2017年3月2日木曜日

【読書感想エッセイ】 ケリー・マクゴニガル 『スタンフォードの自分を変える教室』

内容(「BOOK」データベースより)
60万部のベストセラーがついに文庫化!これまで抽象的な概念として見られていた「意志」の力についての考え方を根本的に変え、実際の「行動」に大きな影響を与えてくれる。目標を持つすべての人に読んでもらいたい一冊。

いかにも自己啓発書って感じのタイトルだけど(このタイトル嫌い!)、
自分の狭い経験談とどこかで聞きかじっただけの表面的な話を寄せ集めたビジネス系自己啓発本とはちがい(自己啓発本が嫌いなのよ)、
心理学者が実験から得た知見を、生活に活かすためにおこなった講義をまとめた本。


ぼくは毎日誘惑に屈している。
部屋を掃除しないといけないと思いながら寝そべって本を読み、
明日こそは早起きしようと思いながら夜ふかしして、
ゲームはもうやめようと思いながらアプリを起動する。
計画通りに行動できることはほとんどない。
先月「運動不足だから毎週プールに通おう」と決意したけど、結局プールに行ったのは1回だけ。

たぶんほとんどの人は、誘惑に屈しながら生きているんだろうね(そうであってほしい)。
これを読んでいる人たちも、禁煙に失敗し、ダイエットに失敗し、ジョギングは長続きせず、どうしても痴漢をやめられないよね。


「明日からは心を入れ替えよう」と思うのに、明日もまた失敗する。それは本能がじゃまをするから。
だったら脳のメカニズムを知って、本能に屈服するのではなく本能を利用して望ましい結果を手に入れようよ、というのが本書の論旨。

 また、科学は重要なことに気づかせてくれます。それは、ストレスは意志力の敵だということです。しかし私たちは何かをやりとげるには、多少のストレスがあっても仕方がないと思いがちで、ストレスをさらに増やすようなまねをします。やるべきことにぎりぎりまで着手しなかったり、自分の怠け癖や自制心の弱さを責めることで自分を奮い立たせようとしたり。
 あるいは、自分ではなく他人のやる気を引き出すためにストレスを利用することもあります。職場で猛烈な仕事ぶりを見せつけたり、家でカミナリを落としたり。
 そういうことは短期的には効果があるように思えるかもしれませんが、長い目で見た場合には、ストレスほどあっというまに意志力を弱らせるものはありません。ストレスに対する生理機能と自己コントロールの生理機能は、一緒には成立しないのです。
(中略)
 ストレス状態になると、人は目先の短期的な目標と結果しか目に入らなくなってしまいますが、自制心が発揮されれば、大局的に物事を考えることができます。ですから、ストレスとうまく付き合う方法を学ぶことは、意志力を向上させるために最も重要なことのひとつなのです。

ストレスがかかると脳の領域からエネルギーを奪い取り、体に向けられるそうだ。
で、意志が弱くなるんだとか。
納得。
酒好きの人ならお酒に走るだろうし、ぼくは甘党なので甘いものを食べたくなる。

「強いストレス下では目先の結果しか考えられなくなる」という習性は、人類が原始生活を送っていたころにはたいへん役に立った。
猛獣に出くわしたら(過度のストレスがかかったら)、何も考えずに全力で逃げたほうがいい。

でも現代社会において、軍人やスポーツ選手でもいないかぎりは、「頭を使わずに全エネルギーを身体に向けて短期的な結果を求める」ことが良い結果を生む状況はほとんどない(スポーツだって長期的に考えれば頭を使ったほうがいいし)。

頭脳労働をする上で「怒る」「怒鳴る」は逆効果にしかならない。
怒られる → ストレスがかかってパフォーマンスが低下する → 成績が悪化するからさらに怒られる → さらにストレスがかかる……という悪循環を生むだけ。
ビジネスの場でも、怒鳴り散らしている上司の部下がすばらしいパフォーマンスを発揮した、なんて話は聞かないよね。
「おれが怒鳴ったおかげであいつは成長した」って思ってる上司はいっぱいいるだろうけどね。



失敗したときに自分を責める人のほうが、同じ失敗をくりかえす傾向が高いんだとか。

一見、「全部私のせいだ。なんであんな失敗をしてしまったんだろう」と考える人のほうが、責任感が強そうだよね。
でもじっさいは逆で、自分を許す人のほうがプロジェクトをやりとげる「責任を果たす人」なんだって。

たしかに。
「まじめな人」って、学校では褒められる存在だけど、社会に出るとえてして「まじめなのにダメな人」になっちゃうよね。
だいたいどの部署にもひとりはいるよね、「まじめなのにダメな人」。
まじめにやっているのになぜか成果が出ない。周りも「あいつはまじめにがんばってるから」ってことで、きつく注意したり軌道修正したりせずにほったらかしにするから、いつまでたっても成長しない。おまけに自分を責める傾向が強いから何度も同じ失敗をくりかえす……。
カメなのにウサギと同じ土俵で戦おうとするタイプ
適当にやること、あまり自分を責めず、適度に外部要因のせいにしてストレスフリーに生きることが、いい結果を生むんだね。



誘惑に屈する原因のひとつとして、”モラル・ライセンシング” という現象が紹介されている。
”モラル・ライセンシング” とは、何かよいことをすると、いい気分になり、悪いことをしたってかまわないと思ってしまうという現象。
「ランチをサラダだけで済ますことができたから、その後に甘いお菓子を食べてしまう」みたいなこと。
いってみれば、免罪符を手に入れた状態だね。

