2018年7月19日木曜日

【読書感想文】西川 美和『ゆれる』


『ゆれる』

西川 美和

内容(e-honより)
故郷の田舎町を嫌い都会へと飛び出した勝ち気な弟・猛と、実家にとどまり家業を継いだ温厚な兄・稔。対照的な二人の関わりは、猛の幼なじみである智恵子の死をきっかけに大きく揺らぎはじめる。2006年に公開され数々の映画賞を受賞した同名映画を監督自らが初めて小説化。文学の世界でも大きな評価を受けた。

西川美和さんの『永い言い訳』がおもしろかったので、処女小説である『ゆれる』も読んでみた。
映画『ゆれる』を監督自らが小説化。ノベライズは嫌いなのでふだんは読まないけど、監督自らのノベライズなら、ということで手にとった。

田舎で育った兄弟。お互いに敬意を持って接しているように見えるが、幼なじみの死をきっかけに自分でも意識していなかった相手への確執が徐々に表面化してく……。という、なんともイヤな小説。ぼくはイヤな小説が好きなのでこれは褒め言葉ね。

この人の小説は、人が見ないように、考えないようにしていることをわざわざ書くのがうまい。暴きだしてもイヤな気持ちになるだけなのに、それを指摘する。そして案の定イヤな気分になる。

 兄の切り返しに笑い声が上がる。父はばつが悪そうに縮こまってしまった。全てが元通りに収まってゆく中で、愛想良く場をとりなしながら、ぶち撒かれた料理を四つん這いになって片付けてゆく兄のズボンのふくらはぎに、膳の上で倒れたお銚子の口から酒が滴り落ちているのが見えた。
 兄はその冷たさを、その不快さを、感じることがないのだろうか。むしろ、そういった不快さを常に身体に負いながら生きるのが兄の「自然」なのか。なぜ、声を上げて身をよじり、床より先に自分の足を拭かないのか。声を上げず、身をよけもせず、最後は大損を食らうという、母から受け継いだらしいその「こらえ性」みたいなものが、僕には苛立たしい。他人の起こした面倒の煽りを食っても、文句の一つも吐き出すどころか、滑稽に口をすぼめてちゅうちゅうと苦い水をすすっている、そんなみじめったらしい姿を見るたびに、僕の身体には寒気が走った。けれども兄は、そんな自分のあり方には全く無自覚だ。「ズボンがびしょ濡れじゃないか」と他人が指摘して初めて、そうだったかしら、なんてまるで昔の思い出をしのぶようなのんびりした様子で、それに気付いて見せるのにちがいない。でもそのことを指摘してやるのは僕じゃない。僕は目を背けたくなった。不連続に滴るそのしずくが、兄の足をくくりつけている鎖のように見えた。ぽたぽた、ひた、ひた、と少しずつ、そして絶え間なく落ちてしみを広げて、最後は肉を腐らすだろう。

父親と弟の親子喧嘩の後の一幕。如才なく場を取りなしてその場の苦労を一手に引き受けた兄に対するこの視点の、なんと残酷なことか。


ぼくは、もう十年以上も前に死んだ祖母のことを思いだした。

中高生のころ、父の実家に行くのが嫌だった。父の実家は福井県の、最寄り駅から車で四十分という山の中にあった。
田舎の年寄りらしく家のことは何もしないくせに偉そうにふるまう祖父を見るのも嫌だったが、それ以上に嫌だったのは、常に台所の隅に控えて何を言われても嫌な顔ひとつもしようとしない祖母の姿だった。
あんたは奴隷じゃないんだから我慢しなくていいのに。もっと主張すればいいのに。祖母は孫のぼくに対してとても優しく、だからこそ常に耐えているように見えるその姿が正視に耐えなかった。
じっさいには祖母には祖母の喜びがあったのだろうが、ぼくにはわからなかった。孫たちが集まってみんなで食事をしているときも、食卓には加わらず、台所で味噌汁をすすっていた。こんなことをいうのは祖母に悪いかもしれないが、哀れだった。



ぼくは同性のきょうだいがいない。だから兄と弟の関係というものを体験したことがない。
小さい頃はいっしょに遊んでくれる兄や弟がほしかったが、大人になってみると煩わしいことのほうが多いんだろうなという気がする。女きょうだいのほうが気楽だ。

