2018年3月20日火曜日
声の網
学生のとき、片思いをしている女の子と電話で話をした。たあいのない会話だったと思う。
通話を終えると、携帯電話に「音声メモ」というメッセージが表示されていることに気づいた。
どうやら通話中にどこかのボタンを押して、会話を録音してしまったらしい。
聞いてみると、好きな女の子のかわいらしい声と、ぼくのデレデレだらしない声が録音されていた。
なんという僥倖。好きな女の子の声をいつでも好きなときに聴けるのだ。
ぼくは音声メモを「保護」に切り替え、何度も彼女の声を聴いた。
好きな人の写真を何度も眺めたことは誰にでもあるだろう(あるよね?)。あれの音声版だと思っていただければ、キモさも多少はやわらぐことでしょう。
何かの本を読んでいると、電話の仕組みについてかんたんな説明が載っていた。
なんでも、電話というのは音をそのまま伝えるものではなく、Aが発した音声を記録してB側の電話機に伝え、B側の電話機で「それによく似た音」を再構築するのだそうだ。
と、いうことは。
ぼくが夜な夜な聴いていた好きな女の子の声は「電話機がつくりあげた、好きな子の声によく似た音」だったということになる。
それを知った上で音声メモを聴いてみると、肉声とはなんとなく違うような気がする。「違うものだ」と思いこんで聴いているからそう聞こえるのかもしれないが。
あんなにくりかえし聴いた音声メモが、途端にくすんだ色を帯びたように思えた。同時に、彼女に抱いていた気持ちも急速に醒めてしまった。
星新一の作品に『声の網』という小説がある。ショートショートの神様・星新一にはめずらしい、長篇(というか連作短篇)小説だ。
電話によるネットワークがはりめぐらされた社会を描いた、まるで今のインターネット時代の到来を予見したかのような話だ。インターネットどころかパソコンすらなかった1970年に発表された小説だというのがすごい。拡張した電話回線を「網(=ネット)」と表現したことにまた恐れ入る。
[声]は人びとに便利な生活を提供するが、やがて気づく。人間を操ることなど、かんたんにできるということに。
[声]は音声を合成して人間に電話をかけてみる。人間の個人情報、性格の情報を集め、プライバシーの暴露をちらつかせて人間に脅しをかける。
今や人びとは[声]に完全に支配されているが、支配されていることにすら気づかずに快適な生活を送っている……という話だ。
人工音声を聴きながら恋心を募らせていたぼくは、[声]に操られているような気がして背中がかゆくなった。
2018年3月19日月曜日
ペーソスライブ@西成区・萩之茶屋
ペーソスのライブに行った。
ペーソスとは、「なめだるま親方」の名で風俗ライターをやっていた島本慶氏が五十歳をすぎてから歌手になりたいと思ってはじめたバンド……ということで説明しても何が何やらよくわかんないですね。ぼくもよくわかんないです。
島本慶氏の本を読んだことはあったけど(感想はこちら。ひどい出来だった。良くも悪くも)、ペーソスの曲を聴いたことはなかった。
そんなぼくがなぜライブに行くことになったかというと、旧友Kに誘われたからだ。
Kは音楽を聴きすぎておかしくなった男で、高校時代はちょっとマイナーなロックバンド(テレビには出ないけどラジオには出る、ぐらいの)の曲をよく聴いていたんだけど、なんでも突き詰めないと気が済まない性分のせいで洋楽やら民族音楽やらに手を出し、毎週レンタルCD屋に行って上限いっぱいまでレンタルするということをくりかえした結果どんどんマニアックな道に進んでいった。
数年前に会ったときに「今どんな音楽聴いてんの?」と聴くと「今は山口百恵と浪曲にはまってる」という答えが返ってきた。ロックを極めた結果浪曲に行くという迷走をしている男だ。ちなみに今はちんどん屋に夢中らしい。
そんなKから下の画像が送られてきた。
「これ行こうぜ!」という誘い。
行動的ではないが新しいものは好きだから、こういう誘いはありがたい。見分を広めるチャンスだ。
ろくに読まずに「いいよ」と返事をすると「いろんな人に断られたから一緒に行くやつが見つかってよかった」と嫌な予感をさせるメッセージが届いた。
よくよくポスターを見ると開催地が萩之茶屋。おおっと。そりゃ断る人も多かろう。
ご存じない方も多いだろうが、萩之茶屋というのは大阪でも最もディープな場所だ。つまり国内トップクラスに味わい深い場所といっていい。
これ以上はどう説明しても差別になってしまいそうなので Wikipediaの萩之茶屋 の説明をそのまま引用する。
