2018年1月19日金曜日

少子化が解決しちゃったら


やれ児童手当だ、やれ待機児童だとみんながお題目のように「少子化対策」と言ってるけど、みんなほんとは気づいてるんでしょ?

消費が増えないとか、格差が拡大してるとか、保険料が高いとか、そういうのの原因は少子化じゃないってことに。
もしも今から子どもがどんどん増えたとしたら、状況は今よりもっと悪くなるってことに。

子どもなんか金は稼げないわ、医療費や教育費はかかるわ、少なくとも格差是正や社会保障費の負担減やらにはちっとも寄与しない。というかマイナスでしかない。
消費拡大にはちょっとは貢献するだろうけど、ほとんどの人は使い道がないからお金を使わないんじゃない。お金がないから使わないだけだ。子どもに金を使うならその分他への支出を削るだろう。

人口が増えたら、住宅難、食糧難などで生活水準は下がる。たぶんいいことより悪いことのほうが多い。


問題はどう考えたって少子化じゃなくて高齢化のほうだ。
仮に子どもが増えて人口が増減なしだったとしても、高齢者が増えて非生産人口が増えれば、平均的な暮らしぶりが良くなるはずがない。稼ぐ人の数が減って使う人が変わらないんだもの。

そもそも少子化と高齢化ってまったくべつの問題なのに「少子高齢化」なんてまとめて語られることがどうもきな臭い。ほんとの問題から目を背けさせたい人がいるんじゃなかろうか。
だからって年寄りを殺せとは思わないけど(将来殺されたくないし)、少なくとも問題の原因ははっきりさせとかないと適切な対処もできないと思うんだけどね。

「少子高齢化」みたいな乱暴な言葉が許されるなら、「少子高画質化」とか「少子ワイヤレス化」とか「少子実写アニメ化」とか、なんでもええやんねえ。


2018年1月18日木曜日

京都生まれ京都育ちの韓国人


学生時代、北京に一ヶ月ほど短期留学していた。
とにかく安いプランを探したところ大学寮の二人部屋に泊まるのがいちばん安かった。すぐに申し込んだ。

寮に着いてから後悔が始まった。
二人部屋。
ただでさえ人見知りなのに、二人部屋。
しかもはじめて訪れる異国の地。
なんでこんな冒険してしまったんだろう、と過去の自分の決断を悔やんだ。

寮の部屋に荷物を置くと、すぐに寮の管理人が一人の男性を連れてやってきた。
「おまえの同室となるやつを連れてきた。韓国人だ」というようなことを中国語で言った。
やべえ。韓国人か。
ぼくは韓国語がまったくわからない。アンニョンハセヨとアボジーとオモニーとかサムギョプサルしか知らない。それだけでは会話にならない。
中国語も英語もカタコトしかしゃべれない。
十分な意思疎通ができるだろうか。ほとんど言葉の通じない人と一ヶ月も同じ部屋で暮らすのか、きついな。
どうしようどうしようと狼狽しながら、部屋に入ってきた韓国人の男に向かってとりあえず「ニイハオ」と言ってみた。

すると彼が言った。「日本人ですよね?」
「えっ?」
「ぼく、在日韓国人だったんです。京都の小学校、中学校、高校に通ってました」

拍子抜けした。
当然ながら彼は日本語ぺらぺら。というより韓国語より日本語のほうがうまい。



同室になったKさんと打ち解けるまでに一週間を要した。お互い人見知りだったのだ。はじめの一週間はお互いすごく気を遣いながらぎこちなくしゃべっていた。
でも人見知り同士というのは一度打ち解けるとすごく親しくなる。
Kさんはぼくよりも八歳年上だったが、ぼくと彼は自転車で二人乗りをしてあちこち出かける仲になった。

