過ごしていたんだとおもう。悪いことをした。


超一流の寿司を食っていても、「そろそろ終電が」とか「財布のお金たりてたっけ」とか「こんな食べ方してマナー違反じゃないか」とか心配していたらきっとうまくないだろう。
同じように、心配事が多いとかわいい子どももかわいいとはおもえない。


孫がかわいいのも同じ理屈だろう。
過去に子育てをした経験がある、多くの子どもを見てきた、自分が育てなくてもいい。
心配しなければいけないことが少ない分、かわいさもひとしおなのだとおもう。


次女がかわいいのは「ぼくがかわいがりかたを習得した」というのもある。

かわいがるのは誰でもできることじゃない。じつはけっこう技量がいる。

いきなり赤ちゃんにほおずりして「おーかわいいな~! おまえはなんでそんなにかわいいんだ~! このぷにぷにのほっぺ! このむちむちの腕! かわいすぎて食べちゃいたい! よし食べよう。かぷっ!」というのは、いい大人にとってはなかなかむずかしい。
はじめてだと、羞恥心がじゃまをしてうまくやれない。
周りに誰もいなくても、内なる自分が「おまえなにやってんだ」と冷や水をぶっかけてきたりする。

だが親として何年も生きていると、子どもの前でばかをやることにも慣れてくる。
恥も外聞もなく全力でほおずりして甘い声を出せるようになる(とはいえさすがに外ではやらないが)。
親ばかになるのもこれはこれでなかなか技量が必要なのだ。


ぼくが次女をかわいがるのは「長女に見せるため」でもある。
「赤ちゃんはこうやって愛情を注いでやるものなんだよ」
「おとうさんは子どものことをこんなに好きなんだよ」
と見せつけることによって、
「君も赤ちゃんのときにはこんなにかわいがられてたんだよ」
「君もおとうさんおかあさんに愛されてるんだよ」
と教えてやるのだ。

じっさいは長女のときはここまでやっていなかったんだけど。
でも「君のときも同じぐらいかわいがってた」という嘘の記憶を長女に植えつけるためにやっているのだ!

長女と次女


2019年6月20日木曜日

視覚障害者を道案内

視覚障害者の手を引いて道案内した。

音の鳴らない信号にさしかかったところで
「ふだんはどうやって渡ってるんですか」と訊いたら、
「勘です。音でだいたいわかりますけど最近は静かな車が多くて困ります」
と言っていた。

また、あまりに交通量が多い交差点だと、ひっきりなしに走行音があるのでやはり怖くて渡れないのだという。

うるさすぎてもだめだし、静かすぎてもだめなのだ。

そんなこと考えたこともなかった。


ひとりでも歩けるが、そんなふうに渡れない道を避けて歩くことになるので、ひとりだと時間がかかるそうだ。

「だからこうしていっしょに歩いてくれる人がいると助かります」
とってもらえた。

よかった。
「余計なお世話かな」とおもいながらもおもいきって「案内しましょうか」と声をかけてみてよかった。

ということで、同じように躊躇している人がいたらぜひ声をかけるといいよ。

2019年6月19日水曜日

【読書感想文】げに恐ろしきは親子の縁 / 芦沢 央『悪いものが、来ませんように』

悪いものが、来ませんように

芦沢 央

内容(e-honより)
助産院に勤める紗英は、不妊と夫の浮気に悩んでいた。彼女の唯一の拠り所は、子供の頃から最も近しい存在の奈津子だった。そして育児中の奈津子も、母や夫、社会となじめず、紗英を心の支えにしていた。そんな2人の関係が恐ろしい事件を呼ぶ。紗英の夫が他殺死体として発見されたのだ。「犯人」は逮捕されるが、それをきっかけに2人の運命は大きく変わっていく。最後まで読んだらもう一度読み返したくなる傑作心理サスペンス!

嫌な小説だった。いい意味で。
読んでいる間ずっと嫌な気持ちになる。
なんでこいつはこれをしないんだよ、こいつほんと無神経で嫌なやつだな、こいつの言動いちいち癇に障るな。
登場人物がみんなじわっと嫌なやつ。わかりやすい悪人じゃなくて、無神経だったり小ずるかったり怠慢だったり。身の周りにいそうな嫌なやつ。というか自分の中にもひそむ嫌な部分。

