2017年10月16日月曜日

テクニックではカバーできない衰え/阿刀田 高『脳みその研究』【読書感想】


『脳みその研究』

阿刀田 高

内容(e-honより)
昔から大ざっぱな性格の定雄は、人の名前を覚えるのが苦手だった。ところが定年を前に、急に記憶力がよくなり、却って不安を抱いてしまう。かわりに何か大事な能力を失っているのではないだろうか…。意表をつく表題作をはじめ、シチリアの夜を描く「海の中道」、母への憧れが生み出す「狐恋い」など珠玉の9篇。


「短篇の名手」を誰かひとり挙げるとするなら、ぼくなら阿刀田高を挙げる(星新一はショートショートの神様なので別格)。

奇抜なアイデア、スリリングな展開、無駄のない構成、スマートなオチ。どれをとっても一級品だ。

中高生のときは古本屋で阿刀田高の短篇集を買いあさり、50作以上あった短篇集のほぼすべてを所有していた。今でも実家にある。

阿刀田高の小説とはなんとなしにしばらく遠ざかっていたのだが10年ぶりぐらいに読んでみた。


あれ。つまんない。

いや、うまい。すごくうまいのだ。
無駄のない構成も、ほどよく散りばめられた教養知識も、テンポのよい文章も健在。
リズムよく読める。
さすがは短篇の名手。

でも、オチまで読んでがっかり。

ぜんぜん切れ味がない。読者の予想を裏切ってくれない。中にはだじゃれのオチもあって、そこまでの話運びがうまいだけに期待を裏切られたがっかり感も大きい。

短篇集だから一作ぐらいはあたりもあるだろうと思って最後まで読んだが、どれも期待外れだった。

最近の作品のレビューを読んでみると、どうやらこの作品にかぎらず衰えが目立つらしい。旧年からのファンたちの嘆きの声ばかりが並んでいる。



小説家にかぎらず、クリエイティブな仕事ってだいたい歳をとるごとに斬新な着想は衰えていく。

そのかわり経験を重ねてテクニックは上がっていくから、技巧を凝らすことで作品の完成度は高くなったりする。

阿刀田高にもそういう時期があって、たいしたことのないアイデアでも阿刀田高が巧みに味付けすることで一級品の仕上がりになっていて、これを他の作家が書いたらきっと凡作だったはずだ、さすがは短篇の名手だとうならされたものだ。

しかし名手のテクニックではカバーできないぐらいアイデアの枯渇が進行してしまったのだろう。

なんちゅうか、引退間近のスポーツ選手を見るような寂しさを感じるな……。



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2017年10月15日日曜日

なんとなくずるやすみ


朝、4歳の娘が「しんどい……。ごはん食べたくない……」と言う。

ゼリーなら食べられそう? と訊くとこくんとうなずく。
保育園おやすみする? と訊くとこくんとうなずく。

しかし熱を測ると36.2度。
咳も出ていないし昨夜は元気に跳びはねていた。

これはもしかして……と思いながらも保育園に休みますと連絡を入れて、ぼくも会社を休むことにした。
しばらくはおとなしくえほんを読んでいたが、やがて暇をもてあましたらしく「どっか行こうよー」などと云う。
「お昼何食べたい?」と訊くと、「串カツ!」と云う。

おいおまえ、それもっとも病人食と遠いやつじゃないか。
ゼリーしか食べられなかったやつが食べたいっていう食べ物じゃないだろう。

串カツを食べに外に出ると、さっそく元気よく走りはじめた。
「しんどいんじゃなかったの?」と訊くと「しんどい……」と弱々しく応じるが、1分たつとすぐに設定を忘れてまた走りはじめる。

まちがいない。これは詐病というやつだ。
もっと平易な言葉で言うならば仮病。

そういや1年前にも同じようなことがあった。
まあいいか。1年に1回ぐらい、保育園をずるやすみしたくなる日もあるだろう。
うまく表現できないけど、4歳児なりにいろいろ抱えていらっしゃるんでしょう。
保育園に行きたくない理由が具体的にあるわけじゃないけど、ただなんとなく行きたくないこともあるんでしょう。

あえて指摘せず「病気でしんどい娘」という設定に乗っかってあげることにした。

おかげでぼくも仕事を休めた。
こんなことでもないと「体調不良でもないのに休む。何の用事もないのに休む」ってできないしね。いい機会だ。
ぼくも娘のずるやすみにつきあい、本を読んだり昼寝をしたりしてごろごろと過ごした。

