2018年8月22日水曜日
替えどきがわからない
「爪伸びてるね」と人から言われる。
「髪伸びてきたね」と人から言われる。
言われてようやく気づく。自分ではなかなか気がつかない。
切り替えるタイミングが人より遅いようだ。
ぼくの歯ブラシはだいたいボロボロだ。古いのを捨てて新しいのに替えるタイミングがわからず、ヤスデの脚のように左右に広がりきった歯ブラシを使いつづけてしまう。
パンツを買い替えるタイミングもわからない。靴下のように穴が開いてくれたらそれを機に捨てられるのだけれど、靴下とちがってパンツはめったに破れない。粗相をしてしまうことでもないかぎり、「今こそ買い替えどき!」とならない。
靴も履きつづけてしまう。もう皺が寄って変色して、見た目はずいぶんボロくなっているが、足を守るという機能的には問題ないので捨てられない。
以前は「ものもちがいい」という美徳によるものだと思っていたが、「爪を切るのが遅い」「髪を切るのが遅い」と同じく、切り替えるタイミングがわからないだけなのではないかと気づいた。三十歳を過ぎてから気づくのだから、これに気づくのも遅い。
身のまわりのことに、極力脳のリソースを使わないようにしているせいかもしれない。「そろそろ歯ブラシ買い替えたほうがいいかな?」と考えるのは疲れる。昨日と同じ歯ブラシを使っていれば頭を使わなくて済む。
明日も今日と同じ日でありますように。今日と同じ髪の長さ、爪の長さでいられますように。
2018年8月21日火曜日
親が子に伝えること
子どもに伝えたいことはたくさんある。
でもそれってだいたいかつて自分の親に言われたことだ。
親から口うるさく言われて、でも聞き流して、大人になってから「ちゃんと聞いときゃよかった」と思う。
背筋を伸ばして座りなさいとか、ちゃんと歯みがきしなさいとか、使い終わったら元あったところに片付けなさいとか、他人の失敗は許してやりなさいとか。
言われるたびに「あー、はいはい」と聞き流していた。
娘に「まっすぐ座ってね」「他人ができてないことは言わなくていいから自分のことをやりなさい」と言うたびに、かつて同じことを言われていたことを思いだし、ぼくが伝えていることもどうせ聞き流されるんだろうなと思う。
無駄だろなーと思いながら、でも一応言う。
せめて、娘が自分の子を持ったときにぼくの言葉をちょっとでも思いだしてくれればいいなと思いながら。
2018年8月20日月曜日
わかんないやつほど原因を知りたがる
以前の会社で、Web事業部という部署にいた。
ホームページの運営や広告の運用を担当する部署なのだが、営業職や事務職の人からすると「なにやらパソコンに強い人たち」というぐらいの認識しかなく、かなり専門外の質問をぶつけられた。
Excelの使い方を訊かれたり「Windowsの更新の案内が出てるけどこれって更新してもいいんですかね」と訊かれたり。
OfficeやWindowsの使い方はWebじゃねえよと思うんだけど、違いを説明するのもめんどくさいので、わかる範囲で教えてやった。
だがそういうバカはすぐに調子に乗るので、こっちがわざわざ業務の手を止めて善意で教えてやっているということを忘れて「早く教えてくださいよ」みたいな言い方もされた。
ぼくは優しくないので、せいいっぱい優しい声を作って
「ブラウザ、わかりますか? あなたがインターネットと読んでいるやつです。それでYahoo!でもGoogleでも開いてもらって、検索窓に『エクセル、スペース、平均』と入力してください。そしたらわかります」
なんて教えてやっていた。要するに「ググレカス」を丁寧に言っていただけなんだが。
ひどいやつだと「なんかFAXが送れなくなったんですけど、見てもらえます?」とか言ってきた。さすがにそのときはいつも心の中に押しとどめている「知らねえよ」という言葉が外に漏れた。
なんならWeb事業部がいちばんFAX使わない部署だからね。基本的に紙でやりとりしないんだから。
