2015年11月18日水曜日
2015年11月17日火曜日
【エッセイ】無神経な父
ぼくの父親はほんとに無神経な人だ。
プレゼントをもらったときに
「同じやつこないだ買ったばっかりなんですよ」
って言っちゃう。
「うちの家ほんとに田舎で……」と謙遜する相手に
「あーたしかに、あのへんほんとになんにもないですよね!」
と言ったこともある。
悪気がないのが余計にたちが悪い。
無神経な発言をしては、母にたしなめられるのが常だ。
ぼくが小学生のときのこと。
「わらじを作る」という授業があった。
紐を編んでわらじを作る。
まずは自分ひとりで一足作り、残り一足は授業参観の日に保護者と一緒に作るという予定だった。
前半のわらじ作りの日。悪ガキだったぼくは、悪友Sと一緒に紐で指を縛ったり、紐を切って投げたりと、ぜんぜんまじめにわらじを編まなかった。
ふと気がつけば、他の子たちのわらじ作りは着々と進んでいる。すでに一足完成させた子もいる。
やばいな。おれらもそろそろやるか。
あれ。
けっこう難しいな。ちゃんと説明聞いてなかったからな。
まずい、このままだとおれとSだけまったくできていないじゃん。
……ふと隣を見ると、Sはすごい勢いでわらじを編みあげてゆく。
しまった、こいつめちゃくちゃ器用なんだった!
そして無情にもチャイムが鳴り、前半のわらじ作りが終わった。
周りを見渡してみると、どんなに遅い子でも4割は完成している。ぼくだけだ、1割もできていないのは。
その日から1週間、ぼくはずっと憂鬱だった。
わらじができていないことはべつにかまわない。自業自得だ。
問題は、ぼくだけがぜんぜんできていないこの状況を、授業参観でやってきた母が見たとき、何と思われるかだった。
母は怒るだろうか。
いや、それならまだマシだ。
母はきっと怒らない。きっと深いため息をつくだろう。そして悲しそうな顔を見せるにちがいない。
己のばかな行為で母親を悲しませる。ほんとに気が滅入る話だ。
まじめにわらじを作らなかったことを心底後悔した。
そして授業参観当日。
意外にも、学校に来たのは母ではなく父だった。
ぼくの父は仕事大好き人間なので授業参観のようなイベントに来るのは決まって母親だった。 母に用事があって代わりに休みをとったのだろう。父が参観日に来たのは後にも先にもこのときだけだった。
「それでは、おうちの人と一緒にわらじ作りの続きをしましょう」
担任が言い、みんなはロッカーに作りかけのわらじを取りに走った。ぼくだけが重たい足どりで、1割もできていないわらじを取りに行った。
父は、戻ってきたぼくが手にしている、ちっともできていないわらじ(というかほとんどただの紐)を見た。それから周囲を見渡して、他の子の作品と見比べた。自分の息子だけがダントツで見劣りしていることは明らかだった。
父は、笑った。
それはもう、大笑いだった。
「はっはっは! おまえだけぜんぜんできてないじゃないかー!」
ぼくのできそこないのわらじを指さして爆笑していた。
予想に反して父が大笑いしたので、ぼくはびっくりして、そして照れ笑いを浮かべた。
「おまえだけだぞ、こんなにひどいのは。なんだこれ。わらじの形にもなってないじゃないか! はっはっは!」
「ははっ。ずっと遊んでたからね」
「ほんとおまえはダメだなー!」
もし母がこの場にいたら、「そんなこと言わないの!」と父をきつくたしなめていたことだろう。
だが父はちっともぼくに対して気を遣わなかった。
そして「ぜんぜんできてないけどしょうがない、一からわらじつくるかー」と言ってぼくと一緒にわらじを完成させた。
ぼくは、このときの父の無神経さに心から救われた。
作ったものをばかにされて、嘲笑されて、おまえはダメだと言われたことで、1週間憂鬱だった気持ちがすっと晴れた。
同情よりも無神経にばかにするほうが、よっぽど相手を楽にすることもあるということをぼくは学んだ。
プレゼントをもらったときに
「同じやつこないだ買ったばっかりなんですよ」
って言っちゃう。
「うちの家ほんとに田舎で……」と謙遜する相手に
