2017年11月11日土曜日

タイムカプセルの中にはシャケのおにぎり


高校三年生の秋。卒業まであと半年。
ぼくらは勝手にタイムカプセルを埋めた。

テスト期間中だった。
部活もないし、試験が終わるとみんなさっさと帰ってしまう。教師たちは採点や翌日以降の試験の準備に追われている。校門とは反対方向の北グラウンドに行く人なんて誰もいない。そのタイミングを狙ってやった。計画犯だ。
六人ぐらいで埋めたと思う。

タイムカプセルとして埋めたのは未来の自分に宛てた手紙と、成績表と、食べかけのおにぎりだった。おもしろいと思ったのだ。愉快犯だ。
タイムカプセルは湿気でダメになるという話を聞いていたので、缶の箱に手紙とおにぎりを入れ、セロテープで密封し、ビニール袋で二重にくるんだ。

北グラウンドにはちょうどいい具合に大きめのスコップが置いてあった。大きな樹から十メートル南に歩いたところに一メートルくらいの穴を掘った。
そんなに掘らなくてもいいのに掘っているうちに楽しくなってしまったのだ。一メートル掘ったが、掘り起こすときのことを考えて三十センチぐらいの深さのところにタイムカプセルを埋めた。



タイムカプセルを堀りかえしたのはそれから二年後、成人式の翌日。ちょうどみんな帰省してくるのでその日にした。この機会を逃すともしかするともう一生全員そろうことはないかもしれない。一月にはめずらしいぽかぽか陽気の日だった。


高校に入り、まっすぐ北グラウンドに向かった。
さて掘りおこそうと思って気がついた。スコップがない。
埋めたときはちょうどいい塩梅に転がっていたのに、今はない。スコップがなくなったという変化に二年という時の重さを感じて愕然とした。嘘だ。
あちこち探しまわって、駐輪場にツルハシがあるのを見つけた。少し扱いづらいが、掘れないことはない。北グラウンドでツルハシを振るっていると、体育教官室のほうから体育教師五人がこちらに近づいてきた。ジャージ、スポーツ刈り、重心の低い体形。体育教師の特徴を存分に兼ね備えたおじさんたちがやってくるのはなかなか迫力がある。そのうちのひとりが大声で叫んだ。「こらー! おまえら何やっとんじゃー!」

無許可で高校に入っているところを見つかったのだから怒られてもしかたない。現行犯だ。
とはいえOBにもなって教師からこんなに怒られるとは思ってなかった。
ぼくらがびっくりして立ちすくんでいると、体育教師のひとりが「あれ? おまえらか」と言った。ぼくらの顔を思いだしてくれたらしい。ほっとした空気がチーム体育教師の間に流れたのを感じた。

よくよく聞いてみると、生徒から「若者の集団が北グラウンドで刃物をふりまわしている」という通報が入り、それで体育教師たちが集団で駆けつけたらしい。
手にしているツルハシを見た。なるほど、たしかにこれも刃物にはちがいない。そういやその二年ぐらい前に、小学校に男が侵入して小学生を殺傷するという事件があって世間をにぎわせていた。特に過敏になっていた時期だったのだろう。

ぼくらは大学生だからみんなだらしない恰好をしているし、中には金髪にピアスのやつもいる。そんなやつらが刃物を持っているという通報があったのだから、教師たちもびっくりしたことだろう。すまないことをした。でも穴を掘っているだけで怒鳴りつけられたぼくらもびっくりした。

「何やっとるんや」
 「タイムカプセルを埋めたので掘り起こしてるんです」
「おまえら、まだそんなあほなことやっとるんか。そういうのはもっと時間たってから掘りかえすもんやろが」
 「じゃあまた十年後に掘りに来てもいいですか」
「あほか。そのときは確実に警察呼ばれるわ」
 「じゃあ今掘らせてください」
「掘りおわったらちゃんと穴埋めとけよ。あとツルハシは元あったところに返しとけよ」

そういって体育教師たちは立ち去っていった。おっかなかったが目が笑っていた。



掘り起こしたタイムカプセルは、どろどろに腐食していた。
ビニール袋自体が溶けており、缶は錆びていた。人工物がたった二年でこんなにも腐食するのかと自然の力に驚いた。
缶の中身はびちゃびちゃだった。缶を開けたやつが「おえっ」とえづいた。おにぎりのにおいだった。おもしろいと思って一緒に入れたのだが、ぜんぜんおもしろくなかった。怒りしか湧いてこないにおいだった。枝でつついておにぎりをばらばらにしてみると、茶色い米の中から真っ黒になったシャケが出てきた。動物性のものだからか、特にシャケのにおいが強烈だった。
手紙は水で濡れて貼りついていたのでほとんど読めなかった。