 人はこのモラル・ライセンシングのせいで、悪いことをしてしまうだけではありません。よいことをするように求められたとき、責任逃れをするようになります。たとえば、寄付金の依頼を受けたとき、自分が以前に気前よく寄付したことを思い出した人たちは、そのような過去のよい行ないを思い出さなかった人たちに比べ、寄付した金額が6割も低いという結果が出ています。
 このモラル・ライセンシング効果は、世間一般にモラルが高いと信じられている人たち(牧師、家庭の大切さを説く政治家、腐敗を厳しく追及する司法長官など)がひどい不品行を行ないながらも自分に対してそれを正当化する理由を説明できるかもしれません。

たしかに、道いっぱいに広がって、通行のじゃまになりながら寄付や政治的支援を呼びかけている人っているよね。
いいことをしていると自分で思っている人ほど、周囲に迷惑をかけることに無頓着なんだよね。

テレビ演出家の藤井健太郎さんが、著書『悪意とこだわりの演出術』でこんなことを書いていた。
 逆に、何かを悪く言ったりしているとき、意図的に事実をねじ曲げていることはまずあり得ません。悪く言われた対象者からは、事実だったとしてもクレームを受けることがあるくらいなのに、そこに明らかな嘘があったら告発されるのは当然です。
 そんな、落ちるのがわかっている危ない橋をわざわざ渡るわけがありません。そんな番組があったらどうかしてると思います。どうかしてる説です。
たしかに「やらせ」が問題になるのは、たいていの場合バラエティ番組ではなく報道番組だよね。
「正しいことを伝えている」という意識が、「だからこれぐらいのルール違反は許される」になってしまうんだろうね。
警察が組織ぐるみで身内の犯罪を隠したり、逆にヤクザの偉いさんが公共の場では紳士的だったりするのも、”モラル・ライセンシング” なのかも。
人間、ずっと善人でいることはできないし、逆にずっと悪人でいつづけることも不可能なんだろうね。みんな、ほどほどにバランスを取りながら生きている。


さらに ”モラル・ライセンシング” は、「1食抜いたからお菓子食べちゃおう」みたいな直接関係のあることだけじゃなく、ぜんぜん関係ないことにもはたらいてしまうらしい。

 環境にやさしいクッキーだと思えば、栄養面の問題なんておかまいなし。それで、環境保護の意識の高い人ほどオーガニック・クッキーのカロリーを軽く見て、毎日のように食べてしまったわけです。ちょうどダイエットをしている人たちが健康ハロー効果にだまされて、ハンバーガーにサラダをつければ安心と思っていたように。
 このように、何かをいいと思ってそれにこだわってばかりいると、正しい判断ができなくなり、「いい」ことだと信じて自分を甘やかすせいで、長期的な目標を見失いかねません。

「環境にやさしい」という"いいこと" をしたから、「食事制限を破る」という "悪いこと" をしてもいいと考えてしまう。
論理的にはまったく筋の通らない話なんだけど、でもぼくたちの脳みそはぜんぜん論理的じゃない。


”モラル・ライセンシング” のはたらきを知っていると、欲望を抑えるのにも役立つだろうし、逆に誰かの欲望を刺激することでマーケティングにも使えるよね。
「この商品の売り上げの1%が森を守るために寄付されます」みたいなメッセージも、”モラル・ライセンシング” をはたらかせるのに効果的だ。「森を守るといういいことをしたから、いっぱい食べてもいい/お金を使いすぎてもいい」と思わせる。

ハイブリッド車のプリウスが売れたのも、「環境にいいから車を買ってもいい」と思わせることに成功したからかもしれない。
そういや、おもいっきりエンジンをふかせながらスピード上げて他の車の間を縫って走る迷惑なプリウスを見たことあるけど、あのドライバーも ”モラル・ライセンシング” の考えに支配されれたんじゃないかな。「環境にいい車に乗ってるからエンジンふかせてもいいや」って。



この本で紹介されている、誘惑に負けないようにするテクニック。

 行動経済学者のハワード・ラクリンは、行動を変えることを明日に延ばすのを防ぐためのおもしろい仕掛けを提唱しています。ある行動を変えたい場合、その行動じたいを変えるのではなく、日によってばらつきが出ないように注意するのです。
 ラクリンによれば、タバコを吸うなら「毎日同じ本数」を吸うよう喫煙者に指示すると、タバコの量を減らせとは言われていないにもかかわらず、なぜか喫煙量が減っていくといいます。

「明日からやろう」という言い訳をできなくするわけだね。

ぼくは人生でタバコを吸ったことは一度もないし、競馬もパチンコもやったことがない。
それは「一度手を出して抜けられなくなるんじゃないか」と思っているから。ハマってしまうのが怖いから。
自分の意志の弱さを知っているから、自分のことをまったく信用していないから、誘惑には近づかない。


さっきの ”モラル・ライセンシング” の話と同じで、これは誘惑を退ける方法でもあるし、逆手にとれば誰かを誘惑するのにも使えるね(ぼくはマーケティングの仕事をしているので、ついついそっちで考えてしまう)。

つまり「1回だけ」「今日だけ」といえば誘惑に転びやすくなるってことだもんね。
「本日限り半額! 節約は明日からしましょう」
というメッセージを届けることができれば、財布の紐をゆるませられるはず。



あと、人を興奮させるドーパミンは「快楽」ではなく「期待」「欲望」をもたらすって話もおもしろかった。
ドーパミンが出るのは「快楽を感じたとき」じゃなくて「快楽を感じる予感がしたとき」なんだとか。
パチンコでドーパミンが出るのは「大当たりしそうなとき」であって、じっさいに換金して「報酬を手に入れたとき」ではないってこと。

