2018年4月25日水曜日

労働時間と給料は反比例する


今までに四つの会社で働いたことがあるが、その中で得られた法則は
「労働時間と給料は反比例する」
だ。
休日が少なく残業時間が多い会社ほど、給料も安い。


以前は逆だと思っていた。
つらい仕事はその分給料もいい、と。
アルバイトは、大変さと給料がだいたい比例する。
時給制だから労働時間が長いほど給料の額が増えるのは当然だし、肉体労働のようにきついバイトは時給も高い。
ところが正社員はその反対だ。

儲かる仕組みが作れない会社は人件費を削って利益を出すしかない。だから長時間労働があたりまえになるし、高い給料も出せない。だから人が辞める。残った人の負担は増える。もともと余裕がないのだから人が辞めたって残った人の給料は上がらない。かくしてさらに長時間労働・低賃金になる。

儲かっている会社は人が足りない。だから金を出して人を集めるし、集まった人に辞められないために金を出す。


ぼくはかつて長時間労働・低賃金のどブラックな環境で働いていたが、二回の転職の結果、今では当時の約半分の労働時間で、給料は倍以上になっている。時間あたりの所得でいうと四倍ということになる。といっても額面はワーキングプアだったのが同世代の平均程度になった、という程度だけど。
ぼく自身が年齢や経験を重ねたということもあるが、それを考えてもはじめの職場にいたら給料が四倍になることはぜったいにありえなかったわけで、抜けだしてよかったと心から思う(というかその会社はもう潰れた)。
生産性の低い会社でがんばっても大したスキルは身につかない。ブラック企業の五年よりホワイト企業の一年のほうがよほど成長できる。


あと労働時間が減るとストレスが減って睡眠時間が増えるから、衝動的な外食とか体調を壊しての医療費とかユンケル代とか無駄な出費も減った。
知識の吸収にあてる時間的余裕もできるし、そうなれば仕事も好転する。
きつい仕事をしててもなーんのいいこともない。唯一あるとすれば、少々きついことがあっても「当時に比べればヨユー」と思えることぐらいだ。


石川啄木に「働けど働けど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」という有名な歌がある。
石川啄木自身はクズ野郎なのでこの歌には共感しないが、一抹の真実も含まれている。ただ、正確に言うならば「働けど働けど」ではなく「働くから働くから」だ。
働きすぎるから楽にならないのだ。


ぼくが若い人に言いたいのは、

給料安い会社でがんばったって、いいことないぞ。

ろくな給料払えない会社が利益を出せるようになることなんかないぞ。

もしも奇跡が起こって利益を出せるようになったとしても、安い給料で雇ってきた会社が利益を従業員に回すようになることなんか百パーセントないぞ!


2018年4月24日火曜日

昨日買った本はもう読んだの?


中学生のときのこと。
近所の本屋で文庫本を買った。商店街の中にある、店主のおっちゃんがひとりで店番をしている小さな本屋だ。

その日のうちに本を読み終わった。
翌日また本屋に行って、同じ作家のべつの本をレジに持っていった。
店主のおっちゃんはぼくの顔を見て言った。
「昨日買った本はもう読んだの? 早いね。この作家の本好きなの?」

「はぁ、まぁ」とあいまいに返事をしながら、内心では「やめてくれ」と思っていた。

この中学生が昨日どんな本を買ったか。店主に記憶されているのがたまらなく恥ずかしかった。
エロ本を買ったわけじゃない。ごくごくふつうの小説だ。決して恥じるような行為ではない。
おっちゃんも褒めるつもりで言ったのだろう。本屋として、中学生が毎日本を買いにきてくれることがうれしかったにちがいない。

だけど本を買う、本を読むというのはぼくにとってすごくプライベートな行為だ。
それを他人には把握されたくなかった。
トイレの前で「一時間前にもトイレに行ったのにまた行くの?」と言われるぐらい恥ずかしかった。
それからしばらく、その本屋からは足が遠のいた。

