2017年11月1日水曜日

全銀河系の誰が読んでもくだらない小説/ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』【読書感想】


『銀河ヒッチハイク・ガイド』

ダグラス・アダムス (著) 安原 和見 (訳)

内容(e-honより)
銀河バイパス建設のため、ある日突然、地球が消滅。どこをとっても平凡な英国人アーサー・デントは、最後の生き残りとなる。アーサーは、たまたま地球に居た宇宙人フォードと、宇宙でヒッチハイクをするハメに。必要なのは、タオルと“ガイド”―。シュールでブラック、途方もなくばかばかしいSFコメディ大傑作。

ある日、バイパスを通すために地球が破壊される。50年も前からバイパス工事のことはアルファ・ケンタウリで告知していたのに地球人は誰も見にこず立ち退かなかったから強制撤去――。

という、なんともバカバカしい導入のSFコメディ(バカバカしいのは導入だけでなく全編通してだけど)。
オリジナルは1978年にはじまったイギリスのラジオドラマで、その小説版。

ストーリーはめちゃくちゃなんだけど、そこかしこにブリティッシュ・ユーモアがちりばめられていて、くだらないんだけどおもしろい。

たとえば「人間そっくりの人格を持ったロボットをつくろう」というコンセプトで作られた、超優秀な(はずの)ロボット・マーヴィン。

「わかりました」とマーヴィン。「なにをすればいいんです?」
「第二搭乗区画に降りていって、ヒッチハイカーふたりをここまで連行してきて」
 一マイクロ秒の間をおき、細かい計算に基づいて声の高さと調子を微調整して(人が腹を立てて当然と思う限界を越えないように)、人間のやることなすことに対する根深い軽蔑と恐怖をそのひとことに込め、マーヴィンは言った。
「それだけですか」
「そうよ」トリリアンがきっぱりと言った。
「面白くない仕事ですね」とマーヴィン。

こんなロボットがいたらぶん殴ってしまいそうだ。

「ロボットをどれだけ人間に近づけるか」ってのはよく検討すべき問題だね。
人間と同じことをさせるんだったら人間を使うほうが低コストだし。そもそも人間ってお手本にするほど性能のいいものでもないし。ぼくらみたいな低レベルな人間が目標でいいのか。よくないだろ。

しかし人間をはるかに凌駕するロボットをつくったら、もはやどっちが主人かわかんなくなる。
ロボットの性能を向上させた結果、ロボット様のためにつまんない仕事を人間がやるほうがはるかに効率的だ、ってなりそう。
じっさい、今もロボットは将棋やったり碁をさしたり、人間よりずっと高尚なご趣味をたしなんでらっしゃいますし。

ということはやっぱり、マーヴィンみたいに怠惰で後ろ向きで不満と言い訳ばっかり言ってるロボットのほうがぼくらの仲間としてはふさわしいのかもね。劣等感を味わわなくてすむから。



さっきも書いたけどこの本、ストーリーはめちゃくちゃだ。
都合のいい偶然だらけだし、行動の目的もないし、思いつきを積み重ねているかのようないきあたりばったりのストーリーだ。

ぼくは小学生のとき宇宙を舞台にした冒険小説を書いたことがあるけど、それがちょうどこんな感じだった。

しかし小学生の小説と一線を画しているのは、めちゃくちゃなストーリーなのに個々のエピソードには妙な論理性があること。

たとえば……。

この惑星では、年に百億人も訪れる観光客のせいで浸食が進むのを憂慮していて、惑星滞在中に摂取した量と排泄した量に差があると、出国するときにその正味差分を外科的に切除されることになっている。だから、トイレに行ったらなにがあってもかならずレシートをもらっておかなくてはならない。

これが「妙な論理性」。

世の中には「この人変な人だな」って思う人がたくさんいるけど、ぼくが思うに、そういう人ってじつはそれほどずれてるわけじゃないんだよね。
ほんのちょっとずれてるだけで、だからこそ小さな差異が他者との間で目立ってしまう。

