2018年12月3日月曜日
ヤンキー的教育方針
娘の保育園の友だちのお父さん。
いかにも昔はヤンチャしてたんだろうなーってタイプの人。言葉遣いもやや荒っぽい(言葉だけね)。
そのお父さんと話す機会があったのだが、なるほど、教育方針もヤンキー的だ。
息子に対しての発言が、
「女の子には優しくしたらなあかんで」 とか
「男やねんから、泣かんとがんばれ」 とか
「やられたらやりかえさなあかん」 とか。
ジェンダーフリーとかポリティカルコレクトネスとかマイノリティへの配慮なんてものは気にも留めない。
おおヤンキー的だと思ったのだけれど、よく考えたらちょっと前まではこれがごくごくふつうな子育て方針だったのだ。
いや今だってこういう方針の家庭はめずらしくないだろう。
ぼくが大学で少し教育学をかじったときは、ジェンダーの再生産だとかの話題が大人気だった。
そういう時代だったし、指導教官も女性だった。
「男は女の子を守ったらなあかん」なんて口が裂けても言ってはいけない雰囲気だった。
だから「男は強くなくちゃいけない」とか「女の子なんだからおしとやかに」なんてぜったいに口にしてはいけないと思っていたし、自分の子に対してもそういった発言はしないように気を付けていた。
娘が
「女同士は結婚できないねんで」
と言ったときは
「んー、でも女の人が好きな女の人もいるしね。今は結婚できないけど将来的には女同士でも結婚できるようになるかもしれないよ」
と説明してきたし、
娘が
「男やのにスカートはくなんてヘン!」
と言ったときは
「たしかにスカートをはくのは女の人が多いけど、男の人がはいちゃいけないっていう決まりはないんだし、他人の恰好を笑ったらだめだよ」
と教えてきた。
世の中にはいろんな趣味嗜好の人がいるから、それぞれに配慮しないといけない。主流派の考えを他人に押しつける人間になってはいけない。
と、ぼくなりに娘に伝えてきたつもりだ。
五歳の娘にそれが伝わっているかはわからないけど。
そんな配慮を一瞬で吹き飛ばすような、「男やねんから女の子には優しくしたらなあかんで」だ。
ううむ。
「男やねんから女の子には優しくしたらなあかんで」のほうが正解なのかもしれない。正しくはなくても、生きていく上ではこっちが正解。
「女同士で恋愛感情を持つのはおかしい」「男がスカートをはくなんてヘン!」も、道義的には正しくない。
でもこういう価値観を持っていたほうがずっと楽に生きられる(ぼく自身、そういう価値観を持っている。価値観と理解は同じではない)。
「男は女の子には優しくしたらなあかん」は性差別的かもしれない。
でも「男だから女に優しくする!」と信じている男のほうが
「いや、男だから、女だからって優しさに差をつけるのはおかしい!」という男よりもモテることもまた事実。
政治的正しさよりもヤンキー的マッチョな価値観を持っていたほうが世の中をうまく泳いでいけるんだろうな。
自分の子にどちらを教えるのが正解なのか、考えているがまだ答えは出ない。
2018年12月2日日曜日
ツイートまとめ 2018年10月
赤子
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月3日
電話番号
「カギの110番」「水道工事119番」みたいなキャッチコピーはよく見るけど、他の番号もあるんだろうか。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月5日
「腕時計の117番(時報)」とか
「スマホの113番(故障相談)」とか
「銀行口座取得代行184番(番号非通知)」とか。
部室
友人が草野球チームの代表をやっていて、ボールやらキャッチャーマスクやらベースやらを自宅の部屋に置いていたらあまりのくささに奥さんがついにキレて— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月10日
「うちは部室じゃない!」
と叫んだそうだ。
いいツッコミだ、と心から感心した。
ムリ
駅で高橋一生のポスターを見た女子高校生が— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月10日
「え? え? うそっ、やばい、マジムリ~!」
って叫びながら跳びはねてて、日本語としてぜんぜん意味を成してないのにちゃんと感情が伝わってくるのすごいなと思いました。
メロス
めんどくさいメロス— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月12日
