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2017年12月9日土曜日

トイレ・ウォーズ ~ションドラの逆襲~


ほとんどの女性は知らないと思いますが、男性用の公衆トイレには用を足したあとのちんちんを乾かすためのドライヤーがついています。
正式な名前は何というのか知りませんが、ぼくが生まれ育った地域では「ションドラ」と読んでいました。しょんべんドライヤーの略でしょうね。

ションドラは髪の毛用のドライヤーとはちがい、ちんちん専用の細長くて銀色のドライヤーです(ちなみに銀色なのは西日本だけみたいですね。東京駅のトイレで真っ白のションドラを見たときはびっくりしました)。
温度や風量の調整はできず、ただ風が出るだけの代物です。小便器の上にあるセンサーに手をかざすとションドラが伸びてきて、ごーっと風が吹きだします。10秒ほどで勝手に止まり、また引っこんでいきます。ウォシュレットトイレのノズルに似た動きです。

紙を手で持って拭く必要がないので衛生的ですし、風でちんちんを乾かすときはなんともいえぬ爽快感があります(冬場はちょっと寒いですけどね。冬は温風が出てくれたらいいのに)。


そんなションドラに関する失敗談をひとつ。
今でこそほとんどの公衆トイレに設置されているションドラですが、ションドラが日本に普及したのは1980年代のことで、ぼくが子どもの頃は田舎で育ったこともありションドラなんてものは見たこともありませんでした。
はじめて見たのは、小学六年生のとき、家族旅行で行った京都でのことでした。
京都駅のトイレに入って小便器に向かっておしっこをしていると、目の前に見慣れぬボタンがあります(昔はまだセンサー式ではなく押しボタン式でした。衛生的でないので後にセンサー式でになったのでしょう)。
もちろん「排尿完了後にこのボタンを押してください」というような注意書きがあったのだとは思いますが、なにしろ好奇心旺盛な男子小学生のこと、注意書きを読むより早く、押したらどうなるんだろうとボタンに手を伸ばしていました。

さあたいへんです。なにしろまだおしっこが出ているのですから。
うにょーんとションドラが伸びてきて、これはなんだかやばいと思ったけれど一度出はじめたおしっこは止まらない。ションドラはぼくの股間に向かって風を吹きつけます。放出したおしっこは逆風にあおられて霧状になり、ぼくのパンツとズボンを盛大に濡らしました。
うわあああと思わず声をあげましたが、まだおしっこが出ているから便器の前を離れるわけにもいかない。そのまましばらくおしっこの霧を浴びつづけてしまいました。

幸い旅行中だったためにリュックに着替えが入っていました。あわてて個室に駆けこんで着替えましたが、トイレから出たとたんに目ざとい姉から「あんたなんでさっきとズボンがちがうの」と言われてしまいました。事の顛末を正直に話すと両親と姉から「あんたばかねえ」と大笑いされました。


最近のションドラは水流を感知するセンサーがあるので、おしっこが出ている間は手をかざしても風が吹くことはありません。
きっとぼくみたいな不幸な事故が多発したために改良されたのでしょう。
あんな悲しい思いをするのは、ぼくの世代で最後にしてもらいたいものです。戦争の悲惨さを語り継ぐ戦争体験者のように、ぼくもションドラの逆襲の恐ろしさを後世に語り継いでいきたいと思います。

2017年7月17日月曜日

【ショートショート】うまれかわり聖人


「おまえは善く生きた。これほど正しく生きた人間を、わたしは他に知らない」

絶対的な存在は告げた。

彼は、ありがとうございますと深く頭を下げながら内心ほくそえんだ。当然だ。すべてはこの瞬間のために生きてきたのだから。



彼が "制度" の存在を知ったのは五歳のときだった。
祖父から「すべての生き物は死んだらまた生まれ変わる。次にどんな生物になるかは、この世でどんなおこないをしたかによって決まる。悪い生き方をした人間は、次の世の中では下等な生物として生きていかねばならない」と聞かされた。
そのときは特に気にも留めなかったのだが、その日の晩に祖父が急死したことで、その言葉が俄然意味を持つようになった。
死後の世界のことを語った祖父がすぐに亡くなった。この奇妙な符牒は、彼に生まれ変わりを信じさせるのに十分だった。

