ギフテッドの光と影
知能が高すぎて生きづらい人たち
阿部 朋美 伊藤 和行
ギフテッドとは、生まれつき(または幼い頃から)卓越した能力を持った人のことを指すらしい。知能の高い人を指す場合が多いが、知能に限らず芸術的才能などに秀でた人にも使われるのだそうだ。
そんなギフテッドたちに取材してその生きづらさを紹介する本……なのだそうだが、あまりに内容がひどかった。
まず、“ギフテッド”をきちんと定義していない。医学界でも教育界でも正式に認められた言葉ではないのであたりまえなのだが、誰がギフテッドなのか、誰がギフテッドじゃないのかの明確な基準がない。「ギフテッドたちに取材」というこの本の前提からしてあやふやだ。
結局この本では「誰かに『ギフテッドです』と言われたことのある人」を“ギフテッド”としている。なんじゃそりゃ。
それって「生まれてから一度は『天才』って言われたことのある人」と同じくらい信頼性の低い基準じゃない? たぶんほとんどの人が該当するだろう(そしてそのほとんどは天才ではない)。
せめて「世界的に多く用いられている○○という知能テストでIQ120以上と診断された人をこの本の中ではギフテッドとして扱います」みたいな定義があればまだ信頼できるんだけど。
定義がないから「自称ギフテッドさんたちに話を聞いてみた」でしかないんだよね。
前提があいまいなので、もちろん内容もぼんやりしている。
こんな話が並ぶんだけど……。
もちろん「IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた」を裏付ける根拠はまったくない。IQが高い人たちを対象にした大規模な調査結果、みたいなものはまったくない。ただのうわさ話。
だいたいさあ。「IQが高い人が生きづらさを抱えている」自体がかなり怪しいんだよね。
日本においては全児童に共通でIQテストを受けさせたりしていない。IQテストを受けるのは、(学校になじめないなどの)問題があって専門医を受診する子ぐらいだろう。
であれば、IQが高いと診断された子が生きづらさを抱えている率が高いのはあたりまえだろう。だって周囲とうまくやっていける子は精神科に行ってIQテストを受けたりしないんだもの。
「精神科に連れていかれた結果IQが高いと診断された人」ばかり取材している。そりゃ「ずっと生きづらさを抱えていました」っていうエピソードが出てくるのはあたりまえだろう。
IQが高くて社会でうまくやっていける人はわざわざ病院に行って知能テストを受けたりしないし、テストを受けたとしても己のIQの高さを大っぴらに発信したりしない。自慢話は嫌われるだけだから。
この本で紹介されている「ギフテッドがもつ才能」もかなりいいかげんなんだよね。
「8歳で量子力学や相対性理論を理解」なんてのは(ほんとだとしたら)たしかに常人離れしたエピソードだけど、「4歳で九九を暗記、6歳で周期表を暗記」「2歳で歌を作り、4歳で絵本を作った。小5の現在はアプリを作成中」なんてのはぜんぜんふつうの子だ。 著者は子育てしたことないのかな。
電車の名前に詳しい子どもとか恐竜の名前をおぼえまくってる子なんてそのへんにごろごろいるよ。子どもは、親に褒められたら周期表ぐらいすぐおぼえるよ。「6歳にして一からほぼ正確な周期表をつくる」ぐらいじゃないと天才的なエピソードとは言えないだろ……。
ずっと進学校に通って苦労しなくても勉強ができたけど社会人になってから大変な思いをした人の話。
いやあ、こんなの誰もが経験する話でしょ……。百年前からサラリーマン小説のテーマになっていることだよ。
たぶんほとんどのサラリーマンは「おれは頭が良くて効率のいいやりかたができるのに周囲がバカばっかりで理解されない」と感じたことあるよ。
著者が第2章で書いている。
3~10%の子をギフテッドとしちゃうんだ。それだけいたら生きづらさを抱えている子もいっぱいいるだろう。そしてそれよりずっと多くの「さほど生きづらさを感じていないギフテッド」も。
この本のサブタイトルは「知能が高すぎて生きづらい人たち」だけど、ずいぶんな暴論だ。正しくは「知能が高くて、生きづらい人たち」だ。
似ているようでぜんぜんちがう。「絵がうまくて生きづらい人たち」がたくさんいるからと言って「絵がうますぎて生きづらい」とは言えませんよ。
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