2016年4月25日月曜日

【エッセイ】バイクのブーン その2


バイクをまったくかっこいいと思わないあたしだから、ましてやバイクで走っている人の姿なんか、かっこいいどころかみっともないとさえ思ってしまう。

みっともないでしょ、あれ?

あれ、本人は「またがってる」「乗りこなしてる」と思ってるんでしょうけど、はたから見てるとカンゼンに「しがみついてる」ようにしか見えないよね?

サルの親子が移動するとき、子ザルがおかあさんザルの背中に必死にしがみついてるじゃない。
バイク乗りを見てると、それと同じに見えてしょうがない。
エンジン音にかき消されて聞こえないだけで、実際は大半のバイク乗りが「おかあさん待って!」って叫びながらしがみついてんじゃないかって、あたしはにらんでいる。

そんなんだから、バイクのふたり乗りなんかもうおかしくってしょうがない。
だって、バイクから振り落とされないように運転手がバイクに必死にしがみついてて、それだけでも江戸時代だったら滑稽本の題材になりそうなぐらい滑稽なのに、さらにそいつに必死にしがみついてるやつがいんの。

バイクにしがみつくやつにしがみついてる。
「孫請け」という言葉しか出てこない。

あわれ。
ほんとあわれ。もののあはれ。

もう、不憫すぎて逆に好きになっちゃいそう。
愛してる。

鼻毛抜くときぐらい必死な顔してバイクにしがみついてる人に教えてあげたい。
自動車ってのがあるよって。
しがみついてなくても平気な乗り物あるよって。
あと雨にも濡れないよって。
たった2個のタイヤをケチらなければ自動車にランクアップできるんだよって。


あとよくわかんないのが、バイク乗りってすぐ「バイクに乗ってると風を感じる」とか言うじゃない。

あれふしぎよね。
どう考えたって、止まってるときのほうが風を感じられるでしょ。
風向きを読むとき、どんなことする?
人差し指につばをつけて、指を立てて、動かずじっとするよね?
それか、風がなければ静止しているはずのもの、旗とかを見るよね?
指をふりまわしながら「東から風が吹いてるな」とか言う?

サルが背中に子ザル乗せて走ってるのを見て、「今日は風が強いな」とか感じる?
動いてるやつが感じてるのは風じゃなくて空気抵抗だろって。



あとさ、あとさ。

「風とひとつになれるからバイクはいい」
ってのも聞いたことある。

ま、それはわからんでもない。
「風を感じる」よりは意味がわかる。
動いてるからね。

でもさ、バイク乗りって雨の日でも走るじゃない。
びちょんこになって。

それはやっぱりあれ?
雨とひとつになりたいわけ?

そして春先は中国から来た黄砂になりたいわけ?
花粉とPM2.5もつけとく?


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バイクのブーン その1
バイクのブーン その2
バイクのブーン その3


2016年4月24日日曜日

【エッセイ】バイクのブーン その1

あたしはバイクのかっこよさがまったくわからない。

ていうかあれかっこいい?

暴走族の改造バイクは論外として(ていうかニホンオオカミが絶滅したのと同じタイミングでもう滅びたんだよね?)、大型バイクも中型も原付もかっこよくない。

造形といい、材質といい、排気音(っていうの? あの「でっでっでっでっ」ってやつ)といい、ぜんぜんだ。

かっこわるいとは言わない。
だってなんとも思わないもの。
冷蔵庫を見ても「かっちょいい!」とか「かっこわりいなー」とか思わないでしょ?
それとおんなじ。

冷蔵庫の「ブーン」って音を聴いても、
「おっ、いかした声で鳴くマシンだな」
とか思わないでしょ?


……えっ、思うの?
そういう人は高専に行きなさい。
そんでロボコンで青春の汗を流してきなさい。
そんで1回戦で勝って仲間と抱きあって喜び、続く2回戦でマシントラブルに見舞われて悔し涙を流しなさい。
その後バイクメーカーに就職して、開発の仕事をしなさい。
そんで冷蔵庫の「ブーン」とまったく同じ音で走るバイクを開発しなさい。


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バイクのブーン その1
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2016年4月23日土曜日

【読書感想文】マイケル・サンデル『それをお金で買いますか』

 

