2019年12月23日月曜日

M-1グランプリ2019の感想 ~原点回帰への祝福~

M-1グランプリ2019の感想。

ここ数年(というかこのブログでは)感想を書いていなかったんだけど、今年はいろいろおもうところがあったので。
そのおもうところは後で書くとして、まずは各ネタの感想を。



ニューヨーク (ラブソング)


今年のM-1グランプリはおもしろかったという声が多かったが、その最大の立役者は彼らだとおもう。殊勲賞をあげたい。というか個人的にはネタもめちゃくちゃおもしろかった。

歌ネタということでポップで楽しく、それでいて持ち味のどす黒い偏見や悪意がさりげなく散りばめられているネタ。
トップとして満点だった。
もともと彼らの悪意に満ちたネタは大好きだったんだけど、こういう大会には不向きだろうともおもっていた。
だがこのネタでは「自作の歌」にツッコむ、という形をとることでその嫌らしさをうまく隠すことに成功した。ほんとの悪意は安易な作詞をするミュージシャンだったりそれに共感する女性だったりに向いているのだが、表面的には嶋佐個人が攻撃されているように見えるのでバレにくい。
また「『100万回』って言っときゃ喜ぶ」みたいなさりげない悪意を撒きちらしながら、それを後からボケに活かしているところなどはつくづく見事。ただの悪口が笑える悪口になった。

間奏をつくってその間にまとめてツッコむところなんかほんとに感心した。昔、銀シャリが「いっぺんにボケて後からまとめてツッコむ」という形の漫才をよくやっていたけど、同じことでも歌に乗せればまとめてツッコむ必然性が生まれて違和感なく聞ける。

ネタ、テクニックともにハイレベル。個人的には2位ぐらい。
なんでこれが最下位なんだよ!



かまいたち (UFJとUSJ)


いやあすごい。UFJとUSJをまちがえるってめちゃくちゃしょうもない題材だよ。他の芸人なら1秒でボツにするぐらいの。それを発端にあそこまでのネタに仕上げるってとんでもない技術だよね。表現も多彩、緩急も自在でぜんぜん飽きさせないし。
芸歴数十年のコンビを入れても、今いちばん腕のある漫才師じゃないかな。

めちゃくちゃおもしろくてめちゃくちゃうまくて非の打ち所がひとつもなくて、でもだからこそ「もう君たちM-1出なくていいやん」って思っちゃうんだよね。知名度もあるわけだし。藤井聡太棋士が全国高校生将棋コンクールに出てきたみたいな感じというか。もう優勝しても得られるものほとんどないでしょ。



和牛 (不動産屋の内見)


コントへの導入が見事だよね。
台詞の途中でいつの間にか不動産屋に変わっているというボケで軽く笑いもとりつつ、スピーディーかつスムーズにコントに入る。

とはいえネタは、ボケがほぼ2パターン(「住んでる」と「事故物件を喜ぶ」)なので、ちょっと物足りない。
コントへの入り方とか、ツッコミがいつのまにかボケになるとか、動きのおもしろさも見せるとか、テクニックでいえばまちがいなくトップなんだけど。
どうしても過去の和牛と比べちゃうんだよね。2018年のオレオレ詐欺ネタと比べると、ねえ……。

ところで敗者復活戦も観ていたのだが、敗者復活戦ではやらなかった細かいボケがいくつか足されていた。たった数時間の間に。
たぶん、敗者復活は時間オーバーに厳しい(強制終了になる)から削っていた台詞を、時間制限のゆるい決勝戦で足してきたんだろうね。測ってないけど、決勝はけっこう時間オーバーしてたんじゃないかな。
そのへんのしたたかさも含めてさすが。



すゑひろがりず (合コン)


おもしろいし笑ったし大好きなんだけど、基本的には言い換えのおもしろさの一点勝負なので、そこまで評価されないだろうなあとおもっていたら意外と点数が高かったので驚いた。
発想自体は第1回キングオブコントでチョコレートプラネットが披露していた「ゴルゴンコンパリオン」だったり、関西ローカルで武将様(ミサイルマン岩部)がやっている「戦国でやっていたシリーズ」だったりとほぼ同じで、とりたてて目新しいものはない。
とはいえ間の取り方や鼓の打ち方扇子の広げ方、表情にいたるまでどこをとってもよくできていて(本物に近いというより我々の頭の中にある「能や狂言ってこんな感じ」という雑なイメージにぴったり)、どんなくだらないことでも継続って大事だなあと感じ入る。

