2016年3月3日木曜日
【読者感想】大阪大学出版会 『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』
『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』(大阪大学出版会)を読む。
大阪大学ショセキカプロジェクトという試みで、阪大の学生が企画を考え、教授たちが執筆するという形で作った本らしい。
誰もが常々頭を悩ませている(?)「ドーナツを穴だけ残して食べるにはどうしたらいいか」という問題に対し、工学・美学・数学・精神医学・歴史学・人類学・化学・法学・経済学らの教授、准教授らが、それぞれの専門分野から解き明かそうとした一冊だ。
こういう学際的な試みは好きなのでわくわくしながら読んだのだが、残念ながら肝心の中身はイマイチおもしろくなかった。
工学教授の「口とナイフと旋盤とレーザーを使ってドーナツをどこまで削ることができるか」という章。
数学教授による「4次元以上の空間を想定して、ドーナツの穴を認識させたままドーナツを食べる方法」の章。
法学教授の「ドーナツという語の定義をめぐって争われた裁判例によれば単にくぼみのある形状であればドーナツと呼べるので、穴のあいてないドーナツを作ってその中央部分を食べる」の章。
それぞれたいへんおもしろかった。
だが。
ほとんどの執筆陣は早々に逃げを打っており、ドーナツの穴を食べる方法を論じていない。
「ドーナツ化現象から生じる事態」とか、
「ドーナツ型オリゴ糖『シクロデキストリン』のはたらき」とか、
むりやりドーナツとからめて自分の専門分野に逃げ込んでいるだけだ。
基本的に論文というものは自分の書きたいものを書くので、論文ばかり書いている大学教授はすぐに逃げに走ってしまうのかもしれない。
「テーマからはずれているので軌道修正してください」と、こうしたごまかしを許さない編集者がいればずっとおもしろくなったはずなのに(偉大なるブレイクスルーというものは制約の中から生まれる)、学生が教授に執筆依頼するという形態のせいで、厳しいチェック体制は期待できない。
教授と学生による書籍化プロジェクトという試みはおもしろかっただけに、半端な小論文としてまとまってしまったのが残念。
編集機能に穴を残したまま出版してしまったんだな。
ドーナツだけに……。
2016年3月2日水曜日
【エッセイ】2011年の新卒採用面接は地獄だった
人事の仕事をしている知人が、
「2011年の新卒採用面接は地獄だった」
と語っていた。
「どうしてですか」
「ほら、東日本大震災の直後だっただろ。だから『わたしはボランティアに取り組み~』ってやつばっかりなんだよ。ほんとつまんない。
そりゃ多かれ少なかれボランティアしたのかもしれないけど。でも話す内容も同じようなことばっかだし。あれはつらかった」
「なるほど。それを延々聞かされるのはたしかに苦痛ですね」
「だろ? あまりにもうんざりしたから、しまいにはボランティアって言葉を出した学生をかたっぱしから落としてやったよ。はっはっは!」
「ひどい! ひどいけどその気持ちわかる!」
「でもさあ。そのときボランティアアピールがうっとうしいから落とした学生たち、採用しとけばよかったかなって、今になってちょっと後悔してんだよね」
「やっぱりかわいそうに思えてきたんですか」
「いやぜんぜん」
「え?」
「だってさ。安易に学生ボランティアするってことは、自分の労働の価値を安く見積もってるわけだろ? そういうやつは会社に入ってからこき使っても文句言わなさそうだし」
「……」
「それにさ。まともな頭があれば、ど素人が被災地にボランティアに行くよりも、その時間にバイトでもして、バイト代を寄付したり、バイト代で被災地に旅行に行ってお金を使うほうが復興の役に立つってわかるわけでしょ?
