生のパフォーマンスを観る機会ってあるじゃない。
音楽だったりお芝居だったりお笑いだったりバレエだったり(バレエは見たことねえけど)。
そういうのを鑑賞するときの態度として、あたしがいちばん嫌いなのは手拍子。
あれなんなの。
何のつもりなの。
歌がはじまったとき途端に、取り憑かれたように手拍子はじめるやつ。少なからずいるけど。
「さあ、あたしがリズムとってあげるから上手に歌いなさい」って言いたいわけ?
さんざん練習積んで舞台上で歌を披露している演者が、おまえの手拍子なしではちゃんと歌えないと思ってるわけ?
観客の手拍子、すっごい邪魔。
あってよかったと思ったことない。
ノイズでしかねえんだよ。
舞台上のミュージシャンなり役者なり芸人だったりオペラ歌手だったり(オペラも見たことねえけど)の歌を聞きたいの、こっちは。
おまえの手拍子を聴くために金払ってんじゃねえの。
あとね。
何年か前に、ラーメンズのコントライブを観にいったのよ。
で、コントだからおもしろいこと言うじゃない。
ウケるじゃない。
そこで、手を叩いて笑うやつがいるのよ。
バカなの?
それとも、ゼンマイ巻いたらシンバル叩くサルのおもちゃみたいに、笑ったら自動的に手叩いちゃうの?
笑うのは当然。
コントだからみんな笑いに来てるわけだし、笑いって反射的に出るもんだし。
でも手を叩くのは意識的にやってるわけでしょ?
邪魔してる自覚ないの?
ラストの大オチで手を叩くならいいよ。
「おもしろかった!」って演者に伝える手段として。
あたしもおもしろかったコントが終わったときはせいいっぱいの拍手をするよ。
でも途中で手を叩くのはやめて。
続きのセリフが聞こえないんだよ。
まだ落語とか漫才なら、観客の拍手が鳴りやむのを待つ"笑い待ち"ができるかもしれない。
でもコントは芝居なんだよ。舞台上と観客席は切り離された空間なんだから、演者が観客の反応に合わせて"笑い待ち"をするわけにはいかないんだよ。
パフォーマンスの途中で観客が手を叩くのは、相手がしゃべっている途中に「はいどうもありがとうございました」って言うのと同じでしょ。
それくらい失礼な行為だと、義務教育で教えてほしい。
手拍子や拍手をするやつは、観劇とスポーツをごっちゃにしてるんじゃない?
スポーツは存分に拍手したらいいよ。
いいプレーが出たら思う存分手を叩けばいい。
ゴルフのパットの直前とかじゃないかぎりは、プレーの妨げにも観戦の邪魔にもならないから。
でも、フィギュアスケートにかぎっては、演技途中の拍手は禁止にしてほしい。
フィギュアで、ジャンプ決めるたびに客が拍手するでしょ。
あいつら、演技をひとつの作品として楽しむ気ないの?
まだ音楽が流れて演技が続いてるんだから拍手したら邪魔になると思わないの?
フィギュアスケートはスポーツであると同時に、芸術表現でもあるからね。
バレエやオペラと同じなんだから(だからバレエもオペラも見ねえけど)。
2017年2月17日金曜日
【読書感想文】 東野 圭吾 『新参者』
東野 圭吾 『新参者』
東野圭吾さんの『加賀恭一郎シリーズ』。
加賀恭一郎シリーズといえば『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』のような実験的なミステリのイメージがあったけど、最近では『赤い指』のように社会派のミステリに傾いてきている。
切れ者の加賀刑事が登場するこの『新参者』、正直にいって、ミステリとしては退屈な部類に入る。
『悪意』『容疑者Ⅹの献身』『聖女の救済』のようなあっと驚く仕掛けはない。
『秘密』『変身』『分身』のような、奇抜な設定があるわけでもない。
殺人事件が起きて、刑事がいろんな人に話を聞いていくうちに、徐々に謎が解き明かされていくというストーリー。
殺し方も平凡な絞殺だし(いやじっさいは平凡じゃないけどミステリとしては平凡)、密室でもないし、犯人は偽装工作を仕掛けたわけでもないし、アリバイトリックがあるわけでもなければ叙述トリックがあるわけでもない。被害者も犯人もどこにでもいるような市井の人だし、最後に明らかになる殺人の動機も凡庸。
ないない尽くしで逆に新鮮なぐらい。
