2017年6月2日金曜日

【DVD感想】6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア

『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』

内容紹介(Amazonより)
2016年3月25日。
恵比寿ザ・ガーデンホール。
今をときめくテレビの演出家達が千原ジュニアを自由にプロデュース。
1人の芸人が1つの舞台で全く違った世界を演出された実験的かつ革新的なライブ。
チケットが即完した同ライブ待望のパッケージ化。

2006年に上演された『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』の続編的なライブのDVD(『6人の放送作家と~』のほうは観ていないけどね)。

テレビのディレクターたちが周到に準備した舞台に何も知らされていない千原ジュニアが挑む、という実験的な企画。

で、いきなりケチをつけるけど、本編には5人のテレビ局員の舞台しか収録されていない。
公演では加地倫三(テレビ朝日)のパートもあったらしいけど、DVDには収められていない。
『アメトーク』や『ロンドンハーツ』のプロデューサーが何をやったのかは正直見たかったけど、まあしかたない。いろんな権利の問題があるんでしょう。舞台をDVD化するときにはよくある話だ(全部収録しないほうが劇場に足を運ぶメリットも感じられるしね)。

ただ、収録しないんだったらDVDのタイトルは変更したほうがいいんじゃないの?
『6人の』と謳っておきながら5人分しかないのは羊頭狗肉が過ぎるんじゃなかろうか……。




以下、感想。

 末弘 奉央(NHK)


『超絶 凄ワザ!』などの担当ディレクター。
千原ジュニアに対して大喜利のお題を出し、その後『プロフェッショナル 仕事の流儀』風のVTRが流される。
いろんな芸人が「千原ジュニアはいかにすごいか」を語り、捏造をおりまぜながらそのすごさを強調する。
構造としては「むやみにハードルを上げる」という一点のみなんだけど、NHKならではの質の高いドキュメンタリータッチな映像と、絶妙に粗い捏造の対比がおもしろい。

うん、これはたしかにテレビではできないよね。特にNHKなら。
いくら千原ジュニアからの「捏造や!」というツッコミがあるとはいえ、「冗談としての捏造」を真に受けてしまう人も観るテレビだとこれはできない。

「大喜利の天才」と上がりまくったハードルに対してどう答えるのかが見ものだったけど、見事に乗り越えてみせた(というかうまく逃げた)千原ジュニア。さすがだねえ。

ラストにピークがくる構成もよかったし、いちばん演出と演者のバランスがちょうどよかったのがこのコーナーだったな。

ただ惜しむらくは9割がVTRで構成されていたためライブ感には欠けていたこと。
これは悪い意味でNHKらしさだね。NHKって生放送でもライブ感がないもんね。

とはいえ1人目としては十分すぎる出来だった。



内田 秀実(日本テレビ)


『ヒルナンデス』などの担当ディレクターが手がけたのは、『千原ジュニアを知らない世界』という企画。
もし千原ジュニアが若手芸人だったとしてもやっぱり売れるのか? ということで、さまざまなシチュエーションに挑戦させられる千原ジュニア。

申し訳ないけど、ほんとにつまらなかった。
雑な大喜利に答えさせられるジュニアがかわいそうに見えてきた。

ゴールまでの道が一直線に決められているから、せっかく即興でやっているのに「どうなるかわからない」というライブ感がない。
この後にやった藤井健太郎の企画が真逆で遊びが多かった(そしてそこがことごとくハマっていた)ため、余計に筋書きの貧相さが目立ってしまった。

ぜんぶテレビでもできることだよね。というか、目まぐるしい場面転換もあったしテレビのほうが向いてる企画なんじゃないだろうか。
オチの手紙(妻からの手紙と思わせて実は別の人が書いていたというよくあるボケ)まで含めて、ことごとく笑えなかった。
なんでテレビで何度も見たパターンのボケを、チケットなりDVDに金払って見なあかんねん。

まあハズレがあるのもライブの魅力のひとつ、と思えば……。



藤井 健太郎(TBSテレビ)


『水曜日のダウンタウン』『クイズ!タレント名鑑』などの担当ディレクター。
以前に書いた(参照記事)けどぼくはこの人のファンなので、このDVDを購入したのも千原ジュニアを観たかったからではなく、藤井健太郎さんが何をやったのかが観たかったから。

で、藤井さんの企画が『ジュニアvsジュニア』というものだったけど、ぼくがこの人のファンだということをさしひいてもこれはすごかった。
これを観られただけでもDVD買ってよかったと思えたね。

さまざまなバラエティ番組やドラマや映画から集めた過去の千原ジュニアの映像をつなぎあわせて、現在の千原ジュニアとトークをしたり対決をしたりするんだけど、まあ鮮やか。
千原ジュニア(現在)が、困らせてやろうと意地悪な質問をしたりしても、ことごとく千原ジュニア(過去)にスマッシュを打ち返される。
完全に手のひらの上で転がされていたジュニア(現在)も素直に「すげえな」と言葉をもらし、悔しそうな顔をしていた。
なにしろこのライブでいちばん笑いをとっていたのが「過去のジュニア」だったからねえ。
(しかしDVD化するときに権利をとるのがたいへんだっただろうな。よくぞ収録してくれた!)