そのうち水道修理とか頼まれるんじゃないだろうか、と思っていた。「Web事業部なんだから水道のことぐらいわかるでしょ」なんて。
ときどき、社内で使っている顧客管理システムがダウンすることがあった。
そのシステムは外部業者に保守委託していたものだが、営業の連中はそんなことわからないから「顧客管理システムが開けない! Web事業部なにやってんだ!」みたいな怒りの電話をかけてきた。
知らねえよ、と思うのだけれど一応委託会社に「サーバーが落ちているようなので確認と復旧をお願いします」と電話を入れる。
その間にも、全国各地の営業部から電話がかかってくる。
その電話の内容にずいぶん差があった。
まれに営業部にも優秀な人はいて、そういう人は
「顧客管理システムにつながらないようですが、そちらでもですか。では委託会社側の問題ですね。いつぐらいに復旧しそうかわかりますか? そうですか、では他の作業を進めますので復旧したら連絡お願いします」
と、必要最小限のことを伝えてその状況下でできることをおこなっていた。
一方、わからないやつほど原因を知りたがる。
「なんかファイルが開かないんですけど、これってなんでですか? 動かなくなった原因はなんですか? どうやったら直るんですか?」
原因も修復方法もこっちは知ったこっちゃないし、それを今専門家が調べてるんだろうし、仮にわかったとしてそれをおまえに伝えて一ミリでも解決に近づくとは思えない。
わかんないやつほど、原因や対応方法を知りたがった。
行政機関や大学でトラブルや不祥事があると、抗議や質問の電話がひっきりなしにかかってくると聞く。体験したことはないが、迷惑この上ないだろう。
賭けてもいいが、電話をかけてくるやつの中に専門知識を持っている人はひとりもいないだろう。
専門家ほど知っているからだ、専門分野に素人が口を出して良くなることなどひとつもないと。
仮にあったとしても、それは今ではない。
問題がひと段落したときに改善策や防止策を話し合う上では「素人目線の意見」もひとつの参考になるかもしれないが、問題の解決に当たっている最中に素人意見はじゃまになるだけだ。
それに、抗議の電話を聞かなくてはならないのはまず問題の当事者ではなくただの窓口の人だ。何も知らない場合がほとんどだろう。
偉い人がやらかした問題に対して、ど素人が部外者に抗議をする。なんて不毛なんだ。
テレビのニュースでも「なぜこのような不祥事が起きたのか」なんて検証をやっているが、テレビのニュースはそんなことやらなくていい。
起こったことだけを淡々と伝えてくれればいい。原因を追究して再発防止策を講じるのはニュースキャスターの仕事でも視聴者の仕事でもない。
なんとなくわかった気になってすっきりしたいという気持ちもわかるけど、部外者の「原因追及」は問題解決を遠ざけているだけにしか見えない。
2018年8月19日日曜日
意地悪をしない男の子
四歳の娘は保育園でいろんな男の子と仲良くしている。
元気な子、おとなしい子、やかましい子、恥ずかしがりやな子、いろんなタイプがいるけれど、共通しているのは「優しい子」という性質だ。
優しいというより「意地悪をしない子」。
あたりまえなんだけど、意地悪をしてくる子は嫌い。
そのあたりまえのことに気づくのに、ぼくは二十年以上かかった。
子どもの頃、学生の頃。ずっと女の子に意地悪をしていた。好きな子にも、そうでない子にも。
もちろんモテなかった。バレンタインデーに母と姉以外からチョコレートをもらったことがない。
モテるためには「かっこいい」とか「おもしろい」とか「スポーツができる」とかいろんな要素があるけど、「意地悪をしない」はモテる条件というより、最低限クリアしないといけないハードルなのだと今にして気づく。
2018年8月18日土曜日
【映画感想】『インクレディブル・ファミリー』
『インクレディブル・ファミリー』
(『インクレディブル・ファミリー』および『Mr.インクレディブル』のネタバレを含みます)