結果を見ると、ぼくらのタイムカプセル作戦は失敗だった。
手紙は読めなかったし、体育教師から怒鳴られた。
けれどそのとき撮った写真はみんな気持ちいいぐらいの笑顔で写っている。冬の晴天の日にふさわしい、失敗したことからくるからりとした顔だった。


タイムカプセルを掘り起こした経験のおかげでいくつものことを学んだ。
素人にタイムカプセルは難しいこと。穴を掘るときはスコップを持参すること。母校といえども学校に入るときはきちんと許可をとったほうがよいこと。そしておにぎりを埋めるならシャケじゃなくて昆布ぐらいにしておいたほうがいいこと。


2017年11月10日金曜日

記憶喪失に浮かれていた


クラスメイトが記憶喪失になった。高校生のときのことだ。


担任から「昨日クラスメイトのKくんがラグビーの試合中に激しくぶつかって、その衝撃で記憶喪失になった」と聞かされたときの衝撃は忘れがたいものがある。

「心配だ」という気持ちも1%はあったが、その99倍の好奇心が胸のうちを占めた。

みんな等しくきょろきょろと周囲を見まわし、落ち着かない様子で「記憶喪失?」「記憶喪失になったの?」と担任から言われていたことをおうむ返しにしていた。


みんな同じ気持ちを持っていたのだと思う。

「あの、ドラマや漫画でおなじみの記憶喪失が、現実に……!?」という興奮だ。

"白馬に乗った王子様" や "青い光とともに降り立つ宇宙人" と同じくらい非現実的な「ここはどこ? 私はだれ?」がまさか現実に……。

もし担任が「昨日Sさんのもとに白馬に乗った王子様が迎えに来ました」と言ったとしても、きっとぼくらは同じような反応をしていただろう。


ぼくらははじめて遭遇する記憶喪失に浮かれていた。完全に浮かれていた。

だって未知との体験なんだもの。

そんなぼくらに向かって釘を刺すように、担任は云った。
「思いだしたくても思いだせない状態やからな。刺激やストレスを与えたらあかんらしい。だから無理に昔のことを思いださせようとしたらあかんで」



記憶は失ったもののそれ以外に大きな問題はなかったのだろう、一週間くらいでKくんは学校に復帰した。

ひさしぶりに登校してきたKくんを、ぼくらは遠巻きに眺めるだけだった。

「昔のことを思いださせたらいけない人」と何を話せばいいというのだろう。
以前からの知り合いが何を話したって「刺激やストレス」になるんじゃないのか。
だからといって「はじめまして」というわけにもいかないし。

腫れ物にさわるように遠くからKくんを見つめるだけのクラスメイトたち。

そこに、Nくんが登校してきた。


Nくんはとても優しい男だったのだが、ひとつ大きな問題があった。
心がきれいすぎるあまり、まったくデリカシーがなかったのだ。
友人がとある女の子にひそかな恋心を抱いていると聞いて、「よし、〇〇と××ちゃんが仲良くなれるよう協力しようぜ!」と当の女の子にも聞こえるぐらいの大きな声で言っちゃうぐらいデリカシーがないやつだった。

Nくんは、ひさしぶりに登校してきたKくんの姿を見つけ、一片の躊躇もなく彼の席に近づき、
「おうK、ひさしぶり! おまえ記憶喪失になったんやって? おれのこと覚えてるー?」
満面の笑顔で話しかけた。