ぼくがAmazonで本を買うのが好きなのは、便利なだけでなく「店員に覚えられなくて済む」ということもあるんだよね。


2018年4月23日月曜日

【読書感想】瀧波 ユカリ『ありがとうって言えたなら』


『ありがとうって言えたなら』

瀧波 ユカリ

内容(文芸春秋BOOKSより)
決して仲のいい母娘じゃなかった。
だからこそ、今、お母さんに伝えたいことがある――。

余命宣告、実家の処分、お墓や遺影のこと、最後の旅行、そして緩和ケア病棟へ。
「母の死」を真正面から描いた、涙なしでは読めないコミックエッセイ。

『臨死!! 江古田ちゃん』で知られる瀧波ユカリさんのコミックエッセイ。「すい臓がんで余命一年」を宣告された母親の闘病と看取りを描いている。

紹介文にある「涙なしでは読めない」は真っ赤な嘘。でも嘘で良かった。べつにお涙ちょうだいのお話を読みたいわけじゃなかったので。

もうさあ、「人の死? じゃあ"感動"で"号泣必至"で"心あたたまる"だな!」みたいな超頭の悪い条件反射キャッチコピーのつけかたはやめましょうよ。涙を誘うことだけが本の価値だと思ってんじゃねえよバカ。この本まともに読んだのかよ、極力感情を抑えた描き方してんじゃねえかよ、そこが魅力なのに真逆の方向性のコピーつけてんじゃねえよ。

……と編集者への悪態はこれぐらいにしておくけど、漫画は良かった。感動的じゃないところが良かった。自分の親の死を感動のタネにしようとするやつなんて信用ならんからね。



この本でいちばん印象に残ったのは、古い服は捨てていいかと訊かれたお母さんが
「でも捨てろ捨てろと言われると悲しくなるわ。
 あんたにはわからないかもしれないけどね…」
とつぶやくシーン。
この気持ち、なんとなくわかる。
もう着ない服。合理的に考えたら捨てない理由はない。でも、生きているうちに自分のものを整理されるのは悲しい。

この発言をしたときのお母さんは、「あなたはもうすぐ死ぬ人なんだから」とまだまだ生きる人から線を引かれたように感じたんじゃないかな。
ぼくも自分の余命があとわずかになったとしても、身辺整理をしてすっと旅立つ、なんてできないと思う。きっと歯ブラシのストックを買いこんだり、寿命のある間に読みきれないほどの本を買ったりして、せいいっぱい現世を散らかしてから死んでゆくような気がしている。



この漫画で描かれているお母さんは、傍から見ているとあまり「いいお母さん」ではない。
攻撃的だし、過剰に自信家だし、素直じゃないし。個人的には付きあいたくないタイプだ。瀧波ユカリさんもたぶん同じように思ってる。母親だからつきあってるけど、そうじゃなかったら距離を置いている。きっと。
幼少期のことはこの漫画にはほとんど描かれていないけど、それでも母親との接し方にずっと困ってきた様子がひしひしと伝わってくる。
このお母さんはひょっとしたら"毒親"に近いかもしれない。それでも瀧波ユカリさんは付きあっている。母親だから。

特に、瀧波ユカリさんのお姉さんへの接し方はひどい(ちなみにこのお姉さんは江古田ちゃんの"おねいちゃん"そのまんまの姿)。いちばん近くにいるから、というのがあるにしても「世話をしてもらっている相手をそこまで悪く言えるのか……」と、げんなりしてしまう。
お姉さんが看護師で、そういう人の相手に慣れているように見えるのが救いだけれど。



ぼくの祖母のことを書く。
祖父が亡くなり、ひとり暮らしになった祖母はまもなく認知症を発症し、身のまわりのことがまったくできなくなった。
長男が引き取って一緒に暮らすことになったのだが、祖母は娘(ぼくの母)に対して息子夫婦の愚痴ばかりこぼしていた。

介護をしてくれている長男夫婦については愚痴ばかりで、遠く離れて暮らしている娘のことは褒めちぎっていた。「あんたは優しいけど息子はちっとも優しくない、私に意地悪ばかりする」孫のぼくにすら言っていた。
認知症の人に言ってもしょうがないと思ったのでぼくも黙っていたけど、すごく不愉快だった。
家に引き取って世話をしている長男や、血のつながりもないのに介護をしてくれている長男の嫁がいちばんがんばっている。
そんなことは誰が見ても明らかだ。それなのに祖母は被害妄想に襲われて長男夫婦の悪態ばかり。

認知症を患うまでは祖母は誰に対しても優しい人だった。
いつもにこにこしていて、絵に描いたような「いいおばあちゃん」だった。そんな人が長男夫婦の悪口ばかり言うようになったので余計に悲しかった。病気が悪いんだとわかっていても不快感は拭えるものではない。

ドラマや漫画だと「最期は仏のようになって死んでゆく」なんて描写があるが、あんなのは嘘だ。嘘じゃないかもしれないけどレアケースだ。
死にゆく人に他人を気づかう余裕なんてないし、攻撃しやすい人を攻撃する。



