2017年9月13日水曜日
ゴルフと血糖値と傘
ぼくはゴルフやらないんだけど、ゴルファーの会話ってどうしてあんなにスコア聞くんだろうね。
絶対言うよね。
「ゴルフやるんですか」
「そうなんですよ」
「いくつで回るんですか?」
「こないだ90でした」
「ほーすごいですねー」
みたいな。
すぐ聞く。中には聞かれてもないのに言うやつもいる。
病院の老人か。すぐに血圧と血糖値の話しだす老人か。
ゴルフとボーリングはやたらとスコアを聞く。あとTOEICも。
まあTOEICはわかる。スコアをとるためにやってるわけだし。
ボーリングもまあわかる。全員共通の指標だからね。
スコア200のやつは180のやつよりうまい。
でもさ。ゴルフっていろんなコースがあるわけでしょ。
当然、いいスコアを出しやすいコースとそうじゃないところがあるわけでしょ。
一応パー4とか決めてるけど、かんたんなパー4とむずかしいパー4があるわけでしょ。
だったら違うコースで出したスコア比べても意味なくね?
それ野球でさ。
「こないだソフトバンクホークス相手に投げたんですよ。7回5失点でした」
「じゃあおれのほうが上だ。先週の草野球で5回2失点だったから」
みたいなことでしょ。
その比較、何の意味もないよね。
ボーリングだってレーンによって多少は差はあるんだろうけど、ほんとに微々たるもんでしょ。
でもゴルフってコースによって距離も地形もぜんぜん違うし、天候や風の影響も大きい。
そのへんの諸々を無視して比べても、まるで比較にならない。
だからゴルファー同士の会話では、スコアじゃなくてもっと比較しやすいものを言いあうようにしたらいい。
「スイングの速さ」とか「サンバイザーをいくつ持ってるか」とか「てもちぶさたなときに傘とかでゴルフの素振りをしてしまうことが1日に何回ぐらいあるか」とか。
2017年9月12日火曜日
報われない愛の呪縛
芸能に 興味のない人間なので、アイドルに入れあげる人の気持ちが理解できなかった。
いくら熱狂しておかしくなっているファンであったとしても、アイドルがファンの一人になびく可能性がないことぐらいはわかるだろう。
それなのに、なぜアイドルに莫大なお金を投下するのだろう?
同じCDを何枚も買ったり、すべてのコンサートに足を運んだりするのは度を越しているとしか言いようがない。もはやそこまでいったら楽しみよりも苦痛のほうが大きいのではないだろうか?
それだけやっても、得られるものといえばせいぜい握手ができるぐらい。
同じお金と労力を他にかけていたらもっと多くのものを手にしていたのでは?
リターンがないとわかっている投資をするのはなぜなのだろう?
と、かねがねアイドルファンに対して疑問に思っていたのだけれど、子どもを育てるようになって「いや、リターンがないからこそハマるのかもしれない」と思うようになった。
何かにハマる度合いというのは、得られたもの、得られそうなものではなく、投下したものに比例するのではないだろうか。
小学校1年生から 毎日野球をやってきた子が、高校3年生の春に「受験に集中したいから野球部やめるわ」という決断を下すことは、かなり困難だろう。仮にそこが弱小校で甲子園に出場できる可能性がほぼゼロだったとしても。
でも1週間前に野球部に入った生徒なら「練習きついし、どうせ甲子園出られないし、もうすぐ受験だから」という理由で、ずっとかんたんに辞められる。
”甲子園出場” というリターンがほぼゼロなのはどちらのケースも同じ。それでも多くの資本を投下してきた前者の子は、「せっかくここまでやってきたのだから」というもったいなさに引きずられて合理的な判断を下すことができない。
「いやいや甲子園出場だけが野球をする目的ではない。続けることでこそ得られるものもあるんだ」という人もあろうが、それは1週間前に野球部に入った子も同じだ。むしろ初心者のほうが上達のスピードが速いから得られるものは大きいだろう。
子育てを していると、子育てはコストが大きくてリターンがゼロの行動だと思う。
夜中に泣き声で起こされたり、夜中にゲロ掃除をしたり、夜中におねしょで濡れた布団を洗ったり、朝早くにおなかの上に飛び乗ってきて起こされたり、「やってらんねえよ」と言いたくなることばかりだ(ぼくは眠れないのがいちばんつらい)。
それでもなんとかやっているのは、無償だからだ。
「夜中に起こされてゲロ掃除をしたら350円もらえます」なんてシステムだったら「いや350円いらないから寝かせて」となっている。
子どもが将来自分の老後を見てくれる、なんてリターンがないわけでもないが、そんな不確実なことのために多大なる金と労力を使うぐらいなら貯金して上等な介護施設に入居するほうがずっと効率がいい。お金を払って他人に世話されるほうがずっと気楽だし。