「あーたしかに、あのへんほんとになんにもないですよね!」
と言ったこともある。
悪気がないのが余計にたちが悪い。
無神経な発言をしては、母にたしなめられるのが常だ。
ぼくが小学生のときのこと。
「わらじを作る」という授業があった。
紐を編んでわらじを作る。
まずは自分ひとりで一足作り、残り一足は授業参観の日に保護者と一緒に作るという予定だった。
前半のわらじ作りの日。悪ガキだったぼくは、悪友Sと一緒に紐で指を縛ったり、紐を切って投げたりと、ぜんぜんまじめにわらじを編まなかった。
ふと気がつけば、他の子たちのわらじ作りは着々と進んでいる。すでに一足完成させた子もいる。
やばいな。おれらもそろそろやるか。
あれ。
けっこう難しいな。ちゃんと説明聞いてなかったからな。
まずい、このままだとおれとSだけまったくできていないじゃん。
……ふと隣を見ると、Sはすごい勢いでわらじを編みあげてゆく。
しまった、こいつめちゃくちゃ器用なんだった!
そして無情にもチャイムが鳴り、前半のわらじ作りが終わった。
周りを見渡してみると、どんなに遅い子でも4割は完成している。ぼくだけだ、1割もできていないのは。
その日から1週間、ぼくはずっと憂鬱だった。
わらじができていないことはべつにかまわない。自業自得だ。
問題は、ぼくだけがぜんぜんできていないこの状況を、授業参観でやってきた母が見たとき、何と思われるかだった。
母は怒るだろうか。
いや、それならまだマシだ。
母はきっと怒らない。きっと深いため息をつくだろう。そして悲しそうな顔を見せるにちがいない。
己のばかな行為で母親を悲しませる。ほんとに気が滅入る話だ。
まじめにわらじを作らなかったことを心底後悔した。
そして授業参観当日。
意外にも、学校に来たのは母ではなく父だった。
ぼくの父は仕事大好き人間なので授業参観のようなイベントに来るのは決まって母親だった。 母に用事があって代わりに休みをとったのだろう。父が参観日に来たのは後にも先にもこのときだけだった。
「それでは、おうちの人と一緒にわらじ作りの続きをしましょう」
担任が言い、みんなはロッカーに作りかけのわらじを取りに走った。ぼくだけが重たい足どりで、1割もできていないわらじを取りに行った。
父は、戻ってきたぼくが手にしている、ちっともできていないわらじ(というかほとんどただの紐)を見た。それから周囲を見渡して、他の子の作品と見比べた。自分の息子だけがダントツで見劣りしていることは明らかだった。
父は、笑った。
それはもう、大笑いだった。
「はっはっは! おまえだけぜんぜんできてないじゃないかー!」
ぼくのできそこないのわらじを指さして爆笑していた。
予想に反して父が大笑いしたので、ぼくはびっくりして、そして照れ笑いを浮かべた。
「おまえだけだぞ、こんなにひどいのは。なんだこれ。わらじの形にもなってないじゃないか! はっはっは!」
「ははっ。ずっと遊んでたからね」
「ほんとおまえはダメだなー!」
もし母がこの場にいたら、「そんなこと言わないの!」と父をきつくたしなめていたことだろう。
だが父はちっともぼくに対して気を遣わなかった。
そして「ぜんぜんできてないけどしょうがない、一からわらじつくるかー」と言ってぼくと一緒にわらじを完成させた。
ぼくは、このときの父の無神経さに心から救われた。
作ったものをばかにされて、嘲笑されて、おまえはダメだと言われたことで、1週間憂鬱だった気持ちがすっと晴れた。
同情よりも無神経にばかにするほうが、よっぽど相手を楽にすることもあるということをぼくは学んだ。
2015年11月16日月曜日
【写真エッセイ】エサヤルナラマスクかけてやれ
公園にあった落書き。
なんかものすごい狂気と暴力性を感じる……。
と思ったんだけど、見た目のインパクトが強烈だからそう思うだけで、冷静に書いてあることの内容だけみると、見ず知らずの誰かの健康を気づかう心優しいメッセージだ。
表現のしかたがおかしいだけで、じつはこれを書いた人はすごくいい人なんじゃないか?