彼は、ダンゴムシや微生物として生きる日々を想像して恐怖を感じた。
常に自分より大きな生き物におびえ、隠れながら暮らしていかなければならない。捕食され、そうと気づかれぬうちに人間に踏まれて死んでしまうかもしれない。
そんな生き方をするのはぜったいにごめんだ、と思った。

その日から、彼は正しく生きることに努めた。
人の見ていないところでも規律を守り、虫を踏まぬよう注意して歩いた。他人の悪口は言わず、弱い者に対しては積極的に施しをした。彼には大いなる目標があったから、あらゆる悪しき誘惑をはねのけることができた。
みなが彼のことを「聖人」と呼んだ。その中には若干の揶揄する響きもあったが、他人の評価なんかよりもずっと大きな評価に備えている彼にとってはまったく気にならなかった。
口の悪い人は「ああいう聖人みたいな人にかぎって心の中では何を考えているかわからないもんだ」などと言ったが、それはまったくの間違いだった。彼は行動だけではなく、内面も善意で満ちていた。彼の生き方を評価する存在はすべてがお見通しなのだ。彼は強い意志で、自身の中から悪い考えを完全に追い出すことに成功していた。

何が楽しくて生きているんだろう、と陰口をたたく人もいた。
彼自身に迷いが生じなかったわけではない。正しいだけの人生をくりかえし送ることが最善の選択なのだろうか、と。
しかし下等な生き物として生きるという想像の恐怖がすぐにそんな考えを追いはらった。恐怖心とはどんな悦楽よりも強いのだ。

そして彼は、その人生を終えた。
生涯貧しい人生だった。だが彼は幸福だった。善い生き方をすることができたという達成感が、彼の心の中を満たしていた。



はたして、絶対的な存在は彼の正しい生き方を適正に評価した。

「おまえのように正しく生きたものは、もっとも優れた生き物として次の世代を生きることがふさわしい」

そして彼は高次の生命体へと生まれ変わった。

恵まれた身体能力、高い知性、強い生命力を持つ生物。同種間で殺し合いをすることもなく平和を愛する種族。長い歳月の間その形状をほとんど変える必要すらなく繁栄してきた種。絶対的な存在が、あまた創造した生き物の中でこれこそが最高傑作だったと自負する生物。すなわち、ゴキブリへと。

だが彼には落胆しているひまはなかった。
前世の記憶はすぐに消える。
すぐに下等な生物から逃げまどう暮らしがはじまった。

2017年7月14日金曜日

夢で見た物語のラストシーン


船は行ってしまった。
ぼくたちは途方に暮れた。これでは試験会場に行けない。
がっくりとうなだれたそのとき、プロペラ機が目に入った。

「そうだ、柴ちゃん飛行機の免許持ってるって言ってたよね!」

たしかに柴ちゃんは操縦免許を持っていることを自慢していた。英語で書かれたライセンスを「めちゃくちゃ難しいからな。マサだったら100回受験してもとれないだろうな」と見せてきたことがあった。

「ほら、柴ちゃんの出番だよ!」
「あー、でも最近乗ってないしな……。おれんちのセスナ機ももう歳だし……」

出た。ふだんは大きなことを言ってるくせに、いざというときには尻ごみする柴ちゃんの悪いところ。

「でも免許取ったんだろ」
「一応な……。でもアメリカで少し講習を受けただけだし、英語だから何言ってるかわからなかったし、お金出したら発行してくれただけで……」
「いいからとにかくやってみなよ、飛ばなかったら飛ばなかったときじゃない。やるだけやってみようよ。やらなかったら試験も受けられないんだよ!」

「いやいやいや」柴ちゃんは、飛行機に乗り込むどころか後ずさりをする。
「失敗したらあいつらに笑われるし」と言って、視線だけで後ろを見た。
1つ上の連中がにやにやしながらこちらを見ている。自分たちの試験が終わったものだから気楽なものだ。
「あんなやつら気にしなくていいよ。関係ないんだから」
「いやでも……」
「早く早く」
「ばかにされそうだし……」
「柴ちゃんは誰からもばかにされてるじゃないかー!」
怒鳴ってしまった。1つ上の連中の会話が止まった。自分でも驚いたが言葉が止まらない。
「柴ちゃんはほら吹きだし、みえっぱりでできないことばかりだし、そのくせ自慢ばかりするし。他人のことは見下してるし、つよいやつには卑屈だし。いつも口ばっかりで何かを最後までやったことなんてないじゃないか。これ以上どうやってばかにされるんだよ!」
勝手に言葉があふれてくる。止めようとしても止まらないので、言葉が出るにまかせることにした。「すごく言うじゃん」と、もうひとりの自分がどこかから見て他人事のように言う。
「免許取ったんだろ、ちょっとは勉強したんだろ。やってみろよ! やってから言えよ!」