同性のきょうだいはどうしたってライバル関係になってしまうような気がする。
どっちがモテるか、どっちが勉強ができるか、どっちが稼ぐか、どっちが幸せに暮らすか。
ぼくは姉に対して対抗心を燃やすことはまったくといっていいほどないが(小さい頃はあったけどね)、同性だったらはたして同じ気持ちで接することができるかどうか。


ぼくの父には兄がいる。
父とその兄(ぼくの伯父)の関係は、『ゆれる』の猛と稔の関係にちょっと似ている。

さっきも書いたように、父は福井県の超がつくほどの田舎で生まれ育った。幼いころは牛を飼っていて冬は家の中に牛を入れていたというから、昭和三十年代とは思えない暮らしぶりだ。
父は高校生のときに家を出て(なぜなら自宅から通える距離に高校がないから)、大阪の大学に入り、大阪の会社に就職し、ずっと関西に住んでいる。
一方、伯父は福井の高校を出て、福井の企業に就職しながらも農繁期には実家の畑仕事を手伝い、冬は実家の雪下ろしをし、母親を看取り、父親が認知症になってからは介護をし、父親を看取ってからもときどき実家に行っては古い家の手入れをおこなっている。

ぼくから見ると、長男はたいへんだ、と思う。祖父の家はべつに名家だったわけでもないから、家を継いだっていいことなんかぜんぜんない。駅から車で四十分の誰も買わない土地と冬は雪に閉ざされる古い家がもらえるだけだ。長男より次男のほうがずっといい。

それでも伯父はあたりまえのように煩わしいことを一手に引き受けている。理由なんかない。長男だから、ただそれだけ。

父と伯父は仲良くやっているが、「家に残って貧乏くじを引いた兄」「煩わしいことを兄に押しつけた弟」として、内心わだかまりがあるのかもしれないなあ。いや、あるんだろう。たぶん一生腹の中にしまったまま墓まで持っていくんだろうけど。自分自身ですら気づいてないかもしれないけど。

これまでそんなことまともに考えたことなかったけど『ゆれる』をきっかけに父と伯父の確執(あるのかどうかわからないけど)に想像が及んでしまった。

ほんと、西川美和さんの小説は嫌なことを暴きだしてくれるよなあ。


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2018年7月18日水曜日

2018年FIFAワールドカップの感想


2018年FIFAワールドカップの感想。
10試合ぐらいはリアルタイムで観戦、残りはダイジェストで観戦。
気になったチームの感想だけ。日本の試合は観てないのでパス。

■ ロシア

世界ランキング70位と出場国中最下位でありながら、グループリーグでサウジアラビアとエジプトに圧勝し、決勝トーナメントではスペインも破り、クロアチアともPK戦までもつれるという大健闘。
ちょっとしか観てないけど、ふつうに強かったね。うまかったし、走りまくってたし。とても70位のチームとは思えなかった。これがホームの力か。

■ スペイン、ポルトガル

スペインーポルトガルはリアルタイムで観てたけどおもしろかったなあ。3-3というスコアもさることながらプレーが華やかだった。これぞワールドクラス、というゲームだった。
グループリーグ初戦でぶつかった、というのもよかった。初戦だから「勝ち点3がほしい」「負けても次がある」ということで、お互い果敢に攻めていた結果だね。もっと後で対戦していたら3-3にはならなかっただろうね。

■ フランス

予選では大勝こそしていなかったものの堅実な勝ちっぷりで、これはいいとこまでいきそうだなあ、という印象だった。優勝したから言うわけじゃないけど。守りの固いチームじゃないと勝ち続けるのは難しいよね。
アルゼンチン戦のエムバペはうまくて速くてかっこよかった。
ただ、準決勝のベルギー戦の終盤でエムバペが汚い時間稼ぎをしていたのでいっぺんに嫌いになった。ピッチ内ならどれだけ時間稼ぎをしてもいいけど、ボールが外に出てから時間稼ぎをするのはいかん。
ただ、時間稼ぎにキレたベルギー選手にどつかれて、どつかれたエムバペがイエローカードでどついた選手がおとがめなしだったのは笑った。ぼくでもどついてたな。ああいうプレーにはレッドカードを食らわせてほしい。

