2018年2月28日水曜日

【読書感想】桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈三〉 愛憎模様』

『上方落語 桂米朝コレクション〈三〉
愛憎模様』

桂 米朝

内容(e-honより)
人間国宝・桂米朝演じる上方落語の世界。第三巻は、「愛憎模様」。渦巻く愛蔵、とまらぬ色気。人間というものの濃さ、面白さが炸裂する。けれどもそこは落語、時代に練られて生き残ってきたかろみを兼ね備えたものを、本人による口上を添えて、堪能していただく。

桂米朝氏の落語書き起こし&解説シリーズ、第三巻。
「愛憎模様」を中心にまとめたもの、ということでおもしろさやばかばかしさが前面に出た噺よりも、じっくり聞かせる落語が多い。

落語で描かれる恋愛って、「芸者や遊女に恋をする」か「商家の若旦那が、やはり商家のお嬢さんに恋をする」みたいな話がほとんどで、庶民同士の恋愛というのはほとんど描かれない。庶民の結婚は「嫁さん紹介してくれるか、ほなもろとか」みたいな感じであっさりしている。
誰でもかれでも恋をする現代とちがって、恋愛は贅沢品だったんだろうなあ。



たちぎれ線香


道楽が過ぎたために百日の間、蔵に閉じ込められていた若旦那。久しぶりに出てみると、お互いに愛しあっていた女性が亡くなっていた……、という切ないお話なんだけど、どうもぴんとこない。
ふられたのならともかく相手と連絡がとれなくなったからといって死ぬかね、しかも恋の病で痩せ細って死ぬなんて……と、現代に生きるおっさんにはちょっとこのへんの感覚がわからない。純愛すぎて、心の汚れたおっさんには理解しがたいぜ。

誤解で人が死んでるのに、それを美談みたいに語られてもなあ……という感じ。日本版『ロミオとジュリエット』だね。共感しにくいところもよく似ている。

米朝さん自身はこの噺を「上方落語中でも屈指の大ネタ」「ドラマ構成の見事さ」「登場人物の多彩さ」「サゲがまた上々」とべた褒めしている。たしかに演じるのは難しそう。
番頭の威厳とか、はじめはちゃらんぽらんだった若旦那の成長とか、内儀さんの悲しみを押しころした語りとか、微妙な心境を表現しないといけないもんね。

米朝さんの演じる『たちぎれ線香』を聴いたことがあるが、ヒロインである小糸は話題にのぼるだけで一度も登場しない。それなのに、くっきりとした輪郭を持った魅力的な女性としてイメージが立ちのぼってきた。これぞ名人芸。



崇徳院


若旦那が恋わずらいになり寝こんでしまった。相手はどこの誰だかわからず、手がかりは彼女が書いた崇徳院(崇徳天皇)の和歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」だけ。和歌を頼りに東奔西走する熊五郎のドタバタを描いた噺。

和歌を頼りに人探しをするとはずいぶん古風な設定だが、「三百円やる」という台詞が出てくるから、明治後半ぐらいの噺だろう。明治ぐらいまではまだ「恥ずかしくて和歌を書いて贈る」という行為がギリギリ不自然ではない時代だったんだろうね。

歌を贈った良家の美男美女のラブストーリーを描くのではなく、その男女を引き合わせるために苦労する男の悲哀やおかしさを描くのがいかにも落語的。
男女が再開するちょっと手前で話が終わっているところも潔い。



三枚起請


「起請(きしょう)」というものを知らないとこの噺は理解できない。
愛情の変わらないことを互いに誓い合って書いた文書のことだが、元々は神仏への誓いを書いた文書で、破ったら神罰が当たるというから絶対に破ってはいけない約束のことだったらしい。
今の社会って「破られない約束はない」という前提でつくられているから、この「特に罰則は定めていないけどぜったいに破ってはいけない約束」というやつを実感として理解するのが難しい。

遊女が三人の男に起請を渡して結婚の約束をする。要は結婚詐欺だね。じっさいに濫造している娼妓はけっこういたらしい。で、騙されていたことに気づいた男たちが仕返しに行くが居直った女に言い負かされる、という噺。

