2017年11月24日金曜日

紙が消えた世界


五年ぐらい前にKindleを買って、はじめは慣れなくてやっぱり紙の本のほうが読みやすいなんて思っていたが、慣れるにつれてすっかり電子書籍派になった。

たいてい電子版のほうが紙の本より安いし、場所をとらないし、いつでも買えるし、売り切れがないし、いつでも読めるし、メモや引用もしやすいし、検索もしやすいし、一度に大量に持ち運べるし、あんまり褒めすぎてAmazonのまわしものだということがばれるといけないのでこのへんでやめとくが、とにかくメリットが多すぎる。
今でも紙の本を読むが(電子版が出ていない場合にかぎり)、「紙の本しかないのか……。だったら買わなくていいかな。電子版なら買ってたんだけどなー」と思うこともある。

本を多く読む人ほど電子書籍のメリットを享受できるから、数年に一冊ぐらいしか本を読まない人を除いて、どんどん電子書籍にシフトしていくだろう。


紙の本は減る一方。
流通数が減ればその分印刷コストも輸送コストも高くなるから、今よりずっと高価になる。高価になれば買われなくなる。さらに高くなる。
電子版だと五百円だけど書籍版は五千円です、みたいな時代がじきにやってくる。もう著者との握手券とかつけて限定版として売るしかない。
紙の本は、あえてレコードを聴くのが贅沢、葉巻は不便なのがいい、みたいなごく一部の好事家の趣味になるだろう。


紙の本の最大のメリットといえば、なんといっても検閲をかいくぐりやすいこと。
ビック・ブラザー的な統治者が言論の自由を封じようと思ったら、まっさきにインターネットと電子書籍を抑えるだろう。一斉チェックが容易だから。
一方、印刷物は完全に掌握するのがむずかしい。自宅で印刷して路上で配布されたら、出所を突きとめるのはきわめて困難だ。
監視カメラ、監視マイクが至るところに置かれている時代、反体制的な言論は印刷物を介してのみおこなわれることになる。
ということで時の政府は個人や組織が勝手に印刷をすることを嫌い、紙の流通を禁止する。
かくして世の中から紙が消える。本や新聞はもちろん、紙幣も消えて電子通貨のみになる。
禁制品となった紙は地下マーケットでのみ流通することとなり、千円札サイズの紙が末端価格一万円を超える価格で取引される。
新しいメディアに抵抗の少ない若年マフィアが紙を使いこなし、紙を介した犯罪が摘発されるたびに老人たちは「紙メディアの闇」と「人の顔が見えない紙媒体による犯罪」と煽りたて、インターネットニュースでは真っ暗な部屋の中で紙が煌々と光る映像が使われるようになるのだ。



2017年11月23日木曜日

結婚は慎重に。


高校時代からの旧友に彼女ができたらしい。三十代半ばで、人生二人目の彼女。

「おお、よかったやん」と祝福して、ひととおりなれそめを聞く。
お相手も同い年。付き合って三カ月だが今のところ不満もないのでいずれは結婚も考えたい、とのこと。

先に結婚しているものとして、一応アドバイスした。
「だったら早いとこ結婚しようって言ったほうがいいんじゃない? 年齢も年齢やし。結婚生活がうまくいくかどうかなんてどうせ何年付き合ったってわからんで。結婚に最適なタイミングなんか待ってても永遠にこないから、結婚したいと思うんやったら思いきりの良さも大切やで」
と。

すると旧友は「なるほどなー。ほかの既婚者たちからも同じようなこと言われたわ」と云う。

「そうやろ、結婚なんて運でしかないから思いきってやってみたらええねん」

「でもな、Fにだけは『結婚は慎重にしたほうがいいで』って言われたわ」

Fというのはやはり高校からの友人の女性で、数年前に結婚している。
だが彼女の夫は浮気性らしく、女遊びをして家に帰らない日も多いらしい。離婚も考えている、という話をFから聞いたことがあった。


そうか、人って誰かにアドバイスをするときには自分の経験を語っているだけなんだな。

ぼくは結婚生活に大きな不満を抱いていないから「思いきって結婚したらええんちゃう?」と云った。同じようなアドバイスをした既婚者たちも、さほど不満は感じていないのだろう。
だけど離婚したいと考えているFだけは「結婚は慎重に」とアドバイスした。

ぼくは旧友に対してうまくいってほしいと思って「思いきって結婚したらいいんじゃない?」と言った。Fも本心から相手のことを思ってアドバイスしたのだと思う。「勢いで結婚しないほうがいいよ」と。
どちらも相手の幸福を願ってしたアドバイスなのに、その内容は正反対だ。

助言というものはもちろん相手のことを考えておこなうわけだけど、その根拠となっているのは相手の人生ではなく自分の人生なんだなあ。

2017年11月22日水曜日

法よりも強い「空気」/山本 七平『「空気」の研究』【読書感想】


『「空気」の研究』

山本 七平

内容(Amazonより)
「空気を読む」ことが誰にも求められる現代の必読書!
社会を覆う「空気」の正体を正面から考察し、1983年の初版以来読み継がれ、日本の針路が云々されるたびにクローズアップされる古典的名著。
〈以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。(中略)至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人ではなく空気」である、と言っている〉
昭和期以前の人びとには「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。しかし、現代の日本では〝空気〟はある種の〝絶対権威〟のように驚くべき力をふるっている。あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束することの怪物の正体を解明し、日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探る、山本七平流日本学の白眉。