たしかに、何をするにしても「期待しているとき」がいちばん楽しいよなあ。

ぼくは本が好きなんですけど、本を読んでいるときよりも「本の巻末にある新刊情報」を読んでいるときや、Amazonのレビューを見て「おっ、これはおもしろそうだ」って思うときがいちばん楽しい。

昔のホームページにはたいがい『リンク集』があったけど、あれをクリックする瞬間はわくわくしたもんなあ。
今はリンク集はほとんど見なくなったけど、『関連動画』『こんな記事も読まれています』ってすごくおもしろそうに見えるもんね。

このときもドーパミンが出ているんだろうねえ。



『自分を変える教室』というタイトルだけど、どっちかっていうと「なぜ自分は変われないのか」って感じの内容。


こういう本はすごくおもしろい。
10年くらい前に、池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』という本を読んで、その日から世界の見え方が変わった。

そうか、ぼくはこんなふうに考えていたのか。ぼくはこうやって脳に動かされていたのか。

思考は自由自在にコントロールできると思いこんでいたけど、
物理法則があるからどんなにがんばっても空を飛べないのと同じで、
ぼくの考えもいろんな化学的制約を受けていて、ごくごく狭い範囲でしか動かせないのだと知った。

その頃ぼくは無職で、精神的にもちょっと落ち込んでいたんだけど脳のしくみを知ってからはずいぶん生きやすくなった。

こんな考えを持つのも脳の構造上しょうがないんだ。
こう考えてしまうのはあたりまえのことだったんだ。


おい「自分探し」をしてるやつ、聞いてるか!

「自分」はインドにはないぞ! 本の中にあるぞ!



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2017年3月1日水曜日

R-1ぐらんぷり2017の感想

R-1ぐらんぷり2017の感想書きます。


【1回戦Aブロック】

・レイザーラモンRG 『トランプ大統領』

この人のすごさって、「プロとは思えない潔さ」ですよね。
トランプ就任直後にトランプやったり、五郎丸が流行ってるときに五郎丸やったり。
しかも似てないし、たいしたひねりもない。
プロの芸人がぜったいにやらないことでしょ。素人が(それもおもんないやつが)忘年会でやっちゃうレベルのキャラ。
それをプロがやるってのがすごいよね。
この人しかできない。ここまでいくと逆にカッコイイ。
もうおもしろいとかおもしろくないとかどうでもいい。ていうかおもしろくなかった
でもそれもいいじゃない、って思わされる人間的魅力があるね。相方がイヴァンカ・トランプの恰好で応援に来てたシーンもしみじみとした良さがあったなあ。こちらもやっぱりおもしろくなかったけど。

・横澤夏子 『ママチャリ』

達者だね。達者さがちょっと鼻につく感じだね。
一人芸って、ネタの力と表現力のかけ算だと思うんだけど、ネタが弱いよねえ。
というかこの道って、古くは山田邦子から、青木さやかやら柳原可奈子やらがさんざんやりつくしてしまった道だからねえ。

・三浦マイルド 『両方から聞こえてきそうな言葉』

ネタそのものは良かったんだけど、キャラクターとあってなさすぎてうまく入ってこなかったな。せっかく強いキャラクターがあるのに誰がやっても成立しちゃうネタだったな。
後半の保育園のくだりは広島出身という点をうまく活かしてたけど、そこにいくまでは「悪くはないけど……」っていう感じでした。

・サンシャイン池崎 『となりのトトロ』

たぶんああいう勢いで押しきるネタって、現場にいたら笑っちゃうと思うんだよね。
逆にいうとテレビで観ている人との温度差がいちばんあるのもこういうネタ。
きっと「まったく笑えなかった」という感想があふれかえっていたことでしょう。ぼくもそのひとり。


ぼくは「あえて言うなら三浦マイルドだけど誰でもいいや」って思ってましたが、サンシャイン池崎が最終決戦進出。


【1回戦Bブロック】

・ゆりやんレトリィバァ 『透明感のある女』

わかりやすいフリの後に、強い一言を並べていくネタ。
設定がフリーダムすぎて、客も戸惑っていたように感じた。
たとえば「なんで〇〇は××なん?」っていう言い回しで統一するとか、ヤンキーというテーマでそろえるとか、なにかしらルールがあったほうが見やすかったように思う。
ところでネタとまったく関係ないけど、ゆりやんレトリィバァってすごい吉本新喜劇にいる雰囲気漂わせてるよね。はじめて見たとき「ぜったい新喜劇の役者や」って思った。新喜劇側はぜったいほしいやろ。

・石出奈々子 『ジブリっぽい女の子が大阪に行く』

いきなりネタと関係ないこと書くけど、この人、すごいタイプ。
整っているようでちょっとだけくずれてる顔とか、小柄なとことか肌がきれいなとことか。
「かわいいなあ」と思って観てたのであんまりネタ覚えてないや。
ええっと、大阪に行く話ね。
ほんとジブリの世界の表現すごいね。特にあの力こぶのとことか。でも肝心のネタはおもしろくなかったなあ。大阪ネタが手垢まみれすぎて。
あの世界観で、大阪人全員から憎まれるぐらいどぎつい攻撃したらおもしろいんだろうなあ。

・ルシファー吉岡 『大化の改新』

よくできてるんだけど、設定自体はそこまでぶっとんでるわけじゃないから、あとはどれだけ切れ味の鋭い言葉を並べるかなんだけど、期待を超えてくれなかったなあ。
自身が2016年にやった「キャンタマクラッカー」のネタのほうが、設定、言葉のインパクト、くだらなさ、どれをとっても上だった。
自分に負けちゃだめだね。

・紺野ぶるま 『占い師』

15年くらい前だったらすごくウケてたと思う。
今でもおもしろくないわけじゃないんだけどね。でもすべてが古い。
いろんなネタをパクってんのか? って思っちゃうぐらい、どのボケも既視感があったなあ。
それでもまだ表現力があれば笑えるんでしょうけど。
この人がネタ書いて横澤夏子が演じたらうまくいくんじゃないかな。