ほんまにヤバイやつって一本芯が通っていて、そいつの中ではしっかりとした論理を持っているから一見まともそうに見える。ちょっと話しただけでは異常性がわからない。

「おれはナポレオンかもしれない……」って悩んでるやつはわかりやすいけど、「おれはナポレオンだ」と信じきってるやつはそれを裏付ける論理を自分の中できちんと持っているから、意外と目につかない。そんな感じ。


たとえばこないだ伊沢正名さんの『くう・ねる・のぐそ』ってエッセイを読んだ(感想はこちら)。
この人は何十年もトイレを使わずにずっとのぐそをしていて、しまいには研究のために自分のしたのぐそを数か月経ってから食べたりしている。
それだけ聞くとやばい人と思うかもしれないけど、この人の中では確固たるルールがあって、しかもそれがすべて合理的で理にかなっている。だからエッセイを読むと「トイレで用を足している自分のほうがおかしいんじゃないか」って気になってくる。

ほんとに変な人にはそれぐらいのパワーがある(伊沢さんをけなしているんじゃないですよ)。


で、「惑星滞在中に摂取した量と排泄した量に差があると、出国するときにその正味差分を外科的に切除される」というルールについてなんだけど、これもおかしいんだけどすごく筋が通っている。
たしかに質量保存の法則があるわけだから、多くの観光客がやってきてたくさん食べてたくさんのお土産を買って帰ったら、その惑星の物質はどんどんなくなっていく。
うん、その論理におかしなところなし。

だから出国時にその差分を切除するという話も……。うん、わかるようなわからないような……。明確に「このような理由でその制度はよくない」とは言い切れないよね……。


とまあ、絶妙な塩梅で常識を揺さぶってくれる小説ですわ。

全銀河系の誰が読んでも「くだらねえな」と思える物語。

あとこれだけはなんとしても言っておきたいんだけど、この小説から得られる知識とか教訓とかまったくないからな! ほんと何の役にも立たねえ小説だぞ!


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2017年10月31日火曜日

選挙、抗議、批判以外の政治との関わり方/明智 カイト『誰でもできるロビイング入門』【読書感想】


『誰でもできるロビイング入門
社会を変える技術』

明智 カイト

内容(e-honより)
本書でいう「ロビイング」とは、業界団体が「もっと金よこせ」と言って政治家に圧力をかけることではない。日本ではあまり行われてこなかった、弱者やマイノリティを守るために政治に働きかけることである。圧力団体が行うロビイングとは目的が全く異なるので、「草の根ロビイング」という名称も使用する。ロビイングはそれぞれテーマや、人によってやり方が異なるため、これまでマニュアルというものは存在しなかった。そこで本書では暗黙の了解となっていたロビイングのルールと、様々な立場からロビイングに関わってきた方たちのテクニックを紹介していきたい。

ロビイストってうさんくさい?


アメリカの政治の本を読むと「ロビイスト」という言葉がよく出てくる。
特定の政策を推し進めてもらうよう政治家にはたらきかける人物、というような意味らしいが、どうもうさんくさいものを感じていた。

選挙を通して選ばれた政治家に、どこの馬の骨とも知れない人物が圧力をかけるの?

それって結局は金に物を言わせて政治家を操ろうとしてるってことじゃないの?

みたいな印象だった。

しかしこの本では、清水康之氏、駒崎弘樹氏、荻上チキ氏、赤石千衣子氏、明智カイト氏の取り組みを通して「自殺者を減らす」「待機児童問題を解決する」「性的マイノリティが生きやすい社会をつくる」など、どちらかというと「弱者を守る」ためのロビイング活動が紹介されている。




政治と関わらざるをえない状況に陥ったら


ぼくは、なるべくなら政治に関わらずに生きていきたいと思っている。

本来、間接民主主義ってのは「一般人は政治のことなんか考えなくていいですよ。すべて専門家に任せておけば安心です」って制度なわけだから、職業政治家以外は政治のことを考えなくて済む世の中が理想だ。