遠くからその様子を見ていたぼくらは凍りついた。

こいつ……。なんてデリカシーのないやつ……。

「刺激を与えてはいけない」「無理に昔のことを思いださせようとしてはいけない」という掟を、いともかんたんに背面跳びで飛び越えてしまった。

言われたKは、泣きそうな顔を浮かべて困ったように小さく首を振った。

「そっかー。早く思いだしてくれよ!」

一切の屈託もない笑顔でさわやかに手を振るNくん。

こういうやつが、サボテンに水やりすぎて枯らしちゃうんだろうな、とそのときぼくは思った。



2017年11月9日木曜日

驚異の行動力をもった公務員/高野 誠鮮『ローマ法王に米を食べさせた男』【読書感想】

『ローマ法王に米を食べさせた男
過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』

高野 誠鮮

内容(e-honより)
北陸・能登半島の西端に位置する石川県羽咋(はくい)市は、かつて「UFOの里」として町おこしに成功し、NASA特別協力施設の宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」開設等で話題を呼んだ。その仕掛け人が、科学ジャーナリスト、テレビの企画・構成作家を経て帰郷し、羽咋市役所の臨時職員となった高野誠鮮氏だ。正職員に昇格した同氏はその後、過疎高齢化で「限界集落」に陥った農村を含む神子原(みこはら)地区の再生プロジェクトに取り組む。年間予算わずか60万円ながら、数々のユニークなアイディアにより、4年間で若者の誘致や農家の高収入化に成功した。本書では、「スーパー公務員」と呼ばれた高野氏自らが、プロジェクト成功までの経緯、方法、考え方等を公開。その後の取り組みも含め、地方創生のあり方に一石を投じている。著者は現在羽咋市教育委員会文化財室長。

おもしろかった!
過疎化・超高齢化が進む石川県羽咋市の神子原地区を「UFOの里」「ローマ法王が食べた米の生産地」として有名にした市職員の話。

書かれている話題は大きく三つ。
「どうやって神子原地区の農業の収益を高めたか」「UFOを使っての町おこし」「無農薬栽培でTPPに勝つ」
最後の無農薬栽培のあたりは『奇跡のリンゴ』を読んでいたので(感想はこちら)より理解しやすくておもしろかった。併せておすすめ。

この人の話はおもしろすぎるので話半分に聞かないといけないが、それにしてもこの行動力には驚嘆。

 神子原を英語に訳すと、
「the  highlands  where  the  son  of  God  dwells」
 になる。「サン・オブ・ゴッド」は「神の子」、神の子といえば有名なのはイエス・キリストではないか。すると神子原は、キリストが住まう高原としか翻訳できないんです!
 ならば、キリスト教で最大の影響力がある人は誰か? 全世界で11億人を超える信者数がいるカトリックの最高指導者であるローマ法王(教皇)しかいない。けれどローマ法王ベネディクト16世(当時)はドイツの出身、ふだんからお米を食べているか? いいえ、そんなこと考えるまでもありません。食べてもらうんです、食べてもらうよう説得するんです! 善は急げです。すぐに手紙を出しました。
「山の清水だけを使って作った米がありますが、召し上がっていただく可能性は1%もないですか」

こんなでたらめな思いつきで行動してしまうのだから(そしてほんとにローマ法王に食べてもらえるのだから)すごい。
これを読むと、自分がいかに想像力にふたをして生きているかがわかる。ふつうはどっかでブレーキをかけちゃうと思うんだよね。「神子原だからキリスト教だなんてこじつけもいいところだ」「ローマ法王が食べてくれるわけがない」「食べてくれたとしてもだからといって米が売れるとはかぎらない」って。
でもやったことといえばローマ法王宛てに手紙を出しただけ。失敗したって損するのは切手代数百円だけ。成功すれば大きなリターンが得られる。って考えたら断然やったほうが得なんだけど、でもふつうは"良識"がじゃましちゃってできないよね。

これができたのはこの人が裁量を持って仕事をしていたからで、上司が「犯罪以外なら何をやってもおれが責任をとる」って言ってくれたからだよね。
公務員でも大企業でも意思決定に多くの人が関わるほど、奇想天外な思いつきは排除されてしまう。
「組織内の事前確認」ってほぼマイナスにしかならないよね。ぼくも「組織内でお伺いを立てて確認をとって報告する」という業務の多さに嫌気がさして仕事を辞めたことがある。すごく手間がかかるわりに何も生みださない業務だからね。結果、前例と同じことだけやるのがいちばん楽ってなっちゃうし。


あとさ。
「山の清水だけを使って作った米がありますが、召し上がっていただく可能性は1%もないですか」
この訊き方、うまいよね。
ローマ法王に手紙を出しても読むのはたぶん法王本人じゃなくてお付きの人。「召し上がっていただけないですか?」だったら「いやーたぶん無理だと思いますわー」ってなるだろうけど、「召し上がっていただく可能性は1%もないですか」だと「1%もと言われると、確認とってみないとわかりません」になるもんね。で、確認をとってみたら案外いけたり。


高野誠鮮さんってほんとにすごい人なんだけど、でも実際、同僚だったらやりづらそうだなあ。どんどん突っ走っちゃうもんね。
きっと敵も多かったんだろうなあ。出る杭は打たれるから。
組織には出る杭も必要だよね。
もっとも、すごい人が出る杭だからといって、出る杭がすごい人とはかぎらないけどね。

