2015年11月10日火曜日

【エッセイ】優しい両替

 駅前で、アジア系女性が若い男の人に声をかけていた。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
 しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。

 ぼくは激しく憤った。
 なんて冷たい若者だ。
 こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
 旅は道連れ世は情けとか、
 情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
 その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
 これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
 ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
 見てなさい、外人さんよ。
 まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
 なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!

 とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。

「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
 「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」

 ほんとごめん。
 薄情な若者とかいって。
 あとそれ両替じゃないから。

2015年11月8日日曜日

【ふまじめな考察】トイレの並び順


駅のトイレに入る。個室が3つある。
あなたはどこに入りますか。


Bと答えたあなたは、相当な変わり者だ。

まあふつうはAかCだろう。
隣に人がいると用を足しにくいという人はけっこう多い。まして両隣に人がいると、すごくやりづらい。
結果、真ん中は使われていないことが多い。

両端のトイレが汚くなってきても真ん中だけきれいなままだ。
もったいない。
せっかくあるのに、真ん中だけ使われない時間が長くてもったいない。

この無駄を解消するために、ぼくが考えたのはこんな並びのトイレだ。


どの個室も他の2つの個室と壁を共有している。
これで「真ん中だけが両隣に人がいる」という問題は解消された。
しかも公平を期すため面積を同じにしてある。

だが。
それでもやはり不公平感は拭えない。
Aだけが三方に隣人を配することとなり、より閉塞感を味わうことになるからだ。

そこで考案したのが、以下の配置だ。


いかがだろう。
これなら、
「どの個室も他の2つの個室と隣り合っている」
「面積が同じ」
「形も同じ」
という条件を満たしており、実に公平だ。
おまけに個室と個室は点で接しているだけなので、「壁の向こう側でも誰かが用を足している」感覚はゼロに等しい。

唯一残された問題は「どうやってこのトイレに入るのか?」ということだけだが、これも想定済みだ。
上から降りる、下から昇る、時空のひずみを利用する、先に人を洗面所に配置してからそのまわりにトイレを作る、などいくらでも方法はある。

実用的でないことをのぞけばたいへんいいアイディアだと思うのだが、いかがだろうか?



2015年11月6日金曜日

【ふまじめな考察】ニホンマダラビールモドキ

発泡酒とか、第3のビールとか、ノンアルコールビールとか、それぞれ本物のビールの味に近づける努力を各企業がおこなってるよね。

でもあたしに言わせれば、本物のビールの味に近づけることなんか、すっごくかんたん。
ビールとまったく同じパッケージに入れて売ればいいの。
これだけ。

まあほとんどの人は言われなきゃ気づかないだろね。
そんでビールを飲んだと思いこんで、まんまとノンアルコールビールで酔っぱらっちゃうでしょうね。
いいアイディアだと思わない?

あっ。
でも。
酔っぱらわないためにノンアルコールビールを飲むわけだから、酔わせたらだめか。


2015年11月5日木曜日

【エッセイ】ピノを勝手に食らうな

 みなさんもご存じのとおり仕事中に食べるアイスクリームのうまさは格別だから、ぼくは会社近くのスーパーでピノを買ってきてオフィスの冷凍庫に常備している。
 仕事の合間合間に「難しい案件を処理しています」みたいな顔をつくりながら冷凍庫へと足を運び、こそこそとピノを食べるのが至福のひととき。
 ピノを食うために仕事をしているといってもいいぐらいだ。

 そんなぼくのピノが、どうも知らぬうちに減っている気がする。
 はじめは気のせいかと思ったが、明らかに減っている。
 あと10個はあったはず。
 しかし、この冷凍庫を開けるのは社内の人だけだ。
 同僚を見渡してみても、勝手に他人のピノを口に入れるような育ちの悪い人はいない。