この企画はいい意味でテレビ的だった。

テレビ番組は基本的に無駄から成り立っている。NHKのドキュメンタリーだと30分番組のために2年も取材したりするというし、そこまでいかなくても放送時間の何倍もの映像を収録してそこから編集するのがあたりまえらしい。
つまり撮影したものの大部分が日の目を見ずに捨てられていく。
もったいない気もするけど、その無駄があるからこそ視聴者はおもしろい映像だけを楽しむことができる。

『ジュニアvsジュニア』も、膨大な無駄の上に構成された舞台だった。
いったいどれだけの映像を準備していたのだろう。たぶん舞台で流されたものの何倍もの映像が用意されていて、そのほとんどが使われていない。
(ちなみに3本対決のはずだったがうち1本は捨てられている。捨てられたことで笑いが生まれているから結果的には成功なんだけど、あれは予定通りだったのだろうか?)

藤井健太郎氏が自分で編集作業もしているという『水曜日のダウンタウン』も同じようにつくられていて、すっごくばかばかしいことに途方もない時間をかけて調査していたり、せっかく制作した映像を早送りで雑に流したりして、おもしろくなるためには惜しげもなく余計なものを捨てている。

舞台で活動している人には、「おそらく日の目を浴びることのないことのためにエネルギーを注ぐ」という無駄はなかなかできないだろうね。舞台って編集が入らないから。

テレビならではのやりかたを持ち込んでいる一方で、どういう展開になるかがプロデューサーにも演者にもわからないというライブならではの緊張感もあり、テレビと舞台の魅力がうまく融合していた企画だった。

笑いの量、すごいことをやっているという感動、終わりの潔さ。
すべて含めて完璧に近いステージだったと思う。



佐久間 宣行(テレビ東京)


『ゴッドタン』を手がける佐久間さんの企画は『千原ジュニアのフリートークvs○○ 3本勝負』。

「擬音で感じる女」「お笑いライブに足しげく通う女」「センチメンタル」という邪魔にも負けずにおもしろいフリートークをできるか? という企画。

まあ、『ゴッドタン』そのまんまだね。これを『ゴッドタン』でやったとしてもまったく違和感がない(番組の名物マネージャーも出てくるし)。
というか『ゴッドタン』の『ストイック暗記王』企画から劇団ひとりやおぎやはぎのコメントをなくしただけのように思えて、ものたりなさを感じた。

対決と言いつつ空気を読んだジュニアが負けにいってる時点で、「勝負」という前提が早々に崩れてしまった。
結果、即興にしては予定調和すぎる、台本にしてはぐだぐだすぎる、というなんとも中途半端な出来に。

プロデューサーが自分の得意パターンに持ちこもうとしすぎてたなあ。
新しいことに挑戦してほしかった。



竹内 誠(フジテレビ)


『IPPONグランプリ』『ワイドナショー』などの担当ディレクター。
素人の語るエピソードを千原ジュニアが代弁することでおもしろくするという『daiben.com』という企画だった。

シンプルでわかりやすいし、千原ジュニアというトークの達者な芸人を活かした企画だったけど、マイナス面も多く目立った。

たとえば、下敷きになった素人のエピソードが
「キノコの研究家が毒キノコを食べてみたときの話」
「お天気キャスターがプライベートで天候とどうつきあってるか」
という話だったこと。

それ自体が興味深い話だったので、千原ジュニアが代弁しなくてもおもしろかったんじゃないの? という印象がぬぐえない。
(代弁前のエピソードは観ている側にはわからないので千原ジュニアというフィルタを通したことでどれぐらいおもしろくなったのかがわからない)

また「素人が千原ジュニアにエピソードを語る時間」というのがあって、この間観客はひたすら待たされる。
DVDでは早送りで処理されていたけど、観客はただただ退屈だったはずだ。
高いお金を払って舞台に足を運んでいるお客さんをほったらかしにするという、悪い意味で「テレビ的」な時間だった。

この企画はおもしろいおもしろくない以前に、「観客に伝わらない」「観客を退屈させる」という点でそもそも失敗していたように思う。
決しておもしろくないわけじゃないけど、でも「これだったらテレビで『すべらない話』を観るほうがいい」と思う。



舞台とテレビの違いってなんだろう


テレビの制作者が舞台のプロデュースを手がけるということで、「舞台とテレビの違い」について考えさせられた。

このライブの間に挿入される映像でも、ディレクターたちに「舞台とテレビの違いはなんだと思いますか?」という質問がされている。
彼らの回答は「ライブ感」「観客との近さ」などだった。

