これはもう完全に偏見なんだけど、
キャラ弁をつくってブログで公開してる母親って、
子どもが「そうゆうんじゃなくてふつうのお弁当がいい」って言いだしたときに
「あなたのためにやってるのに!」
って怒りだしそうだよね。
2015年5月21日木曜日
100円もらった
小学生のとき、見知らぬおじさんから100円をもらったことがある。
ぼくは友人たちと、おもちゃ屋の店先にあるゲーム機で遊んでいた。
1回10円でコンピュータとじゃんけんができ、勝てば何枚かのメダルが出てくる。メダルは10円玉と同じように次回以降のゲームに使えるけど、ただそれだけ。メダルを何枚集めても現金や景品と交換できるわけではない。
今考えると何がおもしろいのかさっぱりわからないゲームだが、ぼくらは少ないおこづかいを握りしめておもちゃ屋に通っていた。
つまり、ぼくらはばかだったのだ。
その日もぼくらはゲーム機の前で、最後は必ず負けることに決まっているじゃんけんに夢中になっていた。
ときは夕刻。あたりは暗くなってきてそろそろ帰ろうかという頃である。
ゲーム機に向かっているぼくらを見つめている人影に気がついた。
当時のぼくらの父親よりも年上に見えたから五十歳くらいだろうか。スーツを着ていたが、ぱりっとはしていなかった。どちらかといえばかっこわるい感じのおじさんである。おそらく仕事帰りだったのだろう。
おじさんははじめ、遠くからゲームをやっている少年らを見ていたが、次第に近づいてきてにこにこしながらぼくらに話しかけはじめた。
どういうルールなのかとか、メダルはよく出るのかとか。
ぼくらはなれなれしいおじさんを警戒して互いに顔を見合わせながら、それでもおじさんの質問には愛想なく「はあ」とか「ううん」とか答えていた。
おじさんは、ぼくらがメダルを獲得すると「いいぞ!」と喜んだ。
獲得枚数が少なかったときは、膝に手をついて「あー惜しい!」と悔しがった。
いい大人がこんなくだらないゲームに一喜一憂するなんて(じゃんけんゲームのくだらなさにはぼくらもけっこう気づいていた)このおじさんは頭がヘンな人なんじゃないだろうかとぼくらはちょっと薄気味悪さを感じていた。
やがてぼくらのポケットの硬貨はすべてゲーム機の中に吸い込まれた。
ぼくらはばかだったから全財産を使い果たすまで機械との不毛なじゃんけんをやめないのだった。
誰かが「もう金ないわ。帰ろうか」と言った。
金はなくなったし、あたりはすっかり夕闇につつまれてしまったし、変なおじさんは見ているしで、それ以上ゲーム機の前にいる理由はなにひとつなかった。
そのとき、おじさんはおもむろにポケットをまさぐり皮のくたびれた財布からぴかぴかの百円玉を取り出してぼくらにさし出した。
「これでもうちょっとやってみ」
ぼくらは戸惑った。当然のことだ。
なにも学校で教わった「知らない人からものをもらってはいけません」という言葉を信じたからではない。
なぜおじさんがぼくらに百円をくれるのかがわからなかったからだ。
身なりからして、彼がお金が余って困っている大富豪ではないことはまちがいなかった。百円といえばまあまあの高額だ(当時のぼくらにとっては)。
それを見ず知らずのばかな子どもたちにくれてやる心境がどうにも理解できなかった(自分たちがばかだという自覚は当時はなかったが)。
まったく理解できない状況に当惑したが、目の前のぴかぴかの百円玉は魅力的だった。
ぼくらは考えることをやめて素直に「ありがとうございます。やったあ」と手を伸ばした。
「やったな」
「すげーラッキー」
と言いながら、またゲーム機に向かった。
ひょっとしたら、このおじさんはほんとが自分がじゃんけんゲームをやりたいのかもしれないとぼくは思った。
だけどいい大人がおもちゃ屋の前でゲームに興じる姿を誰かに見られたら恥ずかしいから、代わりにぼくらにやらせているのではないだろうか。
それならわかる。自分がマリオをやらなくても、他人がプレイしているのを見るだけでもまあまあ楽しい。
おじさんはにこにこしながらぼくらのじゃんけんを見ていたが、まだ百円を使いきらないうちに「じゃあ」と言い残して姿を消してしまった。