鼓の音を聞いただけで笑っちゃうんだけどもうDNAレベルで何か刻まれているとしかおもえない。たぶんどんなにふつうのことを言っても鼓をぽんと打つだけで笑っちゃうんじゃないかな。

このコンビに関しては決勝進出しただけで大勝利だよね。




からし蓮根 (教習所)


関西賞レースの常連なので何度もネタを観たのだが、どうもぼくの好みからは外れている。何が悪いというわけじゃないんだけど、新しさを感じないんだよなあ。

このネタに関しても、ボケる → ツッコむ → 終わり。またボケる → ツッコむ → 終わり。という流れが単調で、深みがない。ツッコミを受けてさらにボケる、それをさらに広げて……みたいな転がってゆく展開がぼくは好きなので。

生徒がバックで逃げるという盛り上がるシーンをラストにもってくる構成は好き。
でも、そのために「教官が生徒を残して車を降りる」というリアリティに欠けるストーリーを用意したせいで説得力に欠ける。ディティールを大事にしてほしいなあ。




見取り図 (お互いを褒めあう)


個人的には前回大会のネタのほうが好み。
とはいえ、ずっと圧倒的なツッコミ高ボケ低だったコンビが、ボケが強くなってバランスのとれたコンビになりつつあるのはいいことだ。
これだけ腕のあるツッコミがいるんだから、きれいに整ったボケだけでなく、もっと理不尽なボケを投げつけてもいいんじゃないかとおもう。
せっかく腕のいい板前がいるのに切り身の魚しか料理させないようなもったいなさがある。



ミルクボーイ (コーンフレーク)


今からすごくダサいこと書きますけど、
ぼくはずっと前からミルクボーイおもしろいとおもってたからね!

いやほんとほんと。優勝してからこういうこと言いだすのはめちゃくちゃダサいけど。
去年の記事にも書いてるし。

それからミルクボーイはいつ決勝に行くんだろう。毎年準々決勝止まりなのがふしぎでしかたない。独自性もあるしめちゃくちゃおもしろいのに。元々おもしろかったのにひどい偏見を放りこんでくるようになってさらにおもしろくなった。
近いうちに決勝に行ってくれることを切望する。

とはいえぼくも決勝に行くことは願っていたが優勝するとまではおもっていなかった(今年の決勝進出が決まった後でさえも)。
理論で構築していくタイプのコンビだから、勢いが評価される決勝ではあんまりウケないんじゃないかとおもっていた。

数年前のオールザッツ漫才ではじめて彼らの漫才を観て
「こんなにうまくて新しくておもしろい漫才をするコンビがいるのか!」
と驚き、そう遠くない将来いろんな賞を獲ることになるだろうと期待していたのだが、賞を獲るどころか大会で姿を観ない。
あのネタだけが良かったのか? とおもっていたら、翌年のオールザッツ漫才で『滋賀』のネタを観てもう一度衝撃を受けた。さらにおもしろくなっとる……!
『叔父』『デカビタ』など、どのネタもフォーマットは同じでありながら安定しておもしろい。なのにオールザッツ漫才でしか姿を観ることができない。関西はわりと土日の昼間とかに漫才番組をやっていて若手も出るのだが、ミルクボーイはそこにも出ない。M-1グランプリも準決勝まで行けない。決勝はともかく準決勝に行く実力はあるだろ!
……と他人事ながらずっとほぞを噛む思いをしてきただけに、今回の出場→優勝はちょっと信じられない。当人たちが「こんなことありえない」というリアクションをしていたことにもうなずける。

今回のネタは、客席との一体感も含めて完璧な出来だった。中盤以降は何を言ってもウケる状態。突飛なことを言っているわけではないのにずっとおもしろい。2005年大会のブラックマヨネーズがこんな感じだった。こんなにウケることはもう二度とないんじゃないかとおもえるぐらい。

「おお、ミルクボーイがM-1の決勝でウケてる……!」と万感の思いで観ていたので、肝心のネタの内容はあんまり覚えていない。
予選動画でも観たネタだったけど、何度観てもおもしろいよね。
「あの五角形は自分の得意分野だけで勝負してるからやとおれは睨んでる」「朝の寝ぼけてるときやから食べてられる」「浮かんでくるのは腕を組んだトラの顔だけ」
あれもこれもと話題を詰め込むのではなく、ワンテーマをとことん突き詰めたからこそ出てくる珠玉のフレーズ。
よかったなあ。