でもライブ感も観客との近さも、決定的な違いじゃない。
VTRを使う舞台もあるし、生放送のテレビ番組もある。
観客を入れて収録するテレビ番組もめずらしくない。


じゃあ最大の違いはなにかって考えたら、それは「演者の代替可能性」じゃないかな。

舞台において、観客は演者に対してお金を払う。
もちろん入場料は劇場のオーナーや裏方のスタッフにも渡るわけだが(というよりそっちが大部分だろうけど)、観客の意識としては出演者に払っている。
だから主役級の演者が出られずに急遽代役が登場する、ということは基本的にありえない。
千原ジュニアのライブだったけど急病のため代わりに千原せいじだけが出てくる、ということは基本的に許されない(それはそれでおもしろそうだけど)。

ぼくは以前、まだ存命だった桂米朝一門の落語会のチケットを買ったことがある。
結局直前になって桂米朝が体調をくずし、公演は中止になった。
米朝さんが出られないならしょうがない。「他の演者は出られるんだから小米朝を代役に立てて公演をするべきだ」とは思わなかった。
そりゃそうだよね、米朝の落語を聴くためにチケットをとったんだもの。

一方、テレビの出演者は誰であっても代役が利く。
主役級が休んだとしても番組が放送中止になったりはしない。

かつて『たけし・逸見の平成教育委員会』という番組があった。
逸見さんが亡くなり、ビートたけしがバイク事故で入院して、番組の顔がふたりともいなくなったが、それでも代役を立てて番組は続いた。
島田紳助が引退してからも『行列のできる法律相談所』はやってるし、関西ではやしきたかじんが亡くなって何年もたつ今でもたかじんの番組が2つ放送されている(さすがに番組タイトルからは消えたけど)。
「この人なしでは考えられない」というような番組でさえも、意外と成立してしまうのだ。
もし明石家さんまが急に休業しても『踊る!さんま御殿』も『明石家電視台』も『さんまのまんま』もきっとしばらく続くだろう。


『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』を観おわってまず僕が抱いた感想は、「テレビっぽいなあ」だった。

それはたぶん、準備が周到すぎたから。
「千原ジュニアには事前に企画の内容を知らせない」「編集でごまかせない舞台だから失敗は許されない」という条件が重なった企画、千原ジュニアがどう動こうが大勢に影響しない企画ばかりになってしまったんだと思う。
結果、千原ジュニアじゃなくても成立する企画になってしまった。

テレビをつくっている人間として「最後の最後を演者のパフォーマンスにゆだねる」ことは怖くてできなかったんだろうなあ。

すごく実験的でおもしろい企画だったんだけど、結果的に「テレビマンが舞台を成功させるのは難しい」という弱点を露呈させてしまった舞台だったのかもしれない。

ただ回を重ねればそのへんを打破するような企画をぶったててくれる人も現れると思うので、ぜひ同様の企画をまたやってほしいね。

【関連記事】

【読書感想文】 藤井 健太郎 『悪意とこだわりの演出術』


2017年5月30日火曜日

プロ野球選手ははらわた煮えくり返ってるんじゃないのかな



ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』にこんな一節があった。

「わが社に来て何年だね」と、幹部は若い社員に尋ねたそうだ。
「三年になります。大学を出てすぐ入社しました」
「では入社したとき、三年後の年俸はどのくらいだと考えていたのかね?」
「一〇万ドルは欲しいと思っていました」
 幹部は社員の顔をまじまじとながめた。
「だが、きみのいまの年俸は三〇万ドル近いじゃないか。それで何が不服なのかね」
「ええ、ただ……」若い社員は口ごもった。「デスクが近い同僚ふたりが、働きぶりはぼくとたいして変わらないのに、三一万ドルもらっているんです」

ああ、わかる……。


給料の高い/安いって、身近な人との比較なんだよね。

もちろん食うに困るほどだったら「絶対的に安い」なんだけど、そうじゃなかったらあとは相対的な問題。


ぼくは今「年収1000万円もらえたらいいなー」と思ってるけど、"年収1000万円もらえるけど同じ仕事をしている同僚全員が1500万円もらっている" 会社にいたら、きっとすぐ不満を感じてやめたくなると思う。
「なんであいつのほうが高い給料もらってるんだ」って。


その不満って、会社でいちばん高い給料をもらわないかぎりはなくなることはない。
身近な人の給料なんて知らないほうがいい。


そういう点でプロ野球選手ってきついだろうなと思う。
だって他の選手の年俸が丸わかりだもん。
「なんであんな守備のへたなやつが俺よりもらってるんだ」
「先発投手なんか週1しか投げないのに中継ぎの俺より多いのは納得いかない」
とかぜったいに思ってる。

特に「ケガでまったく出場していないけど自分より高額な年俸の選手」が身近にいたら、もうはらわた煮えくり返ってしかたないだろうね。


その点、個人種目はわかりやすい。
ゴルフとか競輪とかだと「賞金獲得額」は公表されるけど、賞金は「多く勝ったから多くもらえる」だけなので単純明快だ。
「なんでおれのほうが低いんだよ……」という不満の入り込む余地がない。