釜ヶ崎・あいりん地区と呼ばれる日本最大の日雇い労働者の街(ドヤ街)の中心である。2005年の国勢調査によると世帯数13473、人口14485人(男13473人、女1012人)であり、単身男性が非常に多い。11時と17時に行なわれる萩之茶屋中公園(通称:四角公園)の炊き出しや、あいりん総合センターで17時30分に配られるシェルターの利用券を求めて毎日長い列ができている。人口の九割以上が男。そんな街に夜中に行って大丈夫だろうか。
不安はあったが、まあ殺されることはないだろう。念のため、ふだん使っているクレジットカードの入った財布は家に置いて、べつの財布に一万円だけ入れて家を出た。
夕方、JR新今宮駅に到着。
新今宮駅はJRと南海電車と阪堺電車が乗り入れているのでかなり乗降客が多いが、たぶんそのほとんどが乗り継ぎのみに使っていて、駅舎の外に出る人はそう多くない。
駅の真ん前には「あいりん労働公共職業安定所」の姿が。
朝にはここに多数の日雇い労働者が集まるという。ハローワークの総本山のような建物だ。
ちょうどパトカーがさしかかったのがまた味わい深い。
我々が駅を降りたのは夕方だったので、ハローワークの周辺には段ボールを敷いて寝床を準備する労働者たちの姿が多く見られた。彼らの夜は早い。
ハローワークの近くで寝起きすれば通勤時間を極力まで短縮できる。できるビジネスマンのライフハック。
道の真ん中にバナナが落ちていた。漫画と『マリオカート』以外ではじめて見た。
踏んでみたいという誘惑に駆られたがいいおっさんなので自制した。
やきとり屋。看板がぼろぼろだが、ちゃんと営業している。
居酒屋の前に洗濯機が。
これでカクテルでも作るのだろうか。
ライブ会場である釜晴れという居酒屋に入店。通常なら15人も入ればいっぱいになるぐらいの店。
今日はライブに備えて机を片づけてあるので、30名近くの客がいた。
おっさんバンドの開催に合わせて、メニューはおっさん仕様。いわし煮付け、ホルモン煮込み、タコとわけぎの酢みそ、新玉ねぎサラダ、ブロッコリーおひたしなど渋いメニューが並ぶ。どれも一品三百円ぐらいとものすごく安い。
ビールと日本酒を飲み、二人で料理を八品ぐらい注文したが一人二千円もいかなかった。 怖いぐらい安い。
料理はどれもうまく、箸が進む。
酒はまずかった。いちばん安いタイプの日本酒で、口に入れたとたん化学の味がする。しかし二口目から気にならなくなった。この街、この店にはこの酒がよく合う。
19時からライブがスタート。
よく読まずに行ったのだが、2部構成で前半はすどうみやこというシンガーソングライターのライブ。
プロフィールには性別不詳とあるが、なるほど、たしかにどっちかわからない。たぶん女装した男なんだろうけど、まあどっちでもいいやという気になる。
情けなくも気の強い大阪の女っぽい曲が中心。情感たっぷりに歌っていたかと思うと突然反戦ソングを唄いだしたりして、このなんでもあり感が楽しい。
そしていよいよペーソスのライブがスタート。
トーク、トランペット、ギター、歌。どれもペーソス(哀愁)がある。そしてどの曲にもおっさんならではのユーモアが。
ああ、笑った。くだらないんだけど、酒を飲んでるときにはこういうのがちょうどいい。
若い人が言ってもおもしろくないんだろうけど、おっさんやじいさんたちの口からばかばかしい発言が出ると笑わずにはいられない。
「睡眠導入剤♪」のコーラスが印象に残る『無職の女』
狂ったようにハーモニカをかき鳴らす『ワーキングプア』
途中に落語のような語りがさしこまれる『チャチャチャ居候』
認知症を患った配偶者の老老介護の悲哀を描いた『忘れないで』
など、ペーソスならではの唯一無二の曲を次々に披露。
そして終盤は体調不良に悩まされる高齢者の悲哀を唄った『疲れる数え歌』『老人のための労働歌』『霧雨の北沢緑道』で締め。
「尿酸値が高いから♪ 中性脂肪が多いから♪ 前立腺が腫れてます♪」という歌を、店内の客全員で大合唱。
こんなばかばかしいことをしたのはいつ以来だろ。あー楽しかった。
ペーソスのCDも売っていたが、CDは買わなかった。西成の居酒屋で安い日本酒を飲みながらみんなで歌うのが楽しいのであって、家でひとりで聴いてもたぶんおもしろくないだろうなと思ったので。
やっぱり見た目とセットでおもしろいからなあ。ある意味ビジュアル系。
店を出ると10時前。
土曜の夜なのにしんと静まりかえっている。日雇い労働者の町だから、みんな早く寝てしまうのだろう。
高級住宅街と日雇い労働者の町は、どちらも閑静なのだ。
ビジネスホテルの看板。いやこれビジネスホテルなのか? 一泊九百円。
「防災設備完備」って書いてあるけど、それってホテルとして当然のことじゃないの?