母親はどうかしらないけど、父親であるぼくは正直、子どもが生まれた直後は愛情なんてほとんど持っていなかった。ちっさくてかわいい足だなとは思ってはいたけど、仔犬のほうがずっとかわいいと思っていた。
それでも夜泣きにつきあわされたりウンコまみれのお尻を洗ったりしているうちに、我が子が愛おしくなってきた。何かしらのリターンがあったからではない。投下した労力が大きくなってきたからだ。
「バカな子ほどかわいい」という言葉があるが、これはまさに「投下した資本が大きいほどハマる」を言い表している。
報われない愛 の呪縛は随所で観測される。
スポーツで弱いチームのファンほど熱狂的だったり(今でこそ強くなったけど、昔の阪神タイガースや浦和レッズは弱くてファンが熱狂的だった)、
ギャンブルで負けてばかりの人がなかなかやめられなかったり、
ブラック企業の社員が自殺するまで辞めなかったり、
いたるところで人々は「せっかくここまでがんばってきたんだから」に拘束されている。子育てはどうかわからないけど、往々にして不幸な結果を生んでいるように見える。
もしかすると、太平洋戦争末期における日本軍も「報われない愛」の呪縛に陥っていたのかもしれない。
多くの兵士を失い、戦艦を沈められ、戦闘機を墜とされ、失ったものは数知れず。ひきかえに得られたものは何もない。
後の時代の人間からすると「長引かせても悪くなる一方だったんだから早めにやめときゃよかったのに」と思えるが、長引かせても悪くなる一方だったからこそ抜けだせなかったのかもしれない。
個人レベルならまだしも、国家単位で「報われない愛」の呪縛に囚われると大惨事になる。
国民年金・厚生年金なんか、この呪縛に陥っているように見えてならない。
2017年9月11日月曜日
スパイの追求するとことん合理的な思考/柳 広司『ジョーカー・ゲーム』【読書感想】
『ジョーカー・ゲーム』
柳 広司
陸軍に創設されたスパイ養成機関”D機関”で養成された天才スパイたちの活躍を描いたミステリー。
スパイものの小説ってよく考えたら読んだことがないな。漫画では 佐々木 倫子『ペパミント・スパイ』 ぐらい。完全にコメディだけど。
海外には007シリーズとか『寒い国から帰ってきたスパイ』とか有名なものがあるけど、日本を舞台にしたスパイの物語ってほとんど聞かないなー。
んー……。考えてみたけど、手塚治虫『奇子』ぐらいしか思い浮かばなかった。
日本にもスパイはいたんだろうけど、物語の主人公にならなかった理由は、諜報活動が卑怯なもの、武士道に反するものとして扱われていたことがあるんだろうけどな。
スパイってその特質上、活動が公になることはないしね。
しかし日本にもスパイがいなかったわけではない。
陸軍中野学校という、諜報や防諜に関する訓練を目的にした機関があった。こないだ読んだ NHKスペシャル取材班 『僕は少年ゲリラ兵だった』 にもその名が出てきた。戦況の悪化により諜報どころではなくなり戦争末期はゲリラ戦を指揮するのがメインの活動となっていたらしいけど。
東京帝國大学(今の東大)出身者らが多く、他の陸軍とは一線を機関だったという陸軍中野学校。
『ジョーカー・ゲーム』の ”D機関” は陸軍中野学校をモデルにしているらしいが、もっとマンガ的。
D機関の生徒は、天才的な頭脳と冷静沈着な思考を持つ。数ヵ国語を操り、スリ顔負けの手先の器用さ、変装術、強靭な体力を有している。どんな文書でも一瞬見ただけで一字一句正確に記憶できる。鳥かよ(鳥は頭悪いけど記憶は正確)。
当然「ありえねーだろ」と思うんだけど、精緻な構成と第二次世界大戦時の諜報活動という非現実的な舞台のおかげで意外とすんなり入りこめる。
スパイの追求するとことん合理的な思考と、日本陸軍の根性主義の対比がおもしろい。
スパイ小説って誰が味方かわからない緊張感もあるし複雑な心理模様も描かれるし、読んでいてたのしいね。
柳広司はいい金脈を見つけたね。
良質な短篇集なんだけど、後半になるにつれてパワーダウンしていくのが残念。スパイじゃなくてええやんって短篇も混ざってる。
最後の『XX(ダブル・クロス)』なんか密室殺人を題材にした推理小説だからね。しかもトリックは平凡だし。
1作目の『ジョーカー・ゲーム』のインパクトが強烈すぎたってのもあるのかもしれないけど、尻すぼみの印象はぬぐえない。
とはいえ ”超人的能力を持ったスパイ集団” という設定は「こんなおもしろいジャンルがまだ手つかずで残っていたのか」と思うほどに魅力的だ。
今作以降も『ダブル・ジョーカー』『パラダイス・ロスト』『ラスト・ワルツ』とシリーズ化されている人気シリーズなので、また続きを読んでみる予定。
その他の読書感想文はこちら