野球やサッカーのような団体競技選手は、給料非公開にしたらだいぶストレスが軽減されると思う。

公開しなきゃいけない理由ってなんだろ。


2017年5月27日土曜日

母親として、子どもに食べさせるものには気をつかいたい


母親として、子どもに食べさせるものには気をつかいたい。

あたしはお買い物をするときは無農薬、無添加のものを選ぶようにしている。
産地にもこだわっていて、野菜はなるべく近くで作られたものを買うようにしている。
遠いと鮮度は落ちるし、逆に鮮度が落ちないものは変な添加物があるからじゃないかと不安になる。
それに遠くからガソリンを使って運ぶのはエコじゃない。

少し遠いけどきちんとした食材を置いているスーパーマーケットへと足を運ぶ。


今日食べるものを、少しだけ。
それがあたし流。

毎日お買い物に行くのは正直手間がかかる。
だけどたくさん買って冷蔵庫に入れておくのは不健康なんじゃないかと思い、こまめに買いにいくようにしている。

昨日はエビとシイタケとタケノコとカエルとキクラゲで中華風の炒め物、今日はキャベツとニンジンとモルモット肉とインゲン豆でシチュー。
今日は何を食べようか、と献立を考えながらお買い物をするのは楽しい。


味付けも、できるかぎりシンプルに。
ソースやマヨネーズは使わない。岩塩、自家製のお味噌、コウモリ油、カモメだし。天然素材の調味料は味に深みがあるから毎日食べても飽きがこない。


味覚だけでなく、子どもには五感を使って料理を楽しんでもらいたい。
視覚、嗅覚、触覚、聴覚も食事を味わい豊かなものにしてくれる大切な要素だから。

旬の血栓の鮮やかな赤、お吸い物のお椀をあけたときにふわっと広がる硫化水素の香り、とれたてのナメクジの弾力ある歯ごたえ、踊り人魚の断末魔。

楽しく工夫をすることで子どもたちは好き嫌いなく何でも食べてくれるし、何よりお料理をしているあたしがいちばん楽しんじゃってたりして(笑)。



2017年5月25日木曜日

【読書感想文】 ダン・アリエリー 『予想どおりに不合理』

ダン・アリエリー/著 熊谷淳子/訳

『予想どおりに不合理』

内容(「e-hon」より)
「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」「頼まれごとならがんばるが安い報酬ではやる気が失せる」「同じプラセボ薬でも高額なほうが効く」―。人間は、どこまでも滑稽で「不合理」。でも、そんな人間の行動を「予想」することができれば、長続きしなかったダイエットに成功するかもしれないし、次なる大ヒット商品を生み出せるかもしれない!行動経済学ブームに火をつけたベストセラーの文庫版。

行動経済学の古典的名著(といっても単行本の刊行は2008年だけど)。

この本に出てくる実験やたとえ話は、どこかで聞いたことのある話も多い。
たとえば「イスラエルの保育園でお迎えの時間を過ぎた親から罰金を取るようにしたら遅刻する親が増えた」話など。
それはこの本がそれだけ多くの人に影響を与えて、いろんな本に引用されたから。
行動経済学のバイブル的な本になっているんだね。

ぼくも何かの本の参考文献にこの本が挙げられていたので買った(何の本だったか失念してしまったけど池谷裕二さんか橘玲さんだったと思う)。


どこかロマンチックな都市に滞在しようということになり、あとはあなたの好きなふたつの都市、ローマかパリのどちらかを選ぶだけだ。旅行代理店の担当者は、それぞれの都市について、航空運賃、ホテルの宿泊、観光、朝食無料サービス込みのパッケージツアーを提示した。あなたはどちらを選ぶだろう。
 たいていの人にとって、ローマでの一週間とパリでの一週間のどちらかを選ぶのは、そうたやすいことではない。ローマにはコロッセオがあるし、パリにはルーブルがある。どちらもロマンチックな雰囲気だし、おいしいものを食べたり、すてきな店で買い物したりできる。簡単に決められるわけがない。だがここで、第三の選択肢を出されたらどうだろう。第三の選択肢は、朝食無料サービスのないローマ、つまり’ローマ、またの名はおとりだ。
 この三つ(パリ、ローマ、’ローマ)で考えると、朝食無料サービス付きのローマは朝食無料サービス付きのパリと同じくらい魅力的だけれど、劣った選択肢である朝食無料サービスなしのーマは格下だとすぐに気づくはずだ。あきらかに劣った選択肢(’ローマ)と比較することで、朝食無料サービス付きのローマがより引きたつ。もっと言うと、’ローマのおかげで、朝食無料サービス付きのローマがぐんとよく見えて、比較がむずかしかったはずの朝食無料サービス付きのパリよりいいとさえ思えてしまう。