己の嫌な部分をつきつけてくれるような小説がぼくは好きなんだよね。読んでいてむかむかするのが。

こういう些細なエピソードとか。
 きっかけは、互いに結婚してからもふた月に一回程度のペースで会い続けていた短大時代の友人、倫代からの年賀状だったと思う。
 たしかに紗英は、彼女からの年賀状を見るのが憂鬱だった。互いに子どもがおらず、会えば仕事の話と旦那への愚痴で盛り上がれていた倫代が、他のみんなと同じように母親になって関心の先を子どもに変えてしまうのは寂しくもあった。どうせ子どもの写真なのだろうと、紗英はどこか白けた思いで年賀状をめくった。だが、それは紗英のものと同じ干支を使った味気ないものだった。
 なんとなく、嫌な予感がした。口実を作って共通の友達に連絡をとり、どこか祈るような思いでかまをかけた。
 倫代からの年賀状、かわいいね。
 ほんと、ハルキくん、倫代によく似てるよね。
 返ってきた答えに、やっぱり、となぜか勝ち誇るような思いで考えた。やっぱり、そうだった。倫代は、子どもがいる友達には子どもの写真入りの年賀状を、使い分けていた。
 わたしだってそうじゃないか、と紗英は何度も自分に言い聞かせた。わたしだって、結婚していない友達には結婚の話はしにくいと思っている。気遣いというそぶりで、見下している。――こんな話をしたら自慢に聞こえてしまうかもしれない、傷つけたらかわいそう、と。
 だから、倫代のことをひどいと思うことなんかできないのだと、そう考えながら、倫代の年賀状を捨てていた。

子どものいない相手には子どもの写真を載せない年賀状を送る。
気遣いのつもりなんだろうけど、その奥には優越感がにじみでている。それが受け取り手にも伝わる。気づいたからといって「そういう気遣いはやめて」とは言えない。悪意があってやってるわけじゃないし。たぶん。悪意じゃないから余計にもどかしい。


ぼくも三十代半ばになって、いっしょに人生の道を歩いているとおもっていた友人たちがいつのまにか別の道を行っていることに気づくようになった。
高校時代の友人たちとしょっちゅう集まっていたけど、結婚している者と独身とにわかれる。結婚している者同士でも子どもがいる者といない者にわかれる。すると遊びに誘うのにも気を遣う。「あんまり誘ったら奥さんに悪いかな」「子連れで遊びに行くんだけど子どものいないやつはいづらくなるかも」と。
男同士でもそうなのだから、女同士だったらもっと顕著なのだろう。

女にとっての出産・育児は男よりもずっと大きなイベントだ。時間も体力もとられるし、出産・育児によって失うものも大きい。その代わり、得られる喜びもまた大きい(そうおもわないとやってられない)。
出産・育児を経験した女と、そうでない女はべつの生き物になってしまう。
また「望んで産んだ」「産んで後悔した」「産みたいけど産めない」「産みたいとおもわない」などいろんな事情あるので、それぞれがそれぞれに羨望や劣等感や憧れなど複雑な感情を抱くのだろう。男であるぼくが想像するよりずっと。



いわゆるイヤミス(イヤなミステリ)としてもおもしろかったが、純粋に小説としての完成度も高かった。

前半で丁寧に違和感をちりばめ、中盤で種明かしをして伏線を回収。これによって前半で語られた事実ががらりと様相を変えて見えてくる。そして後半でさらに話が二転三転。
母と娘の愛憎、いやまっすぐな愛情(ずいぶん歪んでるけど)を表現してみせる。

この愛情の表現がすごい。
愛情という名のケーキを天ぷらにして味噌とタルタルソースをつけて出してみました、みたいな感じ。幸せの象徴のようなケーキをゲテモノ料理にしてしまう。

この歪んだ愛情に支えられた関係は、母と娘じゃないと成立しない。
父と娘や母と息子なら、ここまでの憎しみと紙一重の愛情は生まれない。父と息子なら早い段階で衝突して壊れてしまう。
憎しみに近い感情を持ちながら離れることができない、ってのはやっぱり母と娘だからこそ保たれる関係なんだろうな。


瀧波ユカリさんの『ありがとうって言えたなら』というコミックエッセイを思いだした。
『ありがとうって言えたなら』には、死を前にしても娘に対して攻撃的にふるまう母親が描かれていた。
献身的に支えようとしているのに攻撃的な言葉を投げつけてくる母に対して、娘である瀧波さんは憤り、悲しみ、呆れ、哀れみ、戸惑う。
あれもやはり母と娘だからこその関係性だったのだろう。

そりのあわない友人なら付き合いを絶てる。夫婦でも別れられる。きょうだいでも大人になってしまえば距離をとれる。でも親子の場合はなかなかそうはいかない。
親子関係は一生ついてまわる。場合によってはどちらかが死んでも。
親子だから離れられない。離れられないから憎しみあう。

げに恐ろしきは親子の縁よのぅ。


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