そこから先のことは、少ししかおぼえていない。
ぼくはさけんだ後で「ごめん」と言いながらわんわん泣いていたこと。
柴ちゃんも泣いていたこと。泣きながら操縦桿を握ったこと。飛んだこと。
「すごいよ!さすがだ柴ちゃん!」と言うぼくに、いつもなら「あたりまえだろ。マサとはちがうんだ」と言う柴ちゃんが「たまたまだよ」と遠慮がちに笑ったこと。


結局試験会場には到着できなかった。
柴ちゃんは飛行機が落ちないように前を見るのがせいいっぱいだったし、地図はないし、地図があったとしてもどっちみち目的地には着けなかっただろう。
墜落せずに飛行機の胴体をこすりながら着陸できたことだけでも奇跡といっていいだろう。

ぼくらは試験に落ちた。
また来年だ、とどちらからともなく笑った。
それまでに操縦の練習もしとかなくちゃな、と柴ちゃんはまじめな顔をしてつぶやいた。

2016年11月28日月曜日

幽霊から学ぶ生物進化学と経営への提言


まったく光の届かない深海に棲む魚は、ものを見る必要がないため眼が退化するといいます。

一方、幽霊。

彼らには脚がありません。
浮遊能力を身につけたことで歩く必要がなくなり、脚という器官が不要になったためです。

脚をなくしたことで脚の維持・活動にかかっていた物資やカロリーを他の器官にまわせるようになりました。
また、脚の分の重量がなくなったために、浮遊に用いるエネルギーも少なくて済みます。
脚をなくすのはたいへん効率がいい退化であるといえますね。

また幽霊には胃や腸などの消化器官もありません。
彼らは怨念をエネルギーに変換して活動しているため、食物からカロリーを摂取する必要がないのです。
そのため消化器官は少しずつ小さくなり、ついにはなくなってしまったのです(ただし完全に消えたわけではなく、なごりはまだ見られます。「霊腸」と呼ばれる、今では何の役にも立たない器官がかつて腸を持っていた痕跡です)。

消化器官はなくなりましたが肺や舌は今も残っています。
これは「うらめしや」といった言葉を発することで怨みを伝達するためです。

怨念エネルギーによって肺に空気を取り込み、怨念エネルギーによって空気を吐き出し、その際に喉を振動させることによって「うらめしや」という音を発するのです。

幽霊の声帯は人間のものより長く、また自在に震わせることができます。
これによって、より低く恨めしく聴こえる声を出すことができるのです。
他の幽霊との怨み競争に勝つための戦略であるといえるでしょう。

大昔の幽霊は人間とほとんど同じ姿をしていました。
ですが代を重ねるごとに少しずつ遺伝子が変化していきました。
不必要な器官を持った幽霊は怨むことができずに淘汰されていき、結果として今の姿の幽霊だけが残ったというわけです。

失ったものばかりではありません。新たに身についた機能もあります。
たとえば浮遊能力がそれです。

昔の幽霊は、浮くことができませんでした。
当時は高い建物がなかったので、浮かずとも怨む相手の夢枕に立つことができたからです。
ところが文明が進むにつれ、高いところに住む人間が増えてきます。これでは夢枕に立つことができません。
しかし幽霊は進化の過程で浮遊能力を獲得しました。
浮遊できる幽霊は他の個体に比べて怨みに行くのに有利だったために、浮けない幽霊は淘汰され、浮ける個体ばかりになったのです。

このように別の種の進化にあわせて進化することを「共進化」といいます。
捕食者が鋭い歯を持つようになったからカニが堅い殻を持つようになった、というのと同じです。

また、幽霊が建物などを透けることができるのも、共進化により獲得した形質です。
昔の人の家は鍵がなかったり壁にすき間があったので幽霊が侵入しやすかったのですが、今の住宅は気密性が高いのでかんたんに入ることができません。
そこで壁を透けて通れる能力を身につけたのです。

