『11ぴきのねこ マラソン大会』
馬場 のぼる
つまらないえほんの共通点
4歳の娘と一緒に、毎晩えほんを読んでいる。
週末に図書館で10冊ぐらい借りてきて、1日に1冊か2冊を読む。
月間で数十冊のえほんを読んでいるからぼくも娘も相当なえほん通だといってもいいだろう。
大人が読んで「おっ、このえほんはおもしろいな」と思うえほんは、たいてい子どもも気に入る。
逆に「大人はつまらないけど子どもは大好き」というえほんはまずない。
子どもだましの絵本は、子どもにもそっぽを向かれるのだ。
どういうえほんがつまらないのかというと、
- 見え透いた教訓がある
- いい子しか出てこない
- ストーリーが予定調和
「ともだちにいじわるをしたらけんかになっちゃった。でもあやまったらゆるしてもらえた。ごめんっていうことはだいじだね。ともだちっていいよね」みたいなクソメッセージを伝えようとするえほんは、子どもも大人も二度と読もうとしない。
村上龍がこないだの芥川賞の選評で
と書いていたが、えほんも同じだと思う。
友だちが大事と言いたいなら「ともだちはだいじ」と書けば8文字で終わる。それでいい。どっちみち伝わんないし。
ひとまねこざるは密猟者のおはなし
『ひとまねこざる』というえほんのシリーズがある。おさるのジョージシリーズ、といったほうがわかりやすいかもしれない。
ややこしいが、『ひとまねこざるときいろいぼうし』が1作目で 『ひとまねこざる』は2作目。 |
このシリーズ、特に昔の作品はすごくおもしろい。
ぼくも子どもの頃、『ひとまねこざる びょういんへいく』や『ろけっとこざる』を何度も読んだ。
黄色い帽子のおじさんがただの密猟者だし、ジョージはいらんことしかしないし、物語は一貫性がなくて支離滅裂だし、先の展開が読めなくてすごくわくわくする。
ジョージはおさるだから後先考えずに行動するし、悪さをしてもあっさり許されるし、きいろいぼうしのおじさんには責任感がまったくないし、楽しくてしょうがない。
(最近の作品はやたら教訓めいているのが残念)
みんな大好き11ぴきのねこ
『11ぴきのねこ』シリーズは、おもしろいえほんの条件をすべて備えている。
ぼくも娘もお気に入りのシリーズだ。
1作目の刊行は1967年 |
すっとんきょうなことが起こる。
登場人物の行動が理路整然としていない。目先の快楽だけで行動する。
メッセージ性がない。
だいたい11匹である必然性がまったくない。
『11ぴきのねこ』『11ぴきのねことあほうどり』『11ぴきのねことぶた』『11ぴきのねこふくろのなか』『11ぴきのねことへんなねこ』『11ぴきのねこどろんこ』
どの作品も、11匹でなくても成立する。10匹でも12匹でもいい。
なぜ11というキリの悪い数字になっているのかまったくわからない。
謎の生き物(怪獣とかウヒアハとか)がいきなり出てきて何の説明もなく終わる。
よくわかんないことだらけだ。
だから、おもしろい。
大人でも先の展開が読めない。
すべて理屈で説明がつくような話は文学じゃない。
そう、『11ぴきのねこ』はエンタテインメントであり文学なのだ!
『11ぴきのねこ マラソン大会』
毎週図書館に行くので毎日のように新しいえほんを読んでいる娘が、『11ぴきのねこ マラソン大会』を見たときはいつにもまして大興奮していた。
文字通り飛び上がってよろこんでいた。
なにしろ全部広げると2.8メートルもある。
己の身の丈の倍以上もあるのだ。
それだけでも娘にしたら衝撃的だったのに、その長い紙に所狭しとねこたちの絵が描かれている。
何百匹のねこたちがそれぞれ違うことをしているので、いつまで見ても飽きない。
見るたびに新しい発見がある。
たぶん子どもには理解できないだろうな、というネタもある。でも子どもはそういうのが好きなのだ。
読み終わるなり娘は「明日も読もう!」と言った。
翌日も翌々日も読んで、ぼくが「明日は別のえほん読もっか」と言うとうなずいたが、翌日になると「やっぱり今日も11ぴきのねこ読んでいい?」と訊いてきた。
こんなにも夢中になるなんて。
2,000円以上もするからちょっと躊躇したけど、買ってよかった。
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