仕事で疲れたとき、ぼくはちょっと遠回りして、女性用下着売場の前を通って帰ります。
誤解のないように云っておきますが、ぼくは女性の下着そのものに興奮するようなヘンタイではありません。
そんなヘンタイではなく、下着を身につけた“マネキン”に魅力を感じるタイプのヘンタイなのです。
下着なんてものはしょせんただの布っきれです。
女性用下着には興味がないのでブランドとかはまったくわかりません。
ワコールだかトリンプだかピーチジョンだかチュチュアンナだか知りません(ほんとまったく知らない)。
物質として見ればどれもハンカチと大差ありません。
そんなものに性的な興奮をおぼえる人が世の中にはいるみたいですが、まったくどうかしています。
ただ、マネキンが身につけたとたん、下着はぐっと魅力を増します。
ぼくは下着マネキンにかぎらずマネキン全般が好きなので、アウターをまとったマネキンや、紳士服売場のマネキンもよく眺めます。
服には頓着しない性質なので、衣料品売場を通るときは服よりもマネキンを見ている時間のほうが長いぐらいです。知らず知らずのうちにマネキンのポーズを真似ていたりもします。
「服は着せやすいかもしれないけどやっぱり頭のないマネキンは魅力半減だな」とか
「イトーヨーカドーにある赤いマネキンにはえもいわれぬ気持ち悪さがあるな」とか
「あのマネキンのポーズは空条承太郎以外の人がやってるの見たことないな」とか
そんなことばかり考えてしまいます。
そんなマネキン好きのぼくから見ても、やはり女性下着を身につけたマネキンには、ずばぬけて心を惹く魅力があります。
下着売場のマネキンはどうしてあんなに美しいのでしょう。
下着を最高にきれいに見せるために造られたものだから、といってしまえばそれまでです。
しかしやはりそれだけでない気品をあのマネキンたちは持っています。
見た目の美しさだけでいえば、どの人間よりもマネキンのほうが上だと断言できます。
たとえばニッセンとかディノスなどのカタログには、下着を身にまとった外人モデルさんの写真が載っています。
当然ながらスタイルはばつぐん。顔もきれい。ポーズも完璧。光のあてかた、写真の構図に至るまで、下着がもっとも美しく見えるよう計算されつくしています。
それでも。
それでもなお、西友の下着売場のマネキンに遠く及ばないのが現実です。
なにしろマネキンときたら、やせすぎず太りすぎない絶妙のプロポーションに、陶器のような白い肌(いろんな色のマネキンがあるけどぼくは #FFFFFFのような純白が好き)。
ポーズも、洋服屋のマネキンのようなこれ見よがしな格好はしておりません。下着売場の彼女たちはあくまで慎ましやかに、けれどもきりりと背中を伸ばして胸を張り、凛とした自信をのぞかせています。
それにマネキンには生身の人間とちがってほくろもシミもありませんし、背中の変なところから毛が生えたりもしていません(美人のうなじに生えた変な毛はそれはそれで魅力的なのですが、これについて語りだすと長くなるので今はやめときます)。
そして何よりいいのは、マネキンには顔がないということ。
いいですか。
顔がないということは、裏を返せば、そのとき自分が見たいと思う表情を思い描けるということ。
想像力によって描かれた顔は無限通り。
いうなれば、マネキンは千の仮面を持つ少女。おそろしい子!