ぼくらは合理的に物事を選択しているように思ってるけど、"絶対的な判断" が苦手らしい。
何かと比べないと良し悪しを判断することはできない。

上の’ローマの選択肢と同じようなものにマクドナルド理論というものがある。
少し前にネット上で広がったものなので、聞いたことがあるかも。

マクドナルド理論は、Jon Bellさんという人が提唱したらしい(参照)。

「昼飯どうしよう?」といっても誰もアイデアを出さないときに「マクドナルドはどう?」という悪い選択肢を提示すると、マクドナルドを避けたい一心で急にみんなが活発に意見を出すようになる。

という理論で、マクドナルド社から名誉棄損で訴えられたら負けそうな話だけど説得力がある。
「昼飯なんか何でもいいよ」と言いながらも、ほんとは「これだけは嫌」ってのがあるんだよね(いや、マクドナルドがベストだという状況もあるよ。お金はないけど長居したいときとか)。




買い物だけじゃなく、恋愛でも同じなんじゃないかな。
異性が少ない職場だと恋をすることがない、という話をよく耳にする。
それって単純に相手が少ないからだけじゃなくて、「比較するのに十分なサンプルがないから」ってのもあるのでは。
べつの誰かと比較をしないと、人を好きになるのは難しいのかもしれない。

たとえば脱出不可能な無人島で女性と2人っきりになったとしよう。よほどいやな相手じゃないかぎりは相手に対して性的な感情を持つかもしれない。
でも「好き」になるかと言われると、ちょっと違うような気がする。
1人しか選択肢がなければ「好き」とは思えないんじゃないかな。
自分の親は唯一無二の存在だからわざわざ「好き」という感情を抱かないのと同じで。



そして人は比較でしか物事の価値を決められないから、アンカリング(はじめにつけた値段がその後の行動にずっと影響を及ぼす)の効果からなかなか逃れられない。

 アンカリングは、どんな買い物にも影響をおよぼす。たとえば、ユーリ・シモンゾーン(ペンシルベニア大学の助教)とジョージ・ローウェンスタインは、はじめての市町村に引っ越す場合、たいていの人はそれまで住んでいた市町村で支払った住宅価格をアンカーにしたままであることを示した。この研究によると、相場が安い都市(たとえば、テキサス州のラボック)から、ほどほどの都市(たとえば、ペンシルベニア州のピッツバーグ)に引っ越した人は、新しい相場に合わせて支出を増やすことはしない。それどころか、たとえこれまでより小さい家や、住み心地の悪い家に家族を住まわせることになるとしても、それまでの相場で払っていたのと同じような金額しか出さない。同じように、もっと物価の高い都市から引っ越してきた人は、新しい住宅事情にも以前と同じだけの大金をつぎこむ。たとえばロサンゼルスからピッツバーグへ引っ越すと、たいていの人はペンシルベニア州に着いてもたいして支出を切りつめず、ロサンゼルスで払っていたのと同じような金額を出す。

うちの近所に豆腐屋さんがあって、そこに高級豆腐が1丁200円で売られている。
この豆腐はすごくおいしい。はじめて食べたときは感動した。
でも高いからいつも買うのをためらう。たまにしか買わない。

でも焼肉を食べに行ったら3,000円は使う。
もちろん焼肉はおいしいけど、高級豆腐の15倍の満足感が得られるかといったらそこまでじゃない。
だったら1回焼肉を食べるよりも15回高級豆腐を買うほうがだんぜんお得だ。

理屈ではそうなんだけど、やっぱりぼくは焼肉に3,000円出すのはためらわないし、200円の豆腐を買うのは躊躇してしまう。
よくよく考えたらおかしな話だ。

「3,000円でどれだけの効用が得られるか」を適正に評価してるわけじゃなくて、ぼくの中に「焼肉の相場」「豆腐の相場」があって、それを基準に高い/安いを判断しているだけなんだよね。

わかっていても不合理な行動をとってしまう。
だからこそ企業はブランディングに力を入れるんだろう。
この本にはスターバックスがアンカリングをうまく使って成功した話が書いてあるけど、喫茶店のコーヒーなんてまさにアンカリングによってお金を払ってる最たる例だよね。
あんな豆の煮汁に500円とか、冷静に考えたら信じられない。
エスプレッソなんてあんなにちょびっとしかないのに。

「喫茶店のコーヒー100円」が相場の世の中だったとしても、「いやおれは500円払ってでも飲むぞ」と言える人はほとんどいないんじゃない?



古典経済学では「すべての人は自分の利益を最大化するために合理的な行動をとる」ものとしているけど、じっさい人は不合理な行動ばかりとっている。

人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば、数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間あたり三〇ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし、その後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引きうけると答えた。

この気持ちはわかる。
友だちから「引っ越しを手伝ってくれ」と言われたら、協力してやりたいと思う。
でも「引っ越しを手伝ってくれ。1,000円払うから」と言われたら「あほか、なんで1,000円で半日拘束されなあかんねん」と言ってしまう。
1,000円でももらえたほうがタダよりはいいはずなのに。


合理的に生きるのってほんとに難しい。

今がんばれば後で楽になるとわかっていても怠けてしまう。
1時間夜ふかしするよりも30分早く起きるほうが時間を有意義に使えて睡眠も長くとれるとわかっていても、だらだら夜ふかししてしまう。
損をしてばっかりだ。