マイケル・サンデル『それをお金で買いますか』

内容(「BOOK」データベースより)
刑務所の独房を1晩82ドルで格上げ、インドの代理母は6250ドル、製薬会社で人間モルモットになると7500ドル。あらゆるものがお金で取引される行き過ぎた市場主義に、NHK「ハーバード白熱教室」のサンデル教授が鋭く切りこむ。「お金の論理」が私たちの生活にまで及んできた具体的なケースを通じて、お金では買えない道徳的・市民的「善」を問う。ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』に続く話題の書。
「金で買えないものはない」
という人がいる。
もちろん、そんなことはない。
お金で買えないものはある。
たとえば「お釣り」とか。もらうことはできても買うことはできない。
はい、利かせてみましたよ。とんちを。

「世の中お金じゃない」
という人がいる。
これもうそだ。
お金なしで生きていくのは不可能。
田舎で畑をつくって自給自足の生活をしている人はいるだろうが、大気や安全も誰かのお金によって守られていると考えると、その人もお金の恩恵を受けて生きている。
畑泥棒が跋扈する世の中では自給自足の生活は送れないからね。


大概のものはお金で取引可能だけど、そうではないものもある。
じゃあその境界線ってどこにあるの?
いや、どこに境界線を引くのが正しいの?

という問いに対してじっくり考察したのが『それをお金で買いますか』だ。



たとえば、こんな例。

絶滅の危機に瀕しているアフリカのクロサイ。絶滅危惧種なのでもちろん猟は禁じられているが、なんと15万ドルを払えばクロサイを撃ち殺す権利が買える。

と聞くと、動物の命も金次第か、とイヤな気持ちになるでしょう。
ところが、ことはそう単純な話ではない。
クロサイを撃つ権利をハンターに販売できることで、民間の牧場主はクロサイを保護して繁殖させるインセンティブが得られる。
結果として、クロサイの数は回復しはじめている。

クロサイを殺す権利を金で売ることができるようになったことで、種全体としてはクロサイは守られている。

それでも、快楽のためにクロサイを殺す権利を売ることはいけないのか?
難しいところだよね……。



お金の扱いは難しいと、『それをお金で買いますか』を読んでつくづく思う。
こんな例。
たとえば、増えつづける行動経済学者の一人であるダン・アリエリーは、一連の実験を通じて次のことを明らかにした。何かをやってもらうためにお金を払っても、無料でやってくれるよう頼む場合ほどの努力を引き出せないことがあるのだ。(中略)全米退職者協会はある弁護士団体に、一時間あたり三〇ドルという割引料金で、貧しい退職者の法律相談に乗ってくれるかどうかをたずねた。弁護士団体は断った。そこで退職者協会は、貧しい退職者の法律相談に無料で乗ってくれるかどうかをたずねた。今度は弁護士団体も承諾した。市場取引ではなく事前活動への取り組みを要請されていることがはっきりすると、弁護士たちは思いやりをもって対応したのである。
これはよくわかる。
ぼくも、友人に「引っ越しするから手伝いにきてよ」と言われたら「しょうがないな」と云いながらも手伝いにいく。

でも「1,000円あげるから引っ越し手伝いにきてよ」と言われたら、「1,000円ぐらいで来ると思うなよ」と行きたくなくなる。

お金はたくさん欲しいけど、いついかなるときでも欲しいかというと、そうでもないんだよね……。

べつにきれいごとをいうわけじゃないですけど、お金で売り買いしてほしくない領域というのはある。


最後に、なるほどそのとおり! と思わず膝を打った文章をご紹介。
これで、この数十年間が貧困家庭や中流家庭にとってとりわけ厳しい時代だった理由がわかる。貧富の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなったのである。
そうなんだよね、すべてが商品になるって、しんどいことなんだよね……。


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2016年4月21日木曜日

【考察】頭でっかちの貴様

彼は頭でっかちの人間だ
という言い回し。

たぶん本来の意味としては
「理論や知識ではなく、行動も必要だ」
ということなんだろう。

でも
「おまえは頭でっかちだから……」
と相手を恫喝する人間の99.9%は、

おまえはおれの知らないことを知っているから気に入らない

という意味で使ってるよね。


2016年4月20日水曜日

【思いつき】メモリの限界

用事を片づけようと立ち上がる
 ↓
ごみが落ちてるのに気づいて拾う
 ↓
「あれ? いま、ぼく、何しようとしてたんだっけ……」

ってこと、よくありますよね。


PCで文章をコピーする
 ↓
ちょっと入力作業をする
 ↓
貼り付けしようとする。コピーした情報が消えてる!

ってことがよく起こるんだけど、あれかね、パソコンも
「あれ、おれいま何しようとしてたんだっけ……」
ってなるのかね?