三人揃うて来られたらしょうがないわなあ。……ハァ……書いた。書きましたがな源さん……。わてかて起請何枚も書くのは良えことやないと思てるけどなあ、このごろお客さんのほうがわたいらより一枚上にならはって、起請ぐらい書かなんだら通うてくれはれへんねん。……書いたがどないや言いなはんのん。娼妓(おやま)というのはだますのん商売にしてまんねやで、だまされるあんた方が悪いのやおまへんかいな。

この居直りようは、遊女の凄みが感じられておもしろい。


サゲの「カラス殺して、ゆっくり朝寝がしてみたい」は、高杉晋作の都々逸「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」を下敷きにしている台詞だが……、まあこれだけではよくわからんね。

「起請を破ると神の使いである鴉が三匹死ぬ」とされていたから、「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」は「たとえ他の男との約束を破ることになったとしても今はあなたと一緒にいたい」という意味。

ということで、いろんな知識がないと理解がむずかしい落語だね。
今でもキャバクラ嬢は客に気を持っているふりをするためにあれやこれやと工夫するらしいし、水商売の「だます女」「だまされる男」という構図は今も昔も変わらないから、基本的な流れは今でも理解しやすいんだけどね。



 持参金


借りていた二十円を今日中に返してくれと言われた男。なんのあてもないからどうしようと困っていたところに、不細工で妊娠中の女をもらってくれたら持参金として二十円をつけるという話を持ちかけられ、あわてて飛びつく……という噺(これだけで勘のいい人ならオチがわかるだろう)。

ストーリー自体もよくできているが、江戸時代の町人の結婚観がわかっておもしろい。
人から勧められたから「じゃあ嫁さんもらっとくか」ぐらいの気持ちで結婚してる。これは落語だから多少の誇張はあるにせよ、今よりずっとかんたんに決めていたんだろうな。親から「あんたこの高校行ったら?」と言われて「じゃあそこ受験してみよかな」というぐらいで、そんなにあれこれ考えてなかったんじゃないかな。

以前、堀井憲一郎 『落語の国からのぞいてみれば』という本の感想でこんなことを書いた。
繁殖適齢期になったら本人が好むと好まざるとにかかわらず周りの人たちがかかあを見つけてくる。相手が死んだらすぐに別の相手を見つける。今日食う分を稼ぐ。生きられなくなったら死ぬ。
動物としては江戸時代のやりかたのほうがずっと正しいよね。
「生きるうえでの目標」や「理想の自分像」や「運命の伴侶」についてあれこれ考えることこそが人間らしい営みだといってしまえばそれまでなんだけど、そうはいってもぼくたちは動物なんだから、動物的な生き方を捨ててしまっては滅びてしまう。
そうやって滅びつつあるのが今の日本の状況、かもね。

『持参金』の結婚観を見ていると、少子化の最大の原因は自由恋愛なんだろうなあ、と思う。

ところで、女性差別をする人に対して「女性をモノ扱いするな!」という言葉が投げられたりするが、この噺を聴くと江戸時代の女はモノ扱いすらされていなかったんじゃないかと思うぐらい、つくづく扱いがひどい。
女性を妊娠させた男が「結婚したくない。持参金をつけて誰かに押しつけよう」と考え、もらうほうの男も「持参金がつくならどんな女でもいいからもらおう」と言う。当の女性の意思はまったく尊重されておらず、女性の人権なんてあったもんじゃない。

ずいぶんひどい話だが、

乙「お腹に子供があったら傷ですかえ」
佐「……傷やで、そら……、嫁入り前の娘のおなかが臨月というのは、立派な傷やで」
乙「わてはそうは思わんな」
佐「そうか」
乙「そうでっしゃないか。長年連れ添うた夫婦でも、子供がなかったら、赤の他人を養子にもろうて、身代すっかりゆずる人かてあるんや。それに比べたらこっちは、片親だけでも真実物(ほんまもん)でっしゃないか。第一、向こうからこっちへ来るのに、腹へ入れてきたら風邪もひかさんで」