Kさんはふしぎな人で、わざわざ中国の大学に短期留学をしにきたというのにほとんど授業に出なかった。
朝は遅くまで寝ている。同室なので、出発前に一応「そろそろ起きないと間に合わないんじゃない?」と声をかけるが「大丈夫、大丈夫」と言って寝ている。
授業は四時間目まであったが、彼は大学に現れるのは三時間目ぐらいから。まったく来ない日もあった。
寝起きが悪い人かと思っていたが、どうやら起きる意志すらないのだとわかり、ぼくも彼を起こすのをやめた。

授業に出ず、かといって観光にも興味がなかった。ぼくが「今日は天安門に行くから一緒に行かない?」と声をかけると「うーん、じゃあ行こうかな」とのっそりとついてくる、という感じだった。
ぼくは一ヶ月の北京生活だからということで精力的に授業に出たり観光地をまわったり近くの商店街に行ってお店の人に話しかけたりしていたが、Kさんはそういったことにはぜんぜん興味がないようで、スーパーマーケットに行って果物やお菓子を少しとたくさんの酒を買いこんできては、部屋で一人で呑んでいた。

ぼくもときどき「一緒に呑まない?」と誘われた。少しだけ付き合うこともあったが、断ることが多かった。
なぜなら大学で出された課題をやらなくてはならないし、翌朝も早くから授業があるからだ。
勉強しつつ観光したり日記を書いたりしていたら、週末以外は酒を呑むひまがない。
Kさんは授業をサボるし当然課題もやらないから、平日も呑んでいた。それも毎晩二時ぐらいまでひとりで本を読みながら呑んでいた。

ぼくが酒を断ると「韓国だったら友だちの酒の誘いを断るなんてありえないよ」と、冗談とも本気ともつかない顔で言ってきた。
ぼくは「京都で生まれて京都で育ったくせに」と言った。



全面的に気が合っていたわけではなかったが、Kさんがときどきぼそっと呟く冗談は毒が効いていてぼくは好きだった。
中国共産党を茶化すような、今にして思うとちょっと危ない冗談もよく言っていた。

一ヶ月の授業が終わった。ぼくは帰る準備をしていたが、Kさんは「ぼくはもうちょっと中国に残ることにするよ」と言った。まったく勉強もせずに、観光も好きでないのに、いったい中国の何が気に入ったのかわからない。Kさんの中国語は一ヶ月前からまったく上達していなかった。なにしろ一から十までの数字を中国語で言うことすらできなかったのだ。

Kさんにメールアドレスを訊かれ、アドレスを交換した。
日本に帰ってからメールを送ると返事があった。だがそれ以降は、こちらが何度メールを送っても返事がなかった。
何か気に障ることでも送ったのだろうかと悩んだが、同時期に留学していた女の子に訊くと、彼女に対してもKさんから一通しかメールが来なかったという。

自分からメールアドレスを訊いてきたくせに、メールをしない。
なんでやねんと思ったが、わざわざ留学したくせにずっと部屋に引きこもって酒を呑んでいたKさんらしいな、という気もした。


2018年1月17日水曜日

自分と関わりのない主張


アンソニー・プラトカニス ,‎ エリオット・アロンソン『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』に、こんな実験結果が載っていた。


ある問題が個人的に重要である場合は、メッセージの論拠の強さが、説得されるかどうかに強い影響を及ぼした。一方、自分とあまり関わりのない場合だと、メッセージの中身よりもメッセージの送り手が誰であるかが強く影響した。


ふうむ。
たとえば、保育制度のありかたをめぐって、
  • 無名の人がブログに書いた、詳細なデータに基づく論理的な主張
  • 大学教授がろくに調べずに新聞に書いた、きわめて個人的な主張
があった場合、自分がもうすぐ子どもを保育園に入れようと思っている親であれば前者に影響され、子どもを持つ予定すらない人であれば後者の主張を受け入れてしまう、ということだ。

なるほど、なるほど。
よく「情報の正しさを検証しろ」というが、実際問題として、世の中のありとあらゆる問題について深く慎重に検証することは不可能だよね。
自分とあまり利害関係のない話であれば、「専門家が言ってるからそうなんだろう」でじっくり考えずに信じこんでしまうのは仕方ない。