『ありがとうって言えたなら』には、死を前にしてなお穏やかにならない、それどころか攻撃性を増している病人の姿が描かれている。
瀧波ユカリさんのお母さんは余命一年だったから周囲は困惑しながらもなんとか耐えられたけど、この状態があと何年も続いていたら、べつの人までダウンしていたかもしれない。仕事しながら、子どもの面倒みながら、感謝してくれるどころか恨みごとしか言わない親の世話をして……なんて不可能だよなあ。ぼくなんか仕事と育児だけでもうまくできてないのに。

医療現場で働いている人にしたらこういうのって日常の光景なんだろうけど、そうじゃない人間にとってはいたたまれない気持ちになる描写だ。
自分の親もこんなふうになるんだろうか。そのときうまく接することができるだろうか。自分も最期は周囲につらく当たって恨まれながら死んでゆくんだろうか。

家族にうっすらと「早く死ねばいいのに」と思われながら死んでいくのってつらいなあ。
今の法律って、自由に生きることはある程度保証してくれてるけど、自由に死ぬ権利はぜんぜん保証されてないよね。高齢先進国として、もっと死にやすい世の中になってほしいな。

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2018年4月22日日曜日

ばかの朝食バイキング


もう三十代半ばになると「焼肉食べ放題」などと聞いても心が動かされないどころか「いいお肉をちょっと食べるほうがいい」と思ってしまうのだが、それでもホテルの「朝食バイキング」だけは心躍る。

ホテルや旅館の夕食は無駄に量が多いのであまり好きじゃないが、ホテルの朝食バイキングは大好きだ。朝食バイキングを食べるためにホテルに泊まるといっても過言ではない。いや少し言いすぎた。

あんなに楽しいイベント、大人になるとそうそうない。
なんたってなんでも取り放題なのだ。

しかも、朝食、というのがいい。
朝ごはんのために各種パンとご飯とベーコンエッグとスクランブルエッグとゆで卵と目玉焼きと納豆と海苔と焼き鮭と味噌汁とカレーとコーンスープとオニオンスープとソーセージとハムとトマトとサラダとチーズとバナナとオレンジとグレープフルーツとヨーグルトとシリアルとミルクとオレンジジュースとコーヒーと紅茶を用意しようと思ったら、三時ぐらいに起きなきゃいけないだろう。それを全部やってくれるのだ。たかだか千円ぐらいで。ホテルによっては無料のところもある。最高。これに心躍らないはずがない。

目を覚まして「そろそろ朝飯でも食いにいくか」と部屋を出た段階では、まだ浮き足立ってない。それどころか少しおっくうだったりする。「めんどくさいけど、朝食付きのコースにしちゃったしな」ぐらいの気持ちだ。

でもずらりと並んでいる料理を見たら、たちまち血圧が上がる。「これ全部食べ放題!?」わかっているのに、いちいち喜ぶ。
もうぜんぶ食べたい。端から端までぜんぶ食べたい。ふだんそんな好きじゃない料理も、今日ばかりは食べたい。ミルクとオレンジジュースとグレープフルーツジュースとコーヒーをぜんぶ飲みたい。

そうはいっても現実的にぜんぶは食べられないので、まずは方向性を決めることになる。
すなわち、和か洋か。
まずご飯を盛るか、パンを手にするかでその後の方向性が決定する。ご飯はコーンスープやオレンジジュースとは合わないし、パンなら納豆や海苔はあきらめることになる。
まあたいていは洋食だ。
なぜなら、
・洋食のメニューのほうが選択肢が多い(和食なら、ほぼ味噌汁・海苔・鮭・納豆あたりに決まってしまう)
・食後のデザート→コーヒーという流れに自然に移行できる
・ご飯は家でもおいしく炊けるが、買ってきたパンは焼きたてパンに遠く及ばない
からだ。

まずはパンをとる。二個とる。スクランブルエッグとサラダをとる。ヨーグルトをとってシリアルをかける。オレンジジュースを入れる。
ふだんならこれで十分だが、そこはバイキングのおそろしさ。ここで引き下がってはもったいない。ソーセージとコーンスープとチーズとジャムとミルクとトマトも皿に盛る。


席について、自分の皿を眺めて思う。とりすぎた。

必ずとりすぎる。ちょっととって足りなかったらまたとりにいけばいいのに、それができない。一巡で済まそうとしてしまう。で、とりすぎる。

多すぎたな、これ全部食べられるかな、と不安になる。
そんな後悔すら楽しい。
後先考えずにとったので、スクランブルエッグと目玉焼きがあったり、ベーコンとソーセージがあったりする。
そんな失敗すら楽しい。
ばかみたいな皿だな、と思う。
己のばかさすら愛おしい。

