2025年11月5日水曜日

【読書感想文】阿部 朋美・伊藤 和行『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』 / なんとなく書かれたぼんやりした本

ギフテッドの光と影

知能が高すぎて生きづらい人たち

阿部 朋美  伊藤 和行

内容(e-honより)
没頭しやすい、情報処理が速い、関係づくりが苦手…高IQが「生きづらい」のはなぜ?特異な才能の一方で、繊細さや強いこだわりを併せ持つ彼ら。時代、社会、環境に翻弄されてきた実情に迫るノンフィクション!

 ギフテッドとは、生まれつき(または幼い頃から)卓越した能力を持った人のことを指すらしい。知能の高い人を指す場合が多いが、知能に限らず芸術的才能などに秀でた人にも使われるのだそうだ。


 そんなギフテッドたちに取材してその生きづらさを紹介する本……なのだそうだが、あまりに内容がひどかった

 まず、“ギフテッド”をきちんと定義していない。医学界でも教育界でも正式に認められた言葉ではないのであたりまえなのだが、誰がギフテッドなのか、誰がギフテッドじゃないのかの明確な基準がない。「ギフテッドたちに取材」というこの本の前提からしてあやふやだ。

 結局この本では「誰かに『ギフテッドです』と言われたことのある人」を“ギフテッド”としている。なんじゃそりゃ。

 それって「生まれてから一度は『天才』って言われたことのある人」と同じくらい信頼性の低い基準じゃない? たぶんほとんどの人が該当するだろう(そしてそのほとんどは天才ではない)。

 せめて「世界的に多く用いられている○○という知能テストでIQ120以上と診断された人をこの本の中ではギフテッドとして扱います」みたいな定義があればまだ信頼できるんだけど。


 定義がないから「自称ギフテッドさんたちに話を聞いてみた」でしかないんだよね。



 前提があいまいなので、もちろん内容もぼんやりしている。

 同時に、IQを検査してくれた医師から、IQに差がある子どもたちと過ごすということは、学年が異なるクラスで過ごすようなものだと教えてもらった。「学年が違うクラスで過ごすような感覚が日常なのは、それは息子にとって苦痛だなと、やっと息子のつらさがわかりました。IQが高いのは、いいことだと思ったこともあるのですが、話が合わない、関心事が合わない集団に日常的にずっといるっていう息子のつらさを初めて知った気がします」(純子さん)
 そして、IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた。
 授業の内容は、都央さんにとって学びが多いとは言いがたいものだったという。「授業は淡々と受けて、教室にいればいいので楽だなと思う一方で、楽しい時間ではないのでつらい場所でもある」とこぼす。

 こんな話が並ぶんだけど……。

 もちろん「IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた」を裏付ける根拠はまったくない。IQが高い人たちを対象にした大規模な調査結果、みたいなものはまったくない。ただのうわさ話。


 だいたいさあ。「IQが高い人が生きづらさを抱えている」自体がかなり怪しいんだよね。

 日本においては全児童に共通でIQテストを受けさせたりしていない。IQテストを受けるのは、(学校になじめないなどの)問題があって専門医を受診する子ぐらいだろう。

 であれば、IQが高いと診断された子が生きづらさを抱えている率が高いのはあたりまえだろう。だって周囲とうまくやっていける子は精神科に行ってIQテストを受けたりしないんだもの。


「精神科に連れていかれた結果IQが高いと診断された人」ばかり取材している。そりゃ「ずっと生きづらさを抱えていました」っていうエピソードが出てくるのはあたりまえだろう。

 IQが高くて社会でうまくやっていける人はわざわざ病院に行って知能テストを受けたりしないし、テストを受けたとしても己のIQの高さを大っぴらに発信したりしない。自慢話は嫌われるだけだから。



 この本で紹介されている「ギフテッドがもつ才能」もかなりいいかげんなんだよね。

「8歳で量子力学や相対性理論を理解」なんてのは(ほんとだとしたら)たしかに常人離れしたエピソードだけど、「4歳で九九を暗記、6歳で周期表を暗記」「2歳で歌を作り、4歳で絵本を作った。小5の現在はアプリを作成中」なんてのはぜんぜんふつうの子だ。 著者は子育てしたことないのかな。

 電車の名前に詳しい子どもとか恐竜の名前をおぼえまくってる子なんてそのへんにごろごろいるよ。子どもは、親に褒められたら周期表ぐらいすぐおぼえるよ。「6歳にして一からほぼ正確な周期表をつくる」ぐらいじゃないと天才的なエピソードとは言えないだろ……。