「なんでメロスが激怒してるかわかる?」
歯ブラシブラシ
歯ブラシのすきまを掃除するためのブラシがほしい。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月8日
carp
「carp(鯉)の複数形もcarp」ってのは、けっこうネイティブの人でも間違うんじゃないだろうか。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月4日
変則的だし、日常的に使わない単語なので。
しかし広島カープのおかげで日本人の多くはcarpの複数形がcarpであることを知っている。
これ英語圏の人からしたら「なんで!?」ってなるんじゃないかな。
親孝行
生後2週間の娘、夜めっちゃ寝てくれる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月16日
9時に寝て、2時に起きてミルク飲んですぐ寝て、7時まで寝てくれる。
ものすごく助かる(1人目の子は2時間おきに起きてた)。
もう一生分の親孝行をしてるといってもいい。
イケメン代表
慶応大のイケメンがレイプしたという事件を受けて「そういうことするのはイケメン」って意見が出回っていたけど、— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月17日
そんなことするのはごく一握りのイケメンだけだよと、イケメンを代表して否定しておきます。
目障り
自分がまったく興味ない分野の広告は不快じゃない(そもそも視界に入ってこない)。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月6日
半端に関心ある広告が目障りなんだな。
復活
我々は毎日「細胞の入れ替わりによる肉体の死滅」「睡眠による意識の中断」を経験しているので、意識の上では毎晩死んで毎朝復活している。それと同じようなものでは。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年10月5日
結局死が怖いのは「死に伴う苦痛」「死による永遠の無」が怖いだけで、苦痛もなくすぐ復活するのであれば意外と平気じゃないかな。
2018年11月30日金曜日
数学で百点をとる方法
はるか昔の自慢。
高校二年生のとき、数Bのテストが五回あったが(一学期中間、期末、二学期中間、期末、学年末)、ぼくはそのすべてで百点をとった。
ちなみに数Ⅱでも五回中三回百点をとり、あとの二回も九十七点ぐらいだった。
これはすごいことだと胸を張って言える。
ぼくが通っていたのはそこそこの進学校だったから、決して易しい問題ではない。
それなのに五回連続百点。すごい。
数学教師ですら何も言ってくれなかったから自分で言うけど、すごい。
数学が得意だった人ならわかると思うが、百点をとるのと九十五点をとるのは難しさがぜんぜんちがう。
九十五点をとるのは、教科書に書いてあることを完璧に理解すればできる。
これはそこまでむずかしいことじゃない。基礎ができている人であれば、時間をかけさえすれば誰でもできる。
だって教科書というのは、本来「それを使う生徒全員がすべて理解できるようになる」ために作っているものだもの。
「一部の特殊な人にしか理解できないこと」は教科書には載っていないのだから。
教科書を完璧に理解したとしても、百点をとるのはむずかしい。
数学には計算が必要である以上ミスはつきものだ。
数学で百点をとるためにはチェックが欠かせない。
少なくとも二回、できれば三回解いてみる。そうしないと百点はとれない。まして五回連続百点など。
六十分のテストであればどんなに遅くても三十分以内にはすべて解きおわらなければならない。
二十分かけてもう一度すべての問題を解く(二回目は早く解ける)。
残りの十分でざっとチェックする。
ここまでやればほとんどのミスは防げる。
つまり確実に百点をとるためには、教科書の内容を完全に理解しているだけでは足りず、「とにかく早く解く」ことが必要になる。
一度目は雑でいいからとにかく早くやる。他の人の二倍以上の速さで解く。これだけで、かなりの確率で百点をとれる。
この方法で、センター試験でもぼくは満点をとった。
このやり方は仕事をする上でもたいへん役に立っている。
ミスをしないためには「とにかく丁寧にやる」ことが大事だと思っている人がいる。
ぼくから言わせると大間違いだ。そんなことではぜったいに百点はとれない。
