2016年3月7日月曜日

【エッセイ】男子における「かっこいい」の信憑性に関する考察

 気をつけて
振り込め詐欺と
「かわいい子」

もはや、こんな標語を県警がつくってもおかしくないぐらい、女が別の女を形容するのに使う「かわいい子だよ」は信用ならないということは定説になっている。

同じく、男子のいう「かっこいい」もまったく信用ならない。
でかいバイクとか、格闘技とか、B'zとか、男子のいう「かっこいい」は、よく見ると「ん? かっこいいの? 短パンじゃん」としか思えないことが多い(単なるB'zの悪口じゃないか)。

かくいうぼくも、若い頃はかっこよさをはきちがえてずいぶん無茶をしたもんだぜ。



8歳のときだった。
当時のぼくは、ごくごくふつうの男子小学生で、つまり学校では体育と休み時間と給食のことしか考えていなかった。

給食では、毎日必ず瓶に入った牛乳が出た。
主食がパンの日はもちろん、ごはんのときでも牛乳が出た(それでよく学校は『食育の重要性』とか語れるな)。

牛乳瓶には紙のふたがついており、その上に、きっとほこりがつくのを防ぐためだろう、薄紫色のビニールがかけられている。

 

どういういきさつかは覚えていないが、あるとき、同じ班の友人とぼくは、その薄紫ビニールを食べることができるかどうかという話になった。
友人は、これは食べ物じゃないから食べられないと言った。
ぼくは、いいや食べることができる、だからこれは食べ物と見なしていい、と言った。

ぼくは聡明な少年だったので、
「任意の対象が食べられないという主張に対する反証を示すためには、実際に食べてみせるのがいちばんである」という科学的実証主義に基づいた行動を起こした。

つまり、ビニールを食べた。
口に入れ、そのままごくんと飲みこんだ。

その後、口を開けて友人に口内を見せ、たしかに飲みこんだことを明らかにした。
決定的な例証を挙げることで、見事、論争に勝利したのである。
やったぜ科学の子。

ぼくの班は騒然となった。
すげえ!
ほんとにビニール食べたぞ!

騒ぎを聞きつけて、他の班の子らもぞくぞくと集まってきた。
ほんとかよ。
おれ見てなかったよ。
もう一回食べてみてくれよ。

もちろんぼくは引き受けた。

再現性・検証可能性があってこそ、はじめて科学と呼べるのだ。

友人からビニールをもらい、口に入れた。
慣れてきてコツをつかんだので、さっきよりもかんたんだ。
ごくり。

おおぉー!
男子の間から歓声が上がる。

今にして思えば、「おおぉー! ゴリラがうんこ投げたぞー!」ぐらいの珍奇な行動に対する歓声だったのだろうが、当時のぼくにはそれが称賛の声に聞こえた。

羨望の眼差しを感じる!
羨望の眼差ししか感じない!

「もう一個!」
「二個いっぺんはどうだ!?」

次から次へと差しだされる紫のビニール。

颯爽と大階段を降りてくるタカラジェンヌのエレガントさで、ファンから手渡される紫のビニールを受けとり、ひとつまたひとつとのどの奥に押しこんでゆく、ぼく。

ぼくは今、最高にかっこいい……!

みんな見てくれ!
男子も女子も!
ぼくは! 今! 誰も食べないビニールを!
食 べ て い る !!



誰も成しえないことを成しとげて、その場の全員の注目を一身に集める。
そんな経験、ぼくの人生において二度と訪れることはないだろう。

翌日腹痛で学校を休んだことさえのぞけば、まちがいなくあれはぼくの人生の中で最も光輝いていた瞬間だったと今になって思う。
(しかし今考えると、のどに詰まったらと思うと相当危険なチャレンジだった。はらいたくらいで済んでよかった)

そして、男子の考えられる「かっこいい」はまったく信用おけないということも、今になって思う。

2016年3月6日日曜日

【エッセイ】きれいな神戸には毒がある

大阪=怖い街
神戸=上品でおしゃれな街

生まれも育ちも神奈川の友人が、こう語っていた。

とんでもない!

