2018年5月4日金曜日

まけまけいっぱいの幸福


以前、横浜在住の人と食事をしたときに
「このお皿、さらえちゃっていいですか?」
と言ったら通じなかった。

さらえる」は「お皿に少し残っているものを最後に平らげてしまう」という意味だ。


「……ということがあってん。『さらえる』って関西弁やったんやなー」
と関西出身の友人に言うと、
「えっ、おれもわからん」と言われた。

あれ? 関西弁じゃない?

他の関西の人たちに「『この料理をさらえる』って意味わかる?」訊いてみると、
「わからない」
「聞いたらなんとなく理解できるけど自分は使わない」
という答えが返ってきた。

こういうことがときどきある。
ぼくは兵庫育ち、大学時代は京都に住み、今は大阪に住んでいる生粋の関西人だが、父は北陸出身、母は幼少期に四国や中国地方を転々としていた人なので、いろんな地方の言葉が混ざっている。
我が家ではあたりまえのように使われている言葉が、よそではまったく通じないということがある。

外であまり通じない言葉に「まけまけいっぱい」がある。
コップに飲み物がふちのぎりぎりまで入っている状態を指す言葉だ。関西の人にはほとんど通じないが、四国の人には通じたので四国のどこかの言葉なんだろう。

まけまけいっぱいのカフェラテ

もけもけ」という言葉を母が口にする。
セーターなどがけばだっている状態を指す言葉だ。この言葉が通じたことはない。
いろんな人に「『もけもけ』って知ってる?」と訊いたが、いまだに「知っている」という人に出会ったことがない。だから方言ではなく母がつくった言葉なのかもしれない。


「さらえる」「まけまけいっぱい」「もけもけ」がどこの言葉かインターネットで調べたらわかっちゃうんだろうけど、あえて検索せずにわからないままにしておく。

他人に通じない言葉を自分の中に持っているって思うと、ちょっとめずだかしい気持ちになれるから。


2018年5月2日水曜日

【読書感想】米澤 穂信『ボトルネック』


『ボトルネック』

米澤 穂信

内容(e-honより)
亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した…はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。

米澤穂信作品を読むのは『インシテミル』に続いて二作目なんだけど、『インシテミル』のときにも感じた不満を今回も抱いた。
「無茶な設定を受け入れるの、早すぎじゃね?」

「姉が生まれずぼくが生まれた世界」のぼくがどういうわけか「ぼくが生まれず姉が生まれた世界」というパラレルワールドに行ってしまう。
姉と出会って五分ぐらい話して「どうやら君はべつの世界から来たみたいね」と受け入れられて……。

っておーい! どっちも順応性高すぎー!
まったく知らない人が家にやってきて「ここはぼくの家」って言いだしたのになんですんなり受け入れちゃうんだよ! どう考えたって不審者だろ。好意的に解釈したってキチガイだろ。いずれにせよ通報しろよ女子中学生。五分しゃべっただけで「君はわたしの弟みたいね」って状況理解すんじゃねーよ。家にあげんなよ。振り込め詐欺でももうちょっとうまくやるぞ。

……と導入が不自然すぎてずっと物語に入りこめなかった。「これは信じたふりをして様子を見てるだけなんじゃないか」と疑いながら読んでいたのだが、登場人物の中学生たちは「パラレルワールド説」を本気で信じたらしい。証拠もないのに。中二病がすぎる。

『インシテミル』もそうだった。
わけのわからん屋敷に招待されて「はい、じゃあ君たちで殺し合いをしてください」と言われて、みんなすぐに状況を受け入れて殺し合いが始まっちゃう。登場人物の順応性の高いこと外来種のごとし。池の水全部抜くぞ。



不自然すぎる導入、あまりに都合の良い聡明すぎる登場人物のせいでげんなり。「自分が存在しなかったら世界はどう変わっていたか」という思考実験を試す舞台装置自体は悪くなかったんだけどな。

設定、キャラクター、セリフ。すべてがライトすぎるのが性に合わなかった。
ぼくはアニメを見ないので、たまにアニメを見ると「なんでこんな無茶な設定がまかりとおるの」と引っかかってついていけなくなるんだけど、同じ感覚だった。