しかしそうは言ってられないこともある。

こんな例が載っている。

 たとえば、失業して住む家も追われ、多重債務に陥ってうつ病を発症してしまった人がいたとする。その人が生きる道を選択するためには、単純化していえば、精神科でうつ病の治療をしつつ、法律の専門家のところで債務の法的整理を行い、福祉事務所で生活保護の利用を申請するなり、ハローワークで雇用促進住宅への入居手続きをするなどして、さらには求職活動もしなければならない。
 しかし、そうした切羽詰まった状態にある人が、自力でそれらすべての情報を探し出し、それぞれの窓口にピンポイントで辿りつくのは至難の業だ。
 支援が必要な人ほど支援から遠ざかるというジレンマは、社会的な問題を解決するための仕組み上の問題である。様々な解決策や支援策が、当事者ではなく施策者・支援者の視点で設計されているために、需要と供給の間にギャップが生じてしまうのだ。

これは「至難の業」どころか不可能だよね……。

窓口を一本化すればいいんだろうけど、行政は縦割りになっているから内部から変わることはまずない。
当事者が選挙に出馬して政治家になれば状況を変えられるかもしれないが、あたりまえだが当事者にはそんな余裕はない。出馬しても当選しないだろう。
政治家が動いてくれればいいけど、政治家もひまじゃないから要請がないとなかなか動けない。

そこで有効なのがロビイング活動。

支援者団体が政治家に対して、失業者を救済する法の策定を要請する。
それが多くの人を救う法であれば政治家にとっては票の獲得につながるから、制定に向けて動くことになる……。

つまり、ここで紹介されているロビイング活動とは、「弱者の声をすくいあげて政治家に届け、弱者を救済する仕組みを作ってもらう」という活動だ。

なんとも理想的な政治との関わり方だ。

そうかんたんにはいかないことも多いんだろうけど、少なくともデモ行進やビラ撒きをするよりは、ずっと現実的な方法だよね。



政治家をうまく使う


『誰でもできるロビイング入門』ではロビイングのいろんなケースが紹介されているけど、これを読むと与党の政治家もちゃんと仕事をしているし、野党の議員も批判ばっかりじゃなくて与党と協力して法の策定に尽力しているんだな、と実感する。

ニュースを見ていると政治家ってどうしようもないクズばっかりに見えるけど、目立たないところでちゃんと活動しているんだねえ。

権力の監視は報道機関の大事な仕事だけど、こんなふうに「業績をちゃんと伝える」ことにも紙面を割くようにしてくれたら、もっとみんなハッピーになるような気がするな。

政治家だって人だから、批判ばっかりされてたらやる気なくすでしょうよ。
「〇〇しない政治家は辞めちまえ!」って言うのと、「〇〇してくれるならこれだけの票が獲得できますよ」って言うのではどっちが人を動かせるかって考えたら明らかだよね。


大事なのは「政治家をどう動かすか」で、うまくやっている人や団体はそれをとっくに実行している。

って考えると、世の中を変えたいと思うのなら政治家になるよりロビイストになるほうがいいね。
政治家って支持母体や政党の言いなりにならざるを得ないわけだから、自分のやりたいように動ける範囲って実はすごく少ないらしいし。

 一方でロビイストには、そのような制約は一切存在しない。政治家が市民から要望のあった政策実現を行なうのに対して、ロビイストはその「要望をする側」であるため、自分自身が実現したいと願う政策のために動くことができる。バックに何か勢力があるわけでもないため、束縛されることもない。
 また、一つの選挙での当選・落選もなく、ある特定の政党に属するということもないため、普遍的に超党派的に誰とでも関わることが可能であり、より効果的に政策実現に寄与することができる。くだけた言い方をすれば、ロビイストとして政治家のバックであれやこれやと複数の議員に働きかけをしたほうが、選挙に当選して政治家になって政策実現を目指すより、自分の叶えたい政策を実現するという観点からいえば圧倒的に手っ取り早いのである。

一般人の政治との関わり方って、「政治家を批判する」か「投票によって誰かを支持する」しかないと思っていたんだけど、ロビイング活動によって「政治家をうまく利用する」って道もあるんだということに気づかされた。

政治家って、雲の上の存在ではなくて、逆にどれだけ批判してもいい存在でもなくて、「我々の代わりに動いてくれる人」だと思えばもっと有意義な接し方ができるような気がする。