 ずっと進学校に通って苦労しなくても勉強ができたけど社会人になってから大変な思いをした人の話。

 自分のアイデアや課題を解決するための踏み込んだ思考をもとに主体的に動くと、上司や先輩たちの考えと合わなくなり、低評価を受ける。「人の気持ちが理解できない」「思考能力がない」「自分の頭が悪いことを受け入れろ」とののしられることもあり、体調が悪化。休職した。経緯を聞いた重役と他の上司からは「あなたのような人材が会社に必要だ」と言ってもらえた。嬉しい半面、「だったら、なぜ守ってもらえないのか」という悔しさも入り交じった。
 上司と吉沢さんの間には、見えている視点や仕事のやり方に大きな違いがあった。吉沢さんには、保身のためにやり方を変えようとしない上司の思考が見て取れた。一方で、上司や周囲の人には、会社やグループ企業全体のことを考えて提案する吉沢さんの考え方は理解できなかったのかもしれない。
 吉沢さん自身は、上司や同僚と衝突するたびに悩んだ。「自分は正しいことをしているはずという思いと、自分ができないから悪いんだという葛藤をずっと続けてきた」という。
 自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。

 いやあ、こんなの誰もが経験する話でしょ……。百年前からサラリーマン小説のテーマになっていることだよ。

 たぶんほとんどのサラリーマンは「おれは頭が良くて効率のいいやりかたができるのに周囲がバカばっかりで理解されない」と感じたことあるよ。




 著者が第2章で書いている。

「小学校に入る前に外国語が話せるようになる、相対性理論を完全に理解する、など超人的な才能を見せる子どもがギフテッドだと誤解されているように感じます」
 メディアで取り上げられるのも、若くして英語や数学の検定に合格した子どもや飛び級で大学に入学した子どもなどで、やかで実年齢と大きく乖離した結果を残した子どもがフォーカスされやすい。珍しいがゆえに、ニュースとして取り上げられてしまうのだ。私自身も、当初ギフテッドに抱いた印象はそうした「超人」だった。
 このような情報を見聞きするうちに、「ギフテッドー人並み外れた超人的な才能を持った天才」といったイメージが先行しているのかもしれない。しかし、そうした超人的な才能があるのはギフテッドの中でもごく一部で、極めてまれな存在なのだという。
「学校の先生が『教師人生でそんな才能の子どもを見たことがない」とつぶやいたと聞いたことがあります。この先生の感覚は決して間違っておらず、ギフテッドのイメージが超人的なものに限定されてしまったことに誤解の原因があると思います」角谷教授。
 つまり、超天才がギフテッドだと誤解をしてしまうと、学校の先生たちは自分たちの教え子の中にギフテッドがいるにもかかわらず、気づかない可能性があるということになる。
 角谷教授によると、ギフテッドとされる子どもは様々な才能において3~10%程度いるとされている。35人がいる教室では、1~3人のギフテッドがいることになる。「教師人生で見たことがない」どころか、今の教え子の中にもギフテッドがいるかもしれないのだ。ギフテッドのうち、9割を占めるのがIQ120~130の人で、「人並み外れた超人的な才能を持った天才」とイメージされるIQ160を超えるような人は、ギフテッドの中でもごくごくわずかだという。
 「学校の先生であれば、毎年ギフテッドに出会っている可能性が高い。想像よりも多くの子どもたちが『学校の勉強は知っていることばかりでつまらない」という悩みや自分の特性を理解されずに困っている可能性があります」

 3~10%の子をギフテッドとしちゃうんだ。それだけいたら生きづらさを抱えている子もいっぱいいるだろう。そしてそれよりずっと多くの「さほど生きづらさを感じていないギフテッド」も。


 この本のサブタイトルは「知能が高すぎて生きづらい人たち」だけど、ずいぶんな暴論だ。正しくは「知能が高くて、生きづらい人たち」だ。

 似ているようでぜんぜんちがう。「絵がうまくて生きづらい人たち」がたくさんいるからと言って「絵がうますぎて生きづらい」とは言えませんよ。


【関連記事】

【読書感想文】人生の復習と予習をいっぺんに / ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

【読書感想文】松岡 亮二『教育格差 階層・地域・学歴』 / ゆとり教育は典型的な失敗例



 その他の読書感想文はこちら