のっぺらぼうほどセクシーな表情はありません。
それほど魅力的なマネキンですが、ぼくは決して凝視したりはしません。
こっそりと見るだけです。それも、一瞬。
やはり下着売場にあからさまに目を向けるのは気恥ずかしいですし、女性客だって下着を選んでいるところをおじさんに見られるのはいい気がしないでしょう。
ですから通路を歩きながら、周囲に人がいないときを見計らって、横目でちらりと目をやるだけです。
そのかわりといってはなんですが、ぼくがマネキンを見るときは顔を不自然につくったりはしません。
自分の顔を見ることはできませんが、マネキンを見るときのぼくはきっとひどくいやらしい顔をしていると思います。
あえて隠しません。
実際にいやらしい気持ちを抱いているのにいやらしい顔をしないなんて、かえって品性が汚らしいと思いませんか。
どうせマネキンにしか見られていないのですから。
美しいマネキンの前では嘘をつけませんし、嘘をつきたくもありません。
「いやらしい顔をしたっていいんだよね」
ぼくはちらりとマネキンの顔を窺います。
「そう、いいのですよ。だってそれがあなたなんですもの」
ほら、マネキンののっぺらぼうな顔もちゃんとそう答えてくれているではありませんか。
2016年11月11日金曜日
【エッセイ】ナチュラル美人
うちのおじいちゃんは農家だったが、車が大好きで、頭がぼけてきてからも車を乗り回していた(ほんとやめてほしかった。人をひき殺さなかったのは奇跡だと思う。あとド田舎で人がいなかったからだと思う)。
それから新しいもの好きで、新しいトラクターだから性能がいいとか、新しい肥料はすごいにちがいないとかいっていた。
もちろん例外はあるけれど、都会に住んでいる人よりも、田舎に住んでいる農家のおじいちゃんのほうが機械や化学肥料に対して全幅の信頼を置いているように思う。
「科学は生活を豊かにしてくれるものだ」という意識が、ゆるがないものとして根底にあるのだ。
自然に還ろう、なんてのはめったに自然の脅威にさらされることのない都会で生活しているから言えることであって、じっさいに自然を対峙して生きている人からすると、自然というものは人間を苦しめる存在であって、そこから守ってくれるのが科学という認識なのだと思う。
自然と美人はちょっと遠くから見ているぐらいがいちばんいいですよね、ほんと。
それから新しいもの好きで、新しいトラクターだから性能がいいとか、新しい肥料はすごいにちがいないとかいっていた。
もちろん例外はあるけれど、都会に住んでいる人よりも、田舎に住んでいる農家のおじいちゃんのほうが機械や化学肥料に対して全幅の信頼を置いているように思う。
「科学は生活を豊かにしてくれるものだ」という意識が、ゆるがないものとして根底にあるのだ。
自然に還ろう、なんてのはめったに自然の脅威にさらされることのない都会で生活しているから言えることであって、じっさいに自然を対峙して生きている人からすると、自然というものは人間を苦しめる存在であって、そこから守ってくれるのが科学という認識なのだと思う。
自然と美人はちょっと遠くから見ているぐらいがいちばんいいですよね、ほんと。
2016年11月10日木曜日
【思いつき】ヘイトお見合い
嫌いなものを語るときにこそ、その人の人間性があらわれるね。
好きを語るときは「あれ好きなんだー」で済むけど、
嫌いを語るときは「なぜ嫌いなのか」を自分なりに理由づけして、理論武装してから臨む。
お見合いでも、趣味を尋ねるよりも嫌いなものを言いあったほうが、お互いへの理解が深まるんじゃないかな。
「マサヒロさん、お嫌いなものは?」
「占いと愛犬家と歯みがきと料理の写真撮る奴ですかね」
「へー、そうなんですね」
「ミカさんのお嫌いなものは?」
「一気飲みと朝礼とフラッシュモブを少々……」
「なるほど、なるほど。わかります」
「ところでマサヒロさんは音楽鑑賞が趣味だということですけど、どういうジャンルが……?」
「すっごくふつうなんですけど、EXILEとか嫌いですね。あとはゆずとかユーミンとかですかね」
「あっ、私もあれ嫌いです! 『栄光の架け橋』」
「ですよねー。ぼくたち気が合いそうですね!」
「ですねー」
「えーと、こんなこと訊いちゃっていいのかな……」