このあっけらかんとした感じのおかげで陰湿な感じはしない。血よりもイエを大事にしていたからこその台詞なんだろうけど、ある意味すごく進歩的な考え方かもしれんなあ。


肝つぶし


夢で見た女に恋をして、恋わずらいになった男。医者に診てもらったところ、治すには年月がそろった日(辰年、辰月(陰暦三月)、辰の日のように)生まれた女の生き肝を煎じて飲まなければならない、と言われる。その男の父親にたいへんにお世話になった男、自分の妹が年月がそろった日生まれだったことを思いだし、殺そうかと思うがやはり殺せない……という噺。

恩人の息子のために何の罪もない妹を殺そうとする、というなんともひどい話。結局殺さないけど後味がよくないので、あまり好きな噺じゃないな。

この噺、タイトルで盛大にネタバレしている。
昔はタイトルを言わずに落語をやっていたから落語のタイトルは噺家同士で伝わればいいぐらいの適当な付けられ方をした……ってのはよく聞く話だけど、さすがにタイトルでサゲがわかっちゃうのはよくない。今は寄席でもたいていタイトルを先に出すし。
せめて『生き肝』ぐらいに変えたらいいのにな。



植木屋娘


あわて者の植木屋が、お寺の自分の娘をお寺の居候である伝吉と結婚させようと画策する、という噺。
主人公である植木屋幸右衛門がなんとも魅力的。娘の幸せを願っているのだが、あわて者で思い込みが強すぎるあまり突拍子もない行動ばかりとってしまうという人物で、岡田あーみん『お父さんは心配症』を思いだした。行動の目的は正反対(『お父さんは心配症』のお父さんは娘と彼氏の交際に大反対)だけど、人物のキャラクターはよく似ている。

「きょとのあわてもん」とか「ポテレン(妊娠)」とか今では通じにくい言葉も出てくるけど、ストーリーもキャラクターもギャグもきれいにまとまっていて、今でもわかりやすい噺。
落語っていくつかの別の話をむりやりくっつけてひとつの噺にしたようなものが多いけど、『植木屋娘』はテーマが一貫していてすごく聞きやすい。



菊江仏壇


これは嫌な噺だ……。
「病気で寝込んでいる妻を見舞いに行くこともなく、芸者を連れこむ若旦那。大旦那がお見舞いに行っている隙に若旦那はどんちゃん騒ぎ。その間に妻は死んでしまうが、若旦那に対して恨み言のひとつも言わない……」
という救いようのないストーリー。

若旦那だけでなく、まじめなふりをして店の金を使いこむ番頭、酔っぱらって周囲にからむ奉公人、本妻のいない間に若旦那の家に行く芸者など、クズ野郎ばかりが登場するなかなかアウトレイジな噺だ。

番頭の正体が暴かれる意外性があったり、どんちゃん騒ぎをしていたところに旦那が帰ってくる緩急の変化があったり、物語性には富んでいるんだけどね。
ただいかんせん最悪な後味の噺なので、今ではめったに演じる人はいないんだとか。さもありなん。


かわり目


この噺、何度か聴いたことがあるけどあまり好きじゃなかった。
酔っ払いの台詞の多い落語って苦手なんだよね。『らくだ』とか。酔っ払いの台詞が聞きづらいから。かといってはっきりしゃべったら酔っ払いらしさがなくなるし。
でも本で読むと、意外と収まりのいい噺だったんだなと新たな発見。

ストーリーとしては、酔っぱらった男に車夫と女房とうどん屋が翻弄される、というそれだけの噺。

派手さはないが、酔っ払いにからまれて困惑する人力車引き、酔っ払いをうまくいなす女房、酔っ払いから逃げだすうどん屋など、キャラクターに濃淡があって、人物の描きわけがおもしろい。


