2015年6月15日月曜日

嘘つき村人の独白

出身地ですか……。いちばん答えにくい質問なんですけどね。

いや、いいんです。
そういうのじゃないんで。

私の出身は「嘘つき村」です。
あなたも、一度は耳にしたことがあるでしょう?
「必ず本当のことを言う正直村の村人と、嘘しか言わない嘘つき村の村人を、一度の質問で見破ってください」
とかいうやつ。論理パズルっていうんですか?
そのパズルでおなじみの「嘘つき村」です。

そうなんですよ。みなさんびっくりするんですけどね。実在するんですよ。
というより、みんなが作ったといったほうがいいかもしれませんね……。

誰があのパズルを考え出したのかは知りません。
でもあのパズルは人口に膾炙して、私立を受験するような子なら小学生でも知っている。
みんなの頭の中に「嘘つき村」はたしかに存在する。イメージってのはエネルギーですからね。そのエネルギーがあまりにも大きくなったとき、概念としての存在でしかなかった「嘘つき村」はたしかな実体となって生まれたのです。私たち村人と一緒に……。

私は「嘘つき村」で生まれ育ったわけですが、そりゃあ嫌なものですよ。
誰もが嘘しか言わないんだから。
何を信じていいのかわからなくなりますよね。

でももっとつらかったのは、村の外に出るときです。
「嘘つき村の村人」というレッテルを貼られ、誰もまともに話なんか聞いてくれません。
仕方ないですよね、村人全員嘘つきなんだから。
近くに「正直村」があって、そこの村人が誰からも愛されていたのとは大違いです。「正直村」はもうすぐ世界文化遺産に登録されるんだとか。

でもね。最近ふと思うんです。
私たち「嘘つき村」の村人と、「正直村」の村人にいったいどれほどの違いがあるんだろうって。
必ず嘘をつくって、考え方を変えれば、こんな正直な話はないですよね。
全部嘘なんですから。ひっくり返せば、思っていることは全部わかっちゃうわけです。
私たちからすれば、正直と嘘を巧みに使い分けるあなたがたのほうが、よっぽど嘘つきだと思います。

あ、すみません。
愚痴っぽくなっちゃいましたね。
こんなこと言うつもりはなかったんですが。

今言ったことは全部忘れてください。

全部嘘なんです。
だって私、「嘘つき村」の村人なんですから。
……本当ですよ。

2015年6月14日日曜日

古今東西おすもうアンドロイド

オリンピックを見るたびにあたしは思う。
なんでおすもうがオリンピック競技じゃないのよって。

声を大にして言いたい。
いや、もう大にして言ってる。
さっき隣人から「うるせえぞ!」と苦情が飛び込んできたところだ。

柔道はうまいことやってる。
世界競技になっちゃって。
なのにおすもうはいまだオリンピック競技になっていない。
アジア大会すら開かれていない。
北青森ちびっこ相撲大会しか開かれていない。

あたしはおすもうが大好きだ。
あたしだけじゃない。
世界中誰もがおすもうを好きだと思う。
古今東西問わずだ。
古代エジプトのクフ王だって、中世ヨーロッパの奴隷だって、23XX年の未来都市TOKIOに生きるアンドロイドだって、きっとおすもうを見たら手に汗を握るはずだ。横綱が負けたら思わず座布団を投げてしまうはずだ。

おすもうは日本だけのものだと思っている人は多いみたいだけど、それはまちがい。
細かいルールはちがうけど、モンゴルにだって韓国にだっておすもうはある。
よく知らないけど、ヨーロッパにだってアフリカにだって北極にだってあると思う。

[お互いがぶつかって相手を陣地から追い出す]

どんな文化にだって、こんなシンプルな競技が誕生しないはずがない。
自然発生的に誕生するにきまってる。

飛行機に乗ると、隣の人とひじかけの所有権を争って抗争(ひじの押し合い)がくりひろげられたりする。
そう、あれだっておすもうの一種だ。

専務と常務の仲が悪くて、策略をめぐらして相手を会社から追放しようとしたりする。
そう、これもおすもうの一種だ。

フリーキックのとき、フォワードと相手ディフェンスがいい場所をとりあって体をぶつけたりする。
そう、いうまでもなく、これはサッカーだ。


[地面に手をついたら負け]