いや、「無茶な設定」自体はいいんだよ。小説にリアリティが必須だとは思わない。わけのわからん異世界に放り込まれて、あっさり受け入れるSFなんていくらでもあるし。
でも、それだったらもっと奇想天外な設定にしないといけない。
「古代ローマ人が溺れて、気がついたら21世紀の日本でした」だったら、世の中が何から何まで違うわけだから「ただならぬことが起こったに違いない」もすんなり受け入れられるだろう。「理由はわからないけどどうやらべつの世界に行ってしまったらしい」と考えるしかないのだから。それならそれでありだ。
「ほんのわずかだけおかしな世界」を書くなら、北村薫『スキップ』『ターン』のように細かい証拠と繊細な描写の積み重ねが必要だ。

『ボトルネック』には大胆さも丁寧さも感じられなかった。要するに、嘘をつくのがへたなのだ。もっとうまく騙してくれ。

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2018年5月1日火曜日

アニメの文法と文化の衰退


妻から、あるアニメがおもしろいと勧められた。
内容を聞いてみると、ぼくの好きなタイムリープもののSFで、たしかにおもしろそうだ。
録画したものがあるとのことなので観てみる。一話を観たところで「無理だ……」とため息をついて続きをあきらめてしまった。

アニメの文法がわからないのだ。

ぼくはほとんどアニメを観ない。ディズニー(特にピクサー)作品は好きだが、国産アニメは観ない。ジブリアニメですら最近の作品は観ていない。まして深夜にテレビでやっているようなやつはひとつも観たことがない。『まどマギ』がおもしろいとか、『艦これ』が流行ってるとか、ほのかに噂は流れついてくるのだが(たぶんだいぶ後になって)、「大勢の人がおもしろいと言ってるから観たらおもしろいんだろうな」とは思うものの、「ぜんぶ観ようと思ったら何時間もかかる」と思うと食指が動かない。「だったらその間本を読んだほうがいいや」と思ってしまう。

そんな人間だから、アニメの文法がわからない。
たとえば、天然ボケっぽいキャラクターがこれまでの流れと関係のない発言をする。周囲の人物はぽかんとして、一瞬の間の後に「……あっ、いや、それでさっきの続きなんだけど」みたいな感じで話が引き戻される。

ぼくはここで「今の発言は何のためになされたんだろう?」と考える。バラエティ番組なんかだったらほとんど意味のない発言がなされることはよくある。けれどこれはアニメーションだ。百パーセント作りものである。ということはさっきの発言にも作り手の何らかの意図があるということだ。
笑いどころなのかもしれないが、発言の内容はたいしておもしろくない。たぶん作り手もそんなにおもしろいとは思ってないだろう。たぶんこれはアクセント。シリアスなシーンが続いたから軽めのボケをはさんでメリハリをつけたんだろう。
……こういうことをいちいち考えないと次に進めない。

たぶんアニメの文法を知っている人にとっては、何とも思わず自然に受け入れられるシーンなんだろう。説明的な台詞が続いたら天然ボケキャラクターが突拍子もないことを言うのはある種の「お約束」なのかもしれない。


慣れていない人間がアニメを観ると「文法」についていけなくて戸惑ってばかりだ。

「あ……」みたいな意味のないつぶやきが多いな、と思う。たぶんこれは沈黙なんだろうな。小説だったら「無言で肩を落とした」みたいな描写にあたるシーンなんだろう。ドラマだったら役者が表情で表現するところなんだろう。でもアニメでは「沈黙」の表現がむずかしいから(動きも台詞もないシーンはアニメーションだとただの「静止画」になってしまう)、短い台詞を発することで当惑や思索にふけっているところを表現するんだろう。

そんなことを考えながら三十分のアニメ(歌とかCMもあるから実質二十分ぐらい)を観ていたらどっと疲れた。
そのわりにストーリーはまったく進んでいない。三十分も本を読めばかなりの展開があるのにな。

きっと、我慢して何十本もアニメを観つづければ「文法」を自然と理解できるようになっていろんなことがすんなり解釈できるようになるんだろう。
でもそれをする体力がない。若かったらできたんだろうけど。そこまでするんだったら慣れ親しんだ読書を楽しむほうがいい。
ということで「もうアニメはいいや」と投げだしてしまった。歳をとったのだ。