2017年9月10日日曜日
ツイートまとめ 2017年7月
美男子
新婚旅行
萎縮
豹変
自然淘汰
希少部位
不憫
妙案
納戸御殿
責任回避
落下傘
平行線
寝姿
働く女性とイケメン歌舞伎役者にやさしい社会にしよう!— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月4日
新婚旅行
新婚旅行でイタリアに行った。翌年結婚した同性の友人が「おれも新婚旅行でイタリアに行くからアドバイスほしい」と言うので一緒に旅行代理店に行った。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月4日
男2人で窓口に行って友人が「新婚旅行なんですけど」って言ったとき、旅行会社の人に「え!?」と言われた。同性カップルと思われたらしい。
萎縮
公園で遊びたくなくなるポスターだな……。 pic.twitter.com/f4IgVEUkGZ— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月5日
豹変
4歳の娘が自転車を買ってもらったので公園で練習。「おとうちゃん、ちゃんと持っててっ!」「しっかり押してっていってるでしょ!」とすげー怒られた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月8日
ハンドルを握ると性格が変わるタイプ……。
自然淘汰
家にゴキブリが出たとき、逃げるゴキブリは追いかけて仕留めるけど、ゴキブリがこちらに向かってきたら多くの人は逃げる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月11日
結果、逃げるやつらは淘汰されて、やがて人に向かっていくタイプのゴキブリばかりになるんじゃなかろうか。
未来のゴキブリは今よりずっと攻撃的説。
希少部位
最近焼肉屋とかでやたらと「希少部位」がもてはやされてるね。希少であることとおいしさには何の関係もないのに。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月12日
サンマの内蔵の黒くて苦いところだって希少部位だ。バナナの先っちょの黒いところも。
しかしヨーグルトのふたについたところは希少部位であり、かつ、おいしい。 https://t.co/lALRbvVLim— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月12日
不憫
テレビでボートを漕いでいる人を見た娘が— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月14日
「後ろに進んじゃってるねえ。かわいそうやねえ」とつぶやいていた。
妙案
少子化とめる方法おもいついた。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月19日
働かなくてもいい社会にすればいいんだ。そしたらやることないから子どもをいっぱい生んで育てるようになるはず。
どうやったら働かなくてもよくなるかは、知らない。
納戸御殿
4LDKかと思いきや、1LDK+納戸3室。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月19日
収納御殿。 pic.twitter.com/lP5JvLuYSs
責任回避
論文を書くとき、教授から「~と考えられる」「~と推察される」は使ってはいけない、と指導された。「責任逃れの卑怯な言葉だから」と。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月26日
今、テレビや新聞では「~がおもしろいと人気」「~は批判を避けられそうにない」みたいな責任逃れの卑怯な言葉が溢れているな。
落下傘
賭博黙示録ぼくは少年の心を忘れてないから、今でもパラシュートつけて窓から飛び降りたいと毎日思ってるよ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月28日
娘が債務者を集めて限定じゃんけんやらせようとしてる。 pic.twitter.com/5hOfEc2AtH— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月29日
平行線
漢字は「一」「二」「三」ときて「四」から平行線でなくなる。ローマ数字も「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」ときて「Ⅳ」から平行線ではなくなる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月30日
