2018年4月20日金曜日
味噌のポテンシャル
今さらながら味噌にはまっている。
第一次味噌ブームが起こったのは奈良時代のことだから、1300年ほど遅れてブームに乗っかっていることになる。
きっかけは料理研究家の土井善晴さんのエッセイだった(→ 感想)。
土井さんが「おかずが足りないときは味噌をそのまま食べればいい」と書いていたのでやってみたら、思いのほかうまかった。
"味噌汁"や"味噌煮"でその能力の高さは知っていたつもりになっていたが、味噌の実力はまだまだそんなもんじゃなかった。なんたるポテンシャル。
ご飯に乗せて食べてもうまい。
味噌茶漬けにしてもうまい。
味噌おにぎり、最高。海苔と味噌の相性ばつぐん。
味噌のおにぎりって梅ぼしや鮭や昆布と並ぶぐらいの定番商品になってもいいと思うのに、コンビニで「みそ」のおにぎりを見たことがない。「豚肉の味噌炒め」とか「味噌焼きおにぎり」とかはあるけど、味噌だけで主役を張ったおにぎりがない。
もっともっと評価されてもいいと思うよ、味噌おにぎり。
肉にも魚にも野菜にもご飯にも麺にもあう。
味噌は万能。ベビースターラーメンみそ味以外は全部おいしい。
2018年4月19日木曜日
君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう
孝之へ
君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう。
でももし私がまだ存命中にこの手紙を見てしまった場合、速やかにこの手紙を元のトイレットペーパーのストックを置いとく場所にしまってください。そしてしばらく忘れてください。私が死んだらまた思いだしてください。
もし私が危篤状態にあるときにこの手紙を発見した場合は、医師の判断を仰いでください。
意識を取り戻す可能性がぜったいにない、とお医者さんが断言したときだけこの手紙の続きを読んでください。
くれぐれも勝手な判断で「もう意識がないから読んでも大丈夫だろう」だなんて思わないでください。素人判断ほど危険なものはありませんから。
専門家の知識を甘く見てはいけません。だいたい君は六年前もちょっと調子の悪くなったHDDレコーダーを分解して、壊してしまったでしょう。あれだって早めに電器屋さんに持っていけば直ったかもしれないのに。君にはそういうことがあるから気を付けてください。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃない人の場合、ここで読むのをやめて、この手紙を孝之に渡してください。
「これ、トイレットペーパーのストックを置くところにあったよ。大丈夫、まったく読んでないから」
と言って手渡してください。「自分宛ての手紙をほかの人が先に開封した」と知ったらなんとなく嫌な気持ちになっちゃうでしょう。だからまったく読んでないことにして渡してあげてください。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃなくて、かつ私がまだ生きている場合は、この手紙を元の場所に戻してください。私が危篤状態にあるときの手順は先に書いたとおりです。
もしこの手紙を読んでいるのが孝之じゃなくて、かつ孝之のことを知らない人の場合、そして私のこともしらない人の場合、お願いがあります。
お手数ですが居間にあるパソコンを起動してください。パスワードは「password」です。
そのパソコンの「マイコンピュータ > ダウンロード > 仕事用 > 参考資料 > 2015年 > 3月」の中にある「画像」というフォルダを決して開封せずに削除してください。それが済んだら直ちにごみ箱を空にしてください。
理由は聞かないでください。こういうことは知り合いにはかえって頼みにくいので、よろしくお願いいたします。
2018年4月18日水曜日
【読書感想】恒川 光太郎 『夜市』
『夜市』
恒川 光太郎
『夜市』『風の古道』の二篇を収録。
日本ホラー小説大賞受賞(『夜市』)で、レーベルは角川ホラー文庫。でもホラーではない。
二篇ともこの世のものではない存在がはびこる世界を描いているが、怖がらせるために書いているわけではなく、さらりと「こういう世界もあるんですよ」と提示しているだけ、というような筆致。
今市子『百鬼夜行抄』という漫画を思いだした。
あれも妖怪が出てくるが、ただ「いるだけ」だった。いくつかの条件が重なれば人間に害をなすこともあるが、それは彼らが邪悪だからではなく、それなりの理由があってやっていることだった。
