2016年6月24日金曜日

【読書感想文】 ジョージ・フリードマン『続・100年予測』

『続・100年予測』

ジョージ・フリードマン

内容(「BOOK」データベースより)
金融危機以降、国家間のパワーバランスは劇的に変化したか?アメリカとイランがついに和解?日本は軍事力を強化するか?地政 学が導く世界の行く末とは…。「影のCIA」の異名をもつ情報機関ストラトフォーを率いる著者の『100年予測』は、クリミア危機を的中させ話題沸騰!続 篇の本書では2010年代を軸に、より具体的な未来を描く。3・11後の日本に寄せた特別エッセイ収録。

はじめにことわっておかないといけないのが、タイトルが大嘘だということ。

よく売れた『100年予測』の次に書かれた本なので『続』というタイトルにしたんだろうけど、ぜんぜん続編じゃない。
『100年予測』とはほとんど関係がないし、この本では今後10年間のことしかふれられていない。
ちなみに原題は『THE NEXT DECADE(次の10年)』。
また単行本では『激動予測:「影のCIA」が明かす近未来パワーバランス』という内容を正確に言い表すタイトルだったので、文庫化するときにわざわざひどい題をつけたようだ。

これはハヤカワ書店が金儲けのことしか考えなかったせいだろう。

さらにハヤカワ書店はこりずに、この次に書かれた本を『新・100年予測』として出版したそうだ。
その本は未読だけが(もう買う気もない)、聞いたところでは予測ですらなく、過去の話がほとんどだとか。
ちょっとひどすぎるね。
タイトルも作品の一部だから、あまりにでたらめな邦題はつけないでいただきたい。こういうことやってると読者を失うよ。


とまあ、タイトルは最低ですが、本の内容はいいものでした。
ただ『100年予測』があまりにおもしろかったので、それと比べるとちょっと期待はずれかな。

ジョージ・フリードマンはアメリカの地政学者。
地政学とは聞き慣れない学問かもしれないが、地形から政治や軍事をとらえる学問。

『100年予測』にはこんな言葉が出てきた。

われわれはいつの時代にどの場所に暮らすかによって、行動を厳しく制約される。そしてわれわれが実際に取る行動は、思いがけない結果を招くのである。

歴史を動かすのは、個人の仕事ではなく地理だという考え方だね。
ジョージ・フリードマンによれば、アメリカが世界の覇権を握ったのも、ソ連が崩壊したのも、地形が決めたこと。

歴史ドラマが好きな人にとっては受け入れがたい考え方かもしれない。
坂本龍馬やナポレオンがいてもいなくても(長期的視野で見ると)大差なかった、ということになるとドラマ性がなくなっちゃうもんね。
地政学の考え方を認めたがらない人が少なくないことも、理解はできる。


でも、たとえば1962年に起こった「キューバ危機」。
キューバへの核弾頭配置をめぐってあわや第三次世界大戦が起こるのではないかという一触即発の事態になった事件。
これはまちがいなく、キューバの位置がアメリカの大西洋進出を妨げる絶妙な位置に存在しているからこそ起こった事件だった。
ぜんぜん違う場所にあったら、キューバのような小国が原因で世界大戦が起こりかけることはありえない。

そういえば第一次世界大戦勃発のきっかけも、オーストリアの皇太子が暗殺されたことだった。
オーストリアも大国ではないが、地理的に重要なポジションを占めていたがゆえに世界大戦につながったんだろうね。


2009年に日本語訳が出版された『100年予測』によれば、今後100年で日本はトルコと組んでアメリカと敵対し、21世紀後半にはメキシコが台頭してアメリカと衝突するという予測が書かれていた。
にわかには信じられないことだけど、根拠を読めば「なるほど、ありえなくもないな」と思わされる(根拠が気になる方はぜひ読んで)。

一方、『THE NEXT DECADE』(邦題がひどいので原題で書く)には奇抜な予想は書かれていない。
どうすればアメリカの国益を最大化できるかという視点に基づいて、世界各地でのアメリカの振る舞い方が示されている。

フリードマンによれば、アメリカがとるべき戦略はシンプル。

一.世界や諸地域で可能なかぎり勢力均衡を図ることで、それぞれの勢力を疲弊させ、アメリカから脅威をそらす

二.新たな同盟関係を利用して、対決や紛争の負担を主に他国に担わせ、その見返りに経済的利益や軍事技術をとおして、また必要とあれば軍事介入を約束して、他国を支援する

三.軍事介入は、勢力均衡が崩れ、同盟国が問題に対処できなくなったときにのみ、最後の手段として用いる

要するに、各地域で巨大勢力が生まれないように互いに争わせ、アメリカ自身は手を汚さないようにしましょう、というスタイルだね。言い方は悪いけど。

でも実際このとおりだとおもう。
この考え方を知っていれば、東アジアに対するアメリカのスタンスがよく理解できる。

アメリカにすれば、日本と中国と韓国は互いに憎みあっているぐらいの状態が望ましい。
中国と敵対しているかぎり、日本がアメリカにたてつくようなことはまちがってもないだろうからね。逆に、日中が仲良くなればアメリカにとって経済的にも軍事的にもたいへんな脅威になる。
だからドンパチやらない程度に仲が悪くなっていてほしい。