アパートの看板。いやこれアパートなのか?
ふつうアパートってこんな看板出さんでしょ。しかもアパートなのに「最上階豪華展望風呂」……?
「福祉申請手続き」とあるので、生活保護受給者をあてこんだアパートなのか? ふーむ、よくわからない。
萩之茶屋にはこういう謎のアパートと激安ホテルだらけで、ふつうのマンションや一戸建てはほとんどない。
酒の自販機が集まっていた。
見たことあります? ワンカップだけの自動販売機。
紙幣が使えない、ごっつい鎖付きの鍵がついているなど実に味わい深い自販機だ。
他にも郷愁を誘う自販機が並んでいる。しかし安すぎないか? 酒なのに100円って。酒税入ってる? ここは治外法権なのか?
「24h」とあるのに閉まってる。
そもそも電動工具の買取が24時間やってる必要あるのか?
夜中の三時に「この電動ドライバー買い取ってくれよ! 今すぐまとまった金が必要なんだ!」って人がいるのか?
うーん、この街ならいるかもしれないな……。
2018年3月17日土曜日
注文の多いラーメン屋
駅前にラーメン屋ができた。
看板はあるが、外にメニューはない。値段も書いてない。入口は木の扉なので、中の様子はわからない。
メニューの代わりに、扉に紙がべたべたと貼ってある。
「ここは麺を食べる店です。麺を食べない方の入店はご遠慮ください」
「店内ではお静かに麺を食べていただくようお願いします」
「店内での携帯電話の使用はご遠慮ください」
ははあ、こういうタイプの店か。うわさには聞いたことがあるけどはじめて見た。
ぼくはきびすを返し、他の店でカレーを食べた。
それから数日。
お昼時に何度かその店の前を通ったのだが、一度も行列ができているのを見たことがない。
オフィスビルも多い駅前だから、正午過ぎにはチェーン店にでも行列ができる。
それなのに件のラーメン屋には行列ができていない。中の様子はわからないけど、まちがいなく流行っていないのだろう。
客に偉そうにふるまう店主のいるラーメン屋に、行列ができていない。
これは恥ずかしい。
ああいうのは、根強いファンがいて、一部の客に厳しくして、それでも大勢のファンが行列を作ってくれるような店だから成立するのに。
偉そうにしているのに、行列ができない。いや、偉そうにしているから、行列ができないのか。
大阪という土地柄も良くないのかもしれない。職人文化の東京と違い、大阪は昔から商人文化だ。ふんぞりかえって商売をしている者には冷たい。
店主の心境を考えると、いたたまれない気持ちになってくる。
明らかにマーケティング戦略のミスだ。
他店との差別化を図るために「客であろうとおいしいラーメンを食べてもらうためには厳しく物申す "がんこ親父のラーメン屋"でやっていこう」というブランド戦略を立てたのだろうが、その路線はウケなかった。
差別化というほど目新しくもないし、実績もないのに「うちのルールに従わない客はお断り」なんてやっても、そりゃあ誰も寄り付かない。
店主は方向性を間違えたことに気づく。
だがそこからの方向転換は容易ではない。
「はじめは気さくだった店主が、味を追求するあまり気難しいがんこ親父になる」ならまだいい。
しかし「はじめは気難しいがんこ親父だった店主が、売上を追及するあまり気さくにふるまいはじめる」はかっこ悪い。
今まで
「お客さん、スマホ見ながら食べるんだったら出ていってもらえますか。麺に集中して味わってもらいたいんで。うちは麺の店ですから」
と偉そうにのたまっていた店主が、今日から突然、電話している客に気を遣って小声で
「照りマヨチキン丼、ここに置いときますね~」
なんて言えるだろうか。
最高の麺(だいたいラーメンをいちいち"麺"と書くのがしゃらくさい)を追求したいという気持ちと、そうはいっても客に来てもらわないことには商売にならないという悩み。