たぶん政治家だって、有権者に対しては「要望を伝えてくれる」ことを望んでるんじゃないかな。

「選挙」「抗議」「批判」以外で、もっと政治家と気軽に関われたらいいな。



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2017年10月30日月曜日

タンクトップジャージャー麺


北京にいたとき、ジャージャー麺屋さんに行った。

今はたぶん様変わりしているんだろうけど、15年前の北京ってほんとに田舎街で、小さな商店がたくさんあるばかりで、マクドナルドもスターバックスも市内有数の繁華街に数店舗あるぐらいだった。

飲食店も夫婦と子どもでやっているような零細店がほとんどで、だから友人から「有名なジャージャー麺屋さんがあるらしいよ」と聞いたときも、「どうせ隣近所の間で有名ってぐらいでしょ」と半信半疑だった。

店につくと、なるほど50席ぐらいはある大きな店で、しかもほぼ満席で、たしかに北京ではめずらしいぐらいの有名店といってよさそうだった。

ぼくがまず驚いたのは、店内にはいるなり店員たちが一斉に何事かを叫んだことだった。
おそらく「いらっしゃいませー!」的なことだと思う。

それでなぜ驚くのかと思われるかもしれないが、北京の店ではまず店員があいさつなどしなかったのだ(今はどうかしらない)。

釣銭を投げて渡す、隙あらば釣銭をごまかそうとする、何か質問すると「はぁ?」という挑発的な返答がかえってくる(これは中国語で「え?」ぐらいの意味なのだが、語調が強いのもあいまってとにかく威圧感がある)など、北京人の接客態度はとても感じがいいとはいえず、まあそれはそういう文化だからべつにいいんだけど、それに慣れきっていたのでいっせいに「いらっしゃいませー!」を言われて思わずひるんでしまったのだ。

はじめてブックオフに入ったとき以来の衝撃である。

威勢の良い接客、明るく清潔な店内。日本ではあたりまえの光景だが、北京では異様に思えた。


しかし、そのジャージャー麺屋さんにはもっと驚くべきことがあった。

ホールには15人ぐらいの店員がおり(50席程度の店にしては多すぎる)、しかもそれが全員18歳ぐらいの長身のイケメン男性であり、さらには彼らの服装が一様に真っ白なタンクトップだったことだ。

一瞬、目がくらくらした。
これはどういう状況なんだろうか。
この店の情報を仕入れてきた友人に目をやると、彼もまたタンクトップについてはまったく知らなかったらしく、困り笑いを浮かべながら目を泳がせている。

風俗店なのかも、と思った。
当時の北京では風俗店が目くらましのために美容院の看板を掲げていた。
そういえば中国は宦官制度を生んだ文化の国でもある。
これはそういう性癖の人向けのいやらしい店なのかもしれぬ。ノーパンしゃぶしゃぶならぬタンクトップジャージャー麺なのかもしれぬ。

しかし見たところ、他のテーブルではみなふつうにジャージャー麺をすすっているし、ジャニーズJr.のような店員の少年たちは威勢がよいだけでちゃんとオーダーをとっているし、おさわりをされたりタンクトップの隙間に人民元紙幣をはさまれたりもしていない。

というわけでなにがなんだかよくわからぬままにジャージャー麺をオーダーし、狐につままれたような気分のままさわやかなタンクトップ少年が運んできたジャージャー麺をすすった。


めちゃくちゃうまかった。
さすがは有名店、と思った。北京滞在中に食べた食事のなかでいちばんおいしかった。

しかし疑問は余計に増した。
味だけでも十分に勝負できるだろうに、なぜこんな安っぽい話題作りのようなことをしているのだろうか。
オーナーの趣味なのだろうか。


あれから15年。
あれ以来ぼくはジャージャー麺を好きになり、機会があればジャージャー麺を注文するが、いまだにあのときのジャージャー麺を超える味には出会っていない。