アメリカは日本の味方もしないし韓国の肩も持たない。
北朝鮮がアメリカに攻撃をしかけてくるのは困るけど、北朝鮮が日本や韓国と険悪な状況にあるのは好ましい。
アメリカにとっていちばん困るのは、日本と中国と韓国(と北朝鮮)が結託して、東アジア連合を作られること。

……ってな具合に、地政学がわかると世界情勢がよくわかるし、将来の予想も立てやすくなる。

「物理的な位置が国家間の関わり方を決める」というのが地政学の考え方だけど、これって国家の話だけじゃないよね。

個人の行動や人間関係も、地理によって大きく影響を受ける。

学生時代、ぜんぜん意識していなかった異性なのに、席替えで隣の席になったとたんに急に気になって……なんて経験、ない?
小学生のときによく遊んだのは家が近い子だったんじゃない?
これは大人になってもそんなに変わらない。
職場の席が近いとか、帰る方向が一緒とか、案外そういうことで交友関係って決まってくる。

ぼくらは地理の影響を受けずには生きられない。

また、この本は組織について学ぶための教科書にもなる。
組織を効率よくコントロールしようと思ったらアメリカがとっている戦略(できるかぎり自らは介入せずにキーパーソン同士をほどよく敵対させてパワーバランスを保つ)が有効かもしれない……。

国際情勢だけでなく、いろんなことがらが読みとけるようになれる(かもしれない)本だね。


 その他の読書感想文はこちら


2016年6月22日水曜日

【エッセイ】あまちゃん帝王学

知人の六十代男性から聞いた話。

彼が高校生のとき、修学旅行で東北に行った。
そこに海女さんがいた。『あまちゃん』の舞台の地である。

そこでは、修学旅行生たちが海に向けて野球ボールを投げ、海女さんが泳いでとってくるというショー(?)がおこなわれていたのだそうだ。


えええっ。

なんというサービスだ。じぇじぇじぇ。

要は、犬の訓練でやる「とってこい」である。

「あれが修学旅行でいちばん印象に残っている思い出だなあ」と六十代男性は平然と語っていたが、そりゃ印象に残るだろう。

学生がおもしろ半分に投げたボールを追いかけて、中年の海女さんが冷たい海に飛び込む。
じつにものがなしく、そして奇妙に官能的な光景だ。

そうゆうのはオットセイとか長良川の鵜とかにやらせることだろう。



今だったら絶対に許されない。
いや、四十数年前でも道徳的にどうなんだ。
そういうショーがあることもさることながら、それを修学旅行でやらせる学校もすごい。
ときに他人に厳しく接することも大切だという教育なのか。


団塊の世代はお店の従業員に対して横柄な態度をとる人が多いが、それはこうした帝王学(?)の成果なのかもしれない。



2016年6月21日火曜日

【読書感想文】 清水潔 『殺人犯はそこにいる』

清水潔 『殺人犯はそこにいる』


内容(「BOOK」データベースより)5人の少女が姿を消した。群馬と栃木の県境、半径10キロという狭いエリアで。同一犯による連続事件ではないのか?なぜ「足利事件」だけが“解決済み”なのか? 執念の取材は前代未聞の「冤罪事件」と野放しの「真犯人」、そして司法の闇を炙り出す―。新潮ドキュメント賞、日本推理作家協会賞受賞。日本中に衝撃を与え、「調査報道のバイブル」と絶賛された事件ノンフィクション。


横山秀夫氏や(かつての)宮部みゆき氏のような社会派ミステリが好きなのだが、この本のような優れたノンフィクションを読むと、「事実は小説よりも……」という月並みな感想しか出てこない。
どんなすごい小説も、やはり事実には適わない。

なにしろ、一介の記者が、連続誘拐殺人事件の犯人として服役していた人物の無実を証明し、裁判をひっくり返し、警察と検察の嘘を暴き、さらには真犯人まで見つけてしまうのだから。
それも大手新聞の記者などではなく、週刊誌の記者が。

こんな筋のミステリ小説を書いたら「警察よりも新聞記者よりも先に、週刊記者が真実にたどりつくなんてありえない」と言われてしまいそうだ。それぐらいすごいことをしてるし、それぐらい警察や新聞記者がダメだったということでもある。


エンタテイメントよりもおもしろく、ホラーよりも恐ろしい。
なにしろ真犯人はほぼわかっているのにまだ捕まっていないのだから。

ひさびさに「読みながら全身の血が震える」という感覚を味わった。
全ジャーナリスト、全捜査関係者に読んでほしい。
というか財布に1,744円以上入っている人は全員買って読んでほしい。


読んでいると、警察はもちろん、警察の発表をそのまま垂れ流していた報道機関に対してもむかむかとしてくる。
無実の人間を糾弾しておいて、冤罪だったことが明らかになるとたちまち手のひらを返して自分は何も悪くないとばかりに警察叩きに終始するマスコミ。