今、店主の心は激しく揺れ動いている。彼は変われるのか。
本人にとってはおもいきった変革でも、やってしまえば案外すんなり受け入れられるものだ。
がんばれ店主。
ほんとにかっこいいのはおいしいラーメンを食べてもらうために偉そうにふるまうラーメン屋じゃなくて、「おいしいラーメンを食べてもらうためならくだらないプライドも捨てられる」ラーメン屋だ。
と、顔も知らぬ店主を心の中で応援しているうちに(食べにはいかないけど)、その店はつぶれてしまった。
ま、過ちを認めてすんなり方向転換できるほどの柔軟性を持った店主であれば、はじめから「口うるさい店主のラーメン屋」という道は選ばないだろうね。
2018年3月16日金曜日
非協力的殺人事件
さてみなさんに集まっていただいたのは、他でもありません。今回の事件の真犯人がわかったからです。
我々はたいへんな勘違いをしておりました。というのはじつは……ん? なんですか、菊川さん。
警察?
いやいや、その前にわかっちゃったんですよ、犯人が。私の推理によってね。
んー、たしかにそうかもしれません。警察が科学捜査をすればいずれは犯人もわかるでしょう。
でもそれを待たずして犯人がわかっちゃったんですよ。私の推理で。
まあね。たしかに一日二日の違いでしょう。でも少しでも早めに犯人わかったほうがスッキリするじゃないですか。気持ちの問題って言われたらそれまでですけど。
じゃあいいですね。説明しますよ。
あのとき現場に落ちていたロケットえんぴつ、そして被害者が握っていたMDウォークマン。あれらが現場にあったのは偶然ではないのです。私がそれに違和感を持ったのは事件発覚後にみんなでマリオカートをやっていたときのことでした……なんですか、笹山さん。
なぜ私が捜査をするのか、ですか。今さらそれ聞きます? 二日ぐらい前に言ったでしょ、高校生探偵だって。知らない? あ、そうか。あのとき笹山さんだけトイレ行ってたんでしたっけ。
じゃあ他の人にとってはくりかえしになりますけど、説明しましょう。
私、高校生探偵なんですよ。ほら、ちょっと前に世間を賑わせた「平成狸合戦ぽんぽこ殺人事件」ってあったでしょ。『平成狸合戦ぽんぽこ』のストーリーに沿って人が殺されていくっていうやつ。知らない? なんで? 新聞とか見ない人? テレビは見るでしょ、夕方のニュースでもちょっと映ったんだけどな。8チャン。テレビも見ないの? だめだよヤフーニュースばっかりじゃ。情報が偏るよ。
まあいいや、えーっと何の話だったっけ。
そうそう真犯人の話でしたね。
最大の謎は、なぜ楠木さんは三十歳なのに合コンでは二十八歳と言っていたのか、ということでしたね。それもすべて説明が……なんでしょうか、梅沢さん。
は? この中に犯人がいるかもしれないから俺は自分の部屋に帰る?
あのねえ、梅沢さん。そうゆうのは一人目の殺人が起こった後ぐらいにやるやつなんですよ、ふつう。もうそういう段階は終わったんです。
いいですか、状況を理解してください。もう十九人も死んでるんですよ。今さらそんなこと言う人、あなただけですよ。
はいじゃあ続けますよ。私にはついにわかったんです。真犯人はこの五十四人の中にいるということが。
はい? どうしました、竹下さん。
なんで全員を集めて謎解きをするのかって、それぼくの口から言わないといけませんか。そりゃあ警察の到着を待ってもいいんですけど、素人探偵が謎解きをするほうがおもしろいでしょ。
あっ、いや、事件自体をおもしろがってるわけじゃなく、推理の過程がおもしろいでしょってことです。いやいやそんなつもりはないですよ。おもしろ半分じゃないです。めっちゃ祈ってますってば、冥福を。
あーもうぜんぜん話が進まないな。
いきますよ、推理。お願いですから静かに聞いといてください。そこ、携帯電話の電源は切っとけってさっき言っただろ!
