2018年6月25日月曜日
幽体離脱というほどでもない体験
子どもと公園で遊んで、プールで泳いだ後、また子どもと遊んでくたくたになった。
その晩、意識が身体から離れている感覚を味わった。
まず尿意を感じた。
膀胱のあたりにだけ感覚がある。「あートイレ行きたい」と思うと、意識が身体にすとんと落ちてきたような感覚があった。
「あっ、入った」と思った。とたんに、手足がずしんと重たくなった。
幽体離脱というほどでもない。
魂だけどこかに行っていたわけではない。意識は身体のすぐ近くにあった。ただし身体の中ではなかった。
汗びっしょりのときにシャツを脱ぐように、疲労びっしょりの身体を一時的に脱ぎすてていた、という感じだった。意識が一時的に身体から離れていた。
身体の疲労と眠気と尿意がちょうど絶妙なタイミングで重なったおかげで味わえたのかな、と思ってちょっとおもしろかった。
すぐ忘れそうなので書きしるしておく。
ツイートまとめ 2018年4月
別れの挨拶
娘の保育園の担任が年度末に「ほんとにお世話になりました。寂しいです……」と深々と頭を下げてきたので、新年度から担任変わるのかーと思って連絡ノートに「いい先生だったと家族一同感謝しています」と長々とお礼の文章を書いた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月3日
で、今日保育園に行ったら引き続き同じ担任。気まずい。
公務員
子どもの将来の夢に「公務員」が入ってくるけど、公立学校の教師も警察官も総理大臣も公務員なのにひとまとめにするのは無理がある。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月4日
すべて「公務員」でくくるんだったらYouTuberやプロサッカー選手だって「個人事業主」でひとくくりにしろよ。
ボランティア
「オリンピックのボランティア」は就活時のアピール材料になる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月4日
とりわけ「労働力を安売りしてくれる労働者」を欲している企業には喜ばれるはずだ。
将来ブラック企業に入りたい若者は、ぜひオリンピックのボランティアに参加しよう!
読解力
「土俵上で意識不明になった舞鶴市長を助けようとした女性に『女性は土俵から降りてください』と場内アナウンス」— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月4日
というニュースを見た読解力のない人
「マジかよ、舞鶴市長クソ女だな」
トップ営業マン
前いた会社でトップ営業マンが— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月5日
「ぼくは金につながらないやつの名前は覚えません。同僚であっても。だって意味ないでしょw」
と笑ってて、聞いた瞬間背筋が冷たくなった。
偉そう
「かしこそう」「悲しそう」「優しそう」など、形容詞+そう は推測になるのに、「偉そう」だけは推測じゃなくて決めつけだな。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月7日
口下手の言い分
ちがうんです、にこやかにしゃべるのが苦手なだけなんです、だから嫌いな相手じゃなくてもつっけんどんな態度になってしまうんです、それをわかってください、ただおまえに関してはほんとに嫌いなんです、憎悪が心の底からにじみ出てこういう態度をとってしまうんです、それもわかってください。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月12日
名文
ブログに書いていた読書感想文、まちがって全部消してしまった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月16日
完全に消えてしまったから断言するけど、あれは名文だった。
黄金時代
西武黄金時代の選手、東尾、工藤、辻、秋山、平野、石毛、渡辺、田辺、伊藤らが監督になっている。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月17日
多くの監督を輩出させた森監督って改めてすごかったんだなあ。
清原もなれるかな。
犯行動機
四歳の娘がぼくの財布を開けていたので「やめてよ」といったら、「おままごとするからお金で遊びたかったの」と言われた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月22日
遊ぶ金ほしさの犯行……。
説教
娘のおともだち(4歳)から「何がおかしいの。まじめにしゃべってるのに笑わないの」としごくまっとうな説教をされたりもしたけれど、私はげんきです。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月23日
嘘つき