ぼくらは「なんだったんだろうなあの人」と言いながらゲームの続きをした。
やがて奇跡ともいえるメダル50枚を当てて(ぼくの記憶では50枚当たったことは後にも先にもなかった)、ぼくらは興奮しながら「あの100円のおかげやで。あのおじさんにも見せてあげたかったなあ」と言い合った。
その瞬間のぼくらにとっておじさんは、ほとんど神様だった。
今ならわかる。
あのおじさんが見ず知らずの小学生に100円をくれたわけを。
おじさんがほんとはじゃんけんゲームをやりたかったわけではないことを。
なぜなら、今のぼくも同じことを思うから。
本屋で、財布をのぞきこみながら本を買おうかどうか苦悩している小学生を見たとき。
「おじさんが買ってあげようか」
と言いたくなる。
夏のくそ熱い中、帽子もかぶらずに走り回っている小学生を見たとき。
「ほら、これでジュースでも飲め」
と100円玉を何枚か手渡したくなる。
あの頃、自動販売機のジュースを飲めるということは1年に何度もない大イベントだった。
100円以上もするジュースなどおごってもらえた日には、とびあがって喜んだものだ(比喩ではなくほんとにとびあがった)。
今、何かを手に入れてそんなに喜ぶことができるだろうか。
宝くじで100万円当たったとしても、110円のジュースをおごってもらった子どもの喜びにはかなわない(そのころ自販機の缶ジュースは110円だった)。
昔の何百倍もの金を稼ぐようになったが、金の価値は何万分の一になってしまった。
100円玉を手にしただけで、何を買おうか何でも買えるぞとわくわくした。
今、100万円あっても同じ気持ちを味わうことは決してできない。
ぼくらに100円をくれたおじさんは、その喜びのほんのひとかけらをもう一度味わってみたかったのだろう。
ぼくは友人たちと、おもちゃ屋の店先にあるゲーム機で遊んでいた。
1回10円でコンピュータとじゃんけんができ、勝てば何枚かのメダルが出てくる。メダルは10円玉と同じように次回以降のゲームに使えるけど、ただそれだけ。メダルを何枚集めても現金や景品と交換できるわけではない。
今考えると何がおもしろいのかさっぱりわからないゲームだが、ぼくらは少ないおこづかいを握りしめておもちゃ屋に通っていた。
つまり、ぼくらはばかだったのだ。
その日もぼくらはゲーム機の前で、最後は必ず負けることに決まっているじゃんけんに夢中になっていた。
ときは夕刻。あたりは暗くなってきてそろそろ帰ろうかという頃である。
ゲーム機に向かっているぼくらを見つめている人影に気がついた。
当時のぼくらの父親よりも年上に見えたから五十歳くらいだろうか。スーツを着ていたが、ぱりっとはしていなかった。どちらかといえばかっこわるい感じのおじさんである。おそらく仕事帰りだったのだろう。
おじさんははじめ、遠くからゲームをやっている少年らを見ていたが、次第に近づいてきてにこにこしながらぼくらに話しかけはじめた。
どういうルールなのかとか、メダルはよく出るのかとか。
ぼくらはなれなれしいおじさんを警戒して互いに顔を見合わせながら、それでもおじさんの質問には愛想なく「はあ」とか「ううん」とか答えていた。
おじさんは、ぼくらがメダルを獲得すると「いいぞ!」と喜んだ。
獲得枚数が少なかったときは、膝に手をついて「あー惜しい!」と悔しがった。
いい大人がこんなくだらないゲームに一喜一憂するなんて(じゃんけんゲームのくだらなさにはぼくらもけっこう気づいていた)このおじさんは頭がヘンな人なんじゃないだろうかとぼくらはちょっと薄気味悪さを感じていた。
やがてぼくらのポケットの硬貨はすべてゲーム機の中に吸い込まれた。
ぼくらはばかだったから全財産を使い果たすまで機械との不毛なじゃんけんをやめないのだった。
誰かが「もう金ないわ。帰ろうか」と言った。
金はなくなったし、あたりはすっかり夕闇につつまれてしまったし、変なおじさんは見ているしで、それ以上ゲーム機の前にいる理由はなにひとつなかった。
そのとき、おじさんはおもむろにポケットをまさぐり皮のくたびれた財布からぴかぴかの百円玉を取り出してぼくらにさし出した。
「これでもうちょっとやってみ」