翌日、娘は何事もなかったかのようにいつも通りに起きて元気よく保育園に行った。
子どもも大人も、たまには「何の理由もないけどなんとなく休む日」があってもいいと思う。

2017年10月14日土曜日

うまい炭水化物を食わせる店


ご飯が大好き なので、うまいご飯を食わせる店があったらいいのにと思う。

最高級の新米を、ちょうどいい火加減で炊いたご飯。

できたら釜で。直火で。高級炊飯器で炊いたほうがおいしいのかもしれないけど、気持ち的にはやっぱり釜のほうがうまそうだ。

つやつやでふっくらとした炊きたてのご飯。メニューはそれだけ。

ご飯だけの店。ザ・めしや。
いや、ザ・めしやはすでにあるか。



さすがに ご飯好きでも、ご飯だけではそんなに食べられないからご飯のお供もほしい。

海苔、納豆、岩海苔、ちりめんじゃこ、鮭フレーク、食べるラー油、生卵、塩、肉そぼろ、バター醤油(ご飯とめちゃくちゃあうからね)なんかを置いといてほしい。全部市販のやつでいい。

ご飯のお供は食べ放題。

ご飯は一杯五百円。おかわりは二百五十円。

ご飯もお供も原価は安いし、調理の手間はほとんどない。ご飯を炊くだけ。

あとは客がつくかどうかだけだけど、職場の近くにあったらぼくなら週三で通う。

ご飯一杯五百円は高いが、外食で一食五百円と思えば安い。

なんといっても毎日のように食べても飽きないのがご飯のいいところだ。


どうなんでしょう、うまい炭水化物を食わせる店。

商売的にはかなりうまみがあるんじゃないかと思う(ご飯だけに)。


2017年10月13日金曜日

kawaii清純派


海外では「kawaii」がエロい言葉として使われている、という話を聞いた。

インターネットのおかげで海外の人もかんたんに日本のポルノにアクセスできるようになり、ポルノで「かわいい」という言葉がよく用いられているのを見て「これはエロい意味にちがいない」と思われているらしい。

なるほど。おもしろい。


逆の例でいうなら、ソープとかデリバリーとかヘルスとかも、本来エロい意味のない言葉なのに、日本においては風俗業界隈で用いられることが多いために淫猥な響きを持つようになってしまった。
そういえば「風俗」だって本来はまったくエロい言葉じゃなかったよね。


ということは、今やアダルト産業でしかまずお目にかかれない「清純」なんて言葉も、海外の人にとっては正反対の意味を持つようになるかもしれないね(もしかしたらもうなっているかも)。

2017年10月12日木曜日

3人のおかあさんと男女の違い


娘(4)の日記。

読んでいただければわかるように(読めねー!)、おままごとが最近の流行りらしい。

4歳になって「今日、保育園で何をしたか」を説明できるようになったんだけど、「おままごとをした」と「おにんぎょうであそんだ」が多い。


おままごとは誰が何の役をやったの? と訊くと、
「M(自分)はバブーちゃん(赤ちゃん)、Rちゃんがおねえちゃんで、NちゃんとSちゃんとKちゃんがおかあさん」
とのことだった。

複雑な事情のありそうな家庭環境だ。

女の子ばかりなので、みんなおかあさんをやりたがって、おとうさんをやる子がいないらしい。

「男の子はおままごとしないの?」と訊くと、「Kくんだけはやってくれるけどほかの子はプラレールとか車とかであそぶ」のだそうだ。


保育園では特に男女の区別もなく育てていると思うのだが、自然と男女グループに分かれていくのはおもしろい。


そういえば、ぼくはレゴが好きなので娘ともよくレゴであそぶ。

ブロックで家や車をつくるのだが、興味深いのはその後で、娘はつくった家や車でおままごとをはじめる。

レゴの人形を持ってきて「こんにちはー。あそびにきましたよー」などと言いはじめる。

ぼくはレゴを組み立てたりばらしたりするほうが楽しいのだが、娘は組み立て作業よりもおままごとに興じている時間のほうが長いぐらいだ。

ぼくがこどものころは、友人と「レゴでつくった車をぶつけあって先に壊れたほうが負け」「レゴの人形の首をならべて首タワーをつくる」とかやっていたので、ずいぶんと遊びかたがちがうものだ。

レゴ人の首

3歳までは男も女も同じように走りまわるだけだったのだが、4歳くらいから別々の道を進みはじめるんだねえ。