『インクレディブル・ファミリー』を劇場にて鑑賞。映画館に行くのは数年ぶり。娘が生まれてから遠ざかっていたのだけれど、娘も長めの映画を楽しめるようになってきたので一緒に鑑賞。五歳児も楽しんでいた。
ぼくはピクサーの作品はほとんど観たのだが、その中でも『Mr.インクレディブル』は『トイ・ストーリー』シリーズに次いで好きだ。
なにがいいって、わざとらしく感動を狙いにいってないのがいい。お涙ちょうだいだけが感動じゃないということをピクサーはよくわかっている。
そんな『Mr.インクレディブル』の続編、『インクレディブル・ファミリー』。
たいてい続編って一作目の数年後から物語からはじまるものだが、『インクレディブル・ファミリー』は『Mr.インクレディブル』の一秒後からはじまる。ほんとに続編。連続して見てもほとんど違和感がないだろう。
ただテイストは一作目とはけっこう異なる。エンタテインメントに大きく舵を切ったな、という印象。
『Mr.インクレディブル』は「スーパーヒーローの悲哀」というユニークなテーマを丁寧に描いているしストーリーもよくできているんだけど、ピクサーシリーズの中ではいまひとつ人気がない。かわいいキャラクターも出てこないし、主人公は腹の出た中年男だし(途中で腹をひっこめるけど)、子ども受けする要素が少ない。
子どもにはカーズとかニモのほうがウケがいいんだろうね。
そのへんが課題としてあったのか、『インクレディブル・ファミリー』はアクションシーン多め、暗いシーン少なめ、ギャグ多め、子どもが活躍、赤ちゃんも活躍、派手なキャラクター多め、かっちょいいバイクや車が登場……と、これでもかってぐらい子どもに照準を合わせにいっている。音楽は一作目に続いてかっこいい。
主人公であるボブの心情も描かれているが、『ファミリー』で描かれるそれは「育児が思うようにいかないお父さんの苦悩」と、子どもにも理解しやすい。
『Mr.』で描写されていたような「時代の変化についていけずにかつての栄光を忘れられない中年男の悲哀」のような重苦しく大人の観客の心にのしかかってくるようなものではない。
個人的な好みでいえば『Mr.』のほうが好きなテーマだが、観ていて爽快感があったのは『ファミリー』だった。
『Mr.』では、助けてあげた相手から訴訟を起こされたり、パワーを押さえないといけなかったり、まったく意義の見いだせない仕事で成果を出せなかったり、持って生まれた能力のせいで家族がぎくしゃくしたり、かつて自分を慕ってきた男に苦しめられたりと、なんとも気が滅入る展開が多かった。
その分後半の活劇ではカタルシスが得られるのだが、後半のスッキリ感に比べて前半の鬱屈した展開が長すぎたように思う。
主人公ボブは悪役シンドロームと戦うのだがそれ以上に「世間」と戦っていた。シンドロームには最終的に勝利するのだが、当然ながら世間には勝つことはできない。そのあたりが最後までいまいちスッキリしない理由だったように思う。
『ファミリー』の戦いは誰にも認められない戦いではなく、世の中を味方につける戦いだ。
悪は罪のない人々に危害を及ぼそうとするものであり、主人公一家の戦いは人々や家族を守るための戦いだ。こんなに善なるものがあるだろうか。観客は心から喝采を送ることができる。
続編が作られる作品の場合、一作目は設定を活かしたシンプルなストーリーで二作目はこみいったストーリーという作品が多い。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のように。
ところがインクレディブルシリーズは逆。社会との軋轢や内面の葛藤を描いた一作目から単純明快なアクションドラマに還ることで、一作目の分のモヤモヤまで吹き飛ばすような痛快作品になった。冒頭に「続けて観ても違和感がない」と書いたが、ほんとに『Mr.』と『ファミリー』ふたつでひとつの作品と考えてもいいかもしれない。『Mr.』だけだといまいちスッキリしないんだよね。