Bブロックも消去法で石出奈々子かなあと思っていた。で、石出奈々子が最終決戦進出。

アイデンティティ田島の敗者復活コメントおもしろかったなあ。「ブルマも行ったし」
でも結果発表前に急にアナウンサーがコメント振った時点で「落ちたんだな」ってわかっちゃったから、あれはよくないね。


【1回戦Cブロック】

・ブルゾンちえみ 『キャリアウーマン』

見ててわかるぐらい緊張してたね。本人も「ネタ飛ばした」と言ってたし。
あの顔で余裕たっぷりのいい女を演じるのがおもしろいネタだから、緊張しちゃったら成立しない。
べつの番組で観たことあるけど、いちばん笑ったのは両隣の男のセリフだった。

・マツモトクラブ 『雪の夜の駅のホーム』

笑いの量を求められる場では勝てないだろうねえ。この人のはコントじゃなくてコメディだからねえ。
戦いの場を変えたほうがいいんじゃないかと思う。
ところで「掛川は新幹線止まらない」は、RGのネタを受けてのアドリブだったのかな。アドリブを入れにくい構造のネタなのに、がんばったなあ。

・アキラ100% 『全裸芸』

いやあ、おもしろい。これは惹きつけられちゃうでしょ。
以前に観たことあって、でも去年のR-1ぐらんぷりで決勝に行けなかった時点で「今後はもう無理だろうな」と思っていた。
だって見た目のインパクトが命だし、『丸腰刑事』の完成度は高かったから、「もうこれ以上のネタを作って上がってくることはないな」と思っていた。
で、今年になって決勝進出。「なんでいまさら」と思っていたら、ちゃんとネタのレベルを上げているのでびっくりしてしまった。
生放送だった、というのも有利にはたらきましたね。
板尾審査員がコメントしていたとおり、スリリングなネタで見入ってしまいました。

・おいでやす小田 『言葉を額面通りに受け取る彼女』

これはいいネタだね。いちばん笑ったのはアキラ100%だったけど、ネタの完成度はこれがダントツで1番だった。
「比喩表現を言葉通りに受け取ってしまう」ってボケ自体は古典落語にもあるぐらいだから目新しいものじゃないんだけど、見せ方がうまかったね。
彼女だけでなくウェイターも使ったり、言葉だけじゃなく手の動きもつけたり、妄想の会話を延々くりひろげるくだりがあったり、飽きさせない趣向が十分に凝らされていた。


アキラ100%がおいでやす小田を僅差で抑え、最終決戦進出。
ぼくも「笑ったのはアキラ100%、でも好みはおいでやす小田」と思っていたから、まあ納得。
あとは、アキラ100%にはかわいげがあるけど、おいでやす小田にはかわいげがないってのも、意外と審査に響いたのかも。本人が悪いわけじゃないけどね。


【最終決戦】

・サンシャイン池崎 『でかい剣を持ってるやつあるある』

あれ?
1本目のネタよりはおもしろいと思ったのに、こっちのがほうがウケてない。
ていうか客が疲れてない?
後半急カーブを切って着地する構成とか、叫びすぎて声出なくなってるとことか、おもしろかったのにな。好きじゃないけど。
「らしくない」ネタだったからすんなり受け入れられなかったのかな。
1本目と違う笑いのとりかたをしにきていて、じつはけっこう計算高い人なのかもね、この人。

・石出奈々子 『ジブリの世界のテレビショッピング』

サンシャイン池崎とは逆に、1本目と同じタイプのネタを持ってきて撃沈。
いやあ、びっくりするぐらいスベってたね。
ほんとおもしろくなかったなあ。かわいいだけだったなあ。かわいかったなあ。


・アキラ100% 『全裸芸』

サンシャイン池崎が空回り、石出奈々子がだだスベりで、やる前からほぼ結果が決まってしまったアキラ100%。
ここでのアキラ100%は安心感がありますね(ネタの内容は不安感しかないけど)。だってこの芸がスベることないでしょ。眉をひそめられることはあっても。
で、最後の最後までいろんな角度から全裸芸を見せてくれて楽しませてくれました。
ネタを見るだけで、まじめな人なんだなあってわかりますね。


というわけで、アキラ100%が残る2人に圧倒的な差をつけて、文句なしの優勝!


しかし、「R-1ぐらんんぷり優勝者は売れない」というジンクスがありますけど、このジンクスは少なくともあと1年は続きますね、これ……。



2017年2月27日月曜日

【読書感想エッセイ】 サラ クーパー 『会議でスマートに見せる100の方法』

サラ クーパー 『会議でスマートに見せる100の方法』

内容(「BOOK」データベースより)
会議に悩むビジネスパーソン必携!会議でスマートに見えること。それがトッププレイヤーになる一番の近道だ。でも、会議中は眠くなったり、つぎの休暇やランチのことで頭がいっぱいになったりしてスマートに見せるのが難しくなるときもある。そんなときこそ本書の出番だ。著者がYahoo!とGoogleで働きながら、会議に集中するふりをして書きとめた裏ワザの数々を大公開。これを実践すれば、すぐにデキる人の仲間入り!(会議の暇つぶしにもなるはず。)全世界500万ビューのビジネスあるあるブログが、ついに書籍化。
「世界で最も重要なビジネスウェブサイトだ」と自分で言っちゃうブログを書いているサラ・クーパーさん(ウソかマコトかGoogleとYahoo!で働いていたとか)が提唱する「会議で(表面上だけ)スマートに見せる方法」。

