2019年2月18日月曜日

【読書感想文】時代小説=ラノベ? / 山本 周五郎『あんちゃん』

あんちゃん

山本 周五郎

内容(e-honより)
妹に対して道ならぬ行為をはたらき、それを悔いてグレていった兄の心の軌跡と、思いがけぬ結末を描く『あんちゃん』。世継ぎのいない武家の習いとして、女であるにもかかわらず男だと偽って育てられた者の悲劇を追った『菊千代抄』。ほかに『思い違い物語』『七日七夜』『ひとでなし』など、人間をつき動かす最も奥深い心理と生理に分け入り、人間関係の不思議さを凝視した秀作八編を収録。
時代小説ってあんまり読んだことがなかったんだけど、そうか時代劇ってファンタジーなのか。
山本周五郎『あんちゃん』を読んでそう思った。

小説の名手と呼ばれる人の作品集だけあって、どの話もよくできている。人情味や心の機微が丁寧に描かれている。とはいえストーリー自体は無茶なものが多い。

ピンチを救ってくれた人が生き別れた父親で……とか、窮地で助けてくれたのはあのとき殺したはずの相手だった……とか、「ありえねえよ!」と言いたくなるような展開が続く。
まあフィクションに現実離れしてるとかツッコミを入れるのは野暮だけど、それにしたって話ができすぎじゃありませんか。

しかしそれでも小説として成立しているのは「よく知らない昔の話だから」だ。
これが現代日本を舞台としていたら「こんな都合よくいくかいな」「どんだけ狭い世界を生きとんねん」というツッコミの嵐だろう。

しかし江戸時代を舞台にすることで、「今ならありえないけど昔だったらこういうこともあったのかもしれないな」とか「当時は今よりずっと世間が狭かったのかもしれないな」とか思える。
わざわざ時代小説を書くのは、「読者がよく知らない世界」という舞台装置がほしいからなんだろう。

そういう点では、時代小説というのはファンタジー、もっというとライトノベルといっていいかもしれない。

官能小説は「ある日親が高校生の自分を置いて海外に行ってしまい大きな屋敷に一人ぼっち」「手違いで女子寮に入ることになってしまったぼくが……」みたいなありえない導入ではじまることが多い。ありえない設定だが、"エロ" という大目的があるためリアリティは無視される。
時代小説や時代劇もそれに近い。
「拙者剣の腕は立つが欲はないので人前ではひけらかさない。だがおなごを守るためなら……」とか「喧嘩が強くて庶民の感覚も持った正義感の強いお奉行様が街に出て……」みたいな中学生の妄想をそれなりの形に見せてくれるのが "江戸時代" という舞台なのだ。

ライトノベル作家になりたい人は、時代小説を書くといいかもしれないね。
一見正反対のようで、作者や読者の願望投影という点では実はすごく近いところにあるジャンルだから。
おまけに文芸界では高く評価してもらえるし。

妄想実現ファンタジーという点では『剣豪・島耕作』とか『町奉行・島耕作』とかもいいね。
うん、容易に想像できる!

2019年2月15日金曜日

洞口さんじゃがいもをむく


じゃあじゃがいもの皮をむく仕事でもすっかってことで応募即採用。世にじゃがいものむき手は足りていないらしい。

あたしのほかに七人のおばちゃんがいて、八人で理科実験室にあったような大机ひとつを囲んでじゃがいもをむく。
特にノルマとかはなくて、おしゃべりをしながら皮をむいてゆく。むいた皮をどんどん床に捨ててゆくのが愉しい。床にごみを落としちゃだめって言われて育ってきたから、ぽいぽいごみを投げていいってのが新鮮。
足もとが冷えることを除けばいい職場。こたつに入ってやったら最高なんだけどな。でもそうすると布団が汚れるから皮を放りなげるわけにいかないもんな。あと眠っちゃうし。

おばちゃん七人衆は圧倒的に速い。年の甲っていうと怒られそうだから経験年数の差っていっておくけど、巧みに包丁を使ってすらすらむいていく。バナナの皮をむくぐらいのスピード。あんなに鮮やかにむかれたら、むかれてる側のじゃがいもだって気持ちよかろうってなもんよ。

それに比べたらあたしはぜんぜん。おばちゃんが五個むいてるうちにやっと一個むくぐらい。
気のいいおばちゃんたちだから誰も責めるようなことは言わないけど、自分の皮むき偏差値三十五ぐらいなのは自分がいちばんよくわかるから、足引っぱって申し訳ない気持ちになる。
なんとかならんもんかねってワカさんに相談したらピーラー使えばいいじゃんってあっさり名回答。はっはーんこれができるホモサピエンスってやつか。ツールで解決。
あたしなんかピーラーって言葉すら知らなくて、皮むき器って言われてようやっと形状思いえがけたぐらいだからその差たるや。