■ クロアチア

イビチャ・オシム氏のファンなので、旧ユーゴスラビアの躍進はうれしい。
今大会一番好きになったチーム。
モドリッチはかっこよかったなあ。あれだけうまいのに、誰よりも一生懸命走るし、身体を張って守備にも参加するの、めちゃくちゃすごくない? いちばんうまいやつがいちばんがんばってるんだよ。ネイマールは見倣え。
32歳だから次の大会では見られないのかなあ。寂しい。

決勝の後半で1ー4になったとき、クロアチアのマンジュキッチが相手キーパーの前まで詰めていって相手ミスを誘って1点をもぎとったのもほんとにしびれた。めちゃくちゃ疲れている時間帯で、まず逆転不可能な点差がついて、それでもわずかな可能性のために懸命に走る。すげえ。あんなのできないよ。

たぶん個々の実力でいったらクロアチアはベスト8にも入らないぐらいじゃないかな。それでも各選手の献身的なプレーで準優勝に輝いた。いやあ、いいチームだった。

■ アルゼンチン

グループリーグは1勝1敗1分で辛くも突破したものの、決勝トーナメント1回戦でフランスにあっさり敗北。チームは相変わらずのメッシ頼み、テレビ的には相変わらずのマラドーナ頼みで、相手チームにしっかり対策をされたメッシはこれといった活躍はできず。
一人のスーパースターがチームを優勝に導く時代は遠い昔のものになったんだということを、メッシとマラドーナが教えてくれた。

■ ナイジェリア

ナイジェリアはいつ観ても楽しい。サッカーが華やかなのもあるが、何より人が陽気だ。ナイジェリアが得点を決めて踊るところをもっと観たい。ガーナとかカメルーンとか、中央アフリカの人って陽気だから観ていて楽しいよね。ワールドカップを盛りあげるために「中央アフリカ枠」を用意しておいてほしい。

■ セルビア

イビチャ・オシム氏のファンなので、旧ユーゴスラビアの躍進はうれしい。さっきも書いたな。
予選敗退だったけど、地に足のついたサッカーでブラジルとスイスを苦しめた。惜しかったなあ。

■ ブラジル

ネイマールの大げさに転がる演技が話題になっていたけど、ネイマール以外もひどかった。ブラジル人、転がりすぎじゃね?
弱いチームが戦術としてやるならともかく、ブラジルには横綱相撲をとってほしいな。今回はVAR(ビデオ副審)が導入されたことでブラジル選手の三文芝居が次々に明るみにでてしまった大会でもあった。メキシコ戦観てたけど、なんかもう観ているこっちが恥ずかしかった。ベルギーに負けてくれてよかった。

■ メキシコ

前回大会でブラジルとスコアレスドローに持ちこんだ守護神・オチョアが健在。
初戦でドイツを破り、スウェーデンに大敗しながらもドイツが敗れたおかげでまさかの決勝トーナメントに進出するも、ブラジルの技術の前に敗れて7大会連続でベスト16で敗退となかなかドラマチックな展開を見せてくれた。
ずっと「そこそこ強い」のって逆にすごいよね。

■ ドイツ

前回大会優勝、ヨーロッパ予選は全勝という輝かしい実績をひっさげてやってきた圧倒的優勝候補だったが、初戦でメキシコに敗れ、スウェーデンには終了間際のゴールで辛勝するも、韓国にまさかの敗退を喫してあえなくグループリーグ敗退。
いやあ、ドイツが優勝すると思ってたんだけどなあ。ずっとちぐはぐな印象だった。組織力で勝つチームはひとたび歯車が狂うとボロボロになるのだということを教えてくれた。
でも、もしもグループリーグ突破して立て直していたら連覇もあったんじゃないだろうかと思わせてくれるうまさはあった。

■ ベルギー

スター選手がそろっていて、ひとつひとつのプレーが華やか。観ていていちばん楽しいサッカーをしてくれたのがベルギーだった。
特にでかくてうまくて速いルカクがいい。でかくてうまい選手ってなかなかいないよね。決勝トーナメントでもっと活躍してくれると思ってたんだけどなー。

