2018年1月4日木曜日

オリンピックは大会丸ごと広告/「選択」編集部『日本の聖域 ザ・タブー』【読書感想】


『日本の聖域 ザ・タブー』

「選択」編集部(編)

内容(e-honより)
「知る権利」が危うい。国際NGO「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」での、日本の順位は下がり続けている。大手メディアに蔓延する萎縮、忖度、自主規制―。彼らが避けて触れない「闇」は、政界、官界、財界、学界などに絡み合って存在する。それら25の組織や制度にメスを入れる、会員制情報誌の名物連載第三弾。
政治家やジャーナリストにも読者が多いという、会員制情報誌『選択』による「日本のタブー」。
陰謀論みたいな話かな、ちょっとうさんくさいなと眉に唾を付けながら読んだのだが、思っていたよりもまともな話だった。『選択』の執筆者には新聞記者が多いらしい。なるほどね、取材して知ったけどいろんな事情で新聞には書けない話、みたいなのがけっこうあるんだろうね。そういう人が匿名で発表する場が『選択』なんだそうだ。

理化学研究所、皇室、国立がん研究センター、日本体育協会、電通とスポーツ、原発城下町、人工妊娠中絶、公安警察、高齢者医療、教育委員会、防衛省、トクホ、児童養護施設など、「耳にすることはあるけれど何をやってるのかよくわからない組織」の問題点を指摘していて、なるほどたしかに聖域だなと思う。
ただそれが必ずしも"タブー"とは言えないよな。電通とか原発とかは広告収入に依存しているマスメディアは批判しにくいだろうけど、教育委員会とか防衛省とかはべつにタブー視されてるわけじゃなくて「あんまりおもしろくないから語られないだけ」だと思うけどね。

この手の「みんなが知らない裏の顔」みたいな話ってすごくおもしろいんだけど、「関係者の話によると~」みたいな話が多いので、どうしてもうさんくささはつきまとうんだよなあ。話題の性質上ソースを明かせないことが多いんだろうけど、その関係者が実在するかもわからないし、関係者ほど利害関係が濃厚だから嘘や誇張を入れることも多いだろうし、読んでいるほうとしては疑わしさを拭いさることができない。
ということで「こんな説もあるのか」ぐらいの気持ちで読むのがおすすめ。それぐらいのスタンスで読むとおもしろかった。




いちばんおもしろかったのは『スポーツマフィア 電通』の章。
一広告代理店に過ぎない電通がいかにスポーツを利用してうまく金儲けをしているかが描かれている。
このへんの話はぜんぜん知らなかったのでおもしろかった。

 かつては、アマチュア選手の肖像権を一方的にJOCが保有して、CM出演料などを得てきた。しかし、個人の権利が拡大するにつれて批判を浴びるようになり二〇〇〇年前後から代理店や、マネジメント会社と契約する選手が出てきた。この時点ではJOCの肖像権ビジネスには電通以外にも博報堂など他の代理店が関与していた。
 ここで電通が編み出したウルトラCがSA制度だ。肖像権自体は選手自身が保有するが、それをJOCに委託させる。SAに選ばれるのは有力選手であり、自らの商品価値を理解していればわざわざJOCにカネをむしり取られずに拒否すればよい。JOCも表向きは選手の自由意思ということにしている。
 しかし「実際にはSA登録の取りまとめは競技団体に委ねられている」(前出運動部記者)ため、本当の自由意思ではないという。各競技団体はJOCから助成金を受け取っている。所属している選手がSAになれば、その助成金は増加する。逆に言えば、選手がSAを拒否した場合、助成金が減額されるのだ。そのため団体側は事実上SA登録を強要することになった。一選手が競技団体幹部に逆らうのは困難だ。電通は競技団体を利用して独占的にトップ選手の肖像権を手に入れたのである。
 結果としてそれまで「コーチと選手」だった関係は「ボスとカネづる」になった。

