2018年5月30日水曜日

姉妹都市のような関係でいましょう


例によっていわし氏、花泥棒氏ととりとめもない話をしているうちに「姉妹都市ってなんで姉妹なんだろうね」という話になった。

「都市は女性名詞だから、とか? フランスあたりが発祥の概念なのかな?」という説が出たが、調べてみると元々は英語の「sister city」らしい。英語ということは女性名詞説ではなさそうだ。

本気で検索したらすぐにわかるのかもしれないけど、あっさり答えを出すのもつまらない。あれこれ考えてみるうちに、なんとなく以下のような仮説にたどりついた。

姉妹は縁を切ることがないからではないだろうか。
夫婦や親子や友人関係は、絶縁に至ることがある。「離縁」「勘当」「絶好」という言葉があるのがその証拠だ。
でも、あえて兄弟姉妹の縁を切る人はまずいない。仲が悪いきょうだいはいくらでもいるが、それでもきょうだいはきょうだいだ。そもそも大きくなればきょうだいとは距離を置くのがふつうだから、わざわざ縁を切る必要があまりない。

だったら「兄弟都市」でも良さそうなものだけど、兄弟には上下関係がある。
「兄貴分」「弟分」「父兄」「貴兄」「子弟」「弟子」なんて言葉が表すように、兄は目上で弟は下の存在だ。
でも「姉妹」には上下関係がない。「姉」と「妹」に、「年上の女きょうだい」「年下の女きょうだい」以上の意味はない。ないっていったらおおげさかもしれないけど、ない。

友好関係を築こうという相手に上下関係は持ちこまないほうがいい。
とはいえ上下関係がないからといって「双子都市」にしてしまうと、「うちのほうが歴史ある都市なのになんであそこと双子扱いなんだよ」と反発する住民もいるだろう。

そこで「めちゃくちゃ深い付き合いをするわけではないけどそこそこのつながりを保っていきましょうね」というメッセージをこめて「姉妹都市」になったんじゃないか、というのが酔っ払いたちの出した答えです。


ということで、告白されて「姉妹都市のような関係でいましょう」と言われたあなた、フラれたと思ってまちがいないです。


2018年5月29日火曜日

仕事に夢を求めずに


新卒入社の社員と話す機会があったので、訊いてみた。
「入社して二ヶ月くらいたったけど、どう? 辞めたくなった?」

すると新卒くんが応えて曰く、
「いや、辞めたくはないです。可もなく不可もなく、ふつうって感じです」

ぼくは云った。
「すばらしいね。入って一ヶ月でその境地に達することができるなんてすごい。それがいちばんいいよ。仕事が嫌で嫌でたまらないのも困るけど、仕事が大好き! って思うのもよくない」

 「そうですか。どうせなら好きなほうがよくないですか?」

「自分が楽しくやるだけならいいけどね。でも仕事が好きな人はたいてい周りを攻撃しはじめるからね。自分はこんなにがんばってるのにどうして他の連中はもっとがんばろうとしないんだ、って。そういう人がいると周りがやりづらくなるし、そもそもサラリーマンに向いてない」

 「あー。そうかもしれませんね」

「だから可もなく不可もなくっていう今の状況はすごくいいよ。ぼくはそのことに気づくまでに十年かかって、最近ようやくプラスとマイナスが同じになるぐらいにコントロールできるようになった。君は二ヶ月でたどりつけるなんてすごいね」

 「ありがとうございます」

「これからも仕事に夢を求めずに、お互いプラスマイナスゼロでやっていきましょう」


2018年5月28日月曜日

アメリカの病、日本の病


今年の2月、アメリカ・フロリダ州のハイスクールで銃乱射事件があった。多くの生徒が犠牲になった痛ましい事件だが、申し訳ないがニュースを目にしたぼくの感想は「またか」だった。それよりさっき床に落としてしまった食パンのほうが悲しい。
正直いって、アメリカじゃあよくあることだよね、ぐらいにしか思えない。アメリカ名物銃乱射事件。

アメリカでは年間一万五千人以上が銃によって殺されているそうだ。事故死、死に至らない怪我など含めればずっと多くの死傷者が出ていることになる。
アメリカでは精神疾患患者でも銃を購入できる。十八歳でもライフルを買える(拳銃は買えない)。
銃は「アメリカの病」と言われている。

「銃の所持を規制すればいいのに」と思う。大半の日本人はそうだろう。日本にはいろん考えの人がいるが、「日本もアメリカ並みの銃社会になればいいのに」と主張する人は男子中学生を除けばほとんどいない。男も女も年寄りも若者も右翼も左翼も、銃社会なんてろくなもんじゃないと知っているのだ。
そんな誰でも知っている「ろくなもんじゃない銃社会」を、アメリカは維持しつづけている。

