2016年9月16日金曜日

【エッセイ】国民メダル倍増計画


リオ・オリンピックで日本の獲得したメダルの数が過去最高になったそうですね。
これをもって「日本もスポーツに強くなった」と言っている人がいますが、それは正確な言い方ではありません。
べつに日本人全般の身体能力が大幅に向上したわけではありません。
正しくは、国家としての「力の使いどころが変わった」、もっというと「金の使いどころが変わった」です。

リオ・オリンピックで日本が獲得した金メダル12個のうち11個は、レスリング(4個)、柔道(3個)、競泳(2個)、体操(2個)で稼いでいます。

これらの競技に共通しているのは、「メダルの数を増やしやすい」競技だということです。

まず種目の数が多い。
たとえば柔道なら14種目、レスリングなら18種目もあります。
国家としてこれらの競技に力を入れて選手を育成して全種目に選手を送り込めば、理論上は32個の金メダルを獲得できるチャンスが得られます。
もちろん現実的に金メダル総なめということはありえないでしょうが、世界的な競技人口が多くない競技ですから、国家として力を集中すれば2割ほどの種目で金メダルを獲ることは(他の競技に比べれば)難しいことではないでしょう。
実際、柔道とレスリングあわせて32種目のうち2割強の7個の金メダルをい本は獲得しています。

さらに競泳や体操に関しては、種目の数が多いだけでなく「1人の選手が複数の種目に出場できる」というメリットがあります。

体操男子なら床、あん馬、跳馬、鉄棒、平行棒、個人総合と、1人優れた選手がいれば最大6個の金メダルを獲得できる可能性があります(団体も入れれば7個)。 内村航平選手は3大会で7個のメダルを獲得しています。
水泳でも種目別、メドレー、リレーなどを掛け持ちすれば1人でメダル量産が可能です。2000年のシドニー・オリンピックではオーストラリアのイアン・ソープ選手が5個のメダルを獲得しました。

さらに、個人競技(体操団体と水泳リレーを除く)だというのもトータルのメダル獲得数を増やすための重要な要素です。

このへん、サッカーなどの人気競技と比べてみればコストパフォーマンスの良さは明らかです。
サッカーの場合、まずチームを作るのに選手だけで20人は必要になります。
選手が増えればその分、スポーツドクターやら栄養士やらのスタッフの数も増えるので、1チーム作るだけでもかなりの大所帯になります。
しかもサッカーの場合、一流選手は世界各国でプレーしていますので、強化合宿に彼らを招聘するだけでもたいへんです。
数十人の交通費、宿泊費、食費、その他雑費などを考えると莫大な金額になることは疑いがありません。

それだけのお金を使っても、獲得できるメダルは最大で1個(実際にはメンバーの数だけもらえますが、新聞やテレビではメダルは個数ではなく種目数で数えます)。
さらにサッカーの場合は日本と他国のレベルの差が大きいので、予算を割いて強化したところでメダルを獲得できる可能性はかぎりなく低い。
サッカーは、メダルの数を稼ぐためには非常に「コスパの悪い」競技であるかとがわかります。

......と考えると、「オリンピックで数多くのメダルを獲得するように」という使命を与えられた関係各部署が、コストパフォーマンスの悪いサッカーやバレーボールよりも、容易にメダル数を稼げる柔道・レスリング・水泳・体操にかぎりある資金を投下するのは当然のことです。
実際、それらの競技に投下される強化費はここ10年ほど、以前よりずっと増加しているそうです。

「メダルさえ増やせばいい」というシンプルな目標に向かって関係部署が努力をおこない、その努力が見事に実ったという形です。

(べつに柔道や体操でメダルを獲りやすいっていってるわけじゃありませんよ。ただ国全体として見たときに数を稼ぎやすいというだけです)

誤解しないでいただきたいのは、ぼくがこういうやり方を批判しているわけではないってことです。
国家として、こういう戦術をとるのは「アリ」だと思います。
いや、それどころかぼくは好きなんです。
真っ向勝負で勝てない相手に対して戦うときは資源の投下を局所的におこなうことで、部分で負けてもトータルで勝ちを拾いにいく、これは非常に「スポーツ的」な考え方ですよね。
テクニックもパワーもシュート本数もボール支配率も劣っていたチームが勝った、なんてことが起こるのがスポーツのおもしろさですからね。

非常に「クレバー」なやり方で、体格で劣る日本人が国際大会で成功を収めるためにはこの方法しかないとさえ思います。

「リオデジャネイロ・オリンピック男女総合」というひとつの競技だと考えたときに、まちがいなく日本は成功したといっていいと思います。

団体競技や勝ち目の薄い競技など、「費用対効果の悪い競技を国として切り捨てたことは成功だった」ということはもっと喧伝されてもいいと思いますよ!

もちろん皮肉込みで言ってますよ!

2016年9月15日木曜日

【エッセイ】強烈な好意

中国にいたとき、とあるパーティーに参加して話してたら

「なんだ日本人は嫌なやつだと思ってたけど、話してみたら日本人っていいやつじゃないか。日本人最高!」

って流れになって、

「日本人最高!」「日本人最高!」
の大合唱が起こった。

はじめはうれしかったんだけど、

あまりに周りの中国人が熱狂的なので、
だんだん
「ここで水を差すようなことを言ったら殺されるんじゃないだろうか」
と怖くなってきた。

強烈な好意は、あからさまな敵意と同じくらい怖い。
ということを学んだ夜でした。

2016年9月13日火曜日

【読書感想文】曽根 圭介 『鼻』

曽根 圭介『鼻』

内容(「BOOK」データベースより)
人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。


『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。

感想はこちら


【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


2016年9月9日金曜日

【エッセイ】年齢をnとすると、10の(n/10-1)乗× 1万円

「20歳のときに10万円使わないとできない経験は、30歳になると100万円使わないと体験できなくなる」

という意見を聞いた。

なるほど、たしかにそういう面もあるだろうな。
30代になったぼくも、そう思う。

学生時代なら10万円出せば1週間海外旅行ができるが、社会人になると仕事を休んだり(場合によっては辞めたり)、休んだ分の埋め合わせをしたりしないといけないので、金額に換算すると10万円ではきかなくなる。

20歳のときに1日寝たらとれた疲れは、30歳になると1週間とれなくなったりするしね。


でも、だから20代のうちに貯金をせずにどんどんお金を使おうという考えには賛同できない。
なぜなら、
「20歳で10万円の浪費をする人間は、30歳になると100万円浪費するようになる」
からだ。

あと
「20歳にとっての10万円の借金は、30歳の100万円の借金と同じくらい、持っている資源を失わせる」
ともいえる。


ってことで何が言いたいのかというと、使うことも大事だけど貯金も大事ですよってこと。
つまんない結論ですけど。