べつに政治家が嘘つきでもいいけど、すぐばれるへたくそな嘘をついちゃう人に政治は任せられないと思ってる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2018年4月23日
2018年6月22日金曜日
【読書感想文】寺尾 紗穂『あのころのパラオをさがして』
『あのころのパラオをさがして
日本統治下の南洋を生きた人々』
寺尾 紗穂
シンガーソングライターでもある寺尾紗穂氏が、『山月記』で知られる中島敦や石川達三(第一回芥川賞受賞作家)らの記述を通して、日本統治下にあったパラオの状況を書くルポルタージュ。
正直、文章は読みづらかった。おばちゃんのとりとめのないおしゃべりを聴いているような文章。
まるで会った人、あった出来事、交わした会話をすべて書いているかのように話があちらこちらにいく。時代も舞台もバラバラ。勝手に他人の気持ちを憶測する。パラオと無関係なエピソードが断片的に挿入される。『土佐日記』『おもひでぽろぽろ』のような、つまりまるでルポルタージュ的でない、アーティスティックな文章だった。もちろん悪い意味で。
テーマはおもしろかったけどね。
パラオについて、かんたんに説明。
ぼくのも付け焼刃の知識だが。
パラオは太平洋に浮かぶ島。佐渡島や淡路島より小さい。
日本のほぼ真南に位置するので、日本との時差はない。
パラオは、スペイン植民地、ドイツ植民地を経て、第一次世界大戦でのドイツの敗北を受け、1922年から日本統治領になる。日本の敗戦によりアメリカ統治となり、1994年にやっと独立国となっている。
日本統治時代には日本の軍人や移民、連行された朝鮮人など数万人が住むようになり、一時はパラオ先住民のほうが日本人より少なかったという。中島敦は南洋庁職員として、日本語教科書編纂のためにパラオに赴任している。
かつて日本統治下だった影響で日本語にちなんだ地名や人名も多く、親日国としても知られている。
国旗も日の丸と似ている(「日の丸を参考にした」という説もあるがデマらしい)。
パラオ国旗 |
日本人のひとりとして「好きと言われるのはうれしい」とのんきに思っていたのだが、歴史を見ると単純にそうも言えない気持ちになる。
こういう記述を読むと、とてもパラオを「親日国」の一言で表現することなどできない。
パラオの人が「日本を好き」と言ってくれるのはうれしいが、日本人の側から「パラオは親日国だ。なぜなら日本はパラオにたくさんのものを残したからだ」とは恥ずかしくて言えない。
「日本統治時代は良かった」と思っているパラオ人は少なからずいるようだ。でもかなりの部分「美化された思い出」補正が入っていると思う。『三丁目の夕陽』を観て、戦後日本は良かったと思うように。
スペイン植民地時代やドイツ植民地時代よりは日本統治時代のほうがマシだったのかもしれない。その後のアメリカ統治時代が苦しかったのかもしれない。それとの比較で「日本統治時代は良かった」と思う人はいるのかもしれない。だからといって統治して良かったとは言えない。
パラオ語の中に多くの日本語が生き残っているのも(パラオ語で弁当はbento、電話はdenwa、ビールを飲むことはtskarenaos(ツカレナオース)だそうだ)、どっちかといったら負の遺産と呼んだほうがふさわしい。
『あのころのパラオをさがして』には、日本統治時代のパラオ人が、日本軍人として戦死したこと、戦争の巻き添えになって死んだこと、日本軍に食糧を供出させられたことで飢えに苦しんだことが書かれている。
一方で日本はパラオに学校や病院、道路などのインフラを整備したという功績もあるが、それだって善意でやったわけではなく、「日本のために戦う臣民を養成するため」にやったことだ。感謝を強いるようなことではない。
こういう事実を知った上で、「日本統治のおかげでパラオは近代化して良かった」なんて、恥ずかしくてぼくには言えない。
パラオ国立博物館での記述がショッキングだった。
パラオ国立博物館のほとんどの展示物には日本語訳がついている。だが、階段の途中という読みづらい場所にある展示には日本語訳がついていない。そこには、日本兵がパラオ人に暴力を振るったことがパラオ語で書かれていた――。
というもの。
日本から受けたひどい仕打ちは記録には残すが、それをことさらに現代日本人に対して責めたてたりはしたくない、というパラオ人の気持ちの表れなのだろう。
なんと寛大な人たちなのだろうと思う。
きっと、パラオの人たちの多くは日本に好意的な感情を持っているのだろう。だが、手放しで賞賛しているわけではない。彼らはまた日本の悪いところ、日本人がした悪いおこないも知っている。あえて口には出さないが、思うところもあるはずだ。その上で、すべてをひっくるめて受け入れて好意を表してくれているのだ。赦したのではなく、目をつぶっているだけ。
こういうパラオの人たちの懐の広さに想像を及ぼすこともなく「パラオ人は日本が大好きなんです!」とかんたんに口にしてしまうテレビ番組に、ぼくはなんともいえないあぶなっかしさを感じる。
新天地を求めて日本からパラオへと入植した人たちは、戦争中はもちろん、戦後日本に帰ってきてからも相当な苦労したようだ。