なぜこんな愚策をとりつづけているのか、ふしぎで仕方がない。
小さな島の民族が銃を携帯していても「ふーん、まあ世の中にはいろんな村があるからね」としか思わないが、愚策をとっているのは軍事力、経済力、科学力どれをとっても世界ナンバーワンの大国USAだ。そこが解せない。
四流大学が「総合未来グローバル環境システム福祉学部」を新設したら「ふーんまあ好きにしたら?」と思うけど、東大に「東京大学総合未来グローバル環境システム福祉学部」ができたら、東大と一切関係ない人ですら「おいおいそんなばかなことしたらだめだろ」と言いたくなる。そんな気持ちだ。



じっさいのところ、アメリカ人って銃についてどう思ってるんだろう。
「なくせたらいいけど現実的にはなくせないからしょうがないよね。あったほうがいいこともあるし」として受け入れているのだろうか。日本における暴力団と同じように「必要悪」扱いなんだろうか。

いつ撃たれるかわからない社会でびくびくしながら暮らすのってすごいストレスなんじゃないかと思う。
でも日本だって殺そうと思えば車ではねとばしたり電車のホームからつきとばしたりすれば殺せるわけで、銃を規制しても他の手段での殺人に代わるだけで案外殺人そのものは減らないのかもしれない。

とはいえ暴発による事故は確実に減るだろうから、それだけでもやる価値はあると思うけど。



アメリカ人が銃を手放さない理由としてよく言われるのは、「アメリカが銃と民主主義で独立を成し遂げたから」という説明だ。
ぼくはこの説には納得できない。仮にはじめはそうだったとしても、数百年も同じやりかたを続ける理由にはならないだろう。日本だってとっくの昔に刀を捨てた。いくらなんでも「祖先のDNA説」は無理がある。

堤 未果氏の『(株)貧困大国アメリカ』 では、全米ライフル協会がロビー活動をがんばってるから規制が進まない、と書いてあった。

『週間ニューズウィーク日本版2018年3月13日号』の特集『アメリカが銃を捨てる日』にもこんな記述があった。

 適切な銃規制が行われれば、銃犯罪 が大幅に減る可能性は高い。コネティカット州では、95年に拳銃の購入に免 許取得を義務付けたところ、05年までの10年間で拳銃絡みの殺人事件が40%減ったとされる。銃が手に入りにくくなれば、銃を使った自殺も減るだろう(アメリカでは銃絡みの死亡事件の3分の2が自殺だ)。
 アメリカの一般市民の大多数は、銃規制に賛成している。銃を所有する家庭でさえ、93%が銃購入者の経歴調査の厳格化を、89%が精神疾患者の銃所有禁止を支持している。
 それなのになぜ、アメリカの銃規制は恐ろしく緩いのか。それは政治家(圧倒的に共和党議員が多い)が、NRAから献金をたっぷりもらっているからだ。ドナルド・トランプ大統領も、3000万ドルの献金を得ている。だから学校で乱射事件が起きても、政治家は犠牲者のために祈りをささげるだけで、何の行動も起こさないというお決まりのパターンが繰り返されてきた。

NRAとは全米ライフル協会のことだ。
アメリカの選挙は金がかかる、全米ライフル協会は巨額の支援をしている。特に共和党に対してはそうだし、賭けにはずれて大負けしないように民主党にもBETしている。だから民主党政権になったとしても銃規制は進まない。
金がほしいから規制しない。いたってシンプルだ。そして「祖先のDNA説」よりずっと説得力がある。



ぼくらの多くは「人命はすべてのことに優先する」「金より人の命のほうが大事」と思っているし、じっさいその原則に従って行動する。
でもぼくらが大事にするのは「自分の命」や「よく知る人の命」であって「どこかの誰かの命」ではない。
「どこかの誰かの命」の価値はすごく低い。日本でも過労死増加確実と言われている高度プロフェッショナル制度が通されるが、あれに賛成している議員だって「過労死を増やしてやろう」と考えているわけではないだろう。「どこかの誰かの命」に対する想像力をはたらかせていないだけなのだ。想像力の欠如か、あえて考えないようにしているのかはわからないけど。
「あなたの子どもに高度プロフェッショナル制度を適用してもいいですか?」だったほとんどの議員が反対にまわるだろう。


リチャード・マシスンという作家の短篇に『死を招くボタン・ゲーム』という作品がある。
ある夫婦の元にボタンのついた箱が届けられる。見知らぬ男が現れて「そのボタンを押せば大金を差し上げます。そのかわり世界のどこかであなたたちの知らない誰かが死にます」と言ってきた……。
という話だ。