「なんかさ、冷凍庫に入れてるピノが減ってるんだよね。怪奇現象かな」
 後輩Nに向かってつぶやいた。

  「ああそれ、おれが食ってるんすよ」

「はあ!?」

  「ピノうまいですよね」

「いや知ってるけど。ピノのうまさは誰よりもよく知ってるけど。じゃなくて、ええー!? なにおまえ、冷凍庫に入ってる誰のかわかんないピノを勝手に食べちゃうの?」

  「そんなことしませんよ」

「したじゃん」

  「誰のかわかんないのは食べませんよ。犬犬さんのってわかってたから食べたんですよ」

「あーそっかー。って、ええー!?」

  「だってちゃんとピノの箱に犬犬さんの名前書いてるじゃないですか」

「そうだよね。うん、ちゃんと名前書いてるよね」

  「だから、あー犬犬さんのなんだーって思って、それで、食べました」

「いやいや意味がわかんない。そこで『それで』って接続詞を使う意味がわかんない。『にもかかわらず』でしょ。いやそれでもどうかと思うけど」

  「だって犬犬さん、よくお菓子くれるでしょ。変なおばちゃんみたいに」

「あげてるね。変なおばちゃんは余計だけど」

  「だからこのピノも、おれにくれるために買ったんでしょ」

「はあ?」

  「だからもらってもいいかなって思ったわけです」

「……。いやね、よしんばね。よしんばおまえにあげるために買ったとしてもね。もらうのと勝手にとるのは意味合いがぜんぜん違うからね」

  「“よしんば”って何ですか」

「はぁ……。わかった、じゃあ一万歩ゆずって、勝手にとったことはいいとするわ。で、何でアーモンド味ばっかり減ってるわけ?」

  「いちばん好きなんですよ、アーモンド味」

「おれも好きなんだよ! アーモンド味を食べるために525円も出してピノバラエティパックを買ってると云ってもいいぐらいにね!」

  「気が合いますね」

「なに握手求めてきてんだよ。今のやりとりから和解にはほど遠いわ!」

  「犬犬さん」

「なんだよ!」

  「これで今日は最後にするんで、もう一個だけもらっていいすか」

「あげねーし!
 しかも今日は最後ってことは明日以降も食う気だし!
 って勝手に取っとるし!
 アーモンドだし!」

2015年11月4日水曜日

【エッセイ】交換日記と文章修行


高校生のとき、同じクラスの女の子と交換日記をしていた。
ぼくの唯一の甘酸っぱいおもいでだ。

きっかけはよく覚えていない。
なぜだかわからないけど、ぼくのところに女の子から手紙がまわってきて、ふざけた返事を書いたら、それが妙にウケた。
それからというもの、「○○先生についてどう思いますか?」とか「さっきの授業中に先生が発した□□という言葉についてどう思う?」みたいな他愛のない質問状が届くようになった。
一生懸命考えておもしろおかしく質問に答えて、別の紙にこちらからも質問を書く。

口下手なぼくは話しかけることもできず、もちろんデートに誘うこともできず、交換日記だけの関係だった。
日記といってもちゃんとした日記帳に書くわけではなく、ノートの切れ端やプリントの裏に書くだけだった。
いつしかぼくは彼女に好意を持つようになったが、告白するどころか交換日記に本心を書くこともできなかった。
交換日記は半年以上続いたが、そのうちその子に彼氏ができて終わりを告げた。



ノートの切れ端、というのが緊張感があった。
ノートの切れ端ならいつでも終わらせることができる。
つまらないことを書いたら、もう返事が来ないかもしれない。
なんとなく始まった交換日記は一度途絶えてしまったら再開するのは難しい。
そのはかなさがあったからこそ、この手紙のやりとりを終わらせないようにしよう、飽きられないようにしようと、毎回毎回手を変え品を変えて渾身の文章を書いた。
文体を変え、クイズ形式にしたり会話調にしたり。わざと核心を書かずに次回への引きを作ったり、あえて誤ったことを書いて指摘させたり。そんなテクニックも使ってたったひとりの読者を引きつけようとした。
授業中にこそこそ書く手紙なので、常に先生に見つかる危険性もはらんでいる。もし見つかって読まれてもさほど恥ずかしくない文章にするような客観的な視点も要求された。

いい経験だったと今にして思う。

ぼくは今では少し文章を書く仕事をしているが、あのときほど必死に文章修行をしたことはない。今後もないだろうな。