『ファミリー』は前作よりもアクションシーン多めの作品だが、ひとりだけアクションシーンが大幅に減っている人物がいる。主人公のMr.インクレディブルだ。
冒頭こそ奮闘するものの結局犯人を取り逃し、その後はほとんどスーパーヒーローとしての活躍の機会は与えられない。
状況打破の機会を与えられてその期待に応えるのは一家のママであるイラスティガールで、敵に囲まれた子どもたちを助けに向かうのは親友フロゾン。Mr.インクレディブルはママを助けに向かうものの何もできぬままあっさり捕まり、子どもたちに助けてもらう始末。最後に敵をぶちのめすのはやはりイラスティガールだ。
パパの役目は「ママが戦う間に家事や育児をする」「ママが戦っている間に市民の安全を守る」というサポート役。
このあたりにも時代性が感じられておもしろい。
Mr.インクレディブルは強いが、他のスーパーヒーローたちとは違いこれといった特殊能力は持っていない。ただ力が強くて打たれ強いという時代遅れのパワー型。
昨今の主人公にはふさわしくない。今どきの少年漫画で「ただ強いだけ」の主人公がどれだけいるだろう。彼らが主人公でいられた時代は『ドラゴンボール』の最終回とともに終わってしまったのだ。
ただ強いだけのヒーローであるがゆえにMr.インクレディブルが作中で世の中から受け入れられず、使いづらいキャラクターとして制作者からも隅に追いやられてしまった。それは「家族の主役でなくなった父親」という姿にぴったり重なる。
男たちは「女は家事、男は外で仕事」といって仕事がたいへんなふりをしてきたけれど、女性が社会進出するにしたがって「効率化すれば仕事はそうたいへんでもない」ということがバレてきた。少なくとも男のほうがうまくできるわけではないということにみんな気づいてしまった。
狩猟生活を送っているうちはでかい顔をできていたのに、社会が機械化されるにしたがって「ただ強いだけの男」は役立たずになった。『ドラゴンボール』の孫悟空が、地球の危機は救うが家庭においては金は稼げないし家事も育児もまるでだめというポンコツっぷりをさらしていたことも象徴的だ。
「勇猛果敢で強いやつ」は平和な世の中には必要ないのだ。
スーパーヒーローとしての華々しい活躍の場が失われただけでなく家庭内での居場所も懸命に模索するMr.インクレディブルの姿は、居場所を失いつつある男性全体を象徴しているようにも見える。
ついでに悪役・スクリーンスレイバーの正体もやはりまた、これまでの男性の社会的ロールを奪うものだ。
時代の変化をなかなか受け入れられないMr.インクレディブルとは対照的に、スーパーヒーロー時代からの旧友であるフロゾンは前作以上の活躍を見せる。彼は「もうヒーローは必要とされていない」という状況をあっさり受け入れているし、その状況の中で自らができることとやってはいけないことを冷静に判断している。
時代の変化と己の立ち位置を把握できる人間はいつだって強い。遺伝生物学の世界では「強い生物とは、力が強い生物でも身体が大きい生物でもなく、変化に適応できたもの」とされているが、スーパーヒーローの条件もまた同じかもしれない。
そんなクールかつクレバーなフロゾンが我が身の危険をかえりみずに友人の子どもたちを助けに行く姿にしびれる。
フロゾン、かっこいいぜ。氷をつくりだす能力、水分がなくなるとエネルギー切れを起こすという制約(前作で見せていた)、冷静さと熱さをあわせもった性格。彼こそが今の時代の主人公向きなんじゃないだろうか。フロゾンを主役に据えたスピンオフ作品も観てみたいなあ。
しかしシニカルな立ち位置といい、恐妻家なところといい、見た目といい、アナゴさんにちょっと似ているよね。
全体的にスカッとする話だったのだが、引っかかったところがひとつだけ。
『Mr.』のラストで街を襲い『ファミリー』の冒頭で銀行強盗に成功して逃げる悪役・アンダーマイナー(モグラみたいなやつ)。
最後にあいつが捕まるんだろうなーと思いながら観ていたら、とうとう最後まで捕まらずじまいだった。ううむ、モヤモヤする。これは伏線の回収忘れなのか、はたまた三作目へとつながる伏線なのか……。