ぼくは落語を好きだけど、それは小学生のときから聴いていたからであって、今はじめてふれたら理解不能なことばかりでたぶん聴いてられないだろう。
「地の文と会話文の境があいまいなこともある」とか「四人以上の登場人物が会話をするシーンでは特に誰の発言かは意識しなくてもいい」とか「肩を揺するのは歩くシーン」とか「上方落語では突然お囃子が鳴る」とかの「文法」を知らないと聴きづらい噺も多い。
「よくわからない言葉は聞き流してもだいたい大丈夫」「お金の価値もちゃんとわからなくても大丈夫」なんて判断も、数をこなさないと身につかない。

だがこういうことは、中にいる人にはわからない。アニメ制作をしている人は「アニメなんて観たらいいだけだから誰でも楽しめるよ」と思うだろう。おっさんがアニメの「文法」がわからないだなんて思いもよらないにちがいない。だからほったらかしにされてしまう。


歳をとってから新しい芸能・文化に触れるのはとても体力がいるものだ。
読書習慣がないまま大人になってしまった人が読書を趣味にすることは、まずないのだろう。

そう考えると、よく耳にする「若者の〇〇離れ」は単なる売上の減少だけの問題ではない。
二十代までにその道に目覚めなかった人は、たとえお金や時間を手にしたとしても中高年になってから近寄ってくることはほぼないだろう。若者が入ってこない文化は、数十年後の衰退が確定している。
あらゆる文化は何よりも若者をターゲットにしなければならない。たとえそれが利益を生まなかったとしても。

ジャニーズのコンサートには親子席というものがあるらしい。ジャニーズは小学生に優先的に席を回してライブの楽しみを教えることで、向こう数十年のファンを育成しているのだ。実にうまいやりかただ。

「お金もかかるし知識がないとわかりづらいので若い人や初心者が入りづらい」ためにどんどん衰退していっている古典芸能や着物文化は、ぜひともジャニーズのやりかたを見習ってほしい。もう遅いだろうけど。


2018年4月29日日曜日

あえて今ラブレター


知り合いの二十代の女性。美人でとてもモテる子だ。「最近のモテエピソード聞かせてよ」と云うと、知らない人からラブレターをもらったと教えてくれた。

「今どきラブレター? しかも二十代になって?」

 「そう、びっくりしちゃった」


通勤途中によく顔をあわせる同い年ぐらいの男性から、いきなり手紙を渡されたのだという。
読むと、いつも顔をあわせているうちに好きになってしまった、一度もしゃべったことがないのにこんな手紙を渡されて気持ち悪いと思われるかもしれないがどうしても伝えたかったので手紙を書いた、いきなり付き合ってくれとは言わないがもしよかったら会って話す機会でももらえないだろうか、という内容だったそうだ。


すごくまじめな手紙だ。手紙を書いた男性の、礼儀正しさ、誠実さ、女慣れしていないところ、そして勇気が十分に伝わってくる。
男のぼくでさえも「なんてかっこいいんだ」と思う。顔も知らない男性だけど応援したい。

「すごくいい人じゃない」

 「そうなんですよ。顔はぜんぜんタイプじゃなかったけど、その手紙で好感度はめちゃくちゃ上がりましたね」

「じゃあオッケーした?」

 「いやでも彼氏いるから。だから気持ちはすごくうれしいけどつきあってる人いるんでごめんなさい、って返事しました」

「そっかー……。残念だなー……。めちゃくちゃ勇気ふりしぼったと思うのにな……。うーん、彼氏いるならしょうがないか……、でもやっぱり諦められないなあ……。なんとかならない……?」

 「なんで犬犬さんがフラれたみたいにショック受けてるんですか」


ラブレターなんて今どきは中学生でも書かないかもしれないけど、だからこそ効果は絶大だ。気になる相手がいる社会人は、ぜひ使ってほしい。

関係のないおっさんですら胸がときめくんですもの。


ツイートまとめ 2018年3月


健康の秘訣

悪気

裕福

ひげ

デザイン

ファミコン

IQ

電動工具

疑獄

対義語

NEW

大回転

夕陽

ちゃっちゃと

ソツ無し

本当は教えたくない

秋の味覚

公務員



本人確認

三重苦

非花粉症

想像力

困惑願望

内閣総理大臣賞