宮城県蔵王町に北原尾という地区がある。パラオからの引揚者たちが入植した土地だ。北のパラオ、という意味を込めて北原尾(キタハラオ)と名付けられたそうだ。
彼らは周囲から差別をされてずいぶん冷たくあしらわれたらしい。
みんな余裕がなかった時代だったから、だけではないだろう。余裕があったとしても、一度この国を離れていった人が戻ってきたら冷たく当たると思う。ぼくらの多くはそういう人間だ。
同胞である日本人からさげすまれた引揚者たちが夢見たふるさとは、いろんなことを包みこんでくれるおおらかさを持ったパラオだったのではないだろうか。だからこそ北原尾という地名が生まれたのだろう。
『水木しげるのラバウル戦記』という本に、終戦後水木さんがパプアニューギニアの原住民に誘われてそこで永住しようとするエピソードが出てくる。
水木さんのような人がこのおおらかさに包まれた島で暮らしていたら、日本に帰りたくなくなるだろうなあ。
ぼくのようなせせこましい日本人は、かえって生きづらそうな気もするけど。
その他の読書感想文はこちら
2018年6月21日木曜日
わからないものをわからないもので例えてはいけない
天国や地獄が例えに用いられることがよくある。
「あの時代に比べたら天国みたいなもんだよ」とか「地獄のような光景が広がっていた」とか。
しかしぼくらの多くは、天国も地獄も知らない。ほとんどの人はどちらにも行ったことがない、はずだ。
物語に地獄の描写が出てきたり、天国について描かれた絵を見たりしたことはあるが、それらもすべて想像で語られているものだ。誰もほんとうの天国や地獄を知らない。
各人の頭の中には天国や地獄のイメージはあるだろうが、百人いれば百種類の天国と地獄があるはずだ。
そういう曖昧模糊としたものを例えに使っていいのだろうか。
こういうのが天国だと思う人もいる |
比喩とは、物事をわかりやすくするために使うものだ。
ドローンを見たことがない人のために「ラジコンみたいにリモコンで操縦できて、ヘリコプターみたいに空を飛ぶ機械で、片手で持てるぐらいのサイズが多い」と説明すれば、ラジコンとヘリコプターを知っている人ならなんとなく実物を想像することができる。
これが「コジランみたいに操ることができて、プヘーコリタみたいに動いて、テタカに乗るぐらいのサイズの機械」だったらさっぱりわからない。説明することで余計にわからなくさせている。
「天国のよう」「まるで地獄」といった表現もこれと同じことだ。
わからないものをわからないもので例えてはいけない。
2018年6月20日水曜日
地震の一日
6月18日午前7時58分に地震があった。
大阪府内では死者も出る大きな地震。大阪では阪神大震災以来の大規模な地震だった。
ぼくの住んでいた地域は震度4だったが、それなりに混乱したのでその日のメモ。
7時50分頃、娘と一緒に保育園に向かった。地震が起こったのは、ちょうど保育園に着いたときだった。
門を開けようと手を伸ばすと、鉄の扉がガタガタガタっと震えだした。「また子どもが遊んでるな」と思った。保育園ではよくあることだ。
だが園児の力にしては強すぎる。風で揺れているのだろうか、と思ったがそれほど風も強くない。そこでようやく「あっ地震か」と気づいた。揺れはじめてから地震だと気づくまでに3~5秒ぐらいかかった。
あわてて娘に目をやると、揺れに気づいていないらしく、さっきの続きでぼくのお尻を叩いて遊んでいる。
園内に入った。園長先生と会ったので「地震でしたよね?」と確認しあった。
屋内はかなり揺れたらしい。教室の中を見ると、ふたりの保育士さんが十人ぐらいの子どもたちを抱きかかえていた。村を焼かれたときの母親が「子どもたちだけは……」と懇願するときの光景だ。
保育士はおびえていたが、子どもたちは平然としていた。誰も泣いていなかった。何が起こったのかわかっていなかったのだろう。
いつも通り娘の着替えやタオルの準備をした。
べつのお父さんと会ったので「地震でしたね」と話しかけると、「そうみたいですね。でもぼくは自転車に乗ってたので気づきませんでした」と言われた。外に歩いている人がかろうじて地震に気づく、自転車に乗っている人は気づかない、それぐらいの揺れだった。
娘の担任の先生に会った。「もし何かあったら〇〇小学校に避難しています。そこが危険な場合は〇〇公園に行きます」と伝えられた。さっき地震が起こったばかりなのに的確な伝達だ。しっかりした先生だ、と感心した。
娘に「また地震があるかもしれないから、そのときは先生の言うことを聞くんだよ。先生の近くにいたら大丈夫だからね」と言い残して保育園を出た。
地下鉄の駅まで来たとき、異変に気づいた。駅の前が人でごった返している。
その時点ですっかり地震のことを忘れていたので「何かイベントでもあるのか?」と呑気なものだった。この近くにホールがあるのでときおり人で賑わっているのだ。
しかしスーツ姿の男性が多いのを見て「ああ地震で地下鉄が止まっているのか」と気が付いた。