■ イングランド

GKのピックフォードが「映画に出てくるイギリスのいじめっ子の少年」みたいな顔で、見るたびに笑ってしまった。子ども時代、『スタンド・バイ・ミー』か『グーニーズ』か『ハリー・ポッター』に出てなかった?
相手のミスを誘ってセットプレーで点をとり、守り切って勝つというサッカー。今大会の躍進はVAR(ビデオ副審)導入のおかげかもしれない。
観ていて楽しいサッカーじゃないよね。こういうチームもあったほうがいいけど。



ワールドカップは、世界最先端の映像技術が活躍する大会でもある。
2014年にはゴール判定システムで「すげえ!」と思ったけど、今大会はドローンによる空撮技術とかNHKアプリのマルチアングル映像とかに興奮した。次の大会とかは3Dパブリックビューイングとかあるかもなあ。

スタジアム内の広告を観ていたら、蒙牛乳業っていう中国の会社の広告が目についた。ぼくが十五年ぐらい前に中国にいたとき、よく蒙牛のアイスクリームを食べていた。懐かしい。
他にも中国の企業の広告が目について、つくづく中国は経済大国になったんだなあと実感した。今回中国は出場していないのに広告を打つということは、海外向けなんだろうなあ。

ぼくはワールドカップでしかサッカーを観ないにわかファンだけど(しかもダイジェストで観ることが多い)、やっぱりワールドカップって楽しいよね。
サッカー関係者は「ワールドカップで興味を持ったらJリーグも観てよ」なんていうけど、ワールドカップを観た後だとJリーグの試合なんて観てられない。ちんたらやってんじゃねえよ、という気になる。女子サッカーも。日本代表の試合も。だから観ない。

サッカー自体ももちろんおもしろいんだけど、駆け引きの生まれるグループリーグシステムとか、観客席にも国民性が出るとことか、いろんな国の老若男女がばか騒ぎしているとことか、プレー以外のところもお祭り感があってワールドカップは楽しい。

参加国数を倍の64ぐらいに増やしてもっと長くやってほしいぐらい。やっぱりイタリアとかオランダとか見たかった。
と思っていたら、2026年からは48チームになるらしいね(2022年からになる可能性もあるらしい)。楽しみだ。


2018年7月17日火曜日

もうダンス教室やめたい


娘のおともだち(四歳)がダンス教室に通っている。
「ダンス教室楽しい?」と訊くと、「もうダンス教室やめたい……」と云う。

「なんで? この前はダンス好きって言ってたのに」と尋ねると
「踊るのは楽しいけど、新しいダンスをいっぱい覚えないといけないし、せっかく覚えたダンスはやらせてもらえないし、まちがえたら怒られて何回もやりなおさないといけないし、もうイヤ……」
と返され、そのあまりにまっとうな理由に思わず言葉を失った。

四歳児の抱えるつらさがはっきりと実感できた。
それはつらいよね……。
ダンスが好きなのに、好きなダンスを踊れないんだもんね。




子ども向けサッカー教室をやっている知人から聞いた話では、最近のサッカー教室では技術的なことを教えずに「とにかくサッカーをやりましょう」という方針のところが増えているそうだ。
まずはサッカーのおもしろさを教えるのが先、おもしろいと思ったらうまくなるにはどうしたらいいかと自分で考える、そのときに誤った方向に行かないようにうまく手助けしてやるのが指導者の役目だ、という話を聞いた。

それがいちばんいい、と思う。
ぼくは小学校二年生から五年生までサッカーチームに入っていた。自分から「サッカーやりたい!」と行って入部したのだが、リフティングを〇回やれるように何回も練習しなさいだの、三角コーンの隙間を縫ってドリブル練習しなさいだの、シュートをして決まらなかったらグラウンド一周だのと言われているうちにすっかり「サッカーやりたい」という気持ちが消えてしまい、練習に行くのを苦痛に感じることも多くなった。
ぼくはサッカーがやりたかったのに。リフティングも三角コーンドリブルもグラウンド一周もサッカーじゃなかった。