たしかにスポーツ報道って明らかにおかしいもんなあ。
ふだんテレビでは柔道や水泳の話なんかまったくしないくせにオリンピックが近づいたらぎゃあぎゃあ騒ぐし、バレーボールも大きな大会のときだけ異常に盛り上がる(ように見せている)し、どう考えても「視聴者のニーズに応えてる」んじゃなくて「むりやりニーズがあるかのように見せかけている」だもんね。

アマチュアスポーツ選手の大半は金の交渉はできずに競技団体の言われるがままになるだろうし、そういう選手を利用して金を稼ぐのってめちゃくちゃボロい商売だろうなあ。そりゃやめられないだろう。

まあ虚像を売るのが広告の仕事だと言ってしまえばそれまでなんだけど。テレビなんかでよく耳にする「日本中が応援して感動するオリンピック」なんて、虚像以外の何物でもないもんな。オリンピックって大会丸ごと広告みたいなもんだよな。




「原発村」について。

 福島第一原発事故や、それ以後の再稼働を巡る議論は、既存の城下町に焦燥感を生み、かえって原発の重要度を再認識させるという皮肉な結果を招いている。
「ワシらは原発のカネに絡め取られた。もう元には戻れない」
 青森県六ヶ所村で細々と農業を続ける住民はこう語った。
 下北半島の太平洋側に位置する、人口一万一千人の村はかつて、酪農と農業しかない典型的な過疎地だった。それがいまや「日本一裕福」な自治体といわれる。
 この村には日本の核燃料サイクルの基幹企業である日本原燃が本社を置いており、原燃から税収が得られるのだ。一二年度の「村税」の見込みは六十八億円だが、そのうち約六十億円が原燃のものだ。一般会計予算規模は百三十億円余り(一二年度)。単純比較するのは難しいが、人口規模がほぼ同じ熊本県南阿蘇村の予算の二倍。同じ青森の人口八千人の田舎館村の一二年度予算は三十四億円だ。しかも、六ヶ所村は地方交付税の不交付団体であることを忘れてはならない。通常、標準の財政規模を超える税収があると、県に納めねばならない。六ヶ所村の予算はありあまる税収を使い切るために膨れ上がっている。わずか一万一千人の村民はここから手厚い行政サービスを受ける。使途が制限される「電源交付金」とは別に一般予算の半分近くを原燃から受け取れるのだ。

わあすごい。こりゃ抜けだせないだろうな。
家の近所に発電所ができて「千年に一度の大地震が起きたらこの土地はしばらく人の住めない土地になります。でもここに住んでいてくれたら働かなくても暮らせるお金をあげます」って言われたら……。うーん、逃げだせるだろうか……。
自分が八十歳で子どもも孫もいっしょに住んでいなかったらお金もらうだろうな。六ケ所村はそんな状態だろうね。

電力会社からするとこれだけのお金をばらまいてもお釣りがくるぐらいの利益があるんでしょうなあ。原発はクリーンなエネルギーだというけれど、少なくともお金の流れに関していえばとてもクリーンとは言えないね。
大金をばらまかなくちゃ誰も引き取ってくれないようなものだって時点でもう、原発はそうとうだめなものだよね。
百年後の人には「いくらエネルギーが足りないからって原子力発電をしてたなんて21世紀の人はばかだったんだなあ」と言われるにちがいない。





国立がん研究センターについて。

 二〇一〇年に独法化した際に当時の民主党政権は、厚労省の人事を白紙にして山形大学から嘉山孝正氏を理事長に選んだ。この「政治主導」には賛否があるが、実際に嘉山氏は、国がんに送り込まれる厚労官僚の順送り人事を凍結し、人件費をアップさせて職員の待遇を改善しながらも単年度黒字化するという結果を出した。また厚労省の天下り先を次々に潰すなど、多くの改革の成果を残した。
 当時、国がん内部からは嘉山氏に反発する勢力からの不満の声が漏れてメディアを賑わした。しかし「強引な手法が嫌われることはあったが、内部には支持する声もあった」(前出とは別の現職医師)という。抵抗勢力となっていたのは、主に既得権受益者である厚労省とその息のかかった医師だった。