ま、でも、かかわりあいにはなりたくないけど。
なんかものすごい狂気と暴力性を感じる……。
と思ったんだけど、見た目のインパクトが強烈だからそう思うだけで、冷静に書いてあることの内容だけみると、見ず知らずの誰かの健康を気づかう心優しいメッセージだ。
表現のしかたがおかしいだけで、じつはこれを書いた人はすごくいい人なんじゃないか?
ま、でも、かかわりあいにはなりたくないけど。
2015年11月15日日曜日
【読書感想】 内田 樹 『街場の戦争論』
ぼくが他人に読ませる文章を書くときに心がけていることがふたつある。
ひとつは「自慢ほどつまらないものはない」ということ。これは説明不要。
もうひとつは「『~するべき』の言い回しを極力避ける」ということ。
右翼でも左翼でも、原発推進派でも反対派でも、うどん派でもそば派でも一緒だけど、
「~するべき」「~しなければならない」「~という考え方をするやつはだめだ」
という調子で書かれたものは、まあつまらない。
逆説的だけど、他人に指示をする文章は、他人に読ませる文章ではない。
登山をするべきだとはどこにも書いていないけれど、読んだ後に「おれも山に登ろう!」と思わされるテキスト。それが他人に読ませるための文章だ。
あるいは「おれは山が嫌いになった!」と思わされるテキスト。これもまたいい文章。
書き手の意図とはぜんぜんちがう方向に心を動かされるのも、すばらしい読書体験だ。
金曜ロードショーで観る映画が7割減でおもしろくなくなるのは、画面の端に
「この後、感動のエンディング!」
みたいな煽り文句が出てくるから。
はいここで泣きなさい、この映画は名作なので感動しなさい。そんなことを言われておもしろくなるわけがない。
論争とは自己満足と自己満足のぶつかりあい。他人を動かす力はない。
テレビ番組や国会の論争を見て「これはいいものを見た」と思ったことはありますか。ぼくはない。論争をしている人たちのうち少なくとも片方を、多くの場合は双方を嫌いになる。耳を貸したくなくなる。
こうすべき、これが絶対に正しい、という主張に人を動かす力はない。
スローガンというやつも同じ。
書くの好きな人多いよね、スローガン。
学校の教室に貼ってある「元気に明るくあいさつしよう」やら、オフィスの「汗と知恵を出せ!」やら、電車内の「チカン、アカン」やら。
あれを読んで「よし、元気に明るくあいさつしよう!」とか「今まで温存していたけど、知恵を出すことにしよう!」とか思ったことはありますか。ぼくはありません。痴漢があれを見て「チカン、やめよう!」と思うこともないだろう。
あんな直截的なメッセージで人の心を動かせるなら、小説家なんてひとりもいらない。何百ページにもわたる小説を書く必要なんかない。たった一文、「感動しなさい」と書くだけでいい。「おもしろがりなさい」と書くだけでいい。
そんなわけでぼくは思う。
「~するべきだ」という言い回しはぜったいに避けるべきだ!
2015年11月13日金曜日
【エッセイ】ナッツなめちゃいました
同僚のA田さんは、美人なのに結婚できないまま30歳を迎えた。
彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。
そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
あの、A田さん。
100円足りないんですけど。
そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。
「A田さん、ほんとナッツ好きですね」
「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」
「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」
「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」
ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。
「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」
「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」
「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」
とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。
あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
近くの席の人たちが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。
彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。
そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
あの、A田さん。
100円足りないんですけど。
そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。
「A田さん、ほんとナッツ好きですね」
「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」
「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」
「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」
ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。
「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」
「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」
「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」
とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。
あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
近くの席の人たちが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。
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