このように、幽霊の進化速度はたいへん速く、人間のライフスタイルの変化にあわせてその形態や行動はどんどん変わっています。
近年では、写真に写ったりビデオテープを介して呪ったりといったことも可能になっています。

もしかすると、もうドローンにつかまって移動したり電気自動車に特化した幽霊も出現しているかもしれません。

幽霊がこれだけ長期にわたって繁栄してきたのも、この
「的確に状況の変化をとらえる力」と
「変化に柔軟に対応するために既存の成功パターンを捨てて自己を変革していく柔軟な精神」
があったからに他なりません。

我々ビジネスマンが幽霊から学ぶべきことは非常に多くあります。

ここにお集まりいただいた経営者諸兄に対しては、ぜひこのことを忘れずに今後の経営に勤しんでいただきたいと思います。

本日はご清聴、ありがとうございました。


2016年10月3日月曜日

【創作】たまごのしょうたい

そのときです。

おなかにきょうれつないたみと、からだがきゅうにもちあげられるかんかくがありました。

オオワシです。
オオワシのおおきなつめが、おなかにくいこんでいるのです。
じたばたとあばれましたが、ぎらりとまがったかぎづめがからだにくいこむいっぽうで、とてもにげられそうにありません。

オオワシがおりたったのは、じぶんのすでした。

ナイフのようにするどいくちばしで、ふたりのはらわたをひきさきます。



ああ、あそこにおちていたのはオオワシのたまごだったんだ。

あのたまごをホットケーキにしてしまったぼくたちのことを、うらんでいたのか。

やけるようなはらわたのいたみと、うすれゆくいしきのなかで、ぐりとぐらがさいごにおもったのはそのことでした。

2016年8月30日火曜日

【ふまじめな考察】勝者の論理


そうだのう。

昔もいじめはあったが、わりとみんなあっけらかんとしていたなあ。
ガキ大将が堂々とぶん殴ってたから、いじめられた側も根に持ったりしなかった。
わしもいっぱい殴ったし、同じくらいいっぱい殴られた。
みんなそこから社会のありようを学んだりしていたもんだ。
殴るほうもちゃんと加減をしていたんだ。

でも今のいじめは、ほら、インターネットを使ったりして陰湿だろ?
外で遊ばなくなったことや、教師が体罰をしなくなったことが原因なんだろうな。


それから、昔の戦争は、今みたいに陰湿じゃなかった。
剣や銃で正々堂々と闘ったから、殺されたほうも恨んで幽霊になったりせずにあっけらかんとしていたものだ。
イギリスやアメリカみたいなガキ大将が力でねじ伏せる戦争をしてたからな。
みんなそこから国際社会のありようを学んだものだ。

でも最近はインターネットを使って情報収集をしたり、コンピュータを使って遠くから空爆したりして、やり方が陰険だろう?
だから兵士が帰国後に精神病になったりするんだ。

昔はちゃんと残党狩りをしたり敗戦国に無茶な講和条約を押しつけて力を削いだりしたから、復讐の連鎖なんてものも生まれなかった。
今は敗戦国を民主化しようとしたりするから、テロが生まれたりするんだ。
それも、子どもが外で遊ばなくなったことや体罰がなくなったことが原因なんだ。

昔の戦争はからっとしててよかったなあ。

2016年8月21日日曜日

【おもいつき】感動の大安売り


「感動をありがとう」
最近よく耳にする言葉ですね。

しかし感動を用いたあいさつはこれだけではありません。

ここでは、感動あいさつの事例を紹介しましょう。

日本選手が金メダル!
感動をありがとう!

喜んでもらえてうれしいです。
感動をどういたしまして!

日本選手の金メダル獲得まで残りわずか!
感動をいただきます!

みっともない負けかたをしてしまってお恥ずかしい。
感動をごめんなさい……。

よくがんばったな。
感動をおつかれさん!

まだ勝負はついていませんが、わたくし、早くも胸が熱くなってきました。
感動をお先に失礼します!

見事リベンジ達成! 2大会ぶりの金メダルです。
感動よおかえり!

さあいよいよ日本中が待ちのぞんだ決勝戦です。
感動へようこそ! 感動へおこしやす! めんそ~れ感動!

なんだよ不甲斐ない戦いしやがって!
おととい感動しやがれ!

オリンピックもいよいよ閉会です。
それではみなさん、また感動する日まで~!