批判も多い民主党政権だったけど(ぼくもトータルではあまり評価しないけど)、部分部分を見ると思いきった改革をしたことで腐敗した組織に風を入れたっていう一面はけっこうあるんだね。
だからこそ官僚を敵に回して長続きしなかったんだろうけどね。陰湿なところに生えるカビにとっては新しい風なんていらないもんね。
まあこれは自民党が悪いというより、長期政権が良くないんだと思う。民主党はいろんな病理にメスを入れたけど(そしてその多くは失敗したようだけど)、もしも民主党政権が長期化していたら同じようにどこかしらが腐敗していたと思う。
体制が変わらないってのはいいことも多いけど、止まっている水は必ず淀むからね。ときどきは入れ替えもしたほうがいいんだろうな。
個人的にはアメリカみたいな二大政党制ってあんまりいいとは思えないんだけど、政権と省庁の癒着が進むのを防ぐという点では二大政党制のほうがいいんだろうな。



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2018年1月2日火曜日

こどもらしい自由な絵


四歳の娘とお絵かきをして遊ぶ。

「バズ・ライトイヤー(映画『トイ・ストーリー』に出てくるおもちゃ)が描きたい!」
というので、絵本に載っていたバズを見せて描かせてみる。


うーん、よくわからん……。
上のほうに顔らしきものがある、ということだけがかろうじてわかる。

なんで中央がこんなにすかすかなのか尋ねると、「白のクレヨンがないから白いところは描かなかった」とのことだ。
なるほど、大胆な省略だ。

そういわれると、目を凝らして想像力で補うと体や脚が見えてくる、ような気もする……。

しかしぼくが親だからそこまで補ってくれるのであって、注釈と見る人の大規模な補完によってしか成り立たない絵というのはずいぶん不親切だ。
何の事前情報もなしにこの絵を見て「バズ・ライトイヤーだね」と気づいてくれる人は、ほとんどいないだろう。


そこで「お父ちゃんならこうやって描くな。まず鉛筆で描いて、それからクレヨンで色を塗る」と言って、ぼくも描いてみた(お手本と言えるほどぼくも絵がうまくないけど……)。
それが下の画像の右の絵。
さらにそれと同じように娘が描いたのが左の絵。


どうでしょう。
ぐっとうまくなったと思いませんか。親ばかですかね。
何の説明もなしに左の絵を見たとき、十人中一人ぐらいは「バズ・ライトイヤーを描いたんだね」と理解してくれるのではないだろうか。
少なくとも「人型の何かを描いたんだな」ということは伝わると思う。


「こどもらしいのびのびした線」は失われてしまった。でもそれでいいと思っている。どうせいつか捨てなきゃいけないものだ。早めに捨てたらいい。

絵を「己の内面を表現する手段」ととらえる人がいる。趣味の絵ならそれでいいと思うけど、内面の表出としての絵を他人に理解してもらえるのはごくごくひとにぎりの人だけだ。
絵は、言葉や文字と同じく情報伝達手段として用いられることのほうが圧倒的に多い。

なのに、教育現場ではやたらと「こどもらしい絵」がもてはやされる。
一歳児が「ごはん、たべたい」としゃべったら「すごい!」と言われる。「こどもらしく『あー』とか『まーまー』とか言いなさい」と言われることはない。
小学生が上手な字を書いたら「字が上手ね」と褒められる。「こどもらしいのびのびした雑な字を書きなさい」と言われることはない。
なのに、絵に関しては「こどもらしい自由な絵」が求められる。ふしぎだ。