公務員って守旧派ってイメージがあるけど、でもほんとは公務員こそどんどん挑戦するべきだよね。
失敗したってクビにはならないし、倒産するわけでもないし。
世の中には公務員が一円でも無駄にしたら烈火のごとく怒る人がいるけど、もうちょっと寛容でもええんじゃないかな。どうせ何百兆円もの借金抱えてる国なんだから。

失敗を繰り返さないと成功事例は作れないし、それを民の代わりに公がやってくれると思ったらありがたい。良くないのは、新しいことをやって失敗した人じゃなくて、失敗しているものをそのまま続ける人だと思う。年金制度とか。



 なぜ、神子原地区のコシヒカリはおいしいのか?
 ここは碁石ヶ峰の標高150mから400mの急峻な傾斜地にあるので、山間地特有の昼夜の寒暖差が激しいことから稲が鍛えられるのです。冬は2m以上も雪が積もる豪雪地帯なので、豊富な雪解け水の清流によって育てられているからです。他の農地のように生活雑排水が混じった川から水を引き入れていません。特定された棚田での収穫量は700俵と少なく、平野と比べると65%しか穫れません。これは化学肥料などを使って無理に増産していないということです。1反(10a)で10俵以上穫っている田んぼがよそには多くありますが、そこのお米はおいしくない。化学肥料を多く使って増産させた米で、おいしいものに出会ったためしがありません。

マイナス点も見方を変えれば長所になるって話があるけど、これなんかまさにその例だよね。

過疎(=マイナス)だから川の水がきれい(=プラス)。
多く獲ろうとしていない(=マイナス)だから米がおいしい(=プラス)。
非効率な方法で栽培している(=マイナス)だから稀少(=プラス)。

こういうのって内部にいる人にはなかなかわからないんだよねえ。

そもそも高野さんが思い切った改革を断行できたのも過疎化しきった神子原地区だったからできたわけで、これが「東京都の行政改革」とかだったらとてもこんな身軽に動けなかっただろうから、それだけでも「人が少ない」ってのは大きな強みだね。

一人の人がやれること、手に入れられる情報ってのは昔よりはるかに大きくなってるから、今後はどんどん「物量作戦」よりも「小回り・スピード」のほうが大事になってくるに違いない。
これから先、大企業はどんどんつぶれていって、中小企業や個人経営が席巻する時代になってくると思うな。



最後に、おもしろかったエピソードをひとつ。

 東京の田園調布から電話があった時には絶対売りませんでした。白金の人にも売らない。成城や目白の人にも売らなかった。全部で60件近く断りました。高級富裕住宅街から電話があった時は、「先日まではございましたが、たった今、売り切れました」と答えるようにしたんです。
「行きつけのデパートにお問い合わせされてはいかがでしょうか。ひょっとするとあるかもしれません」
 と。でも、ないですよ。私たち、デパートと取り引きしていないですから。
 何をしたかったかといったら、神子原米を高級デパートの食料品売り場に置いてほしかったんです。デパートが弱いのは富裕層なんです。私たちがお断りした客は、そのような人々です。だからおそらく贔屓のデパートに問い合わせて、「なぜ神子原米を置かないの?」と聞くはずです。すると大切なお得意様からの要望だから、デパートは置こうとする──。
 つまり、物を売りたい時には売らないことが、売る方法なんだということです。

おもしろすぎるのでどこまでホンマかわかんないけど、高野さんはストーリーを作るのがうまい人だねえ。
売りこみにいくのではなく、買いにこさせる。

これはマーケティングを仕事にしているものとしては勉強になるなあ……。


【関連記事】

『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』




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2017年11月8日水曜日

われら鼻だけ水面に出してた人の子孫


女の人って、恋人候補として男性を見るとき、すごく身長を気にするじゃないですか。

男としてはあの気持ち、よくわかんないんだよね。

女の人にとっての「男の身長」って男が女を見るときのおっぱいぐらい重要視されてるような気がする。や、ぼくは女性をおっぱいで判断したりしてませんけど。えへへ。

しかし身長ってそんなに大事なんですかね。
筋肉質な男がいい、とかならまだわかるんですよ。
なんかあったときに守ってくれそう、とか。無人島に流れ着いたときに頼りになりそう、とか。他の動物を見てもだいたい強いオスってモテるからね。

でも身長と強さってそんなに比例しない気がするんだよね。そりゃ小柄なマッチョよりは大柄なマッチョのほうが強いんだろうけど、でもそれはマッチョ同士で比べた場合の話であって世の中の男はそんなにマッチョマッチョしてるわけじゃないから小柄な非マッチョと大柄な非マッチョを比べたときにどっちがよりマッチョに近いかっていったら同じぐらいでしょマッチョ。

