2016年10月28日金曜日

【エッセイ】結婚式における脇役

妻の妹の結婚式に出席した。

で、思ったんだけれど、「新婦の姉の夫」って結婚披露宴の出席者の中でもいちばんの脇役じゃない?
新郎新婦と直接交流があるわけでもない。血のつながりもない。


結婚披露宴における主役は、誰がなんといおうと花嫁。
これは異論がない。
野球でいうとピッチャーで4番。

準主役は花婿。
野球でいうとキャッチャー。
花嫁に比べると大きく差はあるけれど、いなくてはゲームが成立しないポジション。

内野手は、新郎新婦の両親あたり。
新郎父親は、両家を代表して挨拶するので、内野の要のショート。
新婦父は花嫁をエスコートするので、重要だけどさほど難しくないファースト。
『お母さんへ』の手紙を読んでもらえる新婦母がサードで、特に出番のない新郎母がちょい地味なセカンド。


身内だけでやる結婚式もあるぐらいだから、内野手だけでもいちおう野球の試合にはなる。

でも本格的にやるなら外野手もいないとね。

新郎新婦の友人たちや会社の同僚たちが外野手だね。
新郎新婦からはちょっと離れたところにいるけど、活躍次第ではピッチャーよりも目立つこともあったり。
「式のことはぜんぜん覚えてないけど、余興やスピーチだけは印象に残っている」って披露宴もあるもんね。


披露宴の司会者はウグイス嬢。
受付はビールの売り子。
決して目立つことはないけれど、この人たちの働きがあるからこそ野球観戦は大いに盛り上がる。


新郎新婦の親戚は、球場に観にきているファン。
特に出番はなく、拍手を贈るのが仕事。
「あの小っさかった○○ちゃんがこんな立派な花嫁さんになって......」と感動したりもする。
多めのご祝儀という形でお金を落としてくれるところもファンと一緒だね。


で、新婦の姉の夫(ぼく)はというと......。

「野球ファンの彼氏につれてこられた、野球にぜんぜん興味のない彼女」ですかね......。


2016年10月26日水曜日

【エッセイ】素材の味を楽しむために

寿司食ってたら、食通ぶったやつが

「醤油をつけると素材の味が死んじゃうから、通は醤油をつけずに云々」

としょうもない持論を展開していて、

うるせえよ素材の味を楽しみたいならシャリじゃなくて稲に生魚のせて食っとけよばか!


2016年10月24日月曜日

【エッセイ】てっきり的な話


高校の同級生たちと飲む。
高校時代にひそかに思いを寄せていた女性に云われた衝撃の一言。

「久しぶりだねー。会うの、高校卒業以来だね」

え?

嘘でしょ?

うわーこれ冗談の顔じゃないわ……。

いやいやいやいや。
高校卒業してから10回以上は会ってるからね!

成人式でも会ったし。

同窓会でも会ったし。

何度か一緒に飲み会やったし。

そういや京都を案内してほしいって云われて南禅寺と銀閣に連れてったことあったし。

その後数人で朝まで飲んだし。

よく考えたら去年も友人の結婚式で会ってるし。

ぼくの基準に照らし合わせればこれってかなり親しくしてるほうだったと思うんだけど、それ全部忘れてる……!?

あれかな。
記憶的なものを喪失的なことしちゃった的な話かな?

うん、そうだよね。
そうゆう路線ね。

記憶回路にね、若干のトラブルがあるパターンね。
脳のシナプスとか海馬みたいなとこが大型連休とってる感じね。

はいはいはいおっけーおっけー。

そうだよね、でなきゃね、忘れるわけないよね。
10回以上会ってる人を。ぼくを。

あー、あせったー!
てっきりあれかと思ったわ。
ぼくに対しては何の関心も無いから覚える必要を感じなかったみたいなやつかと。てっきり。

あーっ、よかったー! ちがっててよかったー!

2016年10月21日金曜日

【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』

高野 和明『ジェノサイド』

内容(「BOOK」データベースより)
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

学生時代の読書は、小説:ノンフィクション=8:2ぐらいの比率でした。
ですが30代くらいになると、その比率は逆転。2:8ぐらいになりました。
勉強したいという気持ちが学生時代よりも強くなったからなのでしょうか(学校に行かなくなると知識欲を満たす場が読書ばかりになりますからね)。
ノンフィクションのほうが楽しめるようになり、月並みな表現ですが「やっぱり事実は小説よりも奇なりだな」と思うこともよくあります。

ですが、高野 和明『ジェノサイド』を読んで思ったことは
「いやいや、人間の想像力には限度がない。小説はどこまでもおもしろくなる!」

つづきはこちら


2016年10月19日水曜日

【考察】歌舞伎俳優のふしぎ。


歌舞伎俳優のふしぎ。

テレビのワイドショーを観ると、よく歌舞伎俳優が話題に上がっている。

ぼくは歌舞伎のことはさっぱりわからないのだけれど、やれカンクロウが死んだだの、カンザブロウが熱愛発覚しただの、カンタロウが舞台を休んだだの、けっこうな頻度で歌舞伎ネームを耳にする。


ふと疑問に思ったんだけど、世の中の人ってそんなに歌舞伎を好きなの?

歌舞伎はテレビ中継もしないし、公演をテレビCMで宣伝しているのも観たことがない。
テレビを観ている人たちの大半は、歌舞伎そのものにはぜんぜん興味がない。たぶん。

なのに歌舞伎俳優のプライベートは、報道の価値があるらしい。ふしぎだ。

歌舞伎ファンってどれぐらいの数がいるんだろう。
少なくともぼくは「歌舞伎ファンです」という人に会ったことがない。
野球ファンとかジャニーズファンとかに比べれば、ずっとずっと少ないと思う。
人口でいったら、落語ファンとかオペラファンとか骨董好きとかとそれほど変わらないんじゃなかろうか。

なのに、
「落語家Sが熱愛発覚!」
「あの大御所オペラ歌手Cが緊急入院!」
「新進気鋭の女流陶芸家Yが離婚間近!?」
なんてことは、まず報道されない。

どうして歌舞伎俳優ばかりが話題になるのだろう。

誰か知ってる?