人間と虫の付き合い方にも似ているかもしれない。人間には人間の世界があり、虫には虫の世界がある。基本的にはお互いに干渉しないが、人間がハチの巣に近づけばハチは攻撃してくるし、人間の家にゴキブリが侵入すれば人間はゴキブリを殺そうとする。ただしそれぞれの領域を侵さなければ特に何もしない。意識することすらない。
『夜市』や『百鬼夜行抄』で描かれる人間と物の怪たちの関係もそれと似ている。それぞれべつの世界を生きている存在。こちらが何もしなければ敵ではないし味方でもない。ふとした拍子にたまたますれちがうだけの隣人。
特に『夜市』は、短篇でありながら見事な怪異譚だった。
半醒半睡のような雰囲気、徐々に登場人物の過去が明らかになる構成、意外な展開、そして余韻の残るラストと、短い中に小説のおもしろさがぎゅっと詰まっていた。
いきなりこんなわけのわからない世界に入るので、なるほど奇妙な味わいの幻想的な物語ね、と思っていたらストーリーもしっかりと組み立てられていたので思わずうなった。
世界感はすばらしいのに、お話は「少年がある日冒険の旅に出て、個性的な仲間と出会い、いろいろ苦労しながら悪いやつをやっつけてバンザイ」だったり。それだったら『オズの魔法使い』のほうがよっぽどおもしろいわ、と思っちゃうよね(いや『オズの魔法使い』は名作だけどね)。
宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』とかつまらなかったなあ。RPGゲームを文章化しただけみたいだった。「どんな本でも最後までは読んでみる」をモットーにしているぼくが途中で投げだした、数少ない本のひとつだ。いくらジュブナイルとはいえ……(『ブレイブ・ストーリー』の悪口を書きだすと長くなるので省略)。
ゲームのシナリオだったらある程度単純なほうがいいんだろうけど(複雑にしすぎるとゲームそのものの味わいを邪魔する)、小説でそんな単純なストーリーは読みたくない。
ファンタジーで終わらせない仕掛けのある小説が読みたいのだ。
貴志祐介『新世界より』や森見登美彦『四畳半神話体系』は、そのあたりに見事に成功していた。あれはおもしろいファンタジーだったけど、ファンタジーだったからおもしろかったわけではない。ファンタジーで、かつ、おもしろかった。
『夜市』も、まず蠱惑的な世界に目がいくが、物語はその世界観に頼りきりでない。めちゃくちゃな世界のようで、登場人物の行動には整合性がある。伏線の回収もじつにさりげないし、トリックの種明かしを物語のラストに持ってこない構成もいい。主題はそっちじゃないもんね。
すごく疲れているときなんかにやけに明確なストーリーのある夢を見ることがあるが、そんな感じの読書体験だった。まるで白昼夢。
「奇跡的な美しさに満ちた感動のエンディング!」というチープすぎる宣伝コピーをのぞけば、他に類のない、完成された小説だった。
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2018年4月17日火曜日
【読書感想】ジョージ・オーウェル『一九八四年』
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル
言わずと知れたディストピア(暗黒郷)小説の名作。
古典的名作にありがちなことなんだけど、前半は少し退屈。これは『一九八四年』が悪いわけではなく、『一九八四年』を下敷きにした作品が数多く生まれているために、設定自体が目新しいものではなくなっているから。
「はいはい、強大な権力を持った独裁者によって監視カメラが張りめぐらされた世界ね、それはもうわかっているからそこの説明にページを割かなくていいよ」
と思っちゃう。
組織に反抗的な思想を持つ主人公が、体制から自由闊達な美女と出会う。さらには革命組織が彼らに接触してくる。「なるほど、この二人が手を取り合って組織と闘って、最後に希望ある未来が示されるのね」と思っていたら……。
いい意味で裏切られた。いや、いい意味、なのかな? このとことん救いのない展開、ぼくは好きだけど。
清々しいまでに絶望しか残らなかった。ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだときは「これは悲惨な社会だ」と思ったけど、『一九八四年』に比べたら動物農場なんて天国みたいなもんだね。
愛情省に舞台を移した後半以降の息詰まる展開は特に読みごたえがあった。
この短い文章を読むだけでぞくぞくする。「一〇一号室」の恐ろしさたるや。
ただ、終盤で「一〇一号室」で何をするのか判明するのだが、明らかになってしまうと「なーんだ」という感じだった(怖いけど)。何をされるかわからないほうが恐ろしかったな。