2018年1月1日月曜日

冷やし中華であるならば


中華麺を茹でて冷やしたものが「冷やし中華」であるならば、

ハンバーガーとホットドッグは「はさみアメリカ」

タコスは「巻きメキシコ」

ジンギスカンは「焼きモンゴル」

ボルシチは「煮ロシア」

ピザは「焼きイタリア」でスパゲティは「茹でイタリア」

きりたんぽは「練り秋田」、うどんは「こね讃岐」

カレーは「煮込みインド」で、翌日のカレーは「寝かせインド」

冷やし中華は「冷やしちゃいな」

2017年12月31日日曜日

かっこいいおごりかた


人にご飯をおごるのってむずかしいよね。
たまに後輩におごることがあるんだけど、スマートにおごることができない。おしつけがましくなく、相手に気を遣わせないようにおごることができたらいいんだけど、どうやったらいいのかわからない。
「おごるよ」とストレートに言うのはなんだか照れくささがあって、「あっここはぼくがモゴモゴモゴ……」みたいな感じでなんとなく言葉を濁してしまう。

「知らない間にお会計を済ませている」みたいなのが理想だと思うけど、タイミングがよくわからない。
もうみんな食べ終わったかな? と思っても、追加注文をするかもしれないし。
さりとて「もう会計締めちゃっていい?」と訊くのはスマートじゃないし。
一度、ラストオーダー後にトイレに行くふりをして支払いを済ませたことがある。「よし、今日はスマートにできたぞ」と思った。
でもその後、店を出るときに後輩から「あれ? お会計は」と訊かれ、「もう済ませたよ」というのが気恥ずかしくて「まあそれはいいじゃないモゴモゴモゴ……」みたいな感じでそそくさと店を出たせいで、食い逃げみたいになってしまった。ダセえ。

体育会系から遠い人生を送ってきたし、女性との交際経験もあまりないから、おごりおごられってのに慣れてないのよね。





これはスマートだ、と思ったおごりかたを見たことがある。

大学生のとき、三学年上の先輩と食事に行った。
店を出るときに財布を出すと「いや、いいから」と言われた。
「じゃあ千円だけ……」というと、先輩が言った。

「あほか。おまえみたいなしょうもないやつに払わせられるか」

おお、かっこいい。
冗談にくるんでいるので恩着せがましさがまったくない。

さらにその後べつの先輩が「おれもしょうもないからおごってー」と言い、「いいや、おまえは立派なやつや。だから金を出せ」と返したところまで含めて、かっこよかった。


ぜひまねをしたいと思い、一度自分がおごるときに後輩に「おまえみたいなしょうもないやつに金を出させられるか!」と言ったところ、後輩が「あっ、はい、すみません……」と半分本気にとってしまい「あっ、うそうそ冗談」とあわてて取りつくろい、変なかんじになってしまった。
言う人のキャラクターもあるんだろうなあ。兄貴肌の先輩だったからかっこよかったんだけど、ぼくが言うとただの悪口になってしまう。
ということでその技は、それ以来使っていない。

2017年12月28日木曜日

2017年に読んだ本 マイ・ベスト12


2017年に読んだ本は、このブログに感想を書いているものだけで約百冊だった。
その中のマイ・ベスト12を発表。ベスト10にしようと思ったけど、どうしても絞り切れずに12作になってしまった。

なるべくいろんなジャンルから選ぶようにしました。
順位はつけずに、読んだ順に紹介します。

こだま 『夫のちんぽが入らない』

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私小説。
同人誌版を以前に読んでいたので「2017年に読んだ本」に含めるかどうか迷ったけど。
でも書籍版では大幅に加筆されて内容もさらに良くなっていた。プロの編集者ってすごいんだなあ。