有名な話なので、作者名は知らなくてもオチを知っている人は多いだろう。
この夫婦はボタンを押すわけだが、彼らが極端に利己的というわけではない。「ボタンを押すと隣の家の人が死にます」だったら押さなかっただろう。ただ「どこかの誰かの命」は「目の前の金」よりもずっと価値が低くなってしまうのだ。

えらそうなことを書いているけど、銃乱射事件のニュースを見て「またか」と思ったぼくも同じだ。「どこかの誰かの命」に対しては食パン一枚ほどの価値も感じていない。

銃が「アメリカの病」なら、過重労働は「日本の病」だ。でもそれは症状であって病因ではない。
病の原因は全人類に共通する「どこかの誰かの命を軽視してしまう」という性質だ。


2018年5月27日日曜日

いつもにこにこの人が苦手


いつも笑顔の女性が苦手だ。
クラスにひとりはいるタイプ。いつもにこにこしていて、誰に対しても優しい。けっこうかわいくて、勉強もそこそこできる優等生。

誰からも嫌われない。ぼくも嫌いじゃない。でも、苦手。

なんでだろう。なぜか遠ざかってしまう。
もちろんぼくにも優しくしてくれる。うれしいけど、でも頭の中でアラートが鳴っている。「そいつは誰にでも優しいぞ、気をつけろ!」

べつに気をつけなきゃいけないことなんてない。優しさをありがたく受け取っておけばいい。
でもなんかこわい。陽の光にさらされたダンゴムシが逃げるように、日陰者のぼくは彼女から遠ざかる。

いつもにこにこしているけどほんとは腹黒い……なんてことはない。
そういう女性は、しゃべってみるとほんとにいい人なのだ。たとえ腹の中では悪だくみをしていたってかまわない。悪意を表に出さなければいい人だ。自分以外の人間なんて、外から見える部分がすべてなのだから。


なんでいつもにこにこしている人がこわいんだろうと考えて、笑顔が失われる瞬間を見たくないからじゃないだろうかと気づく。

いつもは不愛想な人が、ぼくと話しているうちに笑顔になったらうれしい。すごくうれしい。
でもいつもにこにこしている人が笑顔で話していてもそんなにプラスにならない。逆に、ちょっとでもつまらなさそうな顔をされたらすごく心配になる。

たぶん失うことがこわいんだろうな。「いつもにこにこ」の人は百点満点からスタートしているから、そこからは失うしかないもんな。
どんな人でも親しくなったら笑顔以外の表情も目にするだろうから、それがこわくて近寄れないんじゃないだろうかと思う。

でも「いつもにこにこ」の人がほんとに二十四時間ずっと笑顔を絶やさない人だったら……。それはもっとこわい。


2018年5月25日金曜日

【読書感想】関 眞興『「お金」で読み解く世界史』


『「お金」で読み解く世界史』

関 眞興

内容(e-honより)
古代エジプトから近代が始まる前までをお金と経済で読み解くユニークな世界史。教科書が描かない、政治や戦争とは違った視点でつかむ世界史の本質。

「お金」で読み解く、という試みはおもしろいのだが、「世界史」というテーマは大きすぎたように思う。
誰もが世界史に対して十分な知識を持っているわけではないので、経済の話に至るまでには政治や宗教や地理や文化の話も避けて通れず、お金以外への説明に多くのページが使われている。で、結局「世界史の膨大な知識を猛スピードで説明する教科書」になってしまっている。

かなりのボリュームのあるマクニール『世界史』ですら「すごくあわただしいな」と感じだたので、切り口を絞ったとはいえ新書で文明の隆興~19世紀までの世界各国を説明するというのは無理がある。スペイン→オスマン帝国→ロシア→中国→オランダ→イギリス みたいにあっちこっちに話題が移るので、ぜんぜんついていけない。作者は元予備校講師らしいが、「とにかく重要ポイントだけ駆け足で説明」というのはいかにも予備校っぽい。

「お金で読み解くローマ帝国」ぐらいにテーマを絞っていれば読みごたえのある本になっていただろうに。



いろんな時代、いろんな国に共通して言えるのは、国家の力が衰えると貨幣も不安定になるし、貨幣が不安定になれば社会も不安定になるということ。
資本主義社会になったのは世界史の流れで見ればごく最近の話ではあるけれど、それ以前から政治や経済を支えているのはお金なんだね。



 ユダヤ教もキリスト教も、その両者の影響を受けたイスラム教でも同胞からの利子の取り立ては禁止している。中世の地中海世界においてユダヤ教は国家を持たない民族であったため、それぞれ世界をつくっていたキリスト教徒とイスラム教徒のどちらにも利子つきで金を貸すことができた。現実の問題として、キリスト教国家ではユダヤ教徒はキリスト教徒に金を貸して利子を取る以外に生活の術を持っておらず、金貸しは生きていくための生活手段であったといえる。逆にもしユダヤ教徒が大きな国家を持ち、キリスト教徒が国なき民族であったとしたら、キリスト教徒が高利貸しになっていたかもしれない。