それがわかんないようなやつらだから、扱いやすいんじゃないかなって。目先に安いエサぶらさげときゃ都合よく動いてくれると思うんだよね。
だからそういう安易な学生ボランティアも会社のために二、三人とっときゃよかったなって思うんだよね」
「ひどい! ひどいけどたぶん正論!」
「2011年の新卒採用面接は地獄だった」
と語っていた。
「どうしてですか」
「ほら、東日本大震災の直後だっただろ。だから『わたしはボランティアに取り組み~』ってやつばっかりなんだよ。ほんとつまんない。
そりゃ多かれ少なかれボランティアしたのかもしれないけど。でも話す内容も同じようなことばっかだし。あれはつらかった」
「なるほど。それを延々聞かされるのはたしかに苦痛ですね」
「だろ? あまりにもうんざりしたから、しまいにはボランティアって言葉を出した学生をかたっぱしから落としてやったよ。はっはっは!」
「ひどい! ひどいけどその気持ちわかる!」
「でもさあ。そのときボランティアアピールがうっとうしいから落とした学生たち、採用しとけばよかったかなって、今になってちょっと後悔してんだよね」
「やっぱりかわいそうに思えてきたんですか」
「いやぜんぜん」
「え?」
「だってさ。安易に学生ボランティアするってことは、自分の労働の価値を安く見積もってるわけだろ? そういうやつは会社に入ってからこき使っても文句言わなさそうだし」
「……」
「それにさ。まともな頭があれば、ど素人が被災地にボランティアに行くよりも、その時間にバイトでもして、バイト代を寄付したり、バイト代で被災地に旅行に行ってお金を使うほうが復興の役に立つってわかるわけでしょ?
それがわかんないようなやつらだから、扱いやすいんじゃないかなって。目先に安いエサぶらさげときゃ都合よく動いてくれると思うんだよね。
だからそういう安易な学生ボランティアも会社のために二、三人とっときゃよかったなって思うんだよね」
「ひどい! ひどいけどたぶん正論!」
2016年3月1日火曜日
【エッセイ】パンツマン
今日も妻から「パンツ姿でうろうろしないで」と怒られた。
うん、でも、ちょっと待って。
たしかにうろうろした。
先週の水曜日もうろうろしたし、建国記念の日にもうろうろした。
だけど聞いてくれ妻よ。
ぼくだって好きでパンツ歩きをしていたわけじゃない(好きでするときもあるけど)。
風呂に入ろうと思った。
脱衣場で服をすべて脱いだところで、パジャマを忘れたことに気がついた。
そこでぼくは、居間にいる妻を気遣い
“ わ ざ わ ざ パ ン ツ を 履 い て ”
パジャマを取りに行った。
はいここ重要。
とても重要。
赤いマーカー引いといて。
引きすぎて下の文字がにじむぐらい引いといて。
辺り一帯引いてどこがほんとに重要なのかわかんなくなるぐらい引いといて。
そう。
ぼくは服を脱いでパンツマンになったんじゃない。
パンツを履いて、パンツマンになったの。
これ、似ているようで180度ちがうからね。
言ってみりゃプラスのパンツ。
だってね、考えてもごらんよ。
街中で、突然おじさんが服を脱いでパンツ一丁になったらみんなどう思う?
怖いよね。
嫌な気持ちになるよね。
でも、街中に全裸のおじさんがいて、そのおじさんがパンツを履いてパンツ一丁になったらどう思う?
ほっとするよね。
ああよかった、って思うよね。
そうゆうこと。
これがプラスのパンツの力。
だからパンツ履いてくれてありがとうという感謝の気持ちを夫に対して持つことが……あっはいごめんなさい余計なこと言ってないですぐ退散します!
うん、でも、ちょっと待って。
たしかにうろうろした。
先週の水曜日もうろうろしたし、建国記念の日にもうろうろした。
だけど聞いてくれ妻よ。
ぼくだって好きでパンツ歩きをしていたわけじゃない(好きでするときもあるけど)。
風呂に入ろうと思った。
脱衣場で服をすべて脱いだところで、パジャマを忘れたことに気がついた。
そこでぼくは、居間にいる妻を気遣い
“ わ ざ わ ざ パ ン ツ を 履 い て ”
パジャマを取りに行った。
はいここ重要。
とても重要。
赤いマーカー引いといて。
引きすぎて下の文字がにじむぐらい引いといて。
辺り一帯引いてどこがほんとに重要なのかわかんなくなるぐらい引いといて。
そう。
ぼくは服を脱いでパンツマンになったんじゃない。
パンツを履いて、パンツマンになったの。
これ、似ているようで180度ちがうからね。
言ってみりゃプラスのパンツ。
だってね、考えてもごらんよ。
街中で、突然おじさんが服を脱いでパンツ一丁になったらみんなどう思う?
怖いよね。
嫌な気持ちになるよね。
でも、街中に全裸のおじさんがいて、そのおじさんがパンツを履いてパンツ一丁になったらどう思う?