ぼくらは戸惑った。当然のことだ。
なにも学校で教わった「知らない人からものをもらってはいけません」という言葉を信じたからではない。
なぜおじさんがぼくらに百円をくれるのかがわからなかったからだ。
身なりからして、彼がお金が余って困っている大富豪ではないことはまちがいなかった。百円といえばまあまあの高額だ(当時のぼくらにとっては)。
それを見ず知らずのばかな子どもたちにくれてやる心境がどうにも理解できなかった(自分たちがばかだという自覚は当時はなかったが)。
まったく理解できない状況に当惑したが、目の前のぴかぴかの百円玉は魅力的だった。
ぼくらは考えることをやめて素直に「ありがとうございます。やったあ」と手を伸ばした。
「やったな」
「すげーラッキー」
と言いながら、またゲーム機に向かった。
ひょっとしたら、このおじさんはほんとが自分がじゃんけんゲームをやりたいのかもしれないとぼくは思った。
だけどいい大人がおもちゃ屋の前でゲームに興じる姿を誰かに見られたら恥ずかしいから、代わりにぼくらにやらせているのではないだろうか。
それならわかる。自分がマリオをやらなくても、他人がプレイしているのを見るだけでもまあまあ楽しい。
おじさんはにこにこしながらぼくらのじゃんけんを見ていたが、まだ百円を使いきらないうちに「じゃあ」と言い残して姿を消してしまった。
ぼくらは「なんだったんだろうなあの人」と言いながらゲームの続きをした。
やがて奇跡ともいえるメダル50枚を当てて(ぼくの記憶では50枚当たったことは後にも先にもなかった)、ぼくらは興奮しながら「あの100円のおかげやで。あのおじさんにも見せてあげたかったなあ」と言い合った。
その瞬間のぼくらにとっておじさんは、ほとんど神様だった。
今ならわかる。
あのおじさんが見ず知らずの小学生に100円をくれたわけを。
おじさんがほんとはじゃんけんゲームをやりたかったわけではないことを。
なぜなら、今のぼくも同じことを思うから。
本屋で、財布をのぞきこみながら本を買おうかどうか苦悩している小学生を見たとき。
「おじさんが買ってあげようか」
と言いたくなる。
夏のくそ熱い中、帽子もかぶらずに走り回っている小学生を見たとき。
「ほら、これでジュースでも飲め」
と100円玉を何枚か手渡したくなる。
あの頃、自動販売機のジュースを飲めるということは1年に何度もない大イベントだった。
100円以上もするジュースなどおごってもらえた日には、とびあがって喜んだものだ(比喩ではなくほんとにとびあがった)。
今、何かを手に入れてそんなに喜ぶことができるだろうか。
宝くじで100万円当たったとしても、110円のジュースをおごってもらった子どもの喜びにはかなわない(そのころ自販機の缶ジュースは110円だった)。
昔の何百倍もの金を稼ぐようになったが、金の価値は何万分の一になってしまった。
100円玉を手にしただけで、何を買おうか何でも買えるぞとわくわくした。
今、100万円あっても同じ気持ちを味わうことは決してできない。
ぼくらに100円をくれたおじさんは、その喜びのほんのひとかけらをもう一度味わってみたかったのだろう。
2015年5月20日水曜日
ブランド品と九十九神
ブランド物の財布やバッグを持っている人は多いけど、ボロボロになるまで使ってる人がいるじゃない。あたしあれ見るともうダメ。
涙があふれて止まらなくなっちゃう。
すっごく悲しい。なんでこんな嫌な世の中に生きてるんだろって思っちゃう。
今日もいたのよ。
おばちゃんが。切符の販売機のとこで。
雑誌の付録みたいなバッグから、ヴィトンの財布を取り出したの。
その財布がすっごく年季入ってるの。
あちこちすりきれてるし、縫い糸もほつれてきてる。
それ見た途端、あたしもうこらえきれなくなっちゃって、風船から手を離して目頭を押さえた。
あたしの手から離れた風船はあっという間に空気が抜けて、目を輝かせて風船を見ていた男の子の頭にぽとりと落ちた(言い忘れてたけど、そのときあたしは改札の前でバルーンアートを作るアルバイトをしていた)。
いろんなブランドがあるよね。ヴィトンとかシャネルとかカバヤとか。
