2017年9月19日火曜日
正規雇用を禁止する
派遣の規制緩和をすすめようとする国や経団連と、
労働者を守るために派遣規制を緩めるなといっている労働者団体。
もういっそ、正規雇用を禁止にしてみたらどうだろう。どうせ終身雇用制度なんて崩壊してるし。
全員パート・短期契約社員。正社員禁止。2年以上連続して同じ会社で働くことを禁止する。
一気に雇用の流動化が進む。みんなすぐ辞める。バイト感覚で辞める。「おまえ同じ会社で1年も働いてんの? 長いなー」ってなことになり、愛社精神なんて言葉は死語になる。
そうすっと会社としては片時も気が抜けない。社員がごっそり辞めたらすぐにつぶれちゃうから。
優秀な社員に対しては高給を支払うか労働条件を緩和してつなぎとめるしかない。
「がんばってたらいつか出世させるよ」みたいないいかげんな言葉では誰も来てくれない。短期労働者なんだから。「今いくら払うか」だけが重要になる。
今までやりがいや将来の出世という中身のないエサで釣っていた企業はつぶれる。
安定を求める労働者は2社か3社と労働契約を結ぶ。非正規だからね。
複数社で働けば、完全失業のリスクが小さくなる。
月・火はA社、水・木はB社、金曜日はC社。
労働者からすると1社に依存する度合いが減るので、会社に対しても強気で交渉できる。
他の会社の情報も入ってくるので、今いる会社の良し悪しがすぐわかる。
相場より低い給与しか出さない会社はどんどん人が離れていく。
非正規化をとことん推し進めてみたら、かえって労働者の立場が強くならないだろうか?
2017年9月18日月曜日
ガソリン自動車と国産ミュージックプレイヤー
ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』にこんな一節があった。
かつて国の力は資源に大きく依存していた。
金属や石炭や石油をどれだけ保有しているかが国の強さを決め、資源を求めて人々は移動し、資源を保有する国を植民地にしていた。
日本もまた資源を求めて海外に進出し、最終的に資源の差でアメリカに敗れた。
しかしその時代は終わろうとしている。
戦後日本の復興があらわすように、資源そのものよりもどれだけの付加価値をつけられるかが求められる時代になった。
マサチューセッツ工科大学の経済学者レスター・サローはこう語っている。
「シリコンバレーとルート128沿いに最先端企業が集まるのは、そこに頭脳があるからだ。それ以外のものは、何もない」(『資本主義の未来』)今後はもっと頭脳集約型の労働が求められる。
頭脳によって生みだされるのはモノではない。プログラム、デザイン、システム、コンテンツ。ソフトの重要性が増す時代が来ることはまちがいない。
さて。
イギリスとフランス政府が2040年までにディーゼルやガソリン車の新車販売を禁止する方針を発表した。中国も電気自動車への完全切り替えを検討しているらしい。
日本政府はそうした期限を定めない方針だ、というニュースを見てぼくは愕然とした。
国内産業を守るためなのだろうが、それが産業を守ることになっているとは到底思えない。
どの燃料が次世代自動車の主流を占めるかはわからないが、いずれガソリン車が廃れることはまちがいない。イギリス・フランスは2040年という期限を設定しているが、2040年よりずっと早くに世代交代の日が来るとぼくは信じている。
政府が決めなくても市場が決める。
明確な期限を切って強制的に次世代自動車にシフトさせたほうがよくないか? ガソリン車を改良している時間的余裕などあるのか?