2016年7月29日金曜日

【エッセイ】ほんとにあった、たどたどしい話

ほんとにいるんですねえ。
いやいや、いると聞いてはいたんですが。
目の当たりにしたのははじめてでした。

百貨店で、幼稚園児くらいの子がおもちゃを買ってほしいと、お母さんにせがんでいました。

するとそのお母さんが、
「そうね、ええっと、おくとーばー、のーべんばー、でぃっせんばー……。でぃっせんばーになったら買ってあげる!」

はじめはぼくも、ふざけてるんだろうなあ、と思っていました。
でもその後もお母さんは一生懸命しゃべっていました。

「でぃっせんばーになったらプレゼント、プレゼント・ふぉー・ゆー。わかる? あんだーすだんど?」


出たー、本物だ!
これが本物の、とにかく英語(っぽい言葉)でしゃべることが子どもの英語習得に有効だと本気で信じてる母親だー!

日本語混じりのたどたどしい英語。
もう完全にルー大柴。
聞いてるこっちが恥ずかしい。

ですがお母さん。
安心してください。

あなたのその努力はきっと実ることでしょう。
あなたのお子さんは、きっと将来は流暢なルー語をしゃべれるようになることでしょう。

ちなみに、早期教育が外国語の習得に有効だという説もありますが、教育科学的にはまったく証明されておらず、否定的な研究結果のほうが多いみたいですよ。


……と声をかけようかと思いましたが、やめときました。

だって昔から言うでしょう、「言わぬがフラワー」ってね。

2016年4月3日日曜日

【エッセイ】墓石転倒率


地震の震度を測るための指標のひとつに
「墓石がどれだけ倒れたか」
というものがあるらしい。

住居だと素材も構造も大きさも形状もまちまちだから、小さい揺れで倒れる家もあれば、大地震にも耐える家もある。
その点、墓だと日本中どこでもだいたい同じ素材・同じ大きさ・同じ形だから、揺れの比較がしやすい。
また、住居だと「これは半壊か全壊か微妙なところだな……」というケースもあって観測者によって判断が異なったりするが、墓石が倒れたかどうかは誰が見ても明らかなので、観測者によるぶれも小さいのだという。


なるほどー。
理にかなっている。
反論の余地もない。

しかし「墓をデータとして扱う」ってなんかふしぎな感覚だ。
ぼくは不謹慎な人間なので平気だが、やっぱり眉をひそめる人もいるんじゃないだろうか。

「墓石倒壊率67%でした」とか言うことに抵抗を感じるんじゃないか。
「東大合格率75%!」とか「お客様満足度97%!」みたいな扱いでいいのか。
ま、いいんだけど。



しょせん墓石なんてただの石の塊だとはわかってるけど、でもやっぱり、その下に埋まっている死人のことが頭によぎっちゃう。




えー、アルバイトのみなさん。
今日はお暑いなか、墓地までお越しいただいてありがとうございます。

わたくし、大学で地震の研究をしております。
その研究のため、みなさんには墓石の倒壊率を計測していただきたく思います。

右手のカウンターで、全部の墓石の数をかぞえてください。
左手のカウンターで、そのうち倒れている墓石の数をかぞえてください。
端までかぞえたら、私のところに数を報告してください。集計はこちらでやります。

以上です。
かんたんですね。
なにか質問はありますか?


はい、そこの方。

はあはあ、倒れてる墓石はどうしたらいいか、ですか。
それはそのままにしておいてください。
なんだかかわいそうな気もしますけどね。
今回はあくまで計測が目的なので。
へたにいじって、場所がおかしくなってもいけませんしね。


はい、あなた。

なるほど、隣のお墓にもたれかかっているお墓をカウントするかですか。
それは、倒れているものとしてカウントしてください。
死んでまで、誰かを支えようとする人もいるんですね。立派ですね。
ドミノだったら「なんで倒れないんだよ!」つってがっかりされちゃうやつですけどね。


はい、そこの方。質問どうぞ。

はあ。
地震で家が倒れて亡くなったの人のお墓が倒れた場合は、倒壊率200%になるんでしょうか、ですか。
そんなわけないでしょ。


はい、もう一度あなた。

地震で家が倒れた人の墓石が倒れて、その墓石の下敷きになって死んだ人の墓が倒れなかった場合はどうするか、ですか?