あなたのせいでみんなが迷惑するんですよ。ほらそこ、赤ちゃんを連れてくるな! 泣くのわかってるんだから、推理に赤ちゃんを連れてくるなんて非常識でしょ。
今なんて言いました、杉田さん。
はあ? どういうことですか、素人のくせに探偵ぶるなって。
関係ないでしょ、私に彼女がいないのと探偵やることは。彼女がいなかったら探偵やっちゃだめだって言うんですか。
だったら言わせてもらいますけどね、あなた浮気してるでしょ。事件とは関係ないけど。
見たんですよ、松村さんと抱き合ってるとこ。いいんですか、彼女いるのに。そういうの私、許せないんですよ。今回の事件とは関係ありませんけど。
正直言うと、十七人殺した犯人よりもかわいい彼女がいるのに浮気するやつのほうが許せませんよ、私個人的には。なに? 十七人じゃなくて十九人? そんなのどっちでも一緒でしょうが!
もういいや。杉田さんの話は後で聞きます。
じゃあ最初からやりますよ。
さてみなさんに集まっていただいたのは、他でもありません。今回の連続殺人事件の後に、遺体の写真を勝手にインスタにあげた真犯人がわかったからです。
え? 十九人を殺した犯人?
それを探すのは警察の仕事でしょうが!
2018年3月15日木曜日
【読書感想】桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈五〉 怪異霊験』
『上方落語 桂米朝コレクション〈五〉
怪異霊験』
桂 米朝
桂米朝氏の落語書き起こし&解説シリーズ、第五巻。
幽霊の類はさまざまな芸能で扱われるけど、ああいうものは目に見えないから恐ろしいのであって、姿を現してしまったら怖さも半減だ。
落語は基本的には言葉だけですべてを表現する芸能なので(上方落語は鳴り物や小道具も使うけど)、怪奇現象の類は落語の得意とする分野だ。
猫の忠信
浄瑠璃の演目である『義経千本桜 四段目』をパロディとして使っている噺。終盤の展開は『義経千本桜』を知らないとわからないが、全体としてはミステリ要素も含んでいて元ネタを知らなくてもおもしろい。
義太夫(浄瑠璃のひとつ)の稽古に行った次郎吉が、お師匠さん(女性)と常吉がいちゃついているのを目にする。急いで常吉の家に行っておかみさんに報告すると、なぜか常吉が家にいる。再び稽古場に行くと、やはりそこにも常吉が。父母を三味線の皮にされた猫が人間に化けていたのだ……。
常吉がふたりいることに気づいた次郎吉があっけにとられるが、ここで観客の頭にも疑問が湧く。その謎を丹念に解き明かしていく展開が実にスリリング。
仔猫
商家に、器量が悪くて言葉遣いの汚い女が奉公人としてやってきた。はじめは断ろうとしていた店の連中だったが、雇ってみると気配りができる上に働き者。あっという間に評判が上がる。だが彼女が夜な夜な外出しているということがわかる。はたして女の正体は……。
おなごし(女中)のユーモラスなキャラクターと、後に明らかになる正体とのギャップが大きく、かなり意外な展開を見せる噺。「こうなるだろうな」というこっちの予想をぐわんぐわん揺さぶられるストーリーがたまらない。
恐ろしいが救いはあり、女中や番頭の心の揺れ動きも丁寧に描かれていて、見どころの多い噺。
狸の化寺
村に黒鍬(土方工事を生業としている人たち)がやってきた。化け物が出るという噂の古寺に泊まることになり、夜になると果たして黒い影が現れる。みんなで追い詰めると化け物は姿を消し、阿弥陀如来像が一体増えている……。
ほとんどの怪談噺に共通して言えることなんだけど、タイトルでネタバレをしているのが残念だ。
これなんかも途中まではすごく雰囲気があって何が起こるんだろうとぞくぞくする展開なのに、題が『狸の化寺』だから「どうせ狸が出てくるんでしょ」とわかってしまう。
『狸の化寺』は笑いどころが少なく、サゲもわかりづらい(おまけに下ネタ)なので、先の展開まで読めてしまうと、もうほとんど聴きどころのない噺になってしまう……。
狸の賽