ときには法よりも強く社会を支配してしまう「空気」。

最近「福井県で中学生が自殺した事件を受けて、文部科学省が全国に生徒指導の見直しを通知した」というニュースを見た。「空気に支配されすぎだろ」と感じた。
たしかに人が死んでるから大きな事件だし再発防止に向けた取り組みはしていかないといけないんだけどさ。でも教育って「今日から変えます!」っていって来月に成果が出るものじゃないわけで。結果が出るまでには早くたって十年かかる。それを「なんとかしなきゃいけない"空気"だから」ってトップが右往左往してたらそれにふりまわされる現場はたまったものじゃないだろうな。
一人の自殺者のために一万人の生徒の教育プログラムを変更するってどう考えてもおかしいんだけど、でも「自殺した生徒はお気の毒ですけど、それはそれとして一過性の雰囲気に流されずに従来通りの方針でやっていきます」とは言いだせない"空気"だったんだろうな。文部科学省は。

会社で会議をやったときなんかに、その場の出席者全員が「こんな会議意味ない」と思いながら、空気的に誰もそれを口に出すことができず「では目標達成に向けて各人がさらに努力してまいるということで……」みたいななんの意味もない結論を出して、誰も「もう終わりにしよう」とは言えないまま毎週会議が開かれつづける、ということがよくある。

たぶん行政や政治の世界では、利益追求という明確な指標がない分、より空気に支配された決定をおこなっているのだろう。

岩瀬 彰『「月給100円サラリーマン」の時代』に、戦争に向かう時代のサラリーマンについてこんな記述があった。
 当時のホワイトカラーも、極端な貧富の格差の存在や政財界の腐敗には内心怒りを感じてはいた。だが、多くのサラリーマンはただじっとしていた。文春のアンケートで資本主義は行き詰まっていると訴えた二十九歳のサラリーマンは「自分の生活のためと、プチブル・インテリの本能的卑怯のために現代社会生活の不合理と矛盾を最もよく知りながらも之が改革運動の実際に参与出来ない」と言い、それが「一番の不満です」と述べている。
空気に支配され、空気に逆らうことができず、徴兵されて死んでいった。命を落とすような状況になっても空気には抗うことができなかった。
たぶんぼくもその時代に生きていたら同じ末路をたどったと思う。
独裁者が始めた戦争ならその人物が退けば流れは止まったかもしれないが、空気ではじまった戦争だけにかんたんに止められなかったのかもしれないな。



この『「空気」の研究』、内容は難解でいまいち理解できなかった。
自動車公害とか共産党とか田中角栄の話とか、「当時は誰でも知っていた話」があたりまえのように例えとして出てくるので、三十年以上たった今読むと「例え話があることでかえってわかりにくい」になる。

まあ、「ぼくたちはたやすく空気に支配される」ということを自覚できるだけでも読む価値はあるかなと思う。

 一方明治的啓蒙主義は、「霊の支配」があるなどと考えることは無知蒙昧で野蛮なことだとして、それを「ないこと」にするのが現実的・科学的だと考え、そういったものは、否定し、拒否、罵倒、笑殺すれば消えてしまうと考えた。ところが、「ないこと」にしても、「ある」ものは「ある」のだから、「ないこと」にすれば逆にあらゆる歯どめがなくなり、そのため傍若無人に猛威を振い出し、「空気の支配」を決定的にして、ついに、一民族を破滅の淵まで追いこんでしまった。戦艦大和の出撃などは〝空気〟決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて〝空気〟決定なのである。だが公害問題への対処、日中国交回復時の現象などを見ていくと、〝空気〟決定は、これからもわれわれを拘束しつづけ、全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ。

センセーショナルな出来事が起こるたびに右往左往してもろくな結果は生まないからね。
おい文部科学省、おまえらのことだぞ!


【関連記事】

【読書感想エッセイ】岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』



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2017年11月21日火曜日

くだらないエッセイには時間が必要/北大路 公子『流されるにもホドがある キミコ流行漂流記』【読書感想】

『流されるにもホドがある
キミコ流行漂流記』

北大路 公子

内容(e-honより)
好きなものは、おビールとお相撲と蟹など。平和と安定を好むキミコ氏が、まったく興味のない「流行」に挑んだ!人気アプリに触発された感涙の人情話、某流行ランキングに従い、北陸新幹線に乗って金沢を目指す旅行記、かの名作に想を得たハロウィン物語、北海道の土産についての考察と試食レポなど。多彩な筆致を堪能できる傑作エッセイ集。

流行にまったく興味のないエッセイストの北大路公子さんが、あえて苦手な流行りものに挑む、というエッセイ。

「流行りものについてほとんど情報がない状態であれこれ考察する」というパートと、「いざ流行りものを見にいく/食べてみる」というパートに分かれてるんだけど、前者はじつに味わいがある。