大事なのは「雑でもいいからとにかく早くやる」だ。
一週間以内に企画をつくらないといけないのであれば、二日でつくってしまう。それを提出する。
そうすれば「伝え忘れていたけどこんな資料もほしいんだ」と言われたときにも「こっちが意図していたものとぜんぜん違いますね」となったときにも、修正できる。
早くやって時間を余らせれば見直す余裕もできるし、間違えたときに修正もできる。
結果的に失敗を防げる。
試験終了のチャイムが鳴る前に見つけたミスはミスじゃない。
2018年11月29日木曜日
遊ぶ金欲しさ
ぼくの通っていた高校はアルバイト禁止だった。
特段の事情がある場合は届け出て学校の許可をもらえばアルバイトをしてもよいということになっていたが、学業を優先させるべし、ということで原則禁止だった。
とはいえ、学校に内緒でこっそりバイトをしている生徒はいた。
こづかいの足しにするために、近くの飲食店やスーパーなどでバイトをするのだ。
とはいえ、田舎のことなので高校生が働ける場所はそう多くない。おまけに近所に住んでいる教師もいるので、へたな場所でやると見つかってしまう。バレたら厳重注意、その後また見つかったら停学だ。遊ぶ金欲しさのバイト、そして停学。
リスクが高いので、バイトをやっている生徒は多くなかった。そもそも塾や部活で忙しいのだ。
うちの高校では、アルバイトはちょっと不良の子がやるもの、という認識だった。
あるとき、家から少し離れたところにあるコンビニに入ったら隣のクラスのYくんがコンビニの制服を着てレジにいた。何度か言葉を交わしたことのあるやつだ。
「おう。バイトしてるんや。まじめそうに見えて、けっこう悪いなあ」
ぼくは声をかけた。
Yくんは少し恥ずかしそうに「おお、まあな」と言った。
「大丈夫、学校には内緒にしとくから」
ぼくは笑い、彼からジュースを買って店を出た。
少し後に、別の友人と話していて
「そういや前、Yくんがコンビニでバイトしてるのを見たわ。ふだんはまじめやのにちょっと意外やな」
と言うと、
「Yはちゃんと学校に許可をとってバイトしてるんやで」
と教えられた。
その言葉で事情をさとり、ぼくは己の考えの浅はかさを恥じた。
高校からアルバイトを許可されるのは、家庭に経済的な事情がある場合だけだ。
Yくんの家は、高校生のバイト収入をあてにしないといけない経済状況だったのだろう(「Yの父親は何度も選挙に出馬して落選している」という話も聞いた)。
ぼくが育った街は戦後に造成された住宅地。
小学校でも中学校でも、同級生の大半はサラリーマン家庭だった。みんな同じような広さの一戸建てに住んでいたから、経済状況も似たり寄ったりだったはずだ。
高校もそのエリアにある公立高校だったので同じような環境だった(Yくんは少し離れたところから通っていた)。
ぼくにとって「高校生の息子がバイトしないと生活に困る家」というのは想像の埒外だった。
高校生がバイト=遊ぶ金欲しさ、という間抜けな等式がぼくの中にできあがっていたのだ。
必要に駆られてバイトをしているYくんに「けっこう悪いなあ」と声をかけるなんて、申し訳ないことをした。
かといってYくんに「家計を助けるために働いててんな。そうとは知らずにごめんな」と言うのも、かえって嫌な気持ちにさせるんじゃないかと思って何も言えなかった。
今でもこころぐるしい思い出。
2018年11月28日水曜日
寝返り戦争
じっさいの戦争も、将棋みたいに「敵兵を捕獲したら味方として使える」ってルールにしたらいいのにね。
そしたらなるべく相手を殺さないようになる(だって将来の味方だもの)。
兵士の待遇を悪くしたらわざと捕まって相手側に寝返ったりするから、兵士の待遇は良くせざるをえなくなる。
「ほら、こっちの軍はこんなにうまいもの食ってるぜー」
「こっちは週休三日もあるぜー。福利厚生もしっかりしてるしなー」
って、いかに自分の軍が魅力的かをアピールしあうようになる。
戦争が終わったら、寝返った兵士もちゃんと市民権を得て相手国での生活を保障される。家族も呼び寄せていい。
そんな制度になって、日本が戦争を始めたら……。
「あいつは国を捨てて出ていこうとしてたぞ!」
「みんながつらい生活を送っているのに自分だけ他の国でいい暮らしを送ろうなんて虫が良すぎる!」
って言って、日本軍は味方を殺しまくるだろうな。
幸せになれる人から幸せになるよりも、みんなで不幸になるほうを選ぶだろうな。
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