ミステリ小説を構成するおもしろ要素が何にもない。
じゃあつまらないのかというと、おもしろいんだな、これが。
東野圭吾さんはもう押しも押されぬ大作家。
その大作家のテクニックで調理したら、派手さのない素材でもこんなにおいしくなってしまう。
志賀直哉、O・ヘンリー、阿刀田高、ジェフリー・アーチャーらの"短篇の名手"と呼ばれる人は、大したことのない日常のふとした出来事を、見事な短篇に仕上げてしまう。
東野圭吾さんもそんな領域に達している。
ミステリ作家としてだけでなく、小説家としても超一流になった証だね、こういう地味だけどおもしろいミステリを書けるのは。
『新参者』は、殺人事件を軸にストーリーが進むけど、大部分は「日常の謎系ミステリ」。
「キッチンばさみがあるのに新しくキッチンばさみを買ったのはなぜだろう」といった小さな謎を加賀刑事が解き明かしていく。
こうした謎はほとんど殺人事件とは関係ないが、それらの積み重ねの末にたどりつく真相。
その真相には東京下町の人々の人情がにじみ出ている……、というちょっと風変わりな味わい。
読みながら「なんか落語みたいな雰囲気の小説だな」と感じていた。
落語には滑稽噺とか怪談噺とかいくつか分類があるが、その中に人情噺というジャンルもある。
笑わせながらも最後はほろりとさせてくれる噺。
『新参者』は落語ではないので笑いはないけど(でも東野圭吾は笑える小説を書くのもうまいけどね。『名探偵の掟』シリーズは傑作!)、笑いの代わりに謎があり、サゲの代わりに真相がある。
人情噺ならぬ人情ミステリだね。
そういやO・ヘンリーも人情ミステリが多いな。
ミステリとして読むと肩透かしを食らいそうな小説だけど、人間の情や業を描いた短篇小説集だと思って読むと、しみじみとさせられる。
「奇抜な設定もトリックも意外性ないミステリなのになんでおもしろいんだろう」
これこそがいちばんのミステリであり、東野圭吾という実力者の仕掛けたトリックなのかもしれないね。
その他の読書感想文はこちら
2017年2月16日木曜日
2017年2月15日水曜日
けなげな美人
2月の寒空の下、中華料理屋の前で店員がビラを配っていた。
ティッシュとか有用性のあるものじゃなくてただのビラだから、歩を緩めて受け取る人も少ない。
都会の人はせちがらいね。
かといって田舎で夜にビラ配りしたって、下手したら1時間やっても誰も通りかからないわけだけど。
ぼくもビラ配りを無視して通りすぎようと思ったんだけど、ふとビラ配りをしているかっぽう着姿の店員の顔を見て目を見張った。
美人。
モデルみたいなギラギラした感じの美人じゃなくて、高校の吹奏楽部一の美人みたいな感じ。
大砲みたいにばかでかい金管楽器持ってたくましいのに漂う素朴な美しさと知性、みたいな感じ。
電車の中で凛として文庫本を読んでいるのが似合うような美人。
おおっ、と思って思わずビラを受け取ってしまいましたよ。
さっき飯食ったばかりだけど。
美人に弱いからね。
それも「働き者の美人」にはとびきり弱いからね。
美人はそこそこいるけど、「働き者の美人」ってすごいよね。
だって中華料理屋の彼女は、目を見張るぐらいの美人なんだよ。
もっと楽にお金を稼ぐ方法はいくらでもあるはず。
大学生かな?
同級生はキャバクラとかでバイトしてるんじゃないの?
なのに時給数百円の中華料理屋でバイト。しかも、冬の戸外でビラまき。
けなげ。
やっぱりあれね。美人とそうでない人の差って、つらい境遇におかれたときに出るね。
結婚式とかで着飾ってたら、だれだってそこそこきれいだもんね。
幸せに満ちて笑っているときは誰だって素敵に見える。
でも逆境でこそ美人は輝く。
シンデレラもマッチ売りの少女も人魚姫もきっと美人でしょう。
不幸なブスは見てられないもの。
中華料理屋の美人は、ばんそうこうが似合う。
冬の皿洗いでひび割れた指に貼ったばんそうこう。本人は恥ずかしいから隠そうとするんだけど、そのばんそうこうはどんな指輪やネイルよりも美しいよ!なんて気持ち悪い言葉をかけたくなるね。
しかしさあ、2月の夜ですよ。おまけに寒波ですよ。
こんなときに美人に外でビラ配りさせる店主ってすごくない?