オズワルド (先輩との接し方)


由緒正しい東京スタイル、って感じの漫才だった。おぎやはぎのスタイルでPOISON GIRL BANDのシュールなネタをやっている、って印象。

出で立ちや声のトーンにどうしても目が行ってしまうけど、ネタの作りがすごく丁寧だった。寿司だけに。
「理論上は」「国民の意見」などのセンスあふれるフレーズを散りばめながら寿司屋から自然にバッティングセンターに移り、「回転寿司」「高速寿司捨てマシーン」という強いワードへ。うまい。
大会では評価されにくいこのタイプのスタイルにしては大健闘。




インディアンス (おっさん女子)


個人的に、楽しいだけの漫才って好きじゃないんだよねえ。あさましいとか見苦しいとかねたましいとかみじめったらしいとか、そんな負の感情を刺激してくれる笑いが好きなんだよ。

中川家礼二がコメントしていたように、素が見えないせいでずいぶん無理をしてるように感じてしまう。明るさが痛々しい。強弱もないし。
この道の先にはアンタッチャブルという巨人がいて、そこと比べるとボケ・ツッコミとも小粒感がぬぐえない。内面からにじみ出てくるものがないんだよねえ。

そしてネタの導入に無理があった。
「おっさんみたいな彼女っていいよね」が共感を得られないまま話を進めていっちゃったものだから、ずっと入っていけないままだった。時間をかけてでも「おっさん女子がなぜいいか」をプレゼンする丁寧さがあったらなあ。

今回の個人的最下位。



ぺこぱ (タクシー)


予選動画ではじめてこのスタイルを観てそのときはたしかにおもしろかったんだけど、2回目にしてもう飽きてしまった。“型”を壊す笑いだから、これ自身が“型”になってしまったらもうおもしろくないんだよね。
(ついでにいうと壊される“型”っぽい漫才をやっていたのがからし蓮根だとおもう。だからからし蓮根の直後の出番順だったら最高だった)

ぼくはこの人たちのネタを他に観たことないんだけど、このネタを観るだけでも
「ああ苦労していろんなスタイルを模索しつづけた末にたどりついた形なんだろうなあ」
という悲哀が感じられてよかった。しっかり作りこまれたネタなのに、それでも魂の叫びが漏れ聞こえてくるようだった。



【最終決戦】

ぼくが3組選ぶなら、ミルクボーイ、かまいたち、ニューヨーク。
ニューヨーク以外の順位についてはおおむね納得。

ぺこぱ (電車で席を譲る)


彼らにとって不運なことに、1本目最後出番→2本目トップ出番 と2本続けてネタをすることになってしまった。
さっきも書いたように、型を壊すタイプのネタなのでからくりがばれている2本目はただでさえ弱くなるのに、連続出番ということでさすがに飽きてしまった。

とはいえ「キャラ芸人になるしかなかったんだ」などの“魂の叫び”は一本目よりさらに強烈。
人間的魅力は十二分に伝わった。


かまいたち (となりのトトロ)


1本目と同じく、くだらない題材を大きく膨らませる技術は圧巻。
他の芸人だったら
「おれとなりのトトロ一回も見たことないわ~」
「だからどうしてん。おんねん、こういうしょうもない自慢するやつ」
みたいな(学天即がやりそう)、せいぜいあるあるネタのひとつにする程度の題材なのに、それをここまで掘りさげられることに恐れいる。幅が狭い分、深みがとんでもない。
どんなお題をもらっても4分の漫才にできるんじゃないだろうか。

共感しやすい話から宗教っぽい語り口のぞくぞくするボケまで持っていく話術は見事の一言。
ほんと、うますぎて若手ナンバーワン漫才師を決める大会にふさわしくない。



ミルクボーイ (もなか)


何が悪いというわけでもないのになぜか好かれない最中(もなか)、という渋い題材でたっぷり4分間。
技術もあって安定しておもしろいのにずっと売れないミルクボーイの漫才を最中に重ね合わせているんじゃないだろうか。そんな気すらした。それほどまでにこのスタイルに対する執念が感じられた。

ミルクボーイのスタイルは何年も前から完成されていた。「ほな〇〇やないか」「ほな〇〇とちゃうやないか」のくりかえし。数年前からほとんど変わっていない。
どのネタも安定しておもしろい。ちゃんとウケる。でも評価されない。

