2016年2月12日金曜日

【エッセイ】こたつと政権交代

ひとり暮らしの醍醐味といえば、やはり「こたつで寝てもいい」ということに尽きる。
小さい頃は、こたつで寝てしまったら親に布団まで運ばれた。
運んでもらえるのはありがたいけど、布団に入ったとたん、布団の冷たさで起きてしまう。
まず布団を持ってきてこたつに入れてあたためて、よくあたたまった布団にあたしを入れて、しかる後に布団ごと運んでくれたらいいのに、と思っていた(自分が親なら、布団まで運んでやった子どもにそんな要求されたら戸外に放りだすけど)。

もう少し大きくなったら布団まで運ばれることはなくなったけど、「そんなとこで寝ないで布団で寝なさい」と言われるようになった。
聞こえないふりをして寝ていたら、こたつの電源を切られた。
あたしがグレて消しゴムを最後まで使いきらずに早めに新しいやつをおろすようになったのは、この悔しさがきっかけ。



だからあたしがひとり暮らしをはじめて最初の冬。
かねてからの念願だった、こたつで朝まで寝る計画を実行に移すことにした。

準備は周到に。
敷き布団をこたつの下に敷き、枕をセット。
熱すぎないよう、こたつの温度は最低。それでも喉がかわくことを予想して、手の届くところにお茶を配置。
こたつの上にはお菓子を並べ、寝たままでもテレビを観られるように軽く模様替え。

カンペキ。

で、結果は云うまでもなし。
こたつで寝たことある人ならわかると思うけど、夏場のアスファルトの上にへばりついてるミミズ状態。
こたつの温度を弱にしてるのにぜんぜん弱くない。強烈な強さはないのに、じわじわと攻めてくる。往年の貴ノ浪みたいな粘り腰。

そんで喉がからからになって目が覚めて、お茶を飲んで、電源をオフにする。
で、寒くて寝られない。
で、電源オン。
で、アスファルトミミズ。
で、電源オフ。

ずっとそのくりかえし。
アメリカ民主党と共和党みたいに、一晩中電源オンとオフが交互に政権とってた。
あたしのこたつが二大政党制。



そして政権交代をくりかえしているうちに朝を迎えた。
次の日は眠さしかなかった。喜怒哀楽あらゆる感情が眠さにとってかわられた。
こたつの脚に四方固めきめられてて寝返りも打てなかったから、背中も腰も痛かった。

そしてあたしが学んだ教訓がひとつ。

こたつでの睡眠と 頻繁な政権交代は、国民を疲弊させるってこと。

2016年2月11日木曜日

【エッセイ】男のシャンプー

男向けシャンプーの効能を見るのは楽しい。

女の人向けのシャンプーは、
『髪に豊かなうるおいを』
『しっとりなめらか』
『海の恵み』
『フローラルの香り』など、
おとぎ話のように美しくて抽象的な言葉がならんでいて、おもわずゲロを吐きそうになる。

その点、男のシャンプーはいい。
『汗のにおいを抑える』とか
『皮質の汚れを落とす』とか
『フケ・かゆみに効く』とか、
何に効くのかがじつに単純明快でわかりやすい。

腹がへったから食う!
くさくなったから洗う! みたいな。

そんな男シャンプー界においてダントツのいちばん人気を誇るのはやはり『抜け毛予防』だ。
もちろん抜け毛が気になるお年頃であるぼくも、シャンプーを選ぶポイントは「一にハゲない、二にハゲない、三、四がなくて五にハゲない」だ。
フローラルの香りなんかどうでもいいから、とにかく生えるやつを!


各社、抜け毛予防シャンプーを出しているが、どの会社の製品がいいのかは、「人はなぜ生きるのか」というテーマと同じく、いまだにこれといった正解が出ていない。
だからそれぞれの製品の効能書きから、自分で判断するしかない。
契約書はろくに読まずに印鑑を押しちゃうぼくだけど、シャンプーの効能だけは熟読する。全製品、二度ずつ目を通す。
成分表まで読んで、おお、このα-オレフィンオリゴマーというのは効きそうだなとか、このラウリル硫酸アンモニウムというやつは頭皮に悪いんじゃないのかとか、わかんないなりにいろいろと推測をする。

そんな男シャンプー効能書き愛好家のぼくには、許せないことがひとつある。

抜け毛予防に効果アリと謳うシャンプーの用法に
「適量を手にとり、頭皮をマッサージしながら髪全体によくなじませてください」
と書いてあるのだ。

ずるい!
それでハゲを防げたとしても、それはシャンプーじゃなくてマッサージの力じゃないか!