ぼくは会議がだいっきらいで、無駄な会議の多さに辟易して転職したぐらいの人間なので「どうして日本人はこんなに意味のない会議が好きなんだ」と思っていたんだけど、この手のジョークがいろんな国でウケているということは「会議が無意味」なのは万国共通なんだね。
むしろ人と人とのコミュニケーションを重要視する欧米のほうがその傾向が強いのかもしれないね。

労働時間のじつに75%が会議に費やされるそうだ。しかし、それらの会議のうち3分の1以上は次の会議の計画に使われる。そして全体の6分の1がボンヤリしていたせいで、いま言われたことを聞き返すために使われ、さらに6分の3は、本来はメールで済ませるべきだったことに使われる。会議ではだれもがウワの空だ。だから、先を越すためには、だれよりもうまくウワの空になることが必要だ。会議はじつは、リーダーの素質、社交能力、そして分析的でクリエイティブな思考能力をアピールする絶好のチャンスなのだ。
スマートに見えれば見えるほど、たくさんの会議に呼ばれるようになり、スマートに見せる機会が増え、そして瞬く間に、革張りの重役椅子でくるくる回りながら天井を見上げ口笛を吹いているだろう。CEOがいつもやっているみたいに。

これはジョークなんだろうけど、一抹の真実も含まれている。

会議を無意味と思っている人は多いのに、そしてメールやチャットやクラウドなど会議に頼らずとも情報を共有できるテクノロジーがこれだけあるのに、それでも会議はなくならない。
なぜなら、信じられないことだけど、世の中には「会議が大好きなやつ」がいるから。

何かあるたびに「これについては会議を開いて話し合おう」「ちょっとみんなにも話を聞いてみよう」と言いだすやつ。
で、終わったら「これを毎週やろう」というろくでもない提案をするやつ。

そういうやつにかぎって会議の場でなんら生産的な提案をしないんだよね。
要するに自分が何もわからなくて、何もわかってないことすらわかってないから、会議をしたらなんとかなるんじゃねえのって甘っちょろい考えを持っているわけだ。

「なんかおもしろい話して」って言う女が総じてつまんないのと同じく、会議を開きたがるやつが他人にとって有意義な話をしてくれることは決してない。


ぼくが会議を嫌いな288の理由

  1.  3人以上で話すとぜったいに話を聞かない時間がある。その時間は他の仕事をしたほうがいい。この無駄な時間は参加メンバーが増えれば増えるほど等比級数的に増えてゆく。
  2.  頭が悪いやつほど要点をまとめるのもへただから、ぐだぐだと長くしゃべる上に何が言いたいのかわからなくて聞き返される。結果、非生産的な彼らの話が会議の大部分を占めることになる。
  3.  その場の大多数を納得させようとすると、どうしても反論のしようのない(=内容のない)提案が説得力を持つことになる。具体的な「明日から19時には強制的にオフィスの電源を落としましょう」は反対されるけど「効率よく仕事をするよう努力しましょう」に反対する人はいない。結果、内容のない提言ばかりがされることになる。
  4.  そもそも、発案者が資料を作って「〇〇と考えるのですがみなさんのご意見をお聞かせください」ってメールかチャットを送れば済む話が大半。その労力を惜しんで他人の時間を割こうとする(会議をするというのはそういう話)ような人間と、まともなビジネスの話ができるとは思えない。



あんまり書きすぎると誰も読んでくれないのでこのぐらいにしておく(主張と会議は短いほうがいい)けど、ぼくが会議を憎んでいるのには他にも350個の理由がある(さっきより増えてる!)。

まあぼくは会議をサボることのできる立場にいた(というか見放されていた)のでしょっちゅう適当な用事を作ってすっぽかしてたけど。


この本では、役に立つようで立たない、会議での立ち居振る舞いが指南されている。

 『上司でもないのに場の空気を支配する方法』
 『電話越しにスマートに見せる方法』
 『たいしたことを言っていないのに、聴衆を魅了する方法』
 『描くだけでスマートに見える21個の無意味な図形』

もちろんジョークなんだけど、これをナチュラルになっているやつがけっこういるからなあ……。

以下、いくつかを紹介。

No.17 反論しようのないあたりまえのことを言う

あなたのすべての発言に相手を同意させるのは、スマートに見せるのに効果的だ。そのために一番よい方法は、相手が反論できないことを言うことだ。たとえば、次のように言えばいい。
・現実に向き合わなくては
・この件については、うまく対処しなければ
・優先事項に集中しなければ
・正しい選択肢を選ぶべきだ
・事実と意見だけに向き合おう

ぼくが前いた会社でも、毎日朝礼をやっていて、こういう濃度0.01%の話をずっと聞かされていました。
「最大限努力するようにしましょう」「目の前の重要な業務に注力するように」みたいなことを。
おまえは今までそれをやってなかったんかい。


No.38 リソースが限られていることをみんなに思い出させる

リソースが限られていることは、すでにみんな知っている。それなのに、あなたがそれを持ち出すと、なぜか絶対にスマートに見える。

会議でよく話されるテーマが「効率化」だよね。
その会議がいちばん効率化じゃないのに。
ぼくが前いた会社で(わあ愚痴ばっかりだ)、終業時間の2時間後に「残業をなくすにはどうしたらいいか」っていう会議をやっていたときはコントかと思いました。


No.57 「いい質問だ」と言って質問に答えない

質問者をほめると、答えないで済む方法を思いつくまで時間を引き延ばせるだけでなく、寛大なプレゼンターに見せることができる。その質問がどんなに素晴らしいかをたっぷり伝えたら、その後の「そのまま聞いていたらわかります」や「終わりに言います」、「あとで直接答えます」などはだれも聞いてないだろう。