この本を読むと「合理的に生きられない自分」のことがよく見えてくる。
たぶんそのほとんどは改めることができない。きっとぼくはこれからも豆腐屋の店先で200円の豆腐を買うかどうか迷いつづけるだろう。


行動は変えられなくても、せめて合理的に生きられない自分に自覚的でありたい、と思う。
「絶対に合理的に生きなきゃ」と思うのは自分自身がしんどいし、「自分はいついかなるときも合理的な選択をしている」と思う人ほどはた迷惑な存在はないのだから。




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2017年5月24日水曜日

アドベンチャーワールドはちょうどいいテーマパーク

家族でアドベンチャーワールド(和歌山県西牟婁郡白浜町)に行った。



いやあ、楽しかった。
帰ったその日に「いつかまた行こう」と思ったぐらい。



まず白浜という土地がいい。

関西以外の人にはなじみの薄い地名かもしれないけど、白浜には海水浴場と温泉がある。
海水浴場と温泉。レジャー界のエースと4番バッターだ。

そしてアドベンチャーワールドは、動物園と水族館とサファリパークと遊園地が一体になったテーマパークだ。

 海水浴場 + 温泉 + 動物園 + 水族館 + サファリパーク + 遊園地

リゾートにあってほしいものがぜんぶある。
ぼくはやらないけど白浜にはゴルフ場もある。海が近いので市場もある。
子どもからお年寄りまで楽しめる。


レジャー施設にかぎらず人気のものを詰め込みすぎたらたいがい失敗するんだけど、白浜はどれもそれぞれよかった(ぼくが行ったのは5月なので海水浴はしてないけど)。


Google MAPより
アドベンチャーワールドの位置はココ。
紀伊半島の先っちょのほう。


アドベンチャーワールドはすべてがちょうどよかった





混雑具合がちょうどいい

連休じゃない土日に行ったんだけど、ほどほどに人がいた。

どのくらいかといったら、アシカショーやイルカショーの客席の7割が埋まるくらい。
全員が見やすい場所で見られる。

遊園地の乗り物は、長くても5分待てば乗れるぐらい。

昼にレストランに行ったら9割ほど座席が埋まるぐらい。

つまり、何をするにもストレスを感じないぐらい。
かといって閑散としてるわけでもない。

トイレも混んでいなかったのでせっぱつまってから駆け込んでも大丈夫

ゴールデンウィークやお盆だともっと人が多いのかもしれないけど、そのへんを避けていけばストレスフリーで楽しめると思う。

経営的にはもっと混んでくれたほうがいいんだろうけどね。
ユーザーからするとちょうどよかった。





広さがちょうどいい

ぼくは近くのホテルに1泊して、2日連続でアドベンチャーワールドを訪問した。
あわせて9時間滞在したんだけど、9時間でほぼすべての施設を見てまわることができた。

ちょうどいいサイズ感。
サファリパークは広大なのでバスで周ったけど、それ以外は歩き。
3歳児を連れていたけど「おんぶ」も言わずに最後まで歩いていたから、サファリパークを除けば3歳児でも周れるぐらい。

サファリパークのクマ。
スタッフからエサをもらっていた。

車椅子の人も多く見かけたし、ベビーカーの貸し出しもしていたし(パンダやレースカーの形をしたやつ)、子連れでもお年寄りでも周りやすい施設だと思う。

ぼくが行った日は、各地で真夏日になるぐらい暑かったけど(5月にしては)、アドベンチャーワールド内は建物も日陰も多いので苦にならなかった。
さすがに真夏は暑いだろうし、冬に半分屋外の会場でイルカショーを観るのはきつそうだけどね。

レッサーパンダは暑さでへばっていた

一通り見たけど、子どもが成長してから行ったらまたべつの楽しみ方ができるだろうから何年かしたらまた来たいなと思った。





内容がちょうどいい

高いところが嫌い、
怖い乗り物が嫌い、
目が回る乗り物も嫌い、酔う乗り物もイヤ。
人が多いところも苦手だし、知らない人たちが浮かれている場も好きじゃない。

だからぼくは遊園地に行かない。
最後に行ったのはもう20年近く前。
学生時代、今はもうない宝塚ファミリーランドというあまり大きくない遊園地に行ったのが最後だ。

ディズニーランドやUSJのようなテーマパークにも行かない。
行くのは世界の爬虫類展とか餃子博覧会とか世界の大温泉・スパワールドとかの、にぎやかすぎないテーマパーク(?)だけだ。


そんな遊園地好きじゃないぼくでも、アドベンチャーワールドは楽しかった。

ひとつには、娘と行ったおかげだと思う。
前にも書いたけど、いまやぼくの人生の主役はぼくじゃない。子どもにその座を譲った。
だからぼく自身がさほど楽しめなくても、娘が楽しんでいたらぼくも楽しい。