ユダヤ人は金貸しが多かったから嫌われていたというのは聞いたことがあったが、なるほどこういう理由だったのね。
そういえば世界一有名な金貸しであるシャイロック(シェイクスピア『ヴェニスの商人』)もユダヤ人だ。マイノリティとして生きていくために金貸しをしていたのに、それで嫌われるのはかわいそうな気がする。元はといえばわかってて借りたほうに原因があるわけだし。



十字軍の内情について。

 宗教的情熱が高まったとしても人間には日常的な生活がある。人が動くことは商人たちにとっては利益を得る機会になるが、諸侯・騎士たちにとっては国に残した自分の財産が気になるところである。教会は、そのような財産が保証されることを約束し、それを犯すものは破門に処することとし、参加者には罪が許されるという「贖宥」を与えた。
 さらに、十字軍への参加を呼び掛ける宣伝文句として紹介されるのが、戦いによる戦利品の多いこと、東方ビザンツ帝国の女性は魅力的であることだけでなく、不自由民には自由を与え、債務者には債務を取り消させることなどを約束していたことである。すべてこれらは世俗的な問題であるが、詳細な情報のない世界に向かう不安などを払拭するためには、このような現実的な目的が不可欠であったのであろう。

十字軍というとぼくにとってはかっこいいイメージだったけど(『ジョジョの奇妙な冒険』第三部の「スターダスト・クルセイダース」のためだが)、実態はというと略奪を尽くしたり、女性をさらったり、とても気高い人たちとはいえなかったようだ。
なかには宗教的理想に燃えていた人だっていたんだろうが、大半は世俗的な動機でついていっていたらしい。

アメリカ新大陸への植民や日本人の満州移転を見てもそうだけど、うまくいっている人は「新天地で一旗あげてやろう!」なんて挑戦はしないわけで、なにかしら問題を抱えているから新しい土地に活路を求めるんだよね。
パイオニアっていうとかっこいいけど、開拓者なんて「たまたまうまくいったろくでもない人」ってケースが多いんやろねえ。



16世紀頃のオランダのニシン漁の話。

 ニシンの回遊経路が変わりドイツのニシン漁は低迷するが、この頃、ニシン漁を継承したのがオランダである。オランダ人は改良された船で沖合に乗り出し、漁獲したニシンを船上で処理し塩漬けにした。一方、ドイツにニシンを提供していたデンマーク人の漁法は海岸にきたニシンを捕まえるという素朴なもので、処理の方法は同じであったが、オランダの場合は規模が違っていた。これがオランダの重要な経済的基盤であった。

オランダはニシン漁によって富を蓄え、さらにこれが航海技術の向上や船舶数の増加につながり、世界の海へ乗りだすことができ、後の東インド会社設立につながったのだという。
このエピソードは以前読んだ『世界史を変えた50の動物』という本にも書いてあった。世界情勢が魚に左右されるなんておもしろいなあ、と思った記憶がある。
ちなみにその後オランダには各国からお金が集まり、あふれたお金がチューリップへの投機となって過熱し、チューリップバブル崩壊、経済の不安定化へとつながっている。
ニシンで集めたお金をチューリップで失った国、それがオランダ。



奴隷制がなくなったことについて。

 人間の歴史では「奴隷」の存在は何ら不思議なものではなかった。古代世界で戦争の敗者は基本的に殺される(特に男子)か、奴隷として売り払われるかが普通であった。ギリシア・ローマの時代も例外ではなかった。古代最大の哲学者アリストテレスも「奴隷的人間」の存在を肯定した。近代になり、人間の尊厳・権利・自由が自覚されるようになると、奴隷制は否定されるようになるが、これとて見方を変えれば資本主義の合理性が導き出した結論といえる。つまり、奴隷、すなわち自由のない労働者を使うより、普通の人間を必要なときだけ使った方が「安上がり」であることに資本家が気づいた結果である。そして、この原則が今日の社会にも維持されてきているのは言うまでもない。

会社員が自虐的に「サラリーマンなんて会社の奴隷だよ」なんていうことがあるが、じっさいはサラリーマンのほうが奴隷よりもっと安上がりで使える存在なのだ。
奴隷は主人の持ち物だから、逃げたり壊れたりしないように扱うだろうしね。資本家にとっては、必要なときだけ働いて、気に入らなくなったらクビにできて、他のやつと交換できる労働者のほうが都合がいいのかもしれないね。


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