ああこれはいいテクニックだなあ。
プレゼンをしていると、まともに答えるのがアホらしい質問がけっこう飛んでくるんですよね。
でもアホな質問をしているやつほど「おれ今いい質問してます!」って顔してるから、うっせえアホとも言いづらい(どんな顔してても言っちゃダメ!)。
そんなときはこうやってかわすのがいいね。勉強になるなあ。


No.96 次の四半期で一番楽しみなのはなにかと聞かれたら「イノベーション」と答える

一番楽しみなことについての話題が持ち上がったら(絶対に持ち上がる)、イノベーションについて語る。イノベーションに向けた努力や、イノベーションの機会についてなにかコメントする。

目的と手段が入れ替わっている人って多いよね。
ほら、政治の世界にもいっぱいいるじゃないですか。やたら『改革』とか『刷新』とか言うやつ。
それはあくまで手段でしかないのに、改革が目的になってるやつ。
「決められない政治より、決められる政治を」というのはヒットラーの言葉だけど、何かを変えると「やった気」になるんだよね。
シリコンバレーでは「やった気になれる魔法の言葉」が "イノベーション" なんだね。
同様に、「コミュニケーションが大事」ってな言説も、目的と手段をまちがっている例だよね。大学サークルかっ!



会議にうんざりしている人は楽しめる本だとおもう。

でもほんとに読んでほしいのは会議を愛している人だけど!
そしてぼくの願いは、ほんのちょっとでいいから世の中から会議が少なくなること。今ある会議のたった97%をなくすだけでいいから!


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2017年2月26日日曜日

【読書感想エッセイ】 木村 元彦 『オシムの言葉』

内容(「BOOK」データベースより)
「リスクを冒して攻める。その方がいい人生だと思いませんか?」「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」サッカー界のみならず、日本全土に影響を及ぼした言葉の数々。弱小チームを再生し、日本代表を率いた名将が、秀抜な語録と激動の半生から日本人に伝えるメッセージ。文庫化に際し、新たに書き下ろした追章を収録。ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作。
ぼくはサッカーファンではない。
正月のひまなときに、高校サッカーをテレビでやっていたら観る程度。
Jリーグも日本代表戦もまったく観ない。ダイジェストで得点シーンだけを観るのは好き。サッカーファン偏差値は40ぐらいか。

2014年のワールドカップも、毎日のダイジェスト番組を観ていた程度。
が、今でも強く印象に残っているチームがある。
それは優勝したドイツ代表でもなく、いわんや日本代表でもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞いて、正確な場所がわかる日本人がどれほどいるだろうか。
「いっときニュースでよく聞いたような。紛争があったんだっけ」ぐらいの認識だろう。ぼくもそうだった。
「ボスニア・ヘルツェゴビナが初出場? ふーん、小さそうな国だもんね」ぐらいにしか思っていなかった。
でも、たまたまNHKスペシャルで『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』という番組を観て、一気に引き込まれた。
(番組の内容については こちら に詳しい説明があります)


ボスニア・ヘルツェゴビナは、かつてはユーゴスラビアという国の中にあった(ぼくはユーゴスラビアという国がなくなったこともこの番組ではじめて知った)。
ユーゴスラビアは『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と呼ばれ、いくつもの民族がせめぎあって暮らす国だった。
多くの多民族国家がそうであるように、次第に民族間の争いが深まり、1980年代後半からは殺し合いも頻発した。

そんな国家分裂寸前の1990年、サッカーのユーゴスラビア代表を率いて監督としてワールドカップに出場したのがイビチャ・オシム。
オシムは、ユーゴスラビア史上最高と呼ばれたメンバーを率いて予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と勝ち進み、準々決勝で前回大会で優勝している強豪・アルゼンチンと対戦する。
以下は『オシムの言葉』より引用。

 ユーゴはひとり少ないこのフォーメーションで残りの88分を見事に戦い抜く。古都フィレンツェでの死闘は延長でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれた。
 ここで選手たちはオシムに直訴する。
 ディフェンディング・チャンピオンを相手に押しまくった猛者たちは、国際映像でその勇猛果敢な姿を世界に晒しながら、PK戦を眼前に控えると怯えだした。
――監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。
 オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。
「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。ほとんど戦争前のあのような状況においては、誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。あのピクシーも蹴りたくなかったのだ」
 祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。これほど、衆目を集める瞬間があろうか。選手は国内の民族代表としての責務を背負い、スポットにボールをセットしなくてはならない。オシムはその重圧が痛いほど分かった。

PK選で、代表選手がそろって「蹴りたくない」と言う。ふつうならありえない。
そんな異常事態が起こっていたのが当時のユーゴスラビア代表だった。

選手たちも、自分が責められるだけなら蹴れたかもしれない。でも、失敗すれば家族や友人、同胞の命に身の危険が及ぶかもしれない。そんな状況ではほとんどの選手が「蹴らせてください」とは言えなかった。
イビチャ・オシム監督が率いていたのは、こんな異常な状態のチームだった。


互いに殺し合いをしている民族を集めて代表チームをつくる。
その苦労は想像を絶するものだっただろう。

「代表に来る方法もいる場所すらもないだろう。彼らは真剣に心配していた。『(代表に)行けば、(味方から)自分の村に爆弾が落とされる』。そんな状態の時に『来い!』と言えるはずがない。選手たちを道も穏やかに歩けないような状態に追い込むことはできない」
 オシムは苦笑とも嘲笑とも取れる表情を浮かべて声を出す。
「そこまでして、代表のために人を呼べるほど私は教育のある人間ではない」