何年も結果が出なければ限界を感じてスタイルを変えそうなものだ。スタイルを変えたことで新しい道が開ける芸人も多い(たぶんぺこぱもそうだろう)。
だが自分たちのスタイルを信じ、貫いた。そして最高の栄誉を勝ち取った。どちらの姿も美しい。

ミルクボーイは、今年勝てなかったら来年以降勝つのはむずかしかっただろう。
正直、2本目のネタは1本目よりウケていなかったようにおもう。ネタが劣っていたというより新鮮さが落ちていたせいだ。

それでもほとんどの審査員はミルクボーイを評価した。
ぼくが票を入れるなら、やはりミルクボーイに入れたとおもう。
「笑いの量とか技術とか総合的な評価でいえばかまいたちのほうが上。しかしミルクボーイには新しさがあった」
という理由で。
きっと似たような理由で票を入れた審査員もいたはずだ(あとかまいたちは既にキングオブコントの称号を手にしているからもういいだろという気持ちもはたらいたとおもう)。

「その日いちばんおもしろいコンビを決める」という趣旨からいえば、新しさとか過去の実績とかで評価をするのはフェアでないのかもしれない。
けど、それでいいとおもう。M-1グランプリは、同じぐらいのおもしろさであれば、より新しいもの、より陽の当たらないものを照らす大会であってほしいとぼくはおもう。



ぼくが2019年のM-1グランプリを観終わって抱いたのは、ぼくの好きだったM-1グランプリが帰ってきた! という感覚だった。

うまさよりも粗削りでも新しいものを評価する大会、知名度や人気ではなく「なんだかわからないけどおもしろい」を評価する大会、当初のM-1グランプリはそういう大会だった。
まだまだ技術的には下手で全国的な知名度も低かった麒麟、笑い飯、千鳥、南海キャンディーズ、POISON GIRL BANDらを決勝に上げて世に問うてきた大会。
その頃のM-1グランプリは、「今いちばんおもしろい」というよりどっちかといったら「次にいちばんおもしろくなる」コンビを決める大会だった。毎回一組は「こんな漫才観たことない!」とおもわせてくれるコンビがいた。

でも、2006年から2008年ぐらいを潮目にその流れが変わってきた。
既に評価されているもの、技術の高いもの、万人から笑いをとれるもの、そういったものが評価されるようになった。

2015年に復活して芸歴15年まで参加できるようになってからはよりその傾向が強くなった。
トレンディエンジェル、銀シャリ、スーパーマラドーナ、和牛……。復活後のM-1を彩ったコンビたち、そのネタはおもしろいしぼくも好きだが、「なんだこれ!」という驚きは感じなかった。
うまい、達者だ、よくできているネタだ、がんばって稽古したんだろうな、しっかり対策立ててきたんだな。そうおもうことはあっても「こいつら次は何するんだ!?」というわくわく感はなかった。

その流れが再び動きはじめたのは2017年。
和牛、ミキ、かまいたち、スーパーマラドーナといった並みいる“達者な漫才師”を抑え、とろサーモンがチャンピオンに立った。
正直いって、「笑いの量」という点でいえばあの日のとろサーモンはぼくの中では1位ではなかった。
だが何を言いだすかわからない、どこまでが台本でどこからがアドリブかわからない、そういう即興性、破壊力ではダントツの1位だった。
他の出演者が美しい交響曲を聞かせる中、型破りなジャズでその場の聴衆の心をわしづかみにしたのがとろサーモンだった。

そのとき撒かれた種は2018年にも花を咲かせた。
和牛のネタ構成や表現力は見事の一言だった。ジャルジャルの稽古量は圧巻だった。ミキのしゃべりのうまさにはますます磨きがかかっていた。
けれど大会を機に大きく評価を上げたのは独自のスタイルを持ちこんだ霜降り明星であり、トム・ブラウンだった。
うまさよりも新しいものを。その要求は高まりつつあった。もちろん霜降り明星もうまくて達者だったが、何より評価されたのはその革新性だった。

そして2019年。新しさを求める気運は満開の花を咲かせた。
次から次へと披露される新鮮な漫才。
演者の知名度が低かったこともあり、ほとんどのコンビが笑いとともに驚きを届けてくれた。

そうだよ。M-1はこうでなくっちゃ!
一流の商品が高い値札をつけられて並ぶデパートではなく、なんだかわからないけど大化けする可能性を秘めた原石が発掘される蚤の市であってほしいんだよ!