「なんですか?」
「どういった男性がタイプですか……?」
「えっとですね。ちょっとマッチョな感じで、坊主の人。自分のイメージを上げるためなら何でも利用してやるぞっていうタイプ。そういうタイプが嫌いですね」
「芸能人でいうと?」
「市川海老蔵さんがどんぴしゃです」
「あーわかります!」
どうでしょう。
相手の人となりがよく見えてきますし、ものすごく話が弾みそうですよね。
それか、まったくの無言になるかのどっちかね。
2016年11月7日月曜日
【エッセイ】どっちみち貸さないけど
よほど立ち居振舞いに隙があるのか、ちょくちょく変わった人に声をかけられる。
今日は自宅のすぐ近くで、自転車に乗った30歳くらいの男から
「すみません、お金ないんで、食べるもの買うお金もないんで、お金貸してもらえませんか」
と言われた。
もちろん金は貸さずに「急いでるんで」とその場を離れた。
その男に云いたいことはたくさんある。
「貸してくれって云うけどおまえ絶対返す気ないだろ」とか
「まずその自転車売ったら?」とか
「ほんとに困ってるなら交番か役所に行きなよ」とか。
いろいろあるけど、でもいちばん云いたいことは、
「知らない人にお願いをするときは自転車にまたがったままじゃなくて、ちゃんと降りてからお願いしなさい!」
とりあえずはこれ。
今日は自宅のすぐ近くで、自転車に乗った30歳くらいの男から
「すみません、お金ないんで、食べるもの買うお金もないんで、お金貸してもらえませんか」
と言われた。
もちろん金は貸さずに「急いでるんで」とその場を離れた。
その男に云いたいことはたくさんある。
「貸してくれって云うけどおまえ絶対返す気ないだろ」とか
「まずその自転車売ったら?」とか
「ほんとに困ってるなら交番か役所に行きなよ」とか。
いろいろあるけど、でもいちばん云いたいことは、
「知らない人にお願いをするときは自転車にまたがったままじゃなくて、ちゃんと降りてからお願いしなさい!」
とりあえずはこれ。
2016年11月5日土曜日
【エッセイ】光源氏のように
ぼくの友人にNくんという豪傑がいる。
といっても迫りくる宇宙からの危機に全米でただひとり勇敢に立ち向かったり、五条大橋で刀を999本集めたりするタイプの豪傑ではない。
彼自身はいたって温厚な男だ。
彼が豪傑たるゆえんは、どんな怪しい誘いも決して退けないことにある。
インターネットの世界には怪しい誘いが跳梁跋扈している。
Facebookに会ったこともない若いオナゴから友だち申請が来たり、
LINEで届いたメッセージに
「ひさしぶり(*^^*) 携帯変えたからこっちに連絡ちょうだい(はぁと)アイコ」
という文章とともに何故かメールアドレスではなくURLが貼られていたりする。
Nくんは、そのすべての誘いに「とりあえず乗ってみる」のだそうだ。
友だち申請は承諾し、見るからに怪しいURLも一応クリックし、メールアドレスが載っていればひとまずメールを送るのだという。
もちろんNくんだってばかではないから(ばかなんだけど)、
それらの誘いの送り主が、出会い系または詐欺をなりわいとしているおっさんであることは知っている。
もちろんNくんだってばかではないから(ばかなんだけど)、
それらの誘いの送り主が、出会い系または詐欺をなりわいとしているおっさんであることは知っている。
「じゃあなんで誘いに乗るんだよ?」
ぼくの問いに対して彼は、きっぱりと云った。
「でも万にひとつ、ほんとにエッチな出会いを求めているかわいい女の子からの誘いだったなら。きっと彼女は、すごく勇気を出してメールを送ったと思うんだ。そのけなげな想いを無駄にさせるなんて……おれにはできないっ!」
ジェ、ジェントルマンっ……!
本当の優しさとは、きっとこういうことをいうのだろう。
その手のメールは即座にごみ箱に放り込んでいるぼくのような小市民からすると、会ったこともない(そして実在するかどうかもわからない)淫乱女のために大量のスパムメールを甘んじて受け入れる彼は、まるで光源氏のようにまばゆい存在である。
そして光源氏のようにエロい。
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