でもそういうとこの財布って、装飾ギトギトのショウウインドウで飾られたり、おしゃれなカタログ誌で紹介されたりするためのものなのよね。
おばちゃんのヘンなバッグの中でへろへろになるものじゃない。
昔は輝いていた芸能人が覚醒剤所持で逮捕されて痩せこけた表情でパトカーに乗り込む姿を見たら、なんだかいたたまれない気持ちになるじゃない。ちょうどあんな気分。
でもあたしは、ブランド品じゃなければぼろぼろになるまで使うのはぜんぜん平気。
ていうか、大好き。
中学のとき、隣の席の男の子のものが、ぜんぶクソボロだったの。
男子中学生サッカー部員が持つアホみたいにでかいスポーツバッグは、泥だらけだし破れてるしファスナーはぶっ壊れてた。ちょっとあんたYKKの想定以上の力のかけかたしてんじゃないわよ、って言いたくなるぐらい。
靴は、上靴も外履きも体育館シューズもぜんぶぱかぱかに割れてて、さきっちょから真っ黒い爪が飛び出していた(言うまでもないけど靴下も破れてるからね)。
きわめつきは学ラン。「学生が葬式でもランデブーのときでも着ていける服」だから略して学ランっていうのに、その子の学ランったらどろどろで、ランデブーはおろか、全国荒くれもの協会主催の第78回荒くれ晩餐会にも着ていけやしない代物だった。
でもあたしはその子のアホスポーツバッグやバカ靴やクソ学ランが大好きだった。
長く使われた物特有の愛しさがあったから。耳掃除をした後に自分の耳あかをまじまじと観察してしまうような気持ち。
すっごく長く使われた物って、持ち主に対して愛憎を抱くような気がするのよね。
愛情じゃないよ、愛憎。
江戸時代には九十九神(付喪神)って神様がいたんだって。
物が長いこと使われるとだんだん霊性を帯びてきて、九十九年目に人間の言葉を話したり化けて出たんだとか。
長いこと飼われた猫が化け猫になってその家の人を喰い殺しちゃうってのも同じことかもね。
長く使われてぼろぼろになった物は、きっと持ち主に対して愛情と憎悪の両方を持っていると思うのよね。少なくともあたしはそう感じる。
だからぼろぼろの道具に惹かれるのかもしれない。
「いつかこの男の子、ぼろぼろになったスポーツバッグに喰い殺されるかもしれない」
そんなことを想像すると、胸がすっごくどきどきして、息ができなくなった。
怖かったんじゃない。楽しみだったの。
手荒い使われ方をしていたスポーツバッグが、ある日突然叛旗をひるがえして泥臭い男子中学生を丸呑みにしちゃうのよ。わくわくしない?
でもきっとその男の子は助かるわ。
だってYKKも信じられないぐらい、そのバッグのファスナーは激しくぶっ壊れてたんですもの。
涙があふれて止まらなくなっちゃう。
すっごく悲しい。なんでこんな嫌な世の中に生きてるんだろって思っちゃう。
今日もいたのよ。
おばちゃんが。切符の販売機のとこで。
雑誌の付録みたいなバッグから、ヴィトンの財布を取り出したの。
その財布がすっごく年季入ってるの。
あちこちすりきれてるし、縫い糸もほつれてきてる。
それ見た途端、あたしもうこらえきれなくなっちゃって、風船から手を離して目頭を押さえた。
あたしの手から離れた風船はあっという間に空気が抜けて、目を輝かせて風船を見ていた男の子の頭にぽとりと落ちた(言い忘れてたけど、そのときあたしは改札の前でバルーンアートを作るアルバイトをしていた)。
いろんなブランドがあるよね。ヴィトンとかシャネルとかカバヤとか。
でもそういうとこの財布って、装飾ギトギトのショウウインドウで飾られたり、おしゃれなカタログ誌で紹介されたりするためのものなのよね。
おばちゃんのヘンなバッグの中でへろへろになるものじゃない。
昔は輝いていた芸能人が覚醒剤所持で逮捕されて痩せこけた表情でパトカーに乗り込む姿を見たら、なんだかいたたまれない気持ちになるじゃない。ちょうどあんな気分。
でもあたしは、ブランド品じゃなければぼろぼろになるまで使うのはぜんぜん平気。
ていうか、大好き。
中学のとき、隣の席の男の子のものが、ぜんぶクソボロだったの。