ぼくが店主だったらぜったいに言えないわ。
他にバイトがいなかったとしても「いい、いい。おれが行ってくるから。カナコちゃん(仮名)はここでテレビ観といて。お客さん来たら呼んでね」って言って外に行っちゃう。
お父さんが店主で、お父さんの店でバイトってパターンかな。
それもいいね。
家の仕事を手伝ってる子って「けなげさポイント」が上がるよね。
娘が美人で良からぬ男が寄ってこないか心配だから、店の手伝いをさせている。
だけど甘やかしたらいかんと思うから、つらいビラ配りの仕事を命じる。
娘を送りだした後、ぐっとこぶしを握る親父。すまんカナコ(仮名)、おれだってつらいんだ。
こういうシチュエーションもいいね。
やっぱり美人はすべてが絵になるね。
ティッシュとか有用性のあるものじゃなくてただのビラだから、歩を緩めて受け取る人も少ない。
都会の人はせちがらいね。
かといって田舎で夜にビラ配りしたって、下手したら1時間やっても誰も通りかからないわけだけど。
ぼくもビラ配りを無視して通りすぎようと思ったんだけど、ふとビラ配りをしているかっぽう着姿の店員の顔を見て目を見張った。
美人。
モデルみたいなギラギラした感じの美人じゃなくて、高校の吹奏楽部一の美人みたいな感じ。
大砲みたいにばかでかい金管楽器持ってたくましいのに漂う素朴な美しさと知性、みたいな感じ。
電車の中で凛として文庫本を読んでいるのが似合うような美人。
おおっ、と思って思わずビラを受け取ってしまいましたよ。
さっき飯食ったばかりだけど。
美人に弱いからね。
それも「働き者の美人」にはとびきり弱いからね。
美人はそこそこいるけど、「働き者の美人」ってすごいよね。
だって中華料理屋の彼女は、目を見張るぐらいの美人なんだよ。
もっと楽にお金を稼ぐ方法はいくらでもあるはず。
大学生かな?
同級生はキャバクラとかでバイトしてるんじゃないの?
なのに時給数百円の中華料理屋でバイト。しかも、冬の戸外でビラまき。
けなげ。
やっぱりあれね。美人とそうでない人の差って、つらい境遇におかれたときに出るね。
結婚式とかで着飾ってたら、だれだってそこそこきれいだもんね。
幸せに満ちて笑っているときは誰だって素敵に見える。
でも逆境でこそ美人は輝く。
シンデレラもマッチ売りの少女も人魚姫もきっと美人でしょう。
不幸なブスは見てられないもの。
中華料理屋の美人は、ばんそうこうが似合う。
冬の皿洗いでひび割れた指に貼ったばんそうこう。本人は恥ずかしいから隠そうとするんだけど、そのばんそうこうはどんな指輪やネイルよりも美しいよ!なんて気持ち悪い言葉をかけたくなるね。
しかしさあ、2月の夜ですよ。おまけに寒波ですよ。
こんなときに美人に外でビラ配りさせる店主ってすごくない?
ぼくが店主だったらぜったいに言えないわ。
他にバイトがいなかったとしても「いい、いい。おれが行ってくるから。カナコちゃん(仮名)はここでテレビ観といて。お客さん来たら呼んでね」って言って外に行っちゃう。
お父さんが店主で、お父さんの店でバイトってパターンかな。
それもいいね。
家の仕事を手伝ってる子って「けなげさポイント」が上がるよね。
娘が美人で良からぬ男が寄ってこないか心配だから、店の手伝いをさせている。
だけど甘やかしたらいかんと思うから、つらいビラ配りの仕事を命じる。
娘を送りだした後、ぐっとこぶしを握る親父。すまんカナコ(仮名)、おれだってつらいんだ。
こういうシチュエーションもいいね。
やっぱり美人はすべてが絵になるね。
2017年2月10日金曜日
【読書感想文】 山田 真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』
山田 真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』
10年以上前のベストセラーを今さら読んでみました。
サブタイトルに『身近な疑問からはじめる会計学』とありますが、これはウソ。この本を読んでも会計学は身につかないでしょうね。
スタートラインに立つ前の本、「会計学っておもしろいかもしれないな」と思うための本ですね。
新書ですが、内容は会計士のエッセイといった感じです。
エッセイとして読めば、なるほどこういう考え方をする人もいるのか、という発見があっておもしろいです。
この本の感想のつづきはこちら
登録:
投稿 (Atom)