2016年2月10日水曜日

【エッセイ】未風呂人


そうなんです、風呂は好きなんです。
だから余計にふしぎなんですよ。

風呂が嫌いなら、わかりますよ。
熱いお湯に浸かるのがいやだとか、
身体に泡をつけるのが気持ち悪いとか、
狭い風呂場に閉じこもるのが怖いとか。
そういう理由があって風呂が嫌いだという人も世の中にはいるでしょう。

けれどぼくはそうじゃない。
風呂が好きなんです。
ゆっくりお湯に浸かっていると一日の疲れがとれるし、風呂で読書をするのは至福のひとときだし、風呂から出たあとはほどよく疲れて気持ちよく眠れる。

だのに。
だのになぜ。

風呂に入るのってあんなにめんどくさいんだろう。


そろそろ風呂入らないと……。と思いながらも、行く気になれない。

眠いなあ。風呂に入らなかったら30分多く寝られるなあ。

風呂場まで遠いしなあ。
ここから4メートルもあるしなあ。

風呂上がりに着るパジャマを用意するのもめんどくさいなあ。
どうせすぐ服を着るのになんで脱がなくちゃいけないんだろ。

運動をしたわけでもないからそんなに汚れてないしな。
2週間くらいは風呂に入らなくても平気だと思うな。

そもそも誰が風呂なんて考えたんだろ。
卒業式で在校生代表が送辞を読む儀式と同じくらい、誰も得しない風習だよなあ。

だいたい“在校生”ってなんだよ。
『学校に在るほうの生徒』と書いて在校生。
なんだそりゃ。生徒って学校にいるのがふつうだろ。
なんで出ていくやつ中心の視点で語ってんだよ。
たいていは学校を出ていくやつより残る生徒のほうが多いんだから、多数派にあわせろよ。

学校にいる生徒のことを“在校生”っていうんだったら、生きてる人間のことを『命があるほうの人』って書いて“在命人”っていえよ。
死んでいくやつ目線で生きてるやつのことを語れよ。
 
◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆ 

……と、そんなことをうだうだ考えているうちに、もう15分たってるわけで。
15分前より眠さも増しているから、その分、風呂に入りたくないという気持ちは15分前より強くなっているわけで。

こんなことならさっき入っときゃよかった。


しかしほんとふしぎ。

風呂に入るのは気持ちがいい。
快楽を与えてくれる。

快楽を与えてくれる行為は、ほかにも食事とか睡眠とかセックスとか飲酒とかいろいろあるけど、どれも後悔というリスクをともなう。

「あのときあれ食べなきゃよかったな……」

「なんでおれあのとき起きなかったんだろ……」

「あんな男に身体を許すんじゃなかったわ……」

「飲むんじゃなかった……」

そんな経験、一度や二度ではないだろう。

快楽をもたらす行為には、常に後悔がつきまとう。


ところが。
あなたにはあるだろうか!?

風呂に入ったことを後悔したことが!

ぼくには、ない。

生まれてこのかた1万回は風呂に入ってきたけど、これまで一度たりとも
「あー! 風呂に入らずに寝とけばよかったー!」
って思ったことはない。
「やっちまった……。風呂に入っちまった……。どうしてあんなことしちまったのかな。魔が差したんだな……」
って悔やんだこともない。

そう、風呂はノーリスクなのだ!


ノーリスクで快楽を与えてくれるもの、それが風呂。

ギャンブルとか違法ドラッグとかハイリスクな快楽を追い求めている人に教えてあげたい。

風呂はノーリスクで気持ちよさを味わえる!

風呂こそが快楽の王様!

こうして風呂に入れるなんて、生きててよかった!
在命人でよかった!


◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆

……と、そんなことをうだうだ考えているうちに、もう40分たってるわけで。


2016年2月9日火曜日

【読書感想】スティーヴン・キング『グリーン・マイル』

内容(「BOOK」データベースより)
大恐慌さなかの一九三二年、アメリカ南部、コールド・マウンテン刑務所。電気椅子へと続く通路は、床に緑のリノリウムが張られていることから通称“グリーン・マイル”と呼ばれている。ここに、双子の少女を強姦殺害した罪で死刑が確定した黒人男性ジョン・コーフィが送られてくる。看守主任のポールは、巨体ながら穏やかな性格のコーフィに一抹の違和感を抱いていた。そんなある日、ポールはコーフィの手が起こした奇跡を目の当たりにしてしまう…。全世界で驚異的ベストセラーとなったエンタテインメントの帝王による名作が、十七年の時を経て鮮やかに蘇る。

『刑務所のリタ・ヘイワース』と並んで有名な、キングによる刑務所を舞台にした作品。
『刑務所のリタ・ヘイワース』ときいてもピンとこないかもしれないが、映画『ショーシャンクの空に』の原作だと云われれば、ああ、あの。とうなずく人も多いだろう。
『グリーン・マイル』も、スピルバーグ監督の同名映画のほうが有名だ。

エンタテインメントとしては、『刑務所のリタ・ヘイワース』のほうがずっとおもしろい。
謎解きの要素やどんでん返しがあり、勧善懲悪的なストーリーなので、最後はすかっとする
『グリーン・マイル』のほうは、全体的に重たくて、読むのに体力を要する。
前半は何もおこらないし、残酷きわまりない描写はあるし、終始イヤなやつが主人公と読み手を不快にさせるし、善人が救われないし。
明るくハッピーなだけの物語を読みたい人にはまったくおすすめできない。


『グリーン・マイル』は“神”の物語だ。
ぼくはこの本を読みながら、遠藤周作の『沈黙』を思いだしていた。

『沈黙』のストーリーはこうだ。
江戸時代、キリシタンの男が厳しい弾圧に遭い、拷問を受ける。男は神の救済を一心に信じて拷問に耐えつづけるのだが、事態は一向に改善しない。信仰心に報いずに「沈黙」を貫く神に対して、ひたすら神を信じていた男はついに疑念を持つ……。

一方、『グリーン・マイル』には神の使いのような男が登場して、病気を治したりネズミを助けたりといった数々の奇跡を起こす。
だがその奇跡は大きな問題を解決しない。
無惨に殺された双子の少女は助けられない。痴呆を治した相手は事故死する。そして、奇跡の使い手である男は無実の罪で死刑に処せられることが確定している……。

どちらの作品でも描かれているのは「信じるものを救わない」神の無慈悲さであり、信仰する神に疑念を抱いた人間の、信じたいが信じられないという葛藤である。

無宗教の人間からするとそんな神様さっさと捨ててしまえばいいじゃんと思うのだが、やはり信者からするとそういうわけにはいかないのだろう。

ぼくは宗教を持たないが、それに代わる拠り所はある。
国家が己のために何もしてくれなかったとしてもぼくは日本人でありつづけるだろう。
親が自分にとって害をなすだけの存在になったとしても、やはりかんたんに親子の縁は切れないだろう。

自らを形成しているものが破壊されたとき、ぼくは自身を再構築できるんだろうか。
途方もなくめんどくさそうだ。
めんどくさいあまり、『グリーン・マイル』における神の使いのように、死を選んでしまうかもしれない。


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2016年2月8日月曜日

【エッセイ】エッジ・トーク

会社の後輩と話していて、うちに2歳の娘がいるという話になった。

「うわー。いちばんかわいいときですね。お父さんとしては、今から娘さんが結婚したら……と考えて悲しくなったりしないですか?」

と訊かれたので

「いやー。それはべつに悲しくないなー。逆に、結婚できなかったらと思うと悲しいけど」

と答えたら、
「そうか……。あー、そうですね……。うわー……」
と、落ち込ませてしまった。

29歳独身女性を無意識に刺してしまった。