状況打破の機会を与えられてその期待に応えるのは一家のママであるイラスティガールで、敵に囲まれた子どもたちを助けに向かうのは親友フロゾン。Mr.インクレディブルはママを助けに向かうものの何もできぬままあっさり捕まり、子どもたちに助けてもらう始末。最後に敵をぶちのめすのはやはりイラスティガールだ。
パパの役目は「ママが戦う間に家事や育児をする」「ママが戦っている間に市民の安全を守る」というサポート役。
このあたりにも時代性が感じられておもしろい。
Mr.インクレディブルは強いが、他のスーパーヒーローたちとは違いこれといった特殊能力は持っていない。ただ力が強くて打たれ強いという時代遅れのパワー型。
昨今の主人公にはふさわしくない。今どきの少年漫画で「ただ強いだけ」の主人公がどれだけいるだろう。彼らが主人公でいられた時代は『ドラゴンボール』の最終回とともに終わってしまったのだ。
ただ強いだけのヒーローであるがゆえにMr.インクレディブルが作中で世の中から受け入れられず、使いづらいキャラクターとして制作者からも隅に追いやられてしまった。それは「家族の主役でなくなった父親」という姿にぴったり重なる。
男たちは「女は家事、男は外で仕事」といって仕事がたいへんなふりをしてきたけれど、女性が社会進出するにしたがって「効率化すれば仕事はそうたいへんでもない」ということがバレてきた。少なくとも男のほうがうまくできるわけではないということにみんな気づいてしまった。
狩猟生活を送っているうちはでかい顔をできていたのに、社会が機械化されるにしたがって「ただ強いだけの男」は役立たずになった。『ドラゴンボール』の孫悟空が、地球の危機は救うが家庭においては金は稼げないし家事も育児もまるでだめというポンコツっぷりをさらしていたことも象徴的だ。
「勇猛果敢で強いやつ」は平和な世の中には必要ないのだ。
スーパーヒーローとしての華々しい活躍の場が失われただけでなく家庭内での居場所も懸命に模索するMr.インクレディブルの姿は、居場所を失いつつある男性全体を象徴しているようにも見える。
ついでに悪役・スクリーンスレイバーの正体もやはりまた、これまでの男性の社会的ロールを奪うものだ。
時代の変化をなかなか受け入れられないMr.インクレディブルとは対照的に、スーパーヒーロー時代からの旧友であるフロゾンは前作以上の活躍を見せる。彼は「もうヒーローは必要とされていない」という状況をあっさり受け入れているし、その状況の中で自らができることとやってはいけないことを冷静に判断している。
時代の変化と己の立ち位置を把握できる人間はいつだって強い。遺伝生物学の世界では「強い生物とは、力が強い生物でも身体が大きい生物でもなく、変化に適応できたもの」とされているが、スーパーヒーローの条件もまた同じかもしれない。
そんなクールかつクレバーなフロゾンが我が身の危険をかえりみずに友人の子どもたちを助けに行く姿にしびれる。
フロゾン、かっこいいぜ。氷をつくりだす能力、水分がなくなるとエネルギー切れを起こすという制約(前作で見せていた)、冷静さと熱さをあわせもった性格。彼こそが今の時代の主人公向きなんじゃないだろうか。フロゾンを主役に据えたスピンオフ作品も観てみたいなあ。
しかしシニカルな立ち位置といい、恐妻家なところといい、見た目といい、アナゴさんにちょっと似ているよね。
全体的にスカッとする話だったのだが、引っかかったところがひとつだけ。
『Mr.』のラストで街を襲い『ファミリー』の冒頭で銀行強盗に成功して逃げる悪役・アンダーマイナー(モグラみたいなやつ)。
最後にあいつが捕まるんだろうなーと思いながら観ていたら、とうとう最後まで捕まらずじまいだった。ううむ、モヤモヤする。これは伏線の回収忘れなのか、はたまた三作目へとつながる伏線なのか……。
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