2015年11月15日日曜日

【読書感想】 内田 樹 『街場の戦争論』

内容(「版元ドットコム」より)
日本はなぜ、「戦争のできる国」になろうとしているのか?
安倍政権の政策、完全予測!
全国民の不安を緩和する、「想像力の使い方」。
シリーズ22世紀を生きる第四弾!!
改憲、特定秘密保護法、集団的自衛権、グローバリズム、就職活動……。「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていること」を、別の視座から見ると、まったく別の景色が見えてくる!現代の窒息感を解放する、全国民必読の快著。

内容はいつもの内田樹という感じなのだが(べつにけなしているわけではなくいつもの水準でおもしろいということだ)、本文よりもあとがきに心を動かされた。
 ですから、この本はかなりシリアスかつアクチュアルなトピックを扱ってはいますけれど、ほとんど論争的な性格を持っておりません。ただ、「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていることを、別の視座から見ると別の様相が見えます」ということを述べているだけです。それだけ。「僕が見ているようにみんなも見るべきだ」というようなことは求めておりません。

ぼくが他人に読ませる文章を書くときに心がけていることがふたつある。
ひとつは「自慢ほどつまらないものはない」ということ。これは説明不要。

もうひとつは「『~するべき』の言い回しを極力避ける」ということ。
右翼でも左翼でも、原発推進派でも反対派でも、うどん派でもそば派でも一緒だけど、
「~するべき」「~しなければならない」「~という考え方をするやつはだめだ」
という調子で書かれたものは、まあつまらない。

逆説的だけど、他人に指示をする文章は、他人に読ませる文章ではない。
登山をするべきだとはどこにも書いていないけれど、読んだ後に「おれも山に登ろう!」と思わされるテキスト。それが他人に読ませるための文章だ。
あるいは「おれは山が嫌いになった!」と思わされるテキスト。これもまたいい文章。
書き手の意図とはぜんぜんちがう方向に心を動かされるのも、すばらしい読書体験だ。

金曜ロードショーで観る映画が7割減でおもしろくなくなるのは、画面の端に
「この後、感動のエンディング!」
みたいな煽り文句が出てくるから。
はいここで泣きなさい、この映画は名作なので感動しなさい。そんなことを言われておもしろくなるわけがない。

論争とは自己満足と自己満足のぶつかりあい。他人を動かす力はない。
テレビ番組や国会の論争を見て「これはいいものを見た」と思ったことはありますか。ぼくはない。論争をしている人たちのうち少なくとも片方を、多くの場合は双方を嫌いになる。耳を貸したくなくなる。
こうすべき、これが絶対に正しい、という主張に人を動かす力はない。

スローガンというやつも同じ。
書くの好きな人多いよね、スローガン。
学校の教室に貼ってある「元気に明るくあいさつしよう」やら、オフィスの「汗と知恵を出せ!」やら、電車内の「チカン、アカン」やら。
あれを読んで「よし、元気に明るくあいさつしよう!」とか「今まで温存していたけど、知恵を出すことにしよう!」とか思ったことはありますか。ぼくはありません。痴漢があれを見て「チカン、やめよう!」と思うこともないだろう。

あんな直截的なメッセージで人の心を動かせるなら、小説家なんてひとりもいらない。何百ページにもわたる小説を書く必要なんかない。たった一文、「感動しなさい」と書くだけでいい。「おもしろがりなさい」と書くだけでいい。

そんなわけでぼくは思う。
「~するべきだ」という言い回しはぜったいに避けるべきだ!

2015年11月13日金曜日

【エッセイ】ナッツなめちゃいました

 同僚のA田さんは、美人なのに結婚できないまま30歳を迎えた。
 彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。

 そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
 きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
 ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
 くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
 あの、A田さん。
 100円足りないんですけど。
 


 そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
 ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。

「A田さん、ほんとナッツ好きですね」

「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」

「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」

「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」



 ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
 それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。

「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」

「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」

「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」

とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
 仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。

 あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
 近くの席の人たちが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。

2015年11月12日木曜日

【エッセイ】チェスとエロス

小学5年生のとき。
大人向けの本のおもしろさに目覚めつつあったぼくは、母の本棚をあさり、タイトルがおもしろそうだったのでジェフリー・アーチャーの短篇集『十二の意外な結末』を手に取った。

タイトルのとおり、十二の短篇が収められた作品。そのうち十一の作品についてはまったく記憶に残っていない。
だが『チェックメイト』だけは、鮮明に覚えている。何度も読み返した作品だからだ。

短篇小説として優れているわけではない。感動するような話ではないし、意外なオチもない。見聞が広げられたり、考えこまされたりするような小説でもない。
ではこの短篇のいったい何が10歳のぼくを惹きつけたのかというと、すごくエロかったからだ。



『チェックメイト』はこんな話だ。

ある男が、チェスクラブで美女と出会う。
ふたりは男の自宅でチェスをすることになった。
そこで男は美女からこう持ちかけられる。
私が勝ったらあなたからお金をもらう、ただしあなたが勝ったら私は一枚ずつ服を脱ぐ、と。
そして男は連勝し、約束通り美女は身にまとっているものを脱いでいくのだが、あと一回勝てばいよいよ下着を脱がせられるというところから連敗を喫し、男は大金を巻き上げられてしまう。
じつは美女はチェスのチャンピオンで、その強さを隠していたのだった……。

というお話。


大人にとってはちっともエロいストーリーではない。
だが10歳のぼくにとっては、美女が服を一枚ずつ脱いでいく描写がものすごく刺激的だった。
まだエロ本も読んだことのなかったぼくにとって、はじめて触れたエロいメディアが『チェックメイト』だったのだ。何度も読み返し、そのたびに興奮した。

日本の文学、漫画、映画、テレビにチェスの描写が出てくることはめったにない。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』ぐらいしかぼくは知らない。
また、チェスの対局をしたこともない。

だから、ぼくにとってチェスといえば、エロい美女の服を脱がすための手段であり、将棋やバックギャモンのようなテーブルゲームというより、どちらかというと野球拳に近い。
ゲームではなく、“前戯”に分類されるものなのである。

2015年11月11日水曜日

【エッセイ】代わりに夏休みに補修受けるんで

ということで眼科に行ったら、結膜炎だと診断された。
薬局で目薬をもらってくださいと言われる。

薬局に寄ると会社に遅刻しそうだったので、上司に電話をした。

Trrrrr……

「すみません、結膜炎になったので薬局に行ってから出社します。15分ほど遅刻します」

 「ええっ! 結膜炎!?」

「はいそうです(そんなに驚くような病気か?)」

 「おまえ、結膜炎って、それ出社して大丈夫なのか? うつるんじゃないのか?」

「いや、ふつうにしてたら大丈夫なんじゃないですか。医者にも特に何も言われませんでしたし」

 「いやいや、うつるって。プールとか入ったりしたら」

「いやぼく、課長もご存じのとおりデスクワークなんで……」


というわけで社長、今日のプールは見学させてください!

2015年11月10日火曜日

【エッセイ】優しい両替

 駅前で、アジア系女性が若い男の人に声をかけていた。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
 しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。

 ぼくは激しく憤った。
 なんて冷たい若者だ。
 こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
 旅は道連れ世は情けとか、
 情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
 その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
 これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
 ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
 見てなさい、外人さんよ。
 まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
 なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!

 とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。

「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
 「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」

 ほんとごめん。
 薄情な若者とかいって。
 あとそれ両替じゃないから。