でも、「ぼくらがこういう傾向を持っている」ことを知っておくのはとても大事だ。

たとえば原発をめぐる論争があったとき。
テレビでは、ぜんぜん関係のない専門家っぽい人(たとえば脳科学者とかカリスマ予備校講師とか)があれこれ語る。
脳科学者の言う原発論は、そこらへんのおっさんの飲み屋での話とたぶん大差ない。いや脳科学者ってのはあくまで例であって、べつに茂木さんをばかにしてるわけじゃないですよ。してるけど。

飲み屋のおなじレベルの話だからって、彼らの言うことがすべて誤りだとはかぎらない。
でもまあ信用には足らないでしょう。

原発問題を身に迫った危険と感じていない自分は彼らの言うことを信用してしまいがちだ、ということを自覚しておいたほうがいいね。いくらか割り引いて聞かないとね。

ツイートまとめ 2017年10月



サイクル

つまんない話

シングルマザー

脱臭

バブーちゃん

平民

監督

攻守一体

敗北

団塊

政治的

Word

労働禁止

ばか

型番

任務完了

田岡監督

第48回衆議院議員選挙



身元

アリバイ

サスペンス

デシリットル

京コンピュータ前

アドバンテージ

底意地

下ネタ

おしり

二大政党制


2018年1月16日火曜日

定期購読の恐怖


かつて新聞を購読していたが、今はとっていない。よほど気になるニュースがあったときだけコンビニで買う。
ある週刊誌を定期購読していたこともあるが、それもやめてしまった。
少し前にAmazon Unlimited(月額費を払えばいくつかの電子書籍や雑誌が読み放題になるサービス)に加入していたが、何ヶ月かして解約した。


定期購読というのがどうも性にあわない、ということに最近やっと気がついた。
定期購読は読者を束縛する。
金を払っているのだから読まなくちゃいけない。早く読まないと次の号が届く。だから今すぐ読まなきゃいけない。

「新聞は読みたいときに読みます。だから一週間分ためておいてまとめて読むこともありますね」
ということは社会通念上許されない。新聞の消費期限は一日だ。その日のうちに読んでしまわなきゃいけない。これがつらい。

ぼくは読む本がないと不安になる性分なので、常に未読の本が二十冊くらいは自宅にある。
読まれていない本たちは、おとなしく自分の順番が来るのを待っている。ぼくはそいつらの声にも耳を傾けながら「ちょっと待ってくれよ。今こっちの小説が佳境だから、それが終わったら次はおまえな」とか「君は時間がかかりそうだから通勤電車の中で少しずつ読むことにするよ」なんて云いながら順番を調整している。

ところが、定期購読のやつらは強引に割りこんでくる。
「Amazon Unlimitedです。月間二冊以上読まないと元をとれませんよ。損してもいいんですか!?」
「ちわー。週刊誌です。来週までに読んでよ!」
「こっちは新聞じゃい。なにがなんでも今日中に耳をそろえて読んでもらうで!」
と扉をがんがん叩いてくる。

新聞は「おっ小説読んどるんか。えらい余裕があるんやな」と、子どもの貯金箱に手を出す取り立て屋のように睨みを利かせる。
ぼくはおびえながら「この子を読む時間だけは勘弁してください!」と頭を下げるのだが、新聞は耳も貸さずに読みかけの小説を閉じ「届けてもらった新聞は読むのが人の道ってもんやろがい! 小説はいつでもええやろが!」とすごんでくる。そう云われると返す言葉もない。
泣きながら新聞を読み終えると、新聞は「読むもん読んでくれたらこっちも無茶なことはしたくないんや。明日もまた来るで!」と乱暴な音を立てて帰っていく。新聞に読書時間を奪われたぼくは、もう小説を読む気もすっかりなくし、ただ茫然と古新聞を折りたたむばかりだ。

もうそんな思いはしたくない。
だからぼくはもう定期購読とサラ金には手を出さない決意をした。