人間は、平行線が4本以上になると瞬時に数えられなくなるんだろうな。
寝姿
漢字は「一」「二」「三」ときて「四」から平行線でなくなる。ローマ数字も「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」ときて「Ⅳ」から平行線ではなくなる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年7月30日
人間は、平行線が4本以上になると瞬時に数えられなくなるんだろうな。
2017年9月8日金曜日
天性のストーリーテラーの小説を今さら/劇団ひとり 『陰日向に咲く』【読書感想】
『陰日向に咲く』
劇団ひとり
どうでもいいこだわり があって、「話題になっている本は読まない」というルールが自分の中にある。
本は自分の感性で選びたいという信念があって、話題になっている本を読むことは自分の感性を曲げて選んだようで、許せない行為なのだ。「読みたい」と思っても「話題の本だから」ということで手に取らないわけだから、そっちのほうが自分の感性に正直じゃないんだけど。
『陰日向に咲く』が2006年に刊行されたとき、ぼくは書店で働いていたのでこの本が飛ぶように売れていることを目にしていた。さらに数々の書評でも取り上げられ、ちゃんとした書評家たちが「タレントが書いたということとは関係なくおもしろい!」と絶賛しているのも読んでいた。
いったいどんな小説なんだろうと気になっていたものの、前述したように「話題の本は読まない」というルールを自分の中に課している手前、誰に対してかわからない意地を張って『影日向に咲く』を手に取ることはなかった。
その後、『週刊文春』で劇団ひとりが『そのノブは心の扉』というエッセイの連載を始めたので読んでみたらクソつまらなかったので小説に対しても興味を失った。
そして10年以上が経過。「もう話題の本じゃないから大丈夫だよね」と、誰に対してかわからない確認をとってから、読んでみた。今さら。
ちゃんとおもしろかった よね。ちゃんとおもしろかったってのも変な表現だけど、作者がテレビに出てる人じゃなかったとしてもおもしろいってことです。
ちょっと漫画的というか、ホームレスはホームレスらしく、ギャンブル狂はギャンブル狂らしくて、みんな思慮が浅くて、良くも悪くもわかりやすい小説。まあエンタテインメントで内面をじっくり掘り下げても重たくなるだけだし、これでいいんでしょう。
愚かな人間の描写はほんとに巧みで、デジカメの使い方がわからない女性の思考回路とか、ギャンブル狂の内面の浮き沈みとかの描かれ方は説得力があるねえ。
なによりストーリー展開がうまい。起承転結に沿って物語が進んで、丁寧な伏線があって、ほどよく意外なオチがあって、という創作のお手本のような作品。
劇団ひとりってバラエティ番組でも瞬発的におもしろいことを言うんじゃなくて、芝居に入ってきちんとストーリーを展開させてそこに起伏をつけてオトす、っていうやり方をとっている。演技のほうが注目されがちなんだけど、天性のストーリーテラーなんだろうね。
やっぱり10年前に 読んどきゃよかったな、って思う。
連作短編集で、メリーゴーラウンド方式っていうんですかね、ある短篇の端役が次の短篇では主人公になってるってやつ。伊坂幸太郎がよく使うやつね。
昔からある手法ではあるんだけど、伊坂幸太郎以後、雨後の筍のごとく増えて、今ではよほど効果的な使われ方をしないかぎり「メリーゴーラウンド回しときゃ読者が感心すると思うなよ!」と逆にうんざりする手法になってしまった。
『陰日向に咲く』もその手法が用いられているので、たぶん2006年に読んでたら「おもしろい手法!」と感心してたんだけど、今読むとそれだけで評価を下げてしまう。2017年に読むのが悪いんだけどさ。
あとちょっと大オチがあざとかったな。
いちばん残念なのは、ちょっときれいすぎるってことだね。文章も読みやすいし、ストーリーも無駄がないし、全体的にうまくまとまっている。
でも、『ゴッドタン』の劇団ひとりを観ている者としては、もっとクレイジーな部分を出してほしかったなと思う。
テレビでは「いきなり自分の服を破きだす」「自分のケツの穴につっこんだ指をなめる」みたいな狂気そのものを出している劇団ひとりなんだから(いちばん狂ってるのはそれを放送しちゃう制作者だけど)、表現規制の弱い本ではもっともっとイカれた部分を出してほしかったな。
その他の読書感想文はこちら
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