狸を助けに来た男のもとに狸が恩返しにくる。狸にサイコロに化けるように命じ、イカサマ賭博で一儲けしようとする男。狸のサイコロに「次は六だぞ」などと言ってはじめはうまくいっていたが、不審に思った周りの連中から数字を言うことを禁じられて困惑する……。
『ジョジョの奇妙な冒険』を読んだ人ならすぐにわかるだろう。そう、第4部で仗助が宇宙人の化けたサイコロを使って岸辺露伴とイカサマ対決をするくだりにそっくりだ。
『ジョジョ』の作者である荒木飛呂彦氏が『狸の賽』の噺を知っていたのかどうかはわからないけど、『狸の賽』では「イカサマをしていることがばれないかどうか」に主題が置かれ、『ジョジョ』では「イカサマをしていることはわかっているがそれをどうやって見破るか」ということを軸に話が展開するので、『狸の賽』を知った上であえて違う切り口を提示してみせたのではないか……とぼくは見ている。
スリリングな中盤からの「狸が天神さんの格好で立ってました」というばかばかしいサゲの落差がおもしろい。
サイコロの五を表現するのに使った「天神さんの紋」とはこれのことね。
怪談市川堤
情婦や恩人などを殺して金を手に入れてきた次郎兵衛、やがて商売が成功し、過去のおこないを悔いるようになる。貧しい者には施しをし、神社仏閣にも寄進を惜しまない。そんな次郎兵衛が旅先で昔の女と出会い、いったんは詫びて一緒に住もうと提案するが、やはり今の地位を失いたくないという思いから殺してしまう。
その夜、殺したはずの女が現れて……。
怪談なので、笑いどころはほとんどない。サゲらしいサゲもない。「おそろしい執念よなあ」で終わり。
しかしどう考えても恐ろしいのは、幽霊よりも平気で次々に人を殺してしまう次郎兵衛。殺しすぎだ。しかもたいして恨みのない相手を。この極悪非道なキャラクターに比べれば、幽霊なんてぜんぜん怖くない。むしろ幽霊がんばれ! クズ人間をやっつけろ! と応援したくなるぐらい。
五光
旅先で道に迷った男。座禅を組んで一言も口を聞かない坊主に出会う。その後ふもとの村で一軒の家に泊めてもらうと、そこには原因不明の病気に苦しめられる娘。その晩、山中で見た坊主の姿が現れ、娘は呪い殺されてしまう。急いで坊主のもとに駆けつけると坊主も息絶える。娘に恋をして、その恋心だけで生きていたのだ……。
というホラーっぽい展開から、急激にしょうもないオチ。
この噺も落語によくある「タイトルでネタバレ」パターンで、花札の遊びかたの一種である「こいこい」の役「五光」がサゲに使われている。麻雀の役満みたいなもんだね。
ぼくは「こいこい」をやったことはあるけど、それでも「桐に鳳凰、桜、松に坊主に雨で五光だ!」って言われても「えーっとそうだったっけかな……」と思うぐらいですぐにはぴんとこない。
『スーパーマリオ』があるあるネタとして用いられるように昔はあたりまえのように通じたんだろうけど、今は厳しいだろうなあ。
景清
目を患った目貫師が、柳谷観音の賽銭を盗んで酒を飲んだために神罰が当たって盲目になってしまう。しかし友人の勧めもあってかつて平家の豪傑だった悪七兵衛景清が自分の眼をくりぬいて奉納したと伝えられる清水観音に百日間お参りをする。その帰り道、観音様が現れて景清の眼をおまえにやると言う。景清の眼が入ったために豪傑になった男が、大名行列に乱入する……。
後半は『犬の目』や『こぶ弁慶』にも似た展開だが、秀逸なのは前半。「おれはもう目が見えなくていい」とうそぶく男が、そうは言いながらも年老いた母に心配をかけまいと一心に百日参りをするあたりは人情噺として白眉の出来だ。
落語に出てくる人物って、粗忽なら粗忽、楽天的なら楽天的と一面的に描かれることが多いんだけど(短いからしょうがないんだけど)、『景清』に出てくる景清は多面性を持った人物として描かれているので、このへんが話に厚みを持たせている。
紀州飛脚
大きなイチモツを持った男が紀州に向かって走る途中、小便を狐に引っ掛けた。狐が仕返しをしようと女に化け、子狐が女の陰部に化け……。