ほっとするよね。
ああよかった、って思うよね。
そうゆうこと。
これがプラスのパンツの力。
だからパンツ履いてくれてありがとうという感謝の気持ちを夫に対して持つことが……あっはいごめんなさい余計なこと言ってないですぐ退散します!
2016年2月29日月曜日
【映画感想】『長い長い殺人』
『長い長い殺人』(2007年)
原作は宮部みゆきの同名の小説。
原作を読んだのはもう20年以上前なのでストーリーはほとんど忘れてしまった。
覚えていることといえば、
「小説の語り手が財布」だということと、
「おもしろかった」ということだけ。
(あの頃の宮部みゆきはほんとに神がかっていた。それまでミステリといえば江戸川乱歩と赤川次郎しか読んだことのなかった中学生のぼくにとって、『我らが隣人の犯罪』『スナーク狩り』『長い長い殺人』はめまいがするほどおもしろかった)
さて。
映画『長い長い殺人』、丁寧な作りの秀作だった。
映像化にあわせてストーリーを調整しながらも、原作者のメッセージの中核となるところにはしっかりと時間を割いている。
重みを置くべきところを心得ている、というアレンジのしかただ。
10ほどの章に分かれていて、かつ章ごとに視点が変わるという独特な構成。ともすれば散漫な印象にもなりかねなかったが、そのあたりもうまく処理している。
章のたびに緊迫感のある展開を用意していて、退屈させない。
まず事件の概要を説明し、容疑者が浮上し、観客の中でもこいつが犯人だという確証が高まったところで、決定的な証拠を提示。
いよいよ逮捕かというところで容疑者の無罪を証明する完璧なアリバイを出してきてひっくり返してしまうという展開は、ほんとにスリリング。
全体的に静かな映画だったが、それがかえっていい緊張感を与えていた。
ただ惜しむらくは「語り手が財布である」必然性を感じなかったこと。
原作では、視点をころころ変えるわけにはいかないこと、事件関係者を語り手にしてしまうと情報を小出しにできないこと、といった小説特有の事情があり、いつも身近にあってプライベートな情報を多く持つ“財布”というアイテムからの視点にすることが優れた効果を生んでいた。
だが映像の場合は、視点を変えることも情報をあえて描かないことも比較的容易だから、あえて財布に語らせる必要はなかったとおもう。
「語り手が財布」というのが小説の最大の特徴だから切り捨てにくかったんだろうけど。
あと、『長い長い殺人』の重要なテーマとなっている劇場型犯罪者の心理については、20年前には斬新だったのだろうが、その数年後に、やはり宮部みゆきが『模倣犯』という金字塔的な作品が送り出した後の今となっては、正直目新しさは感じない。
ただ映画化された『模倣犯』は超がつく失敗作だったので、それと比べると『長い長い殺人』は完璧に近い映像化だといってもいいね。
2016年2月28日日曜日
【エッセイ】完全犯罪の夢
月に1回くらいのペースで、完全犯罪のトリックを思いつく夢を見る。
夢なので、起きたときにはほとんど覚えていない。
今朝も「完璧なトリックを思いついた!」と思って目が覚めた。このままだと忘れちゃう! と思ってあわててメモをとった。
だが、今メモを見たら、
・てんとう虫に糸を結びつけて飛ばすことで脱出可能
という謎の記述だけ。
おそらく密室殺人のトリックだと思うのだが、いったいこれでどうやって犯行現場から立ち去れるのかは、今となっては完全に迷宮入りだ。
1ヶ月のメモを見ると
・カーニバルの日に交通事故に見せかけて殺す
とある。
トリックもわからないし、そもそもカーニバルの日がいつなのかもわからない。
それでも、メモしたときは
「すごいトリックを思いついた! 来年の乱歩賞はぼくのものだ!」
という興奮さめやらぬまま書いているのだから、きっとすばらしいトリックだったのだろう。
とはいえ。
実際のところ、乱歩賞どころか、ミステリ小説を書こうとすら思っていない。
それどころか、最近はほとんどミステリを読んですらいない。
それなのに、どうして完全犯罪(らしきもの)の夢ばかり見るのか。
これは、誰かを殺したいという真相心理の表れなのではないだろうか。
私は、胸のうちに密かな殺意を飼っている。
あまり私を怒らせないほうがいい。
さもないと、カーニバルの日に、糸のついたてんとう虫があなたの部屋から飛び立つことになりますよ。
ふっふっふっ……。
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