ということで百均に行ってピーラー購入。
ピーラーだけ買うのもなんか恥ずかしかったからミルク味の飴ちゃんもいっしょに購入。七人のおばちゃんに貢ぐ用。

しかしまさかピーラーが職場の断絶を生むなんてね。
あたしが持ってきたピーラーを見ておっそれいいじゃんあたしも使おう派ともう慣れちゃったし包丁のほうが早いよ派にすっぱり分かれてたちまち勢力は四対四。
さらにピーラー使おう派も、百均のじゃものたりないからいいやつ買おう派と自腹切ってまで高いピーラー買うほどじゃないよ百均で十分よね派で二対二に分裂した(あたしは百均派)。
まだ分かれるのかなとおもったけど二対二になるとそれ以上は分裂しなかった。二人以上いないと派閥にはならないんだな。

べつに派閥ができたからっていがみあったり敵陣営に火矢を投げこんだりとかするわけじゃないんだけど、ツールが変わったことでなんとなく溝ができたような気がする。
あれ、なんかひび入ってない? 気のせいかとおもったけど、前は日によってばらばらだった座る場所も包丁派は包丁派、高級ピーラーは高級ピーラーで固まって座ることが多くなった。知らず知らずのうちに断絶が生じているのだ。

責任を感じた。
あたしが直接七人の中を切り裂いたわけじゃないけどあたしのピーラーが切り裂いたのだ。いや、ピーラーだから七人の仲をむいたというべきか。
なんておそろしいものを生みだしてしまったんだろう。原爆開発のマンハッタン計画に参加した科学者たちの気持ちが痛いほどわかる。

この状況を打破するアイテムはないかとリュックの中をほじくりかえしてみた。ツールにはツール。
ミルク飴が出てきた。おお。百均で買ったのを忘れていた。
ミルク飴をおばちゃん七人衆の口に押しこむとあらふしぎ。なんとなく顔が柔和になって以前のようにおばちゃん間の会話がはずみはじめたじゃないか。

やっぱりミルクよね。ミルク最強。マンハッタン計画、ミルクの前に敗れたり。

まあこのミルク飴のせいでその数週間後におばちゃんのトイレ立てこもり事件が起きるわけだけど、それはまたべつのお話。

2019年2月13日水曜日

【読書感想文】構想は壮大なんだけど / 北森 鴻『共犯マジック』

共犯マジック

北森 鴻

内容(e-honより)
人の不幸のみを予言する謎の占い書「フォーチュンブック」。偶然入手した七人の男女は、運命の黒い糸に絡めとられたかのように、それぞれの犯罪に手を染める。錯綜する物語は、やがて驚愕の最終話へ。連作ミステリーの到達点を示す傑作長篇。
(ネタバレあり)

学生闘争、ホテルニュージャパン火災、帝銀事件、三億円事件、グリコ・森永事件といった昭和を騒がせた事件を縦軸に、「フォーチュンブック」という人の不幸を予言する本を横軸に組み合わせた連作短篇ミステリ。

うーん……。
やりたかったことはわかるんだけど、壮大なスケールに作者自身がついていけなかったという感じがする。

たしかにスケールが大きい割に構成は緻密なんだけど、作者の自己満足感が強すぎる。


よくがんばったな、とは思うんだけどね。がんばって風呂敷広げたな。くちゃくちゃだけど一応畳んでるしな。よくやった。
だけどおもしろさとはまた別。
いろんな事件を放りこみすぎて無理だらけになっている。世間狭すぎるし。
三億円事件の犯人とグリコ・森永事件の犯人が同一人物とかね。嘘が過ぎる!

最後のほうに「なんとこれが三億円事件なんです! どやっ!」みたいな種明かしがあるんだけど、昭和の事件を扱っていってたら三億円事件が出てくるのは容易に想像がつくので「やっぱりね」としか思えない。意外性ゼロ。むしろ出てこないほうが驚く。

陳 浩基『13・67』は香港で実際にあった出来事をたくさん盛りこんでいるけど、それはあくまで舞台背景であって本題ではないしな。
実在の事件を複数盛りこむってのはとっちらかるだけでいいことないよ。ほら、三谷幸喜脚本ドラマ『わが家の歴史』もクソつまらなかったじゃない。



そして登場人物たちをつなぐ「フォーチュンブック」という本なんだけど……。これ、いる?
べつになくてもよかったんじゃないかね。
「あいつの死はフォーチュンブックに予言されてた」みたいな描写は多々あるけど、「フォーチュンブックがあったせいで〇〇が起きた」みたいなのはほとんどないし(一話目ぐらいかな)。
なくても十分成立したと思うんだけど。
この小道具がなかったら嘘っぽさもいくらか軽減されてたんじゃないかな。
そしてこのタイトル。『共犯マジック』って……。
は? どういうこと?
全部読んでもまったくぴんとこない。タイトルはわりとどうでもいいと思っている派だけど、それにしてもこれはあってなさすぎじゃない?