愛情省でのウィンストンの思考の変遷は、人間の意志や信念が暴力の前ではいかにもろいかを教えてくれる。平和な世の中ではどれだけかっこいいことを言っていても、いざ痛みを前にしたらかんたんに転んでしまうんだろうね。少なくともぼくはあっさり転ぶ自信がある。
だからこそ権力者は自身の力に対して抑制的でないといけないんだけど、権力者自身が権力を拡大させたいという欲求に逆らうのはほぼ不可能だろう。
そのために憲法があるんだけど、そのことの意味をよくわかっていない権力者も多いよねえ。
『一九八四年』の登場人物はそう多くないが、オリジナルの概念は多い。イングソック、永久戦争、真理省、二重思考、存在するかどうかわからないゴールドスタインなど、どれもよく考えられている。すべてビッグ・ブラザーが人民を統治するための仕組みだ。たしかにこれだけの武器を備えていたら完璧に支配することもできるかもしれない、と思わされる。
特に感心したのがニュースピークという概念。
さらに巻末にわざわざニュースピークの説明文まで設けている。
すごく単純に言ってしまうと、ニュースピークでは単語の数を極力減らして(たとえば「cut」という動詞をなくして「knife」を名詞としても用いる)、不規則動詞やあらゆる例外をなくすことで、文法体系をできるかぎりシンプルにする。そうして人々に複雑、抽象的な思考をできなくするのだ。
監視カメラや盗聴器では行動は制御できても思考まではコントロールできない。だが言語を抑制すればおのずと思考も制限される。語彙の少ない人は思考も狭く浅くなってしまう。
だから、できるかぎり文法をシンプルにするというニュースピークは(人民の反逆を抑えるという観点では)きわめて有用な語法だ。
中学生のとき、「過去形なんて全部 -ed でいいだろ。複数形はすべて -s、比較級・最上級はすべて more ~、most ~ でいいだろ」と思っていたけど、多くの英語学習者を苦しめている不規則活用たちも思考に深みを持たせるためには必要なんだろうなあ。
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2018年4月16日月曜日
【読書感想】本多 孝好『正義のミカタ』
『正義のミカタ』
本多 孝好
いじめられっ子である"ぼく"がある男に助けられ、連れていかれた先は「正義の味方研究部」。そして"ぼく"も正義の味方として活躍することに……。
舞台は大学なのになんと幼稚な展開……。これはハズレを引いたかなと思いながら前半を読み進めていた。
終始青くさいし、ご都合主義だし、正義といいつつ法ではなく暴力で解決しているし、こんなの今どき少年マンガでも支持されないでしょ、と思いながら。
中盤以降は意外なキャラクターが犯罪グループを組織していることがわかったり、正義も一筋縄ではいかないことに主人公が気づいたり、完全無欠に見えた登場人物が屈折を抱えていることがわかったりするんだけど、そもそも「正義の味方研究部」に対してずっと嘘くせえなという思いがぬぐえなかったから後半の落差もあまり効いてこなかった。
「正義」について語るのは難しい。どうしたって偽善っぽさはついてまわる。「悪」は誰にとってもよく似ているのに対し、「正義」は立場ごとに姿を変える。
マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読めばわかるように、ハーバード大学の賢い人たちが話し合っても一律に定義できない。定義できないことこそが正義の本質と言えるかもしれない。
『正義のミカタ』でも、貧困にあえいでいる家庭の子が(それほど被害者を生まない)犯罪に手を染めて金を稼ぐのは悪いことなのか、という問題が提示されている。犯罪は犯罪なんだからダメでしょ、とは思うけど、貧困家庭で生まれた子どもはずっと貧困のままで格差が再生産されつづいてゆくのが正しいのかというと、それもまた首をひねらざるをえない。
『正義のミカタ』は「正義」のあり方をテーマにしているんだけど、最後は「君なりの正義を考えてみましょう」みたいな感じで放りだしてしまったのが残念。正義の形が多様であることなんてわかってるんだよ。これだけ長々と書いて結論それかよ。
さんざん青くさいことを書いておいて、最後は「みなさんで考えてみましょう」みたいな国語の教科書的逃げ方ってのはちょっとずるくないか。どうせなら最後まで青くさくあってほしかった。
登場人物にもっと真正面から正義を語らせてほしかったな。ハーバード大学の講義とちがって間違っててもいいのが小説という表現手段の強みなんだから。
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