そろそろ芸歴10年までに戻してもいいんじゃないかなあ。

「10年やって準決勝にも行けないやつは才能ないからやめなさいよ」ってのが大会創設の意図だったわけだしさ。



【関連記事】

キングオブコント2018の感想と感情の揺さぶりについて

キングオブコント2017とコントにおけるリアリティの処理


2019年12月20日金曜日

六歳と一歳との平日夜

平日夜の過ごし方。
オチも何もないけど、将来自分で読み返したくなるかもしれないので書いておく。


ぼくが家に帰ると、一歳が出迎えてくれる。
「あっ!あっ!」といいながらとたとたと玄関までやってくる。
たいてい何か持っている。
おもちゃだったり、紙切れだったり。あるいはパプリカを口の中に入れている(夕食前はおなかがすいて不機嫌になるのでパプリカを渡されている。パプリカをしゃぶっている間はごきげんになる)。
手にしたおもちゃをぼくに見せてくれる。ぼくの鞄の中身を見ようとする。ぼくの脚にしがみついてくる。

一歳を抱えて手を洗い、リビングに行く。
六歳が寄ってきて「本よんで」「しょうぎしよ」などという。
一歳児の相手をしながら六歳児と将棋を指す。本を読む。最近はドラえもんの漫画を読むことが多い。六歳はもう自分で本を読めるのだが、読んでもらうほうが好きなのだ。
一歳がまとわりつくと料理がしづらいので、妻が料理をしている間に一歳の相手をするのがぼくの仕事だ。

夕食。
一歳がごはんを食べる手伝いをする。最近少しだけフォークやスプーンが使えるようになったが、うまくフォークを刺せないことも多い。刺すのを手伝ってあげる。スプーンでごはんをすくってやる。
コップでお茶を飲めるようになったが、飲んだ後にお茶をわざとこぼすことが多い。こぼさぬようコップに手を添える。
一歳の相手をしながら妻や六歳と話す。保育園でしたことを聞く。大げさに褒めてやったり六歳クイズにわざとまちがえたり。

夕食の後は一歳の歯みがきをする。歯は四本しか生えていない。上の前歯二本と下の前歯二本。いとをかし。四本しかないので歯みがきは一瞬で終わる。
六歳は自分で歯みがきをするが、雑なこときわまりないので仕上げをしてやる。六歳はぼくの膝の上に座って口を開ける。わざと口を閉じたりするので「あー」とか「いー」とか言いながら仕上げをする。
妻が料理や洗い物をし、ぼくが子どもの相手をするという役割分担にいつのまにかなった。ぼくが洗い物をしようとすると妻はあからさまにイヤそうな顔をして「それより子どもの相手してあげて」という。ぼくの洗い物が雑なのが許せないのだ。

風呂を沸かしている間に自分の歯みがきをし、一歳と六歳と遊ぶ。絵本を読んだり風船で遊んだり。
一歳と六歳と風呂に入る。一歳を膝の上に乗せて洗う。六歳は自分で身体を洗う。
一歳を湯船に漬ける。おぼれないように六歳が身体を支えてくれる。助かる。ひとりめのときはたいへんだった。
その間に自分の髪と身体を洗い、一歳と六歳と湯船に漬かる。狭いがリラックスできる。ペットボトルや水風船や水鉄砲で遊ぶ。
ぼくが先に出て身体を拭いてパジャマを着てから、一歳児を風呂から出し保湿クリームを塗りたくる。おむつを履かせる。パジャマを着せる。たいていその途中で逃げるので追いかけながら服を着せる。
次に六歳にも保湿クリームを塗ってやる。六歳はすぐにくすぐったがる。しかし自分では塗らずに必ず「お父さんぬって」と言いにくる。

妻が風呂に入っている間にまた一歳と六歳と遊ぶ。ぼくのおなかの上に二人を乗せたり、寝室でかくれんぼをしたり。ぼくと六歳が布団の下に隠れ、一歳が布団をめくって「あっ!あっ!」と言う。