ぼくは大阪と神戸のちょうど真ん中ぐらいで生まれ育ったので、大阪も神戸もよく知っているが、神戸のほうがはるかに怖い。

たしかに、大阪にはちょっとばかり注意を要するところが少なくない。
ガラの悪い兄ちゃんばかりの街もあるし、薬剤師でも取り扱ってはいけないタイプの薬を服用している人が珍しくない地域もある。

でも、そういう人は見ればわかる。
その手の人は、わかりやすく刺青を見せていたり、街中で大声で演説をしていたりする。
だから百メートル先から見ても「ああこりゃやばいな」とわかる。

大阪の人は自己主張が強いので、わざわざ「わたしは危険ですよ。近寄らないほうがいいですよ」とアピールしてくれているのだ。
毒キノコが見るからに毒々しい色をしているのと同じで、これはとても親切な設計だ。

ちなみに、昼間から公園でビールやワンカップを飲んでいるおじさんも多いが、これはただの酒好きであって、無害な人がほとんどだ。
ぼくの経験上、ほんとに気をつけなければならないのは屋外でチューハイを飲んでいるおじさんだ。
これは、ほんとはお酒が好きなわけではないのに、何かから逃げようとして無理して飲んでいるおじさんだから、距離をとったほうがいい。


少し話はそれた。神戸の話をする。

神戸では、怖い人がわからない。

大阪の場合は危ない場所とそうでない場所がなんとなく分かれているのだが、神戸は混ざりあっている。
三宮駅周辺というのが神戸最大の繁華街だが、ここは中学生がショッピングに来るエリアでもあるし、暴力団員がうろうろしているエリアでもある。雰囲気の良いカフェや結婚式場も多いし、風俗店も多い。
すべてが同じ場所にある。

おまけに、神戸の人は上品でおしゃれなので、おしゃれな服で内面の危なさを隠してしまうのだ。
だから見ただけでは危険な人かどうかがわからない。見た目はかわいいのに強い毒を持っているモウドクフキヤガエルみたいなやつらなのだ。


だから、駅前を歩いているスーツのおじさんが、部下の結婚式に向かう会社のお偉いさんなのか、その付近に本部がある日本最大の暴力団のお偉いさんなのかがわからない。
ほんとに怖い。


こないだ三宮駅前を歩いていると、もめごとがあったらしく、警官が集まっていた。
見てみると、身長190センチくらいの外国人の大男と、きちんとスーツを来た小柄なおじさんが揉めているようだった。
喧嘩でもしたのだろうか、顔から流血していた。

それだけでもなかなかの事件なのだが、ぼくが驚いたのは顔から流血しているのが、小柄なおじさんのほうではなく、身長190センチの外国人のほうだったということだ。

何があったんだ。
あのおじさんは何者なんだ。

ほんと、神戸は油断ならない街ですよ。

2016年3月4日金曜日

【ふまじめな考察】ネジのささったモンスター

フランケンシュタインは、ほんとはモンスターの名前ではなくそれを生みだした人の名前で、モンスターのほうには固有の名前がない。
にもかかわらず、ぼくらが「フランケンシュタイン」と聞いてイメージするのは、あの顔色の悪いネジのささったモンスターのほうだ。

ああ、かわいそうなフランケンシュタイン。
モンスターを作りだしたがゆえに、後世の人からモンスター扱いされてしまうなんて。


発明者の名前が、そのまま発明品の名前になるケースはよくある。

レントゲンとかベルとかサンドウィッチとか。
自分の死後何百年も自分の名前を呼んでもらえるなんて、さぞかし発明家冥利に尽きるだろう。

でも、うらやましいことばかりじゃない。

たとえばギロチン。
ギロチンは、罪人が苦しまずに死ねる処刑方法を考えだした医師の名前に由来しているらしい。
でも、せっかく苦しまない方法を考えたのに、残酷なものの代名詞として後世に名を残してしまっている。

ああ、かわいそうなギロチン。

いやいや、ギロチンなんてまだいいほうかもしれない。
レオタードやブルマーやコンドームも、人名に由来しているらしい。

自分の発明品のせいで、親族一同が避妊具の名称で呼ばれることになったりしたら、子孫たちに顔向けができない。

ああ、かわいそうなコンドーム。


というわけで、ぼくが先日発明した「女性の服だけ透けて見えるメガネ」は、子孫がその名前で呼ばれていらぬ恥をかくことがないよう、世間に発表しないことにしました!
そして、自分ひとりでこっそりと楽しむことにしました!