未来のない産業に優秀な人材を回さないほうがいい。消費者からすると国産車がなくなってもかまわないのだから。
iPodが出てきたときの国産ミュージックプレイヤーの開発部の話を思いだす。
CDやMDで音楽を聴いていた時代に、1,000曲をダウンロードできるiPodが登場した。
そのとき、某国産メーカーでは開発部が「iPodに対抗するためもっと音質をクリアにした商品をつくるべきでは」という話をしていたらしい。消費者がiPodを購入する理由をまったくわかっていなかったのだ。
「市場が求めているもの」「自分たちが劣っているところ」ではなく「提供できそうなもの」「自分たちが勝てるところ」を必死に探していたのだ。
国産ガソリン車の保護も同じことをやっているように思えてならない。
2017年9月17日日曜日
香辛料でごまかす時代
ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』という本に、昔の香辛料に関するこんな一文があった。
だからコロンブスたちは香辛料や香草を求めて海を渡り、大航海時代が到来した。
つまり香辛料こそが船乗りたちが追い求めた ”ONE PIECE” だったわけだ(そういや漫画『ONE PIECE』でウソップがタバスコを武器として使うシーンがあるが、ほんとの大航海時代なら貴重な香辛料を武器として使うなんて考えられない話だ)。
昔の人々が「食べ物が腐りかけているから味をごまかそう」という発想にいたったことは、すごくおもしろい。
現代人なら「食べ物が腐りかけているから新鮮な食べ物が手に入るようにしよう」と考えるだろう。
はるばる海を渡って未知の大陸を探検するよりも、「新鮮な肉や野菜が手に入るように王宮の近くに牧場や農場をつくる」とか「鮮度が落ちないような輸送・管理の方法を考案する」とかのほうがずっと安くつきそうなものだけど。
問題の本質的な解決ではなく、ごまかすことに心血を注いでいたというのが滑稽だ。
とはいえ現代の常識を昔にあてはめて「ばかだなあ」と言ってもしかたがない。
今の時代だって、2100年の人から見たら
「がんばって穴掘って石油を探すより、もっと身近なものをエネルギーに換えればいいじゃん」
「ゴミを処分するために遠くまで運ぶぐらいだったら、分解して有用な物質に転換するほうがずっと楽なのに」
「病気を治すよりも身体を捨てて脳だけ新しい身体に移植するほうがずっと安上がりなのに、なぜそういう方向に努力しないんだろう」
と言いたくなるような、問題の本質的解決から逃げまくっている時代なのだろう。
2017年9月15日金曜日
未来が到来するのが楽しみになる一冊/ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』
『2100年の科学ライフ』
ミチオ・カク(著) 斉藤 隆央(訳)
科学者たちの 未来予想が好きだ。読んでいるとわくわくする。
エド・レジス 『不死テクノロジー ―― 科学がSFを超える日』もおもしろかった(→ 感想文はこちら)。宇宙空間に人工的な地球をつくるという奇想天外な話なのに、まじめに研究をしている頭のいい人に理論を説明されると「もうすぐできるんじゃないの?」という気がする。
ほんの20年前は、1人1台携帯端末を持っていてその中に電話もカメラも電卓も図書館もゲーム機も財布もテレビもウォークマンもビデオデッキも新聞も収まっているなんてまったくの夢物語だった。それが実現した今となっては、人工地球がなんぼのもんじゃいと思える。
なにしろ『2100年の科学ライフ』によると、1台のスマートフォンは月に宇宙飛行士を送ったときのNASA全体を上回る計算能力を持っているらしい。それぐらいすごいスピードで科学は進歩しているのだ。つまりこのスマホがあれば月に行けるってこと? ちがうか。
『2100年の科学ライフ』は、物理学者であり、科学解説者としても知られるミチオ・カク氏が、最先端のテクノロジーや各分野の専門家の話をもとに「現在の最先端」「近未来(20年後ぐらい)」「世紀の半ば(2030~2070年ぐらい)」「遠い未来(21世紀後半)」の科学技術を大胆に予想したものだ。
「現在の最先端」を読むだけでも、そんなことできんの、すげえ! と思うことしきり。まして50年以上も先の話なんて。
まるでSFなんだけど、それでもこの中のいくつかは実現するんだろうなあ。中には予想より早く叶うものもあるんだろう。
専門的になりすぎず、かといって素人くさくもない、ちょうどいいレベルの解説。
理論だけの話ではなく、過去のエピソード、SF映画や小説、さらには神話からの引用までちりばめられていて、読み物としてもおもしろい。ちゃんと取材にも足を運んでいるし。
いやあ良書だ。訳もいいし。
- 四方の壁がスクリーンに
- 心がものを支配する
- トリコーダーとポータブル脳スキャン装置
- サロゲート(身代わり)とアバター(化身)
- 老化を逆戻りさせる
- われわれは死なざるをえないのか?
- 恒久的な月基地
ぞくぞくするよね?