「足利事件」の冤罪報道はぼくもよく覚えているが、「無実の人を犯人扱いしたことをお詫びします」と伝えていたテレビ局はぼくの知っているかぎり1社もなかった(さすがに新聞は申し訳程度の反省記事を書いていましたが)。

ただその一件をもって「マスゴミ」などと断罪する資格は、ぼくのような傍観者にはない。無罪報道がなければぼくもまた「あいつが犯人か」と思いこんでいたのだから。


こうした冤罪事件は今後も起こる。百パーセント正しい制度というものはない以上、必ず過ちは起こる。
そうなったら警察は身内を守るために嘘をつくだろうし、マスコミは警察の発表をそのまま報道してしまうだろう。

それを防ぐことはできない。
組織が自らの不利益になる行動することなんてありえない。
ある程度の分別のある大人なら、自浄作用なんて期待するだけ無駄だということをわかっている。
だったら、どういうシステムを構築すれば被害を最小限にできるかに知恵を絞ったほうがいい。

ぼくは、事件の大小に関わらず、刑事事件の容疑者の氏名を公開することをやめればいいいと思う。
実名報道にどういう意味があるんだろう。
「先日起こった殺人事件の容疑者が身柄を拘束されました」だけでいいのでは。
顔写真とか氏名とか年齢とか職業とか中学校の文集とかを日本中に公開する必要ってどこにあるんだろう。
「公権力の暴走するときのチェックになる」という考えもあるが、実名報道したって公権力は暴走するし。

「おれは犯人のツラをおがんで溜飲をさげたいぜ」という人だっているだろう。
「犯罪者は、悪いことをしたという過去を一生引きずっていけばいいんだ。社会更正なんてしなくていいんだよ」という人だっているだろう。
でもそれは今の日本の法律に則した考え方ではない。刑法では罰金刑や懲役刑、あるいは死刑が定められているけど、それ以上の社会的制裁を課すことは定めていない。

インターネット出現以前であればよほどの大事件をのぞけば犯人の名前なんてすぐに人々の記憶からは消えていたけど、名前を検索すればすぐに何年も前の事件が明らかになる現代においてはより社会的制裁の影響は大きくなっている。
「1年間刑務所に入るより犯罪者として自分の名前がインターネットに残りつづけるほううがキツい」と思う人のほうが多いだろう。ぼくもそう思う。
刑法で定められているよりも大きな罰を与える(私刑をする)権利が報道機関にあるのだろうか。

「そうはいってもわたしは犯人の卒業文集が読みたいわ。ざまあみろと思って胸がすっとするから」という人は、それを人前でも言えるだろうか。
たいていの人は言えない。それは「心の醜さをうつしだした願望」だから。
そういう気持ちはぼくにもある(人一倍強いぐらいだ)が、そういうどす黒い欲望と刑罰は切り離して考えなければいけない
刑法は、復讐心や野次馬根性を満たすためにあるわけではないのだから。

まして [容疑者] の段階で大きく氏名を報じるなんて言語道断だ。
容疑者が犯人でなかった場合の補償なんか誰にもできないのに。

それに氏名が公開されないほうが再犯率が下がるんじゃないかな。社会復帰してまともな職につきやすくなるんだから。


というわけでぼくが「こうだったらいいのに」と思う、犯人の実名報道に関するルールは以下の通り。

・未成年にかぎらず、すべての事件の容疑者の実名は捜査関係者、司法関係者、保護観察官、保護司以外には公表しない。

・裁判で死刑または無期懲役が確定した場合にのみ、氏名を一般にも公表する(事件が重大であるためと、加害者が社会復帰する可能性がほぼないため)。

・政治家の収賄など、市民の代表として選ばれたものがその立場を利用して犯した罪に関しては、以降の選挙に反省を活かすために例外的に公開する(ただしこれも刑が確定してから)。

・上記の規則を破ったものに対しては、刑事罰は課さないが、「醜い野次馬根性を満たすために規定を守らなかったもの」として氏名を公開する!

いかがでしょう?


 その他の読書感想文はこちら


2016年6月20日月曜日

【思いつき】ひび割れた未来

こうして誰もが携帯電話を持ち歩く世の中を、昔の人は想像しただろうか。 

  .....想像しただろうな。


 手にした携帯電話で調べればたいていのことはすぐにわかる世の中を、昔の人は想像しただろううか。

   ......想像した人もいただろうな。


その携帯電話の液晶画面が割れてるのにそのまま使いつづける世の中を、昔の人は、

   想像しなかったにちがいない!


2016年6月19日日曜日

【エッセイ】かっこいい消費期限切れ

職場にあった、ちょっと古くなったお茶を捨てようかと女性社員が話していたので、

「こんぐらい大丈夫でしょ!」

とかっこつけて自信満々に飲み干して、そしたら帰宅してから嘔吐して、でも翌日休んだら
「やっぱりあのお茶が……」
ってことになってものすごく恥ずかしいので、無理して出勤するわたくし。


てゆうか古いお茶を飲むことのどこが「かっこつける」ことになるのか、教えてくれ昨日の自分よ。