運行状況を見ようとスマホを取りだし、そのときはじめて緊急地震速報が届いていたことに気づいた。かなり大きな音で鳴っていたはずなのに、鞄に入れていたのでまったく気がつかなかった。
大阪メトロ(市営地下鉄)のホームページを見ると、つい五分ほど前の時刻で「ただいま遅延は発生しておりません」というメッセージが表示されていた。嘘つけ。今現在止まってるじゃねえか。何もしなければ自動的に「遅延は発生しておりません」と表示されるシステムなのだろう。その結果、メッセージを打ちこむ余裕がないぐらい大きな事変が起こったときにも「遅延なし」と表示されてしまう。危機感のないシステムだ。
役に立たないホームページだな。ニュース検索をしようかと思うが、地震発生から十分ぐらいなのでまだニュースも出ていないだろう。
ふと思いついて、Twitterで「谷町線」と検索してみた。すると、いろんな人が「谷町線止まった」とつぶやいている。おお、こういうときはTwitter便利だな。Twitterが暇つぶし以外で役に立ったのははじめてだ。
ぼくの家から会社に行くルートはいくつかある。「御堂筋線」「大阪環状線」などでも検索してみるが、いずれも止まっているらしい。大きな地震だったことをようやく実感する。駅の行き先案内板が外れている画像がTwitterに流れていて、思わず「おお」と声が漏れる。
まだ駅の周囲には大勢の人がいたが、そんなとこに突っ立っていても仕方がない。地震で電車が止まったら復旧するまでに最短でも一時間はかかる。
自宅近くの公園まで歩いた。都会の公園なので、高いマンションに囲まれている。大きな地震が再び起こることを考え、中央のベンチに腰を下ろした。
社長にチャットで「地震で電車が止まっているので遅れます」と送った。社長からは「了解。必要であればタクシー使って来てください」といわれたが、いやけが人とか妊婦とかいるかもしれないのに、仕事みたいなくだらない用事のためにタクシー使ったらだめだろ、と思って無視した。
妻からLINEが来ていた。安否確認のメッセージだったので、娘も無事だと返す。
いろいろと情報収集もしたかったが、こんなことでスマホのバッテリーを消耗してしまったらいざというときに困る。電池長持ちモードというやつに切り替え、Kindleで本を読んだ。意外と集中して読むことができた。おろおろしていても何もやることができないし、こういうときには現実逃避するに限る。
自宅はマンションなのでなるべく帰りたくなかった。マンションはよく揺れるので怖い。
しかし小雨が降ってきた。しょうがない、どうせいつかは帰らなくちゃいけないんだ、と自らに言い聞かせて自宅に帰った。
マンションのエレベーターが止まっていたので階段を上がり、自宅に戻る。地震で閉じこめられないように少しだけドアを開けておいた。
トイレに行くと、床にトイレットペーパーが一個転がっていた。地震で棚から転げ落ちたらしい。我が家の唯一の被害だった。
万が一に備えてだいぶ前に準備していた防災バッグを引っぱりだした。水、消費期限切れ。イワシの缶詰、消費期限切れ。ミカンの缶詰、缶切りがないと開けられないやつ。なんで入れてたんだ。
とりあえず水のペットボトルだけ新しいものに入れ替え、貴重品の類とともに玄関に出しておいた。そうすると閉じこめ防止のために少し開けているドアが気になる。結局ドアを閉めた。
寝ようかと思ったがまだ九時前だ。おまけに気持ちが高ぶっているので寝られない。外で救急車のサイレンの音が聞こえる。
実家に安否報告をして、横になって本を読んだ。
十時半ぐらいにTwitterを見ると、地下鉄の一部区間が運行再開したらしい。今日はもう休もっかな、とも思ったが家にひとりでいるのも嫌だったので結局出社した。車内に閉じこめられることを想定して、ペットボトルのお茶を買って地下鉄に乗った。ぎゅっと力強くつり革を握りしめていた。
会社には半分くらいの社員が来ていた。多くの鉄道路線がまだ止まっていた。
電話で取引先の人と話して「どうですか」と尋ねると、「うちは冷蔵庫が倒れましたよ」と言われた。
「えっ、たいへんじゃないですか」
「そうそう、だから今うちの中ぐっちゃぐちゃ」
「それ出社してる場合じゃないでしょ」
「うーんでも家にいたってどうにもならないしね」
というやりとりをした。そういうものだろうか。平時と同じことをしているほうが精神的には気楽なのかもしれない。
やはりその日一日は何をしていても地震のことが頭から離れない。「今地震が起きたら……」と考えながら行動する。倒れそうな建物には近寄らない、落ちてきそうなもののそばには寄らない、非常階段の位置を確認する。小松左京『日本沈没』を読んでいるときもこんな気分だった。
電車に乗りながら「今電車が起きたら、まずは吊り革で身体を支えて……」などと考えていたらピーピーピーとけたたましい機械音が鳴りだした。「すわっ、緊急地震警報!」と身構えたが、隣のばあさんのばかでかい着信音だった。
年寄りの着信音はだいたいばかでかいけど、こんなに憎いと思ったのははじめてだった。
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