同僚のA田さんは、美人なのに結婚できないまま30歳を迎えた。
彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。
そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
あの、A田さん。
100円足りないんですけど。
そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。
「A田さん、ほんとナッツ好きですね」
「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」
「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」
「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」
ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。
「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」
「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」
「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」
とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。
あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
近くの席の人たちが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。
2015年11月13日金曜日
2015年11月12日木曜日
【エッセイ】チェスとエロス
小学5年生のとき。
大人向けの本のおもしろさに目覚めつつあったぼくは、母の本棚をあさり、タイトルがおもしろそうだったのでジェフリー・アーチャーの短篇集『十二の意外な結末』を手に取った。
タイトルのとおり、十二の短篇が収められた作品。そのうち十一の作品についてはまったく記憶に残っていない。
だが『チェックメイト』だけは、鮮明に覚えている。何度も読み返した作品だからだ。
短篇小説として優れているわけではない。感動するような話ではないし、意外なオチもない。見聞が広げられたり、考えこまされたりするような小説でもない。
ではこの短篇のいったい何が10歳のぼくを惹きつけたのかというと、すごくエロかったからだ。
『チェックメイト』はこんな話だ。
ある男が、チェスクラブで美女と出会う。
ふたりは男の自宅でチェスをすることになった。
そこで男は美女からこう持ちかけられる。
私が勝ったらあなたからお金をもらう、ただしあなたが勝ったら私は一枚ずつ服を脱ぐ、と。
そして男は連勝し、約束通り美女は身にまとっているものを脱いでいくのだが、あと一回勝てばいよいよ下着を脱がせられるというところから連敗を喫し、男は大金を巻き上げられてしまう。
じつは美女はチェスのチャンピオンで、その強さを隠していたのだった……。
というお話。
大人にとってはちっともエロいストーリーではない。
だが10歳のぼくにとっては、美女が服を一枚ずつ脱いでいく描写がものすごく刺激的だった。
まだエロ本も読んだことのなかったぼくにとって、はじめて触れたエロいメディアが『チェックメイト』だったのだ。何度も読み返し、そのたびに興奮した。
日本の文学、漫画、映画、テレビにチェスの描写が出てくることはめったにない。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』ぐらいしかぼくは知らない。
また、チェスの対局をしたこともない。
だから、ぼくにとってチェスといえば、エロい美女の服を脱がすための手段であり、将棋やバックギャモンのようなテーブルゲームというより、どちらかというと野球拳に近い。
ゲームではなく、“前戯”に分類されるものなのである。
大人向けの本のおもしろさに目覚めつつあったぼくは、母の本棚をあさり、タイトルがおもしろそうだったのでジェフリー・アーチャーの短篇集『十二の意外な結末』を手に取った。
タイトルのとおり、十二の短篇が収められた作品。そのうち十一の作品についてはまったく記憶に残っていない。
だが『チェックメイト』だけは、鮮明に覚えている。何度も読み返した作品だからだ。
短篇小説として優れているわけではない。感動するような話ではないし、意外なオチもない。見聞が広げられたり、考えこまされたりするような小説でもない。
ではこの短篇のいったい何が10歳のぼくを惹きつけたのかというと、すごくエロかったからだ。
『チェックメイト』はこんな話だ。
ある男が、チェスクラブで美女と出会う。
ふたりは男の自宅でチェスをすることになった。
そこで男は美女からこう持ちかけられる。
私が勝ったらあなたからお金をもらう、ただしあなたが勝ったら私は一枚ずつ服を脱ぐ、と。
そして男は連勝し、約束通り美女は身にまとっているものを脱いでいくのだが、あと一回勝てばいよいよ下着を脱がせられるというところから連敗を喫し、男は大金を巻き上げられてしまう。
じつは美女はチェスのチャンピオンで、その強さを隠していたのだった……。
というお話。
大人にとってはちっともエロいストーリーではない。
だが10歳のぼくにとっては、美女が服を一枚ずつ脱いでいく描写がものすごく刺激的だった。
まだエロ本も読んだことのなかったぼくにとって、はじめて触れたエロいメディアが『チェックメイト』だったのだ。何度も読み返し、そのたびに興奮した。
日本の文学、漫画、映画、テレビにチェスの描写が出てくることはめったにない。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』ぐらいしかぼくは知らない。
また、チェスの対局をしたこともない。
だから、ぼくにとってチェスといえば、エロい美女の服を脱がすための手段であり、将棋やバックギャモンのようなテーブルゲームというより、どちらかというと野球拳に近い。
ゲームではなく、“前戯”に分類されるものなのである。
2015年11月11日水曜日
【エッセイ】代わりに夏休みに補修受けるんで
ということで眼科に行ったら、結膜炎だと診断された。
薬局で目薬をもらってくださいと言われる。
薬局に寄ると会社に遅刻しそうだったので、上司に電話をした。
Trrrrr……
「すみません、結膜炎になったので薬局に行ってから出社します。15分ほど遅刻します」
「ええっ! 結膜炎!?」
「はいそうです(そんなに驚くような病気か?)」
「おまえ、結膜炎って、それ出社して大丈夫なのか? うつるんじゃないのか?」
「いや、ふつうにしてたら大丈夫なんじゃないですか。医者にも特に何も言われませんでしたし」
「いやいや、うつるって。プールとか入ったりしたら」
「いやぼく、課長もご存じのとおりデスクワークなんで……」
というわけで社長、今日のプールは見学させてください!