いろいろとりすぎて、でもバイキングで残したらあかんと思うから無理して食べて、苦しい。
オレンジジュースもミルクもコーヒーも飲んで、おなか痛い。
ばかのバイキングだな、と思う。毎回思う。でも楽しい。毎回楽しい。

2018年4月21日土曜日

子どもをのびのびと遊ばせる先生


小学校四年生のときの担任は、三十代の男の教師。T先生。
ことあるごとに子どもたちを連れてどこかへ出かけたり、雪が積もったら授業をつぶして一日中雪遊びをさせたり(めったに雪が積もらない地域なので)、しょっちゅう冗談を言って生徒を笑わせたり、「子どもをのびのびと遊ばせる」ことに情熱を注いでいる人だった。

いい先生じゃないか、と思うかもしれないがぼくはT先生が苦手だった。
当時はうまく言葉にできずに「なんか好きじゃない」ぐらいにしか思えなかったけど、今ならなんとなくその理由がわかる。

T先生は「理想の子ども像」を強く持っていた。
彼は、勉強が嫌いで、野山で走りまわって遊ぶことが好きで、元気で明るく冗談に大笑いする子どもたちが大好きだったんだと思う。いわゆる「子どもらしい」子どもが好きだった。そして、そうでない子どもたちは好きではなかった。

ぼくは野山で走りまわることは好きだったが、勉強や本を読むことも好きだったし、明るくもなかったし、ひねくれたところがあったのでみんなが笑う冗談を「くだらない」とばかにするようなところもあった。
T先生はぼくのことを好きではなかったと思う。表立って態度に出すことはなかったが、自分が好かれていないことぐらい四年生になれば理解できる。

T先生の授業の進め方も「勉強ができない子向け」だった。問題を出して、答えられないであろうを指名し、間違った答えを引きだす。そこから「なぜ間違えたのか」「どういうところに気を付ければ間違えないか」といった指導をしていた。勉強のできない子にとってはありがたいやりかたかもしれないが、勉強の得意な子からするとつまらない授業だった。ぼくは後者だった。
ぼくが指名されることもあったが「誰にでもわかるかんたんな問題」を問われるのが不満だった。ぼくは「じっくり考えないとわからない難しい問題」を出してほしいのに。そして優越感に浸りたいのに。
つまらないので国語の教科書を先に読み進めたりしていると厳しく怒られた。「クラスがひとまとまりになって和気あいあいと授業をする」という形から外れるのを、T先生は何より嫌った。

休み時間に本を読んでいるとT先生は「天気がいいから外に遊びにいっておいで」と言う。
ノートを切ってつくったお手製のすごろくで遊んでいると「すみっこでこそこそそんな遊びをしてないでドッジボールでもしてこい」と怒られた。


T先生は塾を目の敵にしていた。
ことあるごとに「塾なんか行かなくても学校の勉強だけで十分」と口にしていた。
今はどうだか知らないけど、当時は塾に通うことを嫌う教師は多かった(学校の教師にしたら、自分の存在を否定されるような気持ちになるんだろう)。その中でもT先生は特に塾のメリットを否定していた。

ぼくは塾に通っていなかったが、四年生にもなるとクラスの何人かは塾に通っていた。ぼくの友人は塾に通っていたが、個人面談の場で「塾なんか辞めさせたほうがいいですよ」と言われたらしい。
彼らに対してT先生はことさら冷たく当たっていた。勉強のできない子がかんたんな問題を解けたときは大げさに褒める一方、塾に通う子らが難しい問題を解いても褒めなかった。彼らは居心地が悪かっただろう。


快活で勉強が苦手な子からは、T先生は大人気だった。そしてクラスの空気を支配するのはそういう子どもたちだ。だからT先生のことを悪く言いにくい雰囲気があった。
口うるさくて怒りっぽい先生のことなら「あいつむかつくよな」と言えたのに、「T先生嫌いだな」というと友だちから「なんで? めっちゃ遊ばせてくれるしおもしろいやん」と返ってくるので不満すらこぼしにくかった。

T先生は親からの評判はあまりよくなかったらしい。
まあ、授業時間をつぶして遊ばせてばっかりいたので、教育熱心な親からしたら気に入らない教師だっただろう(ぼくが通っていた小学校にはそういう親が多かった)。

でもT先生からしたら「もっと勉強させてほしいと願う親」の存在は、自分のやりかたを改める理由にはならなかっただろう。いや、それどころか「理解のない親から『子どもらしさ』を守らねば」と、自身の行動を正当化する材料になるだけだっただろう。

でも勉強をさせてほしいのは親だけじゃない。勉強したい子どももいる。
勉強が好きな子どももいるということは、T先生にとってまったく想像の外、想像すらしたくないことだったのだろうな。