娘はアドベンチャーワールドを心から満喫していた。
帰りの道中でも「また行こうね」を連発していた。「次いつ行く?」なんて気の早い質問もしていた。


3歳の足でも歩き回れる施設。
各年齢に合わせたアトラクションの数々(カートやコースターがそれぞれ何種類かずつあってそれぞれスリルが異なる)。
パンダ、イルカ、ライオン、キリン、ゾウ、トラといった子どもに人気の動物がそろっている上に、動物とふれあえる距離の近さ(今回ぼくらはイルカに触れたりサイにエサをやったりすることができた)。
ジェットコースターなど一部の乗り物をのぞけば、3歳児でもほぼすべての施設を大人と同じように楽しめた。

手の届く距離でのサイのエサやり。
エサを見せるとサイが口を開けるので、そこに放りこむ。


しかし娘が楽しんでいたことを差し引いても、ぼく自身楽しかった。

まず、動物がほんとに近い。
動物園にもよく行くけど、アドベンチャーワールドのほうが動物との距離が近い。
サイにエサをやるのもそうだし、やろうと思えばライオンの檻に手を入れられる。それぐらい近くで見せてくれる(しかし1メートルの距離で対峙するライオンはほんとに怖かった。もう近寄りたくない)。

「ルールを守らないやつは食い殺されてもしかたない」ぐらいの感じ(あくまでぼくが受けた印象ね。アドベンチャーワールドの見解じゃないよ)。

動物と接する以上、客であってもそれぐらいの責任を持たせてもいいと思う。

動物は近くで見たほうがぜったいにおもしろい

アドベンチャーワールドはパンダの一大生産地らしい。
日本では、2016年9月18日現在、上野動物園、王子動物園、アドベンチャーワールドを合わせて11頭のジャイアントパンダが飼育されているが、その内、実に8頭がアドベンチャーワールド内で飼育されていて、屋根の無い空間で自由に過ごすジャイアントパンダを見ることもできる。希少動物センターPANDA LOVEとブリーディングセンターに分かれて暮らしている。
中国本土以外の動物園で8頭も飼育されているのはここだけであり、これは世界一の規模である。(Wikipedia 『アドベンチャーワールド』より)

すごい。
シェア率73%。
独占禁止法に引っかかるんじゃないだろかと心配してしまうぐらいのパンダ占有率だ。

おかげでけっこう無造作にパンダがいる。
上野動物園のパンダには人だかりができているらしいけど、アドベンチャーワールドはもともと混雑していないうえに8頭もいるから、赤ちゃんパンダの前以外はぜんぜん混んでいない。
タイミングがいいとパンダの前にひとりもいない、なんて瞬間も。

貴重なおパンダ様、という感じがぜんぜんしないのがいい。

ぜいたくにパンダを味わえる


ショーも見ごたえがあった。

イルカのショーがすごいというのは前々から聞いていたが、評判通りだった。
迫力があったし、思わず「おおぉっ!」と声が出てしまうこともあった。

イルカの大ジャンプ
後ろに山や海が見えるこの開放的な会場もいい。


でもぼくはもうひとつのショーのほうが気に入った。
アシカやオットセイやカワウソやイヌやタカやミニブタのショー。

客いじりからはじまり、笑いあり驚きありの楽しいショーだった。
めちゃくちゃすごい技術はないけど、誰が見ても楽しめる、4コマ漫画のようなわかりやすいショー。


しかし海獣のショーって最初にやった人はすごいね。
だってオットセイの姿を見て、あいつらとコミュニケーションとれるなんて思えなくない?
ましてこっちが教えた動きをオットセイにやらせようだなんて。
その発想、どうかしてるね。

ペンギンはそのへんをうろうろしていた

ところでイルカショーって一部で非難を浴びている。
「追い込み漁」というイルカの捕獲方法が残酷だという非難を受けて、日本動物園水族館協会(JAZA)が追い込み漁で捕まえたイルカの入手を禁止したのが2015年。

個人的には一部の生物の殺傷だけを「残酷」ということには納得いかないんだけど(あらゆる生き物を殺すべきでないと主張するならわかる。そういう人は病原菌も殺さずに生きていくといい)、だからといって「まちがってないから非難を浴びてでも続けるぜ!」という姿勢がエンタテインメントにとっていいことだとも思わない。


その点、アドベンチャーワールドではうまくクリアしようとしていて、バンドウイルカの繁殖を成功させているんだとか。
これなら絶滅の危惧がある生物を守るという名目も立つし、ショーにすることで研究・飼育費を稼ぐことにもなるわけだから万事がうまく収まる。