たとえば稀勢の里関は身長187cm体重184kgだけど、大半の女性は身長187cm体重84kgの男のほうを好むと思うんだよ。でも強さでいったら断然稀勢の里のほうが上でしょ。だからどうも強さで選んでるわけじゃなさそうだよね。まあ稀勢の里は一緒に無人島に流れ着いたときに頼りになるどころか「自分の食べ物まで食われそう」って心配になるけど。


ぼく自身のことをいえば、女性の身長ってだいぶどうでもいい指標なんだよね。
好きになるかの基準として、顔とか話があうかとか教養があるかとかが上位にあって、あとついでだけどおっぱいもあって、ずっと下に「身長」がある。「だいたいこれぐらいの身長がいいな」っていう範囲はあるけど、優先順位でいうと「足がくさくないか」と「かわいい妹がいるか」の間ぐらい。だいぶどうでもいい。

そりゃあ足がくさいよりはくさくない異性のほうがいいし、ほくろの形が醜い人よりもナナホシテントウみたいに美しく並んでいる人のほうがいいけど、そりゃ欲を言えばきりはないしね。
足がくさい人はイヤだけど、靴を脱いだときに15センチ以内の距離で嗅いだら強烈にくさい、ぐらいだったらべつに実害ないもんね。その瞬間に15センチ以内に入らなければいいだけだから。
だからある程度くさくてもオッケー。シャケのおにぎりを2年ぶりに掘り起こしたときのにおいみたいにきつくなければ大丈夫。しかしあのシャケのおにぎりはくさかったな。なんで掘り起こしたかは長くなるから書かんけど。
あとなんとなく勢いで書いてしまったけどナナホシテントウの形に並んでるほくろって美しいのかよ。


そうはいっても背の高い人に魅力を感じる人は多いわけで、なんかあるんだろうね。遺伝子の奥底に潜んだ何かが。生存に有利な何かが。
あれかなノアの方舟のときかな。世界が水浸しになって、地上170センチまで水に浸かっちゃったとか。背が高い人は鼻だけ水面に出して生きのびた。
そのときの記憶が遺伝子にすりこまれていて、背が高い人がモテるようになったとか。

この仮説が正しいとすれば、鼻の位置がすっごく高い人もモテることになるね。あとエラ呼吸習得してる人と。


2017年11月7日火曜日

満員電車における偉い人


満員電車って、先に乗ってたほうが偉いみたいな感覚ないですか? ぼくはあるんですけどね。

混んでる電車に乗りこむじゃないですか。すみませんすみません、混雑に加担してすみません、さしつかえなければほんのちょっとでいいんでスペース使わせてもらっていいですか。や、ありがとうございます。ぼくみたいな人間のために詰めていただいて恐縮至極。みたいな気分なんですよね。

で、次の駅に着いて何人か乗りこんでくるじゃないですか。そうすると後輩に対してはすごく厳しい目でみてしまうんですよね。
なんだよこんなに混んでるのに乗ってくんのかよ。空気読めよ。ほんとにそこまでして出かけないといけないのかよ、どうせ大した用事じゃないんだろ。六駅ぐらいだったら健康のために歩けよ。えっ後から来たくせにそんなにスペースとるの? もっと遠慮しろよ。そこ、おしゃべりすんな。生まれてきてすみませんって顔しとけよ。みたいな心境なんですよね。

どうしてあんな気分になるんでしょうね。ふしぎですね。ぼくだけですかね。
はじめの一駅ぐらいは肩身狭く乗ってるんですけど、後輩ができたとたんに先輩風吹かしたくなるんですよね。
先に乗ろうが後に乗ろうが同じ距離乗ったら同じ運賃払ってるんですけどね。なのについつい後発組を差別してしまう。


部活で二年生が一年生にやたらと偉そうにするのも同じ感覚なんでしょうね。
年寄りが偉そうにしてるのも同じ理屈ですかね。日本列島という満員電車に先に乗っていたものとして、後から乗車してきた若者に憎しみを覚えてしまうのかもしれませんね。

もっといったらゴキブリも人類に対して同じ感情持ってるかもしれませんよね。
なんだよこんなに混んでるのに新しい種が誕生しやがって。空気読めよ。ほんとにそこまでして生きないといけないのかよ。どうせ大した人生じゃないんだろ。えっ新参者のくせにそんなにスペースとるの? もっと遠慮しろよ。

そういう意識があるから人間の居住空間にずかずか入りこんでくるのかもね、ゴキブリだちは。