日本にもタンクトップの美少年たちがあふれるジャージャー麺屋さんが上陸してくれることをぼくは心待ちにしている。いやそういう意味じゃなくて。


2017年10月29日日曜日

【DVD感想】カジャラ #1 『大人たるもの』



カジャラ #1 『大人たるもの』

内容紹介(Amazonより)
小林賢太郎の作・演出による、新しいコントブランド「カジャラ」。
旗揚げ公演となる「大人たるもの」がBlu-ray&DVDで登場!
●ラーメンズ・小林賢太郎の新作コント公演カジャラ♯1「大人たるもの」がBlu-ray&DVDで登場!
●出演は片桐仁/竹井亮介/安井順平/辻本耕志/小林賢太郎!
2009年の「TOWER」以降は本公演を実施していないラーメンズが揃って舞台に出演するのは7年ぶり!
●2016年7月27日から東京、大阪、神奈川、愛知で行われ、プレミアム公演となった模様を収録!

ラーメンズ・小林賢太郎氏が脚本・演出・出演を務めるコントユニット「カジャラ」の旗揚げ公演。

ラーメンズとしての活動は2009年を最後に休止中。小林賢太郎氏はニューヨークに住んで、NHKの『小林賢太郎テレビ』などを手掛け、片桐仁氏は役者や造形作家として活動しています。あとEテレ『シャキーン!』のジュモクさんとしてもおなじみですね。おなじみじゃないですか。あ、そう。ぼくは毎朝観てます。

そんなラーメンズが久しぶりにそろい踏みの舞台ということで楽しみに観てみたんだけど、うーん、「笑えるか」という点でみると正直いまいちだった。

コントというかちょっと笑いのある芝居、ぐらいの感じかな。


ベテラン芸人ならまずやらないベタ中のベタな設定「医者コント」をあえて数本用意していたり、時間の異なる2シーンを同時に演じてシンクロさせたり、実験的な作品をいくつか用意しているのに、それを突きつめることなくそこそこのところに着地させているのが残念。
たしかにどれもそこそこおもしろいし、細部の巧みさは感心すんだけど、小林賢太郎の舞台に求めてるのはそこそこじゃないんだよなああ。

いろんな創作表現の中でも「笑い」って特に年齢を重ねるごとに劣化しやすい部分だとぼくは思っていて、小林賢太郎も例外ではないんだろうな。『小林賢太郎テレビ』なんてほとんど笑える部分ないし。
それでも真正面から笑いにチャレンジする姿勢はすごいんだけど、だったらいっそおもいきってラーメンズとして活動再開してほしいなあとファンとしては思うばかり。
ぼくがこのライブでいちばん感心したのは片桐仁のコントアクターとしての質の高さだった。この人がいるだけで舞台の雰囲気がまったく変わるしね。
だからこそラーメンズというシンプルな枠組みで挑戦してほしい。

失敗してもいいからもっと鋭いものを、小林賢太郎に、というよりラーメンズには期待してるんだよ。



2017年10月28日土曜日

つまらない本を読もう


とある人が「世の中にはつまらない本が多い。誰だっておもしろくない本は読みたくない。だから読書離れが進んでる」と書いていた。

本好きのひとりとして、いやそれはちがうぞと思った。


うーん、どう説明したらいいんだろう。

そりゃおもしろい本を読みたいんだけど。おもしろくない本は読みたくないんだけど。

でも、つまらない本があるからおもしろい本を読む喜びがあるわけで。

本好きならみんなそれを知ってると思うんだけど。



たとえば野球観戦。

いちばん見たい展開ってどんなんかな。

僅差のゲームで終盤の逆転により贔屓チームが勝利、みたいな展開だろうか。見ていて気持ちいいよね。

でも全部がそんな試合だったら野球を観る楽しみは大幅に減少してしまう。

勝ったり負けたり、ときにはつまらないエラーで贔屓チームが負けたり、序盤に大差のついてしまうワンサイドゲームがあったり、そういう試合があるからたまに起こる逆転サヨナラゲームが楽しい。

野球観戦にかぎらず、どんな趣味でも同じだと思う。

いいときだけでないからこそおもしろい。



「誰だっておもしろくない本は読みたくない」と書いた人は、ほとんど本を読まない人だと思う。

誰にとってもおもしろい本ばかりになったら、そのとき本は死ぬだろうな。