妻が風呂から出てくると一歳はおっぱいをもらいにいく。
六歳は「やっと行った!」と言って本をぼくのところに持ってくる。一歳がいるとじゃまをされるので落ちついて本を読めないのだ。
最近は長めの児童文学を読むようになったので読みおわるまでに三十分ぐらいかかる。端からぼく、六歳、妻で寝る。一歳の寝る場所は決まってない。あちこち移動して好きなところで寝る。
六歳はすぐ寝る。ぼくも少しだけ本を読むがすぐ眠くなって寝る。

2019年12月17日火曜日

犯罪者予備軍として生きる


犯罪者予備軍として生きている。

その意識が芽生えたのはいつからだろう。
たぶん二十歳を過ぎたあたりから。そして無職だった期間がいちばんその気持ちが強かった。

といっても、べつに犯罪を企図しているわけではない。
「周囲の人から犯罪者とおもわれているかもしれない」という思いを持って日々生きている、ということだ。


たとえばひとりで公園に行く。
ベンチに座ってぼんやりする。

法的にはなんの問題もない。公園は市民の憩いの場だからだ。

だが、「世間の目」的にはどうだろう。
二十歳を過ぎたいい大人が、だらしない恰好で、何をするでもなく、公園のベンチに座っている。
不審者ではないだろうか。
小さい子どもを連れて公園に来ているお母さんは警戒しないだろうか。
警戒する。
ぼくが逆の立場なら「なんだあいつ」とおもう。


「男女で公園のベンチに座って話しこんでいる」「子どもが公園でサッカーをしている」「お父さんが子どもを連れて散歩している」ならまったく問題ない。
「スーツ姿の男性が公園のベンチでお弁当を食べている」はぎりぎりセーフ。目的がわかるから。
だが「普段着の大人の男がひとり公園に座っている」はアウト。法的にはセーフでも“世間的”にはアウト。
むしろ「明らかに家のなさそうなボロボロの服のおじさんが公園で空き缶を集めている」ほうがまだ目的がわかりやすいだけマシかもしれない。少なくとも「なんでこんなとこにいるんだよ」という目は向けられないだろう。

世間の目なんて気にしなくてもいい! と言うのはかんたんだが、社会で生きるぼくらはそんなに強くない。
“世間”から白い眼を浴びながら生きていくのはすごくしんどい。“世間”にあわせるほうが楽だ。少なくともぼくにとっては。

だからぼくは用もないのに公園に行ったりしない。
もし行くならこぎれいな恰好をする。
本を読む、たいして飲みたいわけでもないコーヒーを飲むなどして「目的のある人」であることをアピールする。


また、ぼくの所属する会社は服装自由だが、ぼくはスーツを着て出勤している。
なぜならスーツを着ているだけで、“世間”からの風当たりはぐっとやわらぐから。
サングラスにジャージ姿よりも、スーツ姿のほうが見知らぬ人から警戒されずに済むから。

高校生のときは、まだぼくは「犯罪者予備軍」ではなかった。
人目を気にせず好きなことをできた。
学校帰りに公園に行ってベンチの上にひっくりかえって昼寝をしたこともある。
周囲の人からは「変な学生」とおもわれるかもしれないが、変質者には見えないだろう。学校の制服、という帰属を表すサインを持っていたから。

屋根の上によじのぼって本を読んでいたこともある。
近くを歩いている人からしたら「あそこの息子さん変な子ね」とはおもっただろうが、「警察に通報しなきゃ!」とまではおもわなかっただろう。学生の特権だ。

でも今のぼくは、公園で寝ることも意味なく屋根によじのぼることもできない。
通報されかねないから。
少なくとも「変わった子ね」という生あたたかい視線ではなく、「ヤバい人だ」という凍てつく視線を向けられることは必至だ。

なぜなら、いい歳した男は存在自体が犯罪者予備軍だからだ。



子どもが生まれたことで、ぼくの犯罪者予備性はぐっとやわらいだ。

ベビーカーを押していると、赤ちゃんをだっこしていると、子どもと手をつないでいると、どこで何をしていても不審者扱いされない。

昼日中に公園にいても、道端に立ち止まっても、ショッピングモールの女性下着売場の前を歩いても、エレベーターで女子高生と乗り合わせても、「あの男こんなとこで何やってんのかしら。犯罪者じゃないの」という視線を感じない。

だって子ども連れだからな! 子連れは無敵だ。子どもはフリーパス。どこにいても許される。

そういや貧しい国だと、乞食に赤ちゃんを貸す商売があると聞く。
子連れの乞食のほうが多く恵んでもらえるからだそうだ。
子どもは免罪符。子どもを連れているだけで世間はぐっと優しくなる。