男子中学生サッカー部員が持つアホみたいにでかいスポーツバッグは、泥だらけだし破れてるしファスナーはぶっ壊れてた。ちょっとあんたYKKの想定以上の力のかけかたしてんじゃないわよ、って言いたくなるぐらい。
靴は、上靴も外履きも体育館シューズもぜんぶぱかぱかに割れてて、さきっちょから真っ黒い爪が飛び出していた(言うまでもないけど靴下も破れてるからね)。
きわめつきは学ラン。「学生が葬式でもランデブーのときでも着ていける服」だから略して学ランっていうのに、その子の学ランったらどろどろで、ランデブーはおろか、全国荒くれもの協会主催の第78回荒くれ晩餐会にも着ていけやしない代物だった。
でもあたしはその子のアホスポーツバッグやバカ靴やクソ学ランが大好きだった。
長く使われた物特有の愛しさがあったから。耳掃除をした後に自分の耳あかをまじまじと観察してしまうような気持ち。
すっごく長く使われた物って、持ち主に対して愛憎を抱くような気がするのよね。
愛情じゃないよ、愛憎。
江戸時代には九十九神(付喪神)って神様がいたんだって。
物が長いこと使われるとだんだん霊性を帯びてきて、九十九年目に人間の言葉を話したり化けて出たんだとか。
長いこと飼われた猫が化け猫になってその家の人を喰い殺しちゃうってのも同じことかもね。
長く使われてぼろぼろになった物は、きっと持ち主に対して愛情と憎悪の両方を持っていると思うのよね。少なくともあたしはそう感じる。
だからぼろぼろの道具に惹かれるのかもしれない。
「いつかこの男の子、ぼろぼろになったスポーツバッグに喰い殺されるかもしれない」
そんなことを想像すると、胸がすっごくどきどきして、息ができなくなった。
怖かったんじゃない。楽しみだったの。
手荒い使われ方をしていたスポーツバッグが、ある日突然叛旗をひるがえして泥臭い男子中学生を丸呑みにしちゃうのよ。わくわくしない?
でもきっとその男の子は助かるわ。
だってYKKも信じられないぐらい、そのバッグのファスナーは激しくぶっ壊れてたんですもの。
2015年5月19日火曜日
放置自転車に国境なし
本屋で働いていたときのこと。
店の駐輪場に自転車を停めて、店で買い物をせずにどこかへ出かける人がいる。
広い駐輪場ではないので見かけたら注意するようにしていたが、それでも放置自転車はけっこう並んでいた。
あるとき、開店前に30歳くらいの白人男性が自転車で駐輪場にやってきた。
自転車を置いてバス停へと歩いていこうとしていたので、呼び止めて注意をした。
「すみません。ここに自転車を置いていかないでくださいね」
「ドウシテデスカ」
「ここはお店を利用する方のための駐輪場なんで」
「アーハイハイ。ワタシ、コノ店ヨク利用シテマスヨ」
「えーっと。そうかもしれないですけど、今はまだ開店前ですよね。店を利用する時間だけ、駐輪場を使ってもいいんです」
するとその男性、突然顔を真っ赤にして怒りだし、
「ドウシテデスカ! ドウシテワタシダケニ言ウデスカ! 他ノ人モ停メテルジャナイデスカ! コノ人モコノ人モコノ人モ!」
怒りに満ちたその言葉を聞いて、ぼくは腹が立つというよりちょっとうれしくなった。
よく「赤信号みんなで渡れば怖くない」という思考が日本人的だと言われているけど、なんだ外人もけっこう長いものには巻かれてんじゃないか。
2015年5月18日月曜日
4番打者という夢
ぼくは小学生のとき、ちゃんとした野球チームに所属するわけでもなく、友だちと公園で野球をやっていただけなのに、
「プロ野球選手になって4番打者としてホームランをばんばん打って記録を作って……」
と無根拠に妄想していた。
でも32歳になった今では現実を知っているから、
「まあぼくの非力さなら、せいぜい8番か9番打者だろうな」
と現実的に考えられるようになった。
「プロ野球選手になって4番打者としてホームランをばんばん打って記録を作って……」
と無根拠に妄想していた。
でも32歳になった今では現実を知っているから、
「まあぼくの非力さなら、せいぜい8番か9番打者だろうな」
と現実的に考えられるようになった。
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