故郷へ錦


いやあ、ぶっとんだ噺だ。
ある男の具合が悪い。伯父さんが尋ねてみると恋わずらいだとのこと。相手はなんと、実の母親。伯父さんは男の母親(つまり妹)に、息子に抱かれてやれと言い、母親は覚悟を決めて息子と事に及ぶ……。というなんともアブノーマルな内容。

当然ながら高座でかけられることはほとんどないらしいし(こんなのやったら客はどん引きだろう)、笑いどころもほとんどない。
消滅しかけの落語(いや、もう消滅してるかも)なので、こうやって文章で残しておくのは価値があるね。


茶漬間男


マクラで、盆屋の説明が出てくる。「盆屋」というのは昔のラブホテルで、お店の人と顔を合わせずに個室で男女が過ごせる場所だったそうだ。このへんの仕組みは昔から変わらないんだなあ。

不倫中の男女が盆屋に行こうとするが金がないことに気づき、不倫妻の家で大胆に事に及ぼうとする。その間、寝取られている夫は何も知らずに茶漬けを食べている……。という落語。

おもしろみとしては「女房が浮気をしているのに呑気に茶漬けをかきこんでいる亭主」の一点のみ。ほぼ小噺みたいな落語だね。海外にもありそうな話。


いもりの黒焼


別嬪と評判の高い米屋の娘に恋をした男。”惚れ薬”であるいもりの黒焼を使って惚れさせようとするが、誤って米俵にかけてしまい、米俵に追いかけられる……。という噺。
こういうの、昔のギャグ漫画によくあった。『ドラえもん』にもあったね。キューピットの矢。

いもりの黒焼が出てきてからよりも、前半の「一見栄、二男、三金、四芸、五精、六おぼこ、七ゼリフ、八力、九胆、十評判」という言葉(女にモテる男の条件だそうだ)をめぐるふたりの会話のほうがおもしろい。掛け合い漫才のよう。


口合小町


落語における道化役は99%が男なんだけど、これはめずらしく女がその役を担っている。

口合(ダジャレ)を得意とする女が、夫を喜ばそうと口合を披露するが、夫はあっけにとられるばかり……という噺。
ダジャレをひたすら積みかさねるだけなので、正直おもしろくない。しかも古い言葉ばかりなのでよくわからない。米朝さんの解説を読んで、活字で見て、やっと八割ぐらいわかる感じ。高座で聴いたらちんぷんかんぷんだろうな。


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桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈二〉 奇想天外』

桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈三〉 愛憎模様』

桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈四〉 商売繁盛』

桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈五〉 怪異霊験』

桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈六〉 事件発生』

桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈七〉 芸道百般』


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2018年2月27日火曜日

【DVD感想】『スーパー・ササダンゴ・マシンによるコミュ障サラリーマンのためのプレゼン講座』



『スーパー・ササダンゴ・マシンによるコミュ障サラリーマンのためのプレゼン講座』

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
プレゼンしか能のない覆面プロレスラー、スーパー・ササダンゴ・マシンのプレゼンテクニックを収めたDVD。会社で自分は何ができるのか、サラリーマンが「自分をプレゼンする」時や「企画を通したい」時のテクニックを収録。

「趣味・特技はプレゼン。苦手なものはプロレス活動全般」だという覆面レスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンによるプレゼンを収めたDVD。

スーパー・ササダンゴ・マシン氏はプロレスラーでありながら新潟で金型工場を運営する会社の専務取締役も務めているという異色の経歴で、パワーポイントを駆使した巧みなマイクパフォーマンスで有名な覆面レスラーだ。
ぼくはプロレスにまったく興味がないが、YouTubeでササダンゴ氏のプレゼン(「煽りパワポ」というらしい)を観て、たちまちその完成度の高いパワーポイントと上質なユーモアの虜になった。

ふつうスポーツ選手は巧みなトークは求められないけど、プロレスはショーなのでマイクパフォーマンスで観客を惹きつける話術が必要になる。
身体と頭を使わないといけないからたいへんな商売だなあ。