2016年3月3日木曜日

【読者感想】大阪大学出版会 『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』


『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』(大阪大学出版会)を読む。
大阪大学ショセキカプロジェクトという試みで、阪大の学生が企画を考え、教授たちが執筆するという形で作った本らしい。


誰もが常々頭を悩ませている(?)「ドーナツを穴だけ残して食べるにはどうしたらいいか」という問題に対し、工学・美学・数学・精神医学・歴史学・人類学・化学・法学・経済学らの教授、准教授らが、それぞれの専門分野から解き明かそうとした一冊だ。

こういう学際的な試みは好きなのでわくわくしながら読んだのだが、残念ながら肝心の中身はイマイチおもしろくなかった


工学教授の「口とナイフと旋盤とレーザーを使ってドーナツをどこまで削ることができるか」という章。

数学教授による「4次元以上の空間を想定して、ドーナツの穴を認識させたままドーナツを食べる方法」の章。

法学教授の「ドーナツという語の定義をめぐって争われた裁判例によれば単にくぼみのある形状であればドーナツと呼べるので、穴のあいてないドーナツを作ってその中央部分を食べる」の章。
それぞれたいへんおもしろかった。

だが。
ほとんどの執筆陣は早々に逃げを打っており、ドーナツの穴を食べる方法を論じていない。

「ドーナツ化現象から生じる事態」とか、
「ドーナツ型オリゴ糖『シクロデキストリン』のはたらき」とか、
むりやりドーナツとからめて自分の専門分野に逃げ込んでいるだけだ。

基本的に論文というものは自分の書きたいものを書くので、論文ばかり書いている大学教授はすぐに逃げに走ってしまうのかもしれない。


「テーマからはずれているので軌道修正してください」と、こうしたごまかしを許さない編集者がいればずっとおもしろくなったはずなのに(偉大なるブレイクスルーというものは制約の中から生まれる)、学生が教授に執筆依頼するという形態のせいで、厳しいチェック体制は期待できない。

教授と学生による書籍化プロジェクトという試みはおもしろかっただけに、半端な小論文としてまとまってしまったのが残念。

編集機能に穴を残したまま出版してしまったんだな。
ドーナツだけに……。

2016年3月2日水曜日

【エッセイ】2011年の新卒採用面接は地獄だった

 人事の仕事をしている知人が、
「2011年の新卒採用面接は地獄だった」
と語っていた。

 「どうしてですか」

「ほら、東日本大震災の直後だっただろ。だから『わたしはボランティアに取り組み~』ってやつばっかりなんだよ。ほんとつまんない。
 そりゃ多かれ少なかれボランティアしたのかもしれないけど。でも話す内容も同じようなことばっかだし。あれはつらかった」

 「なるほど。それを延々聞かされるのはたしかに苦痛ですね」

「だろ? あまりにもうんざりしたから、しまいにはボランティアって言葉を出した学生をかたっぱしから落としてやったよ。はっはっは!」

 「ひどい! ひどいけどその気持ちわかる!」

「でもさあ。そのときボランティアアピールがうっとうしいから落とした学生たち、採用しとけばよかったかなって、今になってちょっと後悔してんだよね」

 「やっぱりかわいそうに思えてきたんですか」

「いやぜんぜん」

 「え?」

「だってさ。安易に学生ボランティアするってことは、自分の労働の価値を安く見積もってるわけだろ? そういうやつは会社に入ってからこき使っても文句言わなさそうだし」

 「……」

「それにさ。まともな頭があれば、ど素人が被災地にボランティアに行くよりも、その時間にバイトでもして、バイト代を寄付したり、バイト代で被災地に旅行に行ってお金を使うほうが復興の役に立つってわかるわけでしょ?
 それがわかんないようなやつらだから、扱いやすいんじゃないかなって。目先に安いエサぶらさげときゃ都合よく動いてくれると思うんだよね。
 だからそういう安易な学生ボランティアも会社のために二、三人とっときゃよかったなって思うんだよね」

 「ひどい! ひどいけどたぶん正論!」