あなた、お墓の事情について考えすぎですよ。
ただ墓石が倒れているかどうかだけ気にしていたらいいんです。


はい、もう一度あなた。

はい?
墓石が倒れて、その下から死んだはずの人が息をふきかえして出てきた場合はそもそも墓と定義することはできないんじゃないか、ですか……?

その場合はですね……。
すぐに救急車を呼んでください!


2015年9月13日日曜日

【ふまじめな考察】よく見たら収納もない

とあるミステリ。
人里離れた館に閉じこめられてそこで殺人事件が起こる、というよくあるやつ。
どうやって犯人は誰にも気づかれずに殺人現場まで移動したのか、という話になって館の間取り図が出てきた。

あれっ。

ないっ……!

風呂がどこにもない……!

どういうことだ。
21世紀にもなって風呂なしの家なのか。
年老いた大富豪が晩年を過ごすために建てた館なのに。
まさか銭湯まで通ってるのか、大富豪。
人里離れた館なのに、歩いていける距離に銭湯があるのか。
だとしたら、犯人はこの中にいるとはいえないんじゃないか。風呂屋のおやじも容疑者のひとりなんじゃないか。

大富豪は大の風呂嫌いで、見るのもいやだから館に風呂をつけさせなかったのだろうか。
そうにちがいない。
そんな館に人を招くなよと言いたくなるが。


待てよ……。
間取り図をよく見ると、ないのは風呂だけじゃない!
トイレもないっ……!

そんなはずはない。風呂はともかく、トイレのない館なんてありえない。

図面には書いてない2階があるのだろうか。トイレは2階にだけあるのか。
しかし年老いた大富豪だぞ。
歳をとるとおしっこは近くなるし、そのたびに階段を昇り降りするのはたいへんだ。

そうか。
離れがあるのか。
たしかに、古い日本の家だとそういう造りになっていることもある。便所が離れにあって、庭に出ないと行けないようになっている造りの家。
館というからてっきり洋館かと思っていたが、まさか古い日本家屋だったとは。
謎はすべて解けた!

いやいやいや。
そうなるとまたべつの疑問が。
昨夜は、この館に人の出入りはなかったはずだ。そのことはお手伝いさんが証言している。セキュリティシステムがはたらいているので誰かが出入りしたらわかるはずだと(だから風呂屋のおやじは犯人ではない)。
そして、朝早くに大富豪の死体が発見され、居間に全員集められた。

と、いうことは。

ここにいる全員、昨夜から朝にかけて誰もトイレに行っていないということになる。
全員に「トイレには行けなかった」というアリバイがあるのだ。
どうなってるんだ。平気なのか。
昨夜はごちそうがふるまわれていたぞ。ワインで乾杯もしていた。一晩トイレに行けなかったら、相当尿意もたまっているんじゃないか。風呂がないから風呂場で用を足すわけにもいかないし。

みんな我慢しているのか。
殺人犯におびえている女も、冗談じゃないと怒っているおじさんも、冷静に推理をしている探偵も、そしてばれないだろうかとひやひやしているであろう真犯人も、みんなおしっこを我慢しているというのか。

しかしそうは見えない。
みんな、いたって落ち着いている。
ひとりずつ昨夜の行動を確認している場合じゃないだろう。「おれは部屋に戻る!」とか言う前に、まずはトイレだろう。
なぜ誰も「ちょっとトイレ」の一言を言わないんだ?

まさか、この館の人間は、誰もおしっこを我慢していないのか……?

ということは、なんらかの方法で既に排尿を済ませたことになる。
彼らはいったいどんなトリックを使っておしっこをしたのか……。
謎は深まるばかりだ。

2015年6月20日土曜日

シュレッダー取扱者


会社で大きなシュレッダーを買ったんだけど、こいつがすごく怖い。

だってとにかく大きいんだもん。
あたしくらいの大きさの貴婦人なら、軽々と飲み込んでしまえそうなサイズ。
一回も中のごみ袋を交換することなく、ふたりくらいは裁断できると思う。

おまけに何がおそろしいって、車輪がついてること。
たぶん、あんまり大きくて持ち運びが困難だからなんでしょうね。
鋭い歯とありあまる重量感だけでも恐怖なのに、機動性まで身につけてる。

もはや125ccくらいはあるんじゃない?