しない? あっ、そう。20世紀へのお帰りはあちらですどうぞ。
しない? あっ、そう。20世紀へのお帰りはあちらですどうぞ。
目次だけじゃない。内容も刺激に満ちあふれてる。
どや、現代人たち。これが未来やっ!!
まずはいいニュースから。医療問題、環境問題、エネルギー問題。あと何十年かしたらすべて解決している。地球の未来は明るい。イエーイ!
悪いニュースは? その時代にぼくらの大半が生きてないってこと。
この本を読むとそんな気分になる。あーあ、もっと後の時代に生まれたかったなあ!
ずっと健康でいられてあんまり働かなくてもいい時代に生きたかった(『2100年の科学ライフ』ではそんな時代の到来を予言している)。
昔から科学はずっと発展しているわけだけど、科学の進歩をもっとも妨げているものは何かっていったら、人間の身体という制約だろう。
椎名誠のエッセイにこんな話があった。
とても頑丈なダイバーズウォッチを買った。水深数百メートルの水圧でも壊れないという。これはいい買い物をしたと思っていたが、よく考えたら水深数百メートルまで潜ったら人間の身体がぺしゃんこになってしまうのだからその性能は意味がないということに気がついた……。
このように、科学の進歩に人間の身体は追いつけない。
人間の身体は壊れやすいから乗り物は重厚にせざるをえないし、出せるスピードにも限界がある。身体的制約があるから宇宙や深海に行くのもたいへんだ。知識を蓄えた天才科学者だってたった数十年したら死んでしまう。
この先、科学が進めば進むほど身体がじゃまになるのではないだろうか。
医療技術が発達して病気は早期に治療ができて長生きできるようになったとしても、遺伝子改変で強固な肉体を手に入れたとしても、生物である以上限界はある。
だから、この本で予想されている技術の中でいちばん実現しそうなのは、機械の身体をつくってそこに自分の全人格をインポートするというテクノロジーではないだろうか。
『不死テクノロジー』にも同じ未来予想図があった。
人間の脳というのはすごく高度なものでコンピュータで同等のものをつくることは当分不可能らしい(今の最先端でも虫の脳程度だそうだ)けど、身体のほうはそこまで優れているものではないのだろう。
もしかしたら我々が生身の身体を捨てる時代が、今世紀中にも到来するかもしれない。
人は科学のみにて生くるにあらず。
『2100年の科学ライフ』では、科学の進化がもたらす経済や政治の変化までも予想している。
「今後も残る仕事、ロボットにとってかわられる仕事」「2100年のある1日をバーチャル体験」など、21世紀後半まで生きる人にとってはたいへんありがたいコンテンツも盛りだくさん。
未来が到来するのが楽しみになる一冊だ。冷凍冬眠しよっかな。
明日の朝起きたら未来になってないかなー(ちょっとだけなっとるわ)。
その他の読書感想文はこちら
2017年9月14日木曜日
バケツ一杯のおしっこ
詳しい経緯は省くが、4人がかりでバケツ一杯におしっこを溜めたことがある。
酒を飲みながら 代わる代わるバケツに用を足し一晩かかってバケツ一杯にした。もう10年以上も前のことだ。
千里の道も一歩から。ローマは一日にして成らず。困難なチャレンジではあったが、強固なチームワークと必ずやり遂げるんだという強い意志が、プロジェクトを成功に導いた。
企業の人事担当のみなさんは、ぜひ新人研修で取り入れていただきたい。
健康診断で 採尿したとき、予想以上の重みを感じたことがないだろうか。
毎回「あれ。紙コップに半分しか入れてないのにこんなに重いの?」とその重量感に戸惑う。明らかに同量のお茶より重い。
お茶と尿では存在感が違う。
「これがさっきまで自分の体内に……」という思い入れ。
「検査の結果によってもしかしたら入院なんてことも……」という不安。
「これをこぼしたらとんでもないことになるぞ」という緊張感。
諸々の感情が乗っかっているから重たい。人の命は地球より重く、おしっこはお茶より重い。
バケツ一杯に 溜めたおしっこは、重たかった。
どのくらい重たかったかというと、詳しい経緯は省くが、中身をテニスコートにぶちまけようとした友人がバランスを崩して自分の靴を盛大に濡らしてしまったぐらい重たかった。
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