むずかしいことはいいからサッカーのゲームをしましょう、という方針だったらぼくも続けていたかもしれない。



四歳児のダンスなんて、上手に踊れなくたっていいじゃないか、と思う。
ちっちゃい子が音楽にあわせてうごうご動いてるだけでも十分観ていて楽しい(親は)。

子どもがダンスをまちがえてもかわいい。
緊張して動けなくなっていたら応援したくなる。
一生懸命やっていたら感心する。
そしてなにより、楽しそうにやっていたらうれしい。

子どもダンス教室なんて、そんな感じでいいじゃない。

子どもをダンス嫌いにさせないこと、それが子どもダンス教室の最大にして唯一の使命だ。


2018年7月16日月曜日

地頭がいい人


いろんな企業の採用担当の人と話す機会があるのだが、
「地頭(じあたま)がいい人」
というフレーズをよく耳にする。

必ずしも学歴重視ではないが頭の回転がはやい人、みたいな意味で使われる。
「べつに高卒とかでもいいんですが、地頭がいい人に来てほしいです」のように。

ぼくはその言葉を聞くたびに、心の中で首をかしげる。
たしかに学歴は低くても頭の回転のはやい人はいる。
でもそういう人を表現するのは「頭がいい」でいい。わざわざ「」という接頭語をつける必要はない。

「地頭がいい」とは、「今は頭は良くないがすぐに良くなる」という意味なのだ。
だが、そんな人はいない。



「地頭がいい」という言葉を使う人は、
「今は頭が良くないけどなにかの拍子に頭の良さが開花する人」が存在すると思っているのだろう。
漫画の主人公がある日突然自分の眠っていた才能に気づくように、素質を持った者が聖なる弓矢に撃たれたとたんにスタンド使いになるように、「ある日突然頭がよくなる」ことがあると思っているのだろう。

あたりまえだが、そんなことはありえない。
素質だけで頭の良さが決まるのは三歳までだ(もっと早いかもしれない)。
頭の良さは、素質×トレーニングの量で決まる。そして大人になるほど後者の重要性が大きくなる。
二十歳をすぎて頭の良くない人が、急に頭が良くなることはない。トレーニング量が圧倒的に足りないから。
一念発起して必死に勉強したとしても、ずっと勉強してきた人にはまず追いつけない。

たくさんトレーニングをしてきた人ほどトレーニングのやりかたがうまいので、仮に同じ時間トレーニングをしたとしてもその差は開くばかりだ。



「地頭がいい」は、スポーツでいうところの「運動神経がいい」に相当するのかもしれない。

「運動神経がいい」とは、「トレーニングをしたときの上達するスピードが早い」や「十分なトレーニングをしたときに高いレベルに達することができる」である。「トレーニングをしなくてもできる」ことではない。
どんなに運動神経がいい人も、生まれてはじめてバッターボックスに立ったときは空振りする。

「トレーニングしたらプロ野球選手になれる人」と「どれだけトレーニングをしても野球選手になれない人」の違いはある。その差こそ「持って生まれた運動神経」の差だ。
だが「野球をやったことないけど素質だけでプロ野球選手になれる人」は存在しない。

「もし小さい頃から野球やってたらプロになれたであろう人」はいるだろうが、彼が今後野球選手になることはない。

同じく「地頭がいい人(=素質はあったけどトレーニングをしてこなかった人)」も、永遠に「地頭いい人」のままだろう。


2018年7月15日日曜日

椅子取りゲームで泣いた話


四歳の娘が云う。

「あのな、今日保育園でゲームして勝てなくて泣いちゃってん。椅子取りゲームをしてんけどな、ずっと勝っててんけど最後にRくんがズルしてん。ほんまは先に椅子を触ったらあかんけど、先に椅子を持っててん。それで負けたから泣いちゃってん。でも先生はRくんがズルしたこと知ってて、(娘)にがんばったねって言ってくれてん」

これ自体は大した出来事じゃないんだけど、

起こったことを他者にわかるように順を追って説明したり、

伝わりにくい点を補足したり、

自分の感情がどう動いたかを表現したり、

うまく伝えることができるようになったんだなあとしみじみと感心した。