タイトル含め今年大きな話題になった本だけど、やっぱりいいタイトルだ。タイトルでぎょっとするけど、内容を読むと「これでも穏便なほうだ」と思う。



前川 ヤスタカ 『勉強できる子 卑屈化社会』

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ノンフィクション。
なぜ「勉強できること」を後ろめたく感じてしまうのか、について論じた本。
元・勉強できる子としては「学生時代に読んでおきたかった!」と思った。
ぼく自身は生きにくかった、というほどではなかったけど「勉強できるだけじゃないんだぜ」ということを見せようとしてむりにバカなことをしていたフシはあったなあ。



木村 元彦 『オシムの言葉』

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ノンフィクション。
サッカーはほとんど観ないけどこの本はおもしろかった。
ユーゴスラビアという民族紛争を抱えた地域。采配や勝敗によっては殺されかねないという状況で、文字通り"命を賭けて"サッカー・ユーゴスラビア代表の監督をやっていたイビチャ・オシム氏。
この本を読んだ人は、「絶対に負けられない闘いが……」という言葉を恥ずかしくて口に出せなくなるだろうね。



牧野知弘 『空き家問題』

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ノンフィクション。
この先、日本は空き家だらけになり、家は負債でしかなくなる……。という状況について不動産の素人にもわかりやすく解説している。
超高齢化社会にさしせまった恐怖。へたなホラーよりよっぽど怖いぜ。



岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』

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ノンフィクション。
あまり語られない戦前~戦中のサラリーマンの生活をいきいきと描写している。
日本史の授業の副読本に使ってもいいんじゃないかと思うぐらいうまくまとまっている。おもしろいし。
サラリーマンが戦争に駆り出されるくだりは、70年後のサラリーマンとしてぞっとした。



伊沢 正名『くう・ねる・のぐそ』

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エッセイ。
屋内でウンコをしないという筆者による、野糞まみれ だらけの一冊。どのエピソードもぶっとんでいるようで、意外とまじめ。
もしかしたらこの人、百年後にはファーブルのような扱いを受けて子ども向けの伝記になっているかもしれないな。



貴志 祐介 『黒い家』

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サスペンスホラー。
後半の殺人鬼に追い詰められるシーンもスリル満載でおもしろいが、なんといっても前半の正体のわからない恐怖がじわじわと迫ってくる描写が見事。
寝る前に読んでいたけれど、「これ中断したら怖くて眠れなくなるやつだ」と思って夜更かしして最後まで読んでしまった。



池井戸潤 『空飛ぶタイヤ』

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小説。
実際にあった横浜母子3人死傷事故を題材に、ホープ自動車(モデルは三菱自動車)と関連会社の腐敗を描いた小説。
三菱銀行の社員だった池井戸潤が書いただけあって重厚。ストーリーはよくある展開なんだけど、圧倒的なパワーで引きこまれてしまった。



ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』

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ノンフィクション。
最先端の研究者たちの話をもとに、2100年までに訪れる科学の変化を大胆に予想している。
もしかしたら、ぼくらが「寿命のあった最後の世代」なのかもしれない。



石川拓治 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班
『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』 


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ノンフィクション。
農薬を使わずにリンゴをつくる、それだけ(といったら失礼だけど)でこんなに感動するなんて。
木村秋則というたった一人の農家の偉業が、世界中の農業の姿を変える日がくるかもしれないな。わりと本気でそう思う。


高野 誠鮮『ローマ法王に米を食べさせた男』

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エッセイ。
過疎化・超高齢化が進む地域を「UFOの里」「ローマ法王が食べた米の生産地」として有名にした公務員の話。
これを読むと、自分がふだんいかに想像力にふたをして生きているかがわかる。
活力が湧いてくる本だ。



小熊 英二 『生きて帰ってきた男 ――ある日本兵の戦争と戦後』


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ノンフィクション。
まったく無名な男のさしてドラマチックでない生涯を淡々とつづっただけ……なのにめちゃくちゃおもしろい。
戦争ってドラマじゃなくて現実と地続きのものなんだと改めて思わされた。



来年もおもしろい本に出会えますように……。


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