薬局で目薬をもらってくださいと言われる。
薬局に寄ると会社に遅刻しそうだったので、上司に電話をした。
Trrrrr……
「すみません、結膜炎になったので薬局に行ってから出社します。15分ほど遅刻します」
「ええっ! 結膜炎!?」
「はいそうです(そんなに驚くような病気か?)」
「おまえ、結膜炎って、それ出社して大丈夫なのか? うつるんじゃないのか?」
「いや、ふつうにしてたら大丈夫なんじゃないですか。医者にも特に何も言われませんでしたし」
「いやいや、うつるって。プールとか入ったりしたら」
「いやぼく、課長もご存じのとおりデスクワークなんで……」
というわけで社長、今日のプールは見学させてください!
2015年11月10日火曜日
【エッセイ】優しい両替
駅前で、アジア系女性が若い男の人に声をかけていた。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。
ぼくは激しく憤った。
なんて冷たい若者だ。
こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
旅は道連れ世は情けとか、
情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
見てなさい、外人さんよ。
まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!
とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。
「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」
ほんとごめん。
薄情な若者とかいって。
あとそれ両替じゃないから。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。
ぼくは激しく憤った。
なんて冷たい若者だ。
こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
旅は道連れ世は情けとか、
情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
見てなさい、外人さんよ。
まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!
とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。
「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」
ほんとごめん。
薄情な若者とかいって。
あとそれ両替じゃないから。
2015年11月8日日曜日
【ふまじめな考察】トイレの並び順
駅のトイレに入る。個室が3つある。
あなたはどこに入りますか。
Bと答えたあなたは、相当な変わり者だ。
まあふつうはAかCだろう。
隣に人がいると用を足しにくいという人はけっこう多い。まして両隣に人がいると、すごくやりづらい。結果、真ん中は使われていないことが多い。
両端のトイレが汚くなってきても真ん中だけきれいなままだ。
もったいない。
せっかくあるのに、真ん中だけ使われない時間が長くてもったいない。
この無駄を解消するために、ぼくが考えたのはこんな並びのトイレだ。
どの個室も他の2つの個室と壁を共有している。
これで「真ん中だけが両隣に人がいる」という問題は解消された。
しかも公平を期すため面積を同じにしてある。
しかも公平を期すため面積を同じにしてある。
だが。
それでもやはり不公平感は拭えない。
それでもやはり不公平感は拭えない。
Aだけが三方に隣人を配することとなり、より閉塞感を味わうことになるからだ。
そこで考案したのが、以下の配置だ。
いかがだろう。
これなら、
「どの個室も他の2つの個室と隣り合っている」
「面積が同じ」
「形も同じ」
という条件を満たしており、実に公平だ。
おまけに個室と個室は点で接しているだけなので、「壁の向こう側でも誰かが用を足している」感覚はゼロに等しい。
おまけに個室と個室は点で接しているだけなので、「壁の向こう側でも誰かが用を足している」感覚はゼロに等しい。
唯一残された問題は「どうやってこのトイレに入るのか?」ということだけだが、これも想定済みだ。
上から降りる、下から昇る、時空のひずみを利用する、先に人を洗面所に配置してからそのまわりにトイレを作る、などいくらでも方法はある。
実用的でないことをのぞけばたいへんいいアイディアだと思うのだが、いかがだろうか?
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