これもおすもうのルールだけど、これだって世界共通のルールだ。

裁判でも戦争でも、地面に手をついて謝るのは敗者のほうだ。

改めて説明するまでもない。
水泳、レスリング、野球、ラグビー。どんな競技でもいい。決着のついた直後の選手を見てごらんなさい。
勝った方は天に拳を突き上げて喜んでいる。
負けた方は地に手をついて悔しがっている。
二足歩行をはじめたときから人類が共通して持っているルールだ。

こんなわかりやすいルールのおすもうが、世界に受け入れられないはずがない。
なのにどうして国際種目になれないのよ。


こう云うと、わけ知り顔でこんなことを云うやつがいる。
「おすもうが世界競技にならないのはね。あのまわしスタイルが理由なんだよ。
 おすもうさんは尻を出してるだろう?
 あのまわし姿が、他の国の人にはハレンチととられるんだ」

そんなやつには声を大にして反論したい。
いや、もう大にしてる。さっき隣のやつに「何度注意したら静かにするんだ」と云われたところだ。
だからもう静かにするけど、これもまたどっちが陣地(アパート)から追い出されるかを競ってるわけだから、おすもうだと思わない?

2015年6月13日土曜日

模倣ならではの下品さ

大通りを、ごてごてした装飾の宣伝カーが走っていた。

「一攫千金の夢の楽園『マカオ』にお越しください……」

ってスピーカーで流しながら走っていたので、パチンコ屋の宣伝うるせえなあと思って目をやったら、旅行代理店とマカオ観光局のタイアップ企画だった。
ほんまもんとは思えない品の無さだった。

2015年6月12日金曜日

キツツキに告ぐ

おいキツツキとクワガタムシ!
聞いてるか!?
おまえらに言ってるんだぞ!

ユーロビートが漁場を荒らす


ぼくが通ってた高校はそこそこの進学校だったのでヤンキー同士の意地の張り合いみたいなのはほとんどなかったけど、
その代わり文化系男子による音楽抗争がばちばちと、しかし静かに繰り広げられていた。

具体的には、休み時間や放課後に、廊下でイヤホンを耳に当てて、窓の外を見ながら小さくリズムに乗って揺れていたやつらのことだ。

まずこの廊下というのがポイントで、誰かを待っている風を装って自然にたたずむことができる上に、人通りが多いので、声をかけてもらいやすい。
そう、彼らは音楽を聴きたくてイヤホンを耳に当てているのではない。
「何聴いてるの?」
この一言をかけてもらうために、いわば廊下という漁場に釣り糸を垂れているのだ。

もし誰かが聞いてきたら、しめたものだ。
彼らは、よくぞ訊いてくれましたという歓喜の気持ちをぐっと抑えて、まるで至高の音楽を聴いているのを邪魔されて迷惑だというような表情を作りながら、自分の選曲センスの良さをアピールしだす。
「知ってるかなあ!オレンジペコっていうアーティストなんだけど!」

もちろん彼らが聴いているのは、オリコンランキング上位に名を連ねるようなアーティストなどではない。
洋楽か、マイナーな若手ミュージシャンのどちらかである。
(もっとも彼らがそのアーティストを知ったのはFMラジオで特集されていたからだ。FMで特集されるぐらいだからもう十分メジャーなのだが、田舎の高校生にとっては「おれだけが注目しているこれからのアーティスト」だ。)
ヤンキーたちがどちらが喧嘩に強いかを競いあうように、彼らはどちらがいかにマニアックな歌を聴いているかを競いあう。

たまにそのへんの感覚をこじらせちゃってるやつもいて、高2のときに同じクラスだったタツミくんは
「ユーロビートまじでいいよ。この学校でユーロビートにはまってるのはおれだけだろうけど、なんでみんなもっとユーロビート聴かないのかなあ。ほら、聴いてみ」
と、勝手にぼくの耳にイヤホンをつっこんで大音量のユーロビートを聞かせてくれた。

おかげでぼくはこの日からユーロビートとタツミを大嫌いになったし、今ではユーロビートがすっかりダサい音楽だっていう扱いを受けているのは、タツミみたいにみんなが釣り糸を垂らしているときに網を持ってざばざばと水に入っていって漁場を荒らしたユーロビート好きがいっぱいいたからなんだろうなって思ってる。