いろいろ辛辣なことを書いたけど、点数をつけるとしたら百点満点で六十点ぐらい。決して悪い作品ではなかった。
だからこそいろいろ言いたくなるんだよなあ。せっかくの大がかりな構想なんだから、もっとうまく料理できたんじゃないかって。

【関連記事】

【読書感想】陳 浩基『13・67』



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2019年2月12日火曜日

洞口さんとねずみの島


あれはあたしが船乗りのバイトをしてたとき。
時給の高さに釣られて応募してその場で採用されたものの海賊が着てるような派手なシマシマの服は自分で用意してくださいって時点でちょっとあやしいなーと思ってたら案の定メンテのゆきとどいてない船に乗せられて、たちまち沈没。

幸いにしておっぱい(推定Bカップ)みたいな島が見えたからみんなしてそこまで泳ぐことになった。
バイト初日にして知らない人といっしょに泳ぐのやだな、気まずいなーとおもいながら背泳ぎ。
なんで背泳ぎなんだよって声が聞こえたけど、しょうがないじゃんあたし息つぎできないんだから。本人に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言われるのがいちばん嫌なんだよなーと思いながらぐいぐい泳いでたら、あれこれけっこう気持ちいいかもって。
あたし意外と泳ぐのうまくない? 体育の授業のときは沈まないようにするので必死だったのになんで今はこんなにふかふか浮くんだろうっておもって、あそうか海水だからかって気づいた。塩水だから真水よりちょっと重くて、その分身体が浮きやすいんだ。なんかのマンガに描いてたわ。マンガ勉強になるなーって調子に乗ってたら、気づくと誰もいない。

わすれてた。
あたしの背泳ぎは左に左に傾くんだった。いっつもプールのときはレーンを仕切るロープにぶつかってたんだった。隣のレーンを泳ぐミキモトのどてっぱらにつっこんでいって猛禽類みたいな目で睨まれたこともあった。それをわすれてた。や、ミキモトの一件についてはわすれてしまったほうがいいんだけど。

まずいよバイト初日なのにはぐれ狼じゃんってあわてたけど、しかし「待ってください」とも言いづらいよな新人なのに、っておもってたらこっちのほうにもちっちゃな島があることに気づいた。
よし、とりあえずこっちに上陸しよう。そのあと先輩方のいるほうをめざそうってことでちっちゃい島に上陸。おもってたよりだいぶ左の海岸にたどりついた。

泳いでいる間は、あとでBカップ島をめざそうとおもってたのに、陸地に上がってみたら急速にめんどくささがMAX値に。
ずっと前に砂漠をさまよったときにオアシスにたどりついたとたんにもう二度とラクダに乗りたくないって気持ちになったことがあるんだけど、そのときと同じ気持ちっていえばわかってもらえるかな?
いっぺん陸に上がっちゃうとまた海に飛びこみたくなくなるんだよね。陸って偉大。やっぱりあたしって陸棲生物なんだなーってあらためて実感。大地を褒めよ讃えよ土を。

海岸であたしが大地讃頌(アルトパート)を熱唱してたらなんかちょろちょろ動いてる。ねずみだ。それも一匹二匹じゃない。百匹はいた。
ひっと声が出た。べつにこれまでねずみに悪い感情は持ってなかったしどっちかっていったら入浴剤と同じくらいの好き度でいたんだけどね。
かわいくないんだ、ねずみが。ねずみってかわいいかとおもってたらウォルト・ディズニーにだまされてただけか。

あたしが泳ぎついたのはねずみの島だった。ねずみが文明を営んでる原始共産主義国家。

はじめはあたしという巨大生物を遠巻きに見ていたねずみたちだったけど、すぐに食べ物を持ってきてくれるようになった。
ねずみの言葉はわからないから想像でしかないけど、神仏に対するお供えものみたいな行為だとおもう。
なんか知らないけどばかでかいやつが海の向こうからやってきた、なにをするでもないけど下手に刺激したらまずそうだ、ままここはひとつ穏便に。てなかんじで、いちごやブルーベリーやラズベリーを持ってきてくれる。ありがたいけどベリーばっかりじゃん。しかも天然種。口すっぱくなるわ。