幸い、今のところこいつは高い知能は持ってないみたい。
エサ(不要紙)を与えられたときだけ食らいついて、ばかみたいにひたすら咀嚼してる。
鳥のヒナくらいの知性しか持ってない。

でも鳥のヒナってことは、ゆくゆくは成鳥になる可能性を秘めてるわけよね。
こいつが自由の翼を手に入れたとき。
考えただけでもぞっとする。

巨大なシュレッダーが、車輪をきしませながら次々に人を襲う。
逃げまどう子ども、立ち向かう男、巻き込まれるネクタイ、そして断末魔を残してシュレッダーに吸い込まれてゆく人々。

人類はDNAレベルで切り裂かれ、個人情報の断片と化す。
そのとき人間たちは思い知る。
個人情報保護という名のもとに、とんでもないモンスターマシンを産みだしてしまったことを……。

だからあたしは思うの。
この巨大シュレッダーを扱うためには、危険物取扱者資格か、せめて大型一種免許は必要にするべきだって。

2015年6月16日火曜日

裏鈴木と国技の危機

 そりゃ泣くよ。
 あいつが結婚したんだもん。

 元カレ? じゃない。
 ずっと恋い焦がれてた人でもない。

 学生時代の友達。
 裏鈴木キミコって女。

 あたし、裏鈴木キミコは結婚しないと思ってた。
 だって裏鈴木キミコって、2年くらい前、ひとりで国技館に相撲みにいってたのよ。
 しかも初日。千秋楽だったらまだわかるけど初日。
 ひとりで大相撲の初日をみにいくような女が結婚できるわけないってのは日本の国技はじまって以来の常識じゃない。
 なのに結婚することになったの。これもう国技の危機よね。


 話がそれたわ。
 あたし、裏鈴木キミコが結婚するって聞いて、急いで裏鈴木キミコに電話したの。
 夜中の2時だったけどしったこっちゃないわ。
 ことは一刻を争うもの。
 そして問いただしたわ。結婚したら苗字はどうするのって。

 答えを聞いて愕然とした。
「加藤」ですって。
「裏鈴木っていう名前、嫌いだったからよかったわ。めずらしいから名乗ったときに必ず聞き返されるし。やっぱり平凡な苗字がいいわよ」なんて平然と言うのよ。
 信じられない。なんて無神経なのかしら。
 電話じゃなかったら、あたし、ごぼうで裏鈴木キミコの頭をひっぱたいてるとこだったわ。
 電話線がごぼうを通さなかったことに感謝してほしいわよね。

 あたしは「裏鈴木にしなさいよ」って説得したけど無駄だった。
「もうお互いの家で話はついてるから」って、聞く耳持たずよ。


 悔しくって悔しくって、泣いたわ。
 男女同権とか言うつもりはないよ。
「裏鈴木」っていうめずらしい苗字が消えゆくことに思いを馳せて泣いたのよ。

 裏鈴木キミコって、お姉ちゃんと二人姉妹なの。
 でもお姉ちゃんも結婚して、今は別の苗字。
 だからその家の「裏鈴木」の苗字を受け継ぐ人はいなくなるの。
 もしかしたら日本で最後の裏鈴木家かもしれない。
 裏鈴木キミコのお父さんとお母さんが死ぬとき、「裏鈴木」の苗字は消えてなくなっちゃうかもしれない。

 こんな悲しいことってある?
 トキが絶滅するかもしれないってニュースで言ってるけど、すごい勢いで地球上から森が消失してるって新聞には書いてあるけど、こうしている間にも、日本中でめずらしい苗字が絶滅していってるのよ。

 めずらしい苗字は絶滅の危機に瀕している。
 子どもが生まれなかったり、生まれた子どもが結婚して相手の苗字に変えちゃったりしたら、その苗字は消える。
 あと何千年か、何万年かしたら、日本は「佐藤」「鈴木」「田中」「山田」「山本」「高橋」なんかの平凡な苗字で埋めつくされている。

珍名さんがひとりもいなくなったら、この世の中は0.2%ほどつまらなくなるよ。
 

 だからあたし、25歳になったら選挙に出ようと思うの。
 国会で法案を通すために。
 あたしの法案はこう。
「結婚後の苗字は、夫と妻の苗字のうちめずらしい方を名乗らなくてはいけない」

 山田さんと長万部さんが結婚したら、どっちが男であっても、長万部さんの苗字を名乗らなくてはならないの。
 こうすれば、めずらしい苗字が絶滅する危険性はぐっと減るはず。
いいと思わない?