相撲はいいよう。なにしろルールがずっと一緒だもの。変更とか全然ないもの。「足の裏以外のところが土俵についたら負けね」「あと土俵から出ても負けね」って、もう何百年もそれしか言ってないもの。
 時折、百年前の横綱の写真をネットで見つけては、うっとりと眺める。同じだ、と思う。髷で裸で化粧まわしで仁王立ち。おしなべて顔がデカい印象はあるけれど、それ以外は今の横綱と完璧に同じ。粗い画質の写真を前に、私は「ウェアのデザイン性」という概念のない世界の安定感を心ゆくまで味わう。変わらないって本当に素晴らしい。私の安寧はここにある。

言葉選びのセンスと内容の無さが光っている。

ところがルポルタージュ部分はいまいちキレが悪い。いいかげんなことを書いちゃいけない、情報を伝えないといけないという思いが先行しているからか、「どうでもいいことをテキトーに書くおもしろさ」がすっかり鳴りをひそめている。
業務報告的な文章になってしまっていて、せっかくのおもしろさが死んでるなあと残念だった。
「実体験してみて、三年後に記憶だけでそのときの様子を書く」とかだったらもっと肩の力が抜けておもしろいエッセイになっただろうなあ。




ぼくもこうしてインターネットの隅っこでブログをつづっているけど、最近あった出来事ってどうも書きにくい。
情報がありすぎて、どうでもいいことまで書いちゃうんだよね。札幌に行ったときにこんなことがありました、って伝えたいのに、関空から飛行機で千歳空港へ行ってそこから鉄道で……みたいに主題と関係のないことをだらだらと書いちゃう。「札幌で」から話をスタートさせりゃあいいんだけど、情報を捨てるのって難しいんだよね。せっかくだから書きたい。
でも十年前のことを記憶だけで書こうと思ったら、たいしておもしろくない情報はとっくに脳内から消えている。必然的に印象に残った出来事だけを書くことになり、ぽんぽんとテンポよく書けて気持ちがいい。

ビジネス文書は新鮮なうちに素材をそのまま形にしたほうがいいんだろうけど、くだらないエッセイを書くときは脳内で寝かせておいて粗熱をとったほうがいいものが書ける、というのがぼくの経験上の法則。



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2017年11月20日月曜日

苦痛を回避できるようになったら/小出もと貴『アイリウム』【読書感想】


『アイリウム』

小出もと貴

内容(Amazonより)
1錠飲めば1日分の記憶を飛ばすことができる薬、アイリウム。薬が効きはじめると、他人から見れば意識もあり普段通りの生活をしているように見えて、その間の記憶がまったくなくなってしまう。つまり、嫌な思いをする出来事の前に飲んでおけば、その事を思い出すことなく日常生活が送れるのだ。記憶を薬でコントロールできるようになった時、その人の生はどんな彩りになるのか…。

「薬が効きはじめると、他人から見れば意識もあり普段通りの生活をしているように見えて、その間の記憶がまったくなくなってしまう薬、アイリウム」をめぐる短篇漫画集。
映画監督の卵、兵士、ロックンローラー、ママ友、ホストなどがアイリウムを使い、アイリウムに翻弄される姿が描かれている。

アイデアはおもしろいのだが、設定の雑さが気になってしまう。
薬の効き方に個人差がまったくないこととか、大量服薬したら1錠あたりの効き目が落ちるのではなくなぜか増幅することとか、記憶がすっとぶという超ヤバい薬なのに法的にぜんぜん規制されていないこととか。いくらなんでも甘すぎるだろう。
いやSFでがっちがちに整合性を求めるのは野暮だとわかってるけど。でも中途半端にこの薬ができた経緯とか設定しているから、だったらほかの矛盾点にも納得のいく説明をつけろよな、と思ってしまう。もっと上手に嘘をついてくれ。できないんだったら星新一みたいに「こんな薬ができました」ぐらいにして非リアリティに徹したらいいのに。



「1日分の記憶が消える薬」はできないだろうけど、「嫌なことを感じなくなる薬」はそのうちできるんじゃないだろうか。苦痛、悲しみ、怒りなどを感じる脳の部位を麻痺させる薬。いってみたら精神的な麻酔薬だね。
兵士とか死刑執行人とかが「嫌だけどやらなきゃいけないこと」をするときにあらかじめ飲んでおくと、ストレスを感じたりPTSDになったりしない。仕事で謝りにいかなきゃいけないときとか、恋人と別れ話をするときとかにも使える。

苦痛を回避できるようになったらどうなるんだろうなあ。とってもハッピーな生活が待っているのだろうか。
しかし苦痛を感じないというのはブレーキが効かなくなることでもあるわけで、みんなが精神的麻薬を使ったら社会の秩序は崩壊するかもね。ポジティブな人って周囲に迷惑かけまくりだったりするもんね。世の中って「怒られるのが嫌だから」「捕まりたくないから」とかで成り立っているところも大きいもんなあ。

って考えると、薬学が進歩してもぼくらが嫌なことから逃れられる日は来ないかな。
嫌なこととは一生付き合っていくしかないか。嫌だけど。



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