このDVDに収録されている内容は以下の通り。

1.VS プロレス専門誌「発行部数を飛躍的に伸ばす方法」

2.VS 世界的飲食企業「より幸せな企業にするための新メニュー」

3.VS コミュ障な自分「一人で焼き肉をおいしく食べる方法」

内容をよく見ずにDVDを購入したので「スーパー・ササダンゴ・マシンの得意技である『煽りパワポ』が収録されてないのか……これはハズレかもな」と思いながら観たのだが、いやいや、これはこれで十分におもしろい内容だった。
いたってまともなプレゼンなのに、覆面レスラーが言っているという絵だけでもう笑える。

パワーポイントって「笑い」との相性がすごくいいよね。『バカリズム案』などのライブでも多用されてるけど、パワポはビジネスや学会などで使われる「お堅いもの」というイメージがあるからか、ごくごく標準的なMS Pゴシックでボケるだけで、おかしさが五割ぐらい増す気がする。



特に日本KFCホールディングス(ケンタッキーフライドチキンの会社)を訪問して広報部や商品開発部などの偉いさん相手に新商品の提案をおこなうパートは見応えがあった。

毎日新しいメニューを考えている人たちに向かって「まずはケンタッキーフライドチキンの概要について……」なんて釈迦に説法もいいところだが、KFCの社員たちがすごく真剣にプレゼンを聴き、ときにはスーパー・ササダンゴ・マシンの言葉をメモする姿で笑いをこらえられなかった。
「チキンとチキンでチキンを挟んだ新製品」なんてバカみたいな提案に対して、真正面から「実現可能か」「マーケット規模はどの程度か」「味や安全性は担保できるか」といった議論をしているのがめちゃくちゃおもしろかった。いい会社だなあ。

聴衆の反応も良かったし、ほどよく緊張感もあって、これぞ理想的なニッポンのプレゼン、って空気だった。



他の二編にもふれておくと、『週刊プロレス』編集部へのプレゼンは、相手が少人数、しかも顔なじみということでやや緊張感に欠けるものだった。
パワーポイントの中身は良かったので、もう少し大きい会場でやってたらさらにおもしろかったんだろうな。

「一人焼肉のプレゼン」は『孤独のグルメ』みたいにしたかったんだろうけど、焼肉に視点がいってしまう分、プレゼンの印象が弱かった。
そもそもプロレスラーが焼肉を食っている映像自体が退屈だった。プロレスラーと焼肉、という取り合わせにまったく違和感がないからねー。女性ばっかりのスイーツバイキングとかだったらもうちょっと面白味があったかも。



ぼくは人見知りなので親しい人以外と一対一で話すのは苦手なんだけど、大勢の前で話すのは平気だ。学生時代は生徒会長をやっていたし、友人の結婚式二次会の司会を務めたこともある。数十人、数百人の前で話すとひとりひとりの反応が気にならなくなるのでかえって気楽にできる。

今も仕事でたまに客先でプレゼンをすることもあるけれど、即興で話せるような才覚はないから、スピーチをするときは一字一句詳細な原稿をつくって、「ここで軽く笑いをとる」「ここは簡潔に説明してさらっと流す」と入念に構成を考える。

そういう人間にとってササダンゴ氏のプレゼンは大いに参考になった。

まずはじめにこれから話す内容の道筋をきっちり説明する。
本題はまじめに進めながらも細部ではユーモアを交える。
さまざまなマーケティング手法を使いながらも極力専門用語は使わずに平易な言葉を使って説明。
「WEB戦略の強化」みたいな安易な提案に逃げずに常に独自の切り口で提案。
……と、つくづく勉強になる。

これは企業の新人研修の教材にも使えるんじゃないでしょうか。


2018年2月26日月曜日

記録を残していたことの記録


十五歳から二十歳くらいまでの時期、「記録を残す」ことに憑りつかれていた。


毎日日記をつけていた。

買い物をしたら必ずレシートを持ち帰り、ノートに記録していた(集計はしない。ただ記録するだけ)。

常にインスタントカメラを持ち歩いて、何かあるたびに写真を撮った。

読んだ本のタイトルと感想をすべてノートに記録した。

高校で席替えをするたびに、座席表を記録して自宅の机に置いていた。

ノート、手紙、メモなどの類はすべて捨てずに保管していた。

大学生になって初めてアルバイトをして(高校はアルバイト禁止だった)、最初に給料を貯めて買ったものはビデオカメラだった。
型落ちのモデルで十七万円した。もちろんデジタルじゃない。清水の舞台から飛び降りるような買い物だった。今調べてみたら、一万円以下で買えるデジタルビデオカメラがたくさんあって驚いた。