そして、子どもを連れて公園に行くぼくはこうおもう。
「なんだあの男、昼間っからベンチに座って。怪しいやつだ。うちの子に変なことするんじゃねえだろうな」と。


2019年12月16日月曜日

ハナクリーンの話

ハナクリーンSの話をしようとおもう。

知っているだろうか、ハナクリーンSを。
その名の通り、鼻をクリーンにする道具。またの名を、右の鼻から入れた液体を左の鼻から出す装置。

作っているのが東京鼻科学研究所で、販売しているのがティー・ビー・ケー。
なるほど、Tokyo Bikagaku KenkyujoでTBKなのだな。しらんけど。

ハナクリーン公式ホームページ

東京鼻科学研究所の沿革を見ると、
1979年2月 創業 鼻洗浄器「ハナクリーン」発売
1987年9月 鼻洗浄器「ニューハナクリーン」発売
1992年9月 鼻洗スプレー「ハナクリーンミニ」発売
1994年11月 鼻洗スプレー「ハナクリーンミニ30」発売
1995年9月 鼻洗浄器「ハナクリーンEX」発売
1997年9月 鼻洗スプレー「ぐ~クリーン」発売
1998年9月 鼻洗浄器「ハナクリーンα」発売
1999年9月 鼻洗スプレー「ハナぴゅあ」発売
1999年11月 鼻洗浄器「ハナクリーンS」発売
……と続く。一貫して鼻を洗うことしかやっていない。実に潔い。
創業以来40年、一途に人々の鼻をきれいにすることだけを考えてやってきたのだ。なんと尊い考えだろう。スポーツ選手とか芸能人ではなく、こういう会社にこそ国民栄誉賞をあげてほしい。

と、ぼくがさっき知ったばかりのこの会社を絶賛するのは、昨日試してみたハナクリーンSの効果がすばらしかったからだ。

添付しているサーレという薬をお湯で溶かし、ハナクリーンSを使って鼻に注ぎこむ。

おお、ぜんぜん痛くない。
ちょうどいい濃度、ちょうどいい温度なのでまったく痛くないのだ。ぬるま湯を飲むのと同じで、ただ流れこむだけ。
はじめはおそるおそるやっていたのだが徐々に勢いよく入れる。そして鼻をかむ。
これを何度かくりかえすと、鼻の奥にたまっていた鼻水が一気に流れ出てすっきりする。
鼻が通るようになり、右の鼻から入れた液体が左の鼻から出てくる。口からも出てくる。鏡を見るとめちゃくちゃマヌケな姿だが、これが気持ちいい。

水道管のパイプ洗浄剤ってあるじゃない。ぬめり詰まりをごぼっととるやつ。あれをやってる感覚。快感。
あー、人間って管なんだなーと実感する。
管なんだよね。鼻や口から肛門までの長い管。管のまわりに、管をとおるものを消化する器官や、それらを支える骨や筋肉がついている。単純化すればただの管。
溜まりに溜まった鼻水を洗い流すと、管に戻れる気がする。


何かの本で(たぶん『完全自殺マニュアル』だったとおもう)、服薬自殺に失敗したときは胃洗浄という処置をとられるがそれがめちゃくちゃ苦しい、と書いてあった。
胃にチューブをつっこんで液体を流し、胃を洗い流すのだという。

苦しいだろうな。
でも、終わったあとはめちゃくちゃすっきりするんじゃないかな。
胃や食道にこびりついた汚れを一気に洗い流すのだから、きっと気持ちいいだろう。
ちょっと経験してみたい気もする。でも苦しいのはイヤだな。

ぼくが死んだら、口から高圧の水を一気に流しこんで、食道や胃や腸のものを全部ずばずばずばーっと洗い流してほしい。
想像するだけでめちゃくちゃ気持ちよさそうだ。死んでるけど。汚いから誰もやりたくないだろうけど。
ただ、まちがっても入口と出口を逆にはしないでほしい……。

2019年12月15日日曜日

ツイートまとめ 2019年2月



栄枯盛衰


災害


漢字能力


こなきじじい

例外

牧歌的

暫定一位

目出し帽

ジャム

分別

褒め言葉

揺れる想い

飲むヨーグルト

持つとこ

ひげ


自動運転車

懐かし

かわいがられる場

最先端

共感

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