ねずみの言葉はわからないといったけど、あたしのおもってることはねずみ側にはなんとなく伝わる。
腹へったとか眠いとかひとりにさせてくれとかそういった程度のことなら身ぶり手ぶりでなんとなく伝えられる。
ねずみ側もジェスチャーでなにやら伝えようとしてきてたけど、あたしのほうはねずみのいいたいことがちっともわからないのであきらめたようだ。
だってあたし目悪いし。背泳ぎしてるあいだにコンタクトが波に呑まれていったし。ねずみの表情なんかちっとも読みとれない。

ねずみたちの粋な計らいによって衣食住には困ることなく、あとは名声だけよねーとあぐらをかいていたら、反乱は突然やってきた。
起きたら大量のねずみにとり囲まれてた。眼の悪いあたしでもねずみたちの眼が怒りに満ちていることだけはわかる。なんでなんでとおもったけど、でもまあそうか。ねずみからしたら食糧をあたしにぶんどられてるような気分だったんだろうね。税の怒りはおそろしい。あたしも以前は納税者だったからその気持ちはわからんでもない。

クーデターってほどでもないけど、怒れる納税者たちに囲まれて居座るほどあたしの神経は図太くない。
っちゅーわけで(ネズミだけに)ねずみの島からあたしは逃げだした。もちろん背泳ぎで。

きっとこれから突然島に姿をあらわした怪物を撃退した話として『シン・ゴジラ』みたいにねずみの国に語りつがれるんだろうなーと思いながら。

この後あたしは芋を掘りすぎてえらい人の怒りを買うことになるんだけど、それはまた別のお話。

2019年2月10日日曜日

ものを独占する子にいちばん効果的な方法


五歳の娘のともだちにNちゃんという子がいる。
Nちゃん、ふだんは引っ込み思案な子なのだけれど、他の子と意見がぶつかったときにぜったいに引きさがらない。

たとえば公園のブランコを取り合いになったとき。
Nちゃんはぜったいに引かない。
周りの子どもや大人が
「先に〇〇ちゃんが使ってたから後でね」とか
「じゃあじゃんけんで決めよう」とか言っても、Nちゃんは耳を貸さない。
「Nちゃんが使う!」の一点張り。ブランコを握ったまま意地でも離さない(Nちゃんは身体も大きいので力も強い)。
たまにじゃんけんに応じることもあるが、じゃんけんに負けても泣いてブランコを離さない。

まあそういう子はめずらしくない。ぼくが子どものときにもいた。
きっと大事に育てられているのだろう。
困った子だとはおもうが、よその子のことなので放っておく。

問題は、うちの娘が真正面からぶつかることだ。


Nちゃんがブランコを力づくで独占すると、娘はNちゃんを説得しようとする。
「交代で使ったらいいでしょ」とか「じゃんけんで決めたらいいじゃない」とか。

はっきりいって、ルールを守れない子に対して「説得」はいいやり方じゃない。

二歳ぐらいならいざしらず、五歳なら「公園の遊具をひとりじめしてはいけない」ことぐらいわかっている。
わかっていて逸脱しているのだから、いくら正論でルールを説いたって無駄だ。泣いて抗議をするなんて、わがままな子を喜ばすだけだ。
痴漢に「痴漢、アカン!」というのと同じぐらい無意味だ。


ものを独占する子にいちばん効果的なのは放っておくことだ。
「あっそう。じゃあひとりでブランコ使ったらいいよ。その間にみんなであっちでおにごっこしよう!」
とするのが最適な方法だ。
ルールを守ろうとしない子の相手に時間を費やすなど、人生の浪費でしかない。

「ゆずりあわないと仲間はずれにされる」ということを経験しないとNちゃんのような子はゆずらない。
「我を通してばかりだと長期的にはかえって損をする」ことを学ぶのはNちゃんのためにもなるはず。

だからぼくは「もういいじゃない。あっちでブランコよりおもしろい遊びしよう」と言うのだが、娘も強情なので「いや、先にブランコ使う!」と泣きだしてそこから一歩も動こうとしない。

「困った人は放置がいちばん」ということを教えてあげたいのだが、どうもうまくいかない。
困ったものだ。



子どもの正義感に対して大人はどう対処するのか、いつも困ってしまう。

さっきのブランコの件に関しても、できることなら「Nちゃん、順番に使おうね」と言って、Nちゃんが他の子にゆずるのがいちばんいい。
えほんの中ならそれが「もっとも正しい」回答だろう。

だが残念ながら現実の世の中は「いちばん正しいやり方」と「いちばんうまくいくやり方」はイコールではない。

女の子に特に多いようにおもうが、うちの娘もいい子であろうとするあまり他人の不正が許せないことがよくある。

赤信号なのに横断歩道を渡る人やたばこのポイ捨てをする人を見て「だめなんでしょ?」とぼくに問いかける。
ぼくは答えに窮してしまう。
そう、だめなんだよ。だめなんだけどね……。世の中は、言って分かってくれる人ばかりじゃないんだよね……。