高校生のときの日記を読むと
「9時に起床。10時半に家を出て、××駅で××と待ち合わせ。JR××線に乗って11時40分に××に到着。××で昼食をとり……」
と、気持ち悪いぐらい克明に記録している。刑事が尾行記録を警察手帳に書くときぐらいの細かさだ。

こういう日記を毎日つけていると、常に日記を書くことを想定して行動するようになる。行動の節目節目に時計を見て時刻を確認し、集団で行動するときは人数を数えて日記を書くときに漏れがないように気を付ける。
一日家にいたときなどは「このままだと日記に書くことがないな。ちょっと散歩でもするか」と行動を起こすこともあった。
日記のために行動するのだ。
インスタグラムに写真を載せるために出かける人たちのことを笑えない。というか誰にも見せない日記のために行動するほうがヤバい気がする。

日記は今もつけているが、次第に短くなっていき、今では「仕事の後、子どもとカルタをして遊ぶ」ぐらいの短いものだ。



なぜあんなに記録を残すことに執着していたのだろう。

きっと「何者でもない自分が、何者でもないまま死んでいく」ことに耐えられなかったのだと思う。

功成り名遂げることができなかったらどうしよう。そういう不安を紛らわすために、必死になって生きた痕跡を残そうとしていた。それが日記であり、写真であり、読書の記録だった。

最近はそこまでじゃない。
日記は短いものだし、買い物記録はやめてしまったし、写真を撮ることは減った。
読書感想はブログに書いているが、これは他人に読まれることを想定してのものだ。自分のためだけには書いていない。

何かを成し遂げたわけではない。今でもあっと驚かせるようなことをして世間に名前を轟かせたいという気持ちがないわけではないが、そうでない生きかたもまた良し、と思えるようになった。
娘が生まれたからでもあるし、人間は遺伝子の乗り物にすぎないと知ったためでもある。歳をとるとみんなそうなっていくのかもしれない。


今はあまり記録を残していないけど、昔の記録を見るのはすごく楽しい。

高校生のときの日記とか写真とか最高におもしろい。つくづく残しておいてよかったと思う。

特に座席表はおすすめ。同窓会とかで見せたらめちゃくちゃ盛り上がる。


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距離のとりかた

自分の人生の主役じゃなくなるということ



2018年2月25日日曜日

西方浄土


関西に住んでいる人はどうも「西に行きたい」願望があるようだ。

周囲の人の話を聞いても、国内旅行というと四国とか九州とか広島とかが多い。
東にはあまり行かない。東京、横浜、ディズニーランド、北海道といったメジャーな場所には行くが、それ以外の東北・関東・東海・北陸にはあまり行かないようだ。

書店で働いていたときも、『るるぶ東北』『るぶ金沢』よりも『鳥取』『松山』などのほうがよく売れていた。
距離だけの問題でもないと思う。大阪ー静岡間と大阪ー広島間の距離はほとんど同じだと思うが、「広島に旅行に行く大阪人」は「静岡に旅行に行く大阪人」の倍くらいいると思う。知らんけど。



ぼくは両親が旅行好きだったこともあって子どもの頃はよく旅行に連れていかれたけど、兵庫県東部に住んでいたぼくの家族が行った場所はといえば、倉敷、岡山、瀬戸内海の島、鳥取、香川、徳島、福岡、熊本、佐賀、別府、長崎、など見事に西方面ばかりだった。
父親が単身赴任をしていたときに横浜に行ったけど、それ以外には東方面へ旅行したことがない。
修学旅行の行き先も、小学校は広島、中学校は長崎だった。