当然ながらオシム自身も、あちこちから圧力をかけられる。
自分の民族の代表を優遇すれば他の民族から脅され、かといって自分の民族を優遇しなければ裏切り者となじられる。
それでもオシムは、「チームにとって必要であればどんな民族の選手であろうと使う。それが必要であれば敵民族の選手で11人そろえる」と公言し、非常事態の代表チームをまとめあげた。
各方面から妨害が入り、思うようにチーム作りができない。それでもぜったいに勝たなくてはならない。負ければ「あの民族の選手を使うからだ」という声が上がり、紛争の火種になるから。
こんな状況でベストを尽くしていたのだから、つくづくすごい監督だ。それにひきかえ野球日本代表の小久保監督は……。やめとこ。


しかしほどなくしてユーゴスラビアは崩壊。
スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという国家に分裂する(コソボも正式国家ではないけど独立を宣言している)。
その中のひとつ、オシムの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナのワールドカップ初出場をとりあげたのが前述の『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』だった。
(ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナの初戦の相手は、奇しくもユーゴスラビアの最後の対戦相手となったアルゼンチンだった)


ぼくはその番組を観るまで、オシムという人のことをほとんど知らなかった。
日本代表監督をしていたことだけは知っていたが、持っている情報としてはそれだけ。
しかし、番組の中で、決して流暢ではないけれど重みのある言葉でサッカーそして国家のことを語るオシム氏の姿を観て興味を惹かれた。


有名なスポーツ選手で、しゃべるのが上手なひとは多くない。
どうしてもスポーツにばかり打ち込む人生を送ってきたから、その競技のことを詳しくない人にも理論を伝えることは難しい。
ぼくが知っているかぎりでは、それができる人って江川卓さんとか桑田真澄さんとか、ほんとにごく一部だけだ。

でもオシム氏は、サッカーのことを、サッカーを取り巻く環境のことを、雄弁に、そしてわかりやすく語ってくれる。
崩壊していく国家で代表監督をしていた。若いころは数学教師になろうとしていた。そうした経験が、理論的でときに大胆でときにユーモラスな言葉を言わせているのだろう。

「私は別にテレビやファン向けに言葉を発しているわけではない。私から言葉が自然に出てくるだけだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」
――あの会見の言葉も?
 じっとこちらを見つめて口を開いた。ミステリアスな監督が、ようやく漏らした本音だった。「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」

ちょっとした発言が、文字通り命運を分けかねない立場にいたからこその思慮深い言葉。
おっさんになってきて、年々「思いついたことを口にしてしまう」病が進行しているぼくとしては、大いに見習わなくてはいけない。


オシム氏の言葉は、サッカー以外でも使えるような含蓄に富んだ言葉が多い。
特に組織についての言葉は考えさせられる。

「システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウェイラインを越えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これは素晴らしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。
 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これしちゃダメだ、あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを、選手が探していくべきだ」

「日本のサッカーはこれまで、非常に大きなステップを踏んで進化してきました。この十年、高度経済成長期と同じような、まさに『高度サッカー成長』とでもいえるような勢いで進んできたように見えます。
 しかし、その三段跳びのような大股のステップは、本来刻むべきだった細かなステップを踏まなかった、ということを示してもいます。本来、人は走りはじめる時、スタートダッシュの時には小刻みなステップから加速していくものです。この十年ほど、日本のサッカーは、その小刻みなステップを行なわずに進んでしまった、と思うのです。

システムにこだわる人は多い。
ビジネスの場では「〇〇社は成果主義を導入して業績を伸ばした」と言い、教育の場では「フィンランドではこんな教育法を取り入れています」と言う。

でも、どの組織のシステムもある日突然導入されたわけではなく、できた背景がある。
試行錯誤の結果、その組織のいろんな事情を鑑みて、たどりついたものだ。
はじめからめざしてその地点にたどりついたものではなく、いわば妥協の産物として得られたもの。
その奇跡的なバランスの完成品を持ってきて首だけすげかえるようなことをしたって、うまくいかない場合がほとんどだ。

日本は平和憲法を持ち、(形式的には)軍隊を持たずに戦後70年をそれなりに平和にやってきた。
でもそれは日本が島国であり、冷戦下でアメリカが中国やソ連を牽制するうえで重要な地理的位置にあったからであり、たとえばイスラエルみたいな敵国に囲まれた国家がそんな戦略をとってたらとっくに消滅していただろう。
だから他国でもうまくいくとはかぎらない。
トヨタのやりかたはトヨタだからできることであって、社員10人の中小企業に取り入れてもたぶんうまくいかない。

だれよりも深くシステムについて考え、だれよりも多くのシステムをつくってきたオシム氏が語るシステム論だから、共感できることも多い。
かといって、それはやっぱりオシム氏の考えであって、その完成品の考えだけそのまんま自分の状況に持ってきてもうまくはいかないんだろうね……。


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2017年2月25日土曜日

【DVD感想】 バカリズムライブ『類』

バカリズムライブ『類』

内容紹介(Amazonより)
バカリズムの最新オリジナル・コント・ライブ!! 2016年6月23日~26日に草月ホール(東京)で開催されたバカリズムライブ「類」の模様を収録! 主演「升野英知」/作・演出「升野英知」/作詞「升野英知」と、すべて自身で手がけているライブ作品。


・オープニング


このライブについて、ひたすら自画自賛するバカリズム。
ポスターや音楽やライブタイトルを絶賛し、センスがいいだの、知性を感じるだの、あげくにはサブカル心をくすぐるだの、一歩まちがえたら自分のライブを観にきた観客をばかにしているとも取られかねない(じっさいばかにしているのかもしれない)言葉を並べ立てる。
事実、ポスターも音楽もオシャレだし、このオープニングを1本のコントとしてカウントしてもいいぐらい十分におもしろい。 メタ的な笑いをちりばめながらもライブ本編への期待がいやが上にも高まる、小憎らしいオープニング。