ジャイアントパンダの繁殖も成功させているし学術的にもすごい場所なんだね、アドベンチャーワールド。

ぼくがライオンならサファリパークで暮らしたい。
食べ物はもらえるし広いし仲間はいるし。

アドベンチャーワールドの居心地が良かったのは「難易度が低い」からだと思う。

めちゃくちゃ迫力のあるジェットコースターもないし、3D技術を駆使したアトラクションもない。

遊園地検定10級のぼくでも楽しめる、スーパーマリオのような敷居の低さ。

もしかしたら、遊園地上級者にとってはものたりないかもしれない。

だけどファミリー向けテーマパークを訪れるのは、遊園地ファンばかりじゃない。
子どもの付き添いで来ただけの親も祖父母も多い。
そういう人たちにとっては、「めちゃくちゃおもしろい」よりも「居心地が悪くない」や「疲れない」のほうが大事だと思う。
その条件をアドベンチャーワールドは満たしていた。



ぼくも若いときは「新奇なもの」「今までに誰もやったことがないもの」ばかり観にいっていたけれど、子連れだとオーソドックスなものの良さを改めて発見するようになる。
こういうことが歳をとるってことなのかもしれないね。

作りものの鳥と本物が混ざっているので、急に動きだしてびっくりする






価格がちょうどいい

2日間入園できる券で7,200円だった(2017年6月から少し値上がりするらしい)。
これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれだけど、ぼくは十分楽しめたので決して高くないと思った。

特に、うちの子はもうすぐ4歳になるのだけど、3歳以下は入場料無料だったのがありがたかった。
さっきも書いたように3歳でもめいっぱい楽しむことができた。それが無料というのはうれしい。いちばんいいときに行ったかもしれない。

メリーゴーラウンドなどいくつかの乗り物にも乗ったんだけど、それも「大人1人+3歳児」が乗って1人分の料金でいいと言われた。
2~3歳ぐらいからお金をとるレジャー施設が多いだけにアドベンチャーワールドの「3歳以下原則無料」はうれしいね(なぜかサファリパークを周るバスだけは3歳以上有料だったけど)。

娘はカバが好き

金額だけの問題じゃなくて、「そこでお金とるのかよ……」という納得のいかないとられかたをしなかった、というのが大きい。

サファリパーク内を走る車もいくつか選べて、ミニ鉄道を選べば無料で周回できる。

ショーも別途お金をとられることもないし、ジェットコースターなどの乗り物に乗らなければ入場料と食事代だけですべての施設が楽しめるのだ。


中で売ってる食べ物も、やや割高ではあるけれど、ちゃんと手のかかった料理があるのがよかった。

"パンダバーガー" は、焼きたてのパンに焼きたてのハンバーグとシャキシャキのレタスが挟んであった(パンダの肉ではなく牛肉だった)。
セットで1,000円と高めではあるが、おいしかったのでまあいい。
観光地だと「高い上にカスカスの食べ物」が出されることがあるけど、そんなことはなかった。

パンダバーガー。
これにドリンクがついて1,000円。
高いけど観光地の食べ物としては許せる範囲。


子どもは大喜びだった

テーマパークって、少々高くたっていいと思う。
贅沢をしにいってるわけだから。

でも、入った後はなるべく財布を出したくない。
いちいち「これで300円か……」とか考えずに楽しみたい。

その点でよくできているのは、ぼくの大好きな風呂のテーマパーク・スパワールド。
風呂だから財布は持てない。
だから中で飲み食いした分や受けたサービスの代金は、ぜんぶ入館時に支給される腕輪で記録される。
そして退館時に精算するというシステム。
これだと、中で過ごしている間は一切お金を使わなくて済む。

あたりまえのようにやってるけど、お金を使うってけっこうめんどくさい行為なんだよね。
金額を確認して、それが自分の中の相場と照らし合わせて安いか高いかを判断して、それと引き換えに得られる便益と比較して、お金を使うかどうかを決定する。
そしてお金を取り出して、財布の残りを見てあとどれぐらい使おうかを思案する。

このプロセスがけっこうわずらわしい。脳内メモリの容量を食っている。


食事、おみやげ、乗り物など、中で使うお金を全部退場時の一括精算にしてくれたらなおありがたいと思った。
たぶんそっちのほうがお金を使うから、施設側にもメリットは大きいだろうしね。




日本各地にあった遊園地やテーマパークは、どんどんつぶれている。
特に地方は厳しいらしい。

レジャーの多様化だとか少子化の影響とかいろいろあって、これから先も遊園地にとって状況は悪くなる一方だと思う。


アドベンチャーワールドは1978年開園だというからもう40年近くもやっていることになる。
しかし、ぜんぜん古びたかんじがしなかった。

レトロな乗り物はあったけど、錆びた建物とか汚れた床とか剥がれかけた壁とかはまったく目につかなかった。
ゴミも落ちていなかった。
メンテナンスと掃除がゆきとどいているのだろう。

レトロな乗り物。
『稲中』ファンにはあこがれのパンダ1号。

何度も書いているように遊園地に行かない人間なので、アドベンチャーワールドだけが特別に良かったのかわからない。
ぼくが知らないだけで、同じぐらい、あるいはもっと居心地のいい遊園地もあると思う。

でもとにかく、アドベンチャーワールドはよかった。

いつかまた行く日にもほどほどににぎわっていることを、心から願う。