就職活動をしていたとき、ほとんどゆかりがないにも関わらず「四国で一生過ごすのもいいな」という気持ちが突如として湧いてきて、愛媛や高松の企業を受けてまわったことがある(結局四国には就職しなかったが)。

自分自身のことを思い返しても、やはり西方面に引き寄せられる傾向があるようだ。

仕事で東京に行くことが多いからこそ、旅行のときは逆方面に行きたくなるのかもしれない。



菅原道真が大宰府(福岡県)に流されたり、平家が壇ノ浦(山口県)で敗れたり、光源氏が須磨(兵庫県)に流されたり、京都に都があった時代から、みんな西に行ってばかりいる。行かされてるんだけど。
東に行った話といえば、晩年の源義経が追われて平泉(岩手県)に逃げたぐらいしか思いつかない。

上方落語には「東の旅」と呼ばれるいくつかの噺があるが、ここでいう「東」とは伊勢神宮、つまり今の三重県のことだ。

今でも関西の人は三重にはわりと行く(三重県は近畿地方には含まれるが関西には含まれない、というなんとも微妙なポジションだ)。ぼくも二度旅行に行ったことがある。

上方の人にとっての「東」は三重までで、そこから先はごうごうと滝が流れ落ちている暗黒の地なのだ。それは今でも同じかもしれない。


2018年2月24日土曜日

工事現場で遊んでいる男子小学生



小学五年生のとき、毎日のように工事現場で遊んでいた。
近くにあった小さな山が造成され、百軒分ぐらいの住宅地になった。

空き地がずらっと並び、常に建設工事がおこなわれていた。

ぼくと友人たちはそのあたりに捨てられている板や釘を拾ってきて、石で釘を打って遊んでいた。

はじめは小さな木片や曲がった釘を拾っていたのだが、だんだんエスカレートしていった。
拾うものは少し大きめの板になり、錆びたのこぎりになり、やがて金づちや新品同様の釘になった。たぶん捨てられていないものも混ざっていたと思う。盗みだ。

それらを空き地の隅っこに隠しておいて、拾い集めた材料で椅子や箱を作っていた。
大工のおじさんたちもぼくらの存在には気づいていたはずだが、ごみで遊んでいるだけだと思っていたのだろう、何か言われたことは一度もなかった。

車輪も手に入った。
工事の際、道具を運ぶのに使っていたのだろうか。
拾った車輪に板をくっつけて、車をつくった。子どもがひとりだけ入れるぐらいの、半畳ほどの大きさの車。
車が完成したときはうれしかった。さっそく乗りこみ、坂道を滑走した。木片と車輪をくっつけただけの手作りの車で、車道をがんがん走る。もちろんブレーキもハンドルもない。無謀すぎる。

スピードが乗ってきたところで、向こうから自動車がやってくるのが見えた。
やばい。どうしよう。
そのときになってはじめて「車道を走っていたら車に出くわす可能性がある」ということに気がついた。小学五年生の男子ってそれぐらいばかなんです。
急いで車から飛び降り、手作り車をつかむ。間一髪、自動車にぶつかる前に止まった。

工事現場には危険がいっぱいだ。
釘を踏んで足の裏に大けがをしたやつもいたし、石で釘を打ちつけるときに誤って自分の指を叩いてしまうことなんて日常茶飯事だった。ぼくは爪が割れて、しかも消毒もせずに遊びつづけていたから化膿した。

何を考えていたのだろうか。もちろん先のことなんて何も考えていない。
男子小学生だったことのある人ならご存じだと思うが、彼らは十秒先ぐらいのことまでしか考えられないのだ。

発煙筒が落ちていたので焚いてみたら警察官が来てこっぴどく怒られたが、工事現場で怒られたのはそれ一回だけだった(もっとあったけどばかだから忘れているのかもしれない)。


みなさん、工事現場で遊んでいる男子小学生を見かけたら、きちんと叱ってやってほしい。彼らのために。やつら、ばかだから怒られないとわからないんです。怒られてもわかんないけど。