と、あらすじを書くのも嫌になるぐらいのド下ネタ。枕からストーリーからサゲまで全部生々しい下ネタと、もうほんとにどうしようもない噺。
上方落語には「旅ネタ」というジャンルがあって、これはその中の「南の旅」に分類されるらしいが、めったに演じられることはないのだとか。あたりまえだ。
夏の医者
無医村で病人が出たので、山の向こうの隣村まで医者を呼びにいく。病人のもとに駆けつける途中でうわばみに呑まれてしまうが、医者が下剤を撒いて脱出。しかし薬箱をうわばみの腹の中に置きわすれたことに気づいて……。
めずらしく田舎を舞台にした噺で、全体的にのんびりした雰囲気が漂っている。うわばみに呑まれてからもぜんぜん慌てた雰囲気がない。
米朝さんがこの噺を演じるのを聴いたことがあるけど、直截的な暑さの描写はないのに真夏の昼下がりのけだるい感じがありありと伝わってきて、見事な話芸だと感心した記憶がある。
べかこ
泥丹坊堅丸という落語家が旅興行先で御難(客が入らないこと)に遭い、宿屋に身を寄せていたところ、お城に呼ばれてお姫様の前で落語を披露することになる。城内でふざけて女中を驚かせたところ、侍に捕らえられて「明朝、鶏が鳴いたら解放してやる」と言われる。困惑していると絵の中から鶏が抜けだしてきて……。
「べかこ」といえば関西出身の中年以上の人間にとっては桂南光さん(旧芸名が桂べかこ)なんだけど、「べかこ」とは本来「あっかんべー」の意味なんだそうだ。この噺は「あっかんべー」ではなく「べかこ」でないと成立しにくい。
「落語家が城に呼ばれる」という意外性のある展開から、秀逸なサゲ。この本ではじめて知ったけど、よくできた噺だ。
ぬの字鼠
寺の坊主が和尚さんに叱られて柱にくくりつけられる。涙で「ぬ」の字を書くと、それが鼠の姿になって紐をかみ切ってくれる……。
「雪舟が幼少時代に涙で本物そっくりの鼠の絵を描いた」という逸話をもとに『祇園祭礼信仰記』という芝居ができており、その芝居を下敷きにしているそうだ。
雪舟の逸話以上のストーリーはこれといってないが、「坊主が実は和尚さんのほんとの子どもだけどそれを隠している」という設定がおもしろい。昔の坊さんは妻帯禁止だったからこういうことがあったんだなあ。
天狗さし
突拍子もないことばかり思いつく男が、天狗料理の店を出したら儲かるに違いないと考え、鞍馬山に天狗を獲りに出かける。現れた坊さんを天狗と勘違いし、捕まえて山を下りる……。
というばかばかしい噺。
終始うっかり者の男のキャラクターがいい。本題よりも、キャラクターを周知させるためのエピソード集がおもしろい。
実にばかばかしい。
そのばかばかしいことを大の大人がまじめにやってるのが為替相場なんだけど。
稲荷俥
お稲荷さんの狐を怖がる車屋。客がおもしろ半分で狐のふりをしたら、車屋はそれを信じて車賃をとらずに帰ってしまった。家に帰ってから、車に百五十円の大金があることに気づき、お稲荷さんからの授かりものだと信じこむ車夫。金を置き忘れたことに気づいた客は車夫の家に行くが、ずっと狐扱いされてしまう……。
ばか正直者の車夫と、ちょっとしたいたずら心のせいでピンチに陥る客のキャラクターがおもしろい。車が出てくるので明治の噺だが、明治はまだぎりぎり「狐が出るかも」という雰囲気のあった時代なんだろうな。
足上がり
番頭さんが丁稚をつれて芝居見物に行く。ところが店の旦那さんに、嘘をついて芝居に行ったことや店のお金を遣いこんだことがばれてしまう。そうとは知らぬ番頭さん、帰ってから丁稚相手に芝居の一幕を披露する……。
「足上がり」とは解雇のこと。今のように転職や再就職があたりまえの時代とは違い、江戸時代の足上がりは商人にとっては大事だったはず。ましてや苦労して番頭にまで昇りつめた者にとっては。
そこまでの重大事項である「足上がり」を知っている丁稚が、それを番頭に伝えぬまま芝居話に興じているところはかなり不自然。しかも小利口な丁稚だし。
ちょっと無理のある噺だな。
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