・友情の類


自称「リア充」の男が、「非リア充」の友人に対して、リア充を隠していたことを謝罪をするという独白コント。
論旨は何もまちがってなくて男は本心から謝罪をしているわけだから、本来なら笑うようなことはないのに、でもずっとおかしい。
「当人はいたってまじめなのに傍から見ているとおかしい」というコントらしいコント。
ボケらしいボケはオチのみなんだけど、だからこそその破壊力は強烈。
即時性のあるコントだから5年後に観てももうおもしろくないんじゃないかな。


・(幕間映像)教師の類


・手品の類


ハイパー中本というマジシャンによる「言葉だけで表現する手品」。
ぼくも昔、同じようなことをしていたのを思いだした。
学生時代、友人と一緒に「ラジオ番組を作ろう」っていって、音声コントをカセットテープやMDに吹き込んでいた(時代だなあ)。
その中で、「ラジオだから音声しか聞こえないのにマジックショーをやる」という設定のコントをやっていた。
だから発想自体はさほどめずらしいものじゃないんだよね。「ラジオなのに匂いを伝えようとする」「電話なのにおもしろい顔をする」とかって。

でも、「過去の栄光として語る」という切り口を加えることによって、たしかめようのない過去の自慢をするやつへの風刺にもなっているというのがいい。
おっさんの「昔はワルかった」自慢みたいなね。どうせ誇張してるんだろうけど確かめようもないしそもそもおまえに興味ないから確かめようとも思わねえよハイハイすごかったんですね、みたいなやつね。


・(幕間映像)類物語


・上司の類


会社員の男が、「自分がいかに会社を辞めたいか」を表やグラフを駆使してプレゼンする。
「なんとかして自分の気持ちを伝えよう」と思っているという意味ではたしかにパワーポイントは適切なツールだし、こないだ会社を辞めた身としては思いの丈をぜんぶぶちまけてやりたいという気持ちもわかる(ぼくは言わなかったけど)。
「しょうもないことでもパワポでバーンと見せればおもしろい」ってのは、バカリズムやスーパー・ササダンゴ・マシンがよく使う手法だけど、ちょっとずるい笑いの取り方だよなあ。でも笑っちゃうんだよなあ。


・正義の類


罵倒することによって相手に精神的ダメージを与えるヒーロー・ノノシリンダー。
「手下の前で無理していきがってんじゃねえよカス、卓球部の2年か」みたいな言葉を延々並びたてる一人コントなんだけど、ちゃんと半泣きになっている敵が見える。
あのオチも鮮やかだね。いっそはじめからそうしてやれよ、って。


・(幕間映像)ボールは誰の何の類


・背徳の類


いろんなものをずらして楽しむ「ずらし屋」を名乗る男の独白。
途中から恋愛話になってきて、いったいどう着地するのかと思っていたらなるほどこういうことねというオチ。
単独ライブならでは、という感じのゆるめのネタ。
既婚者としてはちょっとドキドキした。


・(幕間映像)類物語


・反逆の類


叛逆精神の表出であるロックにあこがれた男による独白と歌。
一人『マジ歌選手権』というようなネタで、でも狙いがベタベタになっちゃった近年の『マジ歌』よりもずっとおもしろい。
いい歌だし。
『ガラスの翼は壊れたマリオネットのように傷だらけさ』『I think』『JOY』の3曲を披露。『I think』『JOY』は曲の最後でタイトルの意味がわかるという構成で、歌の中でもきっちりオチをつける完成度の高い曲。
今回いちばん笑ったコント。


・(幕間映像)思い出の類


・40LOVE~幸福の類~


40歳独身男が、生身の女性との結婚をあきらめ、精神的な結婚生活を想像する ”マリッジベーション” にふける。
「妄想彼女」という題材は新奇なものではない(『東京大学物語』という妄想の頂を極めてしまった漫画作品があるし)。でも先の展開のばかばかしさはすばらしい。これはライブで観たら、引き込まれる分めちゃくちゃ笑うだろうなあ。
終盤はラーメンズの『映画好きの二人』(公式動画)のような展開。



知性3割、バカ7割ぐらいのちょうどいい配分の作品集、という印象だった。

コントは知的なだけでは笑えない。
知的なだけでは感心はしても笑えないし、バカなだけだと後に何も残らない。
知性とバカの両方があってこそ印象に残る名作コントとなる。

だからいいコント師と呼ばれる人は、漫才のボケ/ツッコミほどではないにせよ「知性」と「バカ」の役割が決まっていることが多い。
(コントによって役割が変わることがあるけど)ラーメンズなら知性の小林とバカの片桐、バナナマンなら設楽の綿密な構成からはみだすほどに暴れる日村、というように。

ところが一人コントをしようとすると、「知性」「バカ」の両方の役割を一人で担わないといけない。
これはたいへん難しい。さっきまで賢いことを言ってたやつが急にバカなことを口にしても説得力に欠けるから。

でもバカリズムはこれを一人でやっている。
これをやるには何より表現力が必要なわけで、バカリズムという人はその奇抜な発想ばかりがどうしても語られるけれど、ぼくはそれより「表現力のすごい人」という印象を持っている。
ちょっと怒ったり、照れたり、相手をこばかにしたり、悪意を持って毒づいたり、あわてたり、とにかく表情が目まぐるしく変わる。
「演者」としての能力も高い人だと、コントを観るたびに思う。

「知性」が強く出た『バカリズム案』シリーズもいいけど、